July 25, 2010

異例な不確かさは熱中症的週末テニス

「unusually uncertain」を、「いつになく不安定」と訳すのは、誤訳とまでは言わないまでも、まったくもって意味が伝わってこないのであります。

 【ワシントン=渡辺浩生】バーナンキ米連邦準備制度理事会(FRB)議長は21日、米上院銀行委員会で半年次金融政策報告を行い、経済の見通しについて、「いつになく不安定」と指摘し、米経済の先行きに懸念を表明した。
FRB議長 経済見通し「不安定」追加緩和 具体策言及せず

正解は、こちらの訳。

日経新聞社説 「異例な不確かさ」に直面する米経済 :日本経済新聞

 バーナンキ議長は景気が下振れしデフレに陥るリスクに備え、議会証言では一段の金融緩和の可能性にも言及した。適切な認識というべきだが、日本の経験からしても快刀乱麻を断つ短期解決は難しかろう。


finalventの日記

「いつになく不安定」と「異例な不確かさ」と、何が違うのか。それは「現在」と「未来」の違いであります。「unusually uncertain」とは、「いま」のことではなく「これから」の見通し(outlook)を述べているのであります。「いつになく」も「不安定」も「いま」の様子を記述する言葉であって、「これから」のことに使うにはまったくもってふさわしくない。

そして肝心の「異例な不確かさ」であります。

これはKAI的に言えば、要するに「いままで経験したことのない不安感」の表明であります。すなわち「デフレ」への「不安感」をバーナンキ議長が強烈に感じ始めているのであります。

恐らくこの予感は的中するでしょう。啓示とは、理屈ではないところで、下るのであります。

週末テニスもまた、この不安感に襲われたのであります。土曜、セカンドセット、1-1となったところで突然心臓がぱくぱくし始めた。これはやばいと、すぐコートのフェンスの日陰に座り込むも、おさまらない。

頭を冷やすしかないと思ってクラブハウスへ移動。水道で水をあびるも全然きかない。そのまま靴だけ脱いでシャワールームに入って、全身頭からシャワーをあびること数分。やっとおさまったのであります。

ぼとぼととパンツのすそから水をたらしながらコートに戻ってゲーム再開。

あとは、ただひたすら無理しないようにと恐る恐るのテニスは致し方ない。サコタくんがもって来てくれた氷水袋がきいてなんとか最後までもったのであります。結果は、6-4、4-6、2-1。ま、こんなもんであります。

日曜。サコタくんの氷水袋をヒントに、家の近くで買った105円のロックアイスをクーラーボックスに入れて万全を期すのであります。

おかげで、少し安心してテニスができる。それにしても暑い。へとへとになりながら結果は6-1、1-6、3-5。ま、こんなもんであります^^;。

このあとのアンジェロの生ビール。地獄から天国へ復活するのであります。 KAI

July 24, 2010

パンデミックの正体(2)

わが意を得たりとは、こう言うことを言うのであります。

以前新型インフルエンザの流行にあわせて、こんなことを書きました。

すなわち、量子論の世界では、空間そのものが最初から光の性質を持っていて、「光源」と言うスイッチが入るだけでたちまち空間全体がその性質を帯びる、そう言う「性質」を空間が持っているのです。地球を7周半するのも、空間が最初からそう言う「性質」であるからです。

そこで「パンデミック」です。

致死性の高いウィルスが、世界中で蔓延した状態を「パンデミック空間」とすると、この空間における光とはウィルス。光速は、ウィルスの感染スピード。光子は感染者。「波」ですからとっくの昔に、検疫と言うスリットはすり抜けている。

つまりすでに感染者は国内にいる。

1週間以内に、間違いなく国内に感染者が現れる。
パンデミックの正体


すなわち、新型ウィルスを量子場に見立てて、その後どうなるかを予見しようとしたのですが、結果は見事このとおりになったのであります。

しかし、なぜ「量子場」なのか。この訳が、やっと明確になったのであります。

 興味深い例が書かれている。2009年、日本の社会で新型インフルエンザが流行したとき、通常なら季節型のインフルエンザは終わる時期なのに、報道などではこの年は異例にインフルエンザが流行していると語られたものだった。ところが、著者のグループは片っ端から患者さんの喉や鼻をRT-PCRという手法で調べてみた。

