October 30, 2009

ウェブ進化論は英語圏進化論ではありません

英語圏の進化が、ことさらのように気になるのは、今に始まったことではない。恐らく明治の開国に始まり、第2次世界大戦でこっぴどくやられたあともずっと、日本社会は英語圏をキャッチアップすることしかなかったのです。

ところが、幸か不幸か1980年代以降この英語圏と言う目標を見失った。その結果として、実質マイナスGDPとなって表れているのが、今の日本と考えると、まるで世界が違って見えてくるのです。

 インターネットは既存産業に破壊的なインパクトを及ぼすと同時に、利用者には圧倒的な利便性や生産性向上をもたらすものだ。私は勝手に「知の英語圏日本語圏問題」と呼んでいるのだが、世界語と化した英語の非対称性ゆえの構造問題と理解しつつも「これだけの知的興奮の可能性が英語の世界にしかもたらされないのか」と個人的には残念な気持ちが勝る。
 「日本語で学べる環境」や「日本語による知の創造の基盤」の競争力をいかに維持するのか。ウェブ進化の恩恵を受けて新しい地平が拓(ひら)かれる英語圏を見つめながら、日本人として考えるべき課題は山積だなあと悩む昨今である。(うめだ もちお)
【ウェブ立志篇】米ミューズ・アソシエイツ社長 梅田望夫 進化を遂げる英語圏

梅田さんが残念がる必要はさらさらない。こんなことは過去100数十年何度も繰り返してきたことです。やっとしばらく見失っていた、英語圏をキャッチアップしなければならないと言う明確な目標が、日本のビジネスマンのあらたなる目標として、帰って来た。

このほうが、GDPをプラスに反転させる力に、目一杯効果があるのです。

そして、中山教授の論文が英語で書かれるからといって、これを英語圏の進化なんて誰も言わない。

人類の知の進化にとって、言語なんてまるで関係ないんです。

知は、言語にではなく、社会の中の大小関係ないネットワークの中にこそ育まれる。これを理解しなければ、ありもしない英語圏の進化などと言う「脅威」から、梅田さんは永遠に逃れることはできないのであります。 KAI

October 25, 2009

いまあらためて会うことの意味を知る週末テニス

なにげない文章の中に、言珠の言葉と出会うことがある。

 年月のおもしろさは、個人の変貌にある。現代では人たちは長生きするから、約半世紀の後に再会を果たすこともあるが、半世紀の間には、私の内面もかなり変わったと自分では思う。堕落か遅すぎる成熟かはわからない。しかし私は人を裁く気持ちが減った。悪も善も、怠惰も勤勉も、すべておもしろがれるようになった。運命に動かされる人間の弱さは痛いほど知った。うやむやにすること・・・たぶんそれがお互いに許すことなのだろう・・・が、優しくて便利な方法であることも実感した。
 それでも既に遅かった人もいる。晩年の最大の仕事は「許し」だとA・デーケン神父も言う。会うという行為は、お互いにさりげなく許しと愛を確認することなのだ。
(産経新聞、「小さな親切、大きなお世話」、さりげなく許しと愛を確認、曽野綾子、2009/10/23、p.1)


以前にもここに書いたことのあるお話ですが、KAIの大学浪人時代、住んでいた3畳もない予備校の寮の部屋に父が訪ねてきたことがある。高校生になった頃から長い間、父とは口を一言もきかなくなっていた。もうすぐ2回目の受験が始まろうとするこの時期に、突然父は訪ねてきた。

どの大学を受けるのかきかれて答えた以外何も話さないまま、近くに流れる賀茂川の、土手を走る道にあるバス停まで見送りに行った。来たバスに乗る父が振り返って、がんばれよと一言言った。そのバスを見送りながら、KAIは涙がとまらなかった。

「会うという行為は、お互いにさりげなく許しと愛を確認することなのだ」。当時はまだ、この言葉の意味を理解するには、KAIは若すぎたかもしれない。

それから30年たって、脳梗塞で倒れた父は京都東山にあるリハビリ施設にいた。倒れて以来8ヶ月ぶりにこの父を見舞いに行って、KAIは思った。「許してあげよう」。それからまた半年たって、父は亡くなった。

人と人との絆とは、会うこと以外にはない。電話やメールでは、これは絶対に叶えられない。

どうやら人は、毎日一つ屋根の下で暮らしていたり、こうして毎週末テニスしていると、会って一緒にいることの意味を忘れてしまうのかもしれません。

その幸せの、週末テニス。

「大気」の流れを感じて、充実。のはずが、なぜか土曜、3連敗。3-6、0-6、5-6と、最後のセット、ネモトくんと組んで圧倒的リードからの逆転負け。しかし、これもまた佳し。勝敗の結果は、もうどうでもよろしいのであります。

日曜テニスも、まったく同じ流れ。どうやら、ひとつもう一つ上のステージに上がれたのかも知れない。6-3、0-6、6-4、2-3と、結果は2勝2敗ながら、スコア関係なく、ことごとくが気持ちいい。

