なんだか恐ろしいスピードで1週間がたっていく。
つい昨日テニスしたような感覚の、土曜テニス。早朝小雨の中を傘をさしての散歩。こうして何年も雨の中を散歩していると、いくら雨が降っていてもこのあと雨がやむかどうかを含めてテニスができるかどうか、感覚的にわかる。
と言うことで小雨が続いているけれど今日は大丈夫と9時前にでかける。途中ツジさんをピックアップしてそのままテニスコートへ。到着寸前にY木さんが自宅から電話。え?やるの?。もちろん、気にしなければできますよ^^。
雨粒を気にしないようにキャップを被ってのテニス。雨粒以外は絶好のコンディションの中、6-3、6-1、4-6の2勝1敗とまずまず。
水分補給も生茶1本で終わり、アンジェロの生ビールも1杯とひかえめ。
にもかかわらずサウナでは、玉の汗が出て1.4キロの減量。サッパリシャン。
自宅に帰って洗濯の後ハイタイドへ。マティーニ3杯。ここまではいつも通りで、今日はこれで終わらなかった。なぜかこの後ウッシーと、愉快な仲間たちのいる恵比寿の居酒屋へ。そして西麻布アストランスでカラオケ。ウッシーは彼女から帰宅命令が出て早々に退散。残った男3人、女2人で3時過ぎまで歌いまくる。
久しぶりのカラオケだったからか理由はわからないけれどなぜかKAIは、幽体離脱だった。覚醒状態で幽体離脱もないけれど、酔っている自分が上の方からよく見える。
そしてわかった。人を見る目ってこう見えるんだと。
日曜、目が覚めたら6時10分。寝過ごした。おいおい今日も雨じゃないか。外に出るには出たけれど散歩は中止。中止するほどの雨ではありませんが、今日はテニスできないと判断し、かわりに昼間ジョギングしようと思ったからです。
案の定正午過ぎには雨脚が強くなって、予定通りこの雨の中をテニスコートに向かう。
誰もいないテニスコートの駐車場に車を停めて、そのまま雨の中のテニスコートのまわりの街路を20分間ジョギング。
これでいつものパターンに復帰。このあとアンジェロで生ビール。さすがに今日も1杯で終わり。サウナに入って、今日も1.2キロの減量。
そういえば毎週日曜テニスからの帰りは給油の日。このガソリンスタンドは有人ながらセルフなみの値段で、自宅近辺にはないとても貴重なガソリンスタンドなんです。おまけにサービスがよくてとても気持ちが良い。
こうして気分良く帰宅して、気分良く洗濯して、気分良くハイタイドでマティーニを3杯飲む。
やっと明日10月1日の1日の、心の準備が整った。 KAI
若いソフトウェア技術者に自分たちの仕事が誇りある仕事であることを実感してもらう、唯一の方法は、人月モデルからの脱却以外にはありません。
なぜなら人月モデルとは、労働提供型モデルであり、労働の質ではなくその量を取引の単位とするモデルであるからです。
質に関係なく量の問題とした瞬間、それは「技術者」ではなく「労働者」にすぎない存在となり、これでは仕事に誇りを持てようはずはありません。
技術は人なり 丹羽保次郎
日本初のファクシミリの開発者で、東京電機大学初代学長の著書「若き技術者に贈る」から。立派な技術には立派な人を要するという考え方から出た言葉。同大学の教育理念にもなっている。
(産経新聞、きょうの言葉、2007/9/27、p.3)
この意味が本当に理解できている、ソフトウェア会社の経営者は、日本には残念ながら皆無です。もちろん多少理解している経営者はいるにはいます。しかし残念ながら、これを一貫して経営の現場における実践にまで至っているとは決していえるレベルにはありません。
人は自らを正当に評価されて初めて、自らの存在に自信を持つことができます。
技術者にとって、良き技術と評価されて初めて、良き技術者足りうるのだと、当然自覚しているのです。しかし、人月モデルの世界には、もとより原理的に良き技術であることの評価のためのシステムなぞ最初から存在してはいないのです。
こんな中で働く若い技術者に、このきょうの言葉を贈ります。
自らの不遇を経営者のせいにしないでください。くやしいけれど。
できうるならば、将来自らが経営者となって、この不遇をバネに後に続く技術者が、彼らの良き技術が正当に評価される仕組みを、ぜひとも構築していただきたい。
人月モデルは必要悪、と言う経営者たちに引導を渡すためにも、今の若い技術者たちにこの人月問題の本質が何であるかを理解していただくことが、遠回りかもしれないけれど当座やるべきことであることがやっと理解できました。 KAI
あまりに議論のレベルが低すぎて涙が出てくる。
どんな企業であれ、もしSaaSをスタートさせるために巨額な投資を先行させるべきだと判断したのなら、その時点で疑問を感じるべきだろう。SaaSにかかわる何人かの取材先に聞いた言葉だが「SaaSはソフトのデリバリー(配信)手段であってそれ自体が市場なのではない」。既存のソフトをSaaSやASPのやり方に変えたからといって、新たな市場が生まれるわけではないのだ。
(SaaSの暗黒面を感じる時)
例えばDVDの市場を考えてみてください。この市場と、それをダウンロード販売する市場、更にオンデマンドで視聴できる市場、それぞれ全く異なる市場でありビジネスモデルです。これらが同じコンテンツであるからと言って同じビジネスモデルだなんていった瞬間、Gyaoと同じ轍をふむことになります。
同様に「SaaSはソフトのデリバリー(配信)手段であってそれ自体が市場なのではない」なんてアホなことを言っているから真っ赤っかな決算書にしかならないのです。
