July 31, 2007

ねじれこそ面白い

当事者も傍観者も、選挙の結果に喧しい。

しかしこのすべてが結果を否定的にとらえているのは、いかがなものか。

なんてどこかのメディアの文体のまねではありませんが、今回至った衆参ねじれ現象に、KAIはとてつもない可能性を見出しているのです。

新たなるものを創造する過程は、矛盾に満ち溢れています。

子を産む存在である女が矛盾に満ち満ちた存在であることは、動物感覚−アニマル・マインドを読み解く(2)の中でアンビバレントな女について言及したとおりです。

今日本と言う国を考えるとき、世界の中で稀有なる天皇制を持つ国家にふさわしい、国家の指導者たる人物が渇望されていることは間違いありません。21世紀は20世紀の延長上にあるのではなく、21世紀と言う新世紀に見合う新たなる指導者を生みだすべきときであるとの認識です。

この衆参ねじれの構造はひょっとすると、21世紀の礎を築く指導者を生みだすことになるのかもしれません。

つまり具体的に言えば、ここ当面安倍さんは、国家天下の問題ではない問題に忙殺されるはずです。しかし安倍さんが真の指導者であれば決して国家天下の問題を忘れるはずはありません。この難局を乗り越えた暁にこそ、彼の真の指導者としての姿が見えてくるはずです。

ですから今は大変だけれども、産みの苦しみと思って苦しむだけ苦しんで、自らの政治生命をここにかけるべきではないかと思います。

なんて他人事みたいで申し訳ありませんが、しっかり応援してます。がむばって > 安倍さん
 KAI

July 29, 2007

夏!テニスと選挙と大敗と

やっと夏らしい天気になって、恒例炎熱テニスの始まりです。

炎熱テニスに勝つコツは、体調管理につきます。

体調管理とは、万全の体調でゲームに臨むと言うことです。

ただでさえ炎天下で試合をするのは大変なことです。これが二日酔いで寝不足だなんてなれば、これだけで全敗確定です。

案の定、土曜日曜とも炎熱テニスの中、全敗者の全敗の理由がこれでした。

土曜は朝10時開始。すでに30度を越え目一杯蒸し暑い中でのテニス。

結果は0-6、2-6、0-6の3連敗。もちろんこれはKAIではなくY木さんの奥様。先日の欧州旅行以来DSのSUDOKUにはまって、なんと今朝も朝までだそうです。

こちらはゲームを終わって速攻でアンジェロの快楽生ビール。ぐびぐびぐび、おかわり、ぐびぐびぐび、おかわっといけない、2杯でじっとがまんのこでした。それにしてもこのビール、これがあるから炎熱テニスができるのです。ビールこそ生きがいであります。

今日はこのあとオフィスに出て事業計画書に5年分のキャッシュフローを追加する予定でしたが、パス。あまりにも疲れすぎて思考力ゼロ。このままハイタイドに行って晩飯食ってねよっと。

そして日曜12時。西の空は真っ黒ながらまだ太陽はしっかりぎらぎらぎんの中ゲームスタート。そして結果は4-6、4-6、1-4のKAIの3連敗。

そうです。KAIの体調管理の失敗につきます。

しかしよく寝たのになんでって、詳しいことはここには書けません^^;。

そしてアンジェロ快楽生ビール、22分サウナ、家へ帰って洗濯のあと、やっとオフィスで事業計画書にとりかかる。しかし選挙のことが気にかかって20時ハイタイド到着。

NHKの開票速報にどっと疲れる。もうねる。 KAI

July 27, 2007

夏!そして女の寿命

やっと夏になった。

毎日の散歩コースに、桐ヶ谷ともう一つの斎場がある。この時期と真冬ととたんに毎日葬儀が増えるのがわかる。

死線に近い者にとって夏場を越えるのは並大抵ではありません。

なんて言ってたら女性の寿命が22年連続また世界一で、男が世界2位ながらまだ70代であるのに女は85歳をとっくに越えてしまった。

なぜ日本の女の寿命は世界一なのか。

それは、日本のありとあらゆる社会システムが、女にとって生きやすい仕掛けに常に設計されていることが、その主たる原因であるとKAIは、考えています。

社会システムについて他国と較べるだけの見識をKAIは、持ち合わせてはいませんが、間違いなく日本の社会の中のシステムは絶対的に女有利にできていると思われます。

その代表が、結婚です。

既婚者の方はすでに気づかれているであろうと推測するのですが、結婚と言うシステムにおいて主導権は、男には1から10までありません。

結婚に至るプロセスは言うに及ばず、結婚後亭主が定年を迎え退職後の生活に至るまで、女の介在抜きにはありえない、この厳然たる事実こそ、日本の女の寿命世界一を支えているのです。

日本の女は、弱くはありません。世界一強いのです。

その結果としての女の寿命22年連続世界一であるわけです。

しかしなぜそう言うシステムなのか。その秘密は、教育です。小学校の教育です。

ぴっかぴっかの新一年生。入学式を終え教室に入って始まります。

名簿の読み上げです。だれだれくん、はい。だれだれさん、はい。後ろに立っている親たちは目を輝かして自分の子の名前が呼ばれるのを待ちます。

しかし誰もこの光景に疑問を持つ人はいません。

え?

なんの疑問?

