未来予測ほど、ちょっとスリルがあって、誇らしく、宝くじみたいに夢見るものは、ないのであります。
であるからして、人の予測にいちゃもんをつけるなんぞと言うのは、人の恋路をじゃまして馬にけられて死んじまえ、ではありますが、あえて異論を唱えざるを得ないのであります。
共同通信の取材。参院選についての見通しを訊かれる。
月曜にAERAのみなさんともその話をしたばかりである。
民主党は議席を減らすが、「大敗」というほどではないだろう。自民党はさらに議席を減らし、谷垣総裁の責任問題に発展し、党の分裂が進む。公明党も政権与党という条件がなくなったので議席減。「みんなの党」に多少議席をふやす可能性があるが、投票率が低いだろうから、「風が吹く」というような現象には達しないだろう。
(「それ」の抑止力)
民主党は、「大敗」し、自民党も議席は減らすものの離党者分で、谷垣総裁は続投。公明党はしっかり議席を確保し、「みんなの党」(だけ)が大躍進。もちろん投票率は軒並み高くなる。
なんでこうなるのか。民主党が「大敗」するのには、説明はいらない。あえて言えば、二人区で軒並み共倒れ。この意味でも二人区に2人候補に拘った小沢の責任は免れないのであります。いかに小沢が選挙下手か、もういいかげん気づけよ。
そして自民党。追い風は吹かないものの、二人区共倒れで漁夫の利の現状維持。当然谷垣の辞任はない。と言うか、今は誰も総裁なんかやりたくない。3年後にみな照準を合わせているだけではあるのですが。あと公明党。公明党の危機感は、けたはずれに大きい。いままでの自民党に遠慮していた分、やっと独自路線で本領発揮も、現状維持に変わりはない。
もちろん「みんなの党」が無党派層の受け皿になって、大躍進。
肝心の投票率。郵政選挙と反対の意味で、「風が吹く」のであります。
普天間で裏切られ、誰も認めたことのない郵政再国有化。これを無党派層が黙って見過ごすわけがないのであります。すなわち、民主への乾坤一擲「一撃の風」は、必ず大挙して吹くのであります。
そして、ウチダ先生。おまけか、なかなか面白いことをおっしゃっているけれど、これもまったく的外れ。
私はこのコメントを「不思議」だと思った。
アメリカ軍の抑止力や東アジア戦略のだいたいの枠組みについては、官邸にいたって専門家からいくらでもレクチャーが受けられたはずである。
しかし、そのときのレクチャーでは「分からなかった」ことがあった、と首相は言ったのである。
「抑止力の実態」について、首相は沖縄で米軍当局者から直に聞かされたのである。
聞かされて「あ、『抑止力』って、そのことなのね。あ、それは政権取る前は知るはずがないわ・・・」とびっくりしたのである。
(「それ」の抑止力)
なんでこんな初歩的ミスをなさるのか。きわめて興味深いテーマではありますが、これからサッカーのイングランド戦が始まりますので、これはまた後日。
さて、岡田ジャパン、いかなる活躍とあいなりますやら。
これを「予測」する上でおおいなるヒントになるのが、このエントリーであります。
遼も藍も、いままであまりにもこの世間と言う「他者」の期待を、意識しすぎてしまっていた。そんなとき、二人に対するメディアの関心が、潮が引くかのごとく、二人の周りから消えていったのであります。ここでようやく、二人は、「他者」の期待から自由になった。自由になって、やっとその意味を理解したのであります。
(なぜ遼も藍も突然目覚めたのか)
であるならば、このところの「期待外れ」路線は、絶対に維持しなければいけないのであります。もちろん本日のイングランド戦。「期待外れ」こそ、最高の結果なのであります。
無事、「期待外れ」のまま本選スタートなら、ベスト4も夢ではない。
こんな予測に、ちょっと「期待」して、週末テニス。
土曜、ダブルコーチ相手のハードテニス。結果は4-6、3-6、3-5と3連敗。原因はわかっているのであります。久しぶりにサコタくん、KAI相手にねこじゃれ(ネコがじゃれる)なんであります。まるで「予測」外の展開に、はてさて次なる作戦を考えるのであります。
日曜、O谷さんの替わりにイサカくん。6-1、3-6、2-6、2-5と、結果はM田さん4連勝。こちらは「予測」通りとはいえ、一番の若手であるM田さんを攻めきるだけの策なし。
勝負に勝つには、「予測」と「智恵」が不可欠なのであります。 KAI
「戦争」や「大地震」の気配を感じると思ったら、地球の反対側では火山噴火が始まった。
【サンパウロ時事】中米グアテマラの首都グアテマラ市の南方40キロにあるパカヤ火山(標高2552メートル)で27日、大規模な噴火が起き、28日も活発な火山活動が続いている。現地からの報道では、取材中だった地元テレビ局の記者を含む2人がこれまでに死亡し、1900人以上が避難。市民生活に深刻な影響が出ている。
グアテマラ市では、滑走路に降り積もった火山灰のため、国際空港が離着陸を中止した。政府は被害が懸念される周辺地域に非常事態宣言を発令し、警戒を強めている。
また、南米エクアドルでも28日、首都キト南東135キロにあるトゥングラウア火山(同5023メートル)が噴火し、大量の火山灰や溶岩が噴出した。同国最大の都市グアヤキルの国際空港が閉鎖されたほか、ロイター通信によれば、噴煙は一時上空10キロにまで達し、一部の航空便が迂回(うかい)を余儀なくされた。ただ、地元の火山研究所によると、噴火活動は小康状態に向かっているという。
(中南米で火山噴火相次ぐ=非常事態、空港閉鎖も)
この意味するところは、この火山噴火の原因が原油流出事故であると言うのではありません。そうではなく、火山噴火と原油流出事故をめぐる周辺国住民の混乱との関係であります。
そうです、先月ヨーロッパ全域の空港を麻痺状態に陥れたアイスランドの火山噴火と、一連のユーロ経済圏の混乱と言う、文字通り暗雲垂れ込める事態との関係と非常によく似ているのであります。
それは、その地域全体が持つ大きな気の流れ、いわゆるKAIの言う「大気」でありますが、これが大きく不安定になっていると言うのがこの二つの地域なのであります。「大気」は、人一人一人の「気分」に繋がり、もちろん自然現象とも一体となって深く繋がっている。
ですから、原油流出事故による壊滅的環境破壊の恐怖も、国家財政破綻とその連鎖の恐怖も、これらは間違いなく火山噴火と繋がって、その「大気」のバランスを維持しようとしているのではないかと、KAIは考えるのであります。
ひるがえって、日本。「怒」「怒」「怒」と「怒」の文字が氾濫し、この先日本はどうなるんでしょうと言う恐怖は、あるにはある。しかしこれは、長年患ってきた「背理」の「病」でもある。ウチダ先生が言うようにすでに「伝統芸能」化し、富士山を噴火させるほどのエネルギーはないのであります。
