August 31, 2010

オーバーキルの警告(再掲)

さすがに菅陣営にも、事の次第が少しは見えてきたようであります。

脱小沢路線は、民主党支持者の思いに適う、まことにもって適切な「戦略」。のはずが、なぜかこれでは政権を維持することができない。勝っても負けても、いまや政権は、小沢陣営の手中にある。

しかし、これに気づくのが遅すぎました。

2手も3手も先を読んだ小沢のもとでは、菅も赤子同然。菅・小沢会談、見事決裂であります。

会談前からすでに、市場が激しく反応した。

 31日の東京株式市場は、米国経済の減速懸念と円高への警戒感から全面安の展開となった。日経平均株価は4営業日ぶりに反落、下げ幅は300円を超え、25日に記録した年初来安値を更新した。日経平均株価は前日終値比325円20銭安の8824円06銭。東証一部全体の値動きを示す東証株価指数(TOPIX)は24・54ポイント安の804・67。
東京株終値 年初来最安値を更新 下げ幅325円超


いよいよ日本経済、一挙にシュリンクであります。半年前、これを警告したにもかかわらず、であります。と言うことで半年前のエントリーをここに再掲するのであります。

February 13, 2010
オーバーキルの警告
なぜKAIが竹中平蔵を高く評価するかと言えば、2001年経済財政担当大臣就任以前からの、彼が行ってきた言説の遂行性の高さにあります。

 2010年度予算は、国債発行額でみて44兆円の赤字を計上する。2009年度は、おそらく53兆円程度の赤字であることを考えると、一気に9兆円、GDP(国内総生産)の1・8%に当たる緊縮財政である。小泉内閣でも財政健全化に向けて努力を重ねたが、それでも年々の緊縮幅はGDPの0・5%程度を目処(めど)として、それ以上の急激な緊縮を避けるようなマクロ運営をしていた。GDP比1・8%の緊縮は、経済をオーバー・キル(過剰引き締め)する懸念が強い。

 加えて今回の予算では、公共事業を一気に18%削減する。小泉内閣で公共事業を削減した際、大きな批判に晒(さら)されたが、当時の削減幅は年3%だった。18%削減が実施されると、恐らく地方経済には大きな悪影響が出る。また、今回の予算では「子ども手当」や農家への所得補償など、いわゆる「移転」支出が多くなっているが、先の定額給付金が約3分の1しか消費支出に回らなかったことからも明らかなように、それが消費に回される乗数効果は大幅に(恐らく従来の半分から3分の1)低下するだろう。

 マクロ経済管理を欠いた現状の安易な姿勢を続ければ、結果的に経済をオーバー・キルし、補正予算の編成に追い込まれよう。
【正論】慶応大学教授・竹中平蔵 政府怠慢と過剰介入が危機拡大


もともとテレビに出てくる評論家や経済学者の言うことなど、まるで当てにならない中で、竹中が行ってきた言明は、大臣として政策当事者であったかどうかにかかわらず、これが常に「現実」となってきた事実です。

今回のこの「オーバー・キル」の言明もまた、残念ながら悲惨な現実を招くことになり、これまたデフレ圧力が一層強化されることになるのでありましょう。

以前にも「デフレ」とは経済の血圧問題であると書きましたが、この血圧を「オーバー・キル」した結果の状況がいったいぜんたいどのようになるか、想像するだに、鳥肌が立ち、背筋が寒くなってくるのであります。

まったくもって、なんでこんな簡単なことが理解できないのでしょう。もちろんこれは、民主党と言う政党に所属する人々の、経済についての「一知半解」以外のなにものでもないのであります。民主党が掲げる「成長戦略」の張本人、菅直人、当の本人が「乗数効果」さえ理解していないと言う現実。もちろん「乗数効果」なるものが有効であるなんて、一言も言っていない。しかし、こういったマクロ経済の初歩的知識さえ持ち合わせず、まさに菅(カン)ならぬ、勘(カン)と思いつきで、国家経済が運営されているかと思うと、寒気さえおぼえてしまうのであります。

これに対する竹中平蔵。

どちらの言うことが、信用できるか。

KAIから見れば、世の中の人々は催眠術の中の夢を見ているのではないかとさえ思えてくる。みなさん、早く夢から醒めないと、ほんと大変なことになるんですよ。って言っても催眠術を解く方法が分からない。

催眠術と言うより、洗脳。

そうなんです。洗脳との戦いなんです。なんともまあ、ややこしくて大変な事態になってしまったもんだ。いったいどこで、どう間違ってしまったのか。

唯一考えられるのが、皇統問題。すべての責任は、女系天皇へ舵を切った小泉にあるのでしょう。まことに天皇問題とは、政権にとって鬼門なのであります。 KAI

August 29, 2010

党名は「新民主党」だそうです週末テニス

なるほど、政局ってこう動くんだと、よく見えてきました。

菅と小沢、民主党の代表になってほしいのはどっちと訊かれればもちろん菅に入れるしかないと言うのはわかるけれど、だからといって菅にこのまま総理を続けてもらいたいと言うわけではないんですけど。なんとかしてこの経済音痴を首相の座から引き摺り下ろさなければ、この未曾有の危機にある日本は救えない。

もう少し使える男かと思ったけど、全く見当外れもいいとこであったと言うのが、小沢の菅に対する気持ちでしょう。

さてどうするか。

小沢の、この1週間の雲隠れ。この線、濃厚と言わざるを得ないのであります。民主党の代表選前に、一気であります。
予測は楽し(6)