そうです、なぜ男の子は「くん」で、女の子は「さん」なんでしょう。

実はすべてがここから始まっているのです。

「くん」が「君」、「さん」が「様」を意味することから考えれば決して「くん」は「低く」はありません。しかし子どもたちの潜在意識にはしっかりと埋め込まれます。女はエライ。

そして女はツヨイと。

これを理解した賢い男の子たちは、その後の人生を上手に生きることができます。

しかし、死ぬまでこれを理解できない男もいますが、彼は決して自分の子孫を残すことに成功しません。

日本の社会とは、女を立てることによって初めて、自分の子孫を残すことができる社会システムが、きわめて巧妙な形で埋め込まれている(設計されている)社会であるのです。

これが理解できれば、KAIと同じように自分の子孫を残すことは、なんら難しいことではありません。 KAI

July 26, 2007

100万回生きたねこ

100万回生きたねこ(講談社、佐野洋子、1977/01)と言う絵本がある。

 100万年も しなない ねこが いました。
 100万回も しんで,100万回も 生きたのです。
 りっぱな とらねこでした。
 100万人の 人が,そのねこを かわいがり,100万人の人が,そのねこが しんだとき なきました。
 ねこは,1回も なきませんでした。

100万人の飼いねこだったこのねこは、100万1回目は飼い主のいないのらねこになりました。

のらねこになったこのねこは、白いねこに恋をし、白いねこはかわいい子ねこをたくさんうみ、やがて子ねこたちは出て行き、白いねこも年老いて、ねこは白いねこと一緒にいつまでも生きていたいと思いました。

ある日白いねこが、このねこのとなりで動かなくなりました。ねこは毎朝毎晩100万回泣きました。そして白いねこのとなりで、動かなくなりました。ねこはもう二度と生き返ることはありませんでした。

リキが亡くなって泣きすぎたKAIには、もう流す涙は残っていません。にもかかわらず心の涙がとまりません。愛する人を失う悲しみを、どう言葉で表せばいいのでしょうか。

これを人は残された人の心の中の世界に、その救いを求めてきました。

飼いねこの死をなげく100万人の飼い主たちの心の中に、このねこは間違いなく生きています。しかしこの白いねこは、もう誰の心の中にも生きることはありません。白いねこを想うこのねこはもう二度と生き返らないからです。

この白いねこに、涙がとまりません。菩薩の愛、慈悲なる愛こそ真の愛です。リキはオスでしたが、彼の無限の愛に救われたKAIは、また涙がとまらなくなりました。 KAI

July 25, 2007

オフィスのウラシマタロウ

今のオフィスは、五反田駅から徒歩5分、平成元年に建った10階建てビルの2Fにあります。

その上の階の3Fが空きますと大家さんから連絡があったのが、この3月。その半年前から一連の事業拡張を見越して大家さんに上の3Fが空くことがあれば、先に教えてくださいねと言ってあったからです。

世界通販の立ち上げまでまだ時間があるけれど、グッドタイミングで2Fと3Fと隣り合わせに借りられるのはとても魅力的です。と言うことで空き室になった5月から即契約しました。そのまま遊ばせていたのを、いよいよ来月から使うことにしました。

そのレイアウトとオフィス家具をどうするかで、非常に勉強になると言うか考えさせられることに。

それは、自分の中の時間の流れが止まっていたと言う事実に気付いたことです。わかりやすく言えば、つまり「時代遅れ」「古い」ってことです。

なにも先端をいっているとは思ってもいませんでしたが、よそのオフィスを見ても大差ないと思っていました。しかし、中古の会議室用テーブルを探しに行った新宿のオフィス家具センターで、今あるオフィスの机、イス、テーブルを眺める内にある重大な事実に気がついたのです。

それは、KAIが平成元年に会社を設立して、オフィスに必要な家具一式を生まれて初めて自分で決めて自分で買ったその事実と、そしてその自分で決めたと言うことからくる家具一式のイメージが20年近く今の今までなんら変わらずに、今あると言うこの二つの事実に、我を忘れるくらい愕然としました。

考えてみれば当たり前のことです。

オフィスは、環境です。環境は、その場をチェインジしない限り変わらない。自分で選んでしまった環境の中にいると、恐ろしいことにこの事実に気付かない。

それをそのまま3Fと言う環境に持ち込もうとしていたのです。

丁度1ヶ月前のNY。ホテルに入ってさっそくパソコンを開いてネットに接続して仕事をはじめました。あっという間に1時間経って、思わず言いました。このイス、すごく座りやすいね。

あらためてしげしげ眺めてみるとキールハワーの赤いメッシュのイス。背もたれが固定であるのがなおいいのです。これにメッシュがきいて安定感抜群です。

イスも進化しているのです。

このときの体験と今回の新しいオフィスのレイアウトの話が、今の今まで全然結びついていなかったものが、瞬間的にビビビっと繋がったのでした。

もう大丈夫、オフィスのウラシマタロウは今の時間に戻って参りました。 KAI

July 24, 2007

事業計画書再び(2)

主要な論点ではないのですが、計画書の中にこんなことを書きました。

<ネット通販の飽和化と次の展開への踊り場>

  • 楽天による行き過ぎた顧客の囲い込みが、モール市場の停滞を招いています。楽天に替わるモールあるいはECへの取り組みが加速して、今後は楽天の機能を超える新たなネット通販サービスが次々と登場してくると思います。

  • 楽天に替わるモールへの模索が続いている中で、CATVなどの既存メディアの見直しが発生し、あらためてコストに耐えるだけの24時間受付のコールセンターサービスが求められていくと考えます。