 2009年5月のことです。もうインフルエンザは流行していない、と考えられている季節です。初夏ですから。ところが、出るわ出るわ、探してみたら、たくさんの患者さんから、新型インフルエンザではなく、従来型の季節性インフルエンザが検出されたのでした。しかも、その多くは迅速検査で陰性だったのでした。2009年だけ特別、季節性インフルエンザが初夏に流行ったのではありません。いままで、初夏にインフルエンザ検査をした医者がいなかったのです。


[書評]感染症は実在しない―構造構成的感染症学(岩田健太郎)

つまり、ウィルスとは、それが検出されるときにはすでに蔓延しているのであります。これが検出されないのは、単に場のエネルギーが低いだけのこと。

それにしても、この事実の発見は、きわめて重要であります。ウィルスとは、常に蔓延している、そう言う存在であると言う認識が重要であるってことであります。

なるほど、考えてみれば、これはもっともであります。

ウィルスのような存在とは、空気そのもの。人の移動に伴う空気の流れを制御することなど、端から無理なお話。毎日何万人と海外と行き来している限り、もうこれは、インフルエンザに限った話ではないことが誰にでも理解できるはず。

すなわちこれは、今回たまたま致死性の低いウィルスであったことが、幸いしただけのこと。

根本的な検疫体制そのものの考え方を変えない限り、これを阻止することは不可能と言わざるを得ないのであります。つまり、天気予報並みの観測体制でもってあらゆるウィルスの前期感染動向のチェックであります。

いまや人類は、ウィルスとの全面戦争に直面しているとの認識が、不可欠なのであります。 KAI

July 23, 2010

広告モデル再考

背理の病が、そこらじゅうに蔓延している。これに憤慨していても何も始まらないから、立ち止まらず前に進むのであります。

それにしてもウェブにおける、コンテンツとアプリケーションの区別すらつかない人間が多すぎる。もちろんこれに憤慨しても、始まらないから、以下繰り返すのであります。

 その新手は、検索エンジンとの連携で実現する。もともと新聞サイトには検索エンジンからのトラフィックが多い。アクセスの30%以上を検索エンジンに依存している新聞サイトは珍しくない。だが、検索エンジン経由でアクセスしたユーザーの多くは、目的のニュース本文を閲覧するだけで、広告に一瞥だにせず新聞サイトを去っていくのではなかろうか。そうなる理由は明確である。ニュース本文ページが、検索エンジン経由でアクセスしたユーザー向けに、特別のレイアウトや広告掲載を実施していなかったからだ。

 そこで、通常のニュース本文ページとは別に、検索エンジン経由で飛んできたユーザー向けのページを用意すれば、ユーザーが広告を閲覧しクリックする頻度が増えるということだ。実例で見てみよう。
新聞サイトのマネタイジングの新手、広告売上が急増するかも

要するに、検索エンジンでやっていることを、一般のウェブサイトでもやろうってことであります。

なるほど、KAIのウェブサイトにやってくる検索キーワードは、この1ヶ月だけで1544種類。もちろんほとんどが似ているから、実質の内容の種類はこの数分の1ではありますが、このキーワードに反応する広告を出せば、それなりの効果が見込めるのは間違いないのであります。

しかし、新聞サイトとなるとそうはいかないのであります。

例えば今回の「氷河特急」で検索して、事故の記事の画面に、「氷河特急の旅」の広告がデカデカと出るのはいかにもまずい。かと言って、新聞サイトへの検索エンジン経由の訪問者の大半は、恐らく事件や事故のニュース目当てだから、こういった広告が表示できないとなるとスポンサーは限られてくる。

自動車事故に関連する記事に、車の広告が向かないのも、同じ問題なのであります。

すなわち、検索エンジンでやっていることは、実は新聞サイトを含めて大半の情報系ウェブサイトでは、そのままでは通用しないことに気づく必要があるのであります。

その訳を説明する前に、この検索エンジンは、GoogleのAdSenseと何が違うのか。直接キーワードに反応するかどうかの違いはあるにせよ、本質はまったく同じであります。むしろAdSenseの方が、広告主にとってカバーする読者の範囲が大きくなるメリットがあるのであります。

このあたり、まったくリサーチせずに申し上げるのもなんですが、大手の新聞サイトはこのAdSenseを採用することはなかった。もちろんGoogleに広告のイニシアティブがあるからですが、AdSenseの「考え方」自体も、彼らにとって思いもつかないものであったに違いありません。