そこで辺りをあらためて見渡すと、とてつもない恐怖のエネルギーの塊が、東アジアにもあるではありませんか。
北朝鮮の、虐げられた国民の、そろそろ極限まで来た飢餓の恐怖のことであります。
北朝鮮はなぜ韓国軍艦沈没事件を起こしたのか。そしてこの事件に相前後して、デノミ失敗の見せしめに責任者が処刑されたこと。すべては国民を、飢餓の恐怖から目をそらすためであることは明らかなのであります。
しかし、これもすでに限界なのであります。
これが、軍部によるクーデターとなるかどうか。はたまた、(日本の)「大地震」となってバランスをとるのかどうか。まもなく「大気」は踊り始めるのであります。 KAI
民主党を支持し政権交代に期待を寄せてきた方々にとって、今の民主党の体たらくは信じがたいものでありましょう。
別に小沢がいなくても鳩山がいなくても、つまり誰が党首で誰が幹事長であったとしても2009年衆議院選挙は民主党が勝っていた。にもかかわらずこれを小沢の功績としたことに、今に至る民主党の大きな間違いがあったわけであります。
この小沢や鳩山に対して、小沢シンパ、鳩山シンパは別にして、世間の人々が共通に抱く思いとは何か。
それは、「胸の中にわくもやもやとした気分」であります。
そして、この「気分」が、韓国軍艦沈没事件の主犯であるにもかかわらず激しく米韓を非難ししらばっくれる北朝鮮に対するそれと、なぜか激しく似通っていることに驚かされるのであります。
この「気分」の正体とは何か。これを理解するためにヒントとなるエントリーを、ウチダ先生が書いているのであります。
同じ話を繰り返すのに、いいかげん飽きてきた。
私が言っていることは九条論のときからほとんど変わっていない。
それは私たちの眼に「解きがたい矛盾」と見えているものは、「ほんとうの矛盾」から眼をそらすためにつくりだされた仮象の矛盾だということである。
九条と自衛隊は矛盾していない。
それはアメリカが「日本を無害かつ有用な属国たらしめる」という政治史文脈の中で選択された。
アメリカにとってこの二つの制度は「二個でワンセット」のまったく無矛盾的な政策である。
それを日本人たちが「相容れぬものである」として、護憲派・改憲派に分かれて互いに喉笛に食いつきそうな勢いで争っているのは、いったんそれが「実は無矛盾的である」ということを認めてしまえば、「日本がアメリカの軍事的属国である」ことを認めざるをえないからである。
真の矛盾は日米関係にある。
そこに「矛盾はない」と強弁し、日米関係は良好に推移しており、すべての問題は国内問題であり、それゆえすぐれた為政者さえ登場すればハンドル可能であると人々は信じようとしている。
私はそのような無理な心理的操作にも「一理はある」と思っている。
現にそのように問題を先送りすることによって(つよい言い方をすれば、「狂気を病む」ことによって)、日本は65年間の平和と繁栄を手に入れた。
私はそれをかつて「疾病利得」と呼んだことがある。
利得は利得であり、みごとな達成である。
けれども、それが「疾病」を代償に手に入れたものであることは忘れないほうがいい。
この心理機制のルールは、疾病のもたらす損失は決して利得を超えることがあってはならないというものである。
だが、普天間基地問題について語る人々を見ていると、「日米間には何の利害対立もなく、真の対立は国内にある」という主張がメディアを覆い尽くしている。
国内問題であると彼らが主張するのは、それが「取るに足らぬ問題」であり、「私たちはそれをハンドルできる」と言いたいからである。
言い換えれば、「これは身内のことであり、アメリカには関係のないことだ(首相の首をすげ替えたり、政権をまた交代すればいずれ解決する)」と彼らは言いたいのである。
「真の問題から眼をそらす」ためのこの国民的努力を私は決して軽んじているわけではない。
それは私たちの国に伝えられた一種の「伝統芸能」のようなものだからだ。
けれども、どこかで私たちは腹を決めるべきだろう。
このまま「私は健康だ」と言い続けて、病を押し隠すのか、どこかで「私は病んでいる」と認めて、その上で、私たちが「病とともに生きる」ことを可能にするより包括的な「国家についての物語」を再編するのか。
(困ったときは老師に訊け)
日本と言う国家は、戦争に負けた後ずっといままで、それが「国内」にあるのか「日米関係」にあるのかは別にして、「矛盾」を「矛盾」と認めることを「無意識的」に忌避し続けてきたのであります。
戦後教育もこれに輪をかける。団塊世代を筆頭に、この戦後教育を受けた日本人が等しく羅漢している「病」とは、すなわち「背理」の「エートス」なのであります。「矛盾」を「矛盾」としないとは、すなわち「背理」の肯定にほかなりません。つまり「なんでもあり」の論理構造が、正規の論理構造「エートス」として、多くの日本人の無意識の中に深く浸透していったと言うことであります。
二枚舌、三枚舌、言いのがれ、開き直り、すり替え、なんでもありなんであります。
「政治とカネ」の問題にしても、国民から託された「政権交代」の使命が大事と論理のすり替え。普天間しかり。こちらも、沖縄県民の思いに応えようとしたと、すべては沖縄県民のせいにする。
なるほど、ルーピーなのかバカなのか、確信犯でありながら悪びれるふうでもない。つきつめれば、まったく「北朝鮮」と寸分たがわず一緒なのであります。
こんな宰相をかかえる、我が日本。克服するには、智恵がいるのであります。
私たちが「病とともに生きる」ことを可能にするより包括的な「国家についての物語」を再編する
「自衛隊は軍隊」と国会の場で初めて明言し「背理」に抵抗した小泉純一郎を、みごとなまでに「周辺」に追いやる力は、並大抵のものではないのであります。
誰も責任を取らない役人の年金不正問題、利権地獄の郵政問題。いいかげんにしろと言っても、虚空に石。
なるほど、赤木智弘の「希望は、戦争」であります。これを地で行く北朝鮮は、こんかい意外に本気かもしれません。「神話」構築のための「戦争」であり、そして「大地震」なのであります。
そろそろこんな気配を感じる、週末テニス。
土曜、天気予報では明日は激しく雨。と言うことで、今週は土曜だけだからと、力を出し尽くして、結果は6-1、0-6、4-6、1-2のネモトくん4連勝。あいかわらずネモトくんから1勝が取れないけれど、これもまたよし。壁は大きければ大きいほどよろしいのであります。(負けおしみ)
日曜、予報は正確。娘をスポーツクラブに送った後、久しぶりの砧公園1周。雨にぬれる古木の中を走っているうち、気持ちがリセットされる。まさしく「慈雨」とは、こう言うのを言うのであります。 KAI
いままでいくどか招待を受けながら、ついぞ訪れることのなかったミクシィ。どうやら、見えない大きな壁に突き当たっているようであります。