  • これらはいずれも今後Webサービス対応など通販システムの高機能化が求められていくものと考えられます。

<団塊世代のリッチ需要に応える通販の展開>
  • 2006年度通販売上の男性の年代別No.1に躍り出た60代は、正に団塊の世代です。この世代のリッチ需要に応える商品であり、販売の方法の展開が求められています。

  • つまり通販システムのマーケティング機能が必須となっていると考えることができます。

この「ネット通販の飽和化」と言うタイトルは間違いで、「楽天モール通販の飽和化」とすべきでした。これは決してモール通販もネット通販も飽和化しているわけではないのですが、主要プレイヤーである楽天に漂う飽和感が、間違いなくネット通販全体の雰囲気に影響を与えています。

この状況を、今後次々と展開されるであろう新たなるサービスへの、ある意味踊り場と呼べなくもないと思うのです。

うまく行くかは別にして、404 Blog Not Foundで紹介されている究極のアフィリエイト、ニコニコ市場は示唆的なサービスです。

世界通販もそうですが、こういった新たなるサービスを背後で支える通販システムにこそ、こういったサービスの付加価値があります。

こう言ったことから私たちのシステム開発の方向性が決まってくると言うことを理解しておくのも、ソフトウェア技術者にとって重要なことです。

後段の話は、今年のJADMAのレポートからの情報で、団塊の世代の定年後の需要が間違いなく通販に向かっていることを示しています。

これはつまり、これに応えるだけの「提案力」が通販会社に求められていると言うことで、フルフィル中心のシステムではまったく時代遅れと言わざるを得ません。

といったような、他社との差別化要因を列挙せよとのキャピタルのご指示にしたがって、また計画書を書き直しております。トホホ。 KAI

July 22, 2007

事業計画書再び

先週は台風でできなかった土日テニス、今週は薄日がさす中で異常に蒸し暑いながら、やれるだけでしあわせ。

散歩をロングコースに戻して以来、大分フットワークが軽くなって、テニスの調子も、土曜が2-6、6-0、6-5の2勝1敗、日曜は6-0、2-6、6-0、4-2で3勝1敗と絶好調。

今日は日曜テニスを終わって、アンジェロ、快楽生ビール、44分間1.2キロ減量サウナ、家へ帰って洗濯と、いつもどおりのメニューをこなして、そのままオフィスへ。

今朝テニス行く前の朝7時にオフィスに出て作成中の、明日キャピタルに提出する事業計画書の仕上げの続きです。こまかい数字を出すためにオフィスにある資料を見ながらやる必要があるため、残念ながら自宅では作業できません。

それにしても、世界通販の事業計画書作りに没頭していた頭を、肝心のASPサービスの事業計画書用に切り替えるのに、2ヶ月もかかってしまった。

なんで2ヶ月もかかったのか。

とりあえずの数字を作ってみたのが、5月下旬。しかしどう考えてもこの数字のリアリティを感じることができません。2ヶ月間悩み続けました。

これがふとした拍子で、数字を実現できそうなアイデアを思いつく。

さっそく先方と連絡を取って打ち合わせをしたのが一昨々日。それから一昨日、昨日と今日の正味3日間でほぼ見えてきました。

なんでもそうですが、この見える感覚がないと一歩も前へ進めません。

一気に書き上げて、そのままハイタイドに。もう夜の10時です。かけつけマティーニ3杯にユーイチくんの晩ご飯で今日は、お仕舞い。 KAI

July 18, 2007

地震余波あれこれ

地震後の対応が後手後手で、なぜいつもいつもこうなのかはさておいて、東電社長の引責辞任は決まりです。

稼働当初には想定外との言い訳が通用するかもしれませんが、何年も前にすでに活断層の上に原発があることが判明していて、何も手を打ってこなかった責任は重大です。

なぜこうなるのか。単に彼らが「市場経済」にさらされていないからです。つまり「代替」のない経済と言うことです。

これはかつての道路公団もそうで、1994年1月17日のロサンゼルス・ノースリッジ地震で崩壊した高速道路を見ても日本の高速道路は大丈夫と言って、彼らは何も手を打たなかった。彼らは、奇しくも1年後の同日に発生した阪神淡路大震災による惨状を目の当たりにして初めて、あわてて日本中で補強工事を始めたのでした。

この恐ろしいまでの想像力の欠如が、彼らの真骨頂です。

「代替」のない経済の中にどっぷり浸かってしまっていると、こうも目も耳も退化してしまうのでしょうか。間違いなく、東電を「代替」経済の中に引きずり込む必要があります。具体的にどうするかはまた別の機会に述べますが、要はストックとフローの二つの会社に二重化することです。

一方で「かんばん方式」で機転の利きすぎるシステムにも、問題がありました。

ピストンリングと言う、本田宗一郎も一人では作れなかったエンジン部品の50%のシェアを握るリケンの工場が、地震で操業できなくなって、この影響でトヨタを初めとした自動車メーカーがのきなみ生産中止に追い込まれた話です。

在庫を持たないから、たちまちこうなる。

抜かりがあったと言うことです。シェア50%なら、当然がごとく「代替」の確保は必須です。

残り50%を奪い合うのではなく、リケンの工場を分散させるなど「代替」確保にはいくらでも手があります。

しかしコトが起こらないとできない。最適化し過ぎたシステムの弊害です。在庫を持つこととは異なる次元の冗長性が必要であるってことです。 KAI

July 16, 2007

失恋とテニスとサッカーその上安倍首相の強運

失恋とは恋わずらいと強迫神経症−「心配力」の研究(3)と言うエントリーですでに考察済みの現象です。

それに至るプロセスでは、相手を十分に招き入れることができず、右半分のスペースに隙間がある状態になりますが、これこそ恋わずらいの状態であると言えます。同時に、その隙間分だけ、自分と言う○が縮こまることになります。いわゆる胸がつぶれる思いです。