このまま無投票で菅続投の流れが変わらなければ、ここに書いたとおり、代表選前に政権丸ごと持って党を出るしかない。

これを変えたのが、鳩山の小沢支持表明。

政治とカネの問題がついてまわる小沢にとって、万が一のときに頼れる人物が鳩山。党を割ったあと万一があっても鳩山であれば後を托せると言うわけであります。

これで、すべての条件がそろっての出馬表明。勝っても負けても「政権」を手放す心配がなくなった。

■小沢が勝てば、みんなの渡辺喜美を総理にした連立。

■小沢が負ければ、鳩とともに党を割って自民との連立で、総理は舛添要一。
メッセージ


菅支持派の人々は、まったく勘違いしている。たとえ小沢に代表選で勝っても、首相のままでいられるわけではないのであります。小沢は間違いなく鳩山と出て新党を作る。

もちろん新党の名前は、「新民主党」。

とりあえず、自民および派生政党との連立。首相は、上に書いたとおり、舛添。

小選挙区制では、小沢は党を割らないと思っている人は、まことにもって甘い。

来年3月、衆議院を解散して総選挙に持ち込むのであります。もはや単独で政権を維持する力を失ってしまった自民党との選挙協力で、野党となった旧民主党を徹底してつぶしにかかる。しかして、ここにまた新民主党と自民党による2大政党制への模索が始まるのであります。

いまの民主党支持者は、どう考えるのか。

政権を握ってこその民主党であります。小沢にこれを持っていかれては、もはや「旧民主党」を支持する理由は、ない。

小沢の政治とカネ問題はどうなるか。強制起訴ありなしにかかわらず、連立相手は当然これを問題にする。ここで小沢は、一歩も二歩も譲歩して、証人喚問にも応じるのであります。しかし、この問題もこれまで。与党に返り咲いた自民党にとって深追いは禁物であります。

さて、これらはすべて、小沢が代表選で負けるとしたらのお話。勝てば、参議院の過半数をねらって連立を組むのは間違いない。連立相手は当然、小沢の譲歩を条件に、みんな。渡辺喜美首相の誕生であります。菅を支持したグループは党を離れることもあたわず、3年後の総選挙まで冷や飯をくわされることになるのであります。

こう考えると、まだまだ可能性がでてきた。もちろんGDPギャップ解消に向けた手が打たれる期待は、ゼロ。それでも、小沢の政治主導の名の下に再び利権構造の組み換えが起きる。拭いがたい閉塞感が、これで解消されるわけではないけれど、ただただ、これで、国民が怒ることを期待するしかない。

もういいかげんにしろ!

国民が本気で怒るのを、待つしかない。

こちらもいったいいつまで続く炎熱テニス。

耐えるを、知る。耐える人間、大きくなるのであります。

大きくなった結果は、土曜、6-7(8-10)、4-4。日曜、6-2、2-6、3-6、2-1。

神様の与える試練に、いまはただ耐えるのみ。 KAI

August 26, 2010

メッセージ

極端な円高、株安。

これを放置するわけにはいかないけれど、菅政権はもちろん、ブレーン、官僚、みなどうすればいいかわからない。わからないから、なにもできない。

もちろん、KAIは理解しているし、竹中平蔵も理解しているから、こう書いた。

案の定と言っても始まらない。円は84円を割り、株価も9000円を割る。

これに対処する方法は、多くはない。と言うよりもはや唯一つしかないのに、この体たらく。
二番底と言う静寂に恐怖の激痛を週末テニス


この、残された唯一の方法とは何か。すでにここで何度も書いてきたことであります。

未曾有の経済危機である。

株価が下げ止まらない。理由は、前回書いたとおり。

識者は、欧米の指導者に、日本の経験に学べと言う。これはこれで正しいけれど、では日本の経験とはなんだったのか。これを正しく理解している識者は、ほとんどいない。

2003年5月17日、りそな銀行が国有化された。

この時、榊原英資は、この国有化を指揮する竹中平蔵を、ペーパードライバーと酷評し運転する資格すらないとこき下ろしたが、結果はこれを境に株価が反転し、日本経済復活へ大きく面舵をきることに成功したのでした。

以来、榊原がこれに始末をつけた様子は見受けられません。所詮この程度の男にすぎないと言うことですが、他の識者といわれる方々も、目くそ鼻くそです。

当時も今も彼らが理解できていないのは、竹中平蔵がよく使う「メッセージ」と言う概念です。

国有化当時の「空気」を一言で言えば、「銀行憎し」です。いつになっても反省しない銀行経営者。相変わらずの高給取りの銀行員。世間の「空気」はきわめて重苦しく、閉塞感に覆われていました。識者といわれる人々は、この「空気」が読めない。榊原を始めとしたこのKYな奴が的外れなことを言うから、余計「気分」が悪くなる。

この状況の中の国有化とは、いかなる「メッセージ」であったのか。

それは、銀行経営者に責任を取らせること、この一点であったのです。

そしてこの「メッセージ」は、一般的に理解されているような市場に向けたものではありません。それは、世間の人々、一人一人の「気分」に向けた「メッセージ」だったのです。世間の人々は、これで一気に気が晴れます。昨日までの重苦しい空気から、一挙に開放されたのです。

これに最後まで抵抗して逮捕された旧UFJ幹部も、滑稽で哀れでしたが、凡そ他の銀行の幹部も似たり寄ったりの中、見せしめに大いに一役かった功績は認められるべきかも。

では、今発すべき「メッセージ」とは。

やはり、当時の日本同様、マネーゲームに踊った経営者に責任を取らせること、これ以外にはありません。その意味でリーマンを破綻させたことは正解でしたが、AIG救済はいかにも甘かった。AIGを国有化し、経営者を変えるだけで、すべてが解決したのです。AIGを解体する必要などさらさらないのです。

70兆円投入も同じ。不良債権の買取は二の次。どしどし国有化し、経営者を首にする。これですべて解決するのです。

なぜか。

今、不況の風が吹き始めました。雇用の不安。自動車が売れない。しかし、みなお金を持っていないわけではありません。もちろん今までの低所得者は相変わらず低所得であることに変わりはありませんが、現金はもちろん金融資産を持っている人たちは、それが紙切れにならない限り、もしこのまま経済が回復するならば、なんの影響も、なんの心配もないのです。

