いよいよKAIの懸念どおりの様相を呈しつつあるのであります。
人の価値観とは、多様です。同様に、私たちの社会とは、多様であり、また多様であるべきであります。「保守」とは、この社会の多様性を受け入れ、これを維持する思想であり、逆に「反保守」思想が、(特定の価値観に依存する)理想社会と言うかたちでの社会の多様性の否定に繋がっていることは、誰が考えても明らかなことであります。
今の民主党の恐ろしさの本質は、まさにここにあるのであります。 KAI
(保守を考える(2))
それを「最小不幸」などといって、弱者=不幸、貧乏=不幸と決め付ける。これはすなわち、強者=幸せ、金持ち=幸せと言っているのとなんら変わらない。
世の中、みな強者で、みな金持ちがあり得ないのだから、こんな論理で行けば、いつまでたっても不幸な人が減ることはない。
実は「市民派」と言われる人々や「労組」の存立基盤の本質とは、ここにあるのであります。この減ることのない不幸な人々の味方になって、不幸の「原因」と「強者」や「金持ち」を攻撃する。もちろんその活動の成果でもなんでもないけれど、なかには不幸な人から「強者」や「金持ち」でなくても「不幸」であると思わない人が出てくるかもしれないけれど、不幸な人々はいくらでも再生産されるから、組織の支持基盤に瑕疵が生ずる心配はまったくない。うまくできているのであります。
しかし、これが「市民派」や「労組」レベルである間はご勝手にどうぞで済んだものが、「政府」レベルでやられると、これはまったくもって見過ごすことのできない一大事なのであります。
そもそも人の「幸せ」とは、傍から見れば貧乏と思われる人でも倹しい生活に幸せを感じる人もいるように、「幸せ」を感じることのできるのは「心」であり、人の「心の問題」に他者は関与できないし、また関与すべき問題でもないのであります。
これを大前提に考えないといけないのが、政府すなわち国家の役割であり、国民一人一人の「心の問題」への関与を厳しく禁じることこそ、思想信条の自由を始めとした憲法の本義であるわけであります。
にもかかわらず、民主党は、貧乏弱者を不幸とし、貧乏弱者への救済を政策の第一義とする。これは一見反対を唱えにくい福祉優先と言う形に見事にカモフラージュされてはいるけれど、明らかに民主党による「貧乏弱者優遇」、「金持ち強者排斥」と言う「価値観」の押しつけ以外のなにものでもないのであります。
法人税率、所得税率、はたまた消費税の議論でさえ、この「価値観」が色濃く反映されようとしているのであります。
これに対して、これのどこが悪いのかと、民主党の方々は反論するでありましょう。かように、「政治」の基本に無知蒙昧な方々(これを世間では「バカ」と呼ぶのでありますが)にとってはきわめて理解しがたいことではあるのであります。
かと言って「バカ」につける薬がないかと言えば、さにあらず。きわめてこれは実に簡単なんであります。「貧乏弱者優遇」はそのままでよろしい。一緒に「金持ち強者排斥」と言わずに「金持ち強者も優遇」と言われればよろしいのであります。
ん?わからん?
さもありなんでありますが、ここはなんとかしなければ、「バカ」と一緒に奈落の底はごめんこうむりたいから、説明するのであります。
民主党の方々からすれば「金持ち強者排斥」なんて一言も言ったことはないと仰りたいでありましょうが、まさか野党時代から延々と繰り返してきた「社会的弱者」と「社会的強者」と言う二項対立の議論をお忘れになったわけではありますまい。
この「二項対立」こそ、「価値観」の押しつけであり、問題解決への道を大きく閉ざす原因になっているのですから、「二項対立」を止めるだけで実は簡単に問題は解決するのであります。
つまり、「金持ち強者も優遇」と言えばたちまち「二項対立」はなくなり、「価値観」の押しつけもなくなる。具体的には、「金持ち強者も優遇」することで直接的に「経済」を強くすることができて、おまけにこのお金が「貧乏弱者」にも流れていく。政府はこの流れていく道を用意するだけで良い。
とどのつまり「政治」の役割とは、「バラマキ」と言う直接的な支援などではなく、お金をより流れやすくする仕掛け作りと言う間接的支援にしかないことを理解するしかないのであります。
いまやっているサッカーのワールドカップも、テニスのウインブルドンも、週末テニスさえ、すべて同じ。どちらか一方に有利になる「ルール」など、あり得ないのであります。それでは強いものが勝ち続けると、また「二項対立」に持っていく。違うんだよ、ウィンブルドンにも障害者の大会があるように、様々な価値観が共存できる環境を用意すれば良いだけのこと。
なんだかえらい話が長くなってしまったけれど、週末テニス。
土曜。ネモトくん、サコタくんのコーチ対決。こちらもいきなり最初から長い試合になって、タイブレークを8-6でネモトくんから貴重な1勝をゲットー。第2セットも、サコタくんからゲットし、結果は、7-6(8-6)、6-4、1-2と好調の2勝1敗。
日曜も、ネモトくん。結果は、4-6、1-6、6-3、2-3とネモトくんの巻き返しに反撃ならず、みすみすネモトくんの4連勝を許してしまった。
誰も人の心に手を突っ込む心配がないことの幸せ、これを安寧と言うのであります。 KAI
リキが死んでそろそろ3年になる。今週21日は夏至。夏至と言えば、毎日早朝の散歩、これから11月終わりまでの半年、旧日野中前のグラウンドフェンスは、ヘブンリーブルー一色なのであります。
毎年毎年草刈されて今年は大丈夫かなと心配をよそに、6月初旬から一輪、また一輪と日ごとに一輪ずつ増やして深青の花びら一杯になるのであります。この毎日毎日寡黙に咲きつづける花に、散歩の終わりに出会う楽しみは、何事にも変えがたいものがあるのであります。
