DVD漬けの影響が、こんなところにも。
睡眠時間が、えらく長くなりだした。
いままで、ほっておいても4時間前後で必ず目が覚めたのに、このところはたと目を覚ますと、しっかり6時間、7時間たっている。それでも朝の4時台だから、散歩に支障があるわけではないけれど。
この理由は、簡単。
前回書いたとおりです。DVD漬けによる思考の中断が原因で、これを睡眠中の思考で補おうとするから、睡眠時間が長くなる。
思考と言うのは、文字通り思い考えると言うことですが、これを意識的に思考すると考えるのは大きな間違い。意識的な思考は、むしろ思索なり考察とでも呼ぶべきで、テニスや散歩、あるいはだらだらテレビを観ている時に、いまやっていることとは全く無関係に頭に思い巡らす、思考の循環と言うものがあるのです。
この循環こそ、思考の本質です。
何度も何度も思い巡らす中で、頭の中の無意識のシミュレーションが進行し、やがてある思考の形を形成し収斂していく。しかしこれは決して固定化されるものではなく、超伝導現象のように循環し続ける。
この循環がDVD漬けで中断させられるのは、頭の中の思考と言うシミュレーションが、DVDによる疑似体験(これもまさにシミュレーション!)と同化するからと考えると、わかりやすい。
これで、24を18時間観続けたあとの頭が真っ白の説明がつく。今までの頭の中を循環していた無意識のシミュレーションがすべて、24のDVDで追い出されてしまった結果です。観終わった瞬間、頭の中には何も残されていなかったのです。
おかげで、思考の大掃除ができたようです。
なぜかもやもやして、答えが出せないままだった、2週間。おかげさまでやっと、思考がクリアになってきた。
と言うわけで、週末テニス。澄んだ空気の秋晴れのように、頭の中がクリアになると、ゲームもよく見えるようになる。土曜、6-1、4-6、1-6、2-1と平凡な結果ながら、ネモトくん相手になかなかの善戦。
日曜、終日曇天低温につき、最高のテニス日和。結果も、6-4、2-6、3-5とゲーム数がいかない分、運動量は相当なもの。1ゲーム、1ゲームが簡単に決まらないのは、仕事も一緒。これを我慢することが、勝利の秘訣。分かっているんだけどね。 KAI
とうとう週末テニスの話題ばかりになってしまった。
現実世界は、めまぐるしく動いているけれど、ここに思考のクリップをするには、あまりにも時間がなさ過ぎる。
いえ、すみません。DVD観すぎで時間がないだけです、はい。
週末金曜、迷走台風の行方が気懸かりなうえに、土曜日の面子のネモトくんから、群馬のトーナメントに勝ち残っているので東京に戻ってこれませんと電話が入って、急遽のピンチヒッターを捜し回るも、当然のようにみなさん都合がつかない。
こう言う時に頼りになるのが、ウッシー。ヨメにこんな時?に大丈夫なのと心配されながらをおしての参加、窮地脱出。助かった。
台風一過、予知能力のおかげで、開始1時間前、午前9時には青空が一杯になって、すっかり秋空の雰囲気の中で、気持ちの良いテニス。の予定が、3週間ほど前から傷めている腰痛が悪化。それでも1-6、6-0、6-3、4-1とウッシーの全敗は、実力通り。しかし今日も1本、ウッシーにパッシングを喰らった。なんなんだこれは。
明けて日曜。まったく予想もしなくて、天気予報では午後から50%とか。
12時開始するも雨が心配で、ウォームアップなしにそのままゲーム開始。KAIのサービスゲーム。デュースを繰り返す内に、案の定パラパラと降り出したと思ったらどんどん雨脚が強くなる。なんとかサービスキープ。
ここで一旦中断して、様子を見る。
西の空がますます暗くなるので、本日はこれにて終了。このままでは汗を出し切れていないので、砧公園を1周ジョギング。おかげでいつものアンジェロの生ビール、いつもどおり2杯でしっかり締める。
しかし、今回のDVD漬けで、つくづくわかった。
思考は、絶え間なく循環する。