ミクシィは株式市場的に“終わった”のか−−一部の市場関係者の間で、ソーシャルネットワーキングサービス(SNS)運営最大手企業の業績動向が話題となっている。株価は5月13日、12日取引終了後の2010年3月期決算発表を受けて急落し、2010年6月以来の50万円割れとなった。その後も続落基調が続き、連日で安値を更新している。
2011年3月期業績計画は、連結売上高が前期比27.6%増の173億5000万円、営業利益は同0.6%増の27億7000万円、経常利益は同3.2%増の27億6000万円、純利益は同6.2%増の13億9000万円。売上高こそ高い伸びを計画するものの、期待された利益の急回復は株式市場の期待を大きく裏切る鈍さとなった。「mixiアプリ」投入によって成長力を取り戻すと期待されていただけに、投資家の失望感は多大。広告の伸びが鈍化し、開発費など先行投資負担が利益を圧迫する構図は結局、2010年3月期と同様だ。
(成長力の鈍さから厳しい評価を受けるミクシィ--新サービス構想も市場に響かず)
なぜこんなことになってしまったのか。そのわけは、すでにここで解説済みなのであります。
ひるがえって、ミクシィ。ミクシィには、山岸くんに相当する人材がいなかった。
ただそれだけなのであります。
さて、ではどうするか。
これを考える上で、任天堂の宮本茂、この人物の存在こぞ、これからのSNSの世界を占う上できわめて大きなヒントを与えてくれるのであります。
1977年に金沢美術工芸大学を卒業。専攻は工業デザインだった。同年、小さい頃から玩具に興味を持っていたため、当時トランプを柱とし色々とやっていた玩具会社の任天堂に興味を持つ。デザイナー枠で任天堂は募集していなかったが、宮本の父は当時の任天堂社長山内溥と友人だったこともあり、面接の場を得て工業デザイナーとして入社する。
(宮本茂、Wikipedia)
SNSとは、いったいなんであるのか。「人間関係」以外の何ものでもないのであります。
SNSを運営する会社に必要なことは、この「人間関係」とはいったいなんであるのか、この本質を理解する人間がいるかどうかであります。
任天堂で言えば山内溥が言い続けたように、所詮「花札屋」にすぎないことを決して忘れてはいけないのであり、これを宮本は、外さなかっただけであります。
え?任天堂はSNSじゃない?
いえいえ、みなさん、トランプ、花札、一人でやりますか?
たまたま手段がゲームであっただけで、この会社の本質は「人間関係」、すなわちSNSであるのであります。
「人間関係」の手段が「ゲーム」であるのか、YouTubeの「動画」であるのか、Facebookの「寮の部屋」?!であるのか、この基本的な認識なくして、SNSは成り立たないのであります。
最近、Facebookの使い方が分からないという声を(主にTwitterで)耳にするので使い方を簡単にまとめてみる。私自身別にヘビーユーザーではないので、正しい(?)使い方かどうかは知らないがとりあえずはこんな感じでどうぞという程度にとって頂きたい。
寮の部屋
日本人が最初にFacebookを見たときによく分からないのがWallというものだ。壁って何だよという感じだ。単にメッセージ送るのと何が違うのか。これは寮の部屋の扉だと思えばいい。寮の扉にホワイトボードをぶら下げたり、紙を貼ったりするのは一般的だ。
(Facebookの使い方)
これに対するミクシィ、笠原社長の考えるミクシィは、間違いなく「掲示板」。別に「掲示板」が良い悪いと言っているのではない。あくまで「掲示板」と言う原点を忘れてはいけないと言うことであります。山内溥の「花札屋」であります。
そして、つまりは、笠原社長の考える「人間関係」とは「掲示板」であると言えるのであります。
さて、ここからが本題であります。
ミクシィは、これからなにをやるべきなのか。
それは「人間関係」の「付加価値」を高める以外にはないのであります。
任天堂の宮本茂、グリーの山岸広太郎、Facebookのマーク・ザッカーバーグ、みんなそろって、やってることは同じなのであります。
いかにすれば、より一層のすばらしい「人間関係」を築くことができるのか。そのための機能(アプリケーション)提供であり、結果としての機能単価売上となるのであります。これはしかし、別に機能単価モデルである必要はさらさらない。
もともとSNSは、情報単価モデルである広告売上がメインのビジネスモデル。Facebookにいたっては、2009年571億円の売上に対して562億円、実に98%を広告売上が占めているのであります。ただこの広告売上の中身が違う。
(1) セルフ広告売上 (315億円)
AdwordsやOvertureと同様,広告主は広告代理店を経由することなく,直接ウェブ上から広告出稿できる仕組みで,Facebook Adsとネーミングされている。実際に入力してみると驚くほど簡単で,入力には5分もあれば十分。広告は承認を経て約1-2日後に表示されはじめる。
(【最新版】Facebook ビジネスモデルを徹底分析 〜 mixi,GREE,モバゲーと比較)
これだけ言えば、もうミクシィが何をやらなければいけないかは、お分かりでしょう。
「掲示板」を通した「人間関係」の心地好さの追求以外にはないのであります。
Wikipediaの中の解説を読んでも、もはや決してミクシィの「掲示板」生活が心地好いものではなくなっていると言う現実に、しっかりと目を向けなければいけません。
初心に帰って、「掲示板」生活を再構築する。これに、もはや一刻の猶予もないのであります。がんばれミクシィ! KAI
なるほど、これは間違いなく「デッドロック」と言うのであります。
デッドロック【deadlock】
1 交渉などの、行き詰まり。膠着(こうちゃく)状態。「―に陥る」
2 コンピューターで複数のプログラムが動作している際、プログラム間で互いの処理終了を待つなどして、半永久的な待機状態になること。ハングアップの原因になることが多い。
◆「交渉はデッドロックに乗り上げた」という言い方は、lock(錠前)をrock(暗礁)と混同したところから生じたもの。
(大辞泉)
この鳩山、てっきり参院選挙前の辞任があるかと思っておりましたが、どうやらそうはならない雰囲気であります。一方の小沢、もちろんこちらも検察と闘争中につき辞めるわけにはいきません。
しかしてこれがなぜ「デッドロック」と言うのでありましょうか。
いま民主党にとって最善の選択は、きわめて明確であります。世論調査の結果に耳を傾けることであります。このままの状態で選挙に突入すれば、記録的大敗を喫するのは間違いありません。これは、なんどもここで取り上げてきた「無党派層」の支持が、まったくもって得られないからであります。
