August 31, 2009

選挙と週末テニス

民主党が勝ったのではない。自民党が完璧なまでに負けたのだ。

「地方を活性化するには、公共事業しかない」

落選した久間元防衛相の、選挙期間中のこの演説をきいて、自民党が自ら負けに出た選挙であったことが、より鮮明になった。こういった人が比例でも復活できなかったことは、解党的出直しを必要とする自民党にとって幸運でさえあります。

いまだ郵政選挙が例外と考えている人にとって、これだけの逆風の中小泉ジュニア圧勝こそ、自民党が真の保守政党として出直すためにどうすればいいかの、大いなるヒントがあります。もちろんこれが見えないから、小泉構造改革の意味も理解できないんだけどね。

それにしても、結果はどうあれ、ながらく霞がかかってもやもやしていた霞ヶ関と永田町。一気に霞が晴れた。これが選挙の効用ってもんです。何事にも、勝ち負けは必要ってこと。

週末テニスも、一緒。KAIの週末テニスは、ご承知のようにゲームのみ。試合をやって勝ち負けをつけるから、自分の弱点も分かる。それを克服して、ゲームに勝つための戦略も立てられる。テニススクールも、それはそれで経営上仕方ないんだけれど、練習ばかりやっていてもテニスは上達しない。

と言うことで、週末テニス(選挙から週末テニスに話を持っていくのに一苦労^^;)。

土曜。今年は夏の神様の出番が少なかったと鬱憤を一気に晴らすかのような、異常な炎熱テニス。持病の再発したO谷さんに替わって、3週連続のサコタくん。3週間ぶりのネモトくんのダブルコーチ。Y木さんとペアを交換しながらの3セット。結果は、2-6、6-2、3-3の1勝1敗1分と五分五分の勝負。サコタくんとのコンビネーションに慣れるまで、まだ時間がかかりそう。そうです、ダブルスはペアとの相性次第でどうにでもなるんです。

どうもKAIは、ペアに緊張を与えるようで、ダブルスのパートナーとしては最悪(たぶん^^;)。別に勝ち負けにこだわっているつもりはないけれど、そう思うこと自体がペアには恐らくプレッシャーになってると、確かに思う。思うけれど、ではどうしたらいいかは、わからない。「自分の弱点」は分かる、でも「ゲームに勝つための戦略」いまだ見えず、なのです。

これが、端的に出たのが、日曜テニス。昨日とうってかわって近づく台風が一気に秋の空気を運んできて、おまけにぱらぱらと小雨がぱらつく。日曜のO谷さんのピンチヒッターは、練習なんかしなくても試合をやるたびに力を付けてきたウッシー。とはいえ、まだまだシロート。レギュラーメンバーの中で一番若いM田さんと組んだウッシー相手に勝って当然。とこれがいけないんだよね。

ペアのY木さんにプレッシャーを与えてしまったのか。結果は、4-6、4-4の1敗1分。残りの組み合わせは、6-0、0-6。

勝負事は、勝つか負けるか。しかし勝ち負けは関係ない。その結果から、何を学ぶか、ただそれだけが重要なんです。 KAI

August 30, 2009

ずっしり重い、塩焼き用鯛の切り身が398円

もうこれは間違いなく、再びデフレ突入です。

おい、責任取れよ!

民主党に投票した方々は、これから起きる経済クラッシュ(これは間違いなくおきます)に、もうまったくもって一言も文句をいえないと知らしむべきです。再び、あのつらくてかなしいデフレ社会に、また何年も耐えなければならないかと思うと、目の前真っ暗。

来年、参議院選挙で、自公逆転することで、ちょうど選挙前と真逆の状況にして、少しは光明が見えるでしょうが、更に3年政権交代がないと、経済は奈落に落ちるのは、間違いない。

しかし、つくづく思うのは、惨敗の自民党の中にあって、確実に当選を勝ち取った方々には、ある意味共通項があります。それは、自分の考えを「はっきり言う」に撤した人々であったと言うこと。これは「キーワードは「はっきり言う」」でいった通りのこと。

ま、しかし、これもあるいみ「革命」ですから、ひょっとすると、チャンスかもしれない。せいぜい、これを活かすことを考えることにして、ねよ。 KAI

August 28, 2009

人はなぜ「ばれる」ウソをつくのか?

