もちろんKAIの旅行ではありません。レギュラーメンバーのY木夫妻毎年7月恒例の2週間海外旅行?!
何が驚いたかと言うと、1ヶ月ぶりに土曜テニスに現れたY木さんのお話。つい3日前の水曜、やっと成田に帰ってこれたのはいいけれど、そのまま都内の病院に救急車で入院。この病院のこれからかかる費用は別にして、成田に帰ってくるまでの費用がなんと2千万弱。
半分は保険で支払うことになったけれど、残りは現地でキャッシュで支払わないと帰してもらえない。これを振り込んで帰ってきたのですから、何をかいわんや。命の値段とはこう言うもんだと納得するしかありません。
しかしお金の問題だけではありません。フランスからスイスにとんできた医師と、日本側の受け入れ先の医師が、飛行機での移送に互いに合意しないと帰国の手続きができないため、3度も帰国が延期になったとのこと。
帰国してからが、また大変。都内の病院であらためて精密検査をしたら、新たな骨折箇所がみつかり、これから何週間か手術が続く。これもいたし方ありません。なんと50メーター以上の崖を米俵が転がるように落下したとのこと。命があっただけでもよしとしないといけない状況だったのですから。
(驚きの週末テニス)
あの大事故から奇跡の生還を果たして、1年。懲りもせず(^^;)今年もまた、夫婦そろってペルーへ山登り。二人はいったいなににとりつかれたのでしょうか。
と言うことで、旅の安全を祈願して、週末テニス。
土曜。祈祷にふさわしい、今年初めての炎熱テニス。
人は、なぜテニスをするのかと訊かれれば、暑さに耐えるためだと答えるに違いない。ランナーズ・ハイならぬテニスプレイヤーズ・ハイです、ハイ。
今日は、いつものネモトくんにかわってイトウくん。おかげで(って何のおかげ?)6-0、6-4、2-6、1-3の、2勝2敗。
終わったあとのアンジェロで、ひとしきりマイケルのプレスリー自殺模倣説を披露して、物議を醸す。
そして翌日、日曜。天気予報では午後から雨。開始時間12時時点で、雲行きにその気配はまったくない。雨天が心配される時はコート代は終わった後に支払うのに、この日は何の懸念もなく先に支払う。
調子よくゲームを始めて1時間、ついにパラパラと来ましたよ。ほどなく隣のコートの人たちは止めてクラブハウスへ引き上げるのに、こちらはそうはいかない。しかしこれ以上は無理と、第3セットの途中でお仕舞いにする。ちょうど1時半。管理人のおばさんに1時間分で負けてもらって5千円の返金。
結果は、6-1、2-6、3-2と、明日からのペルー旅行を控えて、これくらいがちょうどいい。
なんていいながらアンジェロで、無事に帰ってきてねと生ビールで壮行のカンパイ。
ほんと、二人そろって元気で帰ってきてね。 KAI
インタビューに答える、一人の黒人が言った。
マイケルは伝説になった。
1977年8月16日、心臓発作により急逝。42歳だった。
(エルヴィス・プレスリー、Wikipedia)
1977年8月16日にテネシー州メンフィスの自宅、グレイスランドで死去した。ガールフレンドのジンジャー・アルデンによって寝室のバスルームの床に倒れているところを発見され、バプテスト記念病院へ搬送されたが、医師は午後3:30に死亡を確認した。42歳没であった。検死後、死因は処方薬の極端な誤用による不整脈と公式に発表された。
晩年、エルヴィスはストレスからくる過食症に陥ったことが原因で体重が激増したことに加え、75年くらいからは処方された睡眠薬などを誤った使い方で服用していた。「処方ドラッグをやっていた」とグレン・D・ハーディンなどのメンバー、さらにデル・“ソニー”・ウェストなどのメンフィス・マフィアのメンバーたちも語っている。
グレンは詳しいことは死ぬまで語るつもりはないといっているが、ソニー・ウェストは暴露本を書いて中傷した。違法なドラッグは一切使用していないが、この処方ドラッグの影響で癇癪持ちになり、体調も維持できなくなってしまった。
(エルヴィス・プレスリー、Wikipedia)
明らかに自殺である。
