先週と全く同じパターンで日曜、雨。
と言うことで週末テニスは土曜のみ。今日からスイス旅行のY木夫妻。夜の便と言うことで余裕の参加。結果は、2-6、6-3、6-1、3-0とほぼ復調を果たす。
さすがにテニスの後のアンジェロはY木さんはパスでKAI一人。日曜も朝から雨で中止確定につき、砧公園一周のジョギングの後、アンジェロで一人で食事。いままでたまに一人になることはあるけれど、連日一人で食事するのはやはり寂しいと、痛切に感じる。
最近、バツイチ、バツニ同士が知り合って1ヶ月で結婚すると人から聞いて、その理由が分かる気がする。分かる気はするけれど、それはそれ。ずっと一緒にいたらいたで、鬱陶しくなるんだな、これが。はてさて結末はどうなりますやら。
話変わってWOWOWの週末はシルベスター・スタローン特集。土曜テニスが終わって自宅に戻ってきてやっていたのがフィストF.I.S.T.(1978年)。全米トラック労組の委員長になったJohnny Kovak をスタローンが好演している。
そして日曜の朝やっていたのが「ロッキー」。
1975年、29歳の時、観戦したボクシングの世界ヘビー級タイトルマッチ「モハメド・アリ対チャック・ウェプナー」の試合に感銘を受け、それをヒントにわずか3日で書き上げた脚本をもって製作所に売り込む。脚本が気に入った映画会社は大スター(ロバート・レッドフォードらが候補)を主役にした大作として製作しようとしたが、スタローンは自分を主役にしないなら脚本は渡せないと固辞。スタローンの意見が通ったが、スターの作品でないため低予算となり、わずかな上映館でスタートした『ロッキー』であったが、徐々に大評判を呼ぶことになった。同年のアカデミー賞最優秀作品賞を受賞し、世界的な規模で大ヒット(詳細は 『ロッキー』の項で記述)となり、映画の主人公の境遇とスタローン自身のそれが「荒んだ生活から一夜にして栄光を掴む」という古典的なまでの “アメリカン・ドリーム”を体現した点で共通していることから大変な話題を呼び、多くの人間に希望を与えた功績は評価されうるものである。
(シルヴェスター・スタローン出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
ロッキーがこんな良い映画だったとは。そしてスタローンのことも誤解していたけれど、こんな良い役者だったとは。トレーニングから帰って来て「ロッキー4/炎の友情(1985年)」、「ロッキー5/最後のドラマ(1990年)」を続けて観る。ほんと思い込みとは恐ろしいと気付かされる1日でした。 KAI
あらためて思うのが、ウィンブルドンのウェアです。シャラポアの話ではなく、ウィンブルドンでは、白以外のウェアは着用禁止であることです。これがみていて実に気持ちがいい。
これは以前から気になっていたことですが、白ではなく黒のウェアは、なぜか知らないけど間違いなく相手の勝機を誘う。ジャイアンツもソフトバンクも、ホームのユニフォームを黒に変えた瞬間から負けが混みだした。これに対して白。黒に比べて相手を圧倒する力があるのかもしれない。
そして本題。
まず錦織。直前の大会で傷めた腹筋の肉離れで途中棄権の敗退。これは明らかに芝のスピードに合わせるためのチューンアップの失敗が原因です。若いからぎりぎりの限界まで無理をきかせた結果がこうなったのです。コーチの責任が大きい。
スピードと言えば杉山。18歳のアリサ・クレイバノワ(ロシア)に4−6、4−6でストレート負け。これで18歳かよと驚くべき戦車のような体格から放たれるパワーショットは、幾度となく杉山からエースを奪う。決して巧いとは思えないテニスだけれど、このスピードについていくのは大変そう。
そして圧巻は、第一シード、イバノビッチの2回戦。ナタリー・ドシー(フランス)にマッチポイントを握られながら、6-7、7-6、10-8で大接戦を制した試合。
運命の第2セット。6-6のタイブレークでドシーのマッチポイント。アプローチのストレートボールがネットに。このボールがイバノビッチ側に落ちればゲームセット。ウィンブルドンのネットは緩く張ってある。緩いと大抵手前に落ちるけれど、ドシーのボールも案の定そうなった。イバノビッチが生き延びた瞬間です。
