May 31, 2007

車が盗まれる夢

ふだんこんなことは絶対やらないのに、夢の中で車にキーを挿したまま車を離れることがある。すると必ず、戻ってきて車がなくなっていると言う夢を、いままで何度みたでしょう。

これは、海外の空港で荷物から目を離した間に、その荷物を持ち去られる感覚と同じです。

そのどちらも実際に体験したわけではないのに、不思議なことにこの強迫観念が止みません。

むかしむかし、パブリカと言う大衆車がありました。これを日産のサービスマンがDOHCに改造して乗っていたものを譲り受けました。これがとんでもない代物で、パワーがありすぎるせいか、ブレーキがきかずよくハンドブレーキと併用して止めていた時期があります。

このころしょっちゅう見たのが、ブレーキをいくら踏んでも車が止まらない夢でしたが、これはこの現実の体験があったからです。

同じように海外に飛び立つ空港でパスポートを忘れて、どうしようと言う夢もいくどとなく見ましたが、こちらは、その前まで一度切りの海外旅行の時の忘れないようにと言う強い思い出に基づくものだと思います。

これらとは違う、あるはずのものが、もどってみたらない。

この感覚は特殊です。

あるべきものを失う感覚は、とても悲惨なものです。長年連れ添ってきた相方を失う。それも突然に失う。

心は瞬間にして闇。闇の中をなんど駆け巡って明かりを求めることでしょう。

なくした車にかわって新しい車が、いつのまにか、届く。

毎晩この夢の繰り返しに、はてしなく寝汗をかく。

そしてやっと失ったことを癒されていることに、安堵するのでした。 KAI

May 30, 2007

アメリカンドリーム(2)

このところ「世界通販」事業計画書をめぐって、その反応がなかなか興味深い徴候を呈しています。

カテゴリーを通販ではなくアフィリエイトに分類したがる人

アフィリエイトは単なる手段の一つです。ビジネスモデルとしてはあくまで通信販売。この市場が世界規模で展開されるのです。ですから通販は通販でも、国内通販とは全く異なるカテゴリーの通販になります。

立ち上がりを気にする人

極端な話、こんなものはやってみなければわからない。そんないいかげんなことで何千万ものお金を使うのかとお叱りを受けますが、未来のことなど予測しても意味のないこと。実際にやってみて、毎日毎日手を掛け調整しながらうまくいくまで持っていくのがWeb2.0的ビジネスモデルのやり方ってもんです。

アフィリエイトでの販売力に疑問を持つ人

アフィリエイトの本質は「口コミ」です。そしてこの「口コミ」の威力はスモールワールドの概念で説明済み。

これが既にブランド化したアマゾンなどのアフィリエイトと大きく異なる点です。アマゾンはすでに誰でも知っています。ですから相対的にアフィリエイトの価値は低くなります。その結果一部の有名アフィリエイターにアクセスが集中するだけで、本来は市井のアフィリエイターがスタートになって世界中に拡がっていきます。

送料の競争力に着目する人

確かに今の時代、例え海外から届くとは言え、数千円の送料は高いと言われても仕方ありません。しかし、K平くんのワイン24本を米国から日本に送って1万5千円と言う話を聞けば、それほどの負担感はないと思います。つまり10万円、20万円で送料がその10%以内に収まっていれば、問題ではないと言うことです。

取扱い商品の仕入先との関係を心配する人

確かに仕入先との交渉は重要です。いままでごく限られた仕入先とのみ話をしてきていますが、これは競合に情報が事前に漏れるのを防ぐためのこと。公開後は商品取扱いの申込が必ず殺到します。

面白がる人、何が目新しいかわかってくれない人

これはもう感性の問題です。どんな精密な企画書であっても、チラシの裏の手書きの絵のアイデアに負けることがあります。重要なことは、生命の流れのような必然性です。この気の流れの中にあれば間違いなくうまくいきます。

決して理屈でものを考えないと言うことです。

理屈のかたまりであるキャピタルとの融合点は、果たして見出すことができるのでしょうか。 KAI

May 27, 2007

タケノコの刺身で元気回復

田舎の母親から、お米と真空パックしたタケノコと蕗の炊いたのが送られてきた。

このタケノコを、へとへとになってハイタイドに持っていく。これを刺身にしていただく。イェーイ、サイコー。これで一気に元気を取り戻す。

そのへとへと原因その一、12時からテニス。本日は、A川、O谷、M田の超強力メンバー。予想通りのっけからハードなゲームで、6-6でタイブレークに突入する。これを7-3で制して7-6でまず1勝。しかしその後がよくなかった。2-6、1-6の2連敗。

2ゲームともゲーム数の割に、中身はめちゃくちゃ濃いいから、最後は足がまるで動かないくらい、走りに走って、へとへと。

2時きっかりに終わって、そのままの格好で、瀬田から車を飛ばして麻布十番でYUMをピックアップして恵比寿ウェスティンホテルに3時丁度に到着。ここで5時まで4人で仕事の打ち合わせ。朝6時にゴハンを食ったきり、テニスの時のお〜いお茶3本と打ち合わせの時のアイスコーヒーだけで腹ぺこで死にそうと言うのが、へとへと原因その二。

