August 31, 2008

週末テニスの合間の大金星の真相

なんだかあれよあれよと言う間に、書きたいことが溜まるばかりで、遠い過去のような話です。いや錦織が第4シードのフェレールをフルセットの末に破った話。

日曜、テニスに出かける前まで、WOWOWで観ていた時は6-4、6-4と2セット連取。そのあと3-6とフェレールが1セット挽回。テニスから帰ってきて続きをみると、第4セットも2-6とフェレールで、2セットオール。洗濯しながら、ファイナルセットを観る。一進一退をくりかえして最後7-5で制して見事4回戦進出。ベスト16入りを果たしたのでした。

それにしても、この違和感はなんなんでしょう。

テニスの進化なのかそうでないのか。とにかくストロークが続くと言うかラリーで決まらない。相当なトップスピードで打っているけれど、どうしてもネットのリスクを避けるためにトップスピンのボールの応酬になる。

トップスピンのボールは、予測がつきさえすればすべて拾える。だから思い切りクロスでコートの隅に追い込んだ上で、ストレートまたは逆クロスで仕留めるしか方法がない。しかもライジングぎみに打点を高くして、相手の反応を制することがポイントになる。

ナダルが全米で勝てないのも、理由はこれ。ナダルもフェレールも同じスペインで、同じように打点が低い分、相手に反応できるわずかな余裕を与えてしまう。

そう、違和感の話。

錦織は、確かに勝つには勝った。勝ったけれど、何かが足りない。恐らくこれは、3回戦まで、相手側の錦織に対する研究不足が原因ではないかと思う。

どう言うことか。

上に書いたように、トップスピンボールでゲームに勝つためには、クロスのラリーを制する必要がある。しかし、これは諸刃の剣。相手をクロスに追いやればやるほど、立場を変えれば、相手にとっても同じこと。お互いストレートをがら空きにして打ち合うことになる。もちろんここでストレートを打ってエースを取ればいいのですが、そうは問屋が卸しません。

クロスになればなるほど、ストレートを打つネットの高さが高くなります。ネットの真ん中が一番低く両端が一番高い。ストレートボールでエースを取るためには、この高いネットを越えて入れる必要がある。

つまりフォアの打点の低いフェレールより、高い打点で打つ錦織にとってめちゃくちゃ有利な戦い方になるのです。にもかかわらずフェレールがこれを選んだのは、錦織の研究不足ではないかと言うこと。

結論をいえば、錦織にとって今回の勝利は、まだ自分の弱点をつかれないテニスでの勝利。真の実力ではありません。

彼の弱点の話は、以前書いたとおりですが、これはまたの機会にして、夢から現実、肝心の週末テニスの結果だけ。

土曜、6-3、2-6、6-5。日曜、6-1、2-6、1-6、1-2。土曜ネモトくんからの1勝が大きかった。 KAI

August 30, 2008

やっとこう言う時代は予想通りだけれど、さてどう対応すればいいのか?

CGアニメだといわれても本物に見える「Emily」のインタビュー映像(動画)

これはまだCGだとわかるけれど、もう少しすれば完全に区別が付かなくなるのは、まず間違いない。こんな時代にあって、人々は映像と言うものと、どう向き合っていけばいいのか。

自分が実際にまったくしゃべってもいないことが、自分のビデオ映像として流れる。

もしこれが悪意の映像であれば、取り返しのつかないことも予想される。

もう、これはかなり難しい問題のようですが、まるでこれをどう考えればいいか、アイデアが浮かんでこない。 KAI

August 25, 2008

傘寿とSPORE

夕方母親から電話がかかってきた。用件だけ話して電話を切った後、はたと気づいた。今日は母親の誕生日ではありませんか。あわてて架けなおして、傘寿のお祝いを言う。言葉だけのお祝いはいつものことと諦められているけれど、今年はとうとう八十の大台。なんとも不思議な感覚に襲われる。

そういえばと言うことはリキの誕生日でもある。生きていれば八歳。八十歳と八歳・・・。

この悠久の時間と空間のゲームSPOREをひっさげて、ウィル・ライトが、やっと還ってきた。ウィル・ライトの新作ゲームと題して彼のことを取り上げたのが、2005年3月15日。もう3年と半年が、たった。

