エルグランドが帰ってきた。
女房もこうして1週間取り替えられればなんて言うと、側から包丁が飛んできそうですが^^;。
しかし、こういった絶対代わるはずのないものが、新しい何かに一時的にせよ代わることの意味は、きわめて大きいことに気づくわけです。久しぶりのエルグランドの、クセと言うかヨサに、今回改めて気づいた話です。
同じことが私たちの会社の営業で、いま起こらんかとした状況であることは、ある意味シンクロニシティと言っても間違いありません。
それは、今外部の会社から若者3人が、朝8時半に私たちのオフィスにやってきて夜の7時半まで私たちのASPサービスの営業、すなわち1日何百社に対してアウトバウンドをかけると言う、営業のアウトソーシングがスタートした話とのシンクロニシティです。
朝一番から3人はそろって営業目標を唱和し、アウトバウンドのロープレを互いに繰り返し、1日のノルマをこなしていく、営業のプロたちです。
技術者あがりのKAIの遺伝子からは、絶対に発生しない種の集団であり、その仕事のやり方です。
さっそくこの効果が徐々に出てきました。私たちのASPサービスを理解していただくには、デモを見ていただいてその場でユーザーの、真の問題解決を提案することでしか実現しないと、私たちは考えています。
このデモの約束を取り付けることが、アウトバウンドの当座の目標であるわけですが、この3人から着々とデモ予約が入り始めました。当社のエルグランドであるtojも、これで、自分がいままでやってきたこととは、つまりこう言うことだったのかと気づいたはずです。3人と言う鏡に映る自分の姿が、よく見えたはずです。
私たちのサービスに決定的に欠けているものは、この自己顕示以外何者でもないのです。営業とは、何の迷いも疑いもなくこれを全力で訴えることです。しかし、これがいままでできなかった。なぜできないのか、KAIには不思議でしようがなかった。
この3人の若者たちがこのKAIのジレンマを、見事に払拭してくれた。自信をもって売れる商品を私たちは売っている。ただこれだけのことを実践すれば、売れる。
これが真実なんです。 KAI
マーチ、5日間の入院となったエルグランドの代車です。
こんな小さな車を運転するのは、ずいぶん久しぶりですが、これはかなり優れものです。エルグランドに乗り始めた時も、20年以上前の昔の車に比べればその性能、運転しやすさが格段に向上していることに感動すら覚えたのですが、このマーチ、負けず劣らず、すばらしい。
もちろんエルグランドと違ってヘッドライトの点灯は手動で切り替えないといけないとかいろいろ不便なところがありますが、サイドミラーの調整はボタン一つで自由自在にできるし、なにより運転しやすくて乗り心地がいい。
長距離ではもちろんエルグランドにはかないませんが、街中を走ってる分には何の問題もありません。問題ないと言うよりむしろマーチのほうが、小回りもきくし経済的だし、断然いいです。
マーチを運転しながら、思わずアプリケーションのユーザーインターフェイスの問題に思いをはせていました。
それは、リアルの車でさえ操作性がここまで進化するのに何十年と時間を要したのに、パソコンで身近になったアプリケーションのユーザーインターフェイスなんてまだまだ進化の途中なんだなってことです。
今日感じた乗り心地の良さを、かならずアプリケーションの世界でも実現してみせる。ハイタイドのカウンターの上でマティーニを飲みながら、また決意をあらたにするKAIであります。 KAI
今日はリキの49日。1週目の初7日、7週目の49日。こうして順番に時間がたっていき、心の傷が癒えていく。
リキがまだ子犬だった頃、散歩の途中の小さな公園で毎朝訓練しているとき、その公園横の飼い犬がリキにうるさく吠えていました。リキが亡くなって何年かぶりにまたその公園に寄るようになって、期待通りその飼い犬がKAIにむかって吠えてくるのです。
しかしここ1週間は見向きもしてくれなくなって寂しい思いをしていたのが、今朝はまたワンワンとけたたましく吠えてきます。リキの気配が戻ったのです。
そういえば昨日がリキの7歳の誕生日だった。と言うことはおばあちゃん(といってもKAIの母親ですが)の誕生日でもあります。79歳。いい歳ではあるけれど平均寿命までまだまだあると、励まし^^;の電話を入れる。
土曜、日曜とも、テニスの前に、朝からオフィスに出る。土曜は3Fの間仕切り工事の立ち会い。日曜は電話交換機の新機種への切替の立ち会い。
その合間を見てテニスに行く。
相変わらずの炎熱テニスの続きです。土曜、2-6、6-1、4-6、1-2の1勝3敗。日曜、6-4、0-6、5-0の2勝1敗。O谷さんが通算6勝1敗で、なぜか絶好調。なにかいいことがあったのでしょうか。
そして今週もまた炎熱テニスの後は、いつものアンジェロの生ビール。
そしていつものハイタイド。ユーイチくんが来月15日挙式をあげる話は以前ここに書いたけれど、今日はまた一人婚約者を連れてハイタイドでKAIを待っていました。素敵で聡明そうな彼女を見て一発^^;で納得。来年春に挙式の予定とか。
これでなんとKAIのまわりで先日のヨッシーを入れて6組がゴールイン。久しぶりの当たり年に大満足のKAIであります。 KAI
エルグランドに乗って6年、エルグランドが初めて5日間入院することになってしまった。
頭が空白の5秒間。いつもなら必ず確認するのに、なぜかよく見ないままバックしてしまった。いや見たんだけど、そこにガードレールがあるなんてまったく気づかなかった。
左後ろをこすり付ける異様な音にあわててブレーキを踏む。あーあ、やってしまった。