つまりテニスをしていないときでも、思考は常にテニスをするし、逆にテニスをしているときは、テニス以外のことも思考しながらテニスしている。
テニスをすることとテニスを思考することとは、一体不可分のようで、まるでそうではなくて、テニスすることとはまったく独立して、思考の中でテニスが行われていると言うこと。
この「テニス」を「仕事」に置き換えても同じ。
そして、DVD漬けは、この思考を中断する作用があると言うこと。
だからなんだって言えば、この2週間のテニスの結果は、明らかに思考不足、気の流れにまるでのっかっていない。
その結果が、ゲーム開始直後の、日曜テニスの中断だったわけです。 KAI
24にはまった。
毎週月曜(とたまに金曜)の深夜フジテレビで24のシーズンVをやっていて、そのVOL.21を見終わった早朝、続きを1週間待ちきれない。思いあまってTSUTAYAのDISCASでVOL.22、23、24を予約。ほどなく佐川のメール便で届いたのが先週末。駿足チェック。当然のようにシーズンVIが気になって、DISCASで予約。この3連休でと思っていたらいつになっても予約のまま。
待ちきれないので、予約は取り消し、土曜テニスの後、駅前のTSUTAYAへ。何を隠そう(別に隠してませんけど)ビデオレンタルは、初体験。どきどきしながらシーズンVI、12巻かかえて、レジに並んで、ちょろいもんだと店を出る。
と言うわけで3連休、18時間24を見続けて、連休3日目の午後2時半、観了。
ふっふ。
頭が、真っ白。たまりませんわ。久しぶりの、この感覚。感想は、その内書くかもですが、個人的にはこんなハードな24時間、身も心も、とても持ちません。一緒に深夜やっていたプリズンブレイクの展開が、とてものろまにみえたのがなんとも不思議な感覚でした。
なるほどね。サッカーと野球の違いなのかもしれない。どちらも大好きなスポーツですが、間断のないサッカーは、目が離せません。24は、ドラマ界のサッカーだった!?。
そして、24の合間の、週末テニス。
土曜、4-6、6-4、0-6、2-1の2勝2敗のイーブン。日曜、3-6、6-2、4-4とこちらも1勝1敗1分のイーブン。
今ひとつ決め手に欠ける現状と、見事にシンクロ。不思議なものです。 KAI
確かに、クラウド環境のアプリケーション開発は、一筋縄でいかない。文字通り「クラウド」、雲をつかむような話と言う訳です。
ここ数年のうちに,クラウド・コンピューティングは企業情報システムのインフラとして欠かせない選択肢になってくるだろう。ミッションクリティカルなシステムも乗ってくるかもしれない。そのとき,ユーザー企業は多くの課題を抱えるに違いない。どんな課題があるのか,思い付くまま並べてみる。
(調べれば調べるほど分からなくなる「クラウド」)
以下がその課題。
データは移せるのか
誰が障害を復旧するのか
エンジニアはどう確保するのか
昔は、こういった課題に、OSや開発ツール、開発環境の提供側が、その具体的機能として対応してきたと思いますが、この記者の懸念通り、今のクラウド環境の提供側に、その意識は希薄です。
だからクラウド環境は使えないのかといえば、話は全く逆です。
クラウド環境で動作するアプリケーションをクラウド型アプリケーションと呼ぶと、クラウド型アプリケーションは、自律的にデータ移行をし、自律的に障害復旧し、そういったアプリケーションを開発できるエンジニアを自律的に養成することが前提となります。
これはどう言う意味かと言えば、従来技術で言えば、アプリケーションの構築技術、運用技術がOSや開発環境側の中にあったことを意味しており、これがクラウド環境においては、クラウド型アプリケーション側の中に移ってくることを意味しているのです。
つまり、このクラウド型アプリケーションとは、KAIが従来から言い続けてきた自己組織化アプリケーション以外のなにものでもないと言うことであります。
ようやく環境が整いだして、これからいよいよ自己組織化アプリケーションの時代に、期待はますます膨らみます。 KAI