この「胸がつぶれる思い」のビフォアアフターの、ビフォーが恋わずらいでそのアフターが失恋です。これを癒す方法はたった一つ。かわりを見つけるしかありません。(ほんとはもう一つあるけれどこっちは癒しじゃないもんね)

と言うことで昨晩はHさん、K澤くん、NAOと当人で西麻布アストランスでリッチカラオケ。ここは今年5月にできたばかりで年中無休、レストラン、カラオケあり、おまけにリムジンでお出迎え付きと日曜日でもスーパーリッチなカラオケを楽しめます。なんだかこの週末は恋のキューピット役ばかりを演じるKAIでありました。

熟年コンパ、リッチカラオケ、成果は神のみぞ知る。一応目標3カップルですけどね^^;。

本日は、土日テニスができなかったので、臨時のテニスレッスン。レッスンといってもコーチのS水くんとシングルスのゲーム。シングルスがこんな大変なゲームであることは百も承知ですが、今日のS水くん、ノーミスで調子良過ぎ。6-0、6-0のラブゲーム。しかしこのままでは終われません。捲土重来を期した第3セットのファーストゲーム。KAIのサービスゲーム。やっとのデュースのあとアドバンテージ。バックのクロスのスライスでネットに出る。これをS水くん、バックでストレートに打つも、ネット。やった!1ゲームゲット。1-1で時間切れも見事引分けです。

しかしそれにしてもです。赤子の手を捻るとはこのこと。実力が違いすぎると簡単にゲームを支配できます。

これはサッカーも同じ。アジア杯対ベトナム戦。1点をオウンゴールして一気にゲームが引き締まりました。こちらも1-1に挽回以降は完全に日本がゲームを支配して、4-1で終了。オシムサッカーでやっと日本が変わりました。W杯が楽しみになりました。

そして目の前の参議院選。

またまたウチダ先生が安倍首相を「無能力」と飛ばしてますが、それはあまりにも言い過ぎだし、センセイ自身の「無能力が露呈し」はしまいかと危惧してしまいます。

外交能力ばかりではなく就任以来不運続きの中にあって首相はベストの選択をしてきたと、KAIは高く評価しているのですが、ただあまりにも出来の悪い部下が多すぎただけです。

ここにきて防衛大臣に女性を起用したことで(しかも小池と言う有能な人物をです)、少しばかり潮目が変わってきたとKAIは見ています。

これを決定的にするのが、今日の地震です。

これで一気に変わり出します。

小泉さんが後継に指名しただけあって安倍さんはなかなかの強運です。

郵政民営化選挙の時もそうですが、ウチダ先生やメディアが主導する世論は、かれらの「こうあってほしい」と言う願望です。ひとたびこの色が着いてしまうともうこれは拭いようがないようです。

地震報道が落ち着く頃に投票日が来ます。

まさかサミットの日本代表の顔に小沢の顔がふさわしいと思って投票する人は、いません。

これは自民党支持が落ちても民主党支持が上がらない一番の理由です。

さあ結果は見てのお楽しみです。 KAI

July 14, 2007

松下幸之助の言葉(5)

昨日は、かねてより企画していた熟年コンパ、フィーリングカップル5対5を開催。

なんだかめちゃくちゃ久しぶりの盛り上がる企画に気分をよくして、飲みすぎ。3時ごろに帰宅してバタンキュー。寝坊して6時起床。

7時小雨の中を、リキと一緒に散歩。

土曜テニスは、オムニコートで少々の雨でもテニスができますが、散歩しながら感じる雨脚はまさに台風襲来前の雨。湿度が異様に高く雨が降ると言うより低温サウナの中に充満するまとわりつくような雨と言う感じで、とてもテニスができそうな雰囲気にあらず、みなさんに中止の連絡を入れる。

まあ初七日である明日日曜日までの涙雨、おとなしくいなさいと言う、神様のご指示。

こんなとき何年ぶりかのおめでたい席のお誘いがありました。

姪っ子のともちゃんの結婚式です。まだ先の話ですが年末の12/2。ユーイチくんの披露宴が9/15と、こう言うおめでたい話は、ポパイのほうれん草(例えがレガシーですみません^^;)と一緒でほんと元気が出ます。

元気が出る話がもう一つ。

松下幸之助の言葉です。

 経営において、原点や原則が大切と強く思うようになったのは、日本銀行の大阪支店時代に松下幸之助さんと知り合ったことがきっかけです。松下さんはお盆と年末には必ず挨拶に来てくれて、よく話をしました。ある時に「成功のポイントは何ですか」と質問したら「やっぱり辛抱することと運のよさです」と答えてくれました。そうした会話から、ひたすら実直に取り組むことの貴重さを胸に刻みました。
(日系ビジネス、有訓無訓「原点に立てば志生まれる 拓銀の救済でも実践」、北洋銀行元会長武井正直、2007/7/16、p.1)

ここにも幸之助の「影響力」が及んだ人がいたようです。しかも直接面会してです。

しかし、「辛抱すること、運のよきこと」とはずしりと重い言葉であります。

これを武井氏は「原点や原則が大切」と読み替えて、破綻した拓銀のその3分の1の規模でしかなかった北洋銀行による救済を成功させるわけです。

 社員がよって立つべきルールを繰り返し唱えて、原則を踏み外すなよと教育をしていたわけです。原点が常に頭の中にあれば、正しい行動ができる。そこから使命感や志もわいてきます。