つまり、企業を倒産させることなく(これが大事)、経営者の責任を片っ端から取らせていくだけで、世の中の「空気」を一変させることができるのです。もちろん、市場から退場させる必要のある企業を救う必要はありません。しかし、そのことと経営者に責任を取らせることとは、まったく別問題です。

まっとうな企業を倒産させないことで、雇用を守ることができます。今も明日も雇用の心配が無くなればお金の心配もなくなります。消費を減退させている世間の「気分」は、すべてここにあります。

経営者憎しと雇用の不安、この世間の人々の、一人一人の「気分」に直接届く「メッセージ」こそ、唯一世界を救うことができると、KAIは考えます。
日本の経験に学べと言うけれど


すなわち「メッセージ」であります。いまやこの「メッセージ」しか残されては、いないのであります。

それでは、いまいかなる「メッセージ」が求められているか。この事態になにもできない「民主政権」への「天誅」以外にはないのであります。

そしてこれが、意外なところから発せられることになったのであります。

すなわち小沢の代表選出馬表明。

小沢が、恐らく無意識に市場に発した「メッセージ」は二つ。

■小沢が勝てば、みんなの渡辺喜美を総理にした連立。

■小沢が負ければ、鳩とともに党を割って自民との連立で、総理は舛添要一。

この「メッセージ」に市場はいかなる反応をするのか。当然デフレ脱却国民会議のようなバカを言っているみんなに期待できるはずもない。舛添に一縷の望みを託すしかないけれど、これもでたとこ勝負。

それでも菅続投よりは、より可能性は残っていることは、間違いないのであります。

結果は観ての、お楽しみ! KAI

August 24, 2010

二番底と言う静寂に恐怖の激痛を週末テニス

あまりにも、静か過ぎるのであります。それも澄んだ静かさではなく、周り中の空気が淀みきったそんな静けさ。

まことに「気の流れ」が悪いのであります。

これで「クリーン」民主党の目くらましにだまされて、再び「期待」を膨らませる無党派層が帰ってきてしまう。そうなると、選挙後期待していた連立先から首相が出る可能性が皆無になって、菅続投が決定的になってしまった。

二番底確定なのであります。

経済音痴が首相になった国は、間違いなく大きく経済が低迷するのであります。しかも鳩山同様、「背理」の「病」も患っているから、最悪なのであります。

もはや、「戦争」、「大地震」、以外、この国を救うことができるものはないのでありましょうか。
「デッドロック」外れる


案の定と言っても始まらない。円は84円を割り、株価も9000円を割る。

これに対処する方法は、多くはない。と言うよりもはや唯一つしかないのに、この体たらく。

デフレ脱却国民会議(笑)


あまりにばからしくて、開いた口がふさがらない。

はてさて、みんなも、戦争も大地震も、期待できないとなればこれからどうするかであります。

それにしても、しかしであります。そもそも、なんでこうなってしまったのか。

ここ10年。小泉政権誕生前も、これとまったく同じ状況であったことを、大半の人々は忘れ去ってしまっているのであります。この危機を小泉と言う真のリーダーが救ってくれた。にもかかわらず、同じ同志であるはずの自民党でさえ、格差を生んだとのデマゴーグにのってしまって、いまこの体たらくは、自業自得の言葉どおりなのであります。

小泉、カムバック!

ブロゴスの記事の中にもありましたが、もはやこれしかない。

しかし、民主支持、小泉憎しの自民残党が、まだまだいる。こいつらに徹底的に今回の二番底の責任を取らせた後でない限り、こいつらは反省しない。そう言うことであります。

そのためには、これから1年以上のシェルター生活を余儀なくされるのは間違いない。これにはとてもKAIには堪える力が残ってはいないのであります。

であるからして、おそらくここが週末テニスで鍛えた勝負の分かれ目。すなわち、メディアの中に小泉待望論がうずまく状況を作るしかない。

そして谷垣さん。KAIも京都出身だから気持ちはよくわかるけれど、首相になるのは自分ではないと潔く身を引いてほしい。

菅であろうが小沢であろうが、このどん底に手を打てない状況に、国民の怒りが爆発する。これに乗ずるために、救世主小泉が自民党には必須、これしか役者はいないことを思い知らねば、再びの政権奪取が実現することはありえないのであります。

民主党ばかりに注目が集まっていますが、党の役員人事は自民党も同じ9月。ここで小泉総裁で、反転攻勢をかける。経済危機を打開できない民主政権に替わって、日増しに強くなる小泉首相待望論。

民主政権には、大連立による、名を捨て政権と言う実をとる道しか残ってはいないのであります。

平成22年の9月。ここ10年の総決算は、まもなく始まろうとしているのであります。

そして、週末テニス。

こちらも、2年ぶり、Y木さんの奥さまが復帰であります。

もちろんネモトくんと組んでもらう。この結果は、6-4、6-0、2-4と、復帰第一戦にしては上々。まだ骨盤が割れたままとは言え、人間の身体とはなんともすばらしいのであります。

日曜、6-1、6-2、0-5。最後の最後でスマッシュしようとした瞬間、グリップがすべってからぶり。そのままラケットヘッドでひざ小僧を強打、グリップの親指もひねって、どちらも重症。そのままゲームオーバーにして、熱中症対策で持ってきていた氷水で冷やす。

もちろんアンジェロまで持参して、ひざ小僧を冷やしながらの生ビールは、これまた格別。いつもどおりのサウナのあと、Y木さんにもらった湿布薬をひざ小僧に貼ったら、これまた快適。

そして思った。いま日本に必要なのは、この「激痛」。激痛で覚醒させるしかない。その一点に、世界中の「大気」の流れが集まっていることを激しく感じる。つまりはそう言うことであります。 KAI

August 18, 2010

「朝鮮」が「時間のものさし」となって初めて史実が見えた

この貴重な論文が、ネットから消えてしまわないように、あえて全文を引用させていただくのであります。

 日本の歴史教育では、小学生段階から日清戦争を扱い、日本はこの戦争に勝って清から賠償金を取り、台湾を日本の領土にしたことを教えているが、日本が日清戦争をたたかった真の目的を教えていない。