今週末は、KAIの五十何回目の誕生日。
この歳になって初めて感じることだけど、自分の身体に、年齢と言う年輪が、実感として刻まれていることがわかるようになってきた。それはバームクーヘンのように幾重にも折り重なるようなものではなく、螺旋階段をぐるぐる上るたびに階段の中心の柱に傷を付けるような、そんな刻印の年輪が身体の中の中心に残っていく。
だからどうだと言うわけではないけれど、1年前の刻印より少しだけ上に今年もまた刻印される。あとこれがいくつ繰り返されるかわからないけれど、誕生日とはこう言うもんだと、実感する。
そんなことを思いながらの週末テニスは、ややパワー不足。人間、悟りを開くと、勝負への執着心が失せるのかもしれない。
結果は、土曜、6-3、5-7、0-5。日曜、6-3、6-7、0-2。
この土曜の5-7は、ネモトくん相手に競り負け、日曜もタイブレークを7-9で落とす。いまひとつ執念が足りない。
しかし、この1年、これを運気の流れとして身体の中に感じることができるようになったのも事実。運気の流れに身を任せると、勝ち負けにこだわる必要がなくなる。勝てる時はほっておいても勝てるし、負ける時はどうあがいても負ける。接戦も、勝ちを意識すればするほど勝ちは逃げていく。結果を意識するのではなく、執念という今の運気の流れに集中する。
と言うことで、今年は、間違いなく飛躍の1年になる予感がする。 KAI
福田首相の退陣表明は、世間やマスコミが何と言おうと、KAI的には「見事」としか言いようがない。
このまま候補者乱立の総裁選で、マスコミの注目を一点に集め、そのまま、新首相誕生、臨時国会冒頭での解散、総選挙突入の流れは、規模こそ一回り二回り下回るけれど米国の大統領選挙の民主党、共和党の候補者指名争いを彷彿させる流れです。
首相の出処進退は、国民が納得するラインで、ある意味において厳粛でなければならない。国政の重大さ、対外的な重さがあるからだ。われわれの時代と比べ、首相の地位が軽くなってしまった感は否めない。
(中略)
自民党総裁選で、次期首相(新総裁)が選ばれるが、麻生太郎君(自民党幹事長)がなるにせよ、誰がなるにせよ、次期首相は日本の歴史や伝統をわきまえ、冷厳に社会や世界を見つめて、きついことを直言する人を傍らに置く必要がある。今の政治家は、テレビのワイドショー的なパフォーマンスで生きているだけになおさらだ。首相になって初めて分かるものだが、政治とはそんなに軽いものではないからだ。わたしは京都学派の猪木正道さん(政治学者)や高坂正堯さん(国際政治学者)らとよく話し合った。座禅を通じて無言の教えも受けてきた。
衆院選は、次期首相と小沢一郎民主党代表の党首の戦いだ。自民党は総裁選で、小沢君に負けないトップを選ばなくてはならない。
(【首相退陣に寄せて】元首相・中曽根康弘 政治は軽いものではない)
もちろん、「密室政治」が「厳粛」と言うなら、こうした米国型の候補者選びが「厳粛」でなくなったのは事実ですが、本来の「制度」そのものは「密室政治」なんか許してはいません。
誰が考えたか知りませんが、手負いの自民党が小沢民主に選挙で勝つ方法が、米国の大統領選挙にヒントを得て、無選挙で埋没する民主を一挙に攻め上げる作戦と言うのは、うまく行くかもしれないと言う期待感一杯の「見事」な作戦であります。
しかも候補者が乱立することで、最終的な決選投票でどちらにつくか状況を見ながら判断できると言う、候補者自身のメリットもあります。
いずれにせよ、総選挙で与党が過半数を取りさえすれば、世論は与党にあることになり、参議院とのねじれは解消されないにせよ、参議院の野党による多数の横暴の理がなくなることは明白です。
「政治とはそんなに軽いものではない」とKAIもそう思いますが、それは「きついことを直言する」ようなスタッフの存在とはまったく無関係に、「きついことを直言する」世論がそのまま政治に反映できる「軽い」政治制度があって初めて実現できるものだと、KAIは考えます。 KAI