それは、Gyaoの失敗と同じ轍を踏み続ける「広告局」の存在にあるのであります。彼らにとって、お客様とは「広告主」。「読者」ではないのであります。

この「大きな壁」を超えたのかもしれないのが、この記事。

NYタイムズが復活の兆し、オンライン広告が回復のバネに


いままでの、「広告主」と言うお客様に「広告枠」と言う商品を売る「機能単価モデル」から、「読者」に直接「情報」と言う商品を売る「情報単価モデル」への転換ができるかどうか、パラダイム転換レベルの問題なのであります。

たとえこれができたとして、いままでの広告主の広告をそのまま「検索エンジン」の広告に持って来れないのは、冒頭の「氷河特急の旅」の例の通りであります。

おまけに、「情報単価モデル」で先行するYAHOO!やFacebookといかに差別化していくのか。

この結論を先に言ってしまえば、これは「新聞広告」のあり方を問われているのではなく、「新聞報道」そのもののあり方が今までどおりでは通用しないと言われているのであり、「調査報道」への質的転換を強く示唆されていると言うことであります。

このへんの詳しい理路はまたの機会にご説明するとして、これもまた「コミュニケーションのオープン化」がもたらす必然の帰結なのであります。 KAI

July 19, 2010

政治の役割のち週末テニス

ウチダ先生も、この佐伯教授も、「民意」と「政治」の、この二つの意味を大きく取り違えている。

 今日の日本の政治において決定的な意味をもつものは、かくて「民意」と「政治」の関係であるように思われる。

 どうしてかといえば、今日ほど、「政治」に要請されている課題と「民意」に問う政治の間に大きな開きが生じた時代はそれほどないであろうからである。政治に要請されるものは基本的に次の3つであろう。(1)諸個人や諸グループの利害の調整、(2)国の将来の方向の提示、(3)危機的状況における決断。この3つである。そしてこのいずれもただ「民意を反映する」などという政治では不可能であろう。特に(2)と(3)はそうだ。そして、今日の日本に必要なものこそ、(2)と(3)の政治ではなかろうか。
【日の蔭(かげ)りの中で】京都大学教授・佐伯啓思、■政治の閉塞 どこにあるのか


ウチダ先生の論は、前回取り上げたとおり、民意の「ダブルバインド」が「フリーズする政治」を生むと言い、佐伯教授は、「政治の閉塞」の原因が「民意」に阿る政治にあると言う。

そもそも、「政治の役割」とはなんであるか。これがお二方ともご理解いただけていないのであります。

「政治の役割」とは、「国家権力の行使」であります。この「国家権力」の前にあっては、個人の力などひとたまりもないのであります。

この理解が根本になければ、何事も虚言に過ぎないと言わざるを得ないのであります。すなわち、「政治」とは「力」であり、「国民」と「国家」との間の「力関係」以外のなにものでもないのであります。

この意味で、ここで引用した佐伯教授の政治の三つの役割など、政治家に交通違反キップの揉み消しを依頼する支援者のレベルとなんらかわりはないことに気づく必要があるのであります。

政治、すなわち「国家」とは、国民と常に対峙する関係にあるとの理解こそ、「知識人」の「常識」であったはずが、いったいいつのころからこれが消えうせたのでありましょうか。

国民が、無条件で「政治」すなわち対峙する「国家」に「国家権力の行使」と言う絶対権力を与えることなど、ありえないのであります。国民にとって、取りうる限りの方法でもって「国家権力の行使」を制限する。これこそ「民意」と言う「国民」の「本意」なのであります。

ここでお二方には気づいてほしいことがあるのであります。

なぜ「民意」が、お二方にとってそうみえるのか。

それは「国家権力の行使」の向きが、外ではなく内なる「国民」に向いているからであります。

いま経済のグローバル化と言う脅威にさらされている社会とは、重火器とはまったく様相を異にする兵器、すなわちITと言う兵器による、第三次世界大戦の中にあるとの認識が不可欠なのであります。

すでに引用先は忘れてしまいましたが中国軍がしかける、このIT戦争の現実は、KAIの誇大妄想でもなんでもない、世界の真実なのであります。

なんでこの国家的脅威の前で、日本の「国家権力」は「外」に向かって一丸となって戦わないのか!

「民意」が悲鳴を上げているのが、なんで聴こえないのか!