打ち合わせのあとYUMを送って速攻で自宅に帰って、洗濯。合間にリキと一緒にお風呂に入って、リキも洗濯、と思いきや嫌がって一緒に入りたくないと言う。そんなかって言っちゃダメ。かかえて連れて行くもお風呂のドアが閉まらない。娘が買ってきたソープランド仕様^^;のでっかいイスのせいです。

リキとチークダンスするように必死の思いでドアを閉める。裸の男と裸の犬(ってヘンだけど)が抱き合う異様な光景・・・。ついでにリキの足の爪がハイヒールの踵のようにあたって痛いのなんの。

汗を目一杯かきながらリキの全身をシャンプーで洗う。洗うのはいいけど、また出るのが大変。

入る時と同じように、また抱き合う・・・。そしてリキの爪が・・・。

このあと這うようにしてハイタイドにたどり着く。もしここにタケノコがなかったら、KAIは本当に死んでました(ちょっとおおげさだけど)。 KAI

May 26, 2007

サウナの法則

サウナの滞在時間数から2分マイナスして、これを2で割った数値がサウナでやせた体重の値である。えっちゃんに教えてもらった法則です。

今までの経験で、この法則はかなり正しいです。

汗が出やすい体調の時は、ほぼこの法則通りの結果になります。つまり1キログラム減らしたければ、22分間サウナの中にいればいいわけです。

しかしそうはうまくいきません。

途中で息苦しくなって、とてもこれだけの時間105℃の中にいられません。もちろん途中で出て水風呂に入るを繰り返してもいいわけですが、これを繰り返しすぎると最後はまるで汗が出なくなります。

さて本日サウナに入る前の体重が、90.5キロ。サウナ滞在時間が2回分合わせて28分間。この公式に当てはめると、28分引く2分、26分を2で割ると、13。

これは100グラム単位で、つまり1.3キログラム痩せたはずですが、結果は89.5キロ。丁度1キロ減です。

ふむふむこれは上出来です。

今日は土曜テニス。

丁度新調したプリンスのグラファイトのラケットの使い初め。

なにせここ十何年同じ2本のラケットを使い続けたものを、ガットが切れたのを機会に、買い替えました。

女房と畳は新しいに限るとはこのこと。張り、テンションの問題です。新しい畳の肌触りと同じ感触を手の平に感じる。これはまことに心地よいの極みです。

快感のテニスを終えて、アンジェロで食事をした後のサウナの28分間。この心地よい感触がずっとサウナの中まで続いている。ラケットとKAIの身体がまるで1本のラケットのグリップの感触の中で、昇天。

心地よい週末に、ハイタイドで乾杯。 KAI

May 25, 2007

人類の心は進化していると言えるのか?

この問いを、今は既になくなった六本木の金谷ホテルのバーで、とある女性から受けたのが25年前。

某R社専務のパートナーであるこの女性は、KAIの技術指向型未来論にするどく迫ってくる。

以来、このときの会話が片時もKAIの脳裏から消えることはありませんでした。

本当に人類はその心のレベルにおいて賢くなったのであろうか。

車を捨てよ、テレビを捨てよといっても、所詮無理な話です。しかし一度南アルプスの山小屋で明け方3時の空を見上げた人間は、それが古代から人類に与えられた自然の宝石であることに、間違いなく感動します。

いまや自分の心さえ、リモートのマジックハンドで操作しかねない状況にあって、彼女の言うとおり確かに、今の私たちの心は、自らが感動し自らがその心の中にあると言えるほど、進化充実した状況にはありません。

その後ホテルのバーから移動して二人で行ったのが、元防衛庁横にあるたんや又兵衛と言うお店。

KAIはここで閻魔大王になります。

うそをついた人間の舌が目の前の冷蔵庫の中に、何百本とある。目の前のそれを見ながら飲む酒は、まるで閻魔大王です。

みなさん、くれぐれもうそを、つくことがありませんように。 KAI

May 24, 2007

心の再自然化

秀逸で示唆に富んだ論考である。

なるほど「心の再自然化」とは、KAIの最重要研究テーマである「自己組織化アプリケーション」の本質を見事に説明しているではありませんか。

 これまで、
 ・「わかる」ということは、より細かくすることによっては生まれてこず、より詳しくすることによって生まれてくるものであるということ、
 ・「わかる」ということは、すなわち、人間が自然から不変項を見つけだすということ、
 ・そのような不変項を発見する過程を計算プロセスと呼ぶことによって、不変項を発見することを助けるように自然現象を作ることが可能であるということ、
を見てきた。
 すなわち、自然も計算であるという立場を説明し、その自然が脳に特別なパターンを生じさせて、わかるという状態に導く「プログラム」を自然の側に与えようというものであった。
 ここでいう脳に特別なパターンを生じさせるというのは、心のダイナミクスという観点である。人間の主観的な感覚、クオリア、エピソード記憶、そういったものを深く考えれば考えるほど、物質世界には投射されない心の世界があるように議論されることがある。唯心論というのはその極端な立場であるし、そうした唯一な心があることが、脳を特別なものと見なさせ、自然現象の中に特権的な位置を与えている。
 しかし、われわれの提案する計算理論は、心こそ自然現象と考え、心を揺らがすようなパターン、言葉、風景といったものを入出力として、わかるというパターンを心の中にダイレクトに立ち上げようというものである。そういう側面をわれわれは、心の再自然化と呼ぶのである。
Natural Intelligence──計算プロセスとしての自然現象鈴木健の天命反転生活日記