運命が決まる一瞬なんて、意外にこんなもんだと、いたく納得。 KAI
もう20年以上前になるけれど、K村くんと言うプログラマがいた。彼のプログラムの仕様を理解する方法が特殊で、普通の人間なら簡単な絵を描いて説明すれば一発でわかる仕様が理解できない。替わりに絵ではなく文章にすると(文章にするのは大変なんだけどね)、これが面白いように正確に理解する。
何がいいたいのかといえば、人のコミュニケーションの方法には得手不得手があることをこの時初めて理解した。
営業と言う仕事は、コミュニケーションの塊みたいなもんで、その方法にも得手不得手がおおいにある。初対面の相手や、目の前にいない電話越しの相手に、営業がなにがしらのものを伝えることは、営業の仕事の基本中の基本、営業のイロハです。
これが意外とできない。いわゆるこちらの意志を伝えることが不得手なのです。
例えば私たちのASPサービスは、完全なオンラインサービスであるにもかかわらず、やれ営業に事務所に来て説明しろとか、本番稼動まで月額料金を払わないとか言う、私たちのサービスを完全に受託請負のサービスと勘違いしている顧客に対して、これが間違いであると営業は言わなければいけない。
もちろん営業は、こう言う勘違いした顧客に文句を言うのですが、これがいけない。
顧客に「サービス規約」なるルールを一生懸命説明しはじめるのです。こう「ルール」に書いてありますと。こういった営業の欠点は、実は本心が「受託営業」にあるのです。別に本人が面従腹背しているといっているのではありません。営業担当者の無意識の中に、いままで経験したことのないマクドナルドやセブンイレブンと言うコミュニケーションの方法を、受け入れることができないために、本音の営業ができないのです。
コミュニケーションとは、共感です。
営業のコミュニケーションも、顧客の共感がすべてです。
顧客の共感を得る方法を持ち合わせていない営業マンは、営業ではありません。単なる事務員にすぎません。現場は教訓の宝の山です。 KAI
別にタバコを吸いすぎたわけではありません。そもそもノースモーカーのKAIには無縁のはずが、世の中の空気が悪すぎます。
例の朝日。いつも見ることのない2ちゃんが面白い。
1 :出世ウホφ ★:2008/06/22(日) 01:47:52 ID:???0
死刑執行の件数をめぐり、朝日新聞夕刊1面のコラム「素粒子」(18日)が、鳩山法相を「死に神」と表現した問題で、朝日新聞社に約1800件の抗議や意見が寄せられていたことが分かった。21日夕刊の素粒子では、「法相は職務を全うしているだけ」「死に神とはふざけすぎ」などの抗議が千件を超えて寄せられたことを明かした上で、「死刑執行の数の多さをチクリと刺したつもりです」と説明。 「風刺コラムはつくづく難しいと思う」とし、「法相らを中傷する意図はまったくありません」「表現の方法や技量をもっと磨かねば」と、おわびとも取れる内容になっている。
朝日新聞社広報部は、抗議数を回答したが、「(21日夕刊の素粒子などについて)特にコメントはありません」と話した。
6月22日1時32分配信 毎日新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080622-00000004-mai-soci81 :名無しさん@全板トナメ参戦中:2008/06/22(日) 02:03:55 ID:7y6gr4BP0
アカが書き、ヤクザが売ってバカが読む朝日新聞w中傷の意図は全くありません
91 :名無しさん@全板トナメ参戦中:2008/06/22(日) 02:05:10 ID:UyCKZ7xo0
死刑執行の判を押すのは法務大臣の重要な務めのひとつだからなあ。
職務とはいえ、大臣の心を想像してみれば『死神』なんて言葉は出てこないだろうに。
この記者は、鳩山法相が嬉々として執行の書類に判を押しているとしか感じないんだろうな。
人の心も読めない輩が大手の新聞記者をやってるだから・・・。