エルヴィスはともかく、マイケルにとって、2008年11月のネバーランド売却は、結果的に生きる糧をなくすことになってしまった。2009年7月8日、あと1週間ちょっと目前に予定していたロンドン公演。リハーサルを繰り返すだけ、抜け殻になっていく自分が見えすぎてしまった。
人は、なぜ自殺するのか。
折しも、日本の自殺者が過去最高を更新しそうだと言う。この人間だけが自殺するのは、すなわち人間だけの左脳のせい。
いまや日本人は、1日100人が自殺すると言う。日本人の左脳は、いったい何に支配されてしまったのか。
マイケルの右脳こそ、彼のアーティストとしての根幹。この右脳にとって、ネバーランド問題と言う左脳は、いつまでもやっかいな存在だったはず。会計士が報告する、ロンドン公演の収支見込みが、彼の右脳を極限までに苦しめます。
そして左脳が選んだ結論が、この一連の顛末だったとしても、なんら不思議はない。
日本人の自殺も、まったく同じ。
すくなくとも貧乏だった昔は、貧乏は、恥でも何でもなかった。むしろ若いうちは貧乏であることを自慢に、虚勢を張って生きていくことができた。
1日100人の自殺者のうち、一体何人、真の貧乏人がいるのでしょうか。虚勢と言う左脳に支配されて、自殺する。これを是とする風潮を、煽っているのは、一体誰か。
めちゃくちゃかっこ悪くても良い。土下座でもなんでもすればいい。ただひたすら生き延びる、右脳の声に従うこと。
テレビと言う左脳メディアが、日本人の自殺増加の根本原因であることを、伝説となったマイケルが、訴えていると、KAIは思います。 KAI
伊達公子、今年39歳になる、アラフォー真っ盛りの女の挑戦。
今週開幕のウィンブルドン、いきなり第一ラウンドから、カロライン・ウォズニアッキ、デンマーク人、18歳ながら第9シードとの戦い。年齢差、ダブルスコア以上。
ウィンブルドンのウェアは、白が決まり。両肩に3本の朱のストライプは、まるで雌豹のような18歳。
この彼女に、せっかく第一セットを取りながら、セカンドセット、突然伊達のペースに異変が。突然足が止まる。追いつけない分をスライスで返せば返すほど、雌豹ペースになる。結局、7-5、3-6、1-6と逆転を許す結果になる。
この敗戦を観ながら、つくづく思った。
年齢により獲得される智は、年齢とトレードオフで失われる体力の裏づけがなければ、まったく無力である。なるほどねえ。うまいことできてるわ。
体力はあるけれど、智力がない。智力はあるけれど、体力がない。この二つのバランスの中で、最高のパフォーマンスを発揮するしかない。
これは、テニスだけのことではない。
人生と言う、人の生き方そのものにも通ずる話だと、思う。
人生の体力は、気力であり夢を持つ力。人は、歳を取るとともに、これをなくしていく。一方で歳を重ねるたびに、こうすればよかったはずの、自分の人生が見えてくる。
この意味で、伊達は、試合には負けたけれど、人生と言うゲームでは決して負けてはいない。世界へ再び挑戦する、気力、夢を持ち続けることのできる類いまれなる、人生のベストプレーヤー。伊達、がんばれ! KAI
さすがに、梅雨本番。日曜は朝から豪雨なみの雨。そのせいなのか、いつもは朝一番で届けてくれるはずの、田舎からのヤマト便が、いつまでたっても届かない。この雨では、さすがに無理と、早々にテニスは諦めたけれど、砧公園1周が待っているのに、でかけられない。
11時、時間切れ。出かけることにして、11時45分テニスコートの駐車場に到着。クラブハウスは、すっかり店じまいして、管理人のおばさんは帰り支度中。
車だけ置かせてもらって、ジョギング開始。すでに10時過ぎから、雨は霧雨。もちろんフォースのお陰です。しかしフォースで「天気」の「気」は動かせても、雨嫌いの人の「気持ち」の「気」を動かすのは、とても難しい。しかもそれが二人もいたら至難の技、と言うことで、早々に諦めたと言うわけ。
それにしても、誰もいない公園の中を走るのは、最高に気持ちが良い。しかし湿度が高くて、汗がにじり出てくる。白いテニスウェアが肌に張り付いて、こちらはとても気持ちが悪い。いつもはこんなミスは考えられないのに、なぜか今朝はシャツの選択を間違えてしまった。
車に戻って、乾いたシャツに着替えて、そのまま一人アンジェロへ。