そうなんであります。この「寡黙」、「サイレント」なんであります。朝起きてつけっ放しの「無音」のテレビを横目に、3時過ぎに配達される新聞に目を通し、午前4時半過ぎに家を出て、30分歩いてヘブンリーブルーまで、ずっと「音なし」の世界なんであります。
この「音なし」の世界、ほとんどの人はその存在に気づくことはないのであります。まれに気づいても、その意味までを理解することはないのであります。
ジョンレノン。彼もまた「音なし」の世界は知っていたけれど、その意味までは、理解していなかった。
元ビートルズのジョン・レノンが1980年に撃たれて亡くなる前の数年間、“主夫”になって息子のショーンの子育てに専念した時期があります。
私はショーンが2歳半のころ、日本に来ていたジョンと会い、「子育ての楽しさ」について聞いたことがありました。そのとき、ジョンは滞在していたホテルで、ショーンをひざの上に乗せてテレビを見ていたのですが、CMになると音を消すのです。
私が理由を聞くと、ジョンはこう言いました。「CMというのは音が大きいし、あくまで疑似体験に過ぎない。例えば、ソーセージを食べた経験のない子供に(CMの)情報だけを与えたくないんだ。感性の発達に影響があるからね」
(【母親学】評論家・湯川れい子(4)「人間を育てるのは芸術活動」)
しかし、現実とは、そうではない。
現実とは、「映像」と「音」とが渾然一体、ミックスしてあるのではなく、互いが独立してそのそれぞれのリアリティを持っているのであります。すなわち現実とは、「映像×音」ではなく、「映像+音」の世界であり、「音」をゼロにしても「映像」のリアリティは、この式が示すとおりそのまま残るのであります。
しかも、「音なし」もゼロではない。「音なし」と言う「音」なる存在があるのであります。まさに「無」の「有」であり、「音」のある世界以上に豊潤なる世界であるのであります。
この「音なし」の世界の豊潤さを説明する言葉を、いまKAIは持ち合わせてはいないけれど、かわりにこの坂本龍一の言葉を再掲して、これにきわめて通じる世界であると、申し上げるしかないのであります。
坂本龍一にとって、ベルナルド・ベルトルッチとの出会いが、彼の運命を大きく変えたのでした。
−−映画音楽を手がけられ、世界に認められていきます。映画監督ベルナルド・ベルトルッチとの出会いが大きいようですね
坂本 一番影響を受けたのは音楽ですね。それまでは「音楽は音による感情表現だ」ということに抵抗があったんです。大学ではもうちょっと“数字的な音楽”を作ろうと勉強していたけど、それを見事にベルトルッチに打ち砕かれました。理論的にじゃなく、現場で。
−−どの作品でですか
坂本 「ラストエンペラー」です。ロンドンのスタジオで録音していたら、本番中にベルトルッチが飛び込んできて「モールトエモーショナル(もっと感情的に)、モールトエモーショナル」って一人で怒鳴ってるんです。つまり感情の閾値(いきち)(最小値)みたいなものがあって、それを超えないと響いてこない。イタリア人はかなりそれが高いんでしょうね。
−−それであの曲に?
坂本 そうですね。2回目の「シェルタリング・スカイ」のときは、メーンテーマを引っ張り出すまで1週間スタジオにこもってました。入学試験じゃないけど、かなり上のほうまでいかないと許してくれない。映画監督は独裁者タイプの人が多い。「ラストエンペラー」のとき、(撮影監督の)ヴィットリオ・ストラーロが3〜4時間かけて入念に作ったライティング(照明)を、ベルトルッチがファインダーをのぞいて、「だめだ」とけ飛ばして帰っちゃったんですよ。
−−そんな乱暴な
坂本 プロデューサーのジェレミー(トーマス)が、「ああ」と嘆いてるんです。彼は“その瞬間”に1億円分ぐらい失っている。エキストラ何百人、馬は何十頭、ラクダ何十頭って1日の経費がそのぐらいかかっている。だから音楽も、一生懸命に書いたって簡単にボツにされます。感情的な音楽でしか響かない人たちもたくさんいることを見せつけられて、それまでの自分の音楽はだいぶん変わりましたね。(堀晃和)
(【話の肖像画】音楽は自由にする(中)音楽家・坂本龍一(57))
なんともすごい話である。これを「感情の閾値」と表現するのも、これまたすごい。
(坂本龍一のモールトエモーショナル)
人間にとって、「身体性」の意味を理解できるかどうか、なんで重要なのかといえば、それは人と人とのコミュニケーションとは「言葉」ではなく「身体性」で成り立っているからであります。
リングにあがっても、試合中に倒れたDr.浅井。AEDを使って無事危機脱出、デモンストレーションも忘れないのであります。
男の子だけではなく、女の子も、間違いなく、4の字固めは経験したことがあるはず。そしてこれをかけられたことのある人は、その痛さを忘れることはできないのであります。
コミュニケーションとは、すなわちこの「痛さ」であります。
もちろんこの「痛さ」の共有ですが、それだけではないのであります。この「痛さ」を与える「快感」の共有でもあるのであります。すなわち、人を投げ飛ばしたい、バックドロップをかましたい、と言う欲望を現実にかなえてくれる「快感」の共有なのであります。
これらの「痛さ」や「快感」が、コミュニケーションにおける「言葉」に重みを与えるのであります。
そうです、この「痛さ」が理解できないのが、民主党。
鳩山由紀夫、菅直人を始めとした方々に、まるで「痛さ」がない。
普天間の問題だけではない。消費税はもちろん、そもそもマニフェストからして、この「痛さ」を国民と共有できないし、しようともしないのであります。
この理由も、簡単に理解できるのであります。