世の中、なんとかうまく廻りだしたようであります。 KAI

October 24, 2009

郵政問題にみる致命的戦略ミス

とんでもない話の展開ですが、これも「多くの日本人が、同意を与えた」のでしょうか。

多くの日本人が、小泉―竹中の時代にこのシステムに同意を与えたのである。
新幹線の中で貧困について考える

これが、当時のなんら具体的な行動を伴わないただ言葉だけの無責任極まりない卑怯千万な言説であることは、すでになんどもここで書いてきた。亀井自らこれを言い続けて、ここに至るわけですが、KAIの言う「天誅」は間違いなく下ります。

このヒラカワさんやモラトリアムエラい亀井、共通に見られる大きな間違いは、「過去は編集できる」あるいは「後付可能」と言う大いなる勘違いです。もちろん、これらの方々がこれを意識的にやっているのではないことは分かっております。

中国共産党を始めとして、歴史の書き換えなんてものは、世界史の常識。

しかし、こちらは歴史でもなんでもない、今の今そのもの。

今を編集できる感覚は、メディアの感覚と共通している。

確かに、昔からのメディアなら、そうであったかもしれない。うまく編集し通せる。

ただ、今はそうは問屋が卸さなくなった。インターネットのおかげで、ニコ動のアンケート結果にみられるように、これとメディアが報じる結果との間の乖離は広がるばかり。

ですから、当面はうまくことが運ぶかのように見える。この当面とは、1年間。しかしこれを過ぎると、人がこの過去の書き換えとの間の不整合に耐えられなくなり苦しみ始める。

もちろんそれまで、こちらも耐える必要がある。

いわゆる、「がまんくらべ」。これしかないと言うのは、哀しい限りであります。 KAI

October 22, 2009

オリオン座流星群と言う青春の証

KAIにも、うすらこっぱずかしい青春時代と言うものがありました。

高校2年生の夏休み。1学年下の彼女は天文部。この天文部主催の流星観測会が、夏休み中の高校のグラウンドであった。夜の8時ごろ集合して、グラウンドに仰向けになって天体観測開始。

流星の色、長さ、方向を、声を出して報告し、配られた画板の上の天体図にその位置を記入する。このときどれだけ流れたかは、もうずいぶんむかしのことで、すっかり忘れてしまいましたが、流れ星ってこんなに流れるんだと言う強烈な印象だけは今もしっかり残っています。

4時ごろ空が白ばみ始める頃、解散。彼女を50CCのバイクで送っていこうと思ったら、彼女の先輩のバイクに先を越されて、すでに帰ってしまっていた。しかし、これが彼女にとってとんだ災難になる。

帰りがけに交通事故を起こして、彼女は入院。まさか病院に行くわけにもいかず、退院したときいてから、彼女の家まで見舞いにいく。校長先生とはきいていたけれど、こわいお父さんが出てきて、娘はいま休んでいるからと会わせてくれない。

仕方がないので、なぜかビートルズのリバプールの郵便局のスタンプを偽造して(高校生には時間が山のようにあるんです)、AIR MAILに見せかけるためあて先を英語で書いて彼女の家のポストに手紙を入れる。

なんて、こんな夢のような青春時代が、KAIにもあったんです。

ですから、流れ星と聞くと、なぜかこの切ないまでの恋心がよみがえる。

と言うことで、あれから40年。オリオン座流星群ときいて、黙って見過ごすわけにはいきません。

10月20日午前3時40分。いつもの早朝の散歩1時間以上前に、家を出る。丁度散歩の方向にオリオン座があって絶好の方向なんだけれど、街灯がじゃまをするから流星を見ることはできない。

4時、いつもリキが遊ぶ公園まできて見上げるけれど周りが明るくて星空がよく見えない。そのそばにある駐車場まで移動して、街灯に邪魔されない絶好の位置を確保して30分。仁王立ちで、真上の空を見上げるのは、ほんと疲れる。

この体勢で、40分経過。しかし、いっこうに気配がない。あきらめて退散。

そして挑戦2日目。

22日午前4時。先日の駐車場に到着。今朝は仰向けにねっころがって観測することにした。とその途端、東方向に大きく流れた。思いを託する暇なんて、まるでなかった。15分して、北へ一つ。30分後に、また北へ、先ほどよりは少し太く短い。

しかし、これでお仕舞い。40分間に3個。このあと、家までの散歩道。もう空を見上げることもなく、夜明け前で薄暗い景色に目をやりながら、KAIの胸にはじわじわとうれしさが湧いてくるのであります。

たった3個の流れ星が、遠い遠い青春時代にKAIを導いてくれた。

またふつふつと、やる気が湧いてくるのであります。 KAI

October 18, 2009

天気と景気と壁紙と、あと週末テニス

天気と景気と壁紙。なんの話か、種明かしは後にして、やっと天気が安定してきた。

暑くもなく寒くもなく、こうして気持ちのいい秋晴れが続くと、つくづく私たちの気分なんてお天気次第なんだと思ってしまう。

そして思うのが、最初にお天気があると言うこと。最初にお天気があって、このお天気の中で、私たちは生かされていると言うこと。もちろん、予知能力の問題はあるけれど、私たちはこのお天気を無条件で受け入れるしかない。と言うか、受け入れると言うより、お天気の中に溶け込んでいる、あるいはすべてが繋がっていると言うべきかもしれません。

自然治癒力と言う言葉がありますが、この自然とは何か。自然に治癒する力と解してしまうと、何か意味合いが違ってくる気がします。この自然とは、例えばこの「天気」と言う「自然」の治癒力と考えるべきではないのか。