それは「ばれない」と思う人が、ウソをつくからである。

福岡のひき逃げ警官といい、例の逃亡タレントといい、「ばれない」と思うのは、頭が悪いからである。しかしこれは、遺伝的に頭が悪いわけではない。遺伝ではなく、これは環境によるもの。

つまり、彼らや彼女らのいる環境では、ウソが「ばれる」ことがない。少なくとも表面上は、「ばれない」。だから「ばれる」ことがないと思って、ウソをつく。

いったいこのウソが「ばれない」世界とは、何か。それは、いってみれば負の「安心社会」。閉鎖的、閉じた社会であって、この中に住み続ける限り、この社会の住民にとってウソの「ばれる」心配のない社会。もちろん当の本人にとって、自分がこの閉じた社会の中にいる自覚は、もとよりあるわけではないのであります。

しかしこれが、開かれた社会では、そうはいかない。自分のいる閉じた社会が、いつの間にか開かれた社会に晒されていることに気づかないまま、ウソをつく。

どこかの女性党首のようにウソが「ばれない」と思い込んでいる人は、こわいもんなし。もちろんこれは、一部メディア村の住民も例外ではない。

ところが、いまやこれをインターネットが、ことごとく閉じた社会に風穴を開け始めた。

ここで重要なことは、インターネット自体に最初から「開かれた社会」があるのではなく、インターネットを介して「開かれた社会」が作られていく、あるいは「閉じた社会」が「開かれた社会」へと変化していくのです。

すなわち、事件となった警察や芸能社会だけでなく、政治もメディアも、ありとあらゆる今までの「閉じた社会」が、「開かれた社会」へと変化を余儀なくされている。そう言うことであります。

「開かれた社会」とは、「信頼社会」。この「信頼社会」の歩き方、生き方は、つい先日の「信頼社会的週末テニス」のエントリーでも取り上げたばかり。

「信頼」に足る「人間性」を磨くしか、これからの社会をウソをつかずにまともに生きる方法は、ないのであります。 KAI

August 26, 2009

もう元に戻れない

どこかの不良タレント復帰の話ではない。

 結局,目当てのライブ・チケットは,家族のソフトバンク携帯からモバイル版Yahoo!オークションにアクセスし,無事無料で入札した(落札はできなかったが)。久しぶりに普通の携帯電話からWebを利用したが,こんなに使い勝手が悪いものだったかと眼を疑った。月346円の特典がなくなったことに文句を言いつつも,iPhoneでインターネットを体験してしまうと,もう元に戻れそうにない。
便利だが,少しいじわるなiPhone

これぞ「ユーザーイクスペリエンス」の勝利。

しかし、それにしてもです。いったいiPhoneの「ユーザーイクスペリエンス」と、携帯のそれとは、どこが、どう違うのでしょうか。

これは、KAIも実際に体験して驚いたことですが、まさに「イクスペリエンス」。「経験」してみないことには、言葉だけではまるで理解できないことなのです。

もちろん、残念ながらKAIの体験とは、iPhoneではなく、すべてのアプリケーションをブラウザで利用することでしたが、この「経験」は、このKAIのコンピュータ技術者としての経歴を根底からくつがえすものになりました。

以前、「ユーザーイクスペリエンス」のことを「世界観」と呼ぶべき(ユーザーエクスペリエンスとは世界観のこと)と書きましたが、まさにこのKAIの「経験」はコンピュータアプリケーションの「世界観」を見事に変えてしまったのです。

それは、なにもブラウザでネットの「あちら側」を体験できるといった操作上の問題を意味しているわけではありません。そうではなく、いま自分の目の前にある「こちら側」の世界の中に、「あちら側」のルールや風景、すなわち「世界観」が、まるごと一挙に飛び込んだ来たことなのです。

iPhoneと携帯の「ユーザーイクスペリエンス」の違いも、これとまったく同じこと。

ネットの中のより自由な空間を、iPhoneは「ケータイ」の中にそのまま持ち込んできた。この「経験」は、それまで慣れ親しんできた、携帯の「経験」とはまるで違う世界。この世界にあって、いままでの階層化されがんじがらめにからめとられていたメニュー空間が、いかに私たちの思考空間を矮小化し、創造性を制限していたことに気がつくのです。