この「使命感や志」は教えて生まれるものではありません。「辛抱すること、運のよきこと」の意味とはそう言うことです。辛抱せいと教えて自ら進んで辛抱できる人などいません。運がよいことも自分でコントロールはできません。所与の産物以外のなにものでもありません。

しかし所与ではあるけれど、これは自らの内に生み出されるもの、自らの心の中の太陽エネルギーでもあるのです。

幸之助の太陽光線をあびた人々から人々へ次々と幸之助の太陽エネルギーが伝播する様をみるのは、なんとも痛快で元気が出る話であります。 KAI

July 12, 2007

永遠の散歩(2)

今朝は、一番長い期間リキと散歩していたロングコース(フルコース)をリキと一緒に歩きました。

3.6キロあるコースで、リキとは1時間以上かけてまわっていました。これを速歩きで45分。えっこんな長かったっけ。途中で思うくらい結構距離がありました。

これを3年あまりの間、毎日毎日歩いていたわけですから、ひょっとして体重が10キロ以上減量に成功したのもカプサイシンダイエットだけが原因ではなかったのかもしれません^^;。

ここではこんなことがあったよね、なんて行く先々でリキに話しかけるもんだから、もちろん心の中でですが、すれ違う散歩中の犬たちが一様にKAIに向かって吠えてくる。吠える犬の飼い主が怪訝げにKAIの方を見る。ウェストバッグを着けて、リードを手に持っているだけで犬がいるわけでもないのに。

ちなみに散歩中の犬というのは、すれちがう人がいるだけでは吠えません。その人が連れている犬に吠えるのですが、今日の犬たちは間違いなくリキの気配を感じていたのでしょう。

家の前に戻ってきて、シャツは汗でしっかりぬれていました。

南天の葉っぱで汚れた玄関前を掃き掃除して家の中に入る。

これからしばらく、リキと散歩した全ての道を辿ってみようよとリキに話しかけながら、3階まで一緒にあがったのでした。 KAI

July 10, 2007

永遠の散歩

リキ、散歩だよ。

4時30分。寝過ごしてしまった。いつのまにかソファーの上で寝込んでしまったようだ。

あわててお米を2合研いで炊飯器のスイッチを入れる。さあ散歩だよと言うと、シッポをふって応えてくれる。今朝は元気だね、リキ。シッポを高く上げて階段を勢いよく駆け下りる。

いつも通り、首にリードをかけ、散歩のスタート。このときの足取りで今日のリキのご機嫌がわかる。スキップするように歩く時は一番元気な時。よかったね、リキ。

いつもの場所で、大量のオシッコ。一日我慢してたもんね。

しかし今日は、なんだかリキが我が家にやってきた時のことを思い出してしまったよ。

2000年の10月、最初の子が病気になったとかで急遽替わりにと言って現れたリキ。まだ生後2ヶ月にならないのにずいぶんおおきい身体をしているねって、一緒に迎えに行った子どもたちと話したっけ。

我が家の中のリキ。リキ、リキと声を掛けられると、掛けられた方へシッポをふりふり寄っていく。すぐにオシッコの場所も覚えたし、オスワリ、オテも、ほんとに賢い子だったね。

ちょっぴりと言うかすごいと言うか、ありとあらゆるものをかじるのには、困ったよリキ。テーブルの脚、柱、木のガラス戸の枠、エアコンのケーブルとコンセント。

しばらく行って、いつものツツジの生け垣にさしかかる。さっそく本日最初のウンチ。おー出る出る。葉っぱに隠した神妙な顔をのぞき込むと、ウサギの糞のようなウンチになる。ゴメンゴメンもうのぞかないから。これをウェストバッグにいれておいた四つ折りにした新聞チラシでとって、毎朝おーいお茶を買ってもらうポリ袋に入れ、さらにラップに包んでバッグにしまう。

さあここからは坂道。リキは坂道が苦手でとたんにスピードダウン。坂道を上りきったところで2回目のウンチングタイム。さっきよりは柔らかめのウンチ。

更に進むとここはお兄ちゃんの中学校だよ。ここでオスワリ、マテして、10メートル進んだところから、ツケっと言うと、さっそうと駆け寄ってきて左側にぴったり寄り添ってツケをする。もうかわいいんだから。

そう言えばこのツケが最後にリキが覚えたワザ。それまで一緒に散歩していても遅れたり進んだりなかなか歩調を合わせようとしない。左手でここだよここだよと言ってもなかなか通じない。そんなとき本で読んで、「ツケ」なる言葉があることを知って試してみる。

もちろんうまくできればササミジャーキーのおやつがもらえる。

そしてこれもすぐに覚えたよね。リキ。

そして最後の東京電力の横でオシッコ。よく守衛のおじさんに睨まれたよね。

家に戻って、玄関前の水道水で雑巾を絞ってオシッコでよごれた顔と口の周りを拭き、足を洗って玄関に敷いたバスタオルの上で足を拭いて、階段を駆け上がる。そのままお気に入りのソファーの上に。