 戦争に勝った国は、講和条約の最初の条文にその国が最も欲することを書き込む。日清戦争の戦勝国である日本が日清講和条約(下関条約)の第一条に書き込んだのは、領土でも賠償金でもなく、「清国ハ朝鮮国ノ完全無欠ナル独立自主ノ国タルコトヲ確認ス」という文言だった。日本が最も求めていたのは、朝鮮国の清国からの独立だったのである。なぜか。

 ◆半島に自主独立国家を期待

 欧米列強の脅威にさらされていた明治の日本は、自国の安全を確保するため、朝鮮半島に自主独立の近代化された国家が成立することを強くねがった。福沢諭吉は次のように論じた。

 「いま西洋が東洋に迫るそのありさまは、火事が燃え広がるのと同じである。この火事から日本という家を守るには、日本の家だけを石造りにすればすむというものではない。近隣に粗末な木造家屋があれば、類焼はまぬかれないからである」

 日本、朝鮮、清国という、お互いに隣り合う家屋の安全のためには、隣の家の主人を半ば強制してでもわが家に等しい石造りの家をつくらせることが必要である、というのが福沢の考えであり、明治政府の考えでもあった。近代日本の置かれた立場を理解させない歴史教育は教育の名に値しない。

 ◆朝鮮語を「奪った」との謬論

 李朝時代の朝鮮が「粗末な木造家屋」であったことは、朝鮮の外交顧問であったアメリカ人のスティーブンスさえ、日露戦争のあとで、次のように述べていたことからわかる。

 「朝鮮の王室と政府は、腐敗堕落しきっており、頑迷な朋党は、人民の財産を略奪している。そのうえ、人民はあまりに愚昧(ぐまい)である。これでは国家独立の資格はなく、進んだ文明と経済力を持つ日本に統治させなければ、ロシアの植民地にされるであろう」

 朝鮮の近代化は、日韓併合後の日本統治によって初めて実現した。日韓併合100周年に当たっての菅直人首相の謝罪談話を推進した仙谷由人官房長官は8月4日、日本の「植民地支配の過酷さは、言葉を奪い、文化を奪い、韓国の方々に言わせれば土地を奪うという実態もあった」と発言した。あまりの無知に開いた口がふさがらない。ここでは、日本が朝鮮人から「言葉を奪った」という官房長官の妄想についてだけとりあげる。

 日本統治時代、朝鮮半島に在住した日本人は、人口の2%に過ぎない。2%の人間がどうして他の98%の人間から、土着の言葉を「奪う」ことができるのか。

 仙谷氏は、日本統治下の学校で日本語が教えられたことを、誤って朝鮮語を「奪った」と一知半解で述べたのかもしれない。それなら、この謬論(びょうろん)を粉砕する決定的な事実を対置しよう。

 韓国人が使っている文字、ハングルを学校教育に導入して教えたのは、ほかならぬ日本の朝鮮総督府なのである。

 李朝時代の朝鮮では、王宮に仕える一握りの官僚や知識人が漢文で読み書きをし、他の民衆はそれができないままに放置されていた。ハングルは15世紀に発明されていたが、文字を独占していた特権階層の人々の反対で使われていなかった。それを再発見し、日本の漢字仮名まじり文に倣って、「漢字ハングル混合文」を考案したのは福沢諭吉だった。

 ◆先人の苦闘の歴史冒涜するな

 朝鮮総督府は小学校段階からハングルを教える教科書を用意し、日本が建てた5200校の小学校で教えた。日本は朝鮮人から言葉を奪うどころか、朝鮮人が母国語の読み書きができるように文字を整備したのである。

 併合当時、韓国の平均寿命は24歳だったが、日本統治の間に2倍以上に延び、人口の絶対数も倍増した。反当たりの米の収穫量が3倍になり、餓死が根絶された。はげ山に6億本の樹木が栽培され、100キロだった鉄道が6000キロに延びた。北朝鮮が自慢げに国章に描いている水豊ダムは、日本が昭和19年に完成させた、当時世界最大級の水力発電所だった。

 これらのめざましい発展は、統治期間に政府を通じて日本国民が負担した、現在価値に換算して60兆円を超える膨大な資金投下によってもたらされた。本国から多額の資金を持ち出して近代化に努めたこのような植民地政策は世界に例がない。日本の朝鮮統治はアジアの近代化に貢献した誇るべき業績なのである。

 日韓併合100年の首相謝罪談話は、このような歴史的事実を無視した虚偽と妄想の上に成り立っている。それは、わが国の先人の苦闘の歴史を冒涜(ぼうとく)するものであると同時に、日本統治下で近代化に努力した朝鮮の人々の奮闘をも侮辱するものであることを忘れてはならない。(ふじおか のぶかつ)
【正論】拓殖大学客員教授・藤岡信勝 日本がハングルを学校で教えた


藤岡がこれを書くに当たって、この専門家とは言え当然のように史実を確認したうえでの公表であります。

歴史的事実をもって、これをどう解釈するかは歴史家の仕事であり、この仕事を評価するか批判するかはまた別の次元の問題であります。しかし、歴史的事実自体を書き替えようとする今回の菅談話に対しては、そのままはいそうですかと言って見過ごすわけにはいかないのであります。

この藤岡の文章を読んで、改めてWikipediaの日清戦争日露戦争のページに目を通してみて、驚いた。過去義務教育時代に始まりいまのいままで何十回となく教えられあるいは自分で調べても理解できなかった、この二つの戦争の意味と、二つの戦争と戦争の間、そして太平洋戦争への繋がりが、まるで霞が晴れるように明確に見通すことができたのであります。

このKAI_REPORTでは、「松下幸之助の言葉」と題して松下幸之助を何度か取り上げたことがあるのですが、この幸之助は日清戦争が始まった1894年に生まれ、日露戦争が勃発した1904年、丁稚奉公に出されて10歳にして働き始めたのであります(松下幸之助の言葉(7))。

