January 29, 2008

松下幸之助の言葉(23)

幸之助が長者番付のトップに躍り出るのが1952年(昭和27年)、1950年朝鮮戦争勃発後わずか2年後であります。

この1952年、丁度前年の1月18日幸之助の生まれて初めての海外渡航で始まったオランダの電機メーカーフィリップス社との提携交渉が、まとまります。

 こうして昭和二十七年(一九五二年)十月三日、幸之助はフィリップス社との提携契約調印のため、オランダへと向かった。
(中略)
 フィリップス社との提携に関しても、最後の最後まで悩んだというその言葉に偽りはない。むめのは、幸之助が夜も眠れずやつれていく姿をそばで見ていたが、どうすることもできなかった。
 しかし彼は決断した。(あのフィリップスの研究所をつくるには何十億円もかかる。二億円でフィリップスという大会社を「番頭」に雇ったと考えたらええやないか)それが、考えに考えぬいた末に彼の頭の中で整理された結論であった。
(産経新聞、同行二人(どうぎょうににん)第21回、北康利、2008/1/29、p.18)

この提携契約の効果は絶大でした。提携の結果1952年12月松下電子工業が設立され、ここで、真空管、ブラウン管、蛍光灯などの生産が開始されます。これらの商品は市場で高い評価を受けると同時に、松下電器製品の部品としても使用され、松下製品全体の品質を一気に向上させることになったのでした。

今でこそ日本は技術力を世界に誇れるまでに成長しましたが、当時海外との技術格差は想像を絶するものでした。

このフィリップス社との技術提携が松下の成長を磐石なものにしたことは、間違いありません。まさに技術は力なり。販売力と言う鬼に、技術力と言う金棒を得た松下は、1954年175億円の売上を上げ、282億の日立に及ばぬものの184億の東芝と肩を並べるまでに成長し、更にその十数年後、日立、東芝、三菱の「ビッグ3」を見事抜き去ることになるのでした。 KAI

January 27, 2008

硬気と軟気(2)

あっと言うまの、1月最後の週末テニス。あまりの1週間の速さに、ただただあきれるばかり。

先週から硬気軟気のコントロールの試行錯誤を続けている。

そしてその結果が、これ。

まず土曜、0-6、7-6、0-6。

こんなカウントは、まったく初めての経験。要は、こちらが負けるときは、端から気のコントロールに失敗しているってことです。つまりいま目の前の気に関して、勝負の世界では、軟気だけでは1ゲームさえとれないことがよくわかる。

続いての日曜。6-1、6-2、1-6、6-0、1-1の3勝1敗1分。

この結果はまことに面白い。気を理解してテニスを始めた瞬間から、勝負の白黒に一気にメリハリがつきだした。

要は、勝つときは、1ゲーム1ゲームのゲームを決める微妙なポイントの気を制することができるから、終わってみれば圧勝となり、逆に負けるときはラブゲームの完敗となる。

そしてもうひとつ。土曜のタイブレークのように接戦となる場合。これは気を理解できる前であれば、簡単に負けていたものが、ここまで持っていくことができるようになったって事です。しかも最後のタイブレークのゲームを確実に取って勝利に結びつけることができるのも、微妙な気のコントロールの結果以外何者でもありません。

いや、これはなかなか面白いことになってきました。 KAI

January 26, 2008

疾風(しっぷう)に勁草(けいそう)を知る

久しぶりの産経新聞、きょうの言葉です。

疾風知勁草(しっぷうにけいそうをしる) 范曄
(産経新聞、きょうの言葉、2008/1/26、p.3)

後漢書、王覇伝の編者が范曄(はんよう、398年 - 446年)。その後漢書の中の一節。

意味は「激しい風が吹いてはじめて丈夫な草が見分けられる。苦難にあってはじめて、その人の節操の堅さや意志の強さがわかるということ」。

これを安倍さんに当てはめれば、残念ながら彼は勁草たりえなかったってことです。

もちろん全滅回避のための、ひとつの判断であったことに、間違いはありません。

しかし残念ながら安倍さん個人の評価は、これでフィックスしてしまったことは、間違いない真実です。

この事態からうる教訓は、一つです。

人は、いかなる理由があるにせよ、

決して逃げてはいけない

ただこの一点につきるのです。 KAI

January 22, 2008

松下幸之助の言葉(22)