鈴木健さんと言えば、昨年8月のエントリー2045年の情報社会にも登場して、同じような話の展開になっていますが、今回のこの「心の再自然化」と言う言葉で、その展開がより具体的にイメージできるようになります。

つまり、健さんが天命反転住宅と言うプログラムによって、このブログの文章を生み出したように、自己組織化アプリケーションの世界でも、ソフトウェアオブジェクトとは、人間によってインプットされその結果をアウトプットする関数としてのプログラムととらえるのではなく、人間オブジェクトにダイレクトにインプットして、その人間オブジェクトのアウトプットをダイレクトに受け取る存在としての、そう言うプログラムがソフトウェアオブジェクトと考えるわけです。

最近、MVCモデルが着目を浴びていますが、これをKAIは20年来試行錯誤の中で実際のアプリケーションに適用して、いまや2000台以上のユーザーがこの環境で業務を行うまでに至っています。

わかるとは、エントロピーの縮退現象です。

未来社会においては、この縮退がこの2000台単位で組織的に実現するわけです。しかもこれが自己組織化、すなわち人間オブジェクトがソフトウェアオブジェクトを生み出し、ソフトウェアオブジェクトが人間オブジェクトの振る舞いを左右する、その一連の流れ自体の中の縮退が起きて、アプリケーション環境下の人の心が、アプリケーション環境と言う自然の中へ再び組織化されていくわけです。

コンピュータを得た人類は、自らをその自然としてのアプリケーション環境に組み入れることで、トポロジカルに自らの姿とアプリケーションをモーフィングがごとく姿を変えながら、不連続的にそれを縮退させ、わかるという知の構造の連鎖を編み続けるのです。 KAI

May 22, 2007

アメリカンドリーム

本日はついさっきまで三○○○○キャピタルと打ち合わせ。

「本体だけで十分上がれますよ」チーフキャピタリストのありがたいお言葉。本体とはASPサービスのこと。このASPサービス、利益率は当然がごとく超優良。キャピタルは売上なんか見ません。利益だけですよ。H口くんの貴重なアドバイスです。

でも本体だけじゃダメなんです。それに「世界通販」も月別の売上と利益の予実績を3ヶ月見ればわかると言われても、それじゃあ遅いんです。後出しジャンケンなんだってば。

別に上がらなくてもいいもん。開き直った瞬間、チャンスはまた怒涛のように訪れる。

この話が本物かどうかは日曜テニスの後会ってみないと何とも言えません。しかし米国にいて、引退後も後進の夢実現に奔走されていると言う話を聞けば、今回話が合わないわけありません。

こうして花火を上げた瞬間から、こう言う話の流れになってるってことが、わかりました。 KAI

May 21, 2007

娘との会話(3)

「なにやってんの朝帰りして!」
「連絡したかったんだけど、携帯こわれちゃって」
「壊れたって?」
「昨日の昼頃画面が真っ黒になっちゃって」
「だめじゃない修理に出さないと」
「こういう時は電源差し込むと直ることがあるって聞いたから、ちょっと入れてみるね」
「それって単にバッテリー切れとちゃうんかい」
「・・・」

May 20, 2007

テニス日和あれこれ

すこぶる都合も心地も良い週末テニスであった。

昨日土曜は、朝8時過ぎ突然空が真っ黒になって雨が降り出した。10時からのテニスまでには止むかと思ったけれど、まだぱらぱら降っている。

都合良いことに12時以降のコートがキャンセルで空いていて、開始を11時に遅らせることに成功。

予定通り11時には太陽も顔を出すくらいに回復する。

こうなるとテニスも、思うとおりのプレイができる。接戦を制して7-5でまず1勝。続いて6-3で2勝目。最後は2-4で時間切れながら、これもそんなに悪い展開ではなかった。

続いて日曜12時。

こんなテニス日和は、年にそうあるものでもありません。気分が良い日はテニスも美味い^^。

6-4、4-6、5-1で、昨日に続いて2勝1敗。

いまハイタイドでこれを書きながら、週末のあれこれをあれこれと考える。

フォーサイト誌6月号が届いて、まずは50ページを開く。梅田さんの「シリコンバレーからの手紙」と言うコラムのページです。

生きるために「読み」
「書くこと」で生きる

今回のタイトル。いいなあ、こう言う文章はいいなあ。

KAIも死ぬまで仕様書を書き続けたいなあ^^;。

そういえば彼のMy Life Between Silicon Valley and Japan の中のコメントにあったページへ言ってみたら、竹中くんが良いこと言っている。

 そのとおりだ。日本のベンチャーは「企業価値最大化」を叫ぶ人は多いが、「こういう社会を作りたい」という理想に燃える人が米国に比べて少ないと感じる。企業価値最大化を考えない大手企業と、企業価値最大化「しか」考えないベンチャーでは、一緒に新しいサービスを生み出せないのも当然だ。