ソフトウェアを人月見積でしか開発できない人たちから見れば、まあこれは致し方ないことかもしれません。人月単価という労働提供ビジネスモデルの中に住む住民から見れば、以下のエントリーにあるような機能単価モデルの世界はまるで異次元世界であって、そもそも視界にとらえられない、つまり理解できない世界であるわけです。
その人月単価について、この議論も申し訳ないけれど蒙昧と呼ぶしかありません。
結局のところ、人月見積をやめるというのは、今までは人任せだった仕事の「入口」と「出口」を自ら行い、売り込みから回収まで自分でやることを意味する。「プログラミング」という「中身」は当然目減りするのである。
人月を捨て、自らかれこれ悩みながら見積書と請求書を書くのがいいのか(これはたとえ営業と制作が分かれている会社であっても同様。この場合は営業に対して見積と請求を出す事になる)、それともサラリーという人月計算に甘んじるのか。好みの問題といえば好みの問題であるが、圧倒的多数が後者を選んでいる以上、人月がなくなることはなさそうだ。
(人月を超えるとプログラムしている暇が減る)
「人月見積をやめる」と言うことは、つまりはその労働提供型ビジネスモデルを捨て、別のビジネスモデルを採用すると言うことであり、それがどんなビジネスモデルであれそのビジネスモデルの真髄である商品別の単価表が存在していますから、「悩みながら見積書と請求書を書く」必要など全く持ってありません。
なぜ「悩みながら見積書と請求書を書く」ことになるのかと言うと、これは簡単な話で、ビジネスモデル自体は労働提供型のままに人月単価を捨てようとするためであり、結果的に別の単価の中に労働提供型ビジネスモデルとは不可分の人月単価を隠蔽する必要があるからです。
つまりビジネスモデルと単価とは一体不可分のものであって、これを一方だけ書き換えるなどと言うことは原理上不可能なことであるのです。
そしてこのビジネスモデル自体が、その組織で働く個人の選択によるものではなく、組織の経営者の責に帰するレベルの問題であることは、考えるまでもなく明らかなことで、つまるところ経営者の判断であり決断しか、この人月問題の解決への道はあり得ません。 KAI
うっかり中秋の名月を見逃した。
今朝は傘をさしながらの散歩が、車を駐車場に置きに行く9時頃にはすっかり晴れ上がって、今日は中秋の名月を拝めるなんて思っていたのに。
夕方からN山さんと重要な打ち合わせ。その前のデモが長引いて、終わってあわてて待ち合わせの寿司勇にかけつけた。この寿司勇を出るころにはしこたま酔っぱらっていて、ただいくら酔っていても、階段を上がった目の前に名月は見えたはずが、六本木方向へ帰るN山さんを見送ったのがいけなかった。六本木方向に月はまるで見えません。
そのまま一人でハイタイドへ行ってマティーニ1杯で沈没。これもいけなかった。これでずいぶん迷惑をかけてしまった。ごめんねフクダくん^^;。とかなんとか自宅に帰る頃にはビルの陰に隠れて見えません。
それにしても1年とは、あまりにも短い。ついこの間中秋の名月とリキの散歩を書いたと思うのに。
そして安倍政権も短かった。
どちらも短かったけれど、両方つまりKAIも安倍さんも中身の質は違えどもめちゃくちゃ濃いい1年だったと、振り返ってあらためて思います。
なにはともあれ安倍さん、ご苦労様でした。ゆっくり養生してください。 KAI
曇天でやっと秋らしい気温になる。
暑さ寒さも彼岸まで。さすがに昔の人はよく言ったものである。今日はその彼岸の、中日、秋分の日。1年時計の午後6時です。もう午後6時です。あと6時間で今年もお仕舞い^^;。
そして明後日25日が中秋の名月。1年前も同じようなことを書いたと思って中秋の名月とリキの散歩を読み返した。
台風一過、夜明け前のリキの散歩。東の空には皓々とした27日月が、ひときわ目立ちます。
秋らしい気温といっても散歩から帰ってくるとシャツは汗びっしょりになって、そのまま洗濯機の中へ。
今日は自民党の総裁選挙。朝から福田、麻生がフジ、NHK、テレ朝にチェーン出演。もはや話の中身は聞き飽きたけれど、こうして何度も何度も周りから確認されると、麻生はともかく福田自身の発言の中に明らかな変化を感じ取ることができる。
それはいままで言葉に出して議論してこなかったことによる福田の思考の不明瞭さが、こうして発言を繰り返すことで、無意識のうちに麻生の考え方をも吸収した明確な論理が形成されていくと言う変化です。
言葉に出すことで、思考が顕在化し、それが現実化していくことの好例といえます。
そして最後のテレ朝の番組サンデープロジェクトの、この後の話題が面白かった。
危機に瀕していた総合商社、三菱商事の復活劇の話です。
手数料収入で稼ぐ総合商社。その石炭事業の手数料収入が先細る中、大胆にも商社のビジネスモデル自体の転換を図っていきます。それは手数料によって稼ぐのではなく、自分自身が石炭メーカーとなって川上から押さえて稼ぐ戦略です。そしてそれは見事成功します。
その決断をした当時の社長のインタビューが面白い。
ビジネスモデルの転換を訴える現場の、石炭一筋で30年生きてきた彼らの判断を信じた。
決断とは、そう言うもんなのである。
これをテニスに行く途中、運転しながら片目で見た。こう言う話はほんと得した気分になる。
で肝心のテニス。
6-4、4-6、2-6と、昨日に引き続いて1勝2敗の負け越し。
