November 29, 2010

祝山野之義新金沢市長誕生と週末テニス

やったね!

任期満了に伴う金沢市長選挙は、無所属の新人で、元市議会議員の山野之義氏が初めての当選を果たしました。

金沢市長選挙の開票結果です。▽山野之義(無・新)5万8204票▽山出保(無・現)5万6840票▽黒崎清則(無・新)7370票▽米村照夫(無・新)2244票▽沖野正憲(無・新)2170票。新人の山野氏が、現職の山出氏らを抑えて初めての当選を果たしました。山野氏は金沢市出身の48歳。IT関連企業の社員を経て、平成7年から市議会議員を4期務めました。今回の選挙では、現職の山出氏が全国最多に並ぶ6回目の当選を目指し、「多選」の是非が大きな争点になりました。選挙戦で、山野氏は、自民党の若手の市議会議員らとともに「高齢・多選」の市政運営を批判して、世代交代を前面に掲げた運動を展開し、固定資産税の引き下げやスポーツ施設の整備などを訴えました。そして、いわゆる無党派層のほか、民主党や自民党の支持層から幅広く支持を集め、初めての当選を果たしました。
金沢市長選 新人の山野氏当選


まったく心配はしてませんでしたが、僅差で勝利しました。ほんとにおめでとう。

それにしてもであります。この僅差。いまだ日本の政治状況が危機的状況にあることを端的に示しているんであります。

この危機的状況との認識、説明し始めるとこのエントリーだけでは終わらなくなりますので、思いっ切り端折って言えば、公的秩序崩壊の危機であります。

公私混同と言う言葉がありますが、いま日本社会で起きているのは公私逆転と言う公的価値観の崩壊であります。本来タブーであった私利私欲が、恥ずかしげもなく「生活第一」の名の下に前面に出てくる。

民主党政権誕生がそうですが、今回のこの市長選挙の結果も、現職の利益誘導をあてにする市民が決して少なくはないことを如実に示すものであります。

誤解しないでいただきたいのは、別にいままで利益誘導ではなかったと言いたいのではないのであります。ずっとずっと大昔から、利益誘導になんら変わりはない。ただこれを臆面もなく公にすることはなかった。公はあくまで社会の利益とは何かが表明されてきたわけです。ところがこの「社会」が「生活」に置き換えられてしまった結果、「生活」と言う「私」が公の顔をして前面に出てきてしまったのであります。

まあこれも夕張のように「公」が破綻して「生活」がなりたたなくなって初めて理解できるんでありますが、いたしかたありません。

山野くんの勝利が、このかすかな望みを繋ぐ兆しにならんことを、KAIは願ってやまないのであります。

そして、こちらも望みを繋ぐ週末テニス。

このところの快調を維持して、天気も良好。土曜、4-6、6-4、1-3。久しぶりにネモトくんから1勝ゲット。日曜、6-3、6-7(3-7)、2-6と惜しくもタイブレークを落として1勝2敗。

ま、これも致し方ない。この1週間まったく散歩ができなかった。朝方雨のせいもあるけれど、なぜかタイミングが合わない。おかげではっきりと脚力が落ちているのがわかる。落ちているのに、無理して短いボールをとろうとするから右足を痛める。右足をカバーすると左の腰痛になる。この痛みの連鎖を感じることを称して、痛快と言うのであります。ほんとか?! KAI

November 25, 2010

楽しみの金沢市長選

それにしても次から次へと立て続けに問題が起きるもんであります。もちろんこれらは現在の日本の無能政権と共時的に関係して発生しているのですが、そのお話は次回に譲るとして、今回は今週末投開票が行われる金沢市長選のお話であります。

6選を目指す現職市長は、なんと投票日に79歳になるそうですが、この現職市長に挑むのが、48歳のYくん。このYくん、いまからちょうど20年前、ソフトバンクの広告営業マンとして創業間もない私たちのオフィスにやってきたのであります。

二人は話をするうち意気投合し、彼がなぜ慶應大学、松下政経塾を経てソフトバンクに入社したか、孫正義の高い志に感動して入社したいきさつを話してくれる当時のYくんの姿を、KAIは今でも忘れることができません。