ほんとまともに考えれば、謝罪してあたりまえ。にもかかわらず抗弁に終始する様は、見るに耐えません。こうしてますます確実に読者を減らしてくれれば、これはKAIの本望であります。
ついでの板に興味深い書き込みがあった。
99 :名無しさん@全板トナメ参戦中:2008/06/22(日) 02:06:40 ID:Ib7YJ96K0
マスゴミはまったく報道しないが、塗装ラインで働いていた加藤はトルエン中毒だった可能性がある。06/04 00:51
眠い
なぜか目がさめる06/04 00:51
なんか病気なのかしら06/04 00:52
イライラして眠れやしない06/04 01:09
全身が痒い
イライラする06/05 04:52
朝からイライラする06/05 18:09
ああイライラする>トルエン中毒は末梢神経障害だけでなく、 大脳を傷害して意識喪失以外に興奮性を増したり、
>刺激に過敏になったり不安・抑うつなどの性格異常をきたします。>シンナー、トルエン、キシレン
>錯乱、不安、不眠、被害妄想を経て、放火や殺人などをするようになる。 ←ここ重要★
>トルエンには習慣性がある。身体所見を伴う禁断症状がまれに見られる。
>慢性中毒で、イライラ、不安、物忘れ、不眠、被害妄想、などの症状が出る。>皮膚・粘膜障害:皮膚炎、結膜炎、上気道炎など(症状は皮膚のあれ、かゆみ、なみだ、目の充血、くしゃみ、せきなど)
当然裁判になれば、被告側の弁護士にとって有利な情報ですが、立証するのはかなり大変でしょうね。
そもそもなぜ胸が痛むか理由はわかっていますが、ここに詳しく書ける話じゃないもんね^^;。ただ一言書いておくと、ビジネスの現場はそんなあまいもんじゃないと言うこと。プロ野球の選手が試合中に監督の指示に従わなければ即退場させられるのと同じ。(しかしスカンクじゃないんだから最後のすかしっ屁だけは勘弁してもらいたいもんだ)
そして先ほど終わった岡田ジャパン。期待通り^^;1-0の辛勝。2軍相手に、中村を無理して出してもこれだから、やっぱり“どぎゃんせんといかんがねぇ”。
肝心の週末テニスは、さすがに土曜日だけ。土曜日だけとはいえ、降水確率80%にもかかわらず奇跡的にテニス開始前には雨がやむ。結果は6-1、2-6、6-2、1-1と平凡な結果ながら、内容に納得。いつものようにアンジェロで至福の生ビール。
日曜は前述通り、雨。当日も80%の降水確率ながらテニス開始30分前まで極小の雨粒。これはもつかなと思いきや、突如雨粒の半径が大きくなる。なんともはやあきらめるしかありません。そのまま砧公園を一周ジョギングしてからアンジェロで生ビール。雨が降っても降らなくても、至福の生ビールで乾杯。幸せは、こんな小さなところにこそあるんだと実感する。 KAI
とうとうジャーナリストの魂までも悪魔に売り渡した朝日。
法律違反を繰り返す、歴代の法務大臣。法の番人たる人間の、この犯罪がなぜ糾弾されなかったのか。まるで不思議でしょうがない。
この国がまるで法治国家でないことが、よくわかる。
要は、本人が冤罪を主張した裁判で出た死刑判決による刑の執行は、これの再審請求が行われる限り最終刑を執行してはならない、と言う規定を立法化すればいいだけです。
これくらいの智恵を使えよ、朝日。
にもかかわらず、法の運用にまじめに取り組む大臣をぬけぬけと「死神」と言う。
これは朝日を発刊停止処分くらいに処すべき、きわめて重大な国家反逆罪です。
いったいどこの国に、国家の法の番人を「死神」呼ばわりするジャーナリズムがあるのでしょうか。そんな国家は一国足り、ありえないのです。もしあるとすれば、法を否定し、国家の転覆を願う徒党以外有り得ません。
つまり、朝日は、国家の転覆を望んでいると言う結論です。そう考えると朝日新聞は、きわめて明確に国家転覆願望新聞と言うわかりやすい新聞であると、納得できるのです。 KAI
世の中の運気の大きな流れに乱れが生じ始めていることを、強く感じる。
世界中を見渡せば、毎日毎週事件は起きている。起きてはいるけれど、一つ一つの事件と言う「点」が意味と言う「線」で繋がることは、あまり起きない。しかし、この1ヶ月間余りの間に連続したミャンマー大災害、四川大地震、そして昨日の大地震と東アジア一帯の運気の乱れは、尋常ではない。