汗は目一杯かくものの日差しもなく風もあって絶好のテニス日和にかかわらず、この不甲斐ない結果。
原因は体力不足もあるけれど、上の話の反対、戦略欠如以外の何者でもありません。第2ゲーム。相手のサービスから。せっかくこのファーストゲームをブレイクしながらあとずるずるとブレイクを繰り返して2-2のイーブン。2巡目立ち直ってキープ、キープのあとブレイクで一歩リードの時にKAIのサービス。これを取れば5-3でリーチのはずが、ブレイクされてまたまた4-4のイーブンに。
このときKAIがキープできなかった原因が、戦略欠如であります。
当然相手はブレイクするために仕掛けてきます。これを待ちに行ってしまったってことです。
最初のサービスに、ネット際へドロップショット。もちろんなんなくひろえるけれど、これを返す場所が悪すぎる。空いたスペースにボレーを打たれて0-15。ここでショートロブをあげていれば簡単に頭を越えて15-0にできた。
0-15と15-0では、次の展開が全然違う。安全に行くから相手の強気のリターンを誘ってしまう。ボレーをしてもこの浮いたボールをたたかれる。ストロークミスでラインアウト。すべて待ちの結果です。
ではどうすれば良かったのか。
それは、最初からドロップショットを打たせるサービスをすればいいのです。もちろんその結果はドロップショットを打ってこないかもしれません。しかしそれはそれでいいのです。もし想定通りドロップショットを打ってくれば、想定通りショートロブで頭を越えてポイントを取る。想定通りではないボールを返してくるなら通常通りラリーを続ければいいのです。
この「ドロップショットを打たせるサービス」がとても重要です。
最初からパッシングを打ってくることが分かっていたら、これは簡単にブロックボレーで逆襲できるように、相手が返してくるボールを最初から見越してその反撃の準備ができているかいないかの違いです。これがこちらにサービスがある場合は当然この主導権もこちらにありますから、この戦略の有無は決定的です。
アンジェロで生ビールを飲みながら、来週は戦略テニスに徹することを誓う。
2杯目は、ビールサーバーのあふれた分と言うことでお店のサービス。今日は得する日である。
このあといつも通りサウナ。ぼたぼた玉の汗が出てあっと言う間に1キロの減量。調子が良くなってきた証拠です。
家に帰って洗濯をしてそのままハイタイドへ。マティーニ3杯。きっちり締めて充実した1日は、これにてお仕舞い。 KAI
3連休初日。3連休が2週も続くと、これはもう週休3日制のシミュレーションを毎週やっているような気がしてきます。恐らく西暦2050年は、こう言う時代になっているんだと思うけれど、これではいくらなんでも休み過ぎと思うのはKAIが古いせいでしょうか。
KAIが新入社員であった云十年前は、週休1日のみでした。これがすぐ月2回の土曜半ドン、つまり毎週土曜は出勤で月2回が午前中のみの勤務になり、いつのまにかすべての土曜が半ドンになって、そのうち月2回の土曜休み、そして今では毎週土日休みが当たり前になっています。
しかし、これだけは言っておく必要があるのが、現在の週休2日制の実現を支えたのは間違いなくITと言うコンピュータの技術にあると言うことです。
残業を含めて土曜日の仕事のほとんどは、平日忙しくてできなかった単純な事務作業の調整に使われていたと、自分自身の経験を踏まえて、そう思っています。つまり平日は、相手がいないと進まない仕事に当て、自分だけでできる仕事を週末にまわしていたのです。
これが、電話やファックス、最近のEメールによって相手との交渉に要する時間が大幅に削減され、自分だけでできる仕事の時間が大幅に増えることになります。一方で事務作業がコンピュータ化されたおかげで事務作業専門に配置されていた補助者が廃止され、こちらも補助者の勤務時間に左右されないで作業ができるようになります。
これらの結果、平日の他人の影響を受けない自分のためだけに使える時間(これを仕事の可処分時間と言う)が大幅に増え、わざわざ土曜に出勤するまでもなくなったのでした。
この平日の増えた時間を使って、さらなる顧客開拓に励むモーレツ営業マンもいれば、企画力で勝負するマーケティング担当者もいますが、大抵の社員は、ITではあるけれどEXCELなどシステム化されていない、いわば手作業同然の単純作業の繰り返しに追われることになります。
休みを増やすことには貢献したけれど、こう言う「人を幸せにしない」ITは大いに忌み嫌うべきです。
と義憤はさておき、いつもの土曜テニス。
少しはしのぎやすくなったと思うけれど、結果はそうでもない。
最初は6-0でパーフェクトのまず1勝。次が意外にも5-1で先攻リード。しかしここから相手方の執拗な反転攻勢開始。これにあえなく5-7と逆転負け。最後も3-6とネバリなく2敗目。
今日は1杯だけにしておこうかと思ったアンジェロの生ビール。思っただけで2杯目、おかわりー。
これは間違いなく体力が落ちてきている。もう少しなんとかなったものが、まるで途中で言うことをきかなくなる。
いまひとつ不完全燃焼のままサウナに入って1時間、思いっきり汗を流す。気持ちがスッキリしている時はなぜかすぐアルコールが抜けるのに、こう言う時は、時間を掛けて汗を流さないとなかなかアルコールチェッカーのグリーンランプが点きません。
そしていつものハイタイドでマティーニ。完璧です。