すなわち、「天気」と言う「自然」には、最初から「治癒力」と言うポテンシャルが備わっていて、人をはじめとした生命は、このポテンシャルの中で生かされていることこそ、生命の本質ではないかと思うのです。

ですから、例えば「奇跡のりんご」が証明するような、農薬漬けの環境で育ちすでに自然治癒力を消失してしまったりんごを、無農薬の自然の山林の環境に帰してあげることにより自然治癒力が回復すると言うのは、話がまったく逆なのです。

農薬漬けの環境とは、元から自然治癒力と言うポテンシャルを消失した環境であるからして、当然のようにこの中にある生命体が治癒されることはないと言うのが、本当の話であります。

「天気」も同じこと。雨が降ろうが風が吹こうが、この「天気」が「自然」であることに変わりはありません。しかし、これが農薬漬けと同じように、エアコン漬けの自然の天気から隔絶すればするだけ、「自然治癒力」の喪失と言う迷路に迷い込んでいくことになる。あるいは、「自然」と思っている「天気」自体が、すでに中国から流れてくる硫酸やまさに言葉どおりの「農薬」漬けかもしれません。

そして「景気」。

当然のように「景気」とは、人為の所産であり「自然」とは違うと言うご意見もおありでしょうが、人為の及ばないのも「景気」であり、これはすなわち形を変えた「自然」であると言えます。

とすれば、「景気」そのものの中に自然治癒力があると考えても、なんらおかしくはないはず。不景気と言われる中でも、伸びていく企業こそ、「不景気」と言う「景気」の力によるものと考えると、不思議と力がむくむくと湧いてくるような気がするのです。

あと「壁紙」。もちろん、パソコンのデスクトップの画面のことですが、KAIのパソコンの画面は10数年ずっと、海辺の風景写真のまま。

この一番の理由が、飽きないこと。朝一番に開く、オフィスのパソコン。考えてみれば、この海辺の画面には仕事を始めることのできる不思議なエネルギーがあるのかもしれない。海辺と言う自然の風景には、人工物にはない何か大きな力を感じるのです。

つまりこれは、天気にも、景気にも、はたまた写真までにも、ある種の力があると言うこと。すなわちこれが「大気」の力なのです。私たちを大きく包み込む「大気」の中で、これが天気や景気あるいは写真を通して、私たち生命の力となって作用している。

ですから、私たちにとって重要なことは、この「大気」の力を常に意識し感じることであります。「生きている」ではなく「生かされている」と感じることです。

週末テニスも、この「大気」を感じる絶好の機会。

「大気」の流れを実感できる時は、まことに調子がいい。今週がまさにそれ。

結果は、土曜、6-3、0-6、4-6、0-1の1勝3敗ながら、ネモトくん相手に最高に気持ちいいテニスができる。日曜も、7-5、7-6(8-6)、1-3と2勝1敗。第2セットのタイブレーク。1-6とあと1ポイントで万事休すからの大逆転。

絶好のタイミングで、「大気」の流れを味方にできる。勝敗を決する、一番重要なポイントと言えます。 KAI

October 17, 2009

ITをICTと呼び始めて、おかしくなった

ITをICTと呼ぶのは、運送業界を運送道路業界と呼びようなもの。まったく意味が変質してしまった。

ICT(Information and Communication Technology)は、多くの場合「情報通信技術」と和訳される。IT(Information Technology)の「情報」に加えて「コミュニケーション」(共同)性が具体的に表現されている点に特徴がある。ICTとは、ネットワーク通信による情報・知識の共有が念頭に置かれた表現であるといえる。

情報の共有化という点において、ICTはITに比べても一層ユビキタス社会に合致した表現であるといえる。日本でも、2000年頃に盛んに提唱された「e-Japan構想」では「IT」が盛んに用いられたが、2005年を始点とする「u-Japan構想」ではもっぱら「ICT」が用いられている。総務省の「IT政策大綱」も、2005年までにはすでに「ICT政策大綱」に改称されている。
IT用語辞典バイナリ >ICTとは

このユビキタスに加えて、携帯を含めたいとの思惑があったと、KAIは邪推しますが、通信なんて言うのは電子電気機器における電力と一緒。まったく議論の次元が異なるものを一緒くたに議論するから、おかしくなるのです。

突然、なんでこんな話題を取り上げたかと言うと、今朝少々悩ましいメールを受け取ったからです。私信ではありますが、さしさわりのないところを引用すると。

ICT業界に限定しない方向性での発展
そこへ行くと元気になる
新しい技術ではなく、次の方向性・可能性を追求


このメールは、KAIが個人的に所属する団体の事務局から今後の活動方針への提言を求めて届いたものです。

さてKAIはこれに、どう答えるか。

それにしてもICT。ずっとこれが気になっていたんです。その気になっていた意味が、今朝のメールで突然わかった。

そうなんです。ICTには、「元気になる」が、まったくないんです。「元気」が、なぜITにはあって、ICTにはないのか。もちろん上に書いたように、ICTには次元の異なる話が入ってきているからと言うのも、一つの理由でしょうが、本質はどうもそうではない。