野党時代の民主党。彼らの「言葉」の「身体性」とは、自民党と言う政権の存在にしかなかった。ありとあらゆる身体的「痛さ」は、自身の肉体ではなく、自民党にあったと言うわけであります。
これが政権党になって、すっかり狂ってしまった。
「言葉」すなわちマニフェストとは、誰のものでもないのであります。それは、自分自身の目標であり、自分自身の実現する「快感」なのであります。これがいまだに、自民党から、自分自身に切りかえれない。あいもかわらず10%消費税も、なんとまあ自民党案だとか。
少なくとも、昔の自民党には、マニフェストと言う「言葉」に、政権党である「身体性」、すなわち「利権」体質が明確にあった。この自民党と言う「利権」を否定しながら、既得権者の「利権」をうたうマニフェストは、自己矛盾も甚だしいのであります。
それにしてもであります。
少しながら、希望が見えてきた。
10%消費税。
まあ、いろいろ間の説明は抜きにして、民主党を奈落に落とせる可能性がでてきたのであります。国民にとってのコミュニケーションとは、まさに、「痛さ」であります。消費税のこれ以上の増税と言う「痛さ」を、国民が許すはずもありません。どんなかたちにせよ、参院選の争点が消費税になることは、願ってもないこと。
子ども手当てのために真剣に増税を考えています。
ぜひとも、こう連呼してほしい。
子ども手当てに関係ない人々は、民主はもちろん自民にも投票しない。万々歳なのであります。
やっと希望が出てきた、週末テニス。
こちらも「痛さ」と「快感」の、勝敗に一喜一憂。とはいかず、土曜、6-1、2-6、0-6、2-6、0-1と、あいかわらずネモトくんの一人勝ち。いつものY木さんが法事のため、替わりにイサカくんだから少々、と思ったけれど逆効果。「痛さ」の壁は、まさに高いのであります。
そして希望の日曜。のはずが12時になって、M田さんが現れない。M田さんが遅刻するなんて、いまだかって一度もない。やばい。ひょっとして先週から欠席を聞いていたかもしれない。凶事は重なるもの。携帯を自宅に忘れたようで、M田さんと連絡が取れない。(みなさんの携帯番号が共有化できていなかった!)
やむなく午前中のレッスンを終えて弁当中のコーチにお願いして、12時半から2時まで相手してくれるとのこと。よかった。それまで練習をして時間をつぶすもほどなくして、M田さんのベンツが到着。遅れると連絡をくれたそうですが、携帯は自宅。役に立たないのであります。
コーチに詫びて、さっそくゲーム開始。結果は、6-2、6-2、2-6、1-2と、やっとM田さんの連勝をストップ。もちろん「遅刻」が原因。ゲームの流れとは、ただその間だけ切り取れるものではないのであります。
同様に、それにしてもの、消費税。「快感」だけのマニフェストでしたと、素直に詫びればいいものを、ここにきて「痛さ」でもって取り繕う。参議院選挙への流れは、昨年の8月30日、すでに始まっていることが理解できない。
であるからして、やっと希望が見えた。安心して眠れるのであります。 KAI
ふむふむ、予測どおりであります。
さて、岡田ジャパン、いかなる活躍とあいなりますやら。
これを「予測」する上でおおいなるヒントになるのが、このエントリーであります。
遼も藍も、いままであまりにもこの世間と言う「他者」の期待を、意識しすぎてしまっていた。そんなとき、二人に対するメディアの関心が、潮が引くかのごとく、二人の周りから消えていったのであります。ここでようやく、二人は、「他者」の期待から自由になった。自由になって、やっとその意味を理解したのであります。
(なぜ遼も藍も突然目覚めたのか)
そうです、岡ちゃんは、期待されると負けるんであります。逆に期待されなければ、勝てる。であるならば、このところの「期待外れ」路線は、絶対に維持しなければいけないのであります。もちろん本日のイングランド戦。「期待外れ」こそ、最高の結果なのであります。
無事、「期待外れ」のまま本選スタートなら、ベスト4も夢ではない。
(予測は楽し週末テニス)
さて、次回オランダ戦。この「理論」によれば、まだまだオランダに勝てるとは世間の誰も思ってはいないのであるからして、オランダ戦は辛勝ながらまったくもって心配ないのであります。勝てないかもしれないけれど、まず負けることはないのであります。
しかし、問題はその後、デンマーク戦。
いよいよと、世間の期待が一挙に膨らむのであります。こうなると危ないのであります。このままいけば恐らく0-1でデンマークに負けるのであります。そうなるとカメルーンにも勝ったデンマークが、勝ち点6で、勝ち点4の日本を押さえ、オランダと共に1次リーグを突破するのであります。
これを阻止するために、もう一度捨て身で、オランダ戦、「期待外れ」路線踏襲しかないのであります。すなわち1-2で負けるのであります。
この結果は、明々白々、デンマーク戦に誰も期待しなくなるのであります。そして岡田ジャパン本領発揮。1-0で勝ち点3。カメルーンに引き分けたデンマークの勝ち点4を押さえて、見事1次リーグ突破するのであります。
問題は、決勝トーナメント。ここで勝つためには、「ヒール」になるしかない。
ですから、すべての実力のある選手にとって、世間の期待とは、まことに難しい。まったくもって鬼門なのであります。
そして世間には、たまに、この理路を天性で理解して、「ヒール」を演じる、強いスポーツ選手がいるのであります。「ヒール」を演じることで、世間の期待を自ら遮断する。こうすることで、勝負に集中するから、また強くなる。強いやつほど憎まれるって言うのは、一つの真理なのであります。
(なぜ遼も藍も突然目覚めたのか)
うぬぼれるな、ばかやろー。メディアからたたかれ始めればしめたもの。
