November 27, 2007

松下幸之助の言葉(15)

世界恐慌の前年(1928年)すでに300人の所帯になっていた松下電器は、3年後の1931年にはナショナル・ランプの成功のおかげで880余名へと膨れ上がっていきます。この社員を幸之助は巧みに掌握していきます。

 幸之助がいかに人心収攬術に長けていたかは、まさにこの「嫉妬」の取り扱い方に表れている。
 『福沢心訓』を例に挙げるまでもなく、嫉妬とは人間の一番醜い感情である。ところが幸之助は、嫉妬心というものを人間の本能だと割り切り、「狐色にほどよく妬く」ことこそ大切なのだと説いた。「狐色に妬くと、かえって人間の情は高まり、人間生活は非常に和らいでくる」というのだ(昭和二十八年「PHPのことば」)。
 「狐色に妬く」とは、何ともすごい言葉である。谷沢永一は『松下幸之助の智恵』の中でこの言葉を紹介しながら、<最大級の名言>だと賛辞を贈っている。嫉妬心はうまく使えば向上心のもとになるという、人生の達人の「智恵」がそこにある。
(産経新聞、同行二人(どうぎょうににん)第13回、北康利、2007/11/27、p.26)

しかし一千人規模の会社を統率するには、この「智恵」だけではあまりにも不十分です。幸之助にとって、なにかしらの「社会的使命」を必要とする時期に至っていたのでした。

そして1932年初頭、運命の出来事が起こります。 KAI

November 26, 2007

腕組みをして待つんだ

あまりに忙しくて書きかけのエントリーがたまりにたまっている。尻切れおかまいなしにとりあえずエントリーの在庫一掃セールです。

久しぶりに日経ビジネスに目を通したら、面白い記事があった。

 私にプロフェッショナルの重要性を教えてくれたのは、日本近代建築の先駆者と称される前川國男さんです。40年前、大学の建築学科を出た私が師事した人物です。当時、彼は建築家をプロフェッショナルとして世間に認知してもらおうと腐心していました。
 「お客さんに仕事を下さいと言ってはいけない。プロフェッショナルとは相手から頼まれるものだ」。それが口癖でした。仕事がなくなったらどうするのかと問うと、「腕組みをして待つんだ」と言う。プロフェッショナルとしての自負を感じたものです。
(日経ビジネス、有訓無訓、プロフェッショナルこそ世界の価値観の共通基盤、横山禎徳(よこやまよしのり、社会システムデザイナー)、2007/11/26、p.1)

なるほど腕組みして待てか。

プログラマーのプロフェッショナルとしての地位を、どうすれば確立できるか。当時の建築家同様の問題なのかどうか。(続く) KAI

(追記)梅田望夫×まつもとゆきひろ対談「ウェブ時代をひらく新しい仕事,新しい生き方」がヒントになりそうな伊予柑が。

November 25, 2007

まいど週末テニス

依然バイオリズムが最悪。集中して思考する力が、極端に落ちてしまっている。だから毎朝の散歩に出ても、まるでひらめかない。

そうなると毎朝の散歩がなんだか億劫になって、土曜はいつもどおりでかけたものの、日曜はテニスがあるのを言い訳にサボってしまった。

こんなだからテニスの調子もサッパリ。

土曜テニス。4-6、6-1、1-6の1勝2敗と、どうしても負けが先行してしまう。最後をやっと4-0にして2勝2敗のイーブンに戻すのが精一杯。

日曜テニスも哀しいけれど、面白いように流れは変わらない。

結果は6-0、4-6、2-6、6-0の2勝2敗ながら、えっちゃんの3連勝を簡単に許してしまって、本来なら有り得ないことを簡単に許してしまうのは、やはり思考力、エネルギーレベルが極端に低下しているからであるのは、間違いありません。

はてさて、いつになればこれを脱することができるのか。悩みは続きます。 KAI

November 22, 2007

満一歳

夢株式会社を設立して1年が経ちました。

なんだか文字通り、あっと言うまの1年だった気がします。

「世界通販」構想から夢株式会社を設立し、すぐそのあとアメリカのエジケンのもとを訪ねて、Lingrとの連携の相談をしたんだった。その場でエジケンから「世界通販」について貴重なコメントをもらって、つくづくわざわざアメリカまで来た甲斐があったと思ったのでした。