井植歳男の辞表提出は、一昨日書いたとおり、井植3兄弟に社長の芽がないと知った結果でした。

こうして、松下電器最大の危機が続きます。

1946年、歳男の退社以降、1948年には経営に行き詰まり、1949年レイオフまで追い詰められます。銀行に対して奇策で乗り越えようと幸之助は必死でした。

こんななかの1950年、神風が吹きます。1950年6月、朝鮮戦争が勃発するのです。

これで幸之助は息を吹き返します。

一方井植歳男は、三洋電機を創業します。

 昭和二十二年(1947年)二月、さしあたって、大阪の守口市本町に六畳一間を借り、三洋電機製作所という個人経営の会社を立ち上げた。
 父親の清太郎は海運業を営んでいたし、歳男自身、松下に入る前は海の男にあこがれ、叔父の船に見習い船員として乗船していたほどだったから、海にちなんだ三洋という社名にしたのだ。そこには、太平洋、大西洋、インド洋をまたにかけるような世界企業になりたいという大きな夢が込められていた。
(産経新聞、同行二人(どうぎょうににん)第20回、北康利、2008/1/22、p.25)

この三洋電機は、瞬く間に松下のライバルになるほどまでに急激に成長を遂げていくのでした。

この結果を見れば、井植歳男と言う人間の器の大きさに、ただただ感服するしかありません。 KAI

January 21, 2008

リペアの季節

そこらじゅうリペアの嵐です。

先週の金曜の夜突然、ケータイの電源が入らなくなって、土曜修理に出す。auの受付のおにいちゃん、しきりに買い替えを勧める。しかしKAIはケータイを電話でしか利用していないので、買ってまだ4年のこれで十分用が足りていると、丁重にお断りさせていただき、強く修理を依頼する。

そして本日は愛車エルグランドの修理。先週駐車していた愛車を、トラックがバックしてきて前部を破壊。惨めな姿のまま土日の週末テニスのご奉公のあと、今朝方東京日産の修理工場に入院。

昼ごろにauから修理中の代替のケータイに愛器の病状の連絡が入る。

相当重症ですと言う。ほとんどの部品が取替えだと言う。3年の保証期間が過ぎているのですべて有償だと言う。して、修理代は。五千二百五十円です。なぬぬけぬけと、有償といいながら償却済みの部品につきすべてタダではないか、おぬし。

と言うことで残っている1万ポイントで支払うと伝えて、修理しちゃってくださいとお願いする。

愛車の修理も、相手方の損害保険。代車も用意されていて、すべてがパッケージ化されている。

会社も車もケータイも、一挙まとめてリペアのパッケージだ。ほんとか?! KAI

January 20, 2008

硬気と軟気

テニスの勝敗とこの気の硬軟が関連していることに、最近気がついた。

ダブルスの場合、二人のテニスレベルもさることながら、ペア同士の相性が試合の勝ち負けを大きく左右する。

相性とは、互いの気が合うかどうか、すなわち気を合わせられるかであって、硬気と硬気が気を合わせるのは困難であることはすぐわかる。しかし試合に勝つ為には硬気である必要がある。軟気同士は気を合わせることができても、試合には勝てない。

とすれば硬気と軟気の組み合わせしかないのだけれど、実力をともなった硬気でなければ気だけ空回りして、勝つことはできない。

と言うことで、勝つ為に一番いい方法は、自分から軟気を選択し、相棒を硬気にさせることです。これはある意味レバレッジ効果、「気のテコ作用」といえるもので、相棒の硬気と言う「テコ」を使ってゲームを取りにいくことです。

とはいえ相棒も軟気を選択するタイプには、要注意。軟気同士になって勝てなくなります。

こんなことを考えながらの週末テニス。結果は、土曜、6-2、2-6、4-3、日曜、4-6、3-6、6-4と、どちらも最終ゲームを辛くもゲットできたのは軟気対応の方法が少し見えてきたからです。

先週までの脅威の7連勝も、このところいつのまにか自然に軟気になっていたせいです。

考えてみればこれはテニスに限ったことではありません。経営においてもしかり。幸之助も本来硬気の人であったのが、病弱であったことが幸いして軟気に徹することができた。代わりに井植歳男が硬気となって勝ちを取りにいくことができた。

しかし幸之助はこれを理解しないまま、娘婿の正治を後継社長にと考えていた。硬気の井植歳男にとって、自分でなくても井植3兄弟の誰でもいい、社長にしてくれると思っていたから、これは我慢ならなかった。この結果の辞表提出であったことは間違いありません。

本田宗一郎と藤沢武夫、井深大と盛田昭夫、彼らは互いにこの硬気と軟気が自然に理解できていた。そう言うことであります。 KAI

January 18, 2008

松下幸之助の言葉(21)