なんで今あわててバックする必要があったのか、まるで理解できない。理解できないけれど、こう言うときに必ず事故は起きる。
KAIの運転歴は、高校生の原付に始まります。
これが大学生になって普通免許に替わって、学生時代はずっと中古車にのっていた。
東京に就職して、そのまま中古のローレルを東京に持ってきたのはいいけれど、アパートの家賃より高い駐車場を借りることができず、路駐で1年間しのぐことができた。当時はまだおおらかな時代でもありました。
結局そのローレルを手放すことになるのですが、一緒に車を運転すること自体をやめようと思うある事件がきっかけでした。
休日府中のテニスコートでテニスをした帰りです。甲州街道を一路新宿へ向かう途中、信号が黄色になる。
やり過ごそうと思ってアクセルを踏んだ瞬間、その黄色の信号の先に、突然もう一つの信号が現れて、その信号はすでに赤になっている。
その瞬間がいまでもスローモーションのように目に焼きついています。
左側の歩道にストレートのロングヘアの女性が立っていてこちら側をまるで見ようとしないまま、1歩、2歩横断歩道を渡り始めた。ここでクラクションを鳴らせば女性は立ち止まって、間違いなく跳ね飛ばしていたでしょう。
ブレーキを踏み瞬間左側のガードレールと女性の背中の間を通り抜けた。
バックミラーの中の女性は、こちら側を見ることもなくなにごともなかったように渡り続けている。
ガクガク震えが止まりませんでした。
一歩間違えば今頃市原刑務所の中でした。歩道に女性が一人だけだったことにただただ神に感謝するしかありませんでした。
以来、しばらくの間こわくてハンドルを握ることができませんでした。
そんなおり、なんと路駐の無人のローレルに正面から突っ込んだうえ、なんとその車がその場から逃げてしまいました。衝突のすごい音を聞いて飲食中のお店から飛び出したはいいが、車は大破。相手の車はいません。目撃した人があっちあっちと言う。走って追いかけると今度は道路標識をなぎ倒している。しばらく行って右手の坂の途中に電信柱に頭を突っ込んだ乗用車が乗り捨ててあった。運転手はいない。
被害届けを出しに目黒署に向かう。そこで運転手が碑文谷の交番に自首してきたことを知らされる。
結局示談となって、丁度潮時と思って廃車することにする。もらった慰謝料で10何万するサイクリング車を買って運転を止めた訳です。
長い長いゴールド免許時代を経て、リキのためにエルグランドを買って運転を再開したのでした。
そして今回の事故で、あらためてあの甲州街道の事件を思い出しました。
安全運転の意味は、非常に重いことを、いまあらためて胸に刻んでいます。 KAI
ほめて育てるか、しかって育てるか、これもフーフで意見が分かれるところです。しかって育てるほうが創造性を育むと言うのは、もうとっくに結論が出ているのに、勘違いする親はあとを絶ちません。
チチが子をしかり、ハハがお父さんはあんたのことを思ってしかってるんだよ、と言う古典的役割分担などとうに忘れてしまって、なんでしかるのよと、子と一緒になってはむかうハハに、ハハハと力なくワラウしかありません。
職場においても同様で、今の会社はしかれない上司にあふれています。
どうしかればいいかって。
と言うか、しかることと創造性って一体何が関係あるの。
まったく逆としか思えないんですけど。
ところが関係おおあり、ありくいむしなんです。
あるプロジェクト担当Tくん。その上司Jさん。Tくん、担当になって嬉々としてそのスケジュールからなにからやる気満々です。いいねいいねとJさん。
しかし結果はプロジェクト失敗。
ここでJさん、Tくんをしかっても後の祭り。
JさんはTくんのやる気をそぐまいとしからなかったんですけど、Jさん、これがプロジェクト失敗の原因と気づいていない。
プロジェクトとは、問題の発見であり、この問題の解決に尽きるのです。またプロジェクトとは日々の単純作業の積み重ねであって、決して9回裏逆転満塁サヨナラホームランなど、絶対にありえない世界です。しかしそうであってもプロジェクトは、ビジネスマンにとって最高の創造的な仕事です。
家庭もおんなじ。毎日毎日お父さんが行ってきますと出かけ、ただいまと帰ってくる。突然昇進したとかボーナスが出たとか、そんなことフツーはなんもアリマセン。
しかし、この毎日毎日同じことの繰り返しのなかで、毎日毎日同じことを繰り返しているのではないと言うことにツマも子も気づかず、疲れはてて帰ってきたチチを粗末に扱う。
そうですプロジェクトの話です。
日々単純作業の中に、重要な問題が山のように隠れています。この日々の単純作業が重要です。特別チームを組んで特別な勤務体制なんて、もってのほか。フツーの日々の仕事のサイクルの中に、すべての複数のプロジェクトを組み込む必要があります。
上司のJさんは、毎日毎日日課としてプロジェクトにかかわります。どうかかわるか、これが問題の発見であり、発見してTくんをしからなくてはいけないのです。
つまりしかるとは、問題の発見と同義であるのです。
ここで気づいて欲しい。なぜ問題を発見できるのか、です。
それは日々日常と言う日課の中に、プロジェクトの一つ一つの作業を落とし込んでいるからであることを。
日課としているから、普段と違う異常、つまり問題に気づくのです。
家庭も一緒。いつもと違う行動をする、あるいは課せられた日課を果たさない子をしかることこそ、問題の発見であり、この問題を解決に導くことになるのです。
賢明なる上司である、あるいは、父親母親である読者なら、これ以上の説明は不要でしょうから以下割愛させていただきます。 KAI
千住の話には高校生の頃の話が毎回登場します。