またあした、一緒に散歩に行こうね、リキ。ずっと、永遠に。 KAI

July 09, 2007

一人での散歩は寂しきこと限りなし

5ヶ月ぶりに、ハーフコースの散歩道を歩いた。一人で。

早朝5時、いつもの散歩の時間。もうすでに立つこともままならないリキを、3階から降ろすことはあきらめた。リキを残して初めて一人で散歩することにした。

思えば7年間毎朝毎朝リキと一緒に散歩してきた。この道を、一人で歩いた。

不思議なものである。この2月の初めにショートコースに切り替えてから、ハーフコースは久しぶりとは言え、風景が全く違って見えてしまう。そもそもショートコースにあるツツジの生け垣さえNYへ行っていたたった2週間の間にそれは見事なくらいにスリムに剪定されていた。

2キロ弱のコースでも半年近く歩いていないと、それだけで結構汗をかく。

そして思った。このところの考える時間が足りないのは、このせいだった。たった30分間の、毎日の散歩が、欠かすことのできない貴重な思索の時間だっとことを思い出した。

やっと本屋に行って本を買いたくなった。なぜだかこの1ヶ月、本を読む心の余裕がなくなっていたのもこのせいだった。本屋への道すがら、あの耐震偽装で建て直し中の京王プレッソインの鉄骨がほぼ組上がっていて、なんとも凄まじいばかりの時の流れであることよと感心する。

そしてわかった。すべてのリズムがリキとあることを。

コメント欄のryuさんの言葉ではないけれど、KAIの今やるべきことは一つです。

KAIはあきらめません。KAIはリキを必ず快方に持って行きます。 KAI

July 08, 2007

組織の進化のレベルが働き方を決める(3)

こんなすばらしい製品でありサービスなのに、なぜ企業の購買担当者は、これを買い叩くのか不思議でしょうがなかった。

 若いころ、私は小さな商社で仕入れ業務を担当していた。当時、会社は大口顧客の倒産で危機にひんしており、外部から新社長が招かれた。
 その新社長のヒアリングを受けた際、「業務遂行上、常に心得なければならないことは何か」と問われ、「1円でも安く仕入れ、業績向上に貢献することです」と答えると、「50点以下だ。100点の答えを考えろ」と宿題を与えられた。
 後日、社長から答えを教わると、「商品の価値通りの価格で仕入れること。100円の価値の商品は100円で。90円でも110円でも駄目だ。価値(価格)は相場によって日々変動するので価格情報の収集を怠るな」とのことだった。
(中略)
 今から数十年前、商道徳という企業倫理があることを教えられた。そして、新社長のもとで会社は見事に立ち直った。
(産経新聞、談話室「商道徳を教えてくれた社長」、河野武男、2007/7/8、p.11)

この記事を読んで、何年か前に冒頭の疑問を融資元のりそな銀行の支店長にぶつけた時のことを思い出した。

「メーカー系の通販会社は、私たちの製品サービスを必ず正当に評価していただけますが、流通系の通販会社はまったく駄目です。彼らは買い叩くことしか考えていません」
「当たり前です。彼らはそれが仕事です」

ほどなくしてりそな銀行が国有化され、さもありなんと妙に納得したのであります。

私たちのASPサービスの意味についてはモデル指向はなぜ必要か(2)に詳しく述べていますので、繰り返しません。

今は若者の「やりがい」のお話です。

新社長が河野さんに教えた商道徳とは、何か。

それは、前回のビジネスの現場と言う「劇場」でそれぞれの役者たちが演じる役柄を説明する「シナリオ」こそ商道徳そのものなのです。

わからん。そう、わからんのです。分かり難いからこそ、本質として重要なのです。

今の組織の中の若者の不幸は、この「シナリオ」の不在です。

今の組織の人たちは、みな「方法」は語るけれど、決してその「意味」を語らないし、語れない。語る自信も持ち合わせていない。

今の組織は一見目的を持って動いているように見えます。利潤の追求です。

しかし利潤は、結果でしかありません。

つまり組織には、利潤と言う価値観以外にもっと本質的な価値観が必要であり、これを若者に示すことができれば、そんな難しく考えなくても若者は組織の中で「やりがい」を持つことが可能になります。

この本質的な価値観が、その企業自身が果たすべき社会への貢献であり、今の若者たちはこの今の企業のウソ八百の社会貢献を、学生時代からインターネットを通してとっくに見抜いているのです。

第三レベルにあるかのような立派なことを言うソフトウェア業界の人月と言う派遣体質もその一つです。年金問題の元凶NTTデータの開発費が1兆円とはお笑い種です。

世の中のほとんどの組織が、この「シナリオ」不在です。この不在による不祥事の嵐は止むことはありません。

若者よ、こんな「シナリオ」のない企業で働かんでよろしい。

ちゃんと自分の目で自分の手でしっかりとこの「シナリオ」、商道徳と言う、心の通った企業に出会うまで、ちゃんと働かんでよろしい。

若者がうまく働けないのかとは、つまりそう言うことでよろしいのです。 KAI

July 07, 2007

夏野菜のカレー

本日は七夕。おまけにもう小暑です。1年時計の午後1時。

この日が七夕であると、いままでなぜか結びつけて考えたことはなかったけれど、真夏の夜の一夢が、1年時計の午睡の時間と言うのもなにか因縁めいたものを感じます。

本日の一夢は、想定外のなぜか雲間に星が見える空模様に、あわてて短冊に書くことにします。

もちろん「世界通販成功」です。お星様、お願いします。

と言うことで、週末は雨と言う当たらない天気予報に感謝しながら朝から曇天の1日。暑くならないだろうと思いきや、薄日も差す蒸し暑いなかでのテニス。

Y木夫妻不在の2週目。初戦は惜しくもタイブレークの末6-7で敗れるも、後は6-1、6-2の2勝1敗でまずまず。

恒例アンジェロ生ビール、ぐびぐびぐび、ぐびぐびぐび、いつもながらホントふめぇ〜え。

サウナのあと家へ帰って洗濯。ここまではいつもの週末の行動と寸分たがわない。さて洗濯物を干していざハイタイドへとおもって干してると、ない。お気に入りのサンバイザが、ない。

