October 30, 2008

利他的な遺伝子

ウッシーの小指の骨折で思い出したけれど、KAIも十数年前薬指を骨折したことがある。早朝風呂桶の掃除をしていた時、桶の中にかがみ込んだ上半身を右手で支えるようにした拍子でした。まさかこれで骨折するとは夢にも思いませんでしたが、ぴりぴり痛むので外科に行ったら、骨折といわれてしまいました。

あとからしっかり健保組合から、事件性の有無の事情聴取がありましたね^^;。

そう言えばこの時も世間が騒々しくて、KAIの周りの状況も激しく変化していた時です。

こう言う時代に、丁度絶妙のタイミングの人が。

ヒトには数百種類もの働きの異なる細胞が、それぞれ独自の役割を演じながら他の細胞を助け、臓器の働きを支えている。臓器は、それぞれ独自の働きを演じながら、個体を生かしている。このような見事な協力とハーモニーを演出しているのは、自律神経だといわれている。

 その自律神経を動かしているものは何か、いまだ解明されていないが、この見事なハーモニーと助け合いがデタラメに起こるわけがない。それを『コスモス』のいう「進化するための一貫性」と考えてもいいのではないか。その情報は、ヒトの遺伝子染色体(ゲノム)の中に書き込まれていると私は考える。それはまさに、「利他的な遺伝子(群)」と名付けてもよいものである。(むらかみ かずお)
【正論】筑波大学名誉教授 村上和雄 ノーベル賞と「進化」の不思議

村上和雄先生のお話は、以下のエントリーでも取り上げていますが、いつも生命の本質をついたものばかりで、きわめて示唆的です。

ネズミを笑かすと犬もよろこぶのか?
笑いの効用

今回のこの「利他的な遺伝子」も、なるほど言い得て妙。もちろん「利己的な遺伝子」との対比ですが、遺伝子の中に、宇宙が生み出した生命と言う意味で、この「宇宙の意志」が織り込まれているのは、間違いありません。人は、脳による知覚とはまったく異なる次元で、この「宇宙の意志」と共鳴しながら生きているのです。

これがすなわちKAIの言う「大気」です。人々がこの「大気」の中で生きていることを理解するだけで、人生は楽になります。クラゲのように波間でゆれるがごとくです。そう無理が一番禁物。脳で考えるのではなく、欲するがままに生きる。長寿の秘訣です。

弟子たちよ、是非ともこれをマスターしてくれたまえ。 KAI

October 26, 2008

金融危機と週末テニスの関係性

週末テニス、世間の荒波が大きすぎてか、なかなか平安とはいかない。

土曜直前の欠員がうまらず、神頼みならぬウッシー頼みで急場を凌ぐ。そのウッシー、1週間前に利き腕の小指を骨折し、今日はギブスのテニス。真にごくろうさんです。

かように世間の大きな嵐が、一人一人のバイオリズムを微妙に狂わせて行く。自分の周りの出来事は、世の中で起きる出来事とは直接無関係に起きているようでいて、そうではない。世の中の出来事もすべては、自分の「気」の中にある。これが無意識に働いて、微妙なさざ波を立てる。

このことをよく理解していないと、思わぬことで事故を起こしたり、ウッシーのようにケガをする。

そしてスポーツの勝敗も、まったく同じ。

トップアスリートと言われる人たちが、何に苦労するかと言うと、これ。周りの雑音を消して、勝負に集中する。この雑音とは耳に聞こえる音のことではありません。気の水面にたつわずかなさざ波のことです。このさざ波に邪魔されて勝敗と言うわずかの気の流れを見失うことになるのです。

風邪を引いた時の方が良い記録が出たり、勝てたりするのは、これのせい。かえって自信満々で自分の体調を過信している時の方が、ミスしたり、相手の意外ながんばりに屈することがある。