Yくんは、その後ソフトバンクを辞め、故郷の金沢に戻って当初目指した政治家への道を歩み始めたのでした。地元とは言え、ジバン、カンバン、カバンのなに一つない彼が、見事金沢市会議員に当選。

いま目の前に、議員になる前からずっといままで定期的に彼から送られてきた手紙、「タックルレポート」の束が、あります。

そのなかにこんなことが書かれています。

●尊敬する人 嘉納治五郎
       孫正義
●好きな言葉 意志あれば道あり


そうなんであります。「意志」であり「志」であります。誰かが切り拓いた道ではなく、自らが志す道を歩む。もうこれしかないんであります。

共産党以外はオール与党で現職を推す状況を打ち破ることができるのは、これを言葉だけではなく15年間の地道な議員活動の中で実践してきた彼しかいない。

そして思うのであります。今の閉塞した日本の政治状況を変えることができるのは、こう言う「志」を持った政治家しかいないし、国民がこう言う政治家を選ぶかどうかにすべてがかかっているのであります。

その意味で、金沢市長選挙の結果は、これからの日本の政治状況を占う重要な転換点となるのであります。 KAI

November 21, 2010

外交は、斥力と週末テニス

今年の大学生の就職内定率が史上最低とのことでありますが、あらためてここ10数年間の、この内定率の推移を示すグラフを見ると、まことに感慨深いものがあるのであります。

図録就職内定率の推移(大卒)


それは、小泉政権発足前、坂を転げ落ちるように下降を続けていた景気が、小泉政権誕生を境に一挙に反転攻勢に転じた様子がありありと示されているのであります。

識者は、欧米の指導者に、日本の経験に学べと言う。これはこれで正しいけれど、では日本の経験とはなんだったのか。これを正しく理解している識者は、ほとんどいない。

2003年5月17日、りそな銀行が国有化された。

この時、榊原英資は、この国有化を指揮する竹中平蔵を、ペーパードライバーと酷評し運転する資格すらないとこき下ろしたが、結果はこれを境に株価が反転し、日本経済復活へ大きく面舵をきることに成功したのでした。
日本の経験に学べと言うけれど


前掲のグラフは、年数の目盛が1年先になっていますから、丁度2003年がいままでの最低であったわけで、ここから一挙に景気が回復する様子が一目瞭然なのであります。

しかし、この果実を横取りする不届者が現れるのであります。自民党の旧抵抗勢力と民主党であります。国民も、彼らの格差社会論のウソに見事に騙されて、不況一直線への道を自ら選択していくことになるのであります。もちろんこの自覚は、国民に微塵もない。哀しい限りであります。

それにしても興味深いのが、このグラフと私たちのビジネスの状況が面白いように呼応していることであります。

考えてみれば、これは当然なんであります。人材採用とは、企業にとって最大の投資。同様に、企業のインフラとなるサービスを提供する私たちのビジネスは、この企業の投資対象そのもの。両者が呼応するのは当然なんであります。

そしてあらためて思うのであります。かつて小泉竹中改革を批判した方々、亀井を始めとしたいまだに批判し続ける方々には、ぜひともこのグラフを見て、ご説明願いたい。更には、いまのいま、何がおきているのか、このグラフを直視していただきたいのであります。

いかに、2003年以降卒業した学生も、彼らを受け入れることができた企業の担当者も、一様に小泉竹中改革の恩恵に与ったか、そしていかに現政権が、無能であるかを直視していただきたいのであります。

この1週間、そんなことを考えていたら、これまた興味深い記事に出会った。

 どうしてこんなことになってしまったのか。ふり返ると、ちょうど5年前、当時の小泉純一郎首相が語っていた言葉が印象深い。

 小泉氏は2005年11月、京都で行ったブッシュ大統領との日米首脳会談で「日米関係が良ければ良いほど、中韓など世界各国と良好な関係を築ける」と述べた。また「日米を悪くして、他国との関係で補うような考えは取らないほうがよい」とも語っていた。