昨日の地震も、被災者の数は四川と比べるべくもないけれど、山脈の山ごと陥没する様を見れば、これがいかに甚大な地震であったか一目瞭然です。
こう言う天災は、必ず人災を誘う。秋葉原の惨劇は、これからくるもっと甚大なる人災の予兆ではないか、そう言う気がしてならない。飛行機、新幹線といった大量輸送に厄気が流れないことを祈るばかりです。
週末テニスも波乱含みの展開。
土曜が、1-6、6-1、2-6、0-1と結果的にすべて一方的な試合かと思えば、日曜は一転。6-7、7-6とすべてタイブレークまでもつれこむ。両日ともどちらにぶれてもおかしくはない結果は、まさにカオス的。
それにつけても岡田。悪運がついているにも程がある。なるほど、彼は負ければいいと思うほど勝つタイプであったか。バーレーン戦、勝ってほしい^^;。 KAI
遅ればせながら、そろそろiPhone3Gについて一言書いておきます。
とはいってもすでに1年以上前から、今回の流れに言及し、言及したとおりの流れになっているのは、自慢するつもりはありませんが、間違いない事実であります。
これは、もし2008年ソフトバンクが堰切ったとして、意外に早い2011年には結果がでていると思われます。もしこのソフトバンクが、純正のiPhoneでなくてもiPhoneモードのインターフェイスのケータイのラインアップとそれをバックアップするサービスを提供できれば、結果は同じ流れになります。
時代はiモードからiPhoneモードへ
期待通り孫さんの登場で、場は一挙に盛り上がること間違いありません。
iPhoneの真の目的は、何か。
それは、モバイルマックを創ること。
そして、それに気付かせないために社名からコンピューターを外し、モバイルマックからコンピューターの「ニオイ」を、きわめて巧妙に消し去ったのです。
そしてそして、このモバイルマック(MM)の目的は何か。
これはきわめて明確です。
このMMさえ持っていれば、すべてのM(モバイル)が実現するってことです。
すなわちPSPでありDSにもなるってことです。
居間にあるリモコンにも、哀しいけど。
そのすべてのザ・モバイルの座(ちょっとダジャレ^^;)に、ジョブズは明確な楔(くさび)を、iPhoneで打ち込んだのは、(発売前ですが)間違いありません。
ジョブズのクサビ
今回のポイントは、すべてここにあります。エジケンがコメントしている通り、今回どれだけ売れるかはまったくもって無意味です。
だからBlogはやめられないと、ほんとに思う。こんなすばらしい情報をどのメディアも報じない。
これがモバイルマックの始動であることは、間違いありません。
いよいよコンピュータの最終戦争が始まります。
こんな凄い現場に立ち会うことを許してくれた神に、KAIは真に感謝します。
これからの10年が、21世紀のコンピューターのカタチを決める、まさに世紀の戦いの時代です。これに参戦するしか、君、ないのではありませんか。
コンピュータ最終決戦勃発
モバイルマシンのデファクトスタンダードを、一体誰が手中に収めるか。
今の時点ですでに答えは出てしまったのです。
これに対して、池田信夫氏のブログ。いつもは諸手を挙げて賛意を表明する内容なのに、今回のiPhone 3Gはジョブズの敗北宣言は多少ネタかと思うけれど、本質がまるで見えていない。ものごとは、歴史で動く。この真実を見失っています。
そしておまけのエントリー、人を幸せにするソフトウェア。ぜひ読んでみてください。 KAI
「インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国」を引っさげて、ジョージ・ルーカスが日本にやってきた。この彼のインタビュー記事に、KAIの胸を熱くするセリフがあった。
現在64歳。会社なら定年を過ぎているが、65歳のフォード(引用者注:主演ハリソン・フォード)、61歳のスピルバーグらとともに、ハリウッドの一線を走り続けている。その原動力とは?