しかし、これはまた「体験」してみないことには、始まらない。つまりつべこべいわず買って使ってみろってことであります(笑)。 KAI

August 23, 2009

帯津良一先生の説く「生命の場」を実感する週末テニス

これまた、シンクロニシティ。

土曜テニスの朝。毎週金曜日の夕方届いても、いつもはビニールの封をあけないまま下駄箱の上に放置されている日経ビジネス。めずらしく今朝は目を通したら、ふむふむ意味ありなお話が。

 人間の体の中というのは隙間だらけなんです。臓器と臓器の間に、真空ではないが何もない空間がある。手術でお腹を開けるとそこに空気が入ってパッと広がるんです。この空間は何なのかと、ある日思ったのです。
 臓器と臓器の位置関係にも、どうやら意味があるらしい。食道ガンの手術で食道を取ってしまうと、食道の場所まで引っ張り上げてつないだ胃は、食道として働くようになる。手術後の患者さんの訴えは、胃の全摘手術と同じなのです。臓器は単独で機能しているだけではなく、周囲の空間や臓器を含めた「場」を形成しているのではと思い至りました。
(中略)
 会社には職場という場があります。場を作るのは一人ひとりの当事者ですが、全体をいい場に作り上げるのは経営者です。自分自身の場を高めるだけでなく、他人の生命の場にも思いをやることで全体の場が高まっていくでしょう。
(日経ビジネス、有訓無訓、誰もが持つ「生命の場」 日々高めるのが養生、帯津良一(おびつりょういち、医師・帯津三敬病院名誉院長)、2009/8/24、p.1)

この「生命の場」と言う概念は、ボルトの世界新記録のことを書いた「9秒58の秘密」と言う一昨昨日のエントリーの中で使った、「もっと大きな肉体」と言う言葉に、見事に一脈通じるものであります。

「帯津良一」でググると、「命のエネルギーを高める癒しの力・生命の力」と言うインタビューの記事がありました。この2004年の段階の、個人の中の「生命の場」あるいは医師と患者の間の「生命の場」から、2009年のいま、職場と言う「生命の場」まで、彼の考える「場」は拡がりをみせていますが、そもそも「生命の場」は、一人一人と言う個体としての生命を、もとから超えた概念であり、以前取り上げた「コスモス」と言う書籍のメインテーマでもあります。

それを、人間の集合である、組織や社会と言った概念と、この「生命の場」の違いを明確に示す言葉として、「もっと大きな肉体」と言う言葉を使ったのですが、この「肉体」こそ、それ自体の中に明確な意志を持つ存在であります。一人一人は互いに独立して行動していても、この「もっと大きな肉体」として、一つの「生命の場」が意志を持つと言うこと。

いまから30年近く前、除野健忠と言う一人の男が、二子玉でオープンしたスポーツクラブ。週末テニスと言う、KAIにとっての「生命の場」は、ここから始まります。ここから延々と続いてきた「生命の場」と言う流れ。なるほど、こう考えると、すべてが納得できます。

私たちは、いまのいま、横にいる人のことしか考えませんが、こうしてタイムスパンを1週間、1ヶ月、1年、10年と言う単位で拡げていくと、実はなんと多くの人とかかわりながら、しかし、家族以外の人たちの中に、「生命の場」と呼べる人たちとの継続的な繋がりだけが、明確に浮かび上がってくるのです。

日経ビジネスの記事に目を通して、ひとしきり感慨にふけったあと、しみじみと週末テニスに出かける。

土曜、先週から相手してくれるサコタくんが、めちゃくちゃ良い。何が良いかと言うと、さっきまでのしみじみとした気の流れです。30年来の「生命の場」の中に見事にはまっている。ずっといままで一緒にやってきたかのようで、まるで違和感がない。

サコタくんはどこから通ってるの?。大宮です。嫁の実家です。

まことに清々しい青年であります。と感服しながら、結果も6-1、0-6、6-7(3-7)、2-0の2勝2敗と、まことに奥ゆかしい気配り。

日曜テニス。今朝はすっかり秋の風が吹いて、楽勝モードと油断したのがいけなかった。日射しの中で始めたら、秋の空気と裏腹に、暑さは真夏と変わらない。おまけにこのところの朝の散歩をさぼっているのがきいて、足がもつれぎみ。ダッシュもきかない。もう限界の、6-3、1-6、3-6、0-2と、1勝3敗。こちらは、日頃の心がけの問題でありました。 KAI