先日、約30年ぶりに高校の美術部の仲間で集まる機会があったという。大病院や銀行、新聞社の重役など、皆それぞれの世界で活躍していた。でも、画家になったのは千住だけだった。
「高校生だったあのころ、『自分には絵しかない』と思っていたのは、もしかしたら僕だけだったのかもしれない。才能とは結局、上手下手のことではなく、『それがなくては生きていけない』という思いの強さなのかもしれません」
「才能ない・・・」進路に迷い(産経新聞、わたしの失敗 日本画家・京都造形芸術大学長千住博さん(49)、2007/8/22、p.19)
KAIにとっても原点は高校時代にあります。高校1年の春、本格的に物理の勉強をしたいと思ってその高校にはなかった物理部と言う公式のクラブ創りに奔走し、初代部長となって、クラブの顧問になっていただいた高木先生(当時京都大学の非常勤講師)のご指導の元、当時大学の教養課程でやるような実験はすべて高校時代にすませてしまいました。更に自分たちで巨大風洞を製作して、高層ビルの形状による風の流れの影響を調べる風洞実験まで手がけました。
結局物理学の道は、1浪して大学の物理学科に進学したものの、この大学の授業を受ければ受けるほど自分の目指すものから遠ざかっていくことがわかって、研究者として物理の世界にかかわることを断念しました。しかしこの決断に間違いはなかったと思っています。それは自分が目指した物理学と、学問としての物理学とは、まるで異なるものであることがわかったからです。
つまり、高校生の時から自分が目指してきた世界は、物(ハードウェア)の仕組みを研究する物理学の世界にはなく、むしろ今天職としているソフトウェアの世界の中にこそあることが、明確に見えてきたからです。
千住の「『それがなくては生きていけない』という思い」がまさにKAIにとっての、今のソフトウェアの仕事です。このソフトウェアと言うのは、これを究めれば究めるだけ、その本質において物や心の世界と繋がっていることがわかります。
そしてKAIの日常。毎朝3時前後に起床し、音の消したテレビをつけ、メールをチェックし、配達されたばかりの朝刊に目を通し、2合の米を研ぎ炊飯器にかけ、干物の魚を冷凍庫から出しておいて、散歩に出かける。散歩の後玄関前を掃き掃除して、ゴミを出し、干物の魚を焼いて朝ご飯を食べ、風呂に入って、仕度をして午前7時にオフィスへ出る。そこで1日、デモ以外はパソコン相手に仕事をする。夕方6時、ハイタイド。午後10時過ぎに帰宅してそのままベッドへ。
恐ろしいまでのこの繰り返しです。
しかし1日として同じ日はありません。毎日毎日KAIの中の「ソフトウェア」は進化していきます。これは単に思念のレベルであるとか、毎日毎日何万本の鰻を焼き続けて向上する技量のレベルでと言った意味ではなく、具体的な「プログラム」として進化し続けていると言う意味でです。この「プログラム」と言うKAIにとっての「作品」の裏付けがあって初めて、このブログを含めて1日何百件処理するメールの中身が、具体的な「ソフトウェア」として機能し始めるのです。
まあこれはすべてKAIの話の中の特殊な世界ではありますが、実はこれはフツーのビジネスマンにも共通した話であると言う話を、ほんとはしたかったのですがこれはまた、明日。 KAI
創造的な仕事は、何か特別な環境で生まれるんだと勘違いしがちですが、まるで逆で日常のルーチンの繰り返しの中にこそ創造性を育む環境は、あります。
そう言う意味で、今朝の産経新聞のコラム「わたしの失敗」は全文引用したいくらい示唆に富む内容の記事です。
千住が大きな壁を乗り越えられた理由は、もうひとつあるという。
「東京芸大時代に担任だった(日本画家の)平山郁夫先生から『どんなに描けなくても、毎日決まった時間にアトリエに入る癖をつけなさい』と言われたのです」。以来、どんなスランプの時も、朝早くアトリエに入り、にかわで絵の具を溶き、筆を並べ、絵を描く準備だけは続けてきたという。
「千年残る仕事」に萎縮(産経新聞、わたしの失敗 日本画家・京都造形芸術大学長千住博さん(49)、2007/8/21、p.17)
「あの時、ふと心が楽になって描こうと思った瞬間、手元に筆がなければ、絵の具がなければ、絶対的なチャンスを逃していたかもしれない。襖絵は完成しなかったかもしれない」
こうして2004年春、6年の歳月を掛けた襖絵77枚が、聚光院別院に奉納されました。これをKAIはNHKの番組で見た記憶がありますが、それは壮大なものでした。
サブジェクトにあげた「日常が生み出す創造性」の日常を日課に置き換えても同じ意味です。この千住博の日課の中からアイデア、構想が生まれ、淡々とした6年間にも渡る日課の中から77枚もの壮大な襖絵が生み出されていったわけです。
ミケランジェロやゴッホなどを描いた映画の中で、よく作品の制作に没頭する場面が出てきますが、もちろん没頭していることには違いがないのでしょうが、描かれるほどにくらべればもっと淡々としたもののように思います。
これは芸術に限らず、ビジネスにおける現場の仕事にも共通する話だと思うのですが、今ハイタイド。なぜか突然これから出かける話になってしまいました。と言うことで続きは明日また。 KAI
テニス帰り、目黒通りが渋滞している。普段休日こんなことないのにと思いながら、理由がわかった。元競馬を24時間テレビの欽ちゃんが「走って」いる。横をニッテレの中継車が1車線ふさいでいるからでした。ひょうひょうと「歩いて」いる欽ちゃんをしばらく眺めながら、そのまま自宅へ。4チャンをつけると大鳥神社前の交差点の欽ちゃんが映っている。
この映像を1千万人の人々がみていることに、とても不思議な気がする。