まあしかし、これも致し方ありません。

すでにしっかり英語の公用語化を含め、日本企業のIT戦争の帰結は決しているのであります。最初から戦う気力すら持ち合わせないほど、敵国による「洗脳」は進んでいるのであります。

しかしこれに対して、C言語を公用語にすると言うスクウェアエニックス。まだまだ日本は、負けてしまったわけではないのであります。

そして、負けない週末テニス。

インド旅行から戻ってきたY木さん。元気な顔を見ると、これだけで腹の底から戦う気力が湧いてくるのであります。と言うわけで、結果は、土曜、6-4、3-6、0-6、1-1。日曜、6-1、6-4、1-6、1-2。戦いに勝つには、いつもどおりであることこそ、重要なのであります。 KAI

July 17, 2010

予測は楽し(6)

それにしても、見えない人にはとことん見えないのであります。

参院選の前に私がいくつかの取材で申し上げたのは、「鳩山政権末期の20%の支持率が、菅首相に代わったところで66%に跳ね上がるのは、論理的におかしい」ということであった。
菅直人は鳩山内閣の副総理であり、財務相であった。
彼は当然前内閣のもろもろの「失政」について、連帯責任をとらなければならない立場にある。
だとすれば、前政権のスタッフをほぼそのままのかたちで引き継いだ新内閣の支持率はせいぜい30%台にとどまってよいはずである。
いや、連帯責任を取らなくてよいのだという意見に基づいて、60%を超える支持を与えたというのがほんとうなら、その判断を基礎づける論拠は一つしかない。
それは「菅副総理・財務相は鳩山総理の政治的決断にほとんど関与できなかった」ということである。
だが、それほどまでに政治的影響力のない政治家に、「表紙を付け替えた」だけでいきなり6割を超える高い信認がなされるということは、論理的にはありえない。
とすれば、60%の支持率は、菅新総理の政治姿勢や政治理念への支持に対してのものではないとと考えなければならない。
ほとんど同じ陣容の内閣に世論調査は前週の3倍の支持率を与えた。
私はこの「無根拠に跳ね上がった支持率」を薄気味悪いと思った。
私の知る限り、この数字が「薄気味が悪い」と言った人はいなかった。
新政権への期待がそれだけ高いということだ、とメディアは説明した。
フリーズする政治

ほとんどウチダウォッチャーと化しているKAIでありますが、この支持率が跳ね上がった原因がわからないとは、ほとほと世間の人々の「気分」からウチダ先生、懸け離れてしまっているのであります。

菅政権の支持率は、こんなへんてこりんな「キャラ化」なんか持ち出すまでもなく、「めくらまし」の「小沢外し」によるもの。民主党支持者の積もり積もった非民主的「小沢支配」への鬱憤が、ただ晴れただけなんであります。
日本の主権が何か問題でも

この「キャラ化」に続いて、今回は「ダブル・バインド」。

これはご存じ「ダブル・バインド」である。
親の指示に従わないと罰せられ、従っても罰せられるという「出口のない」状況に長く置かれると、子どもはメッセージの解読に困難を来すようになり、やがて精神分裂病を発症する、というのがグレゴリー・ベイトソンの「ダブルバインド」仮説であった。
フリーズする政治

もちろんこの「ダブル・バインド」が、妄言以外のなにものでもないのでありますが、実はこの言葉には、いま国民が感じている切実なる思いが隠されているのであります。

すなわち、政治の「量子化」問題であります。粒子性でも波動性でも「ダブル・バインド」で解決しなくなった政治に粒子性も波動性も超える「量子性」を待望する、明確なる国民の意志なのであります。

え?わからん?

もちろん、意味不明でありますが、KAIにはやっと、これが明確に見えてきたのであります。

政治における「量子化」とは、いったいなにか。

それは、公務員を5分の1にすることであります。

国民は、理解したのであります。民と官と言う、粒子と波動の対立では解決しないことを。官ではない民、民ではない官。これが官を5分の1にすれば実現できることに、いま気づいたのであります。そしてこれを実現するために、みんなと自民に勝たせた。

いまやるべきことは、官を5分の1に減らすこと。

これで国債問題も、プライマリーバランスも、あっと言う間に解決する。小沢にはいろいろ言いたいことがあるけれど、もしこれに手をつけることができるなら、KAIは全面的に支持するのであります。

そして三番目。3ヶ月前の予測どおり、民主が割れる。もちろん小沢が自民と組んで谷垣総理で行くのであります。
予測は楽し週末テニス(5)