ここでなぜ松下幸之助の話を持ち出すのかと言えば、それはKAIにとって幸之助が上に書いたとおり歴史と言う「時間軸のものさし」だからであります。

これは、幸之助や本田宗一郎を生で見たことのない人々にとっては、坂本龍馬と明治維新との関係のようなもので(龍馬が亡くなった翌年が明治元年1868年)、しかしKAIにとっては幸之助も宗一郎もKAIの若い時とは言え同時代に生きた人物として今の時代と確かに繋がっているのであります。

そして今、この幸之助と言う「時間のものさし」に替わる、まったく新しいものさしを発見したのであります。この新たな日本の近現代史と言う時間軸のものさしとは、「朝鮮」であります。

時あたかも朝鮮併合から100年。つまり1910年。その5年前が日露戦争。はたまたその10年前が日清戦争と言うわけです。しかしこれは単に年の区切りだけの問題ではないのであります。

すなわち、日清戦争による清の属国からの独立に始まり、日本への併合、その40年後の朝鮮戦争を契機にした南北分断と独立まで、朝鮮半島の歴史そのものであり、藤岡論文が示すとおり、これに日本と言う国家が日本防衛と言うプラクティカルな目的であったとは言え、深くかかわり物心両面にわたる実質的な国家の基盤を構築してきた歴史的事実の問題であります。

さらに、日清戦争や日露戦争当時のアメリカやロシアの同盟関係にまで目を向ければ、それがそのまま世界史としての現代史に引き継がれていく様子が手に取るように見えてくるのであります。

かような歴史的事実を前にして、菅や仙谷の言動は、国家の歴史をそのまま史実として受け入れることができる多くの日本人を冒涜するだけでなく、相手とする韓国人に対してもこれを彼らが望むものであったかどうかに関係なく史実を偽るきわめて不誠実な行為と言わざるを得ないのであります。

案の定、菅談話への韓国の反応は、まだ「不十分」。当然であります。事実でない限り、これで「十分」と言える史実など永遠に存在し得ないのは、当たり前なのであります。

はてさて、これにどう対処すればいいものか。

しかしよく考えれば、何も心配はいらないのであります。「昭和天皇の祟り」にも書いたとおりであります。まずは仙谷に祟りが下る。祟りとはそう言うことなのであります。 KAI

August 16, 2010

Webアプリケーション時代の本質とは

昨日のお話(証券ディーラーの悲哀と悲鳴がこだまするのち週末テニス)について、考えれば考えるほど、実はこれは大変な状況になるのではないかと、痛く危惧するのであります。

昨日は、Webサービス、すなわちWebAPIと言われるインターフェイスを公開するアプリケーションに限定した問題であるかのように記述したのでありますが、これはまったくもってWebサービスに限った話ではないのであります。

すなわち、HTMLと言う言語で記述されたアプリケーション、いわゆるWebアプリケーションでありさえすれば、別にWebAPIが公開されていなくてもまったく関係なく、レンダリング(画面描画)機能のないブラウザを使って、あらかじめ作成したシナリオ(メタプログラミング)を動作させるメタアプリケーションによって、人間がWebアプリを操作するのと同じイメージで、しかも人間が操作する何万倍ものスピードでWebアプリケーションを操れるようになるのであります。

東証のシステムについて言えば、プログラム取引と言うこの何万倍ものスピードでユーザー側の(コンピュータによる)操作ができる仕掛け自体はすでに何年も前からサポートされていたのに、今回アローヘッドと言う東証システムの改善に起因して、なぜいまこれが問題となったのでしょうか。

それは、いままでいくらユーザー側の(コンピュータによる)操作スピードが向上したと言っても、これに反応する東証システムが、実際に人間が操作した場合と大差ないものであったからに他ならないからであります。

これが、突然一気に何百倍もの反応速度を獲得して、人間がキーボードに触れるか触れないかのうちに、何百と言うプログラム取引が完了する。これに一人の人間であるディーラーがかなうはずがないのであります。

この問題は、例えば希少価値の高いチケット予約の場面では、もはや素人の人間が出る幕は皆無となる事態さえ想定されるのであります。

あるいは、こういったネガティブな話だけではありません。教育や福祉、介護といった場面で、目的のカリキュラムやサービスを常時監視し見つけてくれるメタアプリケーション機能自体を主たる目的としたWebアプリも、簡単に開発可能であり、そう言う施設への入居待ちやサービス待ちに空きができたときに一番に申し込み手続きをしてくれるのであります。

世の中のサービスと言われるものが、Webアプリ化された瞬間から、このサービスを利用する側のニーズに応えるメタアプリケーションと言うジャンルが一挙に花ひらき拡大していくのであります。この具体的な実態がいかなるものになっていくかは、想像の域を遥かに超えるものになることだけは、確実に言明することができるのであります。

アプリケーションを、メタアプリケーションが操作する時代。これこそが、KAIの言ってきた「高度化アプリケーション」の時代そのものに他ならないのであります。

証券ディーラーの大量解雇は、良い意味でも悪い意味でも、この時代の到来を予見する歴史に残る重大事件であると言えるのであります。 KAI

August 15, 2010

証券ディーラーの悲哀と悲鳴がこだまするのち週末テニス

きわめて興味深い状況がレポートされている。

 株式売買の注文を1秒の1千分の1のミリ秒単位で処理する超高速化が、東京・日本橋兜町に“異変”をもたらしている。東京証券取引所が2ミリ秒で処理する新システム「アローヘッド」を1月に導入した影響で、誤発注や証券ディーラーの解雇が続出。証券最大手の野村ホールディングスグループが7月末に0・5ミリ秒の私設取引システム(PTS)を開設し対抗するなど、スピード競争も激化してきた。

数秒で暴落

 先月8日午後12時半ごろ、東京株式市場で関係者が注目する不可解な取引が立て続けに起きた。

 2200円だったオリンパス株の取引が数秒の間に立て続けに成立し、一気に90円も急落。続いて住友金属鉱山が同様に1122円から59円値下がりした。いずれも急落直後に大あわてで買い戻され、今度は急上昇したという。

 従来の誤発注は、間違って安値で売り注文を出してしまい、その値段で取引が成立して一気に株価が下がる。しかし、今回は次々に取引が成立し株価が切り下がっていったという。

 「高速売買についていけなかった証券会社が、取り消しもできずに誤発注の売買を成立させてしまったのでは」。市場関係者は、こう解説する。

500人解雇?