さあ、メディアのみなさん、岡ちゃんも本田も、たたいてたたいて。たたくほどに勝ち上がるのであります(もう岡ちゃんは、そんな弱くはないのであります)。 KAI
そこら中、「背理の病」に羅漢している人だらけなのであります。
アメリカも中国も、どちらもなしではやっていけない貿易立国の日本が、国家主権の確立としての憲法の改正、安保条約破棄、再軍備へ向かうことは、変転する国際情勢の中ではもはや時代遅れであると言わざるをえないとわたしは思う。ヨーロッパ共同体がそのひとつのヒントだろう。地域的な政治・経済共同体が可能になるためには、関係各国が国家の枠組みを超えた機関に主権を譲渡してゆく必要がある。アジア共同体にアメリカが入るかどうかはひとまず措くとして、アメリカも中国も自国の主権を譲渡するという考え方を推進することは難しそうである。
(「主権譲渡」その3.最終回)
ヒントになると仰る、ヨーロッパ共同体。今まさに、この「主権問題」においてこそ、ヨーロッパ共同体そのもののその存立の危機を迎えているのであります。
●ユーロは危機を克服できるのか
さて、鍵を握るのは欧州の対応である。EUは7500億ユーロの基金を積み、ECBが国債を買い入れるという異例の決断で事態の収拾を図ったが、今週のTheEconomist誌(今週号P7参照)によれば、彼らは3つの勘違いをしている。(1)ドイツの国債空売り規制など、欧州首脳が問題の所在を理解できていない。
(2)みずからの大型対策を過大評価しているが、それは時間稼ぎに過ぎない。
(3)南欧諸国は、財政再建などの本格的な構造改革が避けられない。問題の規模はけっして大きくはない。ギリシャの経済規模はたかだか3500億ドル。問題の財政赤字も2300億ドル程度と言われる。変な話、ゆうちょ銀行の総資産280兆円を注ぎ込むことができれば、問題は悠々解決してお釣りが来るだろう。とはいえ、それを言い出したら、「サブプライムローンの発行額は小さいから、問題はたいしたことはない」と言っていた2007年夏の再現となってしまう。ギリシャ政府が作った赤字を、肩代わりしてくれる物好きはこの世に存在しない。IMFも資金を貸すことはできるが、赤字を消せるわけではない。最後はギリシャ人が自分たちで借金を返さなければならないのである。
現状は、ユーロという通貨が抱えていた本質的な欠陥が露呈したことを意味している。
哀しいかなEU内には、この問題を解決するメカニズムがない。ギリシャ政府は確かに悪質だった。財政赤字が対GDP比で13%もあったのに、6%だと偽っていた。しかるにEUには、各国政府の財政状況をサーベイする機能もないのである。
ギリシャ側にも同情すべき点がある。スペインなどの住宅バブル対策により、ECBはユーロの金利を高めに誘導した。当然、為替レートも強くなってくる。ギリシャのように競争力の弱い国では、自国経済を守るために財政エンジンをふかすほかはない。つまり「財政・金融・為替」という3つのマクロ経済政策のうち、ユーロ加盟国は金融と為替という2つの政策手段を手放すことになる。
その上で財政も健全に維持せよと迫るのは、”PIIGS”経済にとってはある意味、イジメのようなものであろう。「お前たちもドイツのようになれ」と言われるのは、観光産業と海運業が頼りのギリシャ経済にとっては過酷な要求であろう。しかも、そのドイツ企業がEU内を席巻しているのが現状ではないか。域内の経済を一定水準に収斂させるには、まだまだユーロの歴史は浅過ぎるのである。
それではギリシャ財政危機はどうすれば解決できるのか。ロゴフ教授が言うように、「ギリシャを一時的にユーロから離脱させ、本格リストラした上で再加入させる」といった果断な措置を取る必要があるだろう。もちろん他国に問題が波及する前に完了させなければならず、それはかなり困難な作業と言わざるを得ない。そもそもユーロに関する法体系には「出口」が用意されていない。最近、5年ぶりに文庫化された『通貨燃ゆ』(谷口智彦/日経ビジネス人文庫)の表現を借りるならば、ユーロとは「一度入れば永遠で、『足抜け』することを全く想定していない制度」であり、いわば平和条約に似ている。「平和条約が破られるときとは、平時が終わるときであり、システムが道連れにされるときである」(P212)からだ。
(特集:再考・金融危機と財政危機)
軽々しくも「主権譲渡」などとは、言葉遊びも甚だしいのであります。「金融」と「為替」と言う主権でさえ、これを手放すことの意味とその重大さは、尋常なるものではないのであります。
翻って言えば、日本の「主権」の中の、いったいいかなる「主権」が米国にあると言うのでありましょうか。公論として論ずる以上は、ここは明確なる説明責任があると思われますが、当然のように説明は不可能なのであります。なにせ「ニッポン属国論」とは、端から<「主権」が米国にある>ことをアプリオリとしているんですから、これは説明しようがないのであります。
と言うことで、もう少し建設的な議論にしたいと思っているけれど、まもなくW杯、カメルーン戦。続きはのちほど、また。 KAI
1位ニュージーランド、2位アイスランドといずれも島国。この島国でなぜ日本が3位かと言えば、隣に北朝鮮の脅威があるから。
まことにもって納得の嵐なのであります。
にもかかわらず、メディア、政治家、評論家、いったいもって誰もこれを取り上げて評価することがないのは、なぜなんでありましょうか。
いえ、KAIは分かっているのであります。
そうではなく、自虐史観を始めとして、ことさら日本を貶める方々にとって、あなたがたが自ら住んでのうのうと好き勝手をのたまえるのも実は、この平和な国日本、あってのこそであると申し上げたいのであります。
目一杯利益を享受し、更にまた、利益を得ようとする。
恥を知れ!