このところの週末テニスは、これがよく見えて、快調。

結果も、土曜が2-6、6-1、6-3、日曜6-3、3-6、6-3と2日とも2勝1敗。

この流れ、アンジェロの生ビールまではよかったけれど、スズキのランチを平らげるのに一苦労。まだ何かが足りないみたいだけど、はてなんでしょう? KAI

October 24, 2008

日本の経験に学べと言うけれど(2)

金融機能強化法案には、愕然とする。経営者の責任はとらないとは、まるでわかっていない。

それにくらべてイギリスのブラウン首相は、エライ。彼らの報酬を全面的に見直すことを明言しています。これが庶民感覚なんですよ。

 信認危機への歯止めがいったんは作られた形になったが、これで本当に金融混乱が収まるかどうか、これから正念場を迎える。それは、欧米諸国が1990年代、日本の失敗から学ぶかどうかである。一般に日本国内では、資本注入に関する日本の成功体験から学ぶべし、といった論調が聞かれる。しかし事実は、失敗から学ぶ必要がある。日本では平成10年の金融国会で公的資金の新しい枠組み(金融健全化法)が作られ、これに基づいて11年に7・5兆円の公的資本注入が行われた。しかし注入後も、4年間金融危機は収まらなかった。日本の経験は、資本注入だけでは事態は改善されないことを如実に示している。

 重要な点は、まず信頼できるバランスシートを作成すること。具体的に不良資産の査定を厳格に行い、資本不足額がどれくらいかを市場が信頼できるような形で明確にすることだ。日本の場合、このプロセスがないままに資本注入だけを行ったため、バランスシートへの不信は消えなかったのである。これが解決されたのは、14年、小泉内閣で「金融再生プログラム」が作られてからである。こうした点を踏まえ、資本注入の手順と資産査定の具体策についての経験を伝えることこそが、日本の役割なのである。
【竹中平蔵 ポリシー・ウオッチ】信認危機に対処せよ


前回のエントリーにも書いたとおり、竹中平蔵はきちんとこれを理解して行ったと言うことです。

そして、とうとう8千円の大台を割ってしまった。5年5ヶ月ぶりとのことですから、丁度このりそな国有化と同じ時期です。このころと比べてみても、今の状況が巷で言われるような8千円で大底なんて、とても信用できません。あと三割は下がる(つまり5千円台)と見るべきです。(といってもまるでこちらはトーシローの言うことですので、よい子は聞かないように^^;)

あわせて円も80円台突入して、一体これらの歯止めは、どうすればかかるのか。

これはやはり「気分」しかないと思います。つまりは、人々の「気分」がもう大丈夫となるかどうかです。

多くの上場企業が海外需要に依存している今、海外の不景気の大波「ツナミ」の急襲は、企業の業績に致命的な影響を与えることは、まず間違いありません。これから一転企業の業績を奇跡的に回復させるにしても、日本だけではどうにもしようがない。と言うことは、「気分」までも海外と共有するしかない。ここ2、3年は欧米の景気動向に一喜一憂しながらひたすら待つしかないと言うのが、妥当な見方かも。

とはいえ、国内の「気分」を盛り下げている一番の張本人は、やはり「年金問題」です。この未曾有の公務員犯罪に、人々の「気分」はいつまで経っても気が晴れることはありません。

気を晴らす唯一の方法は、金融危機における日本の経験同様、何人かの役人の徹底的な責任追及以外には方法はないと、KAIは強く思います。 KAI

October 20, 2008

秋本番、平安の週末テニスのはずが・・・

この時期が一番落ち着く。

ここ二十数年、毎週毎週、たまに苦労することはあるけれど、必ず4人集まって、喧騒な世にあっても、ここテニスコートの上は、天国。

世の中がこんなだから、余計、この平安が有り難い。

土曜もいつも通りの平安に始まる。と思いきや、ゲーム開始10時になって、Y木さんから電話。なんとまだ自宅にいるとか。所用によりとはいえ、いやはや困りまする。しかしなんと40分遅刻のはずが、10時20分に到着。自宅からタクシーで東名を飛ばしての到着とは。助かりました。