それにしてもユーイチくんもフクダくんも、週休1日。KAIの若かりし頃の体験を共有している気分になって、一人にやつく。彼らがこうしてまじめに働く姿を、神は必ず見ているのです。 KAI
いつもの外苑西通り。この時間帯はいつも渋滞。と言うことで日赤通りに迂回する。こちらも六本木通りに出る反対車線は渋滞中。右手に渋滞の車を見ながら一路広尾方向へ。
とその時強烈な予感がする。
右の車列の間から子どもが飛び出してきた。50センチ手前で急ブレーキを掛ける。トラックとセダンの間から突然キックボードにのった4、5歳の男の子が出てきた。男の子のシャツのそでを引くように母親が追いかけ、こちらを向いてしきりに頭を下げながら子どもをしかりつけている。
トラックの後ろから出てきたから、まるで見えなかったけれど、強烈な予感がした。
なにもなかったように通り過ぎ、なにもなかったことに神に心で手を合わせた。
まるで神様が試しているようだ。
もし万一ここで事故を起こしていれば、秋季交通安全週間初日の格好のニュースになっていたことは間違いありません。
しかし、この予感です。
ただただこのKAIの背後にある意志に、感謝するしかありません。 KAI
ずいぶん時間がかかったけれど、やっと答えが出そうです。
6年前、いったい何社のVCにデモを行ってきたことでしょうか。何度も何度も説明して膨大な時間を浪費した結果は、あまりにも虚しいものでした。
実績を出して見返してやる。
こう決意して6年。やっと軌道に乗ってきた。この半年、IPOに向けて再スタートをきった。
そして最終関門となるやもしれないデモが昨日あった。
結果は、6年前と変わらない、と思った。なぜ彼らに伝わらないんだろう。帰りの車の中で嘆いた。そして松下幸之助の言葉(6)を書いて、いろいろ考えた。
ところが。
彼らのパートナーから電話があった。最高の評価であったと。
やっと女神が微笑んだ。
今日はハイタイドではなく、大ちゃんのいない寿司勇で祝杯。まだまだ油断できないけれど着実にネクストステップにきたことを実感して、少々涙腺が緩んだKAIであります。 KAI
先日から産経新聞に作家の北康利氏が、松下幸之助と歩む旅「同行二人」と題する連載を書いています。
丁稚時代の経験から、幸之助は多くのことを学んだ。
そば近くで仕えた岩井虔(いわいけん現PHP研究所参与)が、ある時、幸之助に「商人の道」を尋ねたところ、大事なことは三つあると教えられたそうだ。一つは「商売の意義がわかっていること」、次に「お客様の心が読めること」、そして「相手より頭が下がっていること」。
幸之助のお辞儀は、ただ頭を下げるという類のものではない。それこそ顔が膝小僧につくほど深々と頭を下げるのだ。
それだけではない。お客が帰る際には相手の姿が見えなくなるまで見送る。そして見えなくなる寸前、最後にもう一度心をこめて深々と礼をした。それはお客に対してだけではない。記者などに取材を受けた際も同様だったという。
(中略)
また商売の厳しさについてはこう教えられたという。「幸吉っとん、これだけはよう覚えとけ。商人が一人前になるには、小便が赤くなる、つまり小便に血が混じるようなことがいっぺんやにへんないと一人前にはなれんのや」
苦労せずしてもうけることができるほど商いの道は甘くないことを、こうして彼は叩きこまれた。
(産経新聞、同行二人(どうぎょうににん)第3回、北康利、2007/9/18、p.23)
この「同行二人」と言う題の意味について氏は連載第1回の冒頭に次のように書いている。
みなさん「同行二人(どうぎょうににん)」という言葉をご存じだろうか。
近年、四国八十八箇所札所巡り(いわゆるお遍路さん)がひそかなブームになっているが、巡礼者のかぶる菅笠や帷子(かたびら)には「同行二人」という文字が墨書されている。巡礼とは弘法大師(空海)とともに歩む行であり、「同行二人」とはそのことを示す言葉なのだそうだ。
(中略)
「松下幸之助」はもはや松下電器一社のものではなく、日本人全体にとっての大切な先達の一人だ。わが国の歴史において「経営の神様」と呼ばれた人間は彼しかいない。
本稿は、この松下幸之助という不世出の経営者の人生をたどっていくことで、みなさんに彼との「同行二人」を体験していただこうという試みである。
彼のとった行動と決断を追体験していただくことで、「松下幸之助なら、こうしたのではないか?」
という、人生を歩いていく上での頼もしい杖を手に入れていただければと祈るや切である。
(産経新聞、同行二人(どうぎょうににん)第1回、北康利、2007/9/4、p.28)
なんだか引用ばかりで本文がありませんが、毎週火曜日のこの連載をKAIはおおいに楽しみにしています。誠にグッドタイミングと言うかシンクロニシティと言うか、今事業拡大の決心をして大きく踏み出そうとするところです。いままでであれば頭を下げたくなければ下げないで済ませることでやってきましたが、これからはそうはいきません。
以前前職の上司に「KAIくん、人に頭を下げると思うな、人をお金と思って頭を下げればいいんだ」と何度も諭されたことがありました。しかしKAIは、これができません。心の底から頭を下げられる人と思わなければ、KAIは頭を下げることができません。
そう言う意味で、KAIにとって幸之助の言う「商人の道」はまだまだ遠くて険しい道と言わざるを得ませんが、今KAIが大きくなるために、これが自分に一番欠けていることであることも分かっています。
これはしばらく松下幸之助と、「同行二人」で行に歩くしかないようです。 KAI