と申し上げたいのであります。
「背理」でも気持ち悪くならないみなさんを含めて、こう言う方々とは、毎日の生活も含めて、いえ電車で隣り合わせることさえ、ご遠慮申し上げるのであります。
こんな心配のまったくもってない、こちらもまた平和の週末テニス。
やっと夏本番、と思いきや週明けから梅雨入りもよう。
と言うことで、毎年のこととはいえ、真夏モードにはなかなか一気には切り替えられないのであります。
土曜、6-2、1-6、0-6、3-1と、真夏モードと言うペース配分ができないまま、最後はへとへとになりながら、ネモトくんから貴重な1勝をゲットする。こんななかからこそ、勝負の気転のありかを会得することができるのであります。
明けて日曜。怪しい天気予報ながら幸い夕方まで雨は降りそうにない。もちろん12時から2時間だけ雨が降らなければ問題なしだけれど、自分たちさえよければ、とはいかないのであります。このあたり、「予測」と「予知」の大きな違いなのでありますが、詳細はまた次回と言うことで、結果は6-4、1-6、2-6、2-3とM田さんの4連勝。
もちろんここで明かすことはできないのでありますが、M田さん、攻略法を、会得して終えるのであります。 KAI
日本が米国の属国である説は、KAIが高校生の時からの耳だこ問題であります。
と言うことは、40年以上、同じ話が繰り返されていると言うことであり、まさに今も語り継がれる「日本昔ばなし」なのであります。「ぼうや〜よいこだねんねしな♪」。
「属国」とは、当然がごとく、「軍事的」属国であるとか、「経済的」属国とかではなく、「主権的」属国を、「属国」と呼ぶのであります。
「主権的」属国とは、端的に言えば、立憲君主制国家においては、君主である天皇も、主権者である国民の代表の首相も、宗主国米国の意の中にあると言うことであります。
いや、KAIさん、そこまでは言っていないけれど、「軍事的」属国は、明らかに「主権」が脅かされているんだよ、と言われる(言われてないけど)。
でもそれは、おかしいでしょう?
百歩譲るとして、「主権」の全部ではなく一部が宗主国米国に奪われているとしましょう。では「一部」とは何か。想像するに、米国政府の要求(利権)に沿う形で、日本国政府の政策が執り行われている。もちろん郵政民営化も、米国政府の意をうけて行われたものなんであります。ですから、あの郵政選挙は、間違っていたんだと。竹中も米国利権を利用して蓄財しているんだよと。
脱力。
それにしてもであります。つい先日取り上げた、「背理の病」(精神の背理構造と言う病に冒された世界と週末テニス)。これもまた「背理の病」の典型なのであります。
この思考停止は「私たちは主権国家であり、私たちは外交的なフリーハンドを握っている」という言葉を国際社会に向けて、アメリカに向けて、なにより自分自身に向けて告げたいという切なる国民的願いが要請しているのである。
事実を知れば自己嫌悪に陥るとき、私たちは自分自身についてさえ偽りの言明を行うことがある。
それは人性の自然であるので、それを咎めることは誰にもできない。
(思考停止と疾病利得)
この病に羅漢してしまうと、まともに見えるものも見えなくなってしまう。
教授会のさいちゅうに携帯が鳴って、廊下で出たら、某新聞から電話取材。
本日、菅新首相の所信表明演説があったけれど、新内閣につい ての感想は・・・というご下問である。
こちらは授業と会議で、演説聴いてないので、なんとも言いようがないけれど、とにかく直前の内閣支持 率20%が3倍にはねあがるというのは「異常」だと申し上げる。
(中略)
菅新首相は前 内閣の枢要の地位にあった。
だから、前政権が繰り返し致命的な「失政」を犯したというメディアの報道が真実なら、「A級戦犯」として指弾さ れなければならない人物である。
そうではない、すべては鳩山由紀夫という人物の属人的無能ゆえの失政であり、閣僚には何の責任もないという のが、新政権およびメディアのとりあえずの「総括」のように思われるのだが、私はこのような「属人的特質によって、複雑な問題を単純化する傾向」のことを 「キャラ化」と呼ぶことにした。
(キャラ化する世界)
更に言えば、次回参院選、このまま民主党が「大勝」すれば、これは国民自身も「背理の病」に羅漢していることが明確となるのであります。すなわち、菅政権に変わっても政権の中身自体は何も変わってはいない。あいも変わらず言っていることとやっていることがすべてにおいて不整合を起こしている。民主党政権自体も「背理の病」なのであります。これを引き続き支持するのは、支持する人間自体「背理」でも気持ち悪くならない、「背理の病」の典型的症状を呈していると言うことであります。
ここまで書いて、はたと気づいた。
この「背理の病」も、「一知半解」も、「デッドロック」と「強制終了」も、すべてこれらの「言葉」と「現実」が、恐ろしいまでに一致する。まさに「現実」が、強烈に「言葉」とのシンクロニシティを起こしているのであります。