いやはや、なんともこたえられません。なんでこんなに生ビールって、美味しいの。一気に呑んでおかわりもぐびぐびと。ぷっふぁ。たまらんのぉ。
そしてサウナ。体重計に乗るといつもの重量を1000グラムオーバー。と言うことは2000グラム減量せねば。
このところあまりの長時間は、心臓に悪いと思って、ひかえめにしていたのに、今日はそうも言ってられない。1回目、24分目標のところ22分で限界。2回目、同じく24分目標があえなく18分。3回目、目標なく18分。そしてラスト4回目、14分。計算によればこれで2800グラムの減量になるはずですが、そううまくはいかない。そして再びの計量。1900グラム減量。ま、こんなもんです。
気持ち良く、家に帰ると、ヤマトの不在連絡票が。電話したらすぐ持ってきてくれた。いつもの関西からの朝一番の便が遅れて午後便になってしまって、ごめんなさいとのこと。許す。言い訳も言い方次第なんだよね。
ふむふむ。さっそく中を開けてチェック。そうなんです。この季節の便り、大きいコーヒーの空き瓶一杯に詰まった山椒の醤油煮。蓋を開けると山椒の香りが顔を覆う。たまらずスプーンですくって口に入れる。舌のしびれがこれまたたまりません。おもわず缶ビールに手を伸ばしかけて、いけないいけない、玄関前の車を駐車場にいれないと。即行で移動して、戻ってきて缶ビールを一気飲み。し・あ・わ・せ。
そういえば今日が、夏至だったことを、すっかり忘れていた。おまけに父の日だったことも。子ども達からメールが届いて、これもまた、し・あ・わ・せ。お仕舞い。
って、土曜のことも一言。久しぶりの、いい天気とレギュラーメンバー。試合内容は、まことにいいのだけど、結果は、6-3、3-6、2-6、1-1と、今週もネモトくんの連勝を阻止できず。いまひとつ、いいアイデアが浮かばない、ジレンマは、これいかに。 KAI
むかし、テレビは嘘をつかない、と言われた時代があった。テレビでは真実が報道されると言う意味とは、まったく違う。そうではなく、政治家をはじめとした、テレビに映る人たちの、その言葉とは裏腹に、彼らの本音が、テレビと言うメディアを通して怖ろしいまでに伝わってしまうことをいった。
いま、テレビからWebに舞台を変えて、これが起きているようだ。
梅田望夫を批判する人、擁護する人、入り乱れて、それぞれのブログとコメント欄で、最高に盛り上がっています。
この事態の本質が、ネットの中の人々が過敏に反応する、梅田望夫と言う人物の「本音」にあることは、明らかです。もちろん「本音」ですから、人がとやかく言うものではありません。
しかし、この「本音」が、テレビ時代と同様、いやテレビ時代以上に、このWebでは、人々に直接伝播する。この本質を理解することこそ、当事者の方々の問題解決の糸口になると、KAIは思います。
そしてこの「本音」について一言いえば、決して、日本語も、日本の「オープンソース」も、日本のWebでさえ、マイナーでもなんでもありません。
いま生きてる日本人の大半を貶める、この彼らの言質に対しては、すでに言及済み。
ほんとうにWebは、難しい。けれども、必ず時間が解決する。ただ今いえるのは、これだけです。 KAI
いったいウチダ先生は、だますほうか、だまされるほうか。
株式会社立の大学については、これは高等教育機関としては機能しないと私は最初から言い続けてきた。
「教育はビジネスではない」からである。
「教育はビジネスだ」と信じた人たちが構造改革特区制度を利用して、わらわらと大学経営に参加してきたのが、2004年のことである。
“小泉構造改革”を象徴する風景であった。
日本の教育が崩壊しているのは、教育者にビジネスマインドがないからであると、その頃、メディアは口を揃えてそう唱和していた。
「市場による淘汰に委ねれば、真に有用な教育機関だけが生き残るだろう」というロジックそのものに疑義を呈したメディアは私の知る限り一つもなかった。
「マーケットは間違えない」
人々はそう信じていた。
(株式会社立大学の末路)
またしても「小泉構造改革」である。