心身一如。週末テニスで身体をニュートラルに戻す。温泉と散歩で身体の電位をアースする。すべてが繋がって、結果は、6-0、4-6、0-6、2-1。さすがにY木さん、ラブゲームが続くも、ネモトくん相手で2勝2敗は変わらず。

日曜テニス。曇天ながら湿度も低く最高の「テニス日和」。結果も6-2、2-6、6-4と久しぶりに勝ち越し。

夕方ゆっくり晩酌とおもいきや、突然、データセンターのサーバーがアラートに。復旧作業のフォローが早朝までかかる。さすがに今朝は散歩を中止してしばらく仮眠。平安と現実は紙一重。違うって?! KAI

October 18, 2008

職分を知る

この未曾有の金融危機にあって、過去の経験の、いったい何に学ぶべきか。これを学ぶべきは他の誰でもない、いまこの危機の当事者以外にはありません。

彼らが今最も学ぶべきこととは、それは「職分を知る」です。「職分を知る」ことこそいまあるすべての問題の解決となるのです。

「職分を知る」とは、何か。諭吉の学問のすすめからの引用です。

 学問とは広き言葉にて、無形の学問もあり、有形の学問もあり。心学、神学、理学等は形なき学問なり。天文、地理、窮理、化学等は形ある学問なり。何れにても皆知識見聞の領分を広くして、物事の道理を弁え、人たる者の職分を知ることなり。
学問のすすめ 二編 端書(はしがき)

さらりと現れた一文の中に、この今最も重要な考え、「職分」があります。「職分」とは、職の道理、倫理、すなわち職の矜持のことです。

世の中のいかなる仕事にも、それに携わる者が持つべき、世の中に対するその仕事の意味、すなわちいかに社会のためになっているのかの心構えと言うものが、あります。それは、仕事とは、社会と言うシステムを利用することを許されて初めて成り立つものであり、反社会的な仕事が、このシステムに受け入れられないことからも、自明です。

金融一般に携わる者の「職分」とは、何か。

それは、「人を助けること」以外、ありえません。

いかなる仕組みを導入しようが、それはかまいません。それによって、「人を助ける」ことができるなら、その仕事の意味は、あります。今、この金融危機の当事者である者たちが、この原点に立ち返らない限り、あなたがたを誰も許すことはありません。

世の中からいかなる評価を受けようとも、この世の中のすべての仕事において、これは真実です。今一度、職業人が、立ち返るべき原点が、ここにあります。 KAI

October 14, 2008

ヘブンリーブルー

ここ何年もこの時期、ずっと朝の散歩で気になっていた朝顔の名前が、やっとわかった。

今朝のNHKのニュース。京都府立植物園で、この「アサガオ」を観賞する人々を映していて、名前が、なんたらブルー。さっそくインターネットで調べたら、出てきた。なんともステキな名前、そしてなんともステキな時代になったことでしょう。

このヘブンリーブルー、現在取り壊し中の日野中学の校門前の、グラウンドのフェンスに、真夏からずっと咲いている。ここ何年も、この散歩道を通りかかると、いつも、「私を見て」とKAIに、訴えかけてくる。

この毎朝見るヘブンリーブルーは、ここで引用させていただいた写真よりも、ずっと深いブルーと言う印象です。

このブルーの意味が、名前をしって今になってやっとわかった。それは、亡くなったリキに、おはようと声を掛けてくれていたのです。

そして、今朝も、リキ、おはようと。

ブルーは、海の色。宇宙の中の地球の色。まさにいまリキがいる天国の色。8月生まれのリキの色。こんなところでリキと繋がっていたとは。また一つ、毎朝の散歩の楽しみが増えました。