シンクロニシティ、強烈な共時性と言う力が働いています。

松下からパナソニックへ。

いまなぜ松下なのか、同行二人なのか、実はKAI自身今ひとつ理解できていなかった。これがやっと、この話をきいてこの意味がわかった。

今日届いたばかりの日経ビジネスの記事を読むと、すべての事情が氷解する。

 中村の座右の銘「同行二人」。巡礼者が空海とともに歩むことを意味する言葉だが、中村も「破壊と創造」という苦しい旅を続けながら、常に「幸之助ならどうするか」を自らに問いかけてきた。「あの時期、中村さんは毎晩、枕元に立つ幸之助翁と議論していたのかもしれない」。松下興産の処理に関わったある人物は、こう振り返る。
 今にして思えば、中村自身にとっても松下電器にとっても、松下興産の処理が正念場だった。
(日経ビジネス、緊急特集 松下、完遂した革命、2008/1/21、p.9)

中村とは、松下電器現会長の中村邦夫である。中村は、2000年6月社長に就任以来、「中村改革」と呼ばれる一連の改革を断行し、2002年3月期4310億円の赤字まで転落した松下電器を、2007年3月期決算で4500億円の営業利益を出すまでに再生させます。

この一連の改革の中で、最も中村が神経をすり減らしたのが、上の引用文章中にある「松下興産の処理」でした。

松下興産とは、松下正治が会長、幸之助の孫娘敦子の夫、関根恒雄が社長を務めた、松下家の資産管理会社であって、松下グループの倉庫などを管理、松下グループの株式を大量に保有していました。この松下興産が、バブル崩壊と共に残った7000億の借入による3000億の債務超過に陥ります。中村は、これを最終的に2005年10月特別清算と言う形で決着させますが、この処理の過程こそ幸之助との「同行二人」の旅であったわけです。

2006年6月会長となった中村は、社長を引き継いだ大坪文雄による今回の社名変更によって、一連の「中村改革」を完結させたのです。

1946年末、GHQとの厳しい交渉に晒され心身共に疲労の極致であった幸之助を、更なる試練が襲います。1917年の創業以来30年間苦楽を共にしてきた井植歳男が、辞表を提出し、幸之助の元を去っていくのです。

幸之助がこの事態にあって落胆焦燥しきったことは想像に難くありません。

この幸之助を救ったのがPHP(Peace and Happiness through Prosperity)活動であったと言うのが、(産経新聞、同行二人(どうぎょうににん)第19回、北康利、2008/1/15、p.11)を読んでのKAIの感想です。 KAI

January 13, 2008

チェインジ、潮目の変わる週末テニス

あっと言う間の週末テニス。大きな流れの中で潮目の変わる時期を予感する結果だった。

前日までの天気予報どおり、土曜は生憎の雨。しかし外に出てみるとテニスができないほどではない、いわゆる小雨。9時をすぎても中止の連絡は無いと言うので、そのままテニスコートに向かう。

こう言う時はオムニコートは便利このうえない。雨の中でもなんら支障なくテニスができる。とはいえ、雨で予約はすべてキャンセル。それでも、4人そろって我らのチームだけがゲーム開始。

結果は2-6、6-3、6-0、5-2と、最初のゲームを落としたものの後は3連勝と復調の兆しが。

この流れはそのまま日曜まで続く。

曇り空の上寒くて強い風が吹く中、手袋がほしいほど手が悴んでテニスどころではない。それでもゲームがすすむほどに雲間から太陽が顔を出し、しっかり汗もかいていつものペースを取り戻す。

初戦、6-4。これを取ったのが大きかった。あとは調子に乗って、6-2、6-3、3-2と昨日から7連勝。こんなことはしばらくなかったこと。

アンジェロで祝杯の生ビールで乾杯。サウナで1.4キロ減量。家に帰って洗濯の後、ハイタイドでマティーニとまかないはいつもどおり。

しかしこの3連休はこのままでは終わらない。明日までに膨大な契約書を完成させないといけない。昨日と今日で大方の内容は整理がついた。明日が休日であるのも天の配剤。朝一番から書き上げれば夕方までには終わる。