おそらくこれは、「現実」と言う社会そのものが、「身体性」と言う重石を喪失したことによるものと思われますが、このあたりの考察は、次回また。 KAI
KAIは4日前にこう書きました。
小沢が描いたシナリオはこうです。
1日の三者会談の後、自室に戻った小沢は一番に菅に電話したのであります。
あなたを後継総理にする。ついては、小沢傀儡政権と言われないようにするために、徹底して小沢外しをやること。こちらもあなたを支持すると疑われるので、形だけの対抗馬を立てるが心配しなくてよい。
これで誰が総理をやろうが、幹事長になろうが、小沢としては、来る選挙に勝ちさえすればどうとでもなるのであります。
(「デッドロック」外れる(2))
早くも永田町内外の“小沢信者”の間では、「民主党の支持率が急上昇したのは、小沢氏が仕掛けた壮大な仕掛けのおかげだ」といった新たな「小沢神話」が語られ始めている。鳩山氏が「小沢解任」を明言した両院議員総会でのスピーチも、菅政権が「脱小沢」色を鮮明にしているのも“小沢シナリオ”に沿ったもの、というわけだ。
残念ながら新たな神話は真実ではない。小紙の取材では、「小沢解任」は鳩山氏が主導しており、小沢氏は本気で田中真紀子元外相を代表選に担ぎ出そうとして失敗した。小沢氏は政局の流れを完全に読み違えたのである。
(「小沢神話」の呪縛を解け 政治部長・乾正人)
「小沢解任」は、鳩山主導でもなんでもない。もちろん“小沢信者”が期待するような小沢の「壮大な仕掛け」があったかと言えば、最初からこれは微塵もなかったのであります。
これは、別に鳩山や小沢の決断の結果ではまったくないのであります。単に、世論によって「強制終了」させられただけであります。
(「デッドロック」外れる)
いざ自分も辞任せざるを得ないとなって、狡猾小沢、描いたシナリオが、冒頭の引用。
田中真紀子に声をかけて、本気で彼女が応じるはずがない。普通はそう考えて、もしやるにしても表に出ないようにやる。それが真紀子の談話までテレビに露出するのは、「形だけの対抗馬」みえみえなのであります。
実は、菅直人にとっても、この小沢の描いたシナリオは絶好の「渡りに舟」。
菅が、この「小沢シナリオ」に、まだ見ぬ「後半」があることに気づかないはずはありません。すなわち、菅首相でも参院選は苦戦する。その結果を受けての9月民主党代表選での小沢返り咲きであります。
当然これを阻止するために選挙で「大勝」する必要がある。菅にとってはそのための「小沢外し」でありましたが、まさかここまで効果があるとは、予想外であったはずです。当然小沢にとっても、傀儡「隠蔽」目的だったとは言え、予想外の支持率に、苦笑せざるを得ないのであります。
そして次なる関門、郵政再国有化法案の行方であります。当然これも廃案にする。しかし亀井がそれを許さない。さてどうするかであります。
たとえ延長国会でも強行採決では選挙に勝てなくなると言って、延長もやらない。これに亀井も社民同様政権離脱かと言えば、さにあらず。選挙後の法案再提出を約束させて、残留するのに精一杯なのであります。
しかし、民主党は参議院単独過半数をゲットするから、この約束もやがてうやむやになる運命なのであります。
さて、肝心要の「経済政策」。
「強い経済、財政、社会保障を一体として実現する」。菅直人首相が8日の会見でこう述べた新内閣の経済・財政運営は、予算を家計や社会保障の充実、環境分野などの市場に振り向け、内需を拡大する「第三の道」を選ぶ。
(引用者注:「家計や社会保障の充実、環境分野などの市場」とあるのは産経新聞紙面上は「医療や環境分野など成長市場」と表記)
(「第三の道」は増税路線? 菅政権の経済政策にエコノミストらが警戒感)
それでも、この記事の通り「予算を家計や社会保障の充実、環境分野などの市場に振り向け」ば、ひょっとしてこれは「需給ギャップ」の「需要」拡大に繋がるかもしれないと、信じてしまう人がいるかもしれません。
そうはならないことを、ここでご説明するのであります。
すなわち、いまやるべき「経済政策」とは、この「現実」の「生産効率」をいかに「理想」の「生産効率」にもっていくかであります。
(予測は楽し週末テニス(2))
この「効率」問題にそぐわない分野の典型が、「教育」、「医療」、「介護」といった分野であり、「環境」もはたして「効率」問題の対象となるかはきわめて疑わしいと言わざるを得ません。これは当たり前と言えば当たり前の話で、例えば「医療」を充実させようとすればするほどコストは嵩み、「効率」は落ちていく。
ですから、これらの分野は、何があっても決して「効率」問題の対象にしてはいけないのであります。(これはウチダ先生の言う「贈与経済問題」ですが、KAIの考えはまた別の機会にここに書きます)
にもかかわらず、長期となった菅政権。人の忠告を無視して、不遇の「経済政策」にひた走る。結果、日本経済を取り返しのつかないところまでもって行く。