 Wright氏は、米国時間9月7日(日本では9月5日)に発売が予定され、高い期待を集めているEAのシミュレーションゲーム「SPORE」の世界的なプロモーションツアーの一貫で、初めてシンガポールを訪れた。(ウィル・ライト氏、「SPORE」「The Sims」、科学を語る


ゲームのコンセプトを考える際、何を参考にするのですか。例えばThe Simsでは、J. R. R. Tolkien氏が「指輪物語」で新しい言語を作り出したように、独自の言語が使われています。

 たいていの場合、アイデアを生み出し、ゲームを作っていく中でコンセプトはダイナミックに生まれてきます。基本的には、丸い穴に四角いくいを打ち込むような作業です。通常は、ゲームデザインの制約を克服する作業が大半を占めます。例えばThe Simsでは、着替えをさせる方法がいつも問題になっていました。ドレッサーを開け、服をかけるといった作業をさせるのは面倒です。結局、この問題はユーモアの力で解決することにしました。現在、The Simsのキャラクターは、空中に飛び上がり、回転して服を着替えるようになっています。

 ゲームデザイン上の問題であったものがThe Simsの特徴の1つになりました。そして、キャラクターが飛び上がり、回転して着替えるというシステムは、いまやゲームの広告にも掲載されているほどで、The Simsシリーズの世界観に完全に溶け込んでいます。

シムの赤ちゃんが生まれる際、花が舞うというのも・・・

 わたしたちは、当初はゲームデザイン上の制約であったものを、ユーモアによってゲームの世界観を象徴する特徴に変えてしまうのです。それによって、ユーザーは自分がその世界にいることを実感します。ある意味これは、相手の力を利用してそれを自分の力に変える合気道に通じるものがあります。
ウィル・ライト氏、「SPORE」「The Sims」、科学を語る Page 4/4

この合気道に通じると言うのは、なかなか興味深い話です。

そもそもこういったゲームと言うものの、本質をあらわす言葉に、ターンと言う用語があります。ターンとは、簡単に言ってしまえば、プレイヤーとゲームとの間の相互作用、すなわち引力です。

合気道が、この引力を利用する技であることを考えると、みごとに道理にかなった話です。この世界の探求は、まだまだ続きます。KAIの傘寿まで。 KAI

August 24, 2008

忘却の週末テニス

この道を、右にいくべきか、はたまた左にいくべきか。会社と言うものは、重大な経営判断が必要な時が、必ず何度も訪れる。土曜日、夕方6時から3人で4時間、食事しながら議論をした。この経営判断のための議論を。

土曜テニスのあと、家に戻っていつもの洗濯を終え、オフィスで待ち合わせて近くにある地鶏の居酒屋に移動する。

もちろんここで議論した内容を、ここに書くわけにはいかないけれど、話せば話すほどに自分たちがやってきたことの、本当の意味と言うものが明確になって、はっきりと右の道を歩むしかないことを確信する。

この結果は、必ず出る。そう信じて。

ところが4時間議論したら、昼間テニスしたことが頭の中からすべて消えてしまった。いくら思い出そうとしても思い出せない。

とりあえず、6-1、2-6、7-5、2-4と言うことにしておくけれど、議論の前に記録していなかったからまるで自信がない。翌日になって思い出そうとしても、どうしても思い出せないし、こんなことはかつてなかった、と思う、多分。

日曜テニスの結果、6-1、2-6、2-6。このスコアは間違いないけれど、まさに気も漫ろ。

さあ、右は選択した。そのあと、どうするか。 KAI

August 22, 2008

北島康介の偉業と孤独

彼の金メダルのおかげで、日本人にとっての北京オリンピックが、やっとまともなオリンピックになった。もし彼の金メダルがなければ、まるで北京オリンピックは締まらないものに終わっていただろうことは、まず間違いない。