テレビをクールメディアとマクルーハンは言ったけれど、KAIの生活圏である大鳥神社前の欽ちゃんと、1千万の人たちが、クールに繋がっている。なるほどクールとは、リアルタイムのことだった。
そして本日のテニス。
暑さがぶり返しての炎熱テニス。初戦は6-0と、16分の完勝。光の量が違うと格段にボールがよく見えて、まことに気持ちが良い。
2戦目。3-2と1ゲームリードしたKAIのサービスゲーム。デュース、デュースを8回繰り返す。結局ブレイクされて3-3に追いつかれる。
これで本日のエネルギーすべて使い切った。
5-5までは何とか持ちこたえたけれど、もうだめ。5-6、5-7と連続してゲームを取られてゲームオーバー。しばらく動けない。冷房のきいた部屋で休憩。ずいぶんたってから再開。しかしすでにエネルギー切れ。1-5で時間も切れて、しめて1勝2敗の負け越しです。
アンジェロへいって、救いの生ビール。ぐびぐびぐび、ぐびぐびぐび。2杯を一気のみして、やっとのことで生気を取り戻す。
それにしてもペース配分を間違った。昨日涼しかったもんだから、ついついペースを押さえることを忘れてしまった。一旦楽してしまうと身体は、今まで苦しかったことがリセットされて忘れるようにできているのでしょうか。
気を取り直してハイタイドへ。ここで冷水とマティーニで、KAIの身体も心もリセットして、本日はこれにてお仕舞い。 KAI
強烈な太陽の光のもとでのテニスから一転、霞がかかったような中でテニスをする。なんだか鳥目状態ながら、やっと暑さが一段落して、随分身体は楽。
結果は6-0、3-6、4-6、1-3の1勝3敗。
目がよく見えないなんて言い訳もあるけれど理由は簡単で、軽井沢へ応援テニスのO谷さんに代わって参加したコーチのN本くんと組んだペアの、すべて勝ち。つまりN本くんが4勝0敗ってわけ。
火曜日突然、としちゃんから電話が。軽井沢へ金曜からいくんだけど面子が足りないのでO谷さんをかしてほしいと言う。分かりましたと電話を切ってからさっそく手配の電話。I坂くん、電話出ず。コーチS水くん、電源が。N本くん、留守電。あのー土曜ですけどと録音する。Tジさん、やっと繋がった。いいよ土曜。助かった。
とそこで、としちゃんから。あのー日曜もお願いしたいんですが。ん、確かに。わかりましたとすぐTジさんに。オレ日曜のほうが都合いいんだ。と日曜は解決も、振り出しに戻る。
水曜日、留守電きいたN本くんから電話。いいですよ。やっと手配完了。さっそくとしちゃんに電話してすべてOKを伝える。
まさにネットワークの勝利。このネットワークがあってこそ週末欠かさずテニスができるわけです。仕事もこうありたいものですが^^;。
テニスが終わってアンジェロへ。いつもどおりの生ビール、ぐびぐびぐび、もう1杯といいたいところですが、これから羽田へひとっ走りにつき、がまんがまん、です^^;。
シャワーを浴びて、念のためアルコールチェッカーでグリーンランプを確認して、環八を南下。ANAが第2ターミナルとは知らず、第1ターミナルへ。またそこから第2へとぐるぐる廻る。
駐車場は40分待ちとお盆の帰省客にあふれかえっている中、無事一人と一匹をピックアップして湾岸をひとっ走り。そのまま自宅に帰ってWOWOWの映画(ザ・コマンダー)を観ながら洗濯。途中結論が見えたけど面白くて最後まで観てしまう。
そしてハイタイド。この怖ろしいまでの日常。怖ろしいまでのしあわせに感謝。 KAI
えーたたきはいらんかえ〜〜。
小池たたきがすさまじい。女が国を守れるのか。男の嫉妬のアラシです。これに朝日ものっかる。森さんものっかる。おまけきっこものっかる。
KAIも、社会人になって初めて経験しましたが、この陰湿な嫉妬の世界こそ、誰も明確にいいませんが実は世の中の動きの、根本の動機、原因であります。
今日の格言。
タヌキの影にシッポあり、タタキの裏にシットあり KAI
傷口を広げそうであまりこの話を持ち出すのもなんですが、例えばフーフ。オットをたてなきゃいけないときにツマがそのあしを引っ張る。これはたまりません。普段はどうでもいいけれど、やっぱり、これが大事なんです。
それにしても、たたきは鰹が一番。
ユーイチくんに散々シオの悪口を叩いたあと、今日のハイタイドの料理は何かときいたら、納豆丼とな。なるほどタタキにはネバリですか。ざぶとん1枚。 KAI
ハイタイドで出してくれる最初の氷水が、うまい。グラスが汗をかくまでしばらくおいておいてマティーニに口をつける直前に飲み干す。このあとオリーブを口に入れマティーニを流し込むと、胃の腑にアルコールがしみこんで行くのがわかってこれまた、うまい。
今日は8月15日。
朝の散歩をしていて、あるユーザーでおきている不具合の原因をふっと思いついた。さっそく家に戻ってオフィスに電話を入れる。担当者のtanが出てちょうどその現象を調べていたところだと言う。遅くまで(って朝の6時だけど)ごくろうさん。
もうこのASPサービスは生き物同様でKAIの身体の一部です。どこかに不具合があると自分の身体の中の不調と一緒で、それが解決するまでまともではいられません。このことも含めて他の不具合と世界通販の問題が、なんとかうまくいきそうと言うことで、格別今日のマティーニは、うまい。
この経営における身体感覚の話は、以前から何度もしていますが、最近はすべてのことがこのことに繋がってきていることを感じてなりません。
今日終戦記念日。62年前ラジオの電波でこの国の神経が1本に繋がり、そして戦争に負け戦争が終わりました。この国の人々も身体感覚で生きています。もちろんこれを忌避する人々もいますが、これは所詮自律神経の交感神経と副交感神経と一緒。ほっとくほどに自律して機能するだけです。