August 20, 2009

9秒58の秘密

ボルト、驚異的な男子陸上100メートルの世界新記録です。

タレントの覚醒剤などと言うちまちました話は、どうでもよろしい。

ボルトは、人類数十億人の進化の最前面にいて、一人戦っている。いや、一人ではなかった。男女合わせて、次々とこのジャマイカの選手達が、人類進化の最前面に登場し始めた。

男子100m決勝8月16日

女子100m決勝8月17日

はたして、これが意味するものは、いったいなんなんでしょうか。

勘のいい人は、もうおわかりでしょう。

そうです、今目の前に見えているボルトの肉体は、もっと大きな肉体の分身にすぎないのです。この大きな肉体が、いまのいま、ここジャマイカに現れた。そう言うことであります。決して一人の力では、世界記録など更新できないのです。

つい先日亡くなった古橋廣之進。かれもまたボルト同様、いまから60年前第二次世界大戦終了時の日本社会に現れた大きな肉体の分身として、世界新記録を次々と樹立していったのです。

この話から、二つのことが言えます。

まず一つ。それは、人の身体と言うものは、見た目はそれそれ別々に分かれているようでも、実のところはしっかりと繋がって一つの大きな肉体として存在していること。

二つ目。ですから、新記録や、あるいはノーベル賞などと言うものは、決して一人でこれを獲ることができるものではない、と言うこと。

すなわち、9秒58を超える世界記録は、もちろんボルトがどこまでこの記録を更新するかですが、しかし、この彼のつぎの限界を超えることができるのは、一人の個人ではなく、一つの大きな肉体であり、これがもしかしてインドなる彼の地に現れるかも知れない。

大気の流れとは、そう言うことであります。 KAI

August 19, 2009

不可思議な真実

高速道路無料化の財源に、自動車税の増税があるとか。

《高速無料化の財源はやっぱり自動車税のアップだ》・・・

これだとちょっとした近場の自家用車による週末旅行を楽しむ家族を、直撃しますね。車を持ってるけれどふだん乗らない人が、バンバン高速道路を利用して稼ぐ人たちの、高速代金を負担することになる。え?彼らも自動車税が増えるって?

所有と利用の頻度の差が、まるでわかっていない。所有はいつまでたっても「1」でしかない。

食料自給率と言う指標の嘘を、誰もわかっていない。

食料自給率とは何ですか。


やっと先日のサンプロで取り上げられたけど、カロリーベースなどと言うマヤカシ。

カロリーベースで40%が、金額ベースでは70%。金額ベースでは、十分先進国の中でもトップクラス。にもかかわらず40%が一人歩きして農水省の省益、一本道。

金額ベース以外の指標は、知財取引を考えれば、一目瞭然。映画やプログラム製品の取引に、金額以外、いったい何が指標となりえるのか。

国旗変造罪でも、民主党は逮捕されない。

紙幣など貨幣を変造すると、刑法違反の罪に問われる。

しかし、この件は、KAI的にはちょっと驚いた。そもそも民主党の党旗が、よりにもよって国旗で作成可能だったとは!

それで、はたとわかった。(ちょっとダジャレ^^;)

民主党は党大会で国旗を掲揚しないそうですが、党旗の中に密かに国旗を(二つも!)掲揚していたんですね。すごいね。 KAI

August 16, 2009

ブランディングのキモに気づく週末テニス

日曜テニスの前の、フジテレビ新報道2001。この番組で、奇跡の売上を実現する男として紹介された、安藤竜二

「葉」を食べる男
「有機」は「勇気」だ

「おまえ、なに笑ってんだよ」
「この人、本気でやってるんだよ」


有機米のブランディング企画会議、テーマを絞り込む安藤と、それに笑ってこたえる社員とのやりとり。この場面だけで、安藤の「ブランディング」に取り組む姿勢が垣間見える。それは「ポジティブ」「ポジティブ」そして「ポジティブ」。あくまで「ポジティブ」に、である。

「ブランディング」命のKAIにとって、「ブランド化」は長年の夢。

しかしERPなんて分野が、悪かった。これを長い間引きずった末にたどり着いたのが、「通販」「ASP」。以前にも書きましたが、SEOとかSEMとか一切なしでYAHOO!もGoogleもトップに来ます。