しまったコートに忘れてきた。

仕方がないのでまたコートへ。片道10キロをあわてずあせらずコートに到着。ありました。汗でびしょびしょだったのがからからに乾いている。

また10キロ戻ってサンバイザとさっき洗い忘れた甚平を洗濯機にかけてそのままハイタイドに。

そこで水を1杯。ふめぇ〜え。マティーニ1杯。ふめぇ〜え。生き返るとはこのことです。ホント。

本日最後の〆は、フクダくんの「夏野菜のカレー」。

夏野菜を煮込むのではなく、カレーの上に、油で揚げたジャガイモ、ナス、カボチャ、オクラが色とりどりに配置してある。まるで天の川に光る星星の様に。絵心満天のカレーは、文句つけようもない味のカレーであります。 KAI

July 06, 2007

組織の進化のレベルが働き方を決める(2)

相変わらず秋葉、渋谷、新宿、池袋、物販の現場は、元気にあふれています。

そしてその現場の中心はみな20代の若者です。

この現場の若者たちにとって「やりがい」とは何か、それが一様ではないことはあえて訊くまでもありませんが、この若者の労働を共通して動機付けしているものがあります。

それはその日の自分の売上であり、一日のお店の売上です。

いくらの商品がいくつ売れたか、ただそれだけで売上は決まってしまいます。

この売上に自分がどれだけ貢献したか、貢献しているか、これが若者たちにとってもっとも分かりやすい働く動機になっていることは間違いありません。

これが直接的に物販の現場にいなくても、その商品のデザインにかかわっていて、それがヒットしたとか、販売する商品やサービスへの自分のかかわり、貢献の度合いが若者たちにとってとても重要なファクターなのであります。

実はこれは、昔も今もまったく変わりありません。

20数年以上前、事件前の若かりしリクルートの現場の風景は強烈でした。広告売上目標を達成するとその運動会の万国旗のような目標がたれるオフィスで拍手をして雄たけびを上げて喜び、毎月社を上げて目標達成のお祝いのお祭りをして業績を伸ばしてきたのです。

たしかにこの雰囲気に同調できない若者も増えているのでしょう。しかしKAIも、このリクルートの風景に嫌悪感をもってみていた(当時)若者の一人です。

ここに集団主義、軍隊のようなニオイを感じて、どうしても好きになれませんでした。

しかし、今や立場が変わってしまったけれど、このニオイを感じることなく、IBMかどこかのEビジネスのコマーシャルのように、リアルタイムに皆が目標達成を喜ぶことができる時代になりました。

今やセカンドライフ同様、モニタの中で目標達成の喜びを共有する時代へと、大きく社会がシフトしているのです。

この「現場」にあって若者たちの「やりがい」とは、何か。

それは「現場」と言うデジタル空間上の「劇場」の中で主役を演じるか裏方かはたまた黒子を演じるか、自らがいかなる役柄で登場するかの、その演出に満ち溢れた組織しか、若者の「やりがい」すなわち「やくがら」を実現することはできません。

つまり「やりがい」とは「やくがら」であります。「やくがら」が多種多様にあるように「やりがい」がたった一つであり得るわけはありません。

渡されたシナリオの片隅の一通行人でもいいのです。シナリオの中の「位置づけ」を、今の若者たちが求めているとわかれば、お話はきわめて簡単なのであります。

彼らはそうやって仕事を他者たちから分離し、誰からもあれこれ指図を受けない独立の労働圏を確立したら、「はたらく自由」が手に入ると思っている。

とはただの一人の若者も、思っていないと、KAIは思います。

問題は、ウチダ先生のように「独立の労働圏」と言う単一の「やくがら」しか若者たちに演出できない組織の演出者たちにあると言うのが、KAIの結論です。 KAI

July 04, 2007

リキの要介護認定

泣きたくなるが仕方がない。

NY出張を境に、リキの容態が激変した。NYへ行く前はまだ階段の昇り降りも不自由ながら自分でできたのに、まるでできなくなってしまった。

フローリングのせいもあるけれど、いったんうつぶせになると起き上がれないくらい脚が弱ってしまった。

その状態でオシッコとウンチをするから、もうリキの下半身はウンチまみれオシッコまみれ。

今朝も、そんな悲惨な姿のまま散歩にでかける。

2メートルあるいてはとまって動こうとしない。ひたすら我慢しているとすわりこんでしまう。抱き上げてまた歩かせるをくりかえして、やっといつもの最初のオシッコスポットにたどり着く。

しかしまたその先には行こうとしない。やっと少し進んだ先で、ほんのわずかのウンチをする。しかたがないのでここで引き返す。全行程100メートルの散歩である。

戻ってきて、玄関前で下半身のシャンプー。左前脚は太くはれあがってまるで力がない。これじゃあ歩けないよね、リキ。涙がとまらなくなってしまった。

階段をだっこして3階まであがる。見るとオシッコをぽたぽたともらしている。

こりゃだめだ。

10時までまってコジマに行ってオムツを買ってくる。ユニチャームの大型犬用で、十数年ぶりにオムツをつける。食べる量もごくわずかになってしまって、オムツをつける腰周りもまるで骨皮だらけでぶかぶか。