3連休初日、土曜日は晴れてユーイチくんの結婚式。
これが夕方からと言うことで、いつもどおり朝の10時からテニス。いつになっても炎熱テニスが続く。しかし今日はなぜか調子がいい。最初を4-6で落としたものの、あとは無難に6-1、4-2と2勝して気分よく勝ち越し。
このあとアンジェロの生ビール、サウナときわめていつもどおり。この帰りにポロロッカによって1週間分の食料を買い出すのも、毎週同じことの繰り返し。
そしていそいそとユーイチくんの結婚式の会場である聖路加タワーに、タクシーで向かう。会場はこのタワーの47階のレストラン、ルーク。ルーク、路加、ルークスカイウォーカー、スターウォーズの世界であります。
この会場は最高でした。
この高さ。見下ろす風景に圧倒されながら、この披露宴会場であるレストランのスタッフたち。彼らのヘッドセットを着けたアクティブな動きが、なんだかKAIは、テレビ局のスタジオの生の番組にいる気分で、とても気に入りました。
もちろん、料理がいい。魚中心です。
圧巻はユーイチくんの、セイコさんへのピアノの弾き語り。
もうなにも言うことはありません。
しこたま酔ってお開きです。
あけて日曜。テニスに出かけようとすると、山手通りが氷川のお祭りで一時的に通行止め。仕方がないので一方通行をバックで逆走して迂回路にでる。
これまた今日は目がよく見える。昨晩のパーティのケーキに入っていたブルーベリーをすべて食った効果でしょうか。
結果は6-4、3-6、5-5の1勝1敗1分。十分すぎるだけテニスをやって、もうへとへと。
そして夕方は、久しぶりに休みが合った娘と一緒にハイタイドに向かう。ここでフクダくんのタイカレー。なんともこの心遣いがうれしい。先日昼手作りのタケノコ料理といい、このタイカレーといい、ほんとKAIはしあわせものです。
そして月曜。敬老の日と祝日ながら、朝からオフィスに出て仕事をする。
1日誰もいないオフィスで、久しぶりにゆっくり考え事ができる。KAIは考え事をアルファ波状態、つまり半分眠った状態で行いますがそのまま居眠りしてしまうこともしばしば。ですので普段オフィスではなかなか瞑想できません^^;。
そしてやっと展開が見えてきたころ、オフィスの戸締まりをしてハイタイドへ。3連休はあっと言うまに終わるのでした。 KAI
この擬似同期型アーキテクチャ利用サービスには、いくらでもバリエーションがあります。
一番KAIが欲しいのが写真共有サービスとの組み合わせです。
例えばみんなで旅行に行った写真を、文字情報のエンディングテロップと同じ手法で下から上に流していき、右側に自由にコメントを書くことができるようにすれば、写真をネタに盛り上がること請け合いです。
場合によって写真も複数の人が一つの映像の流れの中に挿入することができれば、例えば修学旅行の動く思い出写真集もみんなで盛り上がりながら簡単に作ることができるのです。
これが結婚式であったりどこかのイベントであったり、あるいは動植物の写真であったり、分野は無数に考えられますね。 KAI
久しぶりの“エジケン節”に感動^^。
それから、ニコニコ動画の戀塚さんの話。発表資料の「ニワビデ始動」あたりからの試行錯誤の流れが、よく考え抜かれているなぁと思いました。UEIの清水さんあたりから聞いていた話や、開発者ブログあたりで読んでいた話と符合して納得するところが多く、めちゃくちゃ勉強になりました。戀塚さん本人の口から何度か「ゲームデザイン」というような言葉を耳にしましたが、このあたりも凄味を感じた理由だったりします。この世界にはラッキーヒットなんかなくて、本当に良いものだけが勝ち残れる世界なんだな、と気持ちが引き締まる思いでした。
(ITpro Challenge! が感動的だった件)
その通り。周りはみなさんいろんなことをいいますが、そんなことはどうでもよくて、本当に良いものだけが生き残れると言うことをこの生身の自分の身体で覚えて初めて、この世界のスタートラインに立つことができるのです。
そしてこのニコニコ動画の「擬似同期型アーキテクチャ」の話は、KAIにとってもおおいに参考になる話です。
かつてテレビ電話に対するビデオメールの可能性を議論したことを思い出します。チャットとメールの関係でもありますが、テレビ電話やチャットのような「真性同期型」のコミュニケーションには、確かに濱野智史氏が指摘する「閑散化問題」がつきまといます。
これを映像と、コメントの文字情報と言う異質のメディアを組み合わせることで編集可能にして、誰でもいつでも共有できるようにしたのがニコニコ動画の「擬似同期型アーキテクチャ」であると言うのですが、これは一方のメディアを映像ではなく楽曲や講演録のような音声メディアに変えても同じことが可能になります。
いえもう一方が文字情報であっても、これは可能になる話であります。
どう言うことかと言えば、映画のエンディングテロップのように文字情報を下から上向きに映像で流すことによって、左側が映像、右側がコメントとフィールドを分けることでいくらでもコメントを挿入することができます。しかも純粋な映像と違ってコメントが多くなればなるほど、文字情報側の行間を空けて映像を流していけばいいのです。
実はこの概念は、現在思考中の高度化アプリケーションのアーキテクチャにも通じるものなのですが、実際にこれを実現して目の前で動くニコニコ動画をながめながら、KAIの脳細胞はフルスロットルでアイデアが駆けめぐるのでした。 KAI