株式会社立の大学の「経営」がうまくいかないのは、単に高等教育のノウハウが蓄積されていないだけのこと。この構造改革のおかげで、いままで時代遅れと言われていたウチダ先生の大学の「リベラルアーツの女子教育」に光があたりだしたって、ご自身でいっているじゃありませんか。
少し前までリベラルアーツの女子教育はほんとうに風当たりが強かったです。ほとんど「時代遅れの遺物」扱いされていました。世の中は構造改革・規制緩和で、とにかく勝者が総取りするというルールで殺気立っていましたからね。そういうときに「愛神愛隣」というような声はなかなか届かない。でも、競争原理の時代がそろそろ終わってみたら、時代の流れとちょっとずれた本学だけがぽつんと残っていたという感じです。
(内田樹 入試部長のひとり言、「ふたりごと」)
悪い部分は、すべて「小泉構造改革」のせい。良い部分は、すべて自分たちの努力のおかげ。なんとまあ、手前勝手な論理だこと。
「小泉構造改革」のおかげで世の中が大きく動いて、何が良くて、何が悪いのか、これではっきりしたってことです。確かに悪い部分もあぶりだされてきたけれど、それ以上に郵政改革、規制緩和、既得権の排除によって、どれだけ世の中の風通しが良くなったことか。
この「小泉構造改革」がなければ、いまだにすべての既得権は元のまま。この鬱陶しい閉塞感は、まるで何も変わらない。それでよくなったであろうことは、何一つない。
貧富の差はどうよ、雇用問題はどうよ、と言うなかれ。これは正規社員と言う既得権問題。「小泉構造改革」とはなんら関係ない。関係ないと言うより、「小泉構造改革」が手をつけなかったから悪化しただけ。
では地方は。これもまた官僚機構と言う既得権問題。言うだけ無駄。
では弱者は。医療、介護、生活保護。すべて規制に胡坐をかく既得権の塊。誰も、ほんとうの「プロ」がいない。単に民間の保険制度を導入して、市場原理による「サービス化」とその品質の向上以外には、解決の道はありません。
なにはともあれ、「小泉構造改革」とは、既得権者との戦いの一里塚にすぎません。
いったいあなたは、既得権者の味方ですか、それとも敵ですか。これが、すべてだとは思いませんか? KAI
昨日書いた、
しかもこの利益は、利益を生むために下請けや仕入先を泣かせたりするわけではない。長年にわたって、地道に利益を生む「仕掛け」を築いてきたからこその利益であり、「安さ」であるわけです。
(「安さ」は力だ)
■リスクは自ら取り込む
−−大不況で多くの企業が苦しんでいる中、大きな利益を出しています
似鳥 出すんじゃなくて出ちゃう(笑)。あんまり出すと、次の年が大変になるから抑えようとしているんですけどね。
−−うらやましい
似鳥 みんなリスクを外に出そうとするでしょ。でもそうじゃない。リスクを自ら取り込むんです。ウチは原材料の調達から商品企画、生産、お客さまの手元に届けるまですべて自分でやっています。世界中から一番安くて適正な品質の材料を見つけるのも自分なら、輸送に使う年間8万コンテナの船の手配も自分でやる。商社を介さないからコストも必然的に安くなります。
(【話の肖像画】安さが暮らしを変える(中)ニトリ社長・似鳥昭雄)
なるほど、これは要素技術のモジュール化による価格破壊を超えて、システムインテグレーション自体を社内にパッケージングしてしまったと言うわけです。
これが「安さ」を追求するニトリの経営哲学から生み出されたものであることは、間違いありません。
すなわちこれは、企業価値の源泉がこの経営哲学にあることを、如実に示すものです。
企業のみならず、国家にとっても、いかにこの「哲学」、「価値観」が重要であるかを、指導者は思い知る必要があります。 KAI
ニトリの経営哲学が面白い。
−−「社内憲法」がおもしろい
似鳥 読み上げてみましょうか。「1に安さ、2に安さ、3に安さ、4に適正な品質、5にコーディネート」。自分で考えて作りました。1から3を「安さ」にしたのは安さを会社の原点にしたかったから。昔スカウトした役員が私の言うことを聞いてくれなくてね。「品質だ品質だ」と言って高い物を売ろうとする。1万円と2万円の家具で運び賃が同じなら2万円を運べと。その結果、一時売り上げが減ってお客さまも減って、僕の考えと全然違うことになっちゃった。だから憲法で1、2、3で安さを強調したんです。こうすれば品質が1になることはないでしょ。誰も順位をひっくり返せない。私が死んでも変えられない(笑)。