 証券会社の自己資金で売買をする“兜町の花形”であるディーラーの姿もめっきり減ってきたという。中小証券が相次いで解雇に走り、「すでに300〜500人が整理された」ともいわれている。
【ドラマ・企業攻防】誤発注・解雇・野村参戦…株式ミリ秒売買で兜町に“異変” (1/3ページ)

 コンピューターを駆使して株価や出来高などに応じて高速で自動売買を繰り返す「アルゴリズム取引」が、アローヘッド導入で活発化。大手証券会社や機関投資家が荒稼ぎする一方、同取引に対応したシステムを持つ余裕がない中小証券のディーラーは、注文を入力する前に先を越され、稼ぎが激減しているという。

 「やり手のディーラーでもコンピューターにはかなわない。開店休業の状態」。ある中堅証券は、ディーラーを解雇せざるを得ない窮状を訴える。
同(2/3ページ)


いままでのような、駅の改札口の自動化やETC導入による人員削減とこれは訳が違う。

証券ディーラーと言えば、きわめて高度なスキルを要求される知的労働者。そんな彼らがいとも簡単にお払い箱になる。

いよいよ、時代が大きく変わる。つまりはそう言うことであります。

コンピュータは、その誕生以来わずかな期間に、人間の役割を根本的に変えてきた。それは、常に脳を含めたハードウェアとしての役割からよりソフトウェアとしての役割へのシフトであります。

しかしそのソフトウェアさえ、メタプログラミングによって置き換えられようとしている。これこそが、証券ディーラーの大量解雇なのであります。

つまりこれから起きることがなにか、もう少し分かりやすく言えば、世の中のありとあらゆる仕事がコンピュータを操作してできる時代になればなるほど、別に人間が操作しなくてもいいんじゃない、コンピュータにやらせればって時代になっていくってことであります。

だって、コンピュータをコンピュータが操作するほうが絶対に速いし正確なのは、最初から自明なこと。とうとう人間は、Webサービスによって、この魔宮の扉を開いてしまったのであります。

オンラインでの教育しかり、オンラインゲームを思い通り操作するアプリなんて、なんでもありの時代になっていくのであります。

こんな時代に生きる、人が果たすべき役割とは何か。これこそがきわめて重要なテーマとなっていくのであります。

そんな近未来に思いを馳せる、週末テニス。

そんな未来だからこそ、身体が勝負。炎熱に堪える精神とは何か。なんでこんな暑い中で、ひたすらゲームを続けるのか。すべてのリアルとは、この肉体の中にしかないからであります。コンピュータの世界の中に入れば入るほど、肉体を酷使して初めて、ありとあらゆるすべてがリアルになる。土曜、4-6、6-4、2-3、日曜、1-6、7-6(7-2)、0-4。意識が朦朧とし始めた第2セットのタイブレーク。それでもなお、あきらめないで、これを7-2でゲットして、すべては終わった。これでいいのだ。戦いとはこう言うもんなんだ。

身体のルールを、身体が覚える。頭ではなく、身体が理解して初めて、メタプログラミングも、メタアプリも、これを使いこなすことができるようになる。あたかも人類初めての飛行機の操縦と同じ。実際に飛んで見なければ覚えない。これを覚えて乗りこなせるようになるには、理屈ではなく動物的勘と超人的体力以外にはなかったはずであります。 KAI

August 10, 2010

誰も実現したことのないことをやるのがベンチャーと言う週末テニス

久しぶりに、胸のすくような話題に出会ったのであります。

好きなことをやり遂げる方法
自分の思うようにゲームを作るには、まず、自分で金を用意しなければはじまらない。そのために僕は下請け仕事でチームのレベルアップを計りながら、自分自身も研鑽を重ねながら、じっと機会を待っていた。

ところがゲームの下請け仕事というのは、まあここでハッキリ言うと、ほとんどの場合、うまくいかない。

特にクリエイティブなものは、誰も見たことがないので、ああだこうだと好きなことを言ってくる。
だから下請けでやるには、できるだけ陳腐なものがいい。それが確実だからだ。

生きるためにはなんでもやった。
そうこうしているうちにもっと効率の良い技術の活用法を事業化できないか考えた。
そうしてCMS事業を始めた。これは当たった。CMSだけで楽に食えるだけの稼ぎができた。

手元にお金ができたから、やっと初めて、自分で作る自分のための作品、というものにエネルギーを投じることが出来るようになった。


その意味では、僕はこの作品が成功しようとも失敗しようとも、どちらでも良いと思っている。
ただ、最高の仲間と最高のものが作れた。

もっと良く出来る部分は沢山あるが、限られた時間と人手のなかで、これだけ野心的な仕事をみんなは良く成し遂げてくれたと思っている。
"本気っぽいRPG"をケータイとブラウザで作れるかやってみた長い長い道のり


このところKAIは悩んでいたのであります。なんでこんな苦労まで(自分がじゃなく一緒についてきてくれている仲間たちが)強いられて、この事業をやり続ける意味があるのか、と。

しかし、shi3zくんと言う若い企業家の書いたこの文章を読んで、身震いがするほど励まされた。

それは、KAI自身の起業の時の、時代の風景がよみがえってきたからに、他ならないからであります。

MS-DOS全盛の時代、ゲームもまたMS-DOSと言うメーカー依存のOS毎のバージョンがあたりまえであった。このなかにあって、マック版シミュレーションゲームを出しているゲームクリエーターの友人に、これまたマイクロソフトの友達から入手したまだ公開前のDirectXの仕様を見せながら、MS-DOSで圧倒的シェアを誇っていたPC98ではなくWindowsバージョンの開発を強く促したのであります。もちろんKAIもまた、すでにこのプラットフォーム上の誰も創ったことのないアプリケーションの開発をスタートさせていたのであります。