小沢の、この1週間の雲隠れ。この線、濃厚と言わざるを得ないのであります。民主党の代表選前に、一気であります。 KAI

July 12, 2010

予測は楽し週末テニス(5)

まずは、いきものがかりの歌に合わせて、ありがとうって言葉を、国民のみなさまに伝えたいのであります。

国民を奈落の底へ導く可能性が、まだまだきわめて大きいとは言え、すこし緩和されたのであります。

民主党は、「大敗」し、自民党も議席は減らすものの離党者分で、谷垣総裁は続投。公明党はしっかり議席を確保し、「みんなの党」(だけ)が大躍進。もちろん投票率は軒並み高くなる。

なんでこうなるのか。民主党が「大敗」するのには、説明はいらない。あえて言えば、二人区で軒並み共倒れ。この意味でも二人区に2人候補に拘った小沢の責任は免れないのであります。いかに小沢が選挙下手か、もういいかげん気づけよ。

そして自民党。追い風は吹かないものの、二人区共倒れで漁夫の利の現状維持。当然谷垣の辞任はない。と言うか、今は誰も総裁なんかやりたくない。3年後にみな照準を合わせているだけではあるのですが。あと公明党。公明党の危機感は、けたはずれに大きい。いままでの自民党に遠慮していた分、やっと独自路線で本領発揮も、現状維持に変わりはない。

もちろん「みんなの党」が無党派層の受け皿になって、大躍進。
予測は楽し週末テニス、May 30, 2010


これはまだ、菅政権誕生前のKAIの予測ですが、小沢外し効果で一時はどうなるかと心配したものの、結果はほぼこの予測どおりであります。

自民が勝ちすぎて、これで決定的に自民再生の可能性が消滅したことは、まことに慶賀の至りと申し上げてよろしいかと思われます。

さて、これからどうなるかであります。予測にお茶している暇はないのであります。

こう考えると、この夏の参議院選挙は、もちろん、民主は大敗し自民も去った人の数を確保するのに精一杯となる。

鳩山から菅に替わった総理と違い、相変わらず幹事長に居座る小沢。自らの訴追問題を抱える以上、辞めるにやめられないのであります。

一方、参院選大敗で選挙の小沢の呪縛から解放された民主は、衆参ねじれ解消のために、あらたな連立を組む。ここは小沢の辞任と議員辞職を条件に、連立先の党首を首相にするしかないのであります。これにたいして、もちろん小沢は抵抗する。そして民主は、割れる。

が、波乱もいったんここまで。あとは3年後の衆参同日選で、またあらたな連立。
今なにが起きようとしているのか週末テニス、April 18, 2010


これは更に選挙の3ヶ月前の予測ですが、選挙の前か後かは別にして、予測どおり小沢が外れて連立が一挙に進むのであります。

一番可能性が高いのが、公明。もちろん菅首相のままでは、これもまた極めて難しい。公明が連立する場合は、山口首相以外にはないのであります。この実現性は低いとは言え、つまりはそういうことであります^^;。

二番目の可能性は、大連立。しかしこれも自民が大勝した分、谷垣首相でないと実現しない。

そして三番目。3ヶ月前の予測どおり、民主が割れる。もちろん小沢が自民と組んで谷垣総理で行くのであります。

はてさて、いかなることになりますやらの、週末テニス。

夏本番は、怒涛の6連敗。

土曜、6-7(6-8)、2-6、1-4。インド旅行中のY木さんのピンチヒッター、ウシオくんとネモトくん対KAI、O谷さんの3セットマッチは、完敗。ウシオくんの成長著しいのは嬉しいけれど、簡単に勝たしては教育的効果が半減するのであります。