今更ながら所信表明演説の声に力を感じなかったのは、こう言う意味があったんですね。
思わず、もう何年も前のことですがKAIの前職の会社での出来事を、思い出さずにはいられませんでした。長い派閥抗争の末、30歳代前半であったKAIに対して、敵対する専務の口車に乗って社長自ら、KAI一人で立ち上げ150人の部隊までに育て上げた事業部のその部門長退任の説得に当たり、とうとうKAIは首を縦に振ってこれを受け入れたのでした。
翌日会社に出てみれば、専務の指示でKAIのデスクは撤去され、デスクの中の書類一式がすべて廃棄されていました。
それから2年間、また新しい事業立ち上げに奔走し、心の傷を忘れさるかのように月400時間以上の残業をして働きました。
そして自分たちの会社を興して、現在に至るのですが、この過程で常に感じてきたのが「フォース」と言うものの存在とその力の意味です。
KAIの持つ「フォース」は、説得を続ける社長の前で首を縦に振った瞬間、ものの見事に喪失してしまいました。
以来この喪失した「フォース」を取り戻すのに、なんと18年もの歳月を要することになります。
この「フォース」をこれ以外の言葉で説明することは非常に難しい。
ある意味生命力であり、ある意味影響力です。
きっかけは関係ありません。この「フォース」を喪失してしまった安倍さんにとって、残された道は一つしか無かったってことであります。 KAI
いまから20数年前、先日95歳で亡くなった瀬島龍三の講演をきいたことがあります。テーマは「戦略論」。
その時具体的にどんな話があったか、まるで覚えていませんが、その講演以来、たびたびその戦略論の有無が国家あるいは企業の命運を左右する事例に遭遇し、戦略の重要性をKAI自身の胸に刻んできました。
ダイナミックな取捨選択を得意とするIBMは、アプリケーションのレイヤーへとビジネスの主軸を移していく。コンサルティング会社を買収してサービス部門を強化し、ソフトウェアベンダーの買収を繰り返してアプリケーションのポートフォリオを拡大する。つまり、コモディティ化の進むレイヤーを避けて、付加価値の高いレイヤーへとポジションをシフトした。PC部門の売却もこうした過程で行われたものだ。
一方、Sunはどうか。ソフトウェアベンダーの買収も確かにあるが、IBMほどに明確なアプリケーション志向は見られない。むしろ、ポジションは変えないが、サーバーマーケットに対するアプローチを変えたように見える。それは、OpenSolarisに代表されるオープン化戦略に象徴される。つまり、ソフトウェアをオープン化することによりコミュニティを形成し、幅広いユーザーを獲得する中で、関連するハードウェアやサービスの収入を拡大するというものだ。
(透明化するSunのポジショニング戦略)
IBMの戦略は、昔からこの通り明確です。KAIが主張するソフトセクターのアセット「高度化アプリケーション」サービスを地で行く戦略です。
これに対するSUNの戦略を、このブログ主の飯田さんは「透明化」と表現していますが、これはなかなか言いえて妙であります。これはGoogleなどが広告収入と言う「透明化」で収益をあげることと同じ戦略と言えます。
このあたりもう少し議論したいと思ったのですが、なんとニュース速報が。中断してそちらをチェックします。 KAI
夏休みを利用して友達2人と一緒に帰省していた長男が、新宿発の夜行バスで京都に戻っていった。
ついさっきまで寿司勇で、娘と長男と3人で一緒に食事をしていたところです。
こうしてみな成人して一緒に酒を飲む。この子たちがまだ小学生だった時にこの寿司勇に連れてきていた頃からの、KAIの夢でした。
これがあっさり実現してしまうと、あの頃の夢とは一体なんだったんだろうと不思議な気持ちになります。
おかげさまでみな本当に素直な子に育ってくれて、親冥利に尽きます。
しかしそれにしても寿司勇、先週金曜以来4連荘。
これはアンジェロのマスターいわく飽きがこないイタリア料理でさえ、4連荘はできません。やはり寿司勇だからこそ、のことであります。ここで肴をつまみながらの晩酌。毎日のハイタイドといい、少々贅沢すぎるKAIに、喝!^^; KAI
あっと言うまに、土曜テニス。本当に1週間が早すぎる。
台風一過。真夏が戻ってきた中で、昨晩の感激パーティで飲みすぎた睡眠不足の身体が鉛のように重い。
しかし結果は4-6、6-4、2-1の辛くも勝ち越しの2勝1敗で、気分よくアンジェロへ。
今日は夕方から久しぶりに帰省した長男との食事につき、気分だけ控えめに生ビールを、ぐびぐびぐび、ぐびぐびぐび。ふめ〜え。
家に戻って洗濯していると、外で遊んでた長男が戻ってきた。1年ぶりに見る顔は、また大人になっていたけれど、この時点で完全に1年息子の歳を勘違いしていた。
寿司勇へむかう車の中で、もうすぐ二十歳だからお酒は大丈夫かと言ったら、お父さん僕今度の誕生日で21だよと言う。なんと成人式がすでに終わっていたのである。
じゃあ堂々とお酒飲めるねなんて、間の抜けた問答をしながら、寿司勇の前にハイタイドに寄る。
息子の行っているのはIT系の大学。にもかかわらず、ハイタイドでアペリティフを飲みながら話をしていたら、まるで息子が最近のITの流れに疎いことが判明する。お前、こんなことも知らないのかを連発してしまう。
なるほど、教育の現場で最新情報を吹き込めば、誰も既存のSIerには就職を希望しなくなるからと、瞬間的に理解する。教育の現場も、経済である。