これを回避するため、二人に残された道はただ一つ。二人の辞任カード以外には、もはや何一つ残されてはいないのであります。
しかし、この切り札であるはずの辞任カードが、切るに切れないと言う実に摩訶不思議なカードと化しているのであります。それは、二枚の辞任カードが一緒になってそろわない限り、切り札とはならないからであります。
あうんの呼吸があれば、二枚そろうかもしれないけれど、今二人の間にはこの呼吸はない。
かくして、二枚のカードは、互いに相手が出すまで出せなくなってしまった、「デッドロック」の辞任カードなのであります。
「デッドロック」を解消するには、「強制終了」するしかありません。
国民の手による「強制終了」を期待して、週末テニス。
土曜。ようやく安定してきた天気とはいえ、なぜか空気が冷たい。陽射しがあるところは暑すぎるのに、日陰は寒い。結果は、6-4、0-6、6-7(4-6)と第3セットのタイブレークは時間切れ。ネモトくん相手に、4-5まで追いついたけれど、最後の最後に4-6と引き離されて万事休す。
日曜。土曜に引き続き、空気が冷たい。体調は万全。のはずが、なぜか目がおかしい。クリアに見えているのに、ボールに焦点が合わない。たまに合う時があるけれど、瞬間的に焦点だけがホワイトアウトする。いったいなにが起きたのか。
こんなだから、結果はさんざん、1-6、0-6、0-6、2-6、1-0(6-5)。4連敗して取れたゲームはたったの3つ。最後の残り5分でタイブレーク。こちらも時間切れ5-5で、M田さんがドロップボレー。これをなんとか追いついてクロスにスライスボール。Y木さん、ストロークで返そうとするもフレーム。やっと6-5で貴重な1勝。これだけで、あとの気持ちが随分違うのであります。
それにしてもの、視力障害。
土曜から日曜にかけて、いつもと違うこともしていないし、食べ物も変わらないのに、何で?
テニスから帰って、焼酎飲んでたらやっとわかった。
二度寝であります。日曜の朝、1時半に目が覚めて、そのあと4時から6時まで二度寝してしまったのであります。寝たから体調万全と思っていたけど、これが目に来たのであります。いわゆる寝すぎで目がはれるってやつでありました。
なんとも人の身体とは、摩訶不思議。つくづく「いきもの」であることを思い知らされた。もう二度と二度寝はしないのであります。 KAI
ここにもまた、世間の期待に応えようともがく一人のスポーツ選手がいるのであります。
新大関の把瑠都が重圧をはねのけて5連勝。豊ノ島にもろ差しを許したが、肩越しに右上手を取ると怪力を発揮して寄り切った。支度部屋で報道陣から、いい相撲だったと水を向けられると「ありがとうございます」とはにかんだ。
気掛かりなのは体力面。場所前はイベント出席などで多忙を極めた。「いろんなことが続いた。疲れがあったね。経験のないことだから」と苦笑い。1日に2度の睡眠を取るなど回復に努めているが「それでも取れない」と表情に疲労の色がにじんだ。
(お疲れの新大関・把瑠都/夏場所)
もちろん把瑠都は、他の日本人選手とは「世間」が違う。母国の両親や、親方といったごくごく狭い「世間」ではあるけれど、それでも「世間」の期待に応えようとするのは、他の選手と一緒なのであります。
まだ5日目、格下相手だからなんとか連勝しているものの、先場所に較べて、随分腰が高いから、そう連勝は続かない。
そんなことよりなにより、問題は、この「疲れがとれない」。
そうなんであります。
スポーツ選手とは、この「疲労」との戦いがすべてなのであります。例えば、サッカー。オシムも、岡ちゃんも、選手に全力疾走を要求する。選手はもちろんこれに応えようとするけれど、90分間すべてを全力で走り続けることは不可能(と思う)。
ではどうするか。手を抜くのであります。手を抜くことで、疲労を緩和する。
しかし、敵はこれを逆に利用する。相手が手を抜いた時を見計らうように、カウンターアタックを仕掛ける。だからオシムは、手を抜くな、手を抜く奴は外すと、厳しく言ってきたのであります。すなわち、疲労故の手抜きこそ、勝負の分かれ目であり、強いスポーツ選手とは、まさにこの「疲れ知らず」な選手を言うのであります。マラソンも同じ。42.195キロ。疲れたといって手を抜いた途端、先頭集団から取り残される。
すべてのスポーツ選手にとって、この「疲労」。これを克服することこそ、勝利に繋がる。
そこで、把瑠都の疲労なのであります。
なぜ把瑠都は「疲れがとれない」のか。理由は簡単であります。「睡眠薬」を使って眠るからであります。
スポーツ選手の場合、疲労を取るためには、別に横になって身体を休めるだけでいい。これで足りなければ、高酸素カプセルを使えば良いだけであります。
人はなぜ睡眠が必要かといえば、それは「脳内」のリセットのためであります。「脳内」と言う「自己」のリセットであります。この必要がなければ眠くならない。眠くならなければ眠らなければいいだけ。ただし身体を休めるために、横になって寝る必要がある。ただこれだけなのであります。
これを睡眠薬を使って強制的に眠るから、「自己」のリセットも強制的に行われる。これは目覚めたときが、めちゃくちゃ大変なのは、睡眠薬で眠ったことのないKAIでもよくわかる。強制的な「自己」のリセットの反作用で、かえって「疲れがとれない」のであります。
なんのことはない、把瑠都の場合、身体の疲労がとれないのではない。単に精神的な疲れの問題であり、それも「睡眠薬」なんかに頼るからであります。
これもまた形を変えた「薬物問題」。薬に依存する精神的な弱さの克服。横綱への道のりは、まだまだ遠いのであります。 KAI
戦後初の連立政権となった英国。世界中で、いよいよ「政治のオープン化」に向けて政治が大きく動き始めたのであります。
【ロンドン=木村正人】エリザベス英女王は11日、総選挙で第1党となった保守党のデービッド・キャメロン党首をバッキンガム宮殿に呼んで首相に任命、組閣を命じた。キャメロン首相は首相官邸入りし、保守党と第3党・自由民主党の連立政権を樹立。自民党からは副首相に任命されたニック・クレッグ党首ら5人が入閣した。36年ぶりに全政党が過半数割れした総選挙から5日目、英国で戦後初の連立政権が樹立された。
(【英国の選択】戦後初の連立政権が発足 副首相に自民のクレッグ党首)
さて、この政権交代のどこが「政治のオープン化」と言えるのでありましょうか。
65年ぶりの連立政権と言うことは、すなわち65年ぶりに第1党の与党が過半数割れとなったと言うことであり、今回の自由民主党のような第3極の存在がきわめて重要な意味を持つようになると言うことであります。
これは、連立政権といっても、日本のかつての自民党と公明党のように、選挙前から連立を組むのとは意味が違うのであります。最後の最後まで、あくまで第3極と言うのが重要なわけであります。