そもそもITって、なんなのか。これを考えて、「元気」の元の本質が見えてきました。

ITとは、他のなにものでもない、「ソフトウェア」そのものなんです。この「ソフトウェア」にKAIは、学生時代からいまのいままで何十年もずっと「恋」をしてきたのです。「ソフトウェア」のことを1日考えているだけで、幸せなんです。

そんなITくんに、「C」なんて余計な虫がついて、こちとら大迷惑。

そうです、団体の活動方針。「ソフトウェア」への回帰です。元気の出る「ソフトウェア」の発見。これでいきましょう。 KAI

October 11, 2009

岡田監督と野村監督、あと週末テニス

監督の悲喜交々。

世の中に、監督と呼ばれる人は、まことに多い。しかし監督とは何かを理解している人は、きわめて少ない。

特に、楽天社長ほど、この世に監督の意味を理解していない人間はいないのではないかと、KAIは真剣に思う。監督とは、現場の総責任者である。その責任者が、これから自らの使命である決戦に立ち向かおうとする矢先に、その結果を問わず監督解任を通告されるなどと言うのは、恐らく人類史上初めてではないかと、KAIはオーバーにではなく、思う。

おまえ、勝っても負けても、クビだから。しっかりやれよ。

一体誰が、これで戦う気力を維持できるでしょうか。

しかし、それにもまして、なんでこんな仕打ちを受けなければいけないのか。まさに、疑問はこの一点にあります。

野球のやの字も知らんで、ようやれますな。

恐らく三木谷は、野村に最初こう言われたのでしょう。ホリエモンへの対抗意識だけで球団経営に乗り出しただけに、うむを言えない。今季シーズン初めの三木谷にとって、やっとめぐってきた意趣返し。まさに野球も知らない、監督の意味もまるで知らない男にとって、契約どおりの話をすることに何の躊躇もいらない。

すでに野村効果は、負けても勝っても必ず「ぼやき」映像が流れ、スポーツ紙の1面を独占する形で、何百億もの貢献をしていることは、一切無視。昔から、楽天って虫が好かない。そう思ってきた消費者の感性は、正しい。これをきっかけに、大量の消費者の楽天離れが起きるのは、目に見えるようです。

さて、野村監督の去就やいかに。野村楽天が日本シリーズを制して、三木谷が折れる。しかし野村は、去る。これしかありません。

監督の力とは何か。これを理解できない三木谷は、映画監督の黒沢を勉強しなさい。映画も野球も、監督の仕事はまったく同じです。黒澤が映画に君臨したように、力のある監督こそ、球界の宝なのです。

そして、もう一人の監督。岡ちゃん。

やっと、思うサッカーができたと思う。ポイントは、ツータッチパス。いままでいったいなぜ、まともにこれができなかったのか、不思議でしょうがない。

縦パスとこのツータッチパスは、セット。オシムが目指した動的フォーメイションの、キーポイントです。

奇跡的回復をみせるオシムが記者会見で言った言葉「もっと走れ」こそ、いみじくも岡田サッカーの点を取れない理由を説明しています。つまり岡田サッカーには致命的に「走り」が足りない。

オシムの哲学は明確で、ボールを中心とした動的フォーメイションの中で相手を常に上回るスピードによってボールを支配すること。ボールを支配することができれば、それはすなわち得点に結びつくのです。
暗雲岡田ジャパンと週末テニス

もともと岡田は、守りの人だった。だから点は入れさせないかわりに、点が取れない。なぜなら、点を取られない体勢から、点を取りに行く体勢が不連続だからです。岡ちゃんは、守り抜いたあとのカウンターアタックで点を取れると考えた。しかし、この作戦がいかにもろいか。そうです、カウンターアタックが予想されれば、守るのは簡単。攻め込み過ぎないようにするだけです。

そうこう経験する中で、やっと、動的フォーメイションの意味が分かった。動的フォーメイションとは、点を取るための体勢であると同時に、点を取られないようにするための体勢だと言うことが。動的フォーメイションを維持すれば、万一相手にボールが渡っても、クイックで守備に入るだけの位置をキープできる。

問題は、いかにこれを選手に教えるか。Jリーグの監督と違って、選手との時間はきわめて限られる。そこでとった作戦は、「教える」ではなく「選ぶ」でした。ツータッチパスの意味を理解し既に試合で実践している若手を選んで起用する、でした。ベテランも、積極的にリーダーとなってこれをやれる者だけを残した。

そして、この結果は、香港に6-0、スコットランド戦2-0。得点より零封が大きい。いつも必ず失点を許していたこれまでと大きく変わった。

さて、これがW杯のトップチームにどこまで通用するか。この鍵を握るのが「体力」です。90分フルに走って戦える体力をこれからいかにつけることができるかが、勝負です。

これに岡ちゃんがいかに答えを出すのか。ますます楽しみが増えました。

で、週末テニス。

今週の話題は、なんと言っても、ラケットのグリップ。Y木さんに薦められて、グリップをゴム状樹脂製に変えたとたん、世界が変わった!