 水泳の北島康介選手が、ついに五輪2大会連続で4つの金メダルを獲得した。そして、日本中が偉業に沸いた翌日のメディアには「引退」の文字が躍った。
(中略)北島選手が瞳に輝きを取り戻し始めたのは、新泳法を身につけ始めてからだとマネジャーは言う。
 「北京入りの数日前、僕は北島を怖いと思いました。目をそらしたいような強烈な目力と、近寄りがたい気を湛えていたんです」
 そのころの彼に、実は私も同じものを感じた。「この人はたった一人で“孤独の森”に入って、徹底的に孤独と闘ってきた人だ」
 私自身も漫画家としてデビューする前、家族に反対され、金銭的にも困窮し、明日死ぬのではないかという孤独の中で原稿を書いた経験がある。しかし、その体験がなければ私は強さも意地も熟慮する習慣も身につけることがなかったろう。北島選手に会ったその日、私は改めて確信した。「孤独を恐れることはない。誰であれ、何かに覚悟をもって挑むとき、人はたった一人で孤独の森に入り込んで、自身と向き合わなくてはだめだ」。彼が極みにたどり着いたと認めたからこそ、人々は引退を想起してしまったのだろう。
(産経新聞、めざましカフェ、'08北京 孤独が人を強くさせる、さかもと未明、2008/8/17、p.1)

孤独と闘うのではない。孤独の中に生きると言うこと。

最終的な判断は、誰に頼ることもできない。身体中の全神経を一点に集めて、気の流れをコントロールする。すると気は自らが進む流れに流れていき、そして還ってくる。そう言う次元まで孤独に生きて初めて、すべてが見えてくる。

スポーツだけではない。漫画家であれ何であれ、人が生きる力を得ることができるのは、身体と心の中を流れる気のエネルギーによる以外にはない。

気力、とはそう言うもんなのです。 KAI

August 17, 2008

ギャップと戦う週末テニス

いつもの週末テニスは、ギャップとの戦い。

土曜テニス。なんでこんなに暑いのかと叫びたいけれど、その叫ぶ力が微塵もでてこないほど暑い。

7月に入ってからようやくこの暑さに慣れてきた身体が、この一段上の暑さと言う「ギャップ」に悲鳴をあげている。同じ暑さでもテニスができる限界と言うものがある。もちろん鍛え抜かれたプレーヤーにとっての限界ではなく、ウィークエンドプレーヤのそれですが、この限界を超えると間違いなく熱中症で倒れるのを予感する、そう言う限界を超えてしまった暑さ。

このギャップに耐える方法は、ただ一つ、ギヤダウン。歯車を一段下げてプレイするしかない。

しかしボールのスピードがギヤダウンするわけではないから、いつもなら軽々拾えるボールに手も足も出ない。ひたすら黙々とサービスをして、ストロークして、たまにボレーとスマッシュをうつ。黙々とこなす。

こんなテニスのどこが面白いのかと訊かれても、答えようがない。もちろん後の生ビールで昇天するためだなんて、口が裂けても言っているけど、言えない。

だから結果も、7-6、3-4と2セットもできないし、こんな時に限ってタイブレークまでもつれ込む。これがつらいのなんの。

なんてぼやきながら2時間が終わる。

アンジェロの生ビール。昇天して、ついに禁断を犯してしまう。3杯目のおかわりを頼む。なんてしあわせなんでしょうと思っても後が怖い。アルコールチェッカーの赤いランプがいつまでも消えない。

やっと家へ這々の体で帰ってきてソファーに横になる。しばらくしていくら起きあがろうとしても、おきあがれない。ユーイチくんに今日のハイタイドはパスと電話を入れる。

そして日曜。昨日とうってかわってひんやりした小雨交じりの曇天。本日の13度の「ギャップ」は大歓迎なんですが、あまりに身体が羽のように軽いもんだから、1セット目で飛ばしすぎて一気にガス欠を起こす。いつもは試合前にオニギリでエネルギーを補給するのに、今日は天気が持たないかもしれないと思ってパスしたのが、いけなかった。

と言うことで、6-0、3-6、6-4、2-2と最初ぶっちぎりからペースダウンの後、持ち直して最後は引き分け。なかなか波瀾万丈な結果でした。

「ギャップ」との戦い方が少しわかった。 KAI

August 13, 2008

ジャーナリズム宣言

POLAR BEARさんのなぜ新聞にジャーナリズムを期待するのか?を読んで、まだKAIがぴかぴかの若かりし頃青い議論をしたことを思い出した。当時新聞部の部長をしていて、議論の内容はすっかり忘れてしまったが、生徒会と新聞の関係について侃々諤々議論をしたことだけは、しっかり覚えている。