コンテンツクリエーターやアプリケーションアーキテクトにとって、どのプラットフォームを選ぶべきか。実はこれは簡単なんであります。

よりオープンであるかどうか。

アップルがオープンかどうか、この議論は別の機会にして、オープンプラットフォームとは、もちろん機種に依存しない環境を言うのでありますが、この本質は、可能性の問題を問うているのであります。常に変化を余儀なくされる時代の流れにあって、オープンプラットフォームこそコンテンツやアプリケーション成功の可能性を最大化する絶対条件なのであります。

いまあらたなオープンプラットフォームとなった、インターネット。

shi3zくんのゲーム「天空のエリュシオン」も果たして、この新たな主戦場の覇者となるかもしれない。

ベンチャーとは、こう言うことを言うのであります。誰にそそのかされたわけでもない。ただ自分の思い、志だけで、突き進むのであります。もちろん一発勝負で砕け散るわけにはいかない。粘り強く目の前のやれることを、ただひたすらやり続けるだけであります。

しかし、ベンチャーには、次なる関門が待っているのであります。

誰も創ったことのないものは、これを評価する目も誰も持ち合わせてはいないのであります。

一部の「マニア」だけでは「キャズム」を超えることはできない。

この「キャズム」に橋を架けるのも、また「オープンプラットフォーム」以外にはない。すなわち紙でもテレビでもない、インターネット。もちろんPUSHとしてのテレビの役割は相変わらず巨大ではあるけれど、その中身にもいまやインターネットは深く入り込んでいるのであります。

それにしても、オープンプラットフォームの流行とは言え、Twitter。SNSもそうだったけど、どうにもこうにも肌が合わない。これがKAIの限界ならばただあきらめるしかないけれど、そうではない。

これもまた自ら創り出すしかないと、神が教えているのであります。確かにその啓示は、すでに何度かあったのに、これに気づかなかっただけなんであります。

ひたすらこれを考え続ける、週末テニス。

熱中症の危機、未だ去らずの炎熱テニス。土曜、4-6、6-4、2-3、日曜、1-6、4-6、6-1、0-1。ただひたすらもくもくとゲームを続けるのみ。そしてまた元気を取り戻して、考え続けるのであります。あと、もう少し! KAI

August 06, 2010

Windowsデスクトップのクラウドサービス価格改定のお知らせ

サービスを開始して早々、いきなりですが、サービス価格を改定します。

お客様からのご指摘によれば、私たちの価格より数段安いサービスが先月から始まっているとのこと。もちろん、こちらは「ブラウザ接続」であり「24時間365日有人受付サポート」であり、パフォーマンス的にはより優位にあると思っていますが、なにせ相手は上場企業であります。

小が大に勝つためには、小のフットワークこそ命であります。

と言うことで、月額料金を2250円に下げました。

Windowsデスクトップのクラウドサービス


別に「牛丼戦争」を仕掛けるつもりはありません。もとから既存のサーバーを使用するだけならほとんど原価はかからないから、下げようと思えばいくらでも下げられるのであります。

ただ私たちのサービスのビジネスモデルは、「情報単価モデル」ではなく「機能単価モデル」であります。私たちは、量の拡大ではなく、ただひたすら質の拡大を目指しているのであります。

ですから、多少単価が高めの設定でも、世の中必ず評価してくれる人がいるはず。この信念、志で、このサービスを始めたわけなのであります。

しかし、自己満足では経営じゃない。まずは、世の中の人に認知され、評価されなければ、なにも始まらないのであります。そのために、あえてここは価格競争に打って出ることにしたのであります。

まずはともあれ、ぜひ使ってみて、「解放感」を実感してみてください。 KAI

August 04, 2010

Windowsデスクトップのクラウドサービス

突然ですが、KAI_REPORT史上初めて、ここにコマーシャルをぶつのであります。

Windowsデスクトップのクラウドサービス

このサービス、簡単に申し上げれば、自宅や会社でお使いのパソコンの「クラウド化」であります。

「クラウド化」と言うと、なんか小難しい技術で大変な設定が必要ではないかと思われるかもしれませんが、私たちが行う「クラウドサービス」は、きわめて「シンプル」。今お使いのWindowsデスクトップ環境にあるアプリケーションとデータを、ブラウザの中にコピーするだけ。しかも、データはいつでも自分で自由にそのままコピーペーストして、ブラウザの中に移すことができます。

もちろん、ブラウザの中で作業した結果を、自分のパソコンにコピーペーストも自由自在にできるのであります。

従来のコンピュータ利用は、ユーザー(企業、個人など)がコンピュータのハードウェア、ソフトウェア、データなどを、自分自身で保有・管理していたのに対し、クラウドコンピューティングでは「ユーザーはインターネットの向こう側からサービスを受け、サービス利用料金を払う」形になる。

ユーザーが用意すべきものは最低限の接続環境(パーソナルコンピュータや携帯情報端末などのクライアント、その上で動くブラウザ、インターネット接続環境など)のみであり、加えてクラウドサービス利用料金を支払う。実際に処理が実行されるコンピュータおよびコンピュータ間のネットワークは、サービスを提供する企業側に設置されており、それらのコンピュータ本体およびネットワークの購入・管理運営費用や蓄積されるデータの管理の手間は軽減される。
クラウドコンピューティング、Wikipedia


この記述は、Wikipediaから拝借してきたものですが、ここに書かれている通り、「蓄積されるデータの管理の手間は軽減される」のはもちろん、アプリケーションも最初にインストールするだけで、そのままずっと使い続けることができるのであります。

しかし、「クラウド化」のメリットは、こんなもんだけじゃないのであります。いままで一度でも他の「クラウドサービス」を利用したことがある方は、もう絶対に感じていることがあるはず。それは、「解放感」。「場所」と「時間」からの「解放感」であります。