テニスで頭を空っぽにして、そのあとこうして考える。やっと創造のプロセスが戻ってきた。 KAI

January 11, 2008

笑いの効用

KAIが30年来敬愛して止まない村上和雄先生が唱える「笑いの効用」が、やっと一般ピープルまで手がとどこうとしています。

 さて、この笑い、医学的に見ても健康維持に大変役立つことがわかってきた。特に、次の2つの働きが注目されている。まずは「憂さ」を晴らす効用、つまり、ストレスを笑い飛ばしてしまう効果だ。そして、大病を防ぐ体の免疫力を高める効果である。
 中でも、ガン細胞の発生や細菌感染の防御に威力を発揮する。白血球の中の「ナチュラルキラー細胞(NK細胞)」が、笑いによって活性化されると言われているのだ。体の免疫力が低下すると、ガンに限らず、様々な病原体の侵入を許すことになり、健康はとても保てない。
 例えば、米国のスタイン博士の研究によれば、妻の死などの不幸に見舞われた男性の体内では、約3カ月間にわたって、免疫と深い関わりのあるリンパ球が、減少し続けることが明らかになっている。免疫力をいかに保つか。これこそが、健康維持と長寿のカギと言えそうだ。
(日経ビジネス、健康格言『笑い上戸にガン少なし』、志賀貢、2008/1/14、p.55)

死別ではないにしろ愛するものの不在や、愛するペットとの永遠の別れは、間違いなく免疫力低下の原因となって、この目の前の運勢を劣化させます。

世間の人は、運勢が悪くなるとすぐ、ラーメンすする持久生活を要求しますが、笑止千万とはこのことです。よほど毎日豪勢な生活を繰り返してきた人でない限り、決して日ごろの生活を変えるべきではないと、KAIは強く信じています。

そしてその理由がまさに「笑いの効用」以外の何者でもないからです。

ラーメンすする世界の一体どこに笑いがあると言うのですか。

まず理解して欲しいのは、日ごろの生活態度がいまの運勢の結果であるなら、なぜ、今なのですか。

そうではなく、笑いに包まれたいまの生活があるから、今があると、なぜ考えないのでしょうか。

KAIにとってこの笑いに包まれたこの世界こそ、今の運勢を切り開くすべてのエネルギーの根源です。

これはすなわち、例えは悪いけれど、ハイタイドで1年間お代をはらわなくてもKAIが生き残れる理由だと言うことです。こう言う話が背景にあることを説明しないと、これはなかなか理解できないかもしれませんね。 KAI

January 08, 2008

松下幸之助の言葉(20)

いい意味でもわるい意味でも、幸之助は器用な人だった。

1941年12月8日、日本は真珠湾を攻撃します。以来1945年8月15日までの4年弱、日本は第二次世界大戦と言う大嵐の真っ只中を突き進むことになります。

この中にあって、軍の命令とはいえ幸之助は、戦艦、戦闘機製造の会社をつぎつぎ立ち上げます。いままでいわゆる家電しか製造したことがない人間たちが、戦艦と言う船を造り、戦闘機と言う飛行機を造りあげ、進水式、進空式までもっていったこと自体、驚異的といわざるを得ませんが、当の幸之助にとって造るものは何でもよかったのです。

幸之助は、ものづくりのための申し子として生を受け、これを生涯全うしたといって間違いありません。

しかしこれが、戦後GHQによる財閥パージの粛清に巻き込まれることになります。

 そして追求の矛先は幸之助個人にも及ぶ。同年(引用者注:1946年)六月、三井、三菱、安田、住友、鮎川(引用者注:純太くん元気ですか)、浅野、古河、川崎、中島、野村、大河内、大倉、渋沢の十三家とともに、松下家もまた「財閥家族」の指定を受け、資産を凍結されてしまうのである。
(産経新聞、同行二人(どうぎょうににん)第18回、北康利、2008/1/8、p.26)

幸之助とGHQとの戦いが始まったのです。まさに時代を超えた戦いの始まりであります。 KAI

January 06, 2008

テニス打ち初め

今年最初の週末テニス。

土曜、なんだかあやしい空模様で時折霰がぽつぽつと落ちてきて寒い。コーチのネモトくんと組んで初戦6-0と快勝。以降ネモトくん相手に、1-6、2-6、4-2。最後のゲームを勝ったから良しとしよう。

日曜。今日は一転雲一つない快晴。が、最初の2ゲームは4-6、5-7と途中までせりながら最後なかなか勝てない。やっと3戦目で5-3と貴重な1勝をゲット。

まだまだ今年は厳しい。厳しいけれど、両日最後は勝つことができた。

このユング的共時性を信じて、今年1年また踏ん張ります。 KAI

January 05, 2008

偽装の真相

昨年はあらゆる偽装に明け暮れた一年でした。

なぜ偽装が起こるのかを問う前に、実は偽装は今に始まったことではなく、古の時代からの日常茶飯事であったことを指摘する識者がいないのは、不思議な話です。

偽装問題の本質は、記号と実体の乖離問題です。今の時代に至る古の大昔から記号のリアリティを保証してきたものは、記号に対する実体の存在ではなく、その記号を解釈する権威たる人の存在以外何者でもありませんでした。いわゆる専門家であり、実体である例えば冷泉家文書にアクセスできる権限を持つ人間の存在そのものであったわけです。