 求められるのは理想を追求するベンチャー。ソフトバンクの孫正義社長はそういう人だろう。企業価値最大化は企業にとって「当たり前」のことで、声高に叫ぶものではない。

 日本の教育にも問題がある。教育再生会議では、いじめ問題に加えて、「もっとできる、もっとやろう」という「エンカレッジング」な社会のあり方について議論してほしい。いまの受験の仕組みが最も悪い例だが、「お前はここまでだ」と突き放す「ディスカレッジング」な仕組みが多すぎる。
「自分のなかの『抵抗勢力』と戦え」インタビュー2007(3)竹中平蔵・前総務相

この「ディスカレッジング」との闘いに疲れはて、事業を興すエネルギーはすでに残っていないなんて笑えない笑い話が、KAIのまわりには山のようにあります。

しかし「こういう社会を作りたい」思いこそ、すべての事業を興すエネルギーであるはずです。

「世界通販」で「日本文化を世界に発信したい」、ASPサービスで、日本のプログラマを「人月」から解放したい。KAIのこの二つの思いに、うそはありません。 KAI

May 17, 2007

教育再生(2)

人を人と思わない輩がやたらに多い。

1歳の我が子をバイクの荷台の中に入れ死なせた上、遺体を裸にして捨てるなど、鬼畜生でさえそこまでやるかと言う事件です。なぜ赤子を荷台の中に入れて無事でいられると考えるのか。なぜ我が子の遺体を裸にして捨てられるのか。

KAIの理解の範囲を、とうに越えてしまっています。

今朝も、同じようなことがあった。

雨天走行中、信号待ちしているKAIの車の右につけたファミリーカーの中の光景に、びっくり仰天する。父親が運転し助手席に母親がいて、後部座席に子ども3人。驚いたのはこの母親がタバコをスパスパすっていること。雨の中、当然窓が開いてない密封状態。

なぜガス室になっていることに親は気づかないのか。

KAIにはまったく理解不能です。

理解不能ですが、しかし、この二つの話には、共通する重大な問題があることがわかります。

自分以外の人間の気持ちに思いが至らない。

自分の他者に及ぼす行為あるいは言葉に、反応する他者の姿も気持ちも、見えていないし見ようともしない。自己の欲望を満たすためだけの存在である他者は、自己の欲望をかなえてくれる時以外は、ただ邪魔なだけの存在と化す。

思いやりや愛情といった人間らしい感情の、かけら一つ、ない。

なぜこんな悲惨な状況に至ったのであろうか。

KAIは、これを「テレビ効果」の結果であると結論づけています。

「テレビ効果」とは、人が生まれてこの方得る他人とのコミュニケーション能力は、そのほとんどはテレビと言う一方通行のメディアを通して学習されたもので、これをKAIはコミュニケーションの「テレビ効果」と呼んでいます。

テレビに話しかけてもテレビは何も答えてくれません。当たり前ですが、この当たり前である事実が重大な結果を生むことになります。「テレビ効果」を受けた人間は、そのコミュニケーションの相手である他者を、無意識のうちにテレビと同じ無反応なものとして、意識の外に追いやってしまうのです。

もちろんテレビ同様、他者が自己の欲望を満たす程度の行為や言葉を自分に及ぼす時はそれを甘んじて受入はしますが、決してそれは双方向のコミュニケーションの結果ととらえません。

彼ら彼女らにとって双方向のコミュニケーションが成立するのは、あくまで自己の欲望を得んがための会話であって、いわゆる「おしゃべり」だけです。

そう言う意味で、「テレビ効果」人間かそうでないかを見分ける方法は、簡単です。「おしゃべり」ではなく「議論」をしてみれば一発です。「テレビ効果」人間にとって、「議論」における他者の言葉の大半は自己にとって不快なものです。

この「不快」を「不快」として他者に返した瞬間、「議論」は成立しません。

考えてみれば、すべてがこの「会話」が基本です。

人を人たらしめるのはこの「会話」しかありません。

この大きな問題の解決には、「テレビ」を捨てよとまでは言わないけれど、せめて「テレビ」を消して親子の「会話」からしか方法がないのではと、KAIは考えるのです。 KAI

May 16, 2007

娘との会話(2)

「3歳の子が赤ちゃんポストに投げ入れられたんだって、信じられないよね」
「なに赤ちゃんポストって?」
「お前、赤ちゃんポスト知らないの^^;」
「うん^^」
「赤ちゃんポストって言うのは、赤ちゃんを捨てるためのポストだよ^^;」
「なにそれ信じられない、そんなのあるの?」
「できたんだよ熊本の病院に」
「そこに赤ちゃんが捨てられるの?」
「そうだよ」
「だったら親ポストってあるといいね^^」
「なにそれ^^;」

May 13, 2007

負の「偶有性」国家、中国

5/9の朝、

こうしてもう早朝から気温が高くなってくると、散歩道の風景もなんだか夏休みの気分になってくる。(気がつけばはや立夏過ぎ

と書いたけど、なぜ「夏休みの気分」になったのかその意味がわかった。なんと中国の光化学スモッグがそのまま日本上空に流れてきていたせいだったとは、驚きを通り越して怒りが爆発です。おまけに毒物入りペットフード、偽者グリセリンと、この国のエートス崩壊はまったく困ったことに「本物」です。