「尊敬する黒澤明監督の『影武者』の現場にお邪魔したことがあります。当時、彼は70歳近かったが、30代の私よりは2倍は元気でしたよ。好きなことをやり続けること。それがエネルギーの源です」
しばらくはテレビドラマを含め大作の製作が続くが、一段落した後は「映画を撮り始めたころの時代に立ち返り、小品を撮るつもりです。また、原点に戻って・・・」と将来の構想を明かしてくれた。
(産経新聞、「自分が見たい映画を撮る」、2008/6/11、p.18)
つい先日、早朝の散歩で、この「原点」なる思いにひとしきり心を熱くしながらテクテクと歩いていたのでした。
この散歩道である大地こそ、人の生きる原点です。散歩を通して人体の電位をアースして大地と等しくする。これを毎日くりかえす。毎年温泉通いを続けてきたのも、露天で座禅を組みながら、身体すべてを大地と一体化する。
すると、いままでまるで鈍感であった身体が微弱なパルスに感応し始める。いままで見えなかったことへの視界が戻ってくる。原点への視界が戻ってくるのです。
そして、それはやがて恍惚となって身体エネルギーに昇華していくのでした。
こんな気持ち良い散歩は、ほんと久しぶり。
わたしたちの会社のこと。オープン環境の構築を標榜してこれを20年やってきて、まがりなりにもこれをASPサービスとして実現した。サービスを維持することばかりに気をとられて、会社創業の原点を忘れていたことに、早朝の散歩で気づいたのです。
原点に帰ってやりなおす。しばらく見失っていた元気を、やっと取り戻した。 KAI
NHKの「その時歴史が動いた」はいつも楽しみな番組です。今回は、人を衛(まも)る都市をめざして〜後藤新平・帝都復興の時〜です。
関東大震災後の復興プランを手がけ、現在の東京の原形をデザインした政治家・後藤新平。もともと医者だった後藤は、社会を生物の体にみたて、「人と人とのつながりがうまく機能することで世の中が発展する」という独特の思想を抱いていた。後藤のこの考えは、関東大震災後、帝都復興院総裁として東京の復興を任された際、「区画整理」という新たな都市計画プランの実現につながっていく。“社会の医者”とよばれた後藤新平の情熱と信念を描く。
都市計画についてKAIはまるで素人ですが、この後藤の考え方は、今KAIの考える自己組織化アプリケーションに通ずるものがあるように思います。
そして都市社会の構成員としてのあり方について、後藤はこんなことを言っています。
「まず我が身を修めるというほかはない。我が身を修める自治の力が治国平天下の基礎である。
かねて私のいう自治の三訣(さんけつ)『人のお世話にならぬよう。人のお世話をするように。そして報いを求めぬよう』と少年時代から心がけてこれを実行するのであります」
秋葉原の惨劇を目の当たりにした直後だけに、殺人鬼の理屈とこの後藤の教えとの間の開きの大きさに、気が遠くなるばかりです。 KAI
予想通りと言うか、なんと言うか。よく引き分けに持ち込めたもんだ。
相手が本気になると、ほんと岡田サッカーはPKくらいでしか点が取れない。楢崎が直後のPKを止めなければ完全に負け試合でした。
奇跡的回復をみせるオシムが記者会見で言った言葉「もっと走れ」こそ、いみじくも岡田サッカーの点を取れない理由を説明しています。つまり岡田サッカーには致命的に「走り」が足りない。
オシムの哲学は明確で、ボールを中心とした動的フォーメイションの中で相手を常に上回るスピードによってボールを支配すること。ボールを支配することができれば、それはすなわち得点に結びつくのです。
これはディフェンスでも立場を変えてまったく同じことで、これをゾーンディフェンスではできない。オマーンのミドルシュートの得点も、あれだけディフェンスに人がいながら結果的にシュートした相手の選手はノーマークだった。あきれます。