「場所」からの「解放感」

それは、ブラウザさえあれば場所を選ばずどこでもパソコンを使った作業が「継続」してできるってことです。自宅から会社、会社から自宅、自宅から旅行や帰省先、会社から出張先。まさに、ロケーションフリーなのであります。

特に便利なのが、海外旅行や海外出張。モバイルと言えパソコンを海外まで持っていくのは大変。これが行った先のホテルに備え付けのパソコンがそのまま使える。日本語入力もログインしてしまえばキーボードの言語おかまいなしで、日本語入力が自由自在にできるのであります。

「時間」からの「解放感」

「時間」からの「解放感」とは、バックアップ作業からの解放であります。パソコンが壊れてしまってから、バックアップが取ってなかったことに気づいて大後悔の経験は、どなたもお持ちのはずであります。この心配が、まったくなくなる。この「しあわせ」は、言葉では言い尽くせないものがあるのであります。

しかもこれは私たちの「クラウドサービス」独自のメリットでありますが、例えば原稿執筆中にインターネット接続が切れてしまったときのことであります。他社の「クラウドサービス」は、もちろん「保存」ボタンを押していないから保存はされていません。しかし私たちの「クラウドサービス」は違います。再度接続しなおしたとき、切断される前の状態がそのまま残っていて、なんの問題もなくそのまま原稿執筆を継続することができるのであります。

とは言え、こんな便利なクラウドサービス。メリットだけではないはず。当然リスクがあるはずとお考えになるのは、もっともなのであります。

例えば、私たちのサービスが、突然「経営努力及ばず云々」のお知らせと共に中止になるリスク。もちろん私たちも創業21年目とは言え私企業(しかも弱小)でありますから、このリスクが皆無とは言えません。

しかし、2001年から始めたこの「クラウドサービス」は、今現在おかげさまで数多くの東証1部上場会社を始めとした企業で、「基幹システム」としてご利用いただいておるのであります。万が一にもこのサービスが一時でも停止するようなことがあれば、お客様企業の業務がその場で完全にストップしてしまうのであります。

そのリスクを回避する意味でも、「サステナビリティ・サービス契約」といった形でサービスの継続を保証するなど、さまざまな経営努力を積み重ねてきているのであります。

と言うような次第でありまして、今回はぜひとも私たちの「クラウドサービス」をご利用いただき、「クラウドサービス」がもたらす「解放感」を十二分にご享受いただきたいのであります。 KAI

p.s.さっそくですが、月額料金を2250円に下げました。

Windowsデスクトップのクラウドサービス価格改定のお知らせ

August 01, 2010

成長を穏やかに見守れる環境こそ一番重要なんだよ週末テニス

ここ最近の英語公用語化の議論も、「日本語が亡びるとき」が話題になったときの議論も、なにか釈然としない。これが何か、ずっと考えているのであります。

その順序を過つと(たぶん過つと思うが)、英語を公用語にした企業の未来はあまり明るくないであろう。
英語公用語化について


ウチダ先生も言うとおり、楽天の英語公用語化の結末は、何年も先まで待つ必要はない。プロ野球の楽天が、野村解任時KAIが予言したと同じように、ペナントレース後半になってもいまだ最下位に低迷しているとおりの結果になるのは、目に見えているのであります。

そんななか、なぜ釈然としないのか、ストンと腑に落ちる記事に出会ったのであります。

 公開中の映画「借りぐらしのアリエッティ」の主題歌を歌うセシル・コルベルさん(30)。「信じられない」話は昨春、約10年来のファンだったスタジオジブリに新作のCDを送ったことから始まった。「インスピレーションを与えてくれるジブリの映画に感謝するつもりだった」。自分が音楽を任されることになるとは、思いもしなかった。

 フランスの中で固有のケルト文化が根付く西部ブルターニュ地方の出身。15歳の時に行ったコンサートでケルト・ハープに一目ぼれした。

 音楽を通じた世界の“旅”を広げ、ヘブライ語やトルコ語でも歌う。「借りぐらしのアリエッティ」の主題歌は日本語。「たとえ話せなくても、それぞれの言葉を最大限尊重したい。それが他者を尊重するための最低限の礼儀」と考える。

 緑茶を愛飲し、抹茶も好き。「自然への愛着は日本とケルト両文化の共通点。日本のさまざまな風景を見たい」と話す。
セシルさん「10年来のファン、信じられない」 ジブリ主題歌を日本語で歌う

そうなんであります。「他者を尊重するための最低限の礼儀」が決定的に欠けているのであります。

英語だろうが日本語だろうが、どうでもいいのであります。「言葉」すなわち「他者」。この意味を理解せずして「英語」も「日本語」も、これを語る資格は、微塵もない。

三木谷が、名誉監督なる偽善のもとに野村を遇したと同じように、楽天は、日本語にも英語にも、まるで「最低限の礼儀」を一片たりとも心得ていないのであります。

ただ、我欲のためだけに低俗極まりないまでに貶められた「英語」と「日本語」。

これにKAIは、腹の底から、嫌悪を感じていたのであります。

これから社会に出る若い人たちに、しきりに英語の重要性を喧伝する輩への嫌悪感も、同じであります。「言葉」を道具だと考えるような輩には、未来を担う若者を指導する資格もなければ、むしろ害悪、社会の敵でさえあると、KAIは強く思うのであります。

「セシル・コルベル」のような若者を育てなければ、それこそ、日本は亡びる。切実にこれを感じる週末テニス。

テニスも言葉も、まるで一緒。どんなテニスだろうが、テニスの上手下手など、週末テニスにとってまったく関係ない。下手なら下手でいくらでもやりようがある。そのなかで、自分自身の中で少しずつでも成長していく、よろこび。

そんなテニスの結果が、土曜、6-1、6-2、4-3。日曜、6-7(6-8)、2-6。参加メンバーはみな、成長こそ楽しみなのであります。 KAI