ただしかし、これは「ブランド化」には何かが足りない、とずっと思ってきた。

そして、今朝の番組で、何が足りないか、はたと気づいた。

そうです、「ポジティブ」。安藤のような「ポジティブな気持ち」の視点が欠けていたんです。ソフトウェアですから、どうしてもその「機能」に目がいってしまう。だからついつい「簡単」だとか、「便利」だとか、「全てできる」だとかと言う言葉が前面に出てきてしまう。

そうじゃないんだよね。有機米と言うお米は、「人」が食べ直接口に入れるものなんだから、それが美味しいとか無農薬で健康に良いとか安心だとかなんてことは、当たり前中の当たり前のこと。そうではなく、このお米を作っている人の「本気の思い」、「本気の気持ち」が伝わらなければ、まるで無意味なんだよね。

同様に、私たちのソフトウェアも、「人」の口にこそ入れないものの、「人」の仕事のための手となり足となり目として直接「人」に「触れる」ものなんです。この「肌感覚」、いわば「温かみ」が伝わっていないことこそ、「ブランド化」に至ってない根本の原因なんです。

なるほどね。そう言うことでしたか。

テニスに向かう車の中で、一人なんどもなんども頷く。続きはテニスの後で考えることにして、肝心のテニス。先週書いたように、M田さんお休みで、Y木さん、渓流釣りキャンセルの危機。しかしこれもなんとかなるもので、T中さんが替わりに参加できると言ってくれた。まことにありがたいことであります。

と言うことで、イサカくん、O谷さん、T中さんと言う面子で、正午スタートの炎熱テニス。結果は4-6、7-5、1-1と、時間一杯までもつれにもつれる展開に、途中心臓がぱくぱくし始める。しばらくペースダウンして治まったけれど、ついついいいかげんにもうそう言う歳ではないことを忘れるんだよね。でも、ゲーム自体は好プレーの連続でまことに面白かった。

土曜テニスも、これまた面白かった。転戦中のネモトくんに替わって、コーチの大男サコタくん。サコタくんとは初めてのお手合わせに、最初は相手の出方をうかがいながらのゲーム展開が、途中からサコタくん、本気になった。2本もパッシングを喰らって、こちらも本気モード。大男だからなかなか上を越えられないのがストローク中心のラリーになってよかったのか、悪かったのか。しかして結果は、6-2、4-6、1-6、2-0の、2勝2敗。ま、こんなもんです。来週もサコタくん。若いってイイナア。今から楽しみです。 KAI

August 15, 2009

立秋になぜ人は本を読むのか(2)

先週買った4冊のうち、3冊まで一気読み。

リビングサービス(日経BP社、マーク シルベスター (著), モヒ アメッド (著), 斎藤 潔(日本語版監修)、2009/07)

なんのことはない。私たちがすでに実践してきたアプリケーションサービスの考え方、そのものの解説と言うか、実践マニュアル。

学校の勉強だけではメシは食えない!(こう書房、岡野雅行、2007/11/10)

 失敗することは悪いことじゃないんだ。全部経験として見れば、かけがえのない貴重なことなんだから。だけど、ひとつだけ注意がある。それは、失敗して騙されて、世の中に流されないことだ。最初自分が決めた道を突き進むんだ。そうすればその先に、成功が見えてくるだろう。(p.213)

たった6人の会社が、世界と伍して戦う。あれこれ迷っていたことが、これを読んで一気に吹っ切れた。やり方は決して間違ってはいないってこと。この岡野さんの言葉が、百倍の勇気をくれる。

そして3冊目。

パターン、Wiki、XP(技術評論社、江渡浩一郎、2009/7/10 )

もうこれは、KAIの考えてきた「自己組織化アプリケーション」の概念そのもの。これが建築家クリストファー・アレグザンダーのアイデアに起源があることを初めて知りましたが、要するに建築もソフトウェアも、その構成要件として「人」そのものの存在が不可欠であると言うことです。MVCにしろWIKIにしろ、その具体的な実現方法は別にして、私たちがこれらを実務レベルで20年以上に亘って実践してきたことの意味も、この本を読んでなるほどと納得できます。