なんと言うこのフィット感。最初はこの吸い付くような感触に多少とまどいながら、それでも今までとまったく違う。思ったとおりの面を作ることができるから、小気味いいくらいボールをコントロールできる。

いましばらくは、この感触に慣れる必要があるけれど、さっそくその成果が現れた結果は、土曜、6-3、0-6、6-2、2-3の2勝2敗。日曜、6-1、6-4、2-6、1-0の3勝1敗。まことに、安定した内容であります。

他にも、こんなちょっとしたことで、大きく変わることが、あるのではないのか。ひとしきり思いを巡らすKAIでありました。 KAI

October 10, 2009

逆進する技術、逆行する身体

Twitterについて、いままでここで一度もコメントしなかったのには、訳があります。それはKAIがTwitter自体にまったく興味が湧かなかったこともありますが、いま一つTwitterと言う機能の歴史的意味合いがつかめなかったからです。

しかしここにきて、Twitterとは一体なんなのか、やっとわかりました。

この閃きの切っ掛けになった記事がこれです。

 欧州を起源とする近代技術は、道具→機械→システムという流れで発展してきたが、日本はその都度、機械→道具、システム→機械という逆の流れを作り出して近代技術にうまくキャッチアップした---。『ものつくり敗戦』でこんな「歴史観」が披露されている。
「逆進」する日本

ここで言う「逆進」、逆の流れとは何を意味しているか、技術と言うものが常に身体性を帯びていることを前提に考えれば、これは簡単に理解できることです。

技術の身体性とは、例えば飛行機に対する鳥、自動車に対する馬車、電話に対する糸電話、電子メールに対する手紙のように、目の前に出現した新しい技術に対して私たちは、自分の身近にあるモノを通して理解し、その技術を自分の身体の中に受け入れ、取り込むことができる、このことを技術の身体性と言います。

随分昔の話になりますが、近々出る東芝のダイナブックの新製品向けにアプリケーションを開発していた時、テスト用マシンとして東芝の府中工場から私たちのオフィスに送られてきた「新製品」を見て、腰を抜かすくらいびっくりしました。

なんと筐体がすべてベニヤ板だったのです。そこにMPU、メモリー、電源装置、冷却ファンなどがビスでとめてあり、デスクトップ用のキーボードがついていました。もちろん液晶のディスプレイもベニヤ板に貼り付けてあり、とても「マシン」と呼べる代物ではありませんでしたが、これがKAIにとってパソコンを、子どものころ遊んだラジオの組み立てキットと同じ自分の身体レベルで理解することができるようになる、思いもよらぬ貴重な体験となったのです。

先に引用した記事の、日本の「ものづくり」を支えてきた技術者たちも、繰り返しこのベニヤ板のダイナブックの試作を通して、新しい技術を自分たちの技術としてものにしていったに違いありません。すなわち技術の「逆進」とは、技術をより身体に近づける活動に他ならないと言うことであります。

しかしこの「逆進」がうまくいかなくなってきた。

 そしてこの「第三の科学革命」が起きた後でも、日本は産業革命時に「機械」から「道具」に逆流の道を作ったように、「システム」から「機械」へという逆の流れをつくった。機械化されても「道具」は残ったように、システム化されても「機械」は残る。その一つが「機械」をベースにした製造技術であり、日本の製造業は製造技術に磨きをかけて80年代にかけて躍進した。日本は欧米が進む道をキャッチアップする中で、欧米が置き忘れたところを「逆進」によってカバーして、むしろ本家をしのいできた、ということだろう。

 しかし、この「逆進モデル」が通用しにくくなったところに、今の日本の製造業が置かれている難しさがある。「第三の科学革命」がさらに進展し、システムがソフトウエアによって主導されるにつれ、システムから機械への逆進の道は細くなりつつあるという。「理由のひとつは、ソフトウエアによって機械の制御が速く正確に巧妙になり、熟練した技能に置き換わりつつあるからであり、もうひとつはソフトウエアが完全な普遍性をもっているからである」(本書p.188)と著者の木村氏は説く。
「逆進」する日本


この「逆進」がうまく機能しなくなった理由も簡単です。ソフトウェアと言う技術の「逆進」とは、技術を身体性に近づけることを通り越して、身体性そのもの、すなわち身体化を意味しているからであり、身辺にあるモノを通して理解することは、もはや原理的に不可能になってしまったからです。

言わば、モノの技術の「逆進」が身体性といかに近づくかと言う距離空間問題であるのに対して、ソフトウェア技術の「逆進」は、過去の思考体験と言う身体内部における時間空間への「逆行」と言えるわけです。

で、肝心のTwitter。Twitterについて、以前ここで何度か紹介した(ゲーム業界の沈滞を打ち破る方法ネット社会をよりリアリティのあるものに(その2))松村太郎さんがこんなことを書いている。

Twitterで生活の何が変わったか?