しかしそれにしても、今日も異常に暑かった。
ハイタイドも夜11時まで、客はKAI一人。やっと女2人、男1人の3人連れが入ってきたところで交替で退散する。またあした。 KAI
昨日も少し触れたけれど、街がえらい閑散としている。
こう言う時の目に映る街の風景は、なぜかKAIが田舎にいたころの夏の風景と二重写しになって、胸をしめつけてくる。風景とは人間の存在を介して見ているんだと、つくづく思う。
だからよけいにこう言うときは、人間模様が見えてくるのでしょうか。
59歳にもなって覚醒剤で逮捕される、やくざでもなんでもない立派な会社の人間がいる。
KAIは小さいころ、この自分の手で人を死に至らしめるのではないかと言う恐怖を常に抱いていた。それから何十年たった。まあそこまではないだろうと思うようになった。一線を越えてはいけないと言うのは思念ではなく、自らに対するシツケなんだと思う。気付いたら越えていたんだと思うけれど、それでは世間は済まされない。
62歳の次官人事もそう。見苦しいものを見せつけるのはこの人たちに思い上がりがあるからだろうけれど、越えてはいけない一線を越えていることに気付かない。
だれか窘める人でもいればいいが、59歳や62歳にもなってまだ、こう言う人たちには越えてはいけない一線が人殺しみたいには見えていないのかもしれません。立派な学校はでていても親からも師からも教えられることがなかったのか、それとも聞く耳を持たなかったのか。
それにしても、今日のハイタイド。やっとお盆らしく静か。
久しぶりのユーイチくんの漬け丼が、美味い。 KAI
お盆といえば昨日のハイタイドはすごかった。日曜でフクダくん一人のところに、ほぼ満席の17人。みなお盆休みのうえ、他のお店も休みで、年中無休のハイタイドとばかりに人が集まった。
忙しくなる前に娘と一緒に晩ゴハンを出してもらったからよかったけれど。あとはいつもどおりカウンターで寝込んでしまう。目が覚めたら、娘はあとから来たkioとY野さんに遊んでもらっている。それではと娘を残して、早々に退散。
明けて月曜の昼、書籍「世界通販」の書店での様子をチェックしにあおい書店に出かける。
午後2時。外は暑いいや皮膚が熱い^^;。
去年までは昼間、自宅でリキが留守番しているのでエアコンをつけっぱなしだった。今年は大丈夫かと思ったけれど、この暑さでは自宅にそのまま置いてあるお酒や調味料が全部だめになってしまう。あわててエアコンをつけに自宅に戻ったら、娘が気を利かしてつけたままにして、お盆休みに京都の実家に出かけた後だった。安心してそのまま書店に。
ありました。ブログマーケティングのコーナーに、平積みで置いてありました。
なるほどブログマーケティングと言えば確かにそうではありますが。
外の人通りの割りに、書店の中はにぎわっている。けれど、マーケティングのコーナーには誰もいません。
まこんなもんかと、12冊面白そうな本を仕込んで書店を出る。
書店の中で一旦収まった汗が、出たとたんに噴出してくる。こう言う時に限ってハンカチを忘れて、素手で汗を散らすようにぬぐう。
夕方、このうちすぐ読めそうな本を2、3冊持ってハイタイドに。
今日は暇なんじゃないのと、交替で出ているユーイチくんに言ったけれど、予想に反してまた一杯に。なんだか七福神が遊びにきているのかも。なんて寝ぼけてたらN津くんとH河くんまで現れる。丁度KAIの席を譲って、このまま退散。
閑散と繁盛が不思議に交差する、お盆の1日でした。 KAI
いやほんと暑かった。
土曜テニス。朝10時は、すでに灼熱地獄状態。それでもテニスだけはやめられない4人の戦士がコートに集合、戦闘開始。6-1、6-3で動作はスローながら、順当に2連勝。しかしあと30分を残して踏ん張りがきかず2-6でジエンド。
このあとアンジェロの快楽生ビールはいつもどおり。家に帰って仕事をしようと思ったけれど、あまりの疲労困憊に気力わかず惰性で、WOWOWでダイハード3を見てしまう。前見たときはなぜかつまらなかったのに、今日は最後まで見入ってしまった。
理由は簡単でコーチ・カーターに出ていたサミュエル・L・ジャクソン(Samuel Leroy Jackson)を見つけたからです。
コーチカーターがよかったのは、この彼のキャラクターのせいだったことに今日気づきました。
明けて日曜テニス。今日は昨日ほどではないと思ったけれど、テニスを始めれば地獄に変わりはありません。6-1、5-7、3-6と1勝2敗ながらベストテニスに満足して、アンジェロへ。
冷房が半分きいたアンジェロの窓越しに見上げる空は、間違いなく秋の空。感傷にひたっている間はありません。サウナの後車を出そうとしてアルコールチェッカーでチェック。オレンジのランプ、酒気帯びが何回やっても消えません。え、どうして。理解できません。
で30分たって気がついた。
いつもはサウナの後サントリーのビタミンウォーターをかって車に乗り込んで一気飲みするのに、今日はなぜか売り切れ。仕方がないのでカルピスの炭酸ビタミンウォーターを買って飲む。アルコールチェッカーにひっかかってしばらくたって更にもう一本。それでもオレンジのランプが点き続ける。
ひょっとしてと思って、ゴミ袋にしまってしまったお湯状態で飲み残しのお〜いお茶をごくごくと飲んでアルコールチェッカーでチェック。見事グリーンランプ。なるほどね、炭酸に反応するんだこいつ。
やっと駐車場を出て我が家へ。
今日もやはり仕事をするだけの体力も思考能力も残っていません。がなぜか今朝から産経新聞の記事が気になっているのです。
赤ちゃん教育ビデオ「有害」?