そうです、東京都の財政を破綻寸前までもっていった美濃部亮吉の再来なのであります。そして二人は、市川房枝で、見事なまでに繋がっている。
なんとも空恐ろしい、未来予測なのであります。 KAI
1週間で状況は、一変。めくらまし、小沢傀儡「隠蔽」政権。おみごとと言うしかないのであります。
民主党は、「大敗」し、自民党も議席は減らすものの離党者分で、谷垣総裁は続投。公明党はしっかり議席を確保し、「みんなの党」(だけ)が大躍進。もちろん投票率は軒並み高くなる。
(予測は楽し週末テニス)
であるからして、これを避けようと2週間延長会期丸々これにあててくるのは、まず間違いないのであります。
そうなると、どうなるかは、明々白々。民主「圧勝」の悪夢が再来するのであります。
「奈落の底」へ一直線。
空恐ろしいことに、民主党政権には経済がなんたるかを理解している人間が、一人もいないのであります。
鳩山、菅、労組出身幹部、みな給与をもらうことしかしたことがない。もちろん小沢もまったく同じ。献金を含めて法律で保護された収入の世界(裏はしりませんが^^;)しか、まったくもって経験したことのない人物ばかりで構成されているのであります。
経済とは、一言で言えば「金儲け」であります。これを「お金」の世界と勘違いする「アホウ」がいるのであります。税金も給料も、経済ではなく単なる「お金」の世界。「増税で景気が良くなる」なんてなんで「アホウ」を平気で言えるのか。
そもそもからして、基本中の基本「需給ギャップ」とは何か、菅直人は理解していないのであります。それも「一知半解」、理解したつもりになって、人の言うことに耳を傾けないから、なお始末が悪い。
あまりの頭に悪さに、こちらの頭までくらくらしてきた。
だれがって菅直人ですけど、需給ギャップ35兆円に対して、需要が35兆円足りないんだから需要を増やせばいいんじゃん、となんともナイーブな「戦略」を言いだした。
こども手当て、高速無料化、ガソリン暫定税率は、この不足する35兆円の需要を掘り起こします。同時に供給側は少しお休みいただいて、なんてとんでもないことを言い出した。ユニクロ悪玉論もその他民主党の企業悪玉論も、すべてここからでてくるらしい(推論)。
おまけに環境とか介護とか、需要がもっとあるはずなんて言う。
この人、真性頭悪。
そもそも需給ギャップとは、なにか。
(頭悪すぎ頭くらくら週末テニス)
元々「需給ギャップ」と言う命名が悪いのですが、この「需要」も「供給」も、「生産」の問題、すなわち「金儲け」の問題であって、「消費」と言う「お金」を使う話ではないのであります。
もう少し言えば、「生産力」から生み出される「付加価値」「金儲け」の効率を「生産効率」と呼ぶとすれば、「需給ギャップ」の「供給」とは、「理想」的な「生産効率」であり、「需要」は「現実」の「生産効率」を言うのであります。
さらに「デフレ」と「需給ギャップ」との関係も、この「生産効率」を「理想」に近づければ近づけるほど、これは「デフレ」と言う「価格の下落」と「給与の減少」の原因となっている企業の「売上減少」に歯止めをかけ、反転大きく増加させることに直結していることは明らかなのであります。
すなわち、いまやるべき「経済政策」とは、この「現実」の「生産効率」をいかに「理想」の「生産効率」にもっていくかであります。
これを実行することは、実はきわめて「容易」なことなのであります。
おい、こら、何を言うか、とお怒りにならないでいただきたい。確かにここ二十何年にも渡って経済の専門家が悪戦苦闘し達成できなかったことが、「容易」とは言い過ぎではないかと。でも、「容易」なんだから仕方ないのであります。
説明しましょう。
「生産効率」を生み出す「生産力」の源泉とは、簡単に言ってしまえばそれは「労働力」、「生産設備」、「資金」からなり、すなわち「労働力」の生産性であり、「設備」の生産効率であり、「資金」の投資効率なのであります。これら三つすべての生産性、効率を上げれば、自ずと「需給ギャップ」は解消され、「デフレ」現象も霧散していくのであります。
それでは、これらは具体的に何を意味しているのか。
まず「労働力」の生産性ですが、この生産性を上げるためにやることはただ一つ、「雇用の流動化」以外にはありません。「雇用の流動化」によって、生産性の低い「労働力」から生産性の高い「労働力」への大規模な切り替えを促進するのであります。
「設備」の生産効率も同じであります。この「設備」にはソフトウェアである「アプリケーション」も含めて考える必要がありますが、いまやインターネットによる情報革命の時代。ハードウェアもソフトウェアも、この情報革命と言うイノベーションを強力に推進するベンチャーを次々と生み出していく環境構築以外にはないのであります。
そしてこれは、「資金」の投資効率にもそのまま当てはまる話であります。「資金」の流れを「大企業」から「ベンチャー」へ大きく変えていくこと。
え?容易でしょう?