この意味は、政党側の論理からすると見えにくいかもしれないけれど、有権者である市民の立場からするときわめて明確なわけであります。それは、例えば米国のように民主党と共和党しかない場合に、市民の「希望」を叶える手段は、最初から市民側にはない。あるのは、政党が希望して打ち出す政策であり、市民がそれを良かれと思い実現したいと行動する手段は「美人投票」しかないのであります。
一方の有権者である「市民」は、そうはいかない。美人投票と一緒で、多くの人が美人と思う女性に投票しない限り、勝ち組に入ることは適わない。自分の好き嫌いだけで投票する限り、自分の希望を叶えるすべはなかったのであります。その上、勝ち組に入ったとしても、所詮お願いするだけで、実質的に次の選挙までなにもできない。
これが、いま変わった。
多数派の指標である、政党支持率。無党派層が、過半数になった。これは何を意味するのか。実権が、有権者である「市民」のフリーハンドになったってことであります。つまり、無党派層を押さえない限り、政治の主導権も、議席もなにも取ることはできないのであります。
(今なにが起きようとしているのか週末テニス)
日本の無党派層、英国の自由民主党を支持する人々、いずれも自分たちの「希望」が、政党側の政策より前にあることを実感できるようになったってことであります。
英国で初めて行われたテレビ討論会でクレッグ党首の人気が沸騰した自民党も失速。小政党にとって得票率が議席率に反映されない単純小選挙区制の不利はあるものの、得票率が前回を若干上回る23%弱にとどまった最大の要因は自民党の移民政策の甘さにある。
数十万人といわれる長期不法滞在者の問題を解決するため、自民党は不法滞在者への市民権付与をマニフェスト(政権公約)に掲げたが、首相の失言問題で労働党支持者の女性が「東欧からの移民が増えて困っている」と訴えたように、英国の一般的な世論はブレア前政権下で進められた移民の拡大政策には否定的だ。
このほか、欧州単一通貨ユーロ導入支持など、英国民にはなじみにくい自民党の公約がクレッグ人気で浸透するにつれ、逆に自民党離れを招いた。
(【英国の選択】労働党の退場迫った有権者 1年後総選挙の予測も)
副首相に任命された自民党のニック・クレッグ党首=5月11日、ロンドン(AP) 【ロンドン=木村正人】英国初のテレビ討論会を機に沸騰した人気を総選挙に結びつけられなかった第三党・自由民主党だが、13年ぶりの政権奪還を目指す保守党から選挙制度改革で大きな譲歩を引き出した。
保守党と労働党という二大政党の間に埋もれてきた自民党にとって、小政党に不利な単純小選挙区制の改革は悲願だった。クレッグ党首はマニフェスト(政権公約)で下院議員の150人削減とともに、候補者に優先順位をつけて投票し、4〜5人の当選者を選ぶ中選挙区制の導入を掲げた。これは比例代表制の一種でもある。
自民党は得票率を前回より1ポイント多い23%に伸ばしたが、議席数は62から57(議席率8・8%)に後退。自民党案の中選挙区制なら162議席を獲得した計算だ。
一方、保守党のキャメロン党首は「強い政府」を生む単純小選挙区制を維持する考えだったが、政権を奪取して財政再建に着手するため自民党に対し大幅に譲歩した。小選挙区のまま優先順位投票を導入して死票を減らす妥協案を法制化し、有権者に是非を問う国民投票を実施することで自民党と合意した。
(【英国の選択】選挙制度改革勝ち取った自民党)
ここで勘違いしてはいけないのは、第3極がいわゆるキャスティングボートを握っていることと「政治のオープン化」との間には、なんの関係もないと言うことであります。
「政治のオープン化」とは、あくまで「政治家」と「市民」との間の力関係の逆転であります。「政治家」は「市民」の声、希望をきくしか生き残るすべはないと、心底理解すると言うことであります。もちろんこれは日本の民主党の選挙対策のためのポピュリズムとは、断じてことなるものであります。彼らのポピュリズムが対象とする「市民」とは、単に「市民」の顔をした「既得権者」にすぎないからであります。
これからの日本の政治家は、ただただ、無党派層と言われる人たちの声に耳を傾け、ひたすらに、彼らに向け自分たちの思いを発信していくしかない。そう言うことなのであります。 KAI
今週の、TBS「夢の扉」はいただけなかった。
いまエコ発電として広く普及しているのが、太陽光発電。これに対して風力発電は、まったく普及していません。しかし、1日数時間、しかも太陽が出ているときしか発電できない太陽光発電に対して、風力発電はそうではない。晴れていようがいまいが昼夜も問わず、24時間風さえあれば発電できる風力発電には、次世代のエネルギー源としてきわめて大きな可能性をしめていると言えるのであります。
数年前から叫ばれている地球温暖化に伴い、化石燃料を使わないクリーンエネルギーが注目されています。大規模な新エネルギー対策が進む中、家庭でも出来るクリーンエネルギーは浸透してきています。その代表格に太陽光発電があります。しかし、太陽光発電は日中でしか充電補給ができないという弱点がありました。
そこで、24時間充電補給が可能なクリーンエネルギーとして風力に目を向けた人がいます、ゼファー株式会社で社長を務める伊藤瞭介さんです。伊藤さんが開発に力を注いでいるのは超小型で発電力の大きいハイテク風車です。しかも、これまでの家庭用風力発電に比べて、音が静かという特徴もあるのです。ただ、風力発電にはどうしても越えられない大きな壁がありました。それは、風力発電にもかかわらず、強風になると耐久性の問題で停止しなければならないという点。伊藤さんはこの大きな壁を乗り越えて、本当の意味での24時間活躍できる小型風力発電装置を作ることができるのでしょうか。
(小型風力発電で、クリーンエネルギーを広めて行きたい ドリームメーカー/伊藤瞭介)
プロペラの騒音問題は、夜間獲物をねらうフクロウの羽に着目して、プロペラに筋状の空気の流れる起伏をつけることで消音に成功。微風ではプロペラが回らない問題は、一定間隔以上プロペラの停止状態になるとセルモーターが起動してプロペラを回すプログラムを組み込んだ。この仕掛けで、微風でもセルモーターで回り始めたプロペラはスイッチを切った後も勢いよく回り続け発電を始めることがわかった。
そして、強風問題。これにはブレーキングシステムを導入した。一定以上の風速になるとブレーキが作動して、固定のスピードで回って常時発電を続けられるようにした。
一見すばらしい技術のように見えるのですが、世の中には、もっとすごいことを考えつく人間がいるのであります。
東北大学の石田先生が実践しているネイチャー・テクノロジーを知って、新しい学問の形を発見した。その学問を見てみよう。Fよりhttp://ehtp.kankyo.tohoku.ac.jp/ishida/