こういった負の「偶有性」(使ってみました^^;)は、これが「偶有性」であるが故に国家によるコントロールが効きません。

これに対してネット社会は、もとより「偶有性」にあふれた世界です。

つまりこれは、あたかもこのネット社会とリアル社会が「偶有性」において共振し始めているようにKAIには、見えます。

一方で中国同様に、この「偶有性」のコントロールに翻弄される企業が存在します。

マイクロソフト、レイ・オジー氏の静かな革命と言うCNETの記事を読むと、マイクロソフトがいかにこの「偶有性」のコントロールに苦心しているか浮き彫りになります。すでに3年前のブラウザ再考(7)で取り上げたハイブリッドのXAML(ザムル)と言う技術に、レイ・オジー体制になった今でもマイクロソフトは固執していて、ハイブリッドの一方のリアル側アプリから、ネットの「偶有性」がコントロールできると信じているのです。

確かにこのハイブリッド戦略がうまくいけば、バイポールの一方をコントロールすることで他方が制御可能になるようにも見えますが、ネットはそうは簡単に卸してくれません。

なぜならネット世界は、マイクロソフトからすべて見渡せる程の矮小な世界ではなく、リアル側から一方的に繋ぎ止めるにはあまりにも巨大な、膨張宇宙同然の世界であるからです。

膨張宇宙世界を航海する方法は、ひとつ、わが身を宇宙の中に投ずる以外にありません。

KAIが言う自己組織化アプリケーションの世界です。開発そのものが自己組織化することを受け入れて初めて、この世界の航行が可能になります。

ウォーターフォールモデルを捨て去るしか、方法はありません。

そう言う意味で、遺伝子の違う技術者集団には、たとえばYAHOO!買収のような異なる遺伝子注入以外に手は残されていないのかもしれません。

同様に、あってはならないことですが、中国の負の「偶有性」の解決には、台湾併合以外ないのかもしれません。 KAI

May 12, 2007

ハインリッヒの法則(2)

事故から1週間。

いまだに全然すっきりしないし、納得いかない。

その理由はわかっている。横浜のメーカーの責任への言及がないことです。この名前を知らない横浜の会社は、メーカーなんだから8年で車軸交換せいと言うだけでなく、なんで交換しない顧客先を放置したのかってことです。

交換用車軸は自分の会社が関与せず購入可能なのなら、その報告を求めて、いずれにせよ自社の製品によって人の生命が危険な状態に陥ることを未然に防止する責任が、この会社にはあります。それどころか、前回書いたようにそもそも構造的欠陥があるわけです。

一部のメディアしか伝えていませんが、19歳の彼女の首がギロチンであったと言う事実はきわめてこのメーカーにとって重大です。

鉄柵の高さの問題です。脱輪による軌道を外れることを目的とするならばこの高さは、設計上の問題として、業務上過失致死まで問うべき瑕疵です。

この鉄柵の高さがなければ、彼女はギロチンにならなかった。

この事実は重大です。

ものごとを設計することの意味、責任とは、こう言うことです。

これだけ危険な乗り物をつくって販売するメーカーには、結果的にこの製品のメンテナンスを放置し、そもそもコースターの鉄柵の設計に欠陥があったと言う、この二つの重大な責任があります。

すでにこれを指摘したメディアがあるなら、どなたか教えてください。エンジニアであるKAIは、しばらくこの問題を放置するわけにはいかないと思っています。 KAI

May 11, 2007

教育再生

人を育て、そして育てられる。これが自分が育てられる人であったり、育てる人であったり、今の今でさえ、この立場は上手と下手が入れ替わり立ち替わり大河の流れがごとく綿々と引き継がれていきます。

人を育てるとは、育てられる人が精神的な自律を果たせるよう、そのきわめて具体的な方法の訓練であり実践です。

たとえ着付け教室のなんとか流免状何段と言うのでも、その「作法」で人は自律した生き方を学ぶことができる。こう言う有形無形の自律できるための作法であり身なり振る舞いの教育の意味と、その重要性は、戦後意図的に無視され否定され続けてきました。

おめでたいことに戦後日本国民はこの裏にある日本文化破壊の企みに気づかず、さらに日教組の社会主義共産主義運動に加担するかたちで、教育現場から「自律の方法」を排除し続けてきたのです。

しつけは、この「自律の方法」の原点です。

これに毅然として立ち上がった男がいます。

岡山学芸館高校校長兼理事長、森靖喜(もりやすき)です。彼は、清明、正直、誠実をモットーに、学園内で「ゼロトレランス」運動を展開し一事の不正も見逃さない方針を貫きます。しつけも、英語数学と同じ教科、学問の一つと言う明確な認識の元、マナー教育すなわち規範を徹底して教育します。

この成果は説明するまでもありません。

社会に通用する「しつけ」を受けた人間が、当然がごとくその社会で通用しないはずはありません。

若いうちはこれでいいのです。20代、あるいは30代半ばまでの人間に必要なことは、このしつけで得る「自律の方法」です。

まずは生活できるだけのお金を稼ぎ、その仕事を通して社会との関わり方を学び、友を得てその心のふれあいの中に、精神的自律を確立していくことです。

不惑の歳になってもまだ定まらないのは、これはもう諦めるしかありませんが、この不惑の惑は、惑うの惑。惑うとは、惑星を思い浮かべれば、同じところに囚われてただぐるぐると回り続けること。不惑は自らが太陽となること。自らの自律の方法を人に教え、人を育てること。