 いずれも当時は一部メディア、野党、評論家らのお気に召さず、「対米追随」「日米さえ良ければほかはどうでもよいのか」などとねじ曲げて伝えられ、批判を浴びた。だが、5年たった今、民主党政権の外交・安保政策をみていると、小泉氏の指摘がまさに的中しているとしかいいようがない。
【土・日曜日に書く】論説副委員長・高畑昭男 小泉外交に学べない民主党


これもまた小泉純一郎の非凡なる資質をうかがわせるお話でありますが、民主党だけではなくメディアも含めてまったく理解できていないのが、この外交問題。

言ってみれば、外交問題とは、引力ではなく、斥力。

これが民主党政権は、まるで理解できていない。すなわち、国と国の関係はほっておくと引力ではなく斥力が働くってことであります。ですから日米の間を強く引き合って維持する必要があり、結果、米中、米韓、米日と言う引力圏内にとどまることが可能になると言うのが、小泉の言わんとするところであります。

米日の手を離すことは、たちまち斥力によって圏外にはじきだされて孤立化するのであります。APECの晩餐会、菅夫妻の存在こそこれを象徴的に示すことにあいなったのであります。

そしてひたすら支持率10%台を願っての、週末テニス。

いよいよ11月も下旬となり、セーターが欠かせなくなってきた。リキの思い出のつまったセーターはボロボロでそろそろ引退の時期かとタンスをあさったら、ありました。生地が薄くなっていつの間にか着なくなっていたやつ。

これが正解で、心地好い汗をかきながらゲームができる。土曜、1-6、5-7、3-3。日曜、6-1、6-7(5-7)、1-6。やるべき課題にむけて、一直線であります。 KAI

November 20, 2010

耐えられない品性(2)

「暴力装置」発言の周辺が、喧しい。

なかでも歴史的用語にして事実にすぎないからなんら問題なしと切り捨てる方々の、致命的論理的欠陥は、発言の正当性を「事実」におく蒙昧にあるのでありますが、今回の問題はそんな瑣末なところにあるのではないのであります。

それは、かつての村山富市による社会党の転向問題に匹敵する、政権与党が自衛隊を軍隊とする立場に立つかどうかの、きわめて重大なる局面に、突然立たされることになった、そう言う問題なんであります。

民主党の問題とは、そのよってたつ綱領がないための、綱領と言う「価値基準」の不在であります。

平和漬け、日本。自衛隊問題など、メディアも含めてまるでなかったかのように振舞うけれど、とんでもないのであります。

憲法における不条理こそ、あらゆる戦後世代の社会に蔓延する日本人の面従腹背、背理構造と言う病理を生み出した根本原因と考えるKAIにとって、この自衛隊に対する反応は、この病に羅漢しているかどうかのリトマス試験紙なのであります。

自衛隊問題とは何か。

自衛隊とは、英訳すると「Japan Self-Defense Force」であり、「Force」すなわち軍隊であります。しかし、日本国憲法には、

第2章 戦争の放棄
第9条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


とあるように、軍隊は保持しないとある。

これを小泉純一郎は、「自衛隊は軍隊」と、国会で初めて答弁し、すなわち憲法を現実に合わせて変える必要があると認めたのでありますが、これを認めたくないメディアは、この小泉の発言を徹底して無視してきたのであります。

今回の問題の本質も、ここにあるのであります。

メディアであれば無視することは許されても、政権与党は、当事者そのもの。

この当事者が、自衛隊を、認めるかどうか。当然認めれば、憲法改正に直結する。

「暴力装置」発言とは、すなわちこの自衛隊を否定すると等価の発言以外のなにものでもないのであり、前回の「ビジネス的欲望」発言によりビジネスの価値を貶めた以上に、現場の人々の使命感を目一杯傷つけることに至ったのであります。

かように、政権中枢の立場にいながら、社会の存立基盤である、「経済」および「国防」、この根幹である「ビジネス」や「自衛隊」を否定し貶めつづける人物を、国家中枢に据えている。これを、民主党現政権支持者の原罪とよばずしてなんと言えばよろしいのでありましょうか。