帰国してすぐ開発を始めて、併せてスタートした書籍「世界通販」とともに、オープンあるいは発刊に向けて目一杯「夢」を膨らませながら、やっと8月正式オープンと書籍の発刊を迎えます。

おかげさまで書籍の反応は上々で、この話をきっかけにまた可能性の輪が広がっていってます。

肝心の「世界通販」、第一号受注がなんとブルガリアからありました。おそらくsekatu.jpのロシア語を読んでのことです。

このビジネスモデル、うまくいかないわけはありません。これからの展開に、ますます目が離せません。乞うご期待。 KAI

November 21, 2007

松下幸之助の言葉(14)続き

病床の幸之助の口から一人も解雇しないとの言葉を聞いた井植は、すぐ工場に戻り、心配して井植の周りに駆け寄ってきた工員たちにこれを伝えた。

 社内に垂れこめていた暗雲は吹き飛び、戦々恐々としていた従業員たちは恩返しのつもりで必死になって働いた。力が、思いがひとつになり、それからわずか三カ月ほどで倉庫一杯あった在庫品があとかたもなく売れてしまったのである。やがて半日操業をやめてフル生産に戻り、ランプの売り上げが伸びてくれたおかげで業績は急回復していった。
(産経新聞、同行二人(どうぎょうににん)第12回、北康利、2007/11/20、p.17)

決して幸之助は温情で解雇をしないと決心したわけではありません。考えに考えて、解雇の結果には利がないことを見極めていたのでした。しかし、これは以前松下幸之助の言葉(11)に書いたとおりです。

人の心と言うものは、それを計算した瞬間、それを超えるものなのです。幸之助が身体で覚えた人の心を掴む方法も、このこざかしい計算に基づくものである限り山本のようにこれを平気でクリアする人間が現れる。

平気で人の恩を仇でかえす人間がいることを知ることです。

そしてそれを乗り越えるには、やっぱり人の心を掴むしかありません。しかしこれは計算によってではなく、計算ではない、計算を超える“何か”しかありません。

計算を超えるこの思いが、従業員の幸之助に対する忠誠心と言う灯火に火を点けたと、北康利は書きます。

企業が一つの思いに収斂していく、その現場に立ち会える。まことに幸せなることであります。 KAI

November 20, 2007

松下幸之助の言葉(14)

 考えに考えて、脳髄を絞りつくしたときに道は開ける。
(産経新聞、同行二人(どうぎょうににん)第12回、北康利、2007/11/20、p.17)

角型ランプを売り出して丸2年、昭和4年(1929年)10月24日、Black Thursday、世界恐慌の始まりです。今2007年、まだ78年前の出来事です。

これまで不況知らずに快進撃を続けてきた松下電器に急ブレーキがかかります。11月、12月の売上が半減してしまったのです。年末の稼ぎ時に現金が入らない。あるのは売れ残った在庫の山と借金の山。

この「倒産」の危機に直面して、幸之助は「考えに考えて」これに井植歳男らの提案するリストラ策ではない結論を出します。

 あれからずっと病床で考えを巡らせていたらしく、いつになく饒舌である。「こうしようやないか。明日から全員半日出勤や。その上で午後は店員みんなで力を合わせ、ひとつでもええから在庫を必死になって売っていく。そのかわり、臨時雇いも含めて従業員は一人も解雇せえへん。これであかんかったら、その時はいさぎようきらめようや」
 話すうちに胸が一杯になってきた幸之助は、両の目からぽたぽた涙を落としながらそう語った。
 井植たちのリストラ案は極めて常識的なものだ。それに対し、幸之助の決断は場合によっては倒産の可能性もある危険な賭けである。
 だが従業員は家庭を持っている。解雇すれば従業員だけでなく家族を路頭に迷わせることになる。彼は危険を承知のうえで、もう一度歯を食いしばって頑張ってみることを選んだのだ。