(【話の肖像画】安さが暮らしを変える(上)ニトリ社長・似鳥昭雄 (4/5ページ))
この「安さ」の意味を勘違いしてはいけない。「安さ」=「薄利多売」と思いがちだけれど、決して「薄利」ではない。
しかもこの利益は、利益を生むために下請けや仕入先を泣かせたりするわけではない。長年にわたって、地道に利益を生む「仕掛け」を築いてきたからこその利益であり、「安さ」であるわけです。
更にこの「仕掛け」が、いわゆる商品の付加価値であり、品質となるのです。似鳥社長の、
「品質だ品質だ」と言って高い物を売ろうとする。1万円と2万円の家具で運び賃が同じなら2万円を運べと。その結果、一時売り上げが減ってお客さまも減って、僕の考えと全然違うことになっちゃった。
この言葉にあるように、品質優先の価格設定をすると、たちまち顧客の考えるところとは全然違うところへ向かってビジネスする羽目になるのです。
この点は、松下幸之助は、徹底していました。
まもなくして電気アイロンの新製品を発売し、幸之助はこれを市場価格より3割も安く売る作戦に出て、これが見事に当たって売れに売れます。
品質も高く評価され、昭和五年(一九三〇年)には商工省から国産優良品の指定を受けた。「市場を見ながら製造を考える」−−これこそが、幸之助言うところの「製販一致」であった。
彼の凄みは、「失敗しながら成功を模索していくというやり方は間違っている」とし、やるからには失敗なしに最初から成功することを自分にも部下にも課したことである。結果として失敗することもあるだろう。しかし最初から「失敗してもいいや」という甘えを抱くことを、彼は厳しく戒めた。
(産経新聞、同行二人(どうぎょうににん)第11回、北康利、2007/11/13、p.26)
(松下幸之助の言葉(13))
市場価格より3割も安い価格設定をして、これでも利益が出るように商品を開発する。しかも品質でも負けないどころか、評価まで受ける。決して赤字や薄利の商売ではないのです。
いま経済がこんなだから、このニトリやユニクロが注目されるのではありません。
「安さ」は力であることを、徹頭徹尾理解している企業だからこそ、この厳しい市場の変化を乗り越えていくだけの、大きなポテンシャルを持っているんだと、KAIは思います。 KAI
日曜の朝の番組。つぎつぎとチャネルを変えて、辻井伸行くんの話題を追った。日テレの徳光和夫の番組は、とても良かった。愛情あふれる内容で、スタッフの暖かい気持ちがそのまま伝わってきた。
唖然としたのは、TBSのサンデーモーニング。風をよむと言うコーナーで、ハンディキャップを持つ人々の活躍として、今回の快挙を取り上げていた。違う、違う。まったく違う。彼は、ハンディキャップとして戦っているのでは、まったくない。一人の人間として、戦い挑戦を続けているだけなんだよ。
一緒に取り上げられた人たちについて言うんじゃないから誤解しないできいてほしいけれど、完全にこの番組のディレクターは、ハンディキャップと人間の才能についておおいなる勘違いをしている。
あたかもハンディキャップがあるから、その彼らの特異な才能が発揮されるかのような、人を「機能」としてしかとらえられない視点に、なんだか寒気を覚えてしまった。確かに全盲と言うハンディキャップを、伸行くんは負っている。このこととコンクールでの優勝を結びつけて、これを類型化や一般化するなどと言うことは、絶対にあってはならない。
ただ素直に、一人の全盲のピアニストの弛まない努力の結晶としての優勝として、なぜ伝えることができないのでしょうか。
辻井伸行くんの話をきくだけで、今のKAIはとても幸せな気分になれる。それが、この番組を見て、まったく後味の悪いものになってしまった。
これはブログに書いて憤懣を晴らすしかないと、これを書きかけたけれど、あえなく時間切れ。
そのまま週末テニスに、車ででかける。
梅雨入りして、天気予報は、土日、いずれも曇りのち雨。しかし今週も、フォースの威力に衰えはない。