今不惑前に、一皮剥けてピカピカしている男がいる。時間はかかるけれど、人が育つと言うことは至宝の悦びです。 KAI

May 09, 2007

気がつけばはや立夏過ぎ

ついこのあいだ立春だった気がするのに、もう立夏。立夏の5/6は雨でそうでもなかったけれど、そのあとの暑さは異常。今日も昨日より2度高い28度と最高気温の予報。

と言うことで半袖短パン姿でリキの散歩。

こうしてもう早朝から気温が高くなってくると、散歩道の風景もなんだか夏休みの気分になってくる。

そう言えばゴールデンウィークを境に、マクドナルドの白髪のおじいさんの姿がなくなった。

マリリンウォーキングリキも日増しに歩く速度が遅くなって、リードに引きずられるようについてくる。

突然左後ろから、生ゴミ回収車が寄ってきた。運転席のおやじさんが話しかけてきた。

「脚が悪いのかい?」

「そう」

しばらくリキを見つめている。

「がんばってな」

リキに声を掛けて走り去っていった。

運転席から見える早朝の風景の中、リキの姿が目にとまったのか、気持ちの良い人もいるもんだ。

昔も、昼間山手通りを歩いていると、作業服着たおじさんが声を掛けてくる。

「毎朝おっきな犬つれて散歩してる人でしょう?」

「ええそうですが」

「毎朝配達の途中でよく見かけるから」

「そうなんですか」

「毎朝たいへんだねえ」

すれ違いざまの会話です。

こんなこともあった。こちらは年配のおばさん。

「私もね、ゴールデンかってたの、でも死んじゃったのよ」

「ええ」

「犬の心は花びらなのよ、とてもきれいな花びらの心を持っているのよ」

「ええ」

「純心でただ人を幸せにすることだけを考えているのよ」

「ええ」

KAIは、話しかけやすいのかとも一瞬思うけれど、けっして周りの人間はそうは言わない。

ひげ面で丸刈りでどこかの組の幹部かってきみ、失礼じゃない。 KAI

May 08, 2007

「世界通販」事業計画書完成

「世界通販」事業計画書がやっとできあがった。すでにK田くんの作成してくれた銀行バージョンがあるにはあるけれど、これは公にはできない。

なぜならその内容はともかく、事業計画とはそのすべての経営者の思いが詰まったものであり、人に作ってもらった計画を公開して、その責任をとることはできないからです。

このできあがった計画書を、ハイタイドのフクダくんに読んでもらった。

フクダくんいわく、こういう世界はまったくわかりませんが、でもよくわかります。もしこれがほんとに実現すれば凄いことですね。

ほんとに、嬉しい。

へたな専門家の言葉よりよっぽど嬉しい。

それにしても、連休前にとりかかって、連休中テニスをしている時以外オフィスに出て、あるいは自宅で洗濯しながら、ずっとこれを作ってきた。

この計画書で事業資金を集めて、「世界通販」を必ず成功に導く。KAIはこれが天命だと思って死ぬ気でやっています。

しかしわからんやつには、わからんのです。

これを何十社というキャピタルに、何百回とデモと説明をし、結局得た資金は、ゼロ。

そうではなく、そんな計画は関係ない、KAIの夢にかけるといって数億円出す人もいる。

だからもうわかっているのです。

だからなおさら、フクダくんがわかると言ってくれたことが、めちゃくちゃ嬉しい。

周り中のすべての人たちの意気と言う気の流れが、一点に集まり始めたことを、KAIは今明確に感じます。 KAI

May 05, 2007

ハインリッヒの法則

20代の女性と言う。連休中のレジャーが暗転、死へのジェットコースターとなってしまった。

今日の1勝1敗1分のテニスの後のアンジェロで、I坂くんがKAIは飛行機好きなんだ、と言う。今度6月ニューヨークへ行くと言ったら、I坂くんがこう言う。

滅相もない、KAIは飛行機が世の中の乗り物で一番嫌いです。しかしまさか船の旅を楽しむわけにもいかず、やむなく飛行機に乗るだけです。

なぜKAIが飛行機が嫌いか、それは万一の場合でも、KAI一人の力ではいかんともしがたいからです。

この話と今日の亡くなられた女性の話には、共通点があります。

KAIにとって飛行機の次に嫌いな乗り物が、実はジェットコースターであるからです。

過去かぞえるほどしかKAIは、このジェットコースターと言う乗り物に乗ったことがありませんが、そのすべての乗り物で万一事故が起きても絶対に死ぬことはないと思われる乗り物のみ選んで乗ってきました。

今回立ったままの姿勢で高速で移動するなど、論外です。

もちろん経営側の責任が、今後厳しく追及されていくことでしょうが、ジェットコースターなる危険な乗り物に乗りたいなどというこわいものしらずの方々には、ぜひとも知ってもらいたい法則があります。

それは「ハインリッヒの法則」といわれるもので、一つの重大な事故の背景には、その小さな29の事故がその前に起こっており、さらに300件のひやりとすることがあったとする理論的法則です。

このひやりとすることが売り物であるジェットコースターとは、このハインリッヒの法則に従えば毎回300人の乗客なら毎回1人の死者が出る勘定になりますが、実際はそうではありません。これはただ単に、死に至るひやりと死に至らないひやりが本来明確に分けてコントロールされているからです。