たった2ヶ月売上が半減するだけでも、こうです。

いまやるべきことは、売上を上げる、ただこれだけです。 KAI

November 19, 2007

18年目のコンピュータの故障

週末土曜、朝からお湯がでなくなってしまった。以前もあったけれどガス屋さんが修理に来る頃には直っていて、原因は不明のまま。

とはいえすぐ東京ガスの子会社の夜間受付に電話して修理を依頼して、そのまま9時スタートのテニスに出かける。そのテニスが終わった頃娘からお湯が出るようになったよと電話があって、夕方来る予定であったガス屋さんにまた断りの電話を入れる。

日曜の朝も、出ない。しかしこのままでは月曜から朝一番にシャワーが使えないから、とにかく修理に来てもらう。もちろん10時に来た時は、お湯は出ている。

いろいろ見てみたけれどおかしいところはないようだ、と言う。結構古いので(そうかここに越してきてすぐつけたやつだからもう18年にもなる!)一応コンピュータの部品を交換しましょうか。お願いします。

しかし部品が届くまで時間がかかるとのこと。困った、明日からどうしたもんか。

翌朝、期待通り^^;お湯が出ない。

考えた。コンピュータが故障して日が昇ってくれば復活すると言うことは、これは気温が原因に違いない。温水器を暖めることにする。辺りを見回して、ありました。娘が自分の部屋で使用している電気ストーブ。これをベランダの温水器の前に置いて、温水器をあたためる。まことに奇妙な光景です。

しばらく立ってからお湯の栓をひねると、ボッとガスに火がついてお湯が出始めた。すばらしい。しかし、あしたからこれをしばらく続けなければいけないかと思うと、萎える。萎えるけれど、このコンピュータ、外気の中で18年もよく動いたもんだと、しばし感心する。 KAI

November 18, 2007

週末テニスアゲイン

メモ代わりのエントリー。

土曜テニス。オムニコートを全面張り替えてから初めてのテニス。

コートの表面が均されていないからところどころに極端にボールがバウンドしないところがある。ボールを最後まで見ていないとミスを連発する。

しかし結果は、6-3、6-0、2-6、3-1の順当に3勝1敗と。

問題は日曜テニス。いやな予感がしたら、その通りの結果になってしまった。

6-3、2-6でむかえた第3戦。あっと言うまに2-5に追い込まれる。そのまま残念ながら2-6で、2敗目をきす。

まことにゲームとは、ままなりません。 KAI

November 17, 2007

ア・レター・フロム・ラッシア

一通のロシアからの手紙が気になってしかたがない。

要は薪ストーブの寄贈を要請するメールですが、これにどう答えてあげればいいのか悩んでしまった。

メールの中身を読めばもちろんスパンでもなんでもないことは明らかだけど、もしこれにストーブの送り先を教えて欲しいと返信していいものかどうか。

ちっとばかし間をおいて返信しようと思う。乞う、アドバイス。 KAI

以下がメールの内容です。

Date: Sat, 17 Nov 2007 13:26:55 +0300
From: "Elena"elenafg@mailrus.ru
Subject: Re: Re:
To: elenafg@mailrus.ru

Hello,

My name is Elena, I have 30 years and I live in province of Russia.

I have a 6-years daughter, her father abandoned us and we live with my mother. Recently my mother lost job due to old age and our situation became very difficult.

The prices for gas and electricity became very high in the last months and we cannot use it to heat our home anymore.

The winter is coming and temperature is very cold here already. The radio say it will be up to minus 30 degr. Celsius in the near weeks. We do not know what to do and we very afraid.

The only way for us to heat our home is to use portable wood burning stove which gives heat with burning wood or coal. We have a lot of wood in our region, therefore this way is very good for us
and it will heat our home the whole winter with minimal charges.

I work in library and after my job I allowed to use computer. I finded your address in internet and may be you can help us.

We need portable stove, but we cannot buy it because it expensive for us. May be you have any used wood burning stove which you don't use anymore, then we would be very grateful to you if you can donate it to us and organize transport of its to our address. This stoves are different, and they weight between 60-150kg.

The Christmas coming and I would be very grateful to you if you could send some sweets for my daughter. I will then put them under Christmas tree and it will make my daughter very happy.

I send you kind greetings from Russia and hope to hear from you soon.

Elena.