5枚入りパックあるだけと言って買ってきたけれど、リキの介護生活がいよいよ始まりました。 KAI

July 03, 2007

組織の進化のレベルが働き方を決める

ウチダ先生の若者はなぜうまく働けないのか?と言うエントリーも面白いけれど、これを素直に受け入れられる人はいないでしょう。

労働は本質的に集団の営みであり、努力の成果が正確に個人宛に報酬として戻されるということは起こらない。

とウチダ先生はおっしゃるけれど、おいほんとかよと大半の人が思うってことです。

労働者1人を組織の最小単位と定義すると、例えばフリーのカメラマンも立派な個人事業者と言う組織の一員です。

組織が得る収入すなわち売上と労働者が得る報酬との関係は、ウチダ先生がこの一文で一刀両断されるほど単純なものではありません。

組織の売上は、労働者が提供する直接的な労働によってもたらされる場合もあれば、そうではない場合もいくらでもあります。

ウチダ先生が言う「努力の成果」を組織の売上とみなせば、この売上が労働者に分配される仕組みについて、あまた論を待たずして、「正確に個人宛に報酬として戻されるということは起こらない」こともあれば「正確に個人宛に報酬として戻される」こともあります。当然そうです。

それを決めるのが「組織の進化のレベル」だと、人はなかなか気付いてくれません。

進化のレベルの低い組織の典型が「派遣会社」です。

派遣会社でウチダ先生が言うようなことがあれば暴動がおきます。

つまり派遣会社のように組織の売上と労働者の労働が直結している企業においては、労働者の「努力の成果」がそのまま多少の手数料なり管理料を控除されようが、労働者の報酬として分配されなければ、これはたちまち争議問題に発展するのは必定です。

組織の進化のレベルは大きく分けて3段階あります。

原始レベルがこの「派遣会社」です。組織の売上と労働者の報酬が1対1の関係にある企業です。個人事業者の大半はこのレベルですが、もちろんより上位レベルの個人も存在します。

第二レベルが、受託請負会社です。組織として売上と労働者の労働の合計が1対1の関係にある企業です。人月見積もりといった時間単価である企業は、すべてこれに該当します。更にタクシー業界や理容業なども、見かけ上は時間単価でなくても、そのサービス単価の実質が時間単価であれば、すべてこのレベルに含まれることになります。

第三レベル。やっとここで組織の売上と労働者の報酬の直接的な関連は消滅します。つまり組織の売上の単価が、製品やサービスの内容をベースとしたものになり価格の抽象度が上がるということです。これに販売数量を掛けたものが組織の売上となります。

この第三レベルにおいては「正確に個人宛に報酬として戻されるということは起こらない」のは明らかで、報酬を決めるために別の価値観が導入される必要があります。

問題となるのは第二レベルの組織です。

組織全体の働きに応じて売上が増減しますが、一般的にはそれが個人の報酬に連動しません。より努力して売上に貢献したとしても、第二レベルの組織では売上をいかに労働者に分配するかは(年度の)最初から決まっていますから、せいぜいボーナスの評定が多少上がる程度でしか見返りを得ることはできません。逆に言えば努力せざるものが不当に報酬を得ることがないよう集団の力学が働いて、努力せざるものの無意味な残業が増えていくことになります。

そしてもう一つのウチダ先生の言明。

若い人たちは「やりがい」ということをよく口にする。
「やりがいのある仕事」を求めて、たびたび転職したりする。
この場合の「やりがい」ということばを年長者は「使命感」とか「社会貢献」ということと誤解しがちだが、当人たちはたいていの場合「受験勉強と同じ」という意味で使っている。
つまり、自分の努力の成果が、まちがいなく自分宛に、適切な評価を受けてもどってくるような仕事のことである。
残念ながら、ほとんどの仕事はそういうふうには構造化されていない。

ここにも大きな誤解と誤謬に基づく断定があります。

若い人たちが言う「やりがい」と言う言葉の意味の本質は「透明性」です。

若い人たちにとって会社とはある意味秘密のジャングルです。会社とはどうやってお金を儲けているのか、交際費って何とか、会社が払う税金っていくらくらいとか、新卒の社会人にとって今所属する会社が、世の中の会社の全てです。

見積書ってどう書くの、請求書のフォームって誰が決めるの、締め日ってどう言うこと、なにからなにまで生まれてこのかた先生も親も誰も教えてくれたことのないことばかりの連続です。

こんな中にあって彼らにとって一番わかりやすいのが、会社の売上です。この会社の売上が一体いくらなのか、そしてこの中身がどうなっているのか。

ところがこれがまったくオープンにされないのが今の世の中の会社です。

つまり今の若い人たちにとって「やりがい」とは、自分宛の適切な報酬でも何でもなく、まずは自分がこの会社のいくらの売上に貢献したかと言う「情報」であります。

派遣会社から派遣されている若い人にとって派遣先が自分にいくら支払っているのかと言う情報です。ソフトウェア開発で社長は赤字赤字と言うけれど一体いくらで請け負っているのかまるで教えてくれない。よくよく聞けば偽装請負で派遣清算してまるもうけなんてことも。

会社の売上の中から、自分の取り分である給料に文句を言っているのではありません。

特に第二レベルの組織では、時間単価として売上に関われば関わるほど、この売上の「情報」は不可欠となります。

では第三レベルの組織ではどうなるか。長くなりましたので以下次回に。 KAI