名前を教えてくれた、NHKのローカルニュースに、感謝! KAI

October 13, 2008

ものごとの本質を理解すれば君は勝てる

実りの秋。この3連休は、収穫が一杯。といっても、秋の味覚ではなく、知覚の方の収穫です。ものごとの本質を理解することにより得られる力を、まざまざと見せつけられる事例が3つ。

一つ目は、NHKホリデイインタビューで紹介された、福島大学陸上部監督川本和久氏の話。

北京オリンピックでは、日本は陸上女子1600メートルリレーに初めて出場を果たしました。
4人の選手はすべて、東北の国立大学、福島大学の学生と卒業生でした。
川本和久監督(50)が、雪の中で指導を始めて24年。
雪国、有力選手が集まりにくいといったハンデを克服した背景には、カール・ルイスのコーチに学んだ「速く走るための理論」と川本さん流の学生との向き合い方がありました。
「ここから世界を目指せ〜福島大学陸上部監督 川本和久さん〜」

彼が、米国に留学中、カール・ルイスのコーチから言われたことです。

なんならカールに2メートル後ろからスタートさせようか?

川本が、もうしっかり走る技術について学んだ後、カールのコーチに向かって、肉体的なハンディーを口にした時です。みな公平にスタートラインに立っているんだよ、君(川本)は、スタートする前からすでに2メートル後ろに立っているんだ、と指摘されたのでした。

そうか。そうか。そう言うことか。

川本は、気付きます。どんな環境であれ、どんな肉体であれ、みな同じスタートラインに立っている。心理面ですでに後ろに立っていては、勝てる勝負も、絶対に勝てない。

目覚めた川本は、帰国して、すぐに実績を出します。その一人の、100m日本記録保持者、雉子波(きじなみ)秀子。のちに川本は、雪の降り積もった競技場で一人黙々と雪かきして練習を続ける彼女から、コーチとは何かを教えられることになります。

雉子波が大学卒業後小学校教員をしながら選手を続ける内、壁にぶつかり、悩み続けます。もう止めようと決心して、川本の元を訪ねます。ここで彼は、ひたすら雉子波の話を聞き続けます。コーチとは、選手にとって技術を教える存在だけであってはいけない。コーチは常に選手を励ます存在でなければいけないと、川本はここで初めて教えられたのでした。

この時川本は、福島の街明かりが見渡せる高台に行きます。視界に拡がる街明かりの、一つ一つの明かりの中に、家庭があり、一人一人の人生があることに、初めて思い至ります。まさにKAIが、「大気」から「気分」に目がいって初めてものごとの本質が理解できたようにです。

雉子波と同い年の女の子たちは、彼女が一人雪かきしながら練習をしている時に、着飾って暖かい部屋の中で彼氏と食事をしている。雉子波の人生。もくもくと雪かきを続ける彼女の姿が瞼に浮かんで、川本は涙が止まりませんでした。なにがあっても彼女を支え続けようと、川本は決心します。

事例、2番目。

野球の松坂大輔。新聞記事によると、松坂は野村克也の書いた「無形の力」を読んで目覚めたと言う。

さっそくアマゾンに注文して、該当の箇所を読んでみた。野村がヤクルトの監督時代、新人投手の川崎に、当時投げると肘を壊すと言う理由でみな避けていたシュートをマスターさせた話。これによって川崎は、投球のバリエーションが格段に増え、その年12勝をあげ、新人2年目にしてローテーションの一角をしめるようになったとのこと。

この話が松坂にとって何のヒントになったかは分かりませんが、ものごとの本質に気付くとはこう言うことです。大リーグ挑戦以来、松坂の150キロを超える速球を軽々とバックスクリーンに持っていく打者がごろごろいる現実を目の当たりにして、これをいかに押さえるか悩みに悩んでいた時の話です。松坂にとって、シュートと言う球種のタブーを破ること、内角へ食い込む球種を加えることの意味が、彼の勝負師としての直感に直接触れ、たちまちものごとの本質を見抜くことができたのです。