次の、バーレーン相手にアウェイで1-1と善戦したタイとの1戦は、正に正念場。引き分けてもバーレーン対オマーンの結果で三次予選突破などと言う楽観論はまるであてになりません。
点を取って勝つことしか岡田ジャパンに残された道はない。KAIはここでキッパリと言っておきます。
そしてこちらは週末テニス。
梅雨入りを言い訳に散歩を1週間さぼってしまった結果が、これ。土曜、3-6、3-6、4-5の3連敗。まるで足が動かない。覿面に出るもんです。
暑さもあって試合中にお茶を3本。へとへとになってのアンジェロで生ビールをかけつけ2杯。サウナの後桃ジュースを1本。うちへ帰って缶ビール1本。ハイタイドでチェイサーの水をがぶ飲み。水分取りすぎ。
日曜テニス。さすがにきのうあばれた甲斐あって、少しは足が動くようになる。結果は3-6、6-1、2-6、4-1の2勝2敗。それにしても負け方がよくない。今ひとつ気のコントロールに精彩がない。
はや夏バテぎみのようです。 KAI
まもなく対オマーンのアウェイ戦。
6/2のホームでのオマーン戦に3-0で大勝した勢いでといきたいところですが、そうは問屋が卸しません。そもそもこの6/2の試合、すっかり見逃してしまってハイライトシーンしか見ていませんが、ほとんでのゴールがオマーンのノーマークです。
あきらかにオマーンの選手のサボタージュとしか思えません。
であれば今日は彼らにとってはホーム。こんな無様なゲームは絶対に有り得ません。しかも高温による日本選手の持久力は、間違いなく落ちるはずです。
この結果を予想すれば、万が一勝てたとして1-0。0-0あるいは0-1の可能性が濃厚と書いておきます。
さていかがなりますか、大いに楽しみであります。問題は10時まで起きていられるかどうか。 KAI
週末テニス。さすがにフォース及ばず、土曜日は終日雨が続く。これでなんと週末連続8週間、雨天だったそうで、そのうちテニスができなかったのがわずかに2日。これ以外は雨に降られながらも、16回中14回、つまり88%の確率でテニスができたわけですから、やはりフォースの威力恐るべし。
雨の日は、車をテニスコートの駐車場においてお約束の砧公園の中をジョギング。
雨脚はそんなでもないにもかかわらず、公園の中で出会ったのは散歩中の老夫婦と犬一匹。この二人以外にまったく人影がない。都心の公園でありながらこの静寂さはジョギングの間中なんとも不思議な感覚に襲われる。
結構汗をかいて、このあとのアンジェロの生ビールがこれまた美味い。一気にぐびぐびぐびとおかわり。そしてサウナにはいって、帰りにポロロッカで1週間分の食料を買い込んで、洗濯してから、またハイタイドにでかけてマティーニとまかないで1日があっと言うまに終わる。
この超越的繰り返しこそ、すべてのパワーの源であることを、改めて実感。
翌日曜、しっかりフォースも回復して久しぶりの晴れ間の中でのテニス。
メンバーは、超久しぶりのタケナカさんと1ヶ月ぶりのイサカくんが参加で、超越的繰り返しのパワーダウンは致し方ない。結果も6-2、2-6、2-6、1-2の1勝3敗とふるわず。しかし試合前にオニギリを二つ食べたおかげで、いつもの終盤30分のエネルギー切れは避けることができた。
思えばいつから試合前のエネルギー補給をしなくなったのか、思い出せない。といって思い出した。酒酔い運転の厳罰化以来であった。以前は試合前からおにぎり食べて缶ビールを飲んでテニスしていたのを、コート管理者から禁止された。それ以来缶ビールだけでなくオニギリも止めてしまっていました。
はてさてこのオニギリと、お腹をペコペコにしていくアンジェロの生ビールとランチの魅力と、どちらを取るべきか。悩ましい。 KAI