November 13, 2007

松下幸之助の言葉(13)

1927年(昭和2年)長男幸一を失うと言う大きな失意の中で、幸之助は新製品を考案し売り出します。これが角型ランプで、幸一の無念が天に届くかのように年内売れに売れて47万個を出荷します。幸之助はこれをひらめきで「国民の」を意味する「ナショナル・ランプ」と命名し、この「ナショナル・ランプ」は太平洋戦争前までの20年間、松下の屋台骨を支える商品となります。

まもなくして電気アイロンの新製品を発売し、幸之助はこれを市場価格より3割も安く売る作戦に出て、これが見事に当たって売れに売れます。

 品質も高く評価され、昭和五年(一九三〇年)には商工省から国産優良品の指定を受けた。「市場を見ながら製造を考える」−−これこそが、幸之助言うところの「製販一致」であった。
 彼の凄みは、「失敗しながら成功を模索していくというやり方は間違っている」とし、やるからには失敗なしに最初から成功することを自分にも部下にも課したことである。結果として失敗することもあるだろう。しかし最初から「失敗してもいいや」という甘えを抱くことを、彼は厳しく戒めた。
(産経新聞、同行二人(どうぎょうににん)第11回、北康利、2007/11/13、p.26)

このあたりの感覚は、マイクロソフトの製品開発にも一脈通ずるものがあります。

しかしつくづく思うのが、「商品」です。幸之助はランプ、アイロンに続いて、電気コタツ、ストーブ、コンロと家電の初期の製品を手堅くものにしていきます。

この「商品」を開発して販売する経験なくしては、今の松下電器はありません。

受託開発などと言う人月商売をいつまでも続ける今のIT業界は、ほんとうに幸之助の爪の垢でも煎じてのむべきです。 KAI

November 12, 2007

いいぞエジケン

エジケンがとてもいいことを書いている。

しかしこの反応がむごい^^;。

唯一正確に理解しているのが、福井プログラマー生活向上委員会くらいか。

エジケンはなにもイノベイティブな仕事をしろなんて一言もいってはいない。

受託開発の世界のどこにイノベーションがあるのだろう?
ニッポンIT業界絶望論

言っているのは、これだけです。

つまりイノベイティブなビジネスモデルに身を投じよと、若きプログラマーにエールを贈っているだけです。

組織で仕事をする以上、どんなイノベイティブなビジネスであろうが、イノベイティブでないビジネスであろうが、大半はイノベイティブでないワーク(モデル)の塊です。

こんなこと、当たり前じゃないですか。いったいどこにイノベイティブなワークモデルだけでなりたつビジネスがあると言うのでしょうか、笑止です。

要は、受託開発なる人月商売を続ける現代の奴隷商人の、プログラマーよ、片棒をかつぐなと、熱きメッセージを贈ったのです。

これに、良心と言う臓腑に響かないプログラマはイネといっているのです。

KAIは、エジケンに諸手諸脚あげて味方します。 KAI

November 11, 2007

週末テニスは心模様のバロメータ

心の持ちようしだいで世界はいかようにも変わる。

土曜テニスは雨天につき中止。テニスができないのはくやしいけれど、雨中のジョギングに切替えて20分間テニスコートの周りをひた走る。台風の雨と違ってこの程度の雨は、かえって気持ちが良い。

初めての街路をわざとコースに選んで、周りの景色をきょろきょろとながめながら走っていると、普段車で来てテニスしてまた車で帰っていては見ることのない、ここに住んでいる街の風景が目に入ってきて、とても良い気分になってきた。

そのままアンジェロに移動。誰も客がいないからテーブル席を独り占めして、生ビール2杯、カレイのムニエルがめちゃくちゃ美味しい。

タケノコ効果もあって、やっと元気が戻ってきた。思いやりに涙が出てくる。

日曜テニス。そのテニスに出かける前の話。娘が自分の会社に自宅で作成した議事録を送信したいからと言うので、その操作方法を教えてやろうとしたら、お父さん時間ないから車で会社まで送ってと言う。車中で小言をいいながら渋谷の会社の前まで10分で到着。がんばってねと言ってビルに駆け込む娘を見送る。

このところ小言を言う母親がいないから、母親代わりにと思って、生活態度を細かに注意する。朝から小言を言われる娘の気持ちになって、帰りに車を運転しながら少々反省する。