書店で何気なく選んで買ってきたこれら3冊すべてが、私たちのアプリケーションサービスを取り巻く大きな流れが間違いなく「本流の流れ」であると、教えている。

これもシンクロニシティ。おかげで、いまやるべきことがはっきりした。 KAI

August 09, 2009

信頼社会的週末テニス

豊かさの代償。この日本と言う「豊かな」社会に生きることで、私たちは多くのものを失ってしまったかのように見える。

何度も書いた話だが、シャーロック・ホームズのモデルはエジンバラ大学医学部時代にコナン・ドイルが師事したジョセフ・ベル博士である。
ベル博士は、診察室に患者が入ってくると、患者が口を開く前にその出身地や職業や既往症を言い当てたという。
おそらく、ベル博士は患者から発信される無数の「前−情報的」なノイズの中から有意なものを瞬時に選り分け、それを総合して診断をくだす高い能力を有していたのだと思う。
けれども、そういう能力は多少の濃淡はあるが、私たち全員に潜在的に備わっており、それを開発する体系的なメソッドもかつては存在したのである。
識閾下で無数の「ノイズ」を処理して、それを「シグナル」に変換する能力を高めるための訓練法である。
いろいろなかたちのエクササイズがあったが、もう、現代人は誰もやらない。
「ノイズ−シグナル変換」を高速処理できる人間は気配りが行き届き、共感能力が高く、ひとの気持ちや「してほしいこと」がよくわかる。
逆に、変換能力が低い人は鈍感で、場違いで、他人の気持ちがわからず、人を誤解し、また誤解され、実際によく人の足を踏んだりする。
私たちはこの能力の開発にほとんどリソースを割かなくなった。
それは「資源が豊か」なので、限られた資源がもつ潜在可能性を網羅的に吟味する必要がなくなったからである。
コミュニケーション不調がこれだけ起こるのは、ひとつには私たちの社会が「あまりにも豊かで安全」になったからである。
現代はコミュニケーション能力が病的に低くても生きていける社会、つまり「ひとりでも生きていける社会」である。
そこではコミュニケーション能力を開発するインセンティヴは損なわれる。
当然のことだ。
それが私たちの社会を耐え難く住みにくいものにしている。
露天風呂から桜島

確かにこのウチダ先生の論には一理あるように見える。しかしこれはいわば「昔は良かった」式懐古趣味一辺倒の話で、何の解決も示してはいません。それにくらべれば、この山岸俊男氏が言うところの「安心社会から信頼社会へ」は、いま私たちがなにをなすべきかを具体的に示しています。

安心と信頼と言う二つのキーワードを手がかりに、耐震偽装や食品偽装に始まる今の日本社会の安心崩壊を、見事に予言し、その解決のための手がかりとなる指針を示すきわめて秀逸な良書です。

社会的不確実性を排除した社会によって担保されてきた、安心。社会的不確実性を前提にした社会においてこの不確実性を乗り越えるための、信頼。関係性検知能力に依拠した安心社会ではなく、人間性検知能力に裏打ちされた信頼社会。

いみじくも2008年現在、ブログやフェイスブックの登場は、この人間性検知能力に直結していて、ブログやフェイスブックを通して、人間関係における社会的不確実性、すなわち互いの情報格差が最小化され、透明性の高い社会に向けた動きが加速されようとしているのです。

閉じた社会によって社会的不確実性を排除し維持してきた安心社会は、今やこのインターネットによる開かれた社会と言う競争世界にさらされることで、安心崩壊の危機に瀕しており、これを透明性の高い社会に再構築することで、社会の中に信頼を取り戻すことができるのだと、山岸俊男は言うのです。
安心と信頼

要するに、「豊かさ」とは、多様性のこと。閉鎖的な一様社会で、高度に発達させてきた関係性検知能力によるコミュニケーションではなく、多様性社会に不可欠な人間性検知能力に基づくコミュニケーションこそ、いま、私たちに求められていることを自覚しなさいってこと。

思えば、この週末テニス。

テニスの時以外、一切互いのプライベートにもビジネスにも立ち入らない。スケジュールの連絡メールによるコミュニケーションだけで、何十年も続いてきた。互いの信頼なくしては一切成り立つはずのない関係なのです。

今週のように、たまにミスコミュニケーションは、ある。

土曜テニス。一緒に行くTジさんを迎えに行く途中で、O谷さんから電話が入る。あれ?今日は10時じゃないの?。メールに11時スタートですのでご注意くださいって書いたんですけど。読んだけど気づかなかったなあ。10時にコートに到着したけど誰もいない。