つまり、どんな考えられないことが起きても絶対に人が死ぬことはないのなら、いくらひやりとしようがハインリッヒの言うひやりではありません。まさにお化け屋敷のひやりと一緒です。

しかし今回のジェットコースターの構造は、明らかにこれを逸脱しています。

例えば100メートル上から急降下させるタイプのもので、そのブレーキがきかなかったらどうなるか。当然全員死亡です。しかしそのシステムはエレベータシステムとして、毎日世界中で何億人が利用するシステムであって、KAIが飛行機を利用するのと一緒で、万一これで事故があったらこれはもうあきらめるしか、ありません。

立ったままのジェットコースターがなぜ安全認可されたのか、まったく不可解です。

国内はもとより、もし世界中にこのタイプのジェットコースターが普及しているとすれば、間違いなく今回の事故は初めて起こった事故ではないと、KAIは自信を持っていえます。

その理由は簡単です。移動体はそのボディの中にあるから安全なのです。ボディのない移動体が危険なのは、高速道路をバイクが二人乗りで疾走するのと同じです。もし事故がおこっても二人を守るすべはありません。

ハインリッヒの法則で、恐らく今まで29人はこのジェットコースターで立位が原因の病院通いをし、300人は、このジェットコースターに恐怖感を感じ二度とこれに乗らないと思った人がいたことは間違いありません。

ただただこの20代の女性の冥福を祈るばかりです。 KAI

May 03, 2007

憲法記念日と憲法改正

憲法記念日恒例、憲法改正議論花盛りです。

憲法とは、簡単に言ってしまえば国民という個人に対して、政府の行動を規定するものであることは、間違いありません。

だが、当否の判断が適切に行われるためには、改憲を主張する側にまず「説明責任」が求められるだろう。
憲法を改定することで、日本国民は「憲法を改定しない場合に逸されるはずのどのような利益」を回収することができるのか、その利益が「この憲法を改定しないことがわが国にもたらす利益」より大きいとする根拠は何か。それを説明するのが現行制度の改変を求める人間の最低限の義務だろう。
「憲法を改定しないことがもたらす利益」についてなら、私たちはかなりの確度でそれが何かを言うことができる。
戦後62年の平和と繁栄は間違いなくそのような利益の一つである。
私たちは1945年から後一度もどこの国とも戦火を交えることがなかった。私たちの国の正規軍兵士は他国の領土で人を殺していない。

これはウチダ先生の憲法の話の中の一節です。

この平和と繁栄の主語が何かが問題です。それは当たり前ですが政府ではなく国民です。

その、国民の平和と繁栄が、政府の行動規定によってもたらされたと「間違いなく」言えるかどうか、この議論の問題はここにあると思います。

国民の平和と繁栄はむしろ、政府の行動ではなく国民自身が流した血と汗とその努力のたまものではないのかと言うことであります。

ですから、もしその種の行動規定がもとよりなかったとしても、今ある国民の平和と繁栄に変わりはなかったと言う考えを、明確に否定できる「説明」も誰もできてはいません。

つまり「改定」するしないの「利益」は、国民の側の今ある「利益」でもって直接的に説明することの論理の正当性はなく、論ずるべきは「改定」と言う政府の行動規定の変更によってもたらされる、国民の「利益」の変更の差分についてですよと言っても何の問題もないわけです。

今の国民の平和と繁栄と言う「利益」が「改定」によって脅かされることになると言う明らかな例証があるならば、当然「改定」は否定されるべきであり、逆により平和と繁栄と言う「利益」を増すことになるならば、気分に流される云々に関係なく「改定」されなければならないと言うことです。

そしてここで重要なことは、憲法が政府の行動規定であると言う事実です。

過去の歴史に学ぶとすれば、国民の不幸はすべてこの政府を行動規定することの失敗にあると、KAIは考えています。政府の行動を規定できず政府が暴走を始めた時、国民にそれを制する力は残っていません。時既に遅しです。

小泉さんがいみじくも国会で発言した「自衛隊は誰が見ても軍隊でしょう?違いますか?」と言うセリフこそ、国会議員の誰もが心で思っていながら公の場で口にしえなかったセリフです。

この発言にこそ今回の「改定」議論の本質があると、KAIは思っています。

すなわち自衛隊を軍隊として行動規定しない現憲法こそ逆説的に自衛隊の行動を規定しえてきたのだと、ウチダ先生はおっしゃる。その論理に従えば、確かに一部でも行動規定したとたんに、たちまち現憲法が持つ「記述しない効力」を喪失することになると考えるのは、もっともなことではあります。

しかしながらこの論理には決定的な、欠陥があります。

それは、この論理が憲法を超える歴史的な国民の同意をデフォルトにしていることです。

つまりこれは過去日本国兵士への抑止効果があったとしても、もし日本国兵士が理由がどうあれ海外で他国の人民もしくは兵士の生命を奪う事態が生じた場合、その兵士をわが政府は兵士として裁くすべを持ちえていないことでもあるのです。

この兵士を自衛隊そのものに置き換えてみれば、その論理の欠陥の脅威は歴然です。

過去の歴史は、政府側の暴走に対して国民の意思がまったく無力であることを証明しています。唯一憲法と言う具体的な政府に対する行動規正以外に、それを未然に防ぐ手立てはありません。