地球の生き物を参考にして、その構造を真似した最先端の材料や物体構造で、人間に非常に有益な技術を探そうとする学問がネイチャー・テクノロジーである。江戸時代の本草学の現代版である。
この中から、ふくろうの羽を模した静穏な風力発電装置の羽や新幹線のパンタグラフを生み出し、かたつむりの貝で水で汚れを落とす外装材、洗面装置などを生み出している。
この次の課題がトンボの羽の構造を真似した風力発電装置を作ることだそうである。この風車の話が出ているサイトを見つけた。
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トンボ風車でCO2の削減! 2009年10月19日
http://blogs.dion.ne.jp/03capricius04/トンボは昆虫の中でも、飛行能力が大変優れていて、空中で静止したり、後ろ向きに飛んだり出来ます。こうしたことが出来るのも4枚の羽根をバラバラに動かすことが出来るからで、大変早いスピードで動かしているのです。また羽根の構造にもその秘密が隠されています。というのも他の昆虫とは違って、胸の筋肉で直接羽を動かすようになっており、1秒間に20回から30回ほど羽ばたき、速いものでは60kmから80kmもの速さで飛ぶトンボもいるそうですが、一般的には、時速20〜25kmくらいだそうです。それでも空中で静止したり、バックしたりできるのは、前後の羽根を別々に動かして、自由自在に飛ぶからです。
さらに安定した飛行が出来るのは、前羽根の動きを後羽根が追うような形で羽ばたくことで常に浮力を得ることができるようになっているのだそうです。またトンボの後足には羽根のスイッチのような役割もあって、後足が棒などにかかると感覚毛から信号が胸の筋肉に伝わり羽根が止まり、後ろ足が離れれば羽根が動くというように大変上手くできているのです。ちなみに棒などに留まって周りに危険がないとわかると羽をぐっと下げるので、羽根を下げていたら安心して休んでいると言う証拠でもあります。
このトンボの羽で風車を作りたいと研究している人がいるのです。小型で低コストの羽根ができると言うのです。しかも風速1kmでも風車が動くのです。今までの風車は風速が5メートル以上なければ羽根が回らなかったのですが、これなら風の弱いところでも風車が建設できるわけで、建設場所の制約を受けにくくなります。反対に風速が30mになるとその風車は速すぎて壊れてしまうそうです。実際の風車はそうならないように回転が遅くなったり、止まったりするようになっていますが、トンボ風車はそれでも壊れずに回るそうです。
風車を作るとコストがかなりかかりますが、例えば100万円かかっていたものが1万円で出来ればそれをたくさん作ったほうが安くなると言います。と言うようにトンボ風車を使ってCO2を削減しようとしているのです。今回のCO2を25%削減するというのは今までの発想のままでは出来ない数字だと言います。
【トンボの羽根】
トンボの羽根は、実は航空力学の先端機能を備えている。表面の凹凸が気流に上手く乗るよう生まれながらに設計されており、昆虫のなかでも最速の飛行力を持っている。例えばトンボの羽根を応用して風力発電の模型を作ると、風速1mでも徐々にスピードが増し、羽根がどんどん回る。同様に比較するためにつくった一般的な模型は、風速1mでは動かないばかりか、強い風で回ると羽根が折れてしまう。しかしトンボの羽根のほうは、いくら強く回転しても折れない。この羽根を航空力学や風力発電に利用する可能性が研究されている。もし風力発電に生かせるなら、CO2排出を25%削減できる、という。
(ネイチャー・テクノロジー)
ここにあるように、トンボの羽と同じ形状をしたプロペラは、なんと風速0.8m/sでセルモーターも何もなしで自然に回り始めたのであります。
しかも、この形状のプロペラは、強風になればなるほど回転数が一定の回転数に収束すると言う。まったくもってセルモーターも、ブレーキングシステムも、何もいらない、理想的プロペラなのであります。
そもそもトンボの羽の形状って、いったいどんなものか、わかりますでしょうか。それは団扇と扇子の違いであります。まさに扇子状の、プレーンではない折れ折れのプロペラこそ、無限の可能性を秘めていたのであります。
これを航空機に応用できれば、従来の数倍程度の推進力を持つプロペラ飛行機も夢ではなくなります。
まさに、トンボの羽のイノベーション。こちらのほうこそが、「夢の扉」なのであります。
それにしても、TBS。このトンボの羽の風車の話は、昨年から何度もメディアで取り上げられているお話。にもかかわらずなんで?なのであります。
このあたりの事情に多少察しがつく、週末テニス。
ヒントは、政府からの資金が出たのですが、今週はお天気晴朗、波静か。であるからして、土日同じメンバー。いまやレギュラーメンバーとなったネモトくん。月曜から神戸のトーナメント本選出場のため、日曜のテニスの後、車で神戸に向かう。
長い長い道のりを少しでも縮める、新名神の利用を薦める。もちろんこれは、先々週のKAIの大阪往復の成果なのであります。
と言うことで、土曜、6-1、4-6、0-6、2-2と、相変わらずネモトくんから1勝を取れない。同じく日曜も、6-1、2-6、6-7(3-7)と第3セット、惜しくもタイブレークの末に敗れる。プロ選手であるネモトくん、ネモトくんに勝てなくなってきたのも、これだけ彼の本気度が、上がってきたからであります。これもまた佳し。プロはアマチュアを、決してなめてはいけないのであります。 KAI
石川遼と宮里藍、二人の日本人プロゴルファーの吉報が、重なった。
「中日クラウンズ」最終日、愛知県にある名古屋ゴルフ倶楽部和合コースで石川遼が記録した18ホール世界最小ストロークとなる「58」について、周囲の反応が入ってきている。
●この記録以前のツアー記録「59」を保持していた倉本昌弘
「すばらしい記録。僕の場合はパー71のコースで12アンダーの59だったけど、パーが少ない70のコースで58を出す方が遥かに難しいこと。
(石川遼の世界最小「58」ストロークに関する周囲の反応)
マスターズ2年連続予選落ちとさえなかった遼くん、誰も期待していなかった国内大会で、なんと「世界最小ストローク」を更新して優勝。
一方の藍ちゃん。
メキシコにあるトレスマリアスレジデンシャルGCで開催されている、米国女子ツアー第6戦「トレスマリアス選手権」の最終日。首位に1打差の単独首位からスタートした宮里藍が、この日7バーディ、1ボギーとスコアを伸ばして通算19アンダーで逃げ切り、早くも今シーズン3勝目を手にした。
(【速報】藍が1打差で逃げ切り、今シーズン3勝目!)