この構造を破壊したのが、インターネットであることは間違いありません。

つまり今までは、権威のある専門家であったり大手デパートであったり、記号と実体の関係を保証する人間あるいは機関の存在が、記号のリアリティのすべてであったのです。

この世界では、偽装と言う概念が存在しないのは自明です。

これに風穴を開けたのが、インターネットでありコンピュータによる分析技術です。この中でも今一番大きな力を与えているのがDNA鑑定です。食品関係の偽装のウソを、このDNA鑑定は次々と暴いていきます。

これがなければコシヒカリとちょっと違うんじゃないと思っても精米業者を追及するすべを、こちら側が持ち合わせていないことをいいことに、実は今まであらゆる分野のあらゆる商品において、業者のやりたい放題がまかり通ってきたのは、間違いない事実であります。

ところがこれがここ数年で大きく変わってきました。

昨年か一昨年逮捕された大阪の女社長の、精米卸業者の卸先である小売店には、消費者からの苦情が山ほど届いていました。今までであればこれ以上何も変わらなかったものが、インターネットで話題になり、これをメディアが取り上げ、最後は女社長は逮捕されますが、しかし彼女は逮捕直前まで「偽装」を通し続けるといきまいていたのです。

これが吉兆の例を見るまでもなく、現場の責任者の常識であるわけです。

結論を言えば、やっと古の昔から行われてきたあらゆる現場での偽装と言うエートスの欠落に指弾の矢が向けられたのが、昨年の一連の偽装問題の真相です。

しかし、この問題の解決は、実はきわめて簡単なのであります。つまり、松下幸之助の言葉にもありますが、「商い」とは何であるかほんの少しでも考えれば、一体どうして消費者を裏切ることができるのでしょうか。エートス以前の問題であります。

とは言え、ことの本質が現代と言う時代の価値観、すなわち、ばれなければ(これ自体は破綻した)自分さえよければ良いと言う価値観に支配された人々が、ゾンビのように拡大再生産される社会には、ほとんど絶望的でさえあります。

ウソはいつでもつける。しかしウソはいつでもバレル。

これをあらゆる階層のあらゆる職業の人々に浸透させることが、この問題を解決するキーポイントであります。 KAI

January 02, 2008

古木と温泉で復活

新年あけましておめでとうございます。

元旦、まったく外に出る気力が湧かなくて、1日テレビ桟敷だとさすがに身体がなまってしまう。

と言うことで、本日はトレーニングのあと温泉に行くことにして昼前に家を出る。

鍵がかかって誰もいないいつものテニスコートの駐車場に車を置いて、ジョギング開始。しばらくいったところで、目の前に砧公園。そういえばここって公園じゃんってことで、突然ですがこの中を走ることに決定。

柵の合間の小さな入り口を見つけて、ここから走り始める。公園の外周沿いの歩道を時計と反対回りに走っていく。公園の中は正月三が日とはいえ人影はまばら。

初めてのコースが物珍しくてきょろきょろしながら走っている内、サイクリングコースに合流する。といっても自転車で走っている人は誰もいない。

しばらく行くと鬱蒼(うっそうと読むけど手で漢字は書けないよね)とした雑木林の中に入る。すっかり葉を落とした古木が立ち並ぶ。不可思議な妙に懐かしい光景。なぜか導かれるようにここに来てしまった。

この光景とこの中にいる感覚は、具体的に思い出せないけど、昔何度も体験してきた気がする。そう神社の境内に立つ巨木の霊気のようなものか。なるほど京都金閣寺側の天皇陵、伊勢神宮、出雲大社、大三島の大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)、いずれでも感じた不可思議な感覚を、この公園の古木からシャワーをあびるように感じて、林を抜ける頃には、なんだかまるで別の自分であるかのような気分になってきた。

清々しいとは、こう言う気分である。

なんとも清々しい気分になって、アンジェロが3日までお休みにつき久しぶりに瀬田温泉山海亭で食事。生ビールをジョッキで2杯、ぐびぐびぐびとイカ割き焼きにざる蕎麦。締めて2380円。なんとも良心的。

そのままサウナへ。20分、14分と入って1.3キロ減量(のはず)。そして温泉につかって1時間。少しつかって横で座禅を繰り返す。目の前には南西に傾く太陽と澄んだ空気の中の富士山。申し分のない光景。

やっと気力がわいてきた。 KAI