であるならば、自衛隊を今、明示的に軍隊として行動規正するための憲法改正は、可及的すみやかに実施すべきであると、KAIは考えます。

この議論も、KAIにとったら先の国会での発言をした小泉純一郎と言う男のおかげです。

この彼の答弁によって、いままでのすべてのKAIの「エートス」のねじれが、瞬間的に霧散しました。このリアリティを理解できる人々は、決して少なくないとKAIは信じています。 KAI

May 02, 2007

八十八夜

夏も近づく八十八夜♪

本日は、この八十八夜。立春(2/4)から数えて八十八日目です。

なぜ八十八日目なのか、なぜ立春から数えてなのかについての疑問は、いつものこよみのページに詳しい。

旧暦は、太陽に左右される農業の暦に向かない。そこで考え出されたのが、太陽暦に基づく立春の日を起点にした経過日カレンダーが八十八夜とは、またしても納得の嵐^^;。

さて新茶の季節ということでお〜いお茶「濃い新茶」を買ってきて、いつも飲んでる「濃い味」と飲み比べてみる。

ふ〜ん。

確かに新茶、若葉の味がする。

しめて付加価値プラス32円也(希望小売価格157円/濃い味は125円)。

普段朝出勤して1本、昼前に1本。週末はテニスのゲームが終わる度に1本空いて、夏場は3本までいきます。特にこのスポーツ中のお茶は、すこぶるお腹の具合が良い。

これがわからない頃、スポーツドリンクを飲み過ぎてお腹がゆるゆるになって困ったことがなんどもある。

大抵はビールを飲みながらゲームをやって、このビールもお腹の具合的にはすこぶる良いので困ることもなかった。

ところがこの何年かコートでの飲酒禁止令が出た。さあ困ったと思って飲み出したのが、平日飲んでるこのお茶でした。

以来お茶一筋。健康的人生です^^。

しかしお茶にも色々あって、日曜のテニスのコートにはKAIの愛飲している「お〜いお茶」の自動販売機があるからいいけれど、土曜のコートにはそれがない。

で、そこにある自動販売機のお茶をいろいろ試してみることになる。「緑茶」「一番」「生茶」「福寿園」どれも全然ダメ。

あきらめかけていた頃、「濃い生茶」が出た。さっそく試してみる。まあまあかな。

とりあえずこれで土曜日はしのいでいる。

別に「伊藤園」の肩を持つわけではないけれど、他社のお茶と較べて明らかに違う。

KAIは学生時代、牧ノ原の製茶工場で住み込みのアルバイトをしたことがある。

新茶の季節。工場にトラックで次から次へと運ばれてくる、400キロ以上はある茶葉の詰まった籠を二人で、トラックの荷台から下ろす。一つ間違えば下敷きになって大けがをする作業です。

この籠からフォークを使ってベルトコンベアーの上に茶葉をかき出す。

以降機械の中の茶葉が高級煎茶にまで加工されていく様子を、茶葉まみれ、茶葉の臭いまみれになりながら見て2ヶ月間、働いた。

このときの体験から身体に染みついてしまった茶葉の香りと味。ある意味KAIのお茶の原点になってしまいました。

京都の田舎でも、番茶の葉っぱをむしろで干して、それを子どもの頃は毎日毎日飲んでいたけれど、それが「お茶」と言う認識ではなかった。

それがこの牧ノ原の大量の茶葉に埋もれた体験からか、伊藤園以外のお茶は、なぜか「人工的」な味と香りがして仕方ないのです。

そういえば、あの住み込みの最後の日。乾燥機から出てきた煎茶を紙袋に目一杯詰めて、アルバイト先を後にした。もちろん無断で。それを下宿先のおばさんにあげたら、それはもう大喜びで受け取ってくれた。もう35年以上前のことだけど、いまでも思い出すと胸が痛い。

許してください。 > 工場のおやじさん KAI

May 01, 2007

五月最初の朝は曇り空

早朝のリキの散歩。曇天の朝は目にベールがかかったようで、いつまでもシャキっとしない。

散歩道のツツジも満開からすでに花は朽ちかけていて、こちらもなんだかパっとしない。

おまけに、マクドナルドの白髪の老人とすれ違ったと思いきや、本人しっかりまだテーブルで睡眠中。まったく別人だった・・・。なんだかなっとくいかないまま、散歩終了。

午前7時にオフィスに出る。

連休谷間にもかかわらず、けっこう人通りが多い。

昼前には予報通り雨が降り出す。しとしとと、はや5月初日から梅雨の雨。

月末作業をやっつけて、打ち合わせに外出。

話をしていると、一昨日からイメージしていることがより鮮明になってきて、少しながら見えてきた。

これを1時間で終わらせて、ハイタイドへ。かけつけマティーニ2杯で、寿司勇に移動して別の打ち合わせ。

ここで嬉しくなる話をきいた。

ハード屋の彼の息子は、ソフトに進んでほしかった親の意に反して大学院で半導体を専攻している。そんな息子がKAIのブログを読んで『夢株式会社ってなんか面白そう』と言ったとか。

やったね。

こう言う若い人たちが面白いって感じる仕事が、今必要なんだよね。

鯛カブト焼き、鯛の昆布締め、鯛のお吸い物、もう言うことなしです。 KAI