今の松坂に、今ひとつ不満のKAIにとって、この話でやっと意味が理解できました。それは今の松坂が今ひとつかっこよくないわけが、絶対に負けない自信の裏返しだと言うことだったってことです。

事例、3つ目。

柔道の石井慧。体育の日特集、NHKスペシャルを観て、やっと彼の「凄さ」を理解しました。日本柔道全滅の中、なぜ彼が、柔道の中の柔道、100キロ超級で金メダルをとることができたのか。

柔らかい考え方を持った男だけが勝つことが出来る。

我慢して、我慢して、最後に一番欲しいものを神様は与えてくれる。


番組中、彼がインタビューに答えて言った言葉です。

彼は、気付きました。「柔道」と「JUDO」は違うと。日本柔道の不振は、日本柔道界の「柔道」から抜け出せない凝り固まった考え方に、その原因があることに石井は気付きます。2008年2月オーストリア国際で優勝はしたものの、これをいやと言うほど理解した石井は、オリンピックに向けて二つの特訓を開始します。

その一つは、レスリングや相撲の技を次々と取り入れているヨーロッパの「JUDO」対策です。それは一本による勝利ではなく、ポイントによる勝利と同義です。ポイントで勝っても勝ちは勝ちです。ヨーロッパの選手は、寝技に入る前のところからでも投げを打ってくるように、どんな体勢でも技を仕掛ける練習を積み重ねています。組み手ではなく、相撲のとったりのように足を取りに行く練習を、何度も何度も繰り返している。

これに対抗するには、同じ技を石井から早め早めに仕掛けていく。しかし決して技をかけない。すると相手は受けるしかなく、やがて「指導」をとられる。わずか1ポイント。これが後半に効いてくる。

そのまま二つ目の特訓に繋がる話です。石井は、5分の試合時間に、ヨーロッパの選手が3分たって急にパワーが落ちることに気づきました。それなら自分は5分パワーを維持できれば、試合に勝てる。試合開始から3分後「石井ちゃんタイム」のスタートです。この時間に技を掛けに行く。すでに指導で1ポイントリードされている相手は、更に苦しくなる。まさに、1ポイントでも勝ちは勝ちの勝利です。

これに、型にこだわる日本柔道界は、対応できない。実力は日本が上などと、負け犬の遠吠えを繰り返しても、誰も見向きもしない。

今の松坂同様、かっこうは関係ない。この勝ちにこだわる石井の柔道を、日本柔道界は異端扱いするけれど、かつての金メダリスト斉藤仁監督が日本一を保証する、石井は練習の虫。そんじょそこらのはねっかえりとわけが違うことは、冒頭のインタビューの石井の答えが証明しています。

5分間のパワーのために、ひたすら持久力をつけるためのトレーニングを繰り返す。きわめて合理的、論理的です。これが(JUDOと言う)環境に適応するだけの柔軟な思考の重要性、すなわちものごとの本質に気がついた男の結論であったとは、ただひたすら「石井偉い」、「石井お見事」と言うしかありません。 KAI

October 12, 2008

我慢も、それは時によりけり

週末テニス、日曜。久しぶりの秋晴れ。絶好のテニス日和に、なぜかいつまでたってもペースをつかめない。

2-6、1-6、2-6。なんで?

体調も良いし、頭も、例の通り「クリア」なのに。

3連敗して、はたと気がついた。ずっと、わずかな尿意を催しながら、これを我慢していることに。別にゲームを終わってからでもいいと、無意識に思っていた。しかし、これが微妙に影響していることに、やっと気づいた。

我慢の境界線上は、水彩画の二つの色が隣り合うように、二つの色気が滲み合う。この滲みは、絵画なら許されても、勝負の世界ではご法度。スポーツ選手に色恋がご法度も、これまた同じ理由。

そうです。つまりは、ほんのわずかな身体のシグナルである気の乱れに、勝負の世界の気の流れは、これを無視することができないと、またあらためて「気の法則」を深く理解したのでした。