米・ワシントン大学教授らが発表した研究報告によると、生後8ヵ月から1年4ヵ月の赤ちゃんに早期教育ビデオ番組を見せた場合、言語習得が遅れる恐れがあることが分かった。研究に参加したディミトリ・クリスタキス教授は「そうした番組は効果がなく、むしろ有害かもしれない」と警告した。
(産経新聞、2007/8/12、p.24)
いやはやこれは、まったくKAIがかねてから言ってきたテレビ効果現象そのものではありませんか。
言語とはコミュニケーションそのものです。母子お互いのレゾナンス、共鳴の中にこそ、コミュニケーションの原点があります。
テレビにこれが代替可能でありえるわけがありません。
テレビに話しかけてもテレビは何も答えてくれません。当たり前ですが、この当たり前である事実が重大な結果を生むことになります。「テレビ効果」を受けた人間は、そのコミュニケーションの相手である他者を、無意識のうちにテレビと同じ無反応なものとして、意識の外に追いやってしまうのです。
幼児だけではない人々の中に潜在化された恐怖が、ここにあります。 KAI
お待たせしました。書籍世界通販(日経BP企画、光田一徳、2007/8/13)が出来上がりました。
ブログを生かした新しい通販のカタチ
世界通販世界7億人市場を
ターゲットとして
日本の文化を
世界の消費者に届ける
通販サイトがスタート!
言語の壁をいかに越えるのか。
革新的なサービスが
ソフトの使い方を変える。
懸案であった書名は「世界通販」に落ち着き、この帯書きなんか、さすがプロの仕事を感じさせてくれます。
今日もさきほどまで某○○○商事で10名様相手にデモしてきたところです。毎日毎日、私たちのこのASPサービスを知っていただくためのデモです。この10年間一体幾人の人たちに、このデモを見てもらってきたことでしょうか。
この努力の甲斐あってか、本日のデモの参加者の中にもすでに私たちのサービスの利用経験者がいました。
ただ残念なことに彼の口から出たのは、ネガティブなコメントでした。
心底残念に思うのは、自分の貴重な体験をポジティブにとらえられないこういった人たちのことです。
だれかが評価しない限り、自分の経験が評価できない。
彼のネガティブなコメントとは、私たちのアプリケーションのインターフェイスについてです。
インターフェイスとは、約束事の世界ですから、私たちの考える約束事が受け入れられないこの人たちには、私たちは頑なです。私たちはけっしてカスタマイズを受け入れませんから、いやなら使っていただかなくて結構ですと申し上げます。
こんなソフトウェア会社はいままでありませんでした。いえ、言い方を間違えました。こんな「日本の」ソフトウェア会社はいままでありませんでした。
みな彼ら彼女らの要求するワークモデルに合うようにカスタマイズを受け入れる。製品コンセプトも何もあったもんじゃありません。失礼ながら当然もとからそんなもの微塵も持ち合わせていないから、カスタマイズに応じられるのです。
私たちのアプリケーションのインターフェイスは、すでにもう20年以上前から提唱してきた筋金入りのMVCモデルに基づいていますから、インターフェイスが彼彼女お気に入りにあわせることはできません。
彼彼女、なぜだかわかりますか?
わからないでしょう、残念ながら。
それは、今あなたの目の前のアプリケーションを、あなたはただの道具だと思っているからですよ。
もしそのアプリケーションがあなたにとって有能な部下であるとすれば、あいかわらずその部下に対してオレにあわせればいいんだといい続けることが、あなたにはできますか。
アプリケーションインターフェイスとは、そう言うもんなんです。
いいかげんに覚えて欲しい。 KAI
物事の本質は、常に一つです。
気は長く 勤めは堅く 色薄く 食は細く 心広かれ 天海
(産経新聞、きょうの言葉、2007/8/6、p.3)
天海は、ビッグコミックのあずみに登場してからKAIにとってより身近な存在になったのですが、こんな言葉を残していたとは知りませんでした。
なるほど108歳まで生きただけのことはあると、感服します。
気は長く、勤めは堅く、色薄く、食は細く、心広かれ、すべて長生きのコツとも言えるもので、これはすなわち人が生きることの本質を極めた言葉です。
一つ一つは説明するまでもありませんが、今の世の中、これに反することばかりにあふれています。
気長に経営なんかやってたらたちまち株主から文句を言われ、勤めと言えばいつでも気軽に転職のすすめがよってくるし、ネットには色欲を刺激する情報にあふれて未成年者なんか抑制がきくのでしょうか。おかしな食品が巷にあふれてまともな食事もままならず、異常者の隣人に心を開いてばかりもいられません。
であるからこそ長生きしたくば、気は長く、勤めは堅く、色薄く、食は細く、心広かれ、に徹せよと言うことだと、得心するKAIであります。
そしてもう一つ、コトの本質に迫るお話しです。
河野 その見方は表面的です。自民党が参院選で負けた本質はもっと深いところにある。一言で言えば、安倍政権と自民党は小泉改革の流れに“逆行”しているということです。安倍政権は小泉政権の継承者であるはずなのに、やっていることは一昔前の自民党と何も変わっていない。そこに気づいた有権者が「ノー」を突きつけたのです。
「郵政選挙」と呼ばれた2年前の衆院選で、自民党は「歴史的大勝」を収めました。郵政民営化に象徴されるように、既得権益に鋭く切り込んだ小泉改革を国民が圧倒的に支持したからです。