 ライフスタイルセッションの最初のテーマでしたが、僕は生活の様々な可視化という意味合いでTwitter Codeを紹介しました。海外のサービスなどで自動的に作ってくれたり、もっと凝ったモノが作れるそうですが、ひとまず自作のものをお見せしました。

 ヒマナイヌのカワイさんが真っ先に「ライフスライスだ!」とおっしゃっていた通り、自分の情報発信がBlogや日記のおおよそ1日単位から分単位まで短縮されたメディアがTwitter。だからこそ、自分の生活が文字や写真、あるいは動画で可視化されるというか、アーカイブとして記録され、後で振り返ることが出来るようになっている。
Time, Place, and Social Network - 行動が情報を変える


このTwitterによって分単位の過去が可視化できるのは、もちろんソフトウェア技術による身体の「逆行」効果なのですが、この本質はもっと別のところにあります。

それは、メールと比較することでよくわかることですが、メールの場合、公開の有無を問わず過去のメールを見ることとそのメールを書く人物の思考過程あるいは感情の変遷を知ることとは、ほぼ同義の行為と考えられます。

しかし、Twitterではそうはならない。いくら時系列に「つぶやき」を並べてみても、これが本人が行う主体的な思考過程とはならないことは、誰が考えても明らかなことです。むしろ、記録され伝播される「つぶやき」の集合とは、解体された身体と言う「個」の象徴以外のなにものでもないのです。

この解体された「個」が、身体を超えて機能したのが、先日の首都圏を襲った台風による交通機関の「つぶやき」情報。この事例こそ、「つぶやき」とは身体が解体されることではじめて機能するものであることが、端的に示されているのです。もちろんそこには、「個」はすでにあとかたもなく存在することはありません。

ただ、KAIは、これが無性に気持ちが悪い。自己の過去と言う身体が無意味に解体され、細分化されていくことに、どうしても耐えられない。まともな人間にとって、自己の存立基盤となる「身体」は、たった一つである必要があるのです。

だとすれば、唯一の可能性は、「つぶやく」者たちには「スライス」可能なもう一つの身体があるとしか考えられません。これはまさにネット空間における、2チャンの「匿名」に継ぐ第3の自己、「実名」と「匿名」両方の性質を兼ね備えた、言わば「量子化した自己」であります。

なるほど、Twitterで何が起きているのか。それは身体の量子化と言う、凄まじい変化です。人は、果たしてこの環境にいかなる適応をし生存していくのでしょうか。他人事ながらまことに興味深い問題であります。 KAI

October 09, 2009

期限の力

鳩山首相の期限を切った日ロ交渉に、櫻井よしこがかみついている。

 発足以来、新機軸を打ち出し続ける鳩山政権に対しては、期待と懸念が相半ばする。
(中略)
 まず、総選挙で大勝して以降、鳩山氏が披瀝(ひれき)した北方領土問題に関する発言をたどってみる。

 選挙直後の8月31日未明の記者会見で、氏は「祖父一郎がロシアとの間で共同宣言を樹立した」「私も同じように、ロシアの、例えば北方領土問題の解決などに力を入れて参りたい」と述べた。

 9月17日、ロシアのメドベージェフ大統領との電話協議後、領土問題について「できれば半年で国民の皆さんの期待に応えたい」と述べた(「日経ネット」)。
(中略)
 熱意と意欲は大いに買おう。しかし、祖父一郎氏の「功績」や56年の日ソ共同宣言の厳密な分析なしに、「半年間で」、あるいは「われわれの世代で」と、領土交渉の期限を切るのは外交の下策である。期限を切ることは、交渉相手を不必要に有利にし、自らの立場を弱めるからだ。
【櫻井よしこ 鳩山首相に申す】国益のための領土交渉 (1/3ページ)

期限の力と言うものを理解しない人が、この話を読んでも、何が問題なのか理解できないでしょう。

期限の力とは、すなわち期限を守る者と期限を守らせる者との力関係を意味します。

人対人、国対国。どちらがこの力を行使するか。当然期限を守らせる方が力を行使できるのは、明白です。

例えば上司が部下に期限を切ることはあっても、通常業務において部下が上司に期限を切ることはありえない。組織内部の話ではなくても、他人に期限を切ることができるのは、それができる立場にあるからであって、対等な人間関係と言う互いの認識の中では、互いがこの力を行使できないことは明らかです。

もし、この関係性において、自らに期限を課すとすればこれはいかなる意味を持つのか。

それは、自らが意図的に、自らの立場を力を行使される側に置くことに他なりません。政権公約で、国民との力関係を前提とするのとは、まるで意味が違います。

実はこれは、ここで何度か議論してきた「レトリック問題」そのものであります。

これと同様の問題が、件の日本の過去に対する「自虐史観」と、日本の将来に対する「悲観論」です。前者は、日本の過去を貶め、後者は、日本の未来を貶める。そもそも、こんな「自虐史観」も「悲観論」も、ほんの一部の日本人とメディアが扇動しているだけのこと。同様に、日本人が「水平的」と言う「ウチダ仮説」も、これもまたメディア主導の自虐的レトリックの一つに過ぎません。

このレトリックにかかれば、米国に対する日本も、過去の日本も、未来の日本も、彼らにとってはたちまちすべてが、自分たちの主張の正当性の根拠と化します。しかもウチダ先生も書くように、日本人読者はこのレトリックに馴染みやすい(つまり簡単に引っ掛かる)。

これがなぜかと言うと、日本語独特の叙述的思考方法にあると、KAIは考えています。

語順の制約を受けない日本語には、過去も未来もその区別はありません。すべては絵巻物の世界として、今の中に空間的に配置されます。この意味では確かに日本人は「水平的」です。対する漢文や英文の世界では、語順と言う時間的配置こそ、その意味の根幹を成す。まさに思考のレトリックとしての、言語のその特性があるのです。

と言うことで、ことの本質がこの「レトリック」にあると考えると、すべてが納得できます。レトリックとしての自虐史観であり悲観論であり、オバマの演説に引き換えだと言うことです。しかもこのレトリックは、これは随分話が飛躍しますが、日本語の謙譲語と同じ構造になっています。