気付いたとおり、トイレに行ったあとの第4セット。結果は時間切れながら、4-2。確かな手ごたえに、間違いはありません。

土曜テニスも、恐らくこれがわかっていなかった。

小雨が一向に止まない(これも尿意と一緒の)なかでのテニス。

結果は、たったの1勝の4-6、6-0、3-6、1-1。もしこの気の「滲み」に気付いていたならば、まったく結果は違ったものに。

しかし、小雨による「滲み」とは。

また、きわめて高度な課題に、アンジェロでカンパイ。 KAI

October 11, 2008

日本の経験に学べと言うけれど

未曾有の経済危機である。

株価が下げ止まらない。理由は、前回書いたとおり。

識者は、欧米の指導者に、日本の経験に学べと言う。これはこれで正しいけれど、では日本の経験とはなんだったのか。これを正しく理解している識者は、ほとんどいない。

2003年5月17日、りそな銀行が国有化された。

この時、榊原英資は、この国有化を指揮する竹中平蔵を、ペーパードライバーと酷評し運転する資格すらないとこき下ろしたが、結果はこれを境に株価が反転し、日本経済復活へ大きく面舵をきることに成功したのでした。

以来、榊原がこれに始末をつけた様子は見受けられません。所詮この程度の男にすぎないと言うことですが、他の識者といわれる方々も、目くそ鼻くそです。

当時も今も彼らが理解できていないのは、竹中平蔵がよく使う「メッセージ」と言う概念です。

国有化当時の「空気」を一言で言えば、「銀行憎し」です。いつになっても反省しない銀行経営者。相変わらずの高給取りの銀行員。世間の「空気」はきわめて重苦しく、閉塞感に覆われていました。識者といわれる人々は、この「空気」が読めない。榊原を始めとしたこのKYな奴が的外れなことを言うから、余計「気分」が悪くなる。

この状況の中の国有化とは、いかなる「メッセージ」であったのか。

それは、銀行経営者に責任を取らせること、この一点であったのです。

そしてこの「メッセージ」は、一般的に理解されているような市場に向けたものではありません。それは、世間の人々、一人一人の「気分」に向けた「メッセージ」だったのです。世間の人々は、これで一気に気が晴れます。昨日までの重苦しい空気から、一挙に開放されたのです。

これに最後まで抵抗して逮捕された旧UFJ幹部も、滑稽で哀れでしたが、凡そ他の銀行の幹部も似たり寄ったりの中、見せしめに大いに一役かった功績は認められるべきかも。

では、今発すべき「メッセージ」とは。

やはり、当時の日本同様、マネーゲームに踊った経営者に責任を取らせること、これ以外にはありません。その意味でリーマンを破綻させたことは正解でしたが、AIG救済はいかにも甘かった。AIGを国有化し、経営者を変えるだけで、すべてが解決したのです。AIGを解体する必要などさらさらないのです。

70兆円投入も同じ。不良債権の買取は二の次。どしどし国有化し、経営者を首にする。これですべて解決するのです。

なぜか。

今、不況の風が吹き始めました。雇用の不安。自動車が売れない。しかし、みなお金を持っていないわけではありません。もちろん今までの低所得者は相変わらず低所得であることに変わりはありませんが、現金はもちろん金融資産を持っている人たちは、それが紙切れにならない限り、もしこのまま経済が回復するならば、なんの影響も、なんの心配もないのです。

つまり、企業を倒産させることなく(これが大事)、経営者の責任を片っ端から取らせていくだけで、世の中の「空気」を一変させることができるのです。もちろん、市場から退場させる必要のある企業を救う必要はありません。しかし、そのことと経営者に責任を取らせることとは、まったく別問題です。

まっとうな企業を倒産させないことで、雇用を守ることができます。今も明日も雇用の心配が無くなればお金の心配もなくなります。消費を減退させている世間の「気分」は、すべてここにあります。