以前からKAIのエントリーでも確かに、この「新聞」について何度か取り上げて、その役割、使命が大きく変わってきていることを書いてきましたが、しかしこのエントリーで取り上げている「新聞=ジャーナリズム=中立」と言う「変な常識」だけはいいかげん勘弁してもらいたいもんだ。

そもそもジャーナリズムと中立などと言う、次元の異なる概念を等式で結ぶこと自体がおかしいのですが、これはジャーナリズムの本質を正しく理解していないことからくるおおいなる誤解です。

つまりジャーナリズムとは、表現の自由と国民の知る権利を守るための「言論活動」そのもののことであって、その言論の内容を評価する立場の意味の「中立性」は、端から言論活動の中に求められてはいないのです。

にもかかわらずジャーナリズムの中立性が問題になるのは、朝日の得意な「偏向報道」問題があるからです。事実を事実として伝えている間は中立性はまったく関係ないことです。事実でないことを事実であるかのように伝えるから問題になるのであって、事実を事実として伝えこの事実に基づく主張や意見あるいは評論におけるその立ち位置は右でも左でも上でも下でも、はたまた真ん中でもお好きにどうぞでかまいません。

そして新聞がジャーナリズムかと言えば、その通りです。逆に新聞がジャーナリズムであることを止めた時、それは折り込みチラシと同じただの広告のための紙切れにすぎなくなります。ネットの記事も、スポンサード広告との違いは何もありません。

かように、ジャーナリズムであることが、すべての一番先にあります。

インターネットは、ブログだろうがPJだろうが、あなた自身がジャーナリズムを宣言しさえすれば、たちまちあなたにジャーナリズムの力を与えるのです。なんとも身震いするようなジャーナリズムの時代ではありませんか。 KAI

August 10, 2008

週末テニスは心のテニス

熱中テニスを終えて、サウナの水風呂は天国のオアシス。

水の中にまるでアマゾンの中から鼻と口を出しているカバのように、鼻の穴と口だけ出して数分間。水面の変化の音以外、水中の耳にはなにも聞こえないなかで、突然右わき腹付近に侵入者。

目を開けて見ると、すぐ出ろよ、といわんばかりの形相の、いままでサウナで汗を流していたオジさん。

ガマンデキナイ。

まるで自分がルールですといわんばかりの人って、いますが、この人、それ。

そそくさと水風呂を出るも、後味がよくない。

しかし人のことを言う資格はない。自分も同じことをやったことがあるから。もう十数年前の話で時効だから書くけど、あのころまだ若かった。なんで目の前の人が、「昇天」するまで待てないんだろう。ほんと不思議だけれど、いざ自分になれば、これが我慢できなくなる。

それが十数年の時間を経て、まったく立場が逆転する。これもまたなんとも不思議なものである。

組織の中に長くいると、人を物理的に動かすことに鈍感になる。

自宅の下水口にゴミがたまって雨水があふれ出した時、町内会の人がやって来て注意される。この時いつまでにやるか期限の明言を求められて、カチンときた。これと一緒。

人は、心でしか動かない。

そしてテニスの結果も同じこと。

土曜は、久しぶりの足裏の痛みの癒えたO谷さんとコーチのネモトくんが入って、6-2、0-6、2-6、0-2の1勝3敗。日曜、2-6、6-2、0-6と2敗したところであと15分を残すも力尽きてお仕舞い。

みんな、心からテニスが楽しくて2時間、ひたすら汗をかく。そう言うことなんだよね。 KAI

August 07, 2008

日本のケータイはどこへ向かうのか?

日本のケータイの進化が、進化の迷路にはまったことは間違いない。

一体この先、ケータイに何を期待すればいいか。これがまるで不透明であることに驚かされます。日本のケータイはどこへ向かうのか?と題するITProの記事を読みながら、つくづく日本のケータイは終わったと。

このように考えると携帯電話を利用したビジネスは,まだまだ大きな可能性が残されていることに気が付かされる。インターネットの世界では,ユーザーの行動履歴をつかんだ米グーグルや米アマゾンといったプレーヤーの優位は揺るがない。携帯電話の世界では,インターネットの世界と同様の行動履歴に加えて,現実の世界とリンクできる位置情報も扱える。今後,携帯電話からインターネットへアクセスするユーザーがますます増えることを考えると,大きな宝の山がそこにあることが分かるだろう。