そして、日曜。5-7、4-6、2-6。Y木さんの替わりはコーチのシミズくん。そのシミズくんと組んでも勝てないのだから、今週は相当重症なんであります。

しかし、原因はわかっているのであります。そうです、悩みが多いのであります。全然テニスに集中していないのであります。

ま、これも、人生で何度目かの、岐路。この選択は、間違っていないと、確信して前に進むしかないのであります。 KAI

July 08, 2010

小倉昌男の言葉

大変だよね。
でもやりがいがあるよ。
とても大切な仕事だよ。
がんばっておやんなさい。
お客様に喜んでいただくこと。
それが一番大切なんだよ。

基本は自分がしてもらいたいことを相手にもしてあげることなんだよ。
相手の立場になって考えるんだよ。
経営でも人生でも同じなんだよ。

[書評]小倉昌男 経営学(小倉昌男)、経由、経営者は何によって記憶されるか――追悼・小倉昌男

July 04, 2010

地のエネルギーとともに生きる週末テニス

ウィンブルドンの芝のコートを見ていたら、なんだか突然「地」のエネルギーを感じてしまった。

このウィンブルドン100年の歴史なんてもんじゃなく、何千年、何万年のウィンブルドンの「地」のエネルギーであります。このエネルギーがあるからこそ、この「地」に世界中から人が集まり、戦いを繰り広げる。これは、「地」と言う場所が持つエネルギーが生み出す「産物」以外のなにものでもないのであります。

「風水」の世界を持ち出すまでもなく、これは実はみなさんも日常的に感じているはずのことであります。すなわち、住んでいる場所の良し悪し、通勤通学の経路の選択、休日の好んで行く公園、すべて居心地がいいからそこに住んで、通うのではあります。

つぎからつぎへとテナントが入れ替わるビル。1階のお店も1年もしないうちに別のお店になる。もちろん「場所」、すなわち「地」のエネルギーのないのが原因なのでありますが、たまにそこに長く続けるお店が現れる。弱い「地」のエネルギーに優るエネルギーを持つお店かと言えば、さにあらず。目一杯客のエネルギーを吸い取る、負のエネルギーを持つお店だからこそ、逆の意味で居続けることができるのであります。

しかし、これもそう長くは続かない。周りに必ず太陽のようなエネルギーを持つお店が現れる。「地」のエネルギーは遍在するのであります。

そうなんであります。みなさん、今一度、自分がいる「場所」を見渡していただきたいのであります。

一生懸命やっているのに、なぜか報われない。もし、そんなことがあるとするならば、ひょっとして場所が悪いのかもしれない。

住いにしろ、オフィスにしろ、その場に立って、感じてほしい。生きる勇気が湧いてくるかどうか。幸いなことに、KAIはまた、自宅、オフィス、そして週末テニスのコートの上でさえ、とてつもない「地」のエネルギーを感じるのであります。

つい先日、早朝の散歩で、この「原点」なる思いにひとしきり心を熱くしながらテクテクと歩いていたのでした。

この散歩道である大地こそ、人の生きる原点です。散歩を通して人体の電位をアースして大地と等しくする。これを毎日くりかえす。毎年温泉通いを続けてきたのも、露天で座禅を組みながら、身体すべてを大地と一体化する。

すると、いままでまるで鈍感であった身体が微弱なパルスに感応し始める。いままで見えなかったことへの視界が戻ってくる。原点への視界が戻ってくるのです。

そして、それはやがて恍惚となって身体エネルギーに昇華していくのでした。

こんな気持ち良い散歩は、ほんと久しぶり。
原点回帰


考えてみれば、この大地。どこでもいいわけではないのであります。もちろん温泉は間違いないけれど、外れも多い。散歩道、テニスコート。知らず知らずのうちに選んでいるのであります。

そして大地のエネルギーに支えられて続ける、週末テニス。

今週、日曜からインドと言う大地のエネルギーを浴びに行くY木夫婦。夫妻にとってこの時期何十年も続けてきた恒例の旅とは言え、あの大事故からまだ2年。しかし生きるエネルギーとはこう言うもんなんであります。

と言うことで、土曜、出発を明日に控えたY木さん、O谷さん、ネモトくんと言うスーパーレギュラーメンバーは、ゲームが長い。6-3、0-6、4-4と3セットも途中まで。

そして、日曜。Y木さんの替わりはシミズくん。結果は1-6、1-6、7-6(7-3)と、シミズくんと組んだ第3セット。かろうじてタイブレークを7-3で取ったから良かったけれど、夏本番でへとへと。忍耐の夏の始まりであります。 KAI

July 03, 2010

フェデラー不調の原因とは

ウィンブルドン。フェデラーが、あえなく準々決勝で敗退。1ヶ月前の全仏も、同じく準々決勝で負けたから、絶不調と言って間違いないのであります。

テニスに興味のない方にとって、フェデラーがどんなすごい選手か皆目わからないと思いますが、とにかくすごい選手なんであります。

このフェデラーがなんで絶不調か、全英中継のテレビを見て分かった。広いファミリーボックスに、1年前に結婚した奥さん、ミルカ・バブリネック一人しかいないのであります。