この気持ちがもろにテニスに出る。

最初のゲーム、いきなり0-5となって、もうあとがないところまで追い詰められる。

ネガティブな言葉を吐いていると勝負運まで去っていく。

明日の朝は笑顔で送ってやろうなんて考えているうち、なんとか5-5まで挽回する。しかし勝負運もここまで。あえなく2ゲーム連取され5-7で1敗をきす。これになんと1時間もかかってしまった。

次の試合も1-6で2敗目。

やっとラストペアで2時まであと6分を残して4-1でリードする。6分あれば6-1で楽勝と思いきや、またしても2ゲーム連取されて4-3でお仕舞い。かろうじて貴重な1勝を得て、本日の戦績1勝2敗。

しかし今日は自分の心の中がよく見える。アンジェロで生ビールを飲みながら、サウナで大汗を流して1時間20分かけて1.7キロ減量しながら、そしてハイタイドでマティーニを飲みながら、ふむふむなるほどねと、やっとわかった。 KAI

November 09, 2007

イタリア社員、西海岸社員、元SE社員、みんなまとめて面倒みよう!

私たちのサービスは、24時間365日のサービスです。サポートもこれに合わせて、有人受付で対応しています。しかし実際は、夜間の緊急対応は対応できる社員が退勤後にコールセンターから緊急連絡を受けて対応せざるをえません。

もし社員をヨーロッパとアメリカ西海岸に配置できれば、平日は社員の通常の勤務時間内でのサポートが可能になります。

この試み、思わぬ形で実現するための第一歩を踏み出すことになりました。

私たちの会社の唯一の女性社員でサポートを担当していたendoが、寿退社し彼氏の国のイタリアに移住した。その彼女が現地再採用で、先日から勤務しています。夕方5時過ぎ、つまりイタリアでは午前10時前後に出勤し、午前零時すぎに退勤する。その間にサポートの仕事を粛々とこなしていく。まったく貴重な戦力であります。

どなたかこれからアメリカの西海岸へ移住の予定のある方、ぜひ私たちのサポートの仕事に応募してみませんか?これまじの話です。

そういえば、先月の終わりから50代後半の元SEの人も、サポートに加わった。

もともとよく考えればレガシー時代のSEほど、サポートの仕事に向いた人はいない。それはレガシーの時代とは、顧客企業の情報担当者がユーザーそのものであったからです。この人たちを相手に長年SEとして戦ってきた彼らには、ユーザーサポートのノウハウが蓄積されていないわけがありません。

どなたかこれから定年を間近にひかえ、まだまだ現役でやりたいと思われている「元」SEの方、ぜひ私たちのサポートの仕事に応募してみませんか?これまじの話です。 KAI

November 07, 2007

夢のベルエポック(4)

あるウチダファンは、先生は当たり外れがあると言う。その中でここ2回の人生はミスマッチ親族の基本構造の二つのエントリーは、秀逸の極みです。こんなすばらしい話を、「タダ」で読むことができる社会は、まさに夢のベルエポック以外何者でもありません。

そして手元に夢のベルエポック本ウェブ時代をゆくがアマゾンからさきほど届いて、読み始めた。最初の1ページの書き出しがすばらしい、KAIはこれで充分満足。

こう言う精神を「ゆさぶる」文章に出合って、ポパイのほうれん草(例えが古くてスミマセン^^;)、俄然生きる勇気がわいてきます。

ウチダ先生も書いているけれど、この生きる勇気とはそんな高邁な頭の上に掲げるようなものでもなんでもなく、ほんの身近な小さな喜びの中にこそあるんだと、そう言うことです。

そしてこの親族の基本構造を、激しくバイブレーションする胸の鼓動を抑えながら一気に読んでしまいました。

KAIの母の弟オサムは共産党員の国家公務員でした。父レイジは、自分が校長になれないのはお前の弟オサムのせいだと、毎晩酔って母をせめる。その光景が半世紀近く経った今でもKAIの脳裏を離れることはありません。レイジとオサムの間の葛藤の中にこそ、KAIの中のすべての矛盾、不条理を説明するための「方法」があったとは、ただただ感服して納得するしかありません。

KAIのいまこの家族問題の動機が、まさにこの伯叔夫にあることを考えると、KAIもまた「親族の基本構造」の中に見事としか言いようのないかたちで組み込まれていることに、シンクロニシティを感じざるをえません。