なんで突然、二人に、メディアの注目が集まったのか。
それは、二人が突然、目覚めたからであります。
では、なんで突然二人は、目覚めたか。それは、二人がきわめて「まじめな」男であり、女であったからであります。
この「まじめな」ことであることについて、世間はかつてもいまも、例えば「勤勉」とか「実直」とかと言うかたちで、「自律的」、「個性的」問題であるととらえているのですが、それがそもそもの、すべての問題における大きな間違いの始まりなのであります。
またまた、わかりにくい話ですまない((C)ウチダ先生)。
そもそも、「まじめさ」とは、なにか。それは、他者との関係性における、「他者」の期待と言う顔をした「自己」の期待なのであります。「まじめな」人であればあるほど、この「他者」の期待に応えようと努力してしまう。この結果は、当然のように「他者」の期待に応えることはできない。それは「他者」ではなく「自己」の期待だからであります。
すべての競技において、「勝ちたい」と言う思いを持ち合わせずして参加する競技者はいません。しかしこの「勝ちたい」思いだけで、「自己」を満たしてしまっては、あとはただ自滅するだけなのであります。
すなわち、競技とは、対戦相手と言う「他者」と自分と言う「自己」との戦いであり、「自己」の中における、「他者」がどう振舞うか、つまり、「自己」を「他者」で満たすことによって、対戦相手の心を「読む」のであります。そしてその裏をかく。勝つためには、これしかないのであります。
にもかかわらず、「まじめな」人ほど、「自己」を、対戦相手とは全く関係のない世間と言う「他者」、すなわち「自己」の期待、「勝ちたい」と言う思いで満たしてしまって、肝心要の対戦相手と言う「他者」が見えなくなっているのであります。
遼も藍も、いままであまりにもこの世間と言う「他者」の期待を、意識しすぎてしまっていた。そんなとき、二人に対するメディアの関心が、潮が引くかのごとく、二人の周りから消えていったのであります。ここでようやく、二人は、「他者」の期待から自由になった。自由になって、やっとその意味を理解したのであります。
もう、これから大きくぶれることはない。飛躍的成長と、大活躍の、「遼藍」時代の到来であります。
そして、ここに「まじめ」故に、世間の期待を一身に集めこれにもがき苦しんだ一人のマラソン選手がいる。
瀬古利彦。40歳以上の世代にとって知らない人はいない、「まじめ」を絵に描いたような男であります。この瀬古が、早朝NHKの番組「ホリデーインタビュー」に、ひさびさに登場。
三重県出身の元マラソンオリンピック選手、瀬古利彦(せこ・としひこ)さん。マラソン成績通算15戦10勝。二回のオリンピック出場など、かつて世界で名勝負を繰り広げたランナーは、今アフリカの難民キャンプで駅伝を伝えています。そこには、駅伝を通して人と人との絆を深めてもらいたいという瀬古さんの願いがありました。これまでのマラソン人生とたすきにこめる思いを伺いました。
(ひとりでは走れない〜元マラソンオリンピック選手 瀬古利彦さん〜)
瀬古とは対照的に、世間の期待通りオリンピックで金メダルを取ったのが、Qちゃんこと、高橋尚子。2000年シドニーオリンピックのことであります。
この二人の違いもまた、「まじめさ」による世間の期待への意識の違いに他ならないのであります。
はっきり言って、Qちゃんは、世間に対しては「まじめ」ではなかった。彼女は、小出監督に対してだけ一生懸命の「まじめさ」を通した結果が、金メダルであったのであります。小出監督と言う「他者」を「自己」の中に引き入れることで、他のランナーたちのすべてを見通した小出と言う一人の「他者」が「自己」となった。その結果、デッドヒートとなったリディア・シモン( ルーマニア)を制して、見事金メダルを獲得したのであります。
高橋尚子の勝因は、あくまで塞翁^^伯楽小出に師事したこと、この一点に尽きるのであります。
ですから、すべての実力のある選手にとって、世間の期待とは、まことに難しい。まったくもって鬼門なのであります。
そして世間には、たまに、この理路を天性で理解して、「ヒール」を演じる、強いスポーツ選手がいるのであります。「ヒール」を演じることで、世間の期待を自ら遮断する。こうすることで、勝負に集中するから、また強くなる。強いやつほど憎まれるって言うのは、一つの真理なのであります。
もし、瀬古に、この智恵があったなら、歴史は間違いなく違ったものになっていたと、KAIは思うのであります。 KAI
時を同じくして、眩暈を覚える言説に出会ってしまった。引用するに憚れる内容につき、タイトルのみ記しますが、ひょっとして受け狙いならKAIも老いたりと、筆を置くしかないのであります。
眩暈その一。
眩暈その二。
いやはや、お二方とも、もはや次元を超えすぎていて、KAIにはコメントすることは不可能なのであります。 KAI
ついせんだって「円天」詐欺と言うのがありましたが、これはまさに「普天」詐欺と呼ぶにふさわしい事件であります。
詐欺(民法) [編集]
他人を欺罔(ぎもう:人をあざむき、だますこと)をして錯誤に陥れること。詐欺による意思表示は、その意思の形成過程に瑕疵があるため取り消し得るものとされる(民法第96条)。
(詐欺、Wikipedia)
ですから、ガソリン税撤廃にしろ高速無料化にしろ、たとえその財源が不明瞭なまま実現不可能になったとしても、これを期待して投票した国民は、決して民主党を詐欺で訴えることはできないのであります。すなわちそれは、当初より「人をあざむく」ことが明らかであったわけではないからであります。
しかし、普天間問題は、明らかにこれとは違う。
詐欺(刑法) [編集]
他人を欺罔し錯誤に陥れさせ、財物を交付させるか、または、財産上不法の利益を得ることによって成立する犯罪 (刑法246条)。10年以下の懲役に処せられる。
(詐欺、Wikipedia)