土曜。いつものオムニコートが工事で使えない(直前に工事が早めに終わったから大丈夫と言われてもねえ)から、久しぶりの狛江のコート。結論。狛江のコートは、遠かった。遠いから二人30分の遅刻。にもかかわらず、6-0、0-6、1-6、0-2、と4セットも消化。原因は、ネモトくんから1ゲームしか取れなかったから。
ネモトくんにとって、初めての環境でも、完璧に、勝つ。これがプロ。いろいろ教えられますデス、ハイ。
そして、先ほどの日曜。行きがけの車の中。運転しながら、心の中にブログの続きを書いたら、コートに着くまでに、すっかり気が晴れた。
おまけに晴れ間さえ見える天気に、なんの心置きなく、ゲームに集中。今朝は6時間、よく寝たおかげで目がよく見えるから、ミスが少ない。結果も、6-4、6-4、1-6、4-0の、3勝1敗。3勝は久しぶりで、気分がいい。
しかし、好事魔多しの教えどおり、今朝の、TBSの呪いは最後までとけなかった。ゲームのあとのアンジェロに、招かれざる呪いが待っていた。
この二つの意味をひたすら考える。まだまだ快気とはいかないから、要注意。そう言うことのようです。 KAI
早朝の4時半、散歩に出た玄関の前で、いきなり感じた。季節は、すでに夏。朝日の光の色が、すっかり夏の色をしている。
なるほどね。季節は、光の色が告げるのか。いま初めて気がついた。
こう言うときは、なにかがある。そう思いながら、散歩道の後半。日野中学跡に建築中のビルの前の道。その道沿いの土手から、なにやら黄色の花びらか木の葉がひらひらと舞い落ちるのを、はるか前方から目撃する。
なんだろうとその場所に近づいて、なにがあるのか、見た。なんとまあ、ヘブンリーブルーが咲いている。
このヘブンリーブルー、現在取り壊し中の日野中学の校門前の、グラウンドのフェンスに、真夏からずっと咲いている。ここ何年も、この散歩道を通りかかると、いつも、「私を見て」とKAIに、訴えかけてくる。
(ヘブンリーブルー)
昨日の散歩の時には気づかなかったのか、あるいは、今朝から突然花を咲かせたのか、定かではありませんが、このヘブンリーブルー、すっかり8月ごろから咲く花かと思っていたら、6月21日の夏至を前にして、咲き始めた。
まさに、夏の光の色と共に咲き始める。なんとも不思議な共時性。
これから12月までの半年間、こんなに長い間、毎朝楽しませてくれる。リキが一緒にいてくれる。あらたなる気持ちが、またこみ上げてきた。 KAI
嬉しくて、涙が出てくる。
20歳の盲目のピアニスト、辻井伸行くんが、米ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝した。そのときの様子をニュース映像で見たけれど、インタビューに答える辻井くんの言葉は、ひときわ胸に来る。
辻井伸行さんの話 「(セミファイナルから総立ちの拍手を受け)聴衆の皆さんが僕の演奏を楽しんで聴いていただいているのが分かり、心から楽しんで演奏することができました。現代作品はとても演奏の難しい作品でした。楽譜を手渡さされてから1カ月でしたが、共感を寄せることのできる作品でしたので、僕だけ暗譜をして楽しく演奏したら賞までいただいて感激しています。バン・クライバーンからは結果発表時に2度も祝福の抱擁をされた。奇跡のピアニストでこれからもっと活躍してほしい、と励ましの言葉をいただいて、本当に光栄なことです」
(【辻井さん優勝】「心から楽しんで演奏できた」「本当に光栄」)
このバン・クライバーン(ヴァン・クライバーン、Wikipedia)は、74歳。自らの半世紀前、23歳で第1回チャイコフスキー国際コンクールでの優勝を、伸行くんに重ね合わせるかのような二度の抱擁に見えました。
そして「奇跡のピアニスト」。聴くすべての人々の気持ちを幸せにする、彼は間違いなく天がこの世に使わした「神の宿るピアニスト」です。
優勝したときに「うれしい」と一言だけ漏らして抱きしめてくれたという母親や、尊敬している父親に対しては、「ここまで来られたのは両親のサポートのおかげなので、本当に感謝しています。親孝行のために早く自立して、よいお嫁さんを見つけて安心させたい」とにっこり。「1日だけ目が見える日があったら、1番見たいのは両親の顔。だけど今は心の目で見ているので満足しています」と話した。