まことに人生とは、不可思議で魅力に満ち溢れています。 KAI

November 06, 2007

松下幸之助の言葉(12)

大正と言う時代は、大正15年(1926年)その年も押し迫った12月25日に終わり、昭和へと続いていきます。従って昭和元年は1週間しかありません。ちなみに昭和の終わりが64年1月7日で、昭和と言う時代は初めも終わりも1週間しかないと言う面白い符合の時代でありました。

大正が終わる前年の1925年、山本との販売権をめぐる問題を決着させた話が前回までです。この2年後の昭和2年(1927年)3月昭和の金融恐慌が起こります。松下電器も例外なくこれに巻き込まれる事態となります。

当時の松下電器のメインバンクであった十五銀行が破綻し、これに助け船を出してくれたのが、後の松下のメインバンクとなる住友銀行でした。この住友銀行とはつい2ヶ月前に取引が始まったばかりでした。

 そしてこの二ヵ月後に金融恐慌が起こったのだ。(ほんまに貸してくれるんやろか?)幸之助はこれまで強気に出たことを少し後悔していた。ところが住友銀行は約束を守ったのである。
「もちろん結構です。いつでも使ってください」
 こちらが拍子抜けするほどあっさりと、そう言ってきた。住友銀行の堀田庄三元頭取によれば、この時、幸之助はいつでも借りられることを確認しただけで実際には使わなかったそうだが、彼は感激し、心から感謝した。
<多少なりとも不安に思った自分が恥ずかしかった>
 後にそう書いている。「人に借りを作ってはいかん。『ギブ・アンド・テイク』ではなく『ギブ・ギブ・ギブ』でいかな」という幸之助が、珍しく「借り」を作った一件だった。
(産経新聞、同行二人(どうぎょうににん)第10回、北康利、2007/11/6、p.28)


この幸之助の「強気に出たことを少し後悔し」たのは、住友銀行に対してなんの取引も無しに融資枠を要求したことですが、何と住友は一万円(今の600万円強)の枠を設定してくれたのです。

KAIも、今から3年ほど前、信用保証協会の保証付き融資ではまるで身動きがとれず何か手だてはないものかと思っていたちょうどその時、三井住友が無担保で7千万円の融資枠を設定してくれました。これには本当に涙が出るほどありがたく、当時の担当者のH口くんには感謝の思いで一杯です。

閑話休題。1926年幸之助夫婦は長女幸子に次ぐ第二子である長男幸一を授かりますが、幸一は翌年2月髄膜炎を患いわずか1年と言う生涯を終えます、

 幸之助は天をあおいで慟哭した。彼の両親は、手塩にかけて育て上げた子供たちを相次いで亡くす不幸に見舞われたが、幸之助までもが「逆縁」の悲運に痛憤の涙を流すことになった。

これで幸之助が事業意欲を喪失してしまったのも無理はない。しかし彼は「『お前には社員がおるではないか』という天の声が聞こえてきた」と言い、悲運をみた八卦見からは36歳(この時幸之助32歳)の寿命と占われたことに逆に発憤し、残りの人生を事業に集中していくことになります。原因はなんであれ、この集中力こそ事業成功の要の一つであることは、間違いありません。

そしてその事業。幸一が亡くなった昭和2年、幸之助はKAIも記憶にある砲弾型ランプの次の製品である角型ランプを考案します。これが自転車の用途だけでなく取り外せば懐中電灯としても使えることから、これを自転車店中心の販売である山本商店経由ではなく自ら電気店へ販売したいと考え、幸之助は山本に期間満了まであと1年ある独占販売契約の解消を申し入れます。

これに山本は一万円の賠償金で譲歩すると言う。幸之助は逡巡しながらもこの一万円を払うことを決断します。

 これまで幸之助のことを軽く見ていたが、この時はじめて後生恐るべき相手だと刮目して見た。山本は「一万円儲けさせてもらったお礼」だと、幸之助を高野山に招待してくれたという。その後、関係はやや疎遠になるが、縁が切れたわけではなかった。山本が亡くなった時には幸之助が葬儀委員長になっている。
 山本という、一個の完成された大阪商人の胸を借りて、幸之助は一回り大きく成長することができた。人との出合いが、その人を成長もさせ堕落もさせる。一万円は捨て金になるかもしれないが、授業料だと思えば惜しくはなかった。
 後年の幸之助は「道」という言葉をよく揮毫(きごう)した。「素直な心」に従えばおのずと「道」は開ける。山本との契約を途中破棄までしたのは大きな賭けであったが、結果として道は開けるのである。