ただ違うのが自分自身が謙るのではなく、微妙に自分の所属しない、日本の過去や未来、はたまた現在の自分以外の日本を謙らせる。自分はしっかり安全圏におく。まことに姑息なレトリックであります。
レトリックとしての自虐と悲観

このレトリックは、実にエネルギー効率がいい。なにせ力関係における相手を最初から排除できる。最初から「私が悪うございます」と言えばいいのですから。

しかしこれは、国対国ではすまされない。この人たちに、これが国益を著しく損なうことになるとの認識は微塵もありません。北朝鮮の狡猾さは、あらゆる国際社会から与えられた期限を反故にすることによって、この期限すなわち力関係自体を無力化する試みとみなすべきであります。

2020年までの温室効果ガス25%削減目標と言い、鳩山の身体にはアプリオリにこのレトリックが染み付いているようです。

しかし、鳩山は「首相」。日本の代表者ですから、決して「安全圏」にはないはず。と思いきや、最初から「宇宙人」でした。もはや何をかいわんやであります。 KAI

October 04, 2009

「思い」の力とは、「思い」を伝えることと週末テニス

稲盛和夫。彼のこの話を、KAIはいままでいったい何度聞いたことでしょう。

 京セラを創業して間もない頃、松下幸之助さんが京都に講演会に来られた。ぜひ話を聞いて聞いてみたいと駆けつけましたが、既に満席で、出入り口に立ちながら聞きました。
 印象的だった話が、有名な「ダム式経営」です。事業がうまくいった時にはそのお金をためて、次の不況に備えるような余裕のある経営をすべきだという話です。
 講演が終わり、質疑応答です。ある中小企業の社長が立ち上がって、「余裕のある経営は、全くその通りだが、余裕がないから困っているのです。どうすれば余裕を持てるんですか」と聞いた。会場の皆が「そうや、そうや」と言わんばかりに拍手をしました。
 それに対して、幸之助さんは一瞬黙って下を向いて、すっと顔を上げた。そして一言。「いや、そう思わんといけませんな」。
 具体策を聞きたかった会場は、期待通りの答えになっていないからか、苦笑が起こりました。
 しかし、私は幸之助さんの言葉に、思わず「そうだ」と感じました。たとえ経営が苦しくても、打開策は自分で考えるしかない。まずは、自分の今の惨めな経営状態、余裕のない経営状態を変えないといけない、と強く思わなければ、打開策が生まれるはずはないと教えられました。
 この「思い」こそが、企業の永続を考えた時に、最も重要な要素となるのです。
(日経ビジネス、賢人の警鐘、「日本的経営」再考−「思い」をもっと伝えよ、稲盛和夫(京セラ名誉会長)、2009/10/5、p.116)

週末、ポストに入っていたいつもの日経ビジネス。ぱらぱらとページをくっていたら、この記事が目に。

いつもいつも思うんだけれど、ほんと、人と人との出会いとは、なんとも不可思議であり、運命なんだとしか言いようがない。稲盛にとって、この幸之助との出会いがなければ、一介の中小企業のオヤジで終わっていたかもしれない。それが稲盛が、何十回いや何百回と繰り返し持ち出して話すこの出会いを境として、彼の人生は大きな飛躍をとげることになるのです。

稲盛は、なぜこの話を、何度も何度も繰り返すのか。いまやっとそれがわかった。この繰り返すことにこそ、「思い」の力の本質があるからなんだと。「思い」の力とは、繰り返し「思い」を伝えることなんだと。

 私もそうですが、多くの人は「若い世代に任せる」とすぐに言ってしまう。世代交代はもちろんその通りなのですが、先輩・先達として若い世代に「思い」を伝えないといけない。
(日経ビジネス、賢人の警鐘、「日本的経営」再考−「思い」をもっと伝えよ、稲盛和夫(京セラ名誉会長)、2009/10/5、p.117)


ありがたきかな。今やるべきことは何か、思わぬ形で啓示があった。なるほど、繰り返しこの「思い」を伝えなさいと。

もはや躊躇してる場合ではないんですよの、週末テニス。

土曜の朝、直前の天気予報がまるであたらない。気持ちいい晴れ間の中の秋の陽射しから一転、出かける頃には、なぜか曇り空に。おまけにコートに向かう途中からぱらぱらと降ってきた。しかし心配するほどの雨脚ではない。

と言いながら、ゲームを始めた直後からけっこう強く降り出した。もちろんこれで止めようと言う人は、誰もいない。O谷さんの負傷が長引いて、本日はサコタくんとネモトくんのダブルコーチ。Y木さんとペアを替えながらの結果は、4-6、6-1、7-5、1-2の2勝2敗。雨もほどなくしてすっかりあがった。サコタくんとのコンビネーションもだいぶ慣れてきた。万事視界良好。

日曜、天気良好。引き続きO谷さんの替わりにネモトくん。日曜テニスに、ネモトくんが参加するのは初めてかもしれない。M田さんが入って、この組み合わせは史上(ちょっとオーバーなんだけど)初めて。しかしこれがよかった。これだけで、すべてが変わって、最高に面白い試合の連続。結果も、6-2、1-6、7-6(7-3)、2-1の、3勝1敗と絶好調。