昨晩に引き続いて、また気分最高で飲みすぎてしまう。
明けて日曜テニス。
なぜか目がよく見えるからと、意気込んでゲーム開始。いきなり5-1と、あと1ゲームでおしまいと言うところで、異変が起きた。突如身体がしびれたようになってまるで力が入らない。
ミスを連発して、5-7でジエンド。6ゲーム連取されるとは、なんとも情けない。
このまましびれるように1-6、1-6と3連敗。
こうなるとアンジェロの生ビールも、まるできかない。サウナの後、車の中で30分の仮眠をとってやっと帰宅。もはや身体がへとへとで、完全な夏バテです。
しかし、こんな中でも、ハイタイドのマティーニを飲むと、お腹が熱くなって、瞬く間に身体にエネルギーが充満し始めるのです。
このマティーニ、今朝の産経新聞に毛利さんのマティーニの記事が載っていた。この毛利さんのマティーニを8杯飲んだ人がいるんですよ。
KAIです。
古川緑郎さんのマティーニを8杯飲んだ話は以前書きましたが、この勢いで毛利バーにも進出。
ここでも8杯、毛利さんのマティーニをいただいたのは、まぎれもないKAIであります。
秘薬マティーニでやっと復活を果たして、またあすから頑張ることにします。 KAI
さすがのこの雨風に、今朝の散歩は中止した。
家の中にいるときはそうでもないと思って5時半過ぎに出てみたら、あっと言う間に傘が反転して壊れてしまった。傘ナシではヌレネズミならぬヌレグマといわれそうだったので、と言うのは言い訳で、まあリキが亡くなってから一度も休まなかった散歩ですから、たまに休憩してもリキも文句言わないでしょう。
散歩行かなくても結局オフィスに顔を出す時間は、いつもと一緒。
溜まった手紙を整理していたら、おもしろいものを発見。
イタリア料理は飽きない
手作りはもっと飽きないイタリア料理の有名シェフでフランス料理から転向した人は、少なくありません。
その理由は、無意識のうちに翌日も食べている飽きのこない味だといいます。
もう一つ、忘れられない話があります。
それこそ30年近く前だったと思いますが、おいしいといううわさの中華屋さんの若奥さんが何気なく言った言葉があります。
「そんなにおいしいという程ではないおソバ屋さんでも永く続いている店があるでしょう、あれはだしから手作りしているから味がふくざつなのよねーレトルトは単調だからすぐ飽きられてだめ」
私は素人で始めた分、プロから気軽にウンチクを聞けたのでしょう。他の商売でもそうかと思いますが、お客さまがリピートしてくれなかったら絶対にお店はつぶれてしまいます。
このとき、手作りの度合を深めていくことがお店を継続させていく命綱なのかなと思い込むようになりました。
今日食べても、明日食べたくなる商品にするよう日夜努力していきたいです。
(アンジェロ、セールスレター、No72、2007/09)
あまりにもすばらしい内容に、思わずアンジェロのマスターの了解をとって全文を引用しました。
商売のコツであり要諦を、この文章は言い尽くしています。
最近はパソコン相手に仕事をしていると、ついつい自分が「人」を相手に商売していることを忘れてしまっていることに気づきます。
この「人」であるお客様を飽きさせない。飽きさせないためには、自分自身が手作りと言う工夫と改善に飽きないこと。レトルトと言う、借り物の知識や知恵ではない、自分自身の手作りの知識であり知恵が、真のリピートを生み出すことに気がつくこと、これこそが商売の原点であり、スタートです。
通信販売と言う商売においても、まったくこの通りです。
2006年度の通販売上高が日本通信販売協会から8月末に発表されました。前年度からの伸び率が9.5%と好調を持続し、通販業界全体の売上高は推計で3兆6800億円と過去最高となりました。EC市場の成長を反映したかたちになっていますが、面白いのは企業の売上規模別の成長率です。
年商10億未満の企業が7%、40億円〜100億円の企業が7.7%、100億〜300億円の企業が6.1%、そして300億円以上の企業が6%と軒並み増加傾向にあるのですが、10億〜40億円の企業だけが−0.3%で売上が伸びていません。この売上規模の企業は、月商でいえば1億〜3億円となり、複数の受注方法を取り始めたり、取扱商品が増え始めるなど、いわば成長段階にある通販企業です。成長段階にありながら、それまでの販売方法が通用しなくなり、新しい販売施策を導入することで売上を伸ばしていかなければならない状況にある企業といって良いかもしれません。
(アナザーランド通信、売上高を伸ばし続けるために、Vol.36、2007/09/05)
私たちのASPサービスのメールマガジンからの引用です。
通信販売と言う商売は、新規だけでも売上げは10億、20億はすぐいく商売ですが、ここには大きな超えられない壁があります。それが上の40億円と言う売上げの壁です。
つまり新規だけでは40億円以上の売上げをあげることは、絶対に出来ません。リピートが必要になると言うことです。
「だしから手作りしているから味がふくざつなのよねー」。リピートを生み出すための真髄をこの言葉は言い尽くしています。リピートするのは他ならぬ「人」なのです。「人」とは生身の生き物であり、感受性にとんだ生き物です。小手先の通用しない世界です。真の心のこもった手作りの作業が不可欠であると言うことです。
更に通信販売は、ソバ屋と違って相手は数十万人と言う「人」が相手です。これを見誤ってはいけません。