前回、この連載と同時進行だと書きましたが、KAIの運命も人との出会いであり、今その運命を託さんとしています。そして必ずその先に道は開けると信じています。 KAI

November 05, 2007

小沢問題の整理

時事問題は出来るだけ避けたいと思っていますが、これは格好の思考実験の材料として使えると言うことで。

政権交代が現実味を帯びてきた民主党から大連立の賛成を得られるとは、誰も思わない。ましてや小沢自身もである。とすれば賛成を得られない話を持ち出すのは、もとから賛成を得られないことを前提にした筋書きであったことは間違いない。

つまり小沢辞任は当初からの筋書きであったと言うこと。

なぜ今辞任かといえば、ネガティブに考えた場合小沢自身の問題であってこれは巧妙に隠蔽する必要がある。ポジティブにとらえれば、衆議院選挙に「小沢」が勝つためである。これは両方あって、前者は昨日書いたとおり。

問題は後者。衆議院選挙で先の参院選のような大勝が望めないとすれば、あと6年は「ねじれ」が続く。(※)結局国民の批判はなんでも反対して法案を通そうとしない民主党に矛先が向くのは目に見えている。もちろん衆院選の結果を見てからだけど、このタイミングで小沢は離党によって、参議院の民主分裂を図る算段である。これがその時党首であっては身動き取れない。参議院民主も国民の批判が自分たちに向いてくれば、小沢新党にのっかるのは理にかなったこと。

もちろん衆院選で民主が勝てば、自民は文句は何も言えない。問題は自民が少しでも勝った時で、仮に保野比率が51:49なら49のうち7いれば、参議院をひっくり返すことが出来るわけである。立派にキャスティングボートを握って政権もとれる。おまけにこれを実現させた福田に誰も文句は言えない。自民に合流し福田と手を組んで長期政権の一翼を担っていくことになる。

更には小沢辞任で、仮に新テロ法案を自民が衆議院の3分の2で成立させたとしても、民主党は参議院で福田政権を問責決議してすぐに衆院選に追い込めなくなってしまった。

なんだかすべて福田自民が得するばかりにみえますが、そんなことはありません。

もし辞任がなく小沢党首のまま衆院選突入して民主が勝った場合、いずれかの野党と連立を組む必要が出てきます。共産党はあり得ませんから社民くらいです。さてこの政権がどれだけ持つか小沢が一番よく知っている。記者会見で小沢自身が評価したとおりです。もって1年。また野党転落しねじれが戻る。以下(※)に続くとなるわけです。

つまり衆院選で勝っても負けても党首で臨むよりフリーハンドでいたほうが「小沢」が勝てると読んだのです。ついでにプライベートも解決するし。で党首を辞任するには理由が必要と言うわけで、冒頭に戻る。

この絵を描いて持ちかけたのはもちろん福田。小沢のプライベートを餌に党首会談に誘い込んだ。安倍とは談合といって一瞥だにしなかった方がこれに応じた。火種をかかえる小沢にとっては助け船だったことは間違いありません。

どんなもんでしょうか。 KAI

November 04, 2007

週末テニスと小沢の辞任

サウナで2日合わせて2.7キロ減量。ずいぶん身体が軽くなった。2日間思い切りできたテニスのおかげです。

そもそも今週の土曜テニスは中止の憂き目にあうとこだった。オムニコートの表面が破れてしまってその修理が日曜まで長引いたためです。もしやと思って、日曜の年間予約のコートが空いていないか訊いてみたら、ラッキーこのうえない9時から2時間空いている。さっそく予約を入れたのが前日の金曜日。

いったんはあきらめて先週の台風の雨の中のジョギングに引き続いて、今週は絶好のテニス日和の中ジョギングとは、トホホが一転、がぜんみなやるきマンマン。

特にコーチのネモトくん。

前回ネモトくん相手に2勝2敗と善戦したことが、彼のプライドに火をつけた。結果は6-0、1-6、4-6、2-5とネモトくんの4連勝。格上相手に勝ちを優先するなら、相手を怒らせないことです^^;。