では、普天間問題とは、これが選挙で公約するような見通しがあったかどうか、これを訴訟で問えるだけの証拠は、まったくもって、ない。こんなことは、誰が考えてもわかっているから、彼らは平気で最初から詐欺を実行できるのであります。
実は、これこそ、いま国家存続の脅威となっている民主党政権の「本質」なのであります。野党時代、いみじくも小沢は言った。「政権を取りさえすればなんでもできる」と。であるからして、政権と言う「利益」を得るためのウソを徹底してつく。しかしこれを法的に問えないことは、最初からわかっていたこと。
それにしても、なぜ国民は、こんな鳩山政権を、選んだか。
それは、見事なまでに明確であります。
詐欺師を信用してはいけない
何を言うかと怒ってはいけない。これがいやなら、仲間から外れればすむこと。
その意味で、社民党の政権離脱の選択は、まことに真っ当であり、当たり前の行動なのであります。
ついでに、小沢の、検察審査会による「起訴相当」に異議をとなえるエセジャーナリストにも一言二言文句を言わないと気がすまないけど、こんな話題ばかりを書けば書くほど、心が汚れていくのを感じるから、やめ。
対照的、さわやかな気持ちと天気に恵まれた、ゴールデンウィーク週末テニス。あいにく、今週は、1300キロの長距離ドライブのせいで、まるで足が思うように動かない。
といいわけしておいて、土曜、2-6、1-6、5-3と、ネモトくんの一人勝ち。トレーナー着て始めたら、この暑さではさすがに試合にならない。第2セットから半そでシャツだけにして、やっと正気に戻る。
日曜も変わらず、好天。6-3、2-6、6-4の2勝1敗と快調。こんないい天気なのに、コートはがらがら。みなさん、なんともったいないことであります。
アンジェロも人がいないかと言えば、そうではない。アンジェロの混み具合から、みなさん、近場で済ませているのがわかるのであります。明日も休みかと思うと、また格別にビールが美味い。しあわせとは、この程度で、十分なのであります。 KAI
長距離ドライブは、ドライブ大好き人間のKAIにとって、まったくもって問題ないのでありますが、さすがに往復1300キロを日帰りするわけにはいきません。
と言うわけで翌日祝日である水曜日に、愛車エルグランドを駆って大阪までデモに出かけたのであります。早朝東京をたって、7時間かけて現地到着。それから6時間、こころをつくした出会いに感謝して、母が待つ実家に中国道、舞鶴若狭道をとばして帰る。すでに11時ちかくにもかかわらず、母が家の外で待っていた。
今年は採れすぎと言うタケノコづくしの、遅い夕食が待っていた。高速を降りて近所のローソンで買った麦焼酎を飲みながら食べるタケノコゴハン、タケノコ煮がまことに美味しい。ひとしきりよもやま話をして、母は先に寝る。ネットに繋がらないから、テレビを見るしかやることがないけれど、これもまた良し。1時過ぎ、母の出してくれた布団をしいてねる。
さすがにゆっくり寝て、母が久しぶりに面白いと絶賛するゲゲゲの女房を一緒に観ながら、鮎焼き朝ごはんを食べる。昨日デモのお礼にとおみやげにもらって自然解凍しておいたカニが、これまた美味い。タケノコ、鮎、カニと、なんとも贅沢の限りであります。
さて、今回帰郷の、もう一つの目的があるのであります。
お墓参り。
村のあちこちにあった小さな墓地を、村に一つあるお寺の横の、陽あたりの良い丘に集めて、小規模ながら霊園風の墓地にしたのであります。その初めてのお墓参りなのであります。
そのまま東京へ戻る用意をして、車に母を乗せ、墓地に向かう。さすがにエルグランドでは墓地の坂道を登れないので、車は近場にとめて、ひざの痛い母を支えてゆっくり歩いて登る。村の男衆数人が、お寺の境内と墓地の清掃作業をしている。そのうちの一人が、墓石の背面にある切り立った赤土の土手からタケノコが顔を出しているのを見つけて、根元から切り取る。そう言えば、そこら一帯が昔から赤土であったことを思い出した。
KAI家の墓は、前列奥にあった。その手前がだれそれのお墓、そちらがどこどこのと、母の説明を聞き流して、KAI家の墓の前に立つ。
線香を供えて手を合わせると、妙に清々しい気持ちになった。
清掃作業中の男の人たちに頭を下げて、坂道を降りる途中に見渡すと、目の前一面が青々とした田んぼの村の風景。
ああ、ここで生まれて、ここで育って、またここに帰ってくる。
亡くなった父、祖母、そして自分。村のすべての人たちが、この墓地と共に生きている。この墓地と共に繋がっている。墓地が霊園になって、これが鮮明になった。次々とお墓参りに訪れる人々と、境内や園内を清掃する人々。ディズニーランドとまではいかないまでも、霊園のこの自然な風景に、人々の精気があふれている。
離れた東京にあっても、これから一生、この光景を決して忘れることはない。
そう感じて、手を振って見送る老母を背に、一路東京へ車を走らせる。
一度近頃開通したとか言う京都縦貫道なるものを走ってみたいと、またすぐ高速に乗る。宮津方面とまったく逆方向に進んで大丈夫かなと思っているうち、スーパーループターンで京都方向一直線。と思うまもなく、終点。とんだ縦貫道、まだまだ京都は先であります。
京都南インターから名神に乗る。大津をすぎて「新名神」の表示を見つける。往路で見つけたのですが、古いカーナビしかないので、迷うのもこわいと躊躇したけれど、復路で挑戦することに。なにせ豊田まで、旧名神120分、新名神90分。30分も早いのであります。
なるほど、甲賀の里、伊賀の里を一気横断して伊勢湾へ。昔自転車で走った東海道、国道1号線と同じルートでありました。
伊勢志摩を目指す反対方向の大渋滞を横目に、北上し、また東に向かって豊田で東名に合流。以降渋滞もなく、6時前に東京到着。そのままオフィス横に新しくできた駐車場に車をいれて、8時過ぎまで残った仕事を片付ける。
家に帰って、母にもらった、KAIが連休しばらくいると思って間に食べさせようと買った1本丸焼きのサバを大皿に出して、ちんぐを呑む。またひとしきり今朝の霊園の風景が、目に浮かんでくるのであります。 KAI