経営者憎しと雇用の不安、この世間の人々の、一人一人の「気分」に直接届く「メッセージ」こそ、唯一世界を救うことができると、KAIは考えます。 KAI

October 09, 2008

ノーベル賞ラッシュはこれもまたシンクロニシティ

ノーベル賞受賞者が、一度に4人(あるいはそれ以上?)とは、驚いた。誠にめでたいし、なんだか沸々と嬉しくなってくる。

ノーベル物理学賞を受賞した3人と彼らの学問上の関係者との系譜を整理すると、あらためて彼らが見事に繋がっていることがわかります。

それは、朝永振一郎(1906年生まれ、以下同)、湯川秀樹(1907)、坂田昌一(1911)、南部陽一郎(1921)、益川敏英(1940)、小林誠(1944)の方々の繋がりであります。

湯川と朝永は、共に1929年京都帝国大学理学部物理学科を卒業した同級生です。湯川が、1934年中間子論を発表し、これで1949年ノーベル物理学賞を受賞します。朝永も、その2年前1947年、くりこみ理論を発表。18年後の1965年にノーベル物理学賞を受賞。

一方、湯川の中間子論の第2論文以降の共著者であった坂田は、湯川に4年遅れて京帝大を卒業し、1942年名古屋帝国大学教授となります。この2年前に益川、2年後に小林がこの名古屋の地に生まれたのは、なにか因縁めいたものがあります。

その益川、小林は、坂田のいる地元名古屋大学に進学し、そこで坂田の指導の元博士号を取得します。益川が1967年、小林が1972年。その間の1970年、二人の若者に夢を託すかのように坂田は59歳の若さで亡くなります。坂田が亡くなったその年、益川、その2年後に小林が、京都大学に移り、ここで二人は今回の受賞対象となった小林・益川理論を発表したのでした。それが1973年、益川33歳、小林29歳、いまから35年前の出来事です。

そしてもう一人の朝永と繋がるのが、南部。

朝永は、くりこみ理論を発表した2年後の1949年、東京教育大学教授のまま43歳にしてプリンストン高等研究所に留学、研究を続けます。ここは原爆の父で有名なオッペンハイマーが所長であり、彼から朝永が薫陶を受けたことは間違いありません。

朝永に遅れること3年、1952年、ここに、南部がやってきます。南部は、丁度この10年前の1942年、東京帝国大学理学部物理学科を卒業したあと、母校の助手、大阪市立大学助教授、教授を歴任し、その後惹かれるようにプリンストンにやってきたのでした。このあとシカゴ大学教授となり、1960年、39歳にして、今回の受賞理由となる自発的対称性の破れを理論的に予測すると言う発見をします。13年のち、これが小林・益川理論によって裏付けられることになるのでした。

・湯川→坂田→益川・小林

・湯川→朝永→南部

この湯川から始まる分かれた二つの系譜が、南部の発見を小林・益川が理論的にその根拠付けして、また先で繋がる。時間を越えたシンクロニシティ、意味ある偶然としかいいようがありません。

ここで重要なのは、こうした繋がりが、ただ単なる互いの出会い以上の、もっとより具体的なところに、その根源的な理由があると言うことです。それは、湯川を源流とする、数式と言う道具を使って生きた気の流れを操る方法を伝授された人々の系譜です。

数式と言う道具を使って計算できることは、単に数式を操れるだけのことです。世の中の学者といわれる人々の大半がそのレベルにとどまっている。対して、この系譜の人々は、数式を使うことでその数式の中に流れる気を自在に操る方法を習得し、最後真理の扉を開くことができる。