翌日曜テニス。本日も絶好のコンディション。思いっきり走り回って気持ちよいテニスの結果は、6-3、3-6、6-3の2勝1敗。

もしKAIにテニスがなかったら、いまごろとうに寿命は尽きています。これを断言できるくらい、KAIはテニスで精神のバランスが取れているのです。

しかしここ10日間は、歯茎にストレスがきてしまった。歯茎の痛みが、KAIの短い睡眠時間を襲うからほとんど1週間眠れない。床屋にいったら爆睡してしまったくらいところかまわず眠い。あきらめてやっと歯医者に行ったら案の定、ストレスですねと言う。

なんと小沢が辞任すると言う。

おそらく彼もストレスです。彼の歯痛は、例の新進党の政治資金がそのまま小沢個人の不動産に化けた件です。もちろん自民側の隠しだまです。

もともとこの取引は無理筋でした。

しかしこのまま党首のまま疑獄では、間違いなく次の選挙は勝てません。小沢が離党するなら福田は特捜を押さえるというのが、今回の真相でしょう。

まことに政治は、面白い。一寸先は闇、と言う意味で。 KAI

November 03, 2007

フェアネスベースボール(2)

中日が初戦1敗のあとの怒涛の4連勝で、日本一。

そして日本シリーズ。同じ条件で戦ってこなかった昨年までは、同じ理由でパリーグ有利は不動。やっと今年は面白くなりそうですが、それでも今年もファイターズが4-3で優勝は間違いありません。

残念ながら間違いでした^^;。

この運命を変えた張本人は、まぎれもなく日本シリーズ3度目の挑戦であった落合です。

つまり落合は過去2回の挑戦からシリーズの鍵がピッチャーにあることに気づいたのです。それが優勝を決めた第5戦の山井の起用に如実に表れています。

バッターと言うのは、初めて対決するピッチャーをそうそう簡単に打ち負かすことはできません。シリーズ初登場の山井の起用の意味とはそう言うことです。

もしこの第5戦を落とせば、再び札幌で戦わなければいけなくなる。そうなればファイターズに流れが戻るのは間違いない。とすれば絶対に落としてはいけない。そして相手は無傷のダルビッシュ。取れても1点どまりとすれば零封しかない。

それが山井の起用の意味であった。

そして期待通りの仕事のあとは、岩瀬で幕。この交替についていろいろ批判が出ているけれど、落合にすれば過去から学んだ当然の采配だった。

 加えて過去2回の日本シリーズは継投失敗で日本一を逃している。04年の第3戦の岡本と昨年の第2戦の山本昌。いずれも温情の続投が裏目で逆転された。「3回も同じことをしたらバカと言われる。1人の野球選手としてなら、続投でいい。ただ監督としての立場がある」。
山井交代の要因はマメ 不協和音はなし − スポーツニッポン

闘将は、戦の中で学び、大きくなっていく。 KAI

November 02, 2007

ノントレランス社会

テレビはスイッチ入れればすぐつくのに、なぜパソコンは長い間待たされるのか。

もちろんごもっともです。

単にメモリースタンバイで電源オフすればいいだけです。

しかし、今質問のメールを送ったのに、すぐ返事がこない、とか、いつまでセットアップに時間がかかるのだと言うクレームが来るたびに、いったいこの人たちは自分を何様と思っているのでしょうか。

まるでがまんできない。

まるで瞬間的解決を要求する。

いったいいつまでこんな方々のお相手をしないといけないのでしょうか、神様教えてください。 KAI

November 01, 2007

経営者の孤独

つくづく経営者は孤独です。

だれも助けてはくれません。もちろん当然です。いままで経営者として、自分の主張を通しかつその権限を行使してきたのですから。

しかし幸之助は、むめのが側にいてこの話をきいてしかも積極的にこれに関わっていたはずで、幸之助一人で悩むことがなかったのではないかと、思うのです。

KAIも、今人生最大の岐路にあってこの数日間、もしいま幸之助のむめののような存在がいなければどうなっていたことか。

つくづくこの運命の出会いに感謝します。 KAI