(【辻井さん優勝】「まだスタートライン」 帰国会見で心境)
この「1番見たいのは両親の顔」。この一言に彼の心の想いのすべてがあります。
いったい目の見えない彼の「心の目」には、いかなる風景が見えているのか。これを考えると、実は私たちは、光の風景が邪魔をして、本当に見なければいけない風景が、まったくもって見えていないのではないかと、強く思います。
伸行くんの「心の目」こそ、いまの私たちすべての人間が取り戻すべき、大本の「心の目」であると言うこと。これに気づかされたことの意味は、とてつもなく大きい。ただただ伸行くんに、感謝。 KAI
先週に引き続き、今週もフォース全開。
土曜の朝。梅雨の走りと思しき、密度の濃いい小雨が降り続く。天気予報も午前中90%、午後70%。誰が考えても、午前中テニスができる天気ではない。
しかし、いつものように、玄関に出て雨粒を顔に受けると、間違いなく、できる。
8時半に家を出て9時前にオムニコートの駐車場につく。直後にネモトくんから、どうしますか、と確認の電話が入る。当然やります。
今日のメンバーは、さきほどのネモトくん、いつものY木さん、KAI、と雨嫌いは誰もいないので、楽勝。と思ったのが間違いだった。あと一人の、コーチのイトウくん。このイトウくんから、9時半になって電話がかかってきた。
KAIさん、無理です。ダメ?ダメです、無理したくありません。
あえなく、10時からのテニスは夢と化した。
そして10時。計ったように雨が止む。霧雨が弱冠残っているものの、空は明るくなって完全に雨脚は止まった。30分前からは、まるで想像できない。これこそフォースなのです。
あーあ、やればできたのに・・・。くやんでもしかたない。
そのあとは、定番の砧公園一周の、ジョギング。雨にぬれた木立の中が、なんとも気持ちがいい。これで一気に気が晴れた。
といいながら、アンジェロに行って、生ビール飲みながらマスターにひとしきり愚痴る。
日曜は一転。朝から快晴。1日くもりといっていた天気予報は、まったくあてにならない。
ゲームは、デュースが長くて、1ゲーム1ゲームの中身が濃いい。結果も、6-4、0-6、3-3と、ゲーム数が少ないのはその証拠。こう言うゲームが、最高に面白いんだよね。
おかげで充実の1週間が、始められる。 KAI
ほんとに面白いように、みなだまされる。
国民だけではない。自民党自身がそうだから、まるでバカとしかいいようがない。
小泉改革の規制緩和によって、弱者や地方が大変なことになっている。はー?一体どこが?
きけば所得格差の2極化がそうだと言う。
いったいなんど説明すればよろしいのでしょうか!痴呆症、失礼、認知症患者相手の話としか思えない。
先日のサンプロの加藤竹中対決にしても、追い詰められた加藤が、「世の中が荒んできた」ことの責任が小泉にあるといい出したときは、この人は一体全体「政治とは何か」、まったくもって理解していないと、ただただあきれ返り、日本の政治家のレベルの低さに、限りない哀しみを禁じえませんでした。
え?わからない?
かんべんしてよ。世の中が荒んだ責任が政治家にあるとすれば、この世の文化人、宗教家、ジャーナリストは要らない。こんなこと、なんで理解できないの。
世襲制限も、まったく同じ構造。
KAIのいいたかったことは、全部ここに書いてあるので、繰り返さないけれど、世間のアンケート、民主党、自民の菅。まったくこれを、面白いようにねじまげている。
菅が、自民が世襲制限する以上、民主は組合出身制限が必要といっているけれど、この菅のおおいなる勘違いこそ、目くらましの本質であることに、そろそろみなさん気づいてほしい。
世襲とは簡単に言えば、組合とはまったく違う、家族です。議員でなくても、一体この世の中に、家族のために働いていない人間など、誰一人いません。
世襲と言うからわからなくなるだけで、もし菅が、つぎの選挙に出るのを家族のために出てはいけないといわれて、出るのをやめますか?