やっとやるべきことが見えてきたと言うことです。ひたすら邁進あるのみ。 KAI

October 01, 2009

写真の力と時間の力

写真とは何か。いままでずっと、写真とは瞬間と言う時間を切り取るものだとばかり思っていた。

しかし、どうやらこれが大いなる勘違いであることに、やっと気がついた。

 −−それで、明確なコンセプトを持った作品を発表していく

 杉本 現代美術としての展開を考えて行き着いたのが、「観念を目に見えるかたちにすること」です。抽象絵画と同じことが写真でもできるんじゃないかと。まず考えたのが、「時間を視覚化する」ことでした。

 −−世界各地の海を水平線を中央にした同一の構図で撮影した代表作「海景」もそんなコンセプトで? 

 杉本 古代人が見た風景というのは現代にも残っているのだろうか? そんな疑問が始まりです。地上はすべて人間が破壊の限りを尽くしているからもうダメ。でも海の場合は今でも共通に見ることができるんじゃないかと。そこで、古代人の気持ちになって海を撮影することを試みたわけです。東京湾では交通量が多くて撮れない。ニューヨークの近くも同じ。人里離れた過疎地みたいなところには、そういう人類発生の起源にたどり着くような風景は残っているものです。

 −−撮影の裏話を

 杉本 気象予報士みたいな能力が必要ですね。雲の流れを見ながら、どちらの方向に行くと波が静かであるとか…。月の出る位置や太陽の出る位置なんかは行く前にすべて計算しておく。現場に行ったら、ローカルな新聞を買って、潮の満ち干を確認する作業です。あとは地形を見ながら、すぐに移動した方がいいのか、もっと粘った方がいいのかそのつど判断していきます。
【話の肖像画】世界文化賞受賞 時を撮る(上)写真家・杉本博司


なるほどね。気象予報士と言われて、ピンと来ました。

いままでKAIが考えていた写真と言うものは、今目の前にある瞬間の光景をカメラで切り取ると言うイメージをずっと抱いてきました。しかしそうではなく、写真とは目の前の時間の流れをフィルムに写し取るものである、と言うわけです。この「時間の流れ」を「歴史」に置き換えても、同じ意味になります。

そう考えたとき、なぜか何十年か前に見た1枚の写真が、脳裏に浮かんでくるのでした。それは確か朝日ジャーナルだったかの1頁で、日焼けして赤黒い(白黒写真だから想像だけど)顔に深いしわをきざんだ漁師の写真です。この深いしわが、漁師の人生すべてを物語っている。

実は、KAIは、写真を見るのは大好きだけど、撮るのはなぜか大の苦手なのですが、なるほど写真とは、こう言うものなんだと考えると、この苦手の訳が分かる気がします。

苦手と言うのは、要するに「下手」ってことです。いつもなぜか必ずシャッターを切るタイミングがうまくつかめない。別に動いているものを撮る時だけでなく、漁師の写真のようにじっとしている人物の顔を撮るだけでも、微妙にタイミングが外れて不自然な表情になる。

母親の撮った子どもたちの写真は、満面の笑みなのに、KAIが撮った子どもたちは、いつも表情が寂しい。いったいなぜなんだ。この不条理の訳は、KAI自身の中にあった。ファインダーで、笑顔を見てからシャッターを切るのが、いけなかった。毎日毎日子どもたちと一緒にいる母親は、子どもたちがどこで笑みを浮かべるか最初から知っている。だから、このタイミングを外さない。

被写体の気象予報士になれ。

そして、もっと重要なことも分かった。

 −−古美術品の収集にも熱心で、自作と並べて展示されています

 杉本 時間の概念というのが自分の作品の根幹をなすものなんですね。時間を感じるのに、手っ取り早いのは古いものを身近に置くこと。縄文の土偶とか土器を眺めつつ手にとってみると、何千年何万年という時間がスーッと意識の中に入ってくるわけです。今の一瞬一瞬じゃなくて、自分の命というのは連綿と古代につながっていくという意識を植え付けることができる。古美術のコレクションなしには自分の作品も成り立たない、という両義的な関係にあるわけです。(海老沢類)
【話の肖像画】世界文化賞受賞 時を撮る(下)写真家・杉本博司(61)


今の一瞬一瞬じゃなくて、自分の命というのは連綿と古代につながっていくという意識」とは、なんともすごい言葉です。被写体の中に、古代からつながる永遠の命を見ると言うこと。

KAIもまた同様の体験をしていることを、思い出しました。

この光景とこの中にいる感覚は、具体的に思い出せないけど、昔何度も体験してきた気がする。そう神社の境内に立つ巨木の霊気のようなものか。なるほど京都金閣寺側の天皇陵、伊勢神宮、出雲大社、大三島の大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)、いずれでも感じた不可思議な感覚を、この公園の古木からシャワーをあびるように感じて、林を抜ける頃には、なんだかまるで別の自分であるかのような気分になってきた。

清々しいとは、こう言う気分である。
古木と温泉で復活

巨木の霊気とは、時間のエネルギー。昨日の伊勢神宮の式年遷宮と時間の力の話と、そのまま繋がる話です。また、何かの啓示があるのでしょうか。 KAI