ですから、支持率が20%台に落ちてきたことは、日本社会が健全に機能していると考えてよろしいのでありますが、KAIに言わせればまだまだ高い。早く10%台にして倒閣しないことには、もうなんともこれ以上耐えられないのであります。 KAI

November 13, 2010

耐えられない品性

赤かぶれの本性みたり、政界ペテン師。本性をあらわすとは、まさにこう言うことを言うのであります。

 仙谷氏は、自らの指示に従わない人物がよほど嫌なのであろう。公開を迫る声に対して、10日、こう述べた。

 「(メディア側に)中・長期的国益よりも、今、映像を流し(報道し)たいというビジネス的欲望がある」「それで(公開しない)われわれに批判的になる」
【櫻井よしこ 菅首相に申す】公開こそ国益だった


「ビジネス的欲望」

これほどビジネスの価値を貶めた言葉を、半世紀以上生きてきたKAIでも見たことがない。そして、心の底から激しい憤りを感じないわけにはいかないのであります。

まあバカ相手に腹を立てても、エネルギーを消耗するだけですので、これ以上バカはKAIの視界から抹消するだけでありますが、それにしてもお粗末なのが、「盗撮」されたなどあほうをぬけす「尖閣ビデオ公開のデメリット・メリット比較表」の存在なんであります。

デメリットとメリットとは、すなわち損得勘定。なにが損で、なにが得になるかは、そのよってたつ価値観次第によるのでありますが、そもそもこのバカの言いたい「ビジネス的欲望」とは、この利益優先、損得勘定そのものではないのか。自己矛盾も、甚だしいのであります。

ただしかし、これは別に間違っているわけではないのであります。正しく「国益」レベルと言う価値観に基づいて行われる限りにおいて、損得勘定で動くことはまったくもって真っ当なんであります。

しかし、現実はそうではないところに、この国のあまりにも貶められた品性があるのであります。この国は、もはや一刻の猶予もできないところまで、来ているのであります。 KAI

November 07, 2010

ソフトウェア、今何が起きているのかと週末テニス

Webアプリケーション全盛とはいえ、ネットワークアプリケーションの稼働環境が多様化している。

iPhoneやiPadにAndroid向けが加わって、ダウンロード型のアプリケーションが再び勢いを取り戻しつつある。一方で、デスクトップの仮想化で従来型アプリケーションをネットワークで利用するのも、堅調に伸びる傾向にある。

要するに、世の中、これは騒がれないだけで、そこらじゅうがアプリケーションの開発だらけで、いまやアプリケーション抜きには一ににも二ににもビジネスが始まらない時代に突入してしまっている証左なのであります。

こうしたネットアプリ全盛時代にあって、実は、今のツィッター興隆には、まったくもって必然性があるのであります。

それは、アプリと人間との間のコミュニケーションの問題であります。具体的にはインターネットにおける従来からのコミュニケーションが、基本的にすべてPULL型で成り立っていると言うことであり、フィードに代表されるように、ユーザーから取りに行かない限りコミュニケーションが成立しないのであります。

この状況を決定的に変えつつあるのが、ツィッター。ツィッターは、PULL型であると同時にPUSH型になっており、このPUSH型について動画のストリーミング的要素に加えて、あたかも神経系のスパークネットワークを連想させるフォロワーの連鎖による放射状コミュニケーションを実現しているのであります。この「アイデア」は、初期のブログにおいて逆リンクを実現したトラックバックの概念と一緒で、誰かがアイデアを現実のものにした瞬間から、たちまちみな真似をして普及していくのであります。

さて、これからが今回のお話の本題。

いままでKAIは、さんざん「自己組織化アプリケーション」をテーマにソフトウェアについて論じてきましたが、今回の話題は実は「自己組織化アプリケーション」そのものの問題なんであります。

すなわち、「自己組織化アプリケーション」とは簡単に言ってしまえば、人間とアプリケーションの関係において、人間もソフトウェアと考え、直接的にアプリケーションとインターフェイスできるように人間と言うソフトウェアが変化していくと同時に、人間もまた自身のインターフェイスに合うようにアプリケーションを漸次的に変えていくと言うことであります。