官民を問わず、既得権益を押さえている組織や団体がそれに安住しているような社会構造は変えていかなければいけない。国民もメディアも、そうした小泉改革を圧倒的に支持したのです。今でも国民の多くはその改革の方向性を支持しているはずです。
ところが、今回の参院選で自民党は何をやっていたのか。
小泉改革がぶっ壊したものに再び頼った愚
例えば、青木(幹雄、前自民党参院議員会長)さんは「組織を引き締めて」とおっしゃっていたでしょう。この発言に象徴されるように、自民党の参議院は「組織や団体をいかに引き締めるか」といったことばかりを議論していました。
でも、もうそんな時代ではないんですよ。組織や団体は自民党のために動いてくれません。当たり前でしょう。既得権を持っていた組織や団体に対して、小泉改革は「既得権は認めない」と言って“ぶっ壊して”きたわけですから。
実際、無駄な公共事業を減らしてきたことで建設業協会は昔のように動かなかった。郵政民営化に反対していた「大樹(特定郵便局長OB会)」も全く動かなかった。医師会も同じです。高齢化で膨張する医療費の削減を進めてきたからですよ。比例代表で医師会が推していた武見(敬三、前厚生労働副大臣、日本医師連盟推薦)さんが落選してしまったことは、もはや組織では票を集められないことを象徴しています。
しかし、逆風と言われる中でも、世耕(弘成)や林(芳正)や山本(一太)ら、小泉政権時代から頑張ってきた若くて意欲のあるヤツらはみんな当選したんですよ。日頃、彼らは一般有権者にメッセージを伝え、そういう人たちの間に自分の支持者を少しでも増やそうと努力してきたからです。
そういう地道な政治活動をせずに、今さら“動かない組織”に頼ってそれを一生懸命に引き締めようとしたところに最大の敗因があったのだと思います。
いいですか、思い出してください。2年前の郵政選挙で自民党を大勝に導いたのは、既得権を持つ組織や団体ではなかったでしょう。まさに、一般有権者でした。だから、今回の選挙でも国民の多くが納得できるような政策を作って、それを一般有権者に向けて堂々と訴えていけばよかったんです。
(自民大敗、本当の理由(日経ビジネスオンライン))
言われてみればもっともで、選挙民の間の胸の内にくすぶる憤懣やるかたない思いは、民主党大勝といえどもいまだ解消されてはいません。
この憤懣のうねりはいつなんどき津波がごとく大波となって、あらたなる陸地を襲うやもしれません。
しかし、よくよく考えるとこれらはすべて安倍さんはとうの前から見越していたのかもしれません。
なぜならひとつ前の2004年の参院選、自民党は議席を50から49に一つ減らし民主党は12増やして50議席を獲得しており、その自民党の幹事長こそ安倍さん本人であったわけです。その時の自民党参議院議員会長が橋本派竹山裕で、安倍さんにとって彼らのやり方では選挙に勝てないことはこのときいやと言うほど思い知らされたはずです。
ひるがえって今回の選挙。竹山裕の後に座ったのは同じ津島派(橋本派)青木幹雄。この青木は全く聞く耳を持っていません。安倍さんにとって河野太郎の指摘を待つまでもなく3年前と同じ轍をふむつもりは毛頭ないけれど、青木が言うことをきかないのでは手も足も出ません。
と言うことは、今回の人事に今後の命運がかかっていると言うのも、あながち外れた見方ではないと言うことです。
で、冒頭の、物事の本質は、常に一つです。
改革を止めるな。自らの手で止めようとする自民党こそ、コトの本質であったわけです。 KAI
うな丼シンクロニシティ。
既報の通り、昨晩はフクダくんのうな丼。
今日の昼飯は、天然うなぎ野田岩のうな丼。
そして晩飯が、目の前のユーイチくんのうな丼。
これはみな、KAIが炎熱テニスで死にかけていることを気にかけてくれてこうなったに違いありません。しかしおかげで、死線を越えることなく、無事こちらがわに踏みとどまることができました。感謝感謝であります。
欲するものを食らう
これはKAIが倣う食の掟です。
いつもテニスの後アンジェロで、唐辛子漬けオリーブオイルをいわしのパン粉揚げに鬼のようにかけるのも、これはこれで唐辛子の刺激を身体が求めていることがわかるからです。
なぜ食があるのか。
当然腹が減るからに違いありませんが、これは間違いなく、身体自身による自己組織化に他なりません。魚のめんたまをくって眼がよくなると思うのも、牛肉を食って精が付くと思うのもみな同じ理由です。
そう言う意味で最悪な食べ物(食べ物に入れること自体が間違い)がサプリメントなど栄養剤です。
例えば野菜ジュース。これに含まれる栄養素がなになにと列挙されるのはかまいません。しかし栄養素なになになにを混ぜ合わせて合成した野菜ジュースは、こんなもの絶対に口に入れてはいけません。
この区別がつかない人々が増えている。恐ろしいことです。 KAI
昨日も暑かったけれど、今日の暑さは半端じゃない。
A川くんが、部下の不始末のお詫びの電話をしていたせいで30分遅れのスタートが幸いしたと言うか助かった。しかし電話が終わるまで、コートで何もしないで待ってるだけでお〜いお茶を1本空けてしまうくらい汗が滴り落ちる。
ゲームも熱くなって6-6のタイブレークに突入する。これですでに40分経過。身体も火のように熱い。タイブレークをなんとか7-3で制し、まずは1勝。2戦目は3-6で負け。残りはあと10分。これはタイムオーバーで途中ながら2-1で2勝目。
昨日から通算4勝3敗と辛くも勝ち越し。
先週体調管理に失敗して今週はと万全で臨んだ割りに、これだもんね。