フェデラーが彼女と結婚したのは、2009年4月12日。そのあと長年準優勝どまりであった全仏で初優勝、1ヵ月後全英は6度目の優勝、翌2010年全豪4度目の優勝を加えれば、グランドスラム優勝回数は、実に16回。28歳とまだまだ若いのであります。

にもかかわらず、この絶不調。なんでミルカしか応援にきていないのか、理解に苦しむけれど、不調の原因がここにあるのは明らかであります。

4歳上のミルカとの結婚は、長年恋人同士だったとは言え「できちゃった婚」。2009年7月には双子の姉妹を出産。いま二人にとって初めての子育て真っ最中。ともにテニスプレーヤーだから、いかにテニスの試合と言うサーキットが過酷なものか、理解しあっているはずとは言え、初めての子育て、しかも双子の子育ては、テニスどころではなかったと言うところであります。

今週は、初めての子育てに悩む新米ママとパパのために、とっておきの育児情報をお届けするのであります。

 育児の大変さは「今」「ここ」で待ったなしに、わが子の要求を受け止めなければいけないことであろう。乳幼児は楽しく笑ってばかりはいない。不安になり泣き出すと、自分をどうすることもできない。しかも、あるがままを出せる相手は、母親や、よくなじみ親しんだ人に限る。受け止めてもらうと不思議に落ち着き、ほっとするが、親が暗い眼でにらむと、萎縮(いしゅく)してしまう。

 子供の脳の発達は不連続である。頭囲が急に増大する時、脳も急に発達し、それに呼応して感情や行動の調節は悪くなる。特に胎児期、乳幼児期、思春期は脳がぐんと大きくなり、「キレ」やすさが高まるときである。赤ちゃんの胎動は強いほど元気な証拠。それと同じように、2歳前後の「いやだ!」も、12歳前後の生意気な反抗も、健やかなこころの印である。子供自身にとり、この時期は心身のバランスの崩れやすい時期でもある。

 育児はこの脳の爆発的な発達期に、特に難しくなる。子供自身が内部の変化に驚き、いつになく泣きわめき、母親にしがみつくからである。これは新しい認知行動機能が芽生える直前の2、3週間に起きる。
【母親学】慶應大医学部専任講師 渡辺久子(2)脳の発達と子供の「キレ」やすさ (1/2ページ)


(中略)

 オランダの生態行動学者、プローイユ夫妻はこの時期を詳しく研究した。生後20カ月までに、どの乳幼児にも「退行期」(赤ちゃん返り)と呼ばれる母親泣かせのぐずり期が10回ある。飛躍的発達の前兆で避けることはできない。生後1歳ごろまでの退行期は、なんとか子供の気を紛らわせてしのげるが、1歳から1歳半にかけてはごまかしがきかなくなる。激しい癇癪(かんしゃく)を起こして母子は衝突し、育児ノイローゼや虐待につながりやすい。

 多くの母親はこの「退行期」に、「こんなはずではなかった」と自信をなくし、育児が楽しいどころか、赤ちゃんをかわいいと思えず苦しむ。このような育児の混乱が、全国約13・5%といわれる母親の産後鬱病(うつびょう)の背景にもある。


子育てとは、子を信頼することに尽きるのであります

ファミリーボックスに誰も寄せ付けないで一人いるミルカには、恐らくこの鬱が懸念されるのであります。

もちろんこんな状態では、勝てるテニスも勝てなくなる。確かにベルディヒは絶好調(なんとこのあとナダルと決勝対決とあいなるのであります)。サービスがクロスに面白いように決まる。しかしこんな時にもフェデラーは、小憎らしいくらいに切り返してブレイクできるのに、この試合はまったく精彩を欠いていた。

しかし、長い人生。こんなときも、ある。

二人にとって子育ては、自分のコピーを創る、人生で最も重要な仕事であります。

KAIもずっと昔に経験しましたが、最初の子はとにかく大変。お風呂に入れるのも、おっかなびっくり。お湯が顔にかかってどうしよう。手が滑って顔までざぶんとつかって、さあ大変。

ところが二人目、三人目。もうおかまいなし。汚れていようがご飯をこぼそうが、かわいくてかわいくて、どうでもよろしい、となるのであります。

フェデラーも、ミルカのためにしばらく子育てに専念するがよろしい。半年もあればウソのように状況も一変する。

ま、そういうことであります。 KAI