徹底した規制撤廃であり、「組合」と「官僚」の持つ既得権を奪うことができれば、「生産効率」を飛躍的に向上させることなんか、まったくもって「容易」なんであります。
考えてみれば、この結論は「原理的」に、当たり前と言えば当たり前。問題の本質が「効率」の問題であるととらえるならば、効率を下げている要因を排除すれば全て解決するのであります。効率を下げるものを「抵抗」と言います。もちろん「規制」も「抵抗」でありますが、「既得権者」こそ最大の「抵抗」勢力であります。
この「抵抗」勢力を支持母体に持つ民主党、果たしてこの「経済政策」を実行できるやいなや。考えるまでもなく、「絶望」するしかないのであります。
そして、こちらも「一変」の週末テニス。
金曜夜から、近年ずっと順調であった奥歯が、なぜか突然疼きはじめる。疼いて眠れないので、焼酎を痛飲して無理矢理眠ることができたけど、朝起きたらひどい頭痛に見舞われる。
と言うことで、歯痛と頭痛の土曜テニス。お天気が良くて本来最高のテニス日和なのに、トホホであります。幸いY木さんにもらった痛み止め1錠が、効いた。O谷さんの代打のウシオくんとネモトくんチームに、最初はコテンパから徐々にペースを取り戻して、結果は、2-6、6-7(5-7)、3-2とかろうじて最後に1勝ゲット。
テニスから帰って、近所の歯医者へ。いつも縦に細長い窓から見える患者さんを横目に通り過ぎるものの、中に入ったことは一度もない歯医者さん。第一印象は悪くはない。いや、悪くないどころか、なかなかの好印象であるのであります。移植した奥歯の歯根が溶けて隙間が化膿していました。抗生物質を注入して本日の治療はお仕舞い。次来た時に奥歯は抜きましょう。はいお大事に。
さわったせいかしばらく疼きが止まらないから、その場でもらった痛み止めを飲んで帰宅。ほどなくして痛みも治まってきて、いつも通り焼酎で口内および消化器の「消毒」^^;。
日曜。おかげでぐっすり眠れたけれど、なぜか気に掛かる。それが何かは、まだわからないまま、朝一番から埼玉大泉まで一っ走り。戻ってテニスの仕度とお〜いお茶を3本クーラーボックスに入れてテニスコートへ。
とその前に、テニスコートの横のスーパーで、お〜いお茶8本仕入れるのを忘れては行けないのであります。なにせ1本税込88円、コンビニで買うより37円もお得。けっこう大きいのであります。
肝心のテニスの結果は、まことに順調。いつものM田さんにかわって本日はT中さん。6-4、7-5、0-3の2勝1敗とまずまず。
そのままアンジェロへY木さんと移動して、生ビール、ごくっごくっごっくんごっくん。ぷはーやめられません。して、歯はどうなったとY木さんに訊かれる。抜くことになりました。そりゃいかんよ。奥歯は片方抜けばかみ合わせる片方もダメになる。医者もそう言いました。
と言いながら、今朝起きてから気に掛かることがなにか、わかった。初めて行ってもう2回目で抜いてしまうことに納得いってなかったのでありました。抜いてしまえばもう元に戻せない。ただそれだけなんでありますが、やっぱり抜くなら抜くで、もう少し時間をかけたい。歯1本、身体の一部なんであります。
抜くにしても、その感覚を共有してくれる歯医者さんに抜いてもらいたい。人の身体とは、そう言うもんなんであります。 KAI
狡猾な人間が他人を騙すことは、なんとも愉快なほど、容易なことであるのであります。
人事のキーワードは「小沢傀儡(かいらい)政権からの脱却」だ。菅は3日の代表選出馬会見で、鳩山政権を事実上、支配していた幹事長、小沢一郎について「しばらく静かにしていただいたほうが本人、民主党、国民にとっていい」と述べた。事実上の「小沢外し」宣言だ。
(【新民主党解剖】(下)「読み」誤った小沢氏)
本気で、菅が「小沢傀儡(かいらい)政権からの脱却」を考えているなど、笑止としか言いようがないのであります。
「小沢さんはしばらく静かにした方がいい」
(菅氏が決断!反小沢に軸足移し支持拡大)
小沢が描いたシナリオはこうです。
1日の三者会談の後、自室に戻った小沢は一番に菅に電話したのであります。
あなたを後継総理にする。ついては、小沢傀儡政権と言われないようにするために、徹底して小沢外しをやること。こちらもあなたを支持すると疑われるので、形だけの対抗馬を立てるが心配しなくてよい。
もちろん菅の裏切りは心配されるけれど、樽床氏の129票は小沢グループが本気で動けばいつでもひっくり返すことができることを示す十分すぎる票数なのであります。
これでまんまと騙されて民主党に投票するのか、傀儡政権でないはずの繰り返される郵政法案強行採決に、やっぱり本性は変わらないことに気づいて、反民主を応援するのか。
やっぱり、奈落の底への道しかないのでありましょうか。 KAI
これは、別に鳩山や小沢の決断の結果ではまったくないのであります。単に、世論によって「強制終了」させられただけであります。
これを回避するため、二人に残された道はただ一つ。二人の辞任カード以外には、もはや何一つ残されてはいないのであります。
しかし、この切り札であるはずの辞任カードが、切るに切れないと言う実に摩訶不思議なカードと化しているのであります。それは、二枚の辞任カードが一緒になってそろわない限り、切り札とはならないからであります。
あうんの呼吸があれば、二枚そろうかもしれないけれど、今二人の間にはこの呼吸はない。
かくして、二枚のカードは、互いに相手が出すまで出せなくなってしまった、「デッドロック」の辞任カードなのであります。
「デッドロック」を解消するには、「強制終了」するしかありません。
(これをデッドロックと言うのであります週末テニス)
すなわち参院選惨敗の責任を取って辞めるか、選挙前に辞めるか。前者の安倍が以後返り咲くことなく野党に転落してしまったことが重要なんであります。いまならいくらでも「小沢院政」をしけると言うわけであります。
と言うことで菅直人傀儡政権が誕生するのであります。
しかし、それにしても困ったことになってしまった。
これで「クリーン」民主党の目くらましにだまされて、再び「期待」を膨らませる無党派層が帰ってきてしまう。そうなると、選挙後期待していた連立先から首相が出る可能性が皆無になって、菅続投が決定的になってしまった。
二番底確定なのであります。
経済音痴が首相になった国は、間違いなく大きく経済が低迷するのであります。しかも鳩山同様、「背理」の「病」も患っているから、最悪なのであります。
もはや、「戦争」、「大地震」、以外、この国を救うことができるものはないのでありましょうか。 KAI