あとはこれがなければ死んでしまうアンジェロの生ビール。そういえば死ぬ死ぬと今日は20回くらい言ったような気がする。
生ビール1杯目を二口で飲み干し、おかわり。2杯目は少し時間を置いて3口で飲み干す。
ほんと生き返るとはこのことです。
なんだか意識があがってしまっていたのが、やっと正気に返る感じであります。
しかしこんなにしてまでなぜ炎熱テニスなのか。
これはある意味ランナーズハイに似ているようで、まるで違う感覚です。ランナーズハイは途中から身体が軽くなって幸せな気分になりますが、炎熱テニスはどこまで行っても死の苦しみです。ひたすら早く終わって欲しい。にもかかわらずです。
多分にこれは精神的であります。
ひたすら終わるまで耐える。いつ終わるかわからないことを耐えることは、できません。しかしこれは明確なリミットがある。だから耐えられるのです。
更に、これは耐えるだけの体力がいります。
冬テニスからいきなり炎熱テニスではまったく身体が持ちません。夏に近づくにつれ徐々に炎熱テニスを耐える身体に仕上がっていくのです。
リミットがあるから耐えられる。なんでもそうです。
ハイタイドでフクダくんのうな丼。今日の炎熱テニスは、やっとこれでリミット、締まりです。 KAI
不思議なロジックである。
「厳しいご批判を頂いたので、このまま職責を全うすることで負託された使命を果たしたい」という、企業不祥事を起こした会社の経営者が「最初の記者会見」で必ず口にする台詞を首相も繰り返した。
不思議なロジックである。
「不思議」というのは「不合理」ということとは違う。
仕事に失敗したときに、その場から逃げ出さす、踏みとどまって批判の十字砲火の下で引き続き仕事をするという選択は「あり」である。
(鼓腹撃壌のしあわせ)
一体全体安倍さんはなんの「仕事に失敗した」と言うのでしょうか、え?ウチダ先生。
議席を取るのが仕事なら、野党はいままで仕事に失敗し続けていていますが、誰もそんなこと言いません。
そもそも選挙に勝つことが首相の仕事ではないことは明らかで、首相の本来の「仕事」に失敗した結果を批判されて選挙に負けたのであれば、これは確かに「仕事に失敗した」と言われても致し方ありません。
しかし今回選挙民の琴線に触れる数々の問題があったにせよ、首相本来の「仕事」に失敗すること、すなわち失政がありかつこれが批判されているかと言えば、こちらの話は皆無であるわけです。
にもかかわらず「仕事に失敗した」とおっしゃる。
思えばこのレトリック、KAIが社会人になって、反吐が出るくらい一番忌み嫌う連中が常用し続けてきたレトリックです。
「KAIくんはよく仕事をやっているよ。しかしこうして批判があるのも事実だよ。これに耳を傾けるのも大人の仕事ってもんだよ」
「いったい何を言いたいんですか」
「まあよく考えてみたまえ。きみにはいくらでもやってもらいたい仕事があるんだよ」
「つまり辞めろとおっしゃるのですか」
「そうは言ってないが、きみのやり方が批判されているのも事実だよ」
「批判の内容はまったく事実に反することばかりですがそれはどうでもいいのですね」
「KAIくん、上に立つものはもっと謙虚にならんといかんよ」
「・・・」
こんな会社には絶対にしないと決意して20年間。しかし日本の社会にはしつこくこれが根付いている。KAIは結局この会社を辞めて、自分たちの会社をつくりましたが、安倍さんにここで辞めてもらうわけにはいきません。
20年前の自分に重ね合わせて思わず胃が痛くなってくるKAIであります。 KAI
「here」が「来い」、「flat」が「伏せ」、「go right」が「右からいけ」、「go left」が「左からいけ」、牧田さんが牧羊犬グレンに出す指示の言葉です。
一般の人に牧羊犬が実際に羊を追う様子を見学できるようにしたという、早朝のNHK神戸放送局のニュースで紹介された内容です。
それにしても、この「go right」と「go left」にはちょっとした新鮮な驚きがありました。ワンちゃんに右左を言葉で認識できる能力があるとは思いもよりませんでした。
もちろん狩猟犬が獲物を追う時も、右から行くか左から行くか、考えながら行動しているはずですが、これは言葉との結びつきはないはずです。
対して人間は言葉で認識すると思っていましたが、よく考えると逆でした。
右左を人に伝えるために、右左と言う言葉があって、考える時は右左ではなく、こっちかあっちであるわけです。
話は変わりますが、あなたは一緒にごはん食べている目の前の彼氏あるいは彼女の、あなたから見て左のほっぺにゴハン粒がついている時、それを自分のどっちのほっぺをさして「ごはんついてるよ」と言いますか。
これでいつもKAIは、家族ともめるんですが、KAIは当然左のほっぺをさすのに対してなぜか家族の誰もが自分の右側のほっぺをさして言うのです。
これではバスガイドさんが右手に見えますのはあの有名な名古屋城の金のしゃちほこでございますと言って、こちらを向いたガイドさんが自分の右手をあげるようなもので、こちらから見ればそれは左手じゃろとツッコミを入れざるを得ません。
ですからガイドさんは右手に見えますのはと言いながら自分の左手をあげるわけでして、KAI家の家族のようなガイドさんは一人もいません。
にもかかわらずなんでと訊くと、だって右のほっぺにゴハン粒がついてるからでしょうと開き直られてお仕舞いです。
この話と冒頭の「go right」と「go left」の話の関連を考え出したのですが、どうもこれはコミュニケーションの本質にせまる問題のようです。
しばらく考えて続きを書くことにします。 KAI