え?子どもの話だ。そうですよ。子どもだろうが自分だろうが、家族です。
なんで家族のために選挙を戦ってはいけないの?
単に公認方法だけの問題で、世襲とは、まったくもって別次元のお話。
肝心の、みないったいなぜこうも簡単に目くらましにだまされるのか?
実は、これは昔から、そうなんです。安心社会においては、考えて行動することではなく、他の人との人間関係によってのみ、この安心社会は維持されるようになっている。簡単に言えば、人に合わせることに絶対的価値を見出す社会であり、そのようにみなさんは例外なく幼少のときより、家庭、幼児施設、学校、果ては企業においてさえ、教育を受けてきたし、今も受け続けているのです。
更には家庭では、この再生産が繰り返し続いている。
これをたくみに利用しているのが、いつまでたっても根絶できない振り込め詐欺。
なんと世襲批判と振り込め詐欺と、同根であったのであります。
まことに救いようがないとしか、いいようがありません。 KAI
ようやく、想定どおり、GMが破綻した。
これに大統領就任直後のオバマがどう応えるか。世論は追加融資反対が70%。当然破綻処理しか手はありません。しかし富士のすそ野のように拡がる関連産業の雇用に与える影響は甚大です。一筋縄ではいかない。
破綻させた上で2社を合併させ再生させる。これを関連産業に拡げて適用する。これしかありません。就任早々、オバマ政権の手腕が試されることになります。
(ビッグ3を救うべきか、見捨てるべきか(2))
ちょうど半年前のエントリーですが、いかに破綻させるか、まるまる6ヶ月かかったってことです。
さて、これからが再生本番。オバマは早期の再建を実現させると言明していますが、果たしてこの実現性やいかに。
これを占う上でヒントになるのが、オバマの経済対策の要の一つであるグリーン・ニューディールとの関わりです。
寺島 今、若干かかわっているプロジェクトに「プラグイン・ハイブリッド」というのがあります。要するに車自体が発電機で、走っているうちに蓄電して、その蓄電したやつのコンセントを電源として利用するって話。
プラグイン・ハイブリッドは始まっている
寺島 アメリカのようにめちゃくちゃ広い国、送電線をものすごいコストを掛けて引かなきゃいけないようなところにとって、例えば別荘地なんかに週末に行って、電気なんか引いてなくても、ぱこっと車からコンセントをつなげば、逆に48時間ぐらい電力を供給できるというもの。
―― なるほどね。それで「プラグイン」。
寺島 うん、つまり小型の発電機を持って運転して動き回っているような状況になって、それが分散系のいわゆる電力供給を支え、分散系の情報システムを支えていくという、そういう時代をイメージしないと。一昔前のアメリカをイメージしていたのでは、とらえきれなくなるのではないのかという感じがするんだよね。
―― 重厚長大はリスクも大きいしね。自分自身、変な話ですが、車のシガーライターからパソコンを充電しながら、あちこちで原稿書いたり音符打ったりしていますから、出先で。
寺島 あなたなんかはライフスタイルの中にそれがもう、身についているようでしょ。
(オバマ「グリーン政策」は「IT革命」を超えるか?常識の源流対論・寺島実郎 その1 5/5ページ)
今年2月のエントリー果たしてパラダイム転換となるやいなやで取り上げた記事ですが、GMの車を、この「プラグイン」で再定義することによって、まったく新しい付加価値をつける。
つまり今後アメリカ中のビルや自宅の駐車場に、車の電気エネルギーの取り込み口の設置を義務付け、企業や家庭の電気消費量の一定割合以上をこの「プラグイン」でまかなうように変えていくと言うものです。
これであれば既存のガソリン車のままでも対応可能であり、「プラグイン」との相殺でガソリン代は大幅に節約できることになる。
なんでもありの、アメリカ。これくらいのことを考えた上でのGM再生と、KAIは読みます。 KAI