このO谷さん、午後仕事が入ってるから、12時半までしかできませんと言う。替わりの人間を手配するには今からでは間に合わない。しかし、これが幸いした。

いつものY木さんを加えて、11時からさっそくゲーム開始。うす曇にしては湿度が高くて汗がにじり出てくる。3-6、6-2、4-4ときて、丁度12時半。残り30分あるけれど、これはもう限界。O谷さんのおかげで救われました。

そして日曜テニス。

相変わらずの不安定な天気。湿度も高くて暑くてやりきれません。ゲームは、4-6、6-4と、2セットだけですでに1時半。1セットが、ながいんです。昨日同様、すでに限界ながら、時間まで持ちこたえて、1-4でお仕舞い。よくやりました。

ここで、M田さん、来週お休みさせてくださいとのこと。

困った。

来週は、Y木さんが渓流釣りに行きたいというので、ピンチヒッターにイサカくんを起用したとこ。Y木さん、渓流釣りはなしです。なんて非情なことは、言いません。誰か替わりの人が、きっといるはず。この信頼がなければ、何十年も続けられないのであります。 KAI

August 07, 2009

立秋になぜ人は本を読むのか

真夏の気分を味わうまもなく、もう立秋である。

1年時計の午後3時。午後6時の秋分の日まであとわずか。そう思って車を運転しながら見上げる目の前の空も秋の雲。空気もこころなしか秋の色。

この「1年時計」、昔こんなことを書いています。

四季を持つ私たちは、知らず知らずのうちにこの1年時計を身体に刻んで生きています。朝が来れば目覚め、食事をし、働き、また夜になれば眠るのと同じように、これを1年単位で繰り返して歳を重ねていく。つまり1日のリズムがあるのと同じように、1年のリズムがあって、その季節季節に合わせて身体も心も変化している。
寒い一日

この季節に合わせた身体の変化は、昨年、一昨年と決して同じ繰り返しではない。1年1年と言う年輪を重ねるように、身体の節々に齢を重ねていきます。同様にまた、心も季節季節に合わせて変化し、心の年輪を重ねていく。

「立秋」と言う身体と心の年輪とは。

それは、動から静、昇りから降り、成長から停滞、その転換点といえます。すなわちこの変化のスピードが落ちることで、年輪と言う密なる軌跡を残すことになる。この始まりの境目こそ「立秋」なのです。

生命に成長が不可欠なように、経済と言う人間社会にも成長は不可欠であり、しかし、これは必ず成長の後に停滞を伴う。この停滞、衰退を持って成長に疑義を唱えることは勝手だけれども、成長と生命が同義であることを忘れてはいけない。

これはすなわち、循環としての衰退と年輪としての停滞の違いでもあります。

分かりやすく言えば、来年の成長のために英気を養う、身体と心の栄養の蓄積モードに突入したと言えばいいでしょうか。

そう言う意味で、読書の秋、食欲の秋とは、よくいったものです。

リビングサービス(日経BP社、マーク シルベスター (著), モヒ アメッド (著), 斎藤 潔(日本語版監修)、2009/07)

学校の勉強だけではメシは食えない!(こう書房、岡野雅行、2007/11/10)

パターン、Wiki、XP(技術評論社、江渡浩一郎、2009/7/10 )

世界は分けてもわからない(講談社、福岡伸一、2009/7/17)

さきほど買ってきたこの本に、うえからかぶりつき。この幸せをなんと表現すればいいものでしょうか。 KAI

August 05, 2009

「きぼう」に希望はあるのか?

133日間、4ヶ月半にもおよぶISS(International Space Station)滞在から帰還した若田光一さん。スペースシャトル「エンデバー」から降り立つ若田さんの表情が、とても印象的であったから一層、それからインタビューに登場するたびに、若田さんの表情に大きな変化があるのが、気にかかる。まるで浦島太郎が竜宮城から帰って来て開けた玉手箱の煙をあびたかのように、日に日に老け顔に変わっていく。