初期のころこれを担ったのが、アプリケーションのユーザー兼プログラマ。このプログラマがアプリケーションのユーザーとなることで自己組織化アプリケーションのサイクルの中に組み込まれていったのであります。いまのWeb系アプリケーションのプログラマの大半も、この流れの中にあると言えるのであります。

そして、この大きな流れの中に新たなる潮流が加わろうとしているのが、ツイッターユーザー。こちらは、アプリケーションによって自身の人間と言うソフトウェアを大きく変え始めた人々であります。

もちろん、過去の例えばEXCELユーザーのような人間側からの一方的操作(PULL型)に依存するアプリケーションでは、決してこれは起こりえない潮流なのであります。

これがツィッターでは、起こった。そのわけが、冒頭のツィッターが、PULL型とPUSH型をセットでサポートしたことによるのであります。この仕掛けで、ツィッターユーザーは、アプリケーションとアプリケーションの結節点(ノード)となるもう一つのアプリケーションとして機能し始めたのであります。

しかし、このお話をする当の本人は、このノードに身をおくことは、どうにもこうにも気持ちが悪い。感性的に、身体が受け付けないのであります。

ただ、KAIは、これが無性に気持ちが悪い。自己の過去と言う身体が無意味に解体され、細分化されていくことに、どうしても耐えられない。まともな人間にとって、自己の存立基盤となる「身体」は、たった一つである必要があるのです。

だとすれば、唯一の可能性は、「つぶやく」者たちには「スライス」可能なもう一つの身体があるとしか考えられません。これはまさにネット空間における、2チャンの「匿名」に継ぐ第3の自己、「実名」と「匿名」両方の性質を兼ね備えた、言わば「量子化した自己」であります。

なるほど、Twitterで何が起きているのか。それは身体の量子化と言う、凄まじい変化です。人は、果たしてこの環境にいかなる適応をし生存していくのでしょうか。他人事ながらまことに興味深い問題であります。 KAI
逆進する技術、逆行する身体


ちょうど1年前に記述した流れに、変わりはないのであります。

それにしても、なんかいい方法はないもんか。

そこで考え付いたのが、メール。実は、メールこそPUSH型アプリケーションの元祖なんであります。このメール、考えれば考えるほど、強大なポテンシャルがあるんであります。これに気づき始めた人もちらほら出てきた。