こう書かれてはいるけれど、これはiPhoneのようなプラットフォームが準備されていてこそのお話であって、ケータイと言うハードウェア単体の仕掛けでは決して実現することのできない種類のアプリケーション、すなわちソフトウェアの世界であることにこの記者は気づいていません。

ではケータイが消えてなくなるのかといえば、そうではありません。「ハードウェア」としてのケータイの進化はここしばらくは続きます。しかしそれは、おさいふケータイといった単機能目的のハードウェアであって、あらたな機能目的に開発されこれが使用されることは明らかになくなります。

すなわち人々がケータイに求めるのは、夢ではなく、単なる日常と化することを意味しています。

単なる便利な道具となったケータイに、いくら魅力的なアプリケーションやコンテンツを供給しても、誰も夢を抱くことがなくなるのであれば、これはすなわち無価値の烙印しか残されていません。

これからの社会は、ソフトウェアにこそ価値があることを、ケータイ事業者は思い知るべきです。

唯一生き残るケータイが、「ソフト」バンク、であることは単なる偶然ではないのです。 KAI

August 03, 2008

週末テニスとそろそろクライマックス

先週に引き続き、メンバー調整に一苦労の週末テニス。O谷さんがお休みのため、かわりに土曜ネモトくん、日曜T中さん。T中さんが出てくれることになって、ほんと助かった。もしダメなら万事休すだった。

それにしても、暑い。

土曜、この暑さの中で、やっとこさコーチのネモトくんから、トータル6ゲームをゲット。これも暑さの中での戦い方に、大分慣れてきた成果。結果は、6-1、3-6、3-6、0-2。

もちろんこのあとアンジェロの生ビールで、昇天。

そして日曜。暑さが続くも多少曇り空。しかしそれでも、暑い。このあとのアンジェロの至福の生ビールがあると思えばこそ、2時間の苦行もまた楽し。ただそれだけでもないのも事実。ある意味ランナーズハイと一緒で、恍惚状態になっている自分に気付く。おい大丈夫か^^;。

結果は、6-3、6-3、3-4の2勝1敗と、そこそこ調子が出てきて、予定通りアンジェロで満足の昇天をはたす。

しかし、それにしても、長い。そろそろクライマックスの予感がしないでもないが。このテニスがなければとうの昔に終わっていたこの戦い。運勢の流れの、真っ只中に今いる。まことにこの運勢の流れには逆らえないことを、この1年で知ったし、実感せざるを得なかった。粛々と、あとは運命の流れに身を任せる以外にはない。悟りの境地とは、こんなもんだと。 KAI

August 02, 2008

前畑、ガンバレ!

土曜日早朝の番組、NHKアーカイブスあの人に会いたいも、毎週楽しみな番組です。今朝は、あの前畑ガンバレ!で有名な前畑秀子

といっても若い人たちにはまるで遠い存在になってしまいました。

1936年、今から72年前。舞台はヒットラーの元でのベルリンオリンピック。日本もこの翌年の盧溝橋事件をきっかけに日中戦争に突入すると言う、暗黒の、激動の時代のオリンピックでした。

ここで前畑は、200m平泳ぎ、ヒットラーから直々にドイツ代表の命を受けたマルタ・ゲネンゲルとデッドヒートを繰り広げタッチの差で金メダルをとります。日本人女性初のオリンピック金メダル、22歳の快挙を達成したのでした。

前畑は、すでにこの4年前のロサンゼルスオリンピックで銀メダルを獲得し、直後にこのプレッシャーから逃れたくてか引退を決意します。その時前畑の母親が言ったことを、すでに80歳目前の前畑は昨日のことのように明確に覚えているのでした。

やりかけたことは、苦しいのは、わかってる。でも最後まで、やり遂げるんだよ。

母だからこそ、言える言葉です。

表彰台の前畑は、涙が止まりませんでした。上がる日章旗に一度も目をやることができなかったのです。コーチの言うことをかたくなに拒否し、自分が信じる練習方法を貫き通しての、涙でした。

話は大きく変わって、例のY木さん。

帰国まで病院の1日の費用が、なんと30万円(もちろん治療費混みだけどね)!。これが15日間で締めて・・・^^;。とこれが帰国しても終わらない。さすがに1日30万はないけれど、ベッド代が1日10分の1の3万円。これからいったいいくら払えばいいのか、途方にくれる、Y木ダンナでありました。 KAI