これもまたシンクロニシティ。このあたりのことが、いま手に取るように見えてきた。しばらくして、また整理してレポートします。 KAI

October 05, 2008

ブランドは、自ら作れと週末テニス

世の中の気の流れが見えてくると、それ以外のことも、よりクリアになってくる。

よその国のことはさっぱり知らないけれど、日本人って言うのは、とにかくブランドに弱い。

私たちが今のビジネスを始めた当初、アプリケーションで使用するデータベースエンジンがORACLEでないことを理由に、私たちのアプリケーションの採用を見送る企業が、何社もありました。いまでこそこんな話はどうでもよくなりましたが、相変わらず、「データベースエンジン」を別の問題に置き換えて「ORACLE」と言うブランドでないと採用しないと言う会社が、後を絶ちません。

これを克服する方法は一つ、自らが「ブランド」となることです。

何年もこの努力を続けながら、今ひとつうまくいかなかった。

その理由が、今回のことで、一気にクリアになった。

それは、「ブランド」が「大気」の中にあると勘違いしていたことです。「ブランド」は「大気」の中にではなく、一人一人の「気分」の中にしかない。一人一人とは、まず私たち自身の「気分」の中にあると気付いた瞬間、一気に霞が晴れた。

なるほどね。

そう言うことでしたか。

なんだか週末テニスの問題も、すべてこれで説明がつく。いわゆる硬気と軟気問題。硬気も軟気も、4人の「大気」の中の問題ではなく、プレーヤー一人一人の「気分」の中に、すべてがあると言うこと。であるならば、まず自分自身の「気分」の中の、硬気と軟気の流れを理解して、この流れに身を任せる。

すると不思議なくらい、ミスがなくなる。ミスがなくなれば、当然勝てる。

土曜テニスの途中から、これを確認するように、プレイする。結果は、6-1、0-6、2-6、4-2とネモトくん相手に2勝2敗で順番に盛り返す方法を実感する。

翌日曜。6-3、6-2、4-6の2勝1敗と絶好調。この第3セットも、1-5の土俵際から4-5まで盛り返しての4-6で負け。いつもなら1-6でお仕舞いだった。

我慢することが勝利の秘訣の、この我慢。「気分」の中のことと理解すれば、我慢でも何でもない。気の流れに身を任せるだけのことだった。 KAI

October 04, 2008

気こそすべて

世の中が、喧しい。

金融危機、世界恐慌、景気後退。どう対処すればいいか、みなご宣託を求めて、右往左往している。

金融安定化法案が、やっと決まったけれど、株価は下げ止まらない。これで決着がつく気分には、誰もならないと言うことです。

しかし、今回のこの法案の採決を巡る一連の出来事には、「ものごとの本質」を理解するために、非常に示唆深いものがあります。それは、米国民一人一人にとって、国家や世界規模の安定など眼中になく、経営者憎し、自業自得と言う個人の「感情」が、あらゆるものごとの判断の起点としてあることが、より鮮明になったと言うことであります。

これを当たり前と言ってしまえば、それでお仕舞い。これは決して当たり前でもなんでもなくて、世の中、みな大いに勘違いしているのが、金融危機対策、景気対策といった政府の施策の背景に、国家的、政治的な集団の動機付けが前提にあると考えていることです。

結論から言ってしまえば、「景気」と言うものが典型で、「景気」と言う、集団的、マクロ的な現象は、実体のない統計的な結果に過ぎません。実体は、一人一人の「頭の中」にしかなく、一人一人の「気分」こそ、「景気」の実体としてあることが、ものごとの本質として、きわめて重要なことであります。

すなわち、金融危機の対策も、景気対策も、その最終的な対象として、そこに集団的な何かがあるのではなく、一人一人の「気分」に向けられるべきものであると言うことです。

世の中の大きな気の流れを「大気」と呼べば、その実体は、一人一人に分けられた気、すなわち「気分」の中にこそあるのです。マーケティングしかり、集合知しかり、すべてが、一人一人の頭の中の「気分」が実体であり、それがすべてであって、それ以外のなにものでもないのです。

この仕組み、この意味が理解できて、やっと、世の中がすべてクリアに見えてきた。 KAI