電子書籍の優等生「メルマガ」の時代が来る--堀江氏が語る個人メディアの試み


私たちも、この問題に着目して、満を持して新たなるアプリケーションを開発しいよいよ活動を開始したのであります。

「間違いだらけのメール管理」キャンペーン


このキャンペーンの中身とその意味することについて、長くなりましたので、次回、あらためてご説明するのであります。

と言うことで、週末テニスは結果だけ。

土曜、5-7、0-6、2-4。日曜、2-6、7-6(7-3)、3-2。 KAI

November 01, 2010

メディアの病と予知能力的週末テニス

今週のお題は、期せずして「メディアの病」2題。

まず、毎日新聞論説委員の「メディアの病」。

「何年か前、さる大学に新設された大学院教授と話したことがある。『高度な専門知識を持つ職業人を育成したい。新聞社への就職も期待していますので、よろしく』。そうのたまうので、思わずツッコミを入れてしまった。『就活の開始時期が早過ぎて学部教育がおそろかになっている。それを放置しながら大学院で職業教育というのは本末転倒じゃないですか。』」
 この論説委員がどうして新聞社への就職を懇請した教授に対して自分には「ツッコミ」を入れる権利があると思えたのか、私にはどうしてもわからないのである。
「就活の開始時期が早過ぎる」というのは誰がどう考えても大学の責任ではない。
雇用する側の責任である。
(中略)
それについての大学に対する「謝罪の言葉」というのを私はかつて一度も聴いたことがない。
繰り返し言うが、就活の前倒しで学部教育を空洞化しているのは、雇用側の責任である。
「ツッコミ」を入れる権利があるのは、「本社は大学の学部教育を支援するために、在学中から就活をするような学生は採用しません」と宣言している企業だけである。
このコラムにはまだ続きがある。
「謹厳な教授はしばらく黙ったのち、こう応えた。『おっしゃる通り』」
この「謹厳な」大学院大学教授は何を考えてこんな返答をしたのであろう。
もちろん、「あなたに同意する」という意味であるはずがない。
おそらく、「しばらく黙った」のは対話の相手の知的な不調に驚いて絶句したのであろう。
「おっしゃる通り」というのは「言いたいことはよくわかった」と同じで、「早く帰れ」を含意していたのであろう。
高等教育の不調の原因が専一的に大学側にあること、これは動かしがたい事実である。
けれども、「就活の開始時期が早過ぎる」というのは、企業人が大学人に向かって他責的な口ぶりで言える台詞ではない。
おそらく、つねに他責的な口調でシステムの非をならしているうちに、「自分自身が有責者として加担している問題」が存在する可能性を失念してしまったのであろう。
メディアの病は深い。
メディアの病


要するに、メディアのスタンスに、問題解決に対する「当事者意識」が決定的に欠如していることであります。

そしてこちらは、産経新聞。

 日本人のノーベル平和賞受賞者は、沖縄返還の故佐藤栄作氏しかいない。そこで提案だが、日本政府は「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」(通称・家族会、飯塚繁雄代表)にノーベル平和賞が授与されるように働きかけてはどうだろうか。

 日本人のノーベル平和賞受賞者は、沖縄返還の故佐藤栄作氏しかいない。そこで提案だが、日本政府は「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」(通称・家族会、飯塚繁雄代表)にノーベル平和賞が授与されるように働きかけてはどうだろうか。

 政府はここ数年、拉致被害者救出に何の手も打っていない。幸い、ノーベル平和賞だけは団体の受賞が認められている。家族会は、一人一人は何の力ももたない市井の人の集まりだ。その彼らが悪辣(あくらつ)な犯罪国家に敢然と立ち向かっている。日本だけでなく、世界で拉致被害者の救済を訴えている。設立から13年、家族会こそは平和賞を受賞するにふさわしい。受賞となればまた新たな進展も期待できよう。

 繰り返すが、政府は、何もしないのなら、せめて中国政府とは逆の働きかけをノーベル賞委員会にしてはどうだろうか。(編集委員 大野敏明)
【from Editor】家族会にノーベル平和賞を


この編集委員に悪意はないのはわかっている。単に無策の日本政府を皮肉っただけと言いたいのでありましょうが、これはいかにもおかしい。

拉致問題に関して言えば、この政府の無策を報道する責任は、一義にも二義にもメディア側にあるからであります。

どのメディアでもいいから、「拉致問題、今日の動向」と言うタイトルのコラムを毎日欠かさず掲載して、行動した事実だけではなく「行動がない」ことの事実を報道するだけで、どれだけ家族会の手助けになることか、よく考えていただきたいのであります。

メディアの役割とは、中立的第三者を装うことでもなければ、政府を一方的に批判することでもない。それは、私たちの社会が抱える問題を、当事者として国民と一緒になって解決する、そのための第4の権力が与えられているのであります。

この当事者責任と言う意識の決定的欠如。これを「メディアの病」と呼ぶのであります。

予知と予測の違いも、実はこの当事者意識にあるわけでありますが、今週の週末テニスもまた、予知能力のフォース炸裂であります。

今週の日曜、どうしても仕事で参加できないと言うY木さん。替わりの人に声を掛けるも、まったくだれも都合が悪い。しかも台風接近で土日とも、降雨確率80%。はてさてどうしたもんかと、あきらめかけた瞬間、閃いた。

土曜は間違いなく雨だけど、日曜は晴れる。であるならばY木さん、土曜仕事でお休みにして日曜は出てくださいよと、電話をかける。土日雨になることを祈ってしぶしぶOK。

そして日曜。予知能力の存在を証明するかのように、朝から晴れ。

結果は、6-3、1-6、3-6、4-3と無難に2勝2敗。

いよいよ11月。正念場であります。 KAI