数百人と数十万人は、その中身の質が違います。
手作りと言っても、この数十万人に対して手作りである必要があります。
これを勘違いして、すべてのお客様に手作業でサンキューメールを出せる機能を要求するECサイトの社長さんが多いのには驚かされます。彼らはいくら言っても、手作りのふくざつな味を生み出すのは、ソフトウェアであることに気がつかないのです。
ソフトウェアで「手作り」のふくざつな味を生み出すことができることがわかると、簡単に40億円の壁を超えることができるのです。 KAI
やっと事務所開きにこぎつけた。
丁度1年前から予約した3Fが、なぜか運良く、この5月から借りることができましたが、まだそのときは準備ができておらず、無人のまま4ヶ月。やっと本日、準備万端、オールスタッフそろって、といいながらうっしーがいない。
ほどなく現れて、式を始める。
代表、KAI、副社長と挨拶が続いて、副社長の掛け声で、ヨゥーヲッ、パンの一本締めでめでたくお仕舞い。
大昔、バーチャルオフィスなる概念が提唱され、おそらくこれにのったとおぼしき企業が、泡のように現れ、そして泡のように消えていった時期がありました。
バーチャルオフィスなる概念は、名前の通りリアルなオフィスを持たない企業のことをいいます。ネット企業の多くはある意味このバーチャルオフィス企業でもありました。
しかし人間と言うのは、以前も何度か書きましたが、環境の動物です。
明確にネット社会がか「環境」と見なされるまでの間は、人はリアルな環境以外を受け入れることはできません。
しかしてのこの新しいオフィスです。
オフィスとは、今自分たちが何をやらんかとするか、これを明確に示すものでもあります。
そのとおりになったオフィスで、今ビジネスが始まりました。
結果は見てのお楽しみ。 KAI
日曜テニス。
昨日にくらべれば蒸し暑いけれど、太陽の光もなくテニスには申し分ない絶好の天気。
にもかかわらず、思ったテニスができない。
一番の理由が目が見えないこと。ボールが二重に見えて焦点が合わないのです。と言いながらパワーテニスをして一気にエネルギーを消耗してしまうから、ミスをして後が続かない。
結果は6-4、1-6、2-6、1-1の1勝2敗1分。
こんななさけないテニスをしながら、今朝読んだ新聞の記事を思い出す。
私は40年近くかけて挑んだオーボエの演奏を通じ、音楽することには、たくさんの拘束(不自由)と自由があると知りました。
その拘束とは、練習は当然としてさておき、まず楽器の発音体、つまりリードと呼ばれる部品のことがあります。その短命さ(ベストな状態は3、4日だけ)ゆえに、リードを常に自作し続け、幾度となく手を入れ、ケアをしてやらなければならないという時間的拘束と、そのことから意識を離すことのできない精神的拘束でした。
しかし、それらがある程度クリアされ、コンサートで自由闊達にオーボエを通して歌い、話すことの楽しさを知ってしまったら、それまでの苦労は、あっけないほどカンタンに忘れ、次はもっと良いリードをなんて思ってしまうのでした。
(産経新聞、宮本楓峯昭(ふみあき)の音楽遥か、2007/9/2、p.10)
それでも勝つテニスに切り替えなければいけないのに、ついつい今までと同じテニスをしてしまう。プレイのスタイルを変えることは、なんだか自分の老いを認めてしまうようでいやだった。
そうか、身体を宮本さんの楽器と思えば良いんだ。
この不自由な身体を、楽器を操ることと思えば、全然今までとは別の視点でテニスを楽しめる気がしてきた。
昨日エアコンの修理で行けなかったアンジェロで至福の生ビールを飲みながら、こんなことを考えてにんまりするKAIであります。 KAI
土曜テニス。今日はいつもと違って12:00スタート。
日曜テニスは、テニスコートを年間予約しているから、なんの心配もいらない。しかし土曜テニスのテニスコートは予約制の早い者勝ちで、毎週が予約の勝負です^^;。
2ヶ月前の同日9:00受付開始となっている。本日9月1日の2ヶ月前といえば7月1日、日曜日です。この日に予約しないといけないのに、気がついたのは月曜の朝。あわてて電話を入れたけれどすでに予約で一杯に。
1週間前からキャンセル料がかかるので、またそのころチェックしようといったのが8月27日。すると夕方4時から空いていると言うのですかさず予約を入れる。
そして昨日。1日前のキャンセル料50%につきひょっとしてと電話を入れると、12時から2時間キャンセルがありました。
と言う経緯での12時スタートなのであります。
季節は秋。ときより雨粒が、の天気のなかでも先週までにくらべればはるか快適テニスで2勝2敗の五分。
あとはアンジェロで快楽生ビール、といきたいところですが、アンジェロは20年間酷使して壊れたエアコンの修理のため臨時休業。しかたがないのでテニスコート側のレストランで食事を取る。
テニスの後アンジェロの唐辛子漬けオリーブオイルがないのは、致し方ないけれど、なにか満足できないままサウナに入って、自宅で洗濯して、ハイタイドへ。
ここでシンクロニシティ。ユーイチくんの料理がなんと、激辛麻婆豆腐ラーメン。
これで一挙に体調が戻る。
まったく予約できなかったのが12時に修正されたり、なさけない食事が一転激辛ラーメンで修正されたり、すべてが調整される運命の中にあることを実感する。
すべからく人生とは、この大局の流れの中に身を投ずることである、KAIの教訓であります。 KAI