ニュースのソースは忘れたけれど、本人自身も、現場に復帰するには3年かかると、明言。

しかし、この事実をメディアはどこも取り上げない。

このISS、宇宙空間にあってベニヤ板の箱同然ではないのか。宇宙線の被爆対策は万全なのか。

 実際の設計段階では、日本の技術者らは途方に暮れた。有人宇宙活動についてはほぼ白紙状態で、やり方が分からなかったのだ。
 助け舟になったのは、NASAから届いた段ボール5、6箱分の教材だった。飛行士の訓練用に、無重力や宇宙基地、船外活動などのイロハを丁寧に解説した資料で、JAXA執行役の長谷川義幸さん(58)は「みんなで貸し出しリストを作り、幕末のような雰囲気で必死に吸収した」と振り返る。
(産経新聞、「きぼう」から未来へ 有人宇宙開発の道のり=上=、米と次第に「対等な関係」に・異端児扱いの計画、小野晋史、2009/8/3、p.3)

そもそも、この程度のものと、認識すべきものなのです。

そして人体が、無重力の中でいかなる影響を受けるか。長いベッド生活を余儀なくされた体験をお持ちの方にとっては常識ですが、人が立って歩くとき、あまりの身体の重みに愕然とするものです。若田さんが、スペースシャトル「エンデバー」から降り立つときに、このことではなく、草の香りに言及したのにはわけがあります。

この事実は、とうの昔から宇宙飛行士の常識であり、いまさら言うまでもないと言うのもほんとうでしょうが、これを明言すること自体の影響を慮ったと言うことではないのか。

チューブで固定してルームランナーでトレーニングするシーンが紹介されていましたが、そもそもこの筋力トレーニングは、無重力空間における人間の骨や筋肉が耐荷重を受けないことをなんら補うものではありません。

一体人は、宇宙線にさらされ、無重力の中の宇宙空間へ、出て行くことができるものなのか。

宇宙開発とは、そもそものこの議論をおきざりにすることは、決して許されるものではないと、KAIは強く思うのであります。 KAI

August 02, 2009

「いしぶみ」に思いを託す週末テニス

世の中、まるで事前に思っていたことと異なる結果になることは、よくあることで、いわゆる意外な結末と言うのが、今週の週末テニス。

といっても単に、日曜テニスが雨で中止になっただけですが、これだけでは終わらなかった。雨のときのいつもの砧公園1周、アンジェロ、サウナのあと家へ帰って、夜8時。WOWOWで「おくりびと」が始まった。

この「おくりびと」、実はKAIはひそかにテレビでの放映を心待ちしていたことに、観終わったあとから気がついた。期待にたがわぬ内容に、感動すら覚えてしまったのであります。

本木雅弘演じる主人公が、幼い頃に分かれた父と、河原で遊んだときに互いに贈りあった石文。主人公は、大事にしまってあったこの父にもらった河原の石を、妻(広末涼子)に見せながら父の思い出を語ります。子どもの手には余る大きさのその石は、「いしぶみ」といって、むかしむかしのおおむかし、文字のなかった時代、自分の気持ちを相手に伝えようとして、その気持ちを一番表す石を選んで、贈ったと言う。

この石文が、この「おくりびと」の最後の最後の味付けになるのですが、これは映画を見てのお楽しみ。

久しぶりに涙をボロボロ流しながら観た。またチェロがいいんですよ。場面場面に流れるチェロの情感あふれる音色が、たまらなくいい。

なるほどね、アカデミー賞を受賞するだけの質の高い映画であることは、間違いありません。この「いしぶみ」といい、「チェロ」といい、あらゆる小道具に「メッセージ」がこめられている。いい映画と言うものは、そう言うものなんです。

2時間12分、観終わってしばらく眠れなかった。夜の10時はKAIにとって、とっくに就寝時間。これがあれこれ思い出したら、気持ちがあふれ出して、まるで収まらない。そう言う意外な結末の、週末テニスと言うわけ。

土曜テニスは、来週から3週間試合のためにお休みのネモトくんとウッシーの組み合わせ対Y木、KAIの3セットマッチ。

当然試合前の予想では、ネモト・ウッシーチームが1勝できるかどうか。

しかし勝負は非情。4-6、7-5、2-3と、最後は時間切れとはいえ、2勝も許してしまった。

ポイントは、最初のセット。いわゆる意識過剰で、ミスを連発。完全に自滅。相手に勝つ前に自分に負けてしまう、好例。

勝負事ではよくあることと、開き直るしかない。 KAI