人が人との関係にある故に、その関係から人として思念のレベルを高めることもできるし、自ら貶めることにもなるとすれば、いまのKAIは最悪の選択をしつつあります。
人と関わらなければそれに拘ることもなくなるし、心を乱されることもないのに、あえて関わりの路地裏に迷い込もうとするのは、ただ不毛の一言です。
プラスのエネルギーに満ち溢れているときの、この強烈な負のエネルギーの誘いの意味は、一体なんなんだろうか。
人の心の奥の混沌にこそ、正邪関わらず諸行の根源があります。
昨晩よほど寝ながら苦しんだのか、今朝から右腕が痛くて使い物にならない。
昼前までにはと期待したけれど回復しないまま正午、テニス開始。ウォームアップでストロークとボレーは右腕でなんとかなることを確認したが、スマッシュがまるで打てない。しかしてあえなく2連敗。
その後腕の痛みがとれるにつれ何とか持ち直して2勝。しめて2勝2敗。上出来です。
このあといつもの通りY木さん、A川くんと3人でアンジェロへ。
A川くんは前回初めて来て以来の2回目。
このA川くん、KAIが唐辛子漬けのオリーブオイルをスズキのオーブン焼きにかけて真っ赤にして食するのを見て、前回に引き続いて再び目を丸くする。
彼の父親の年が還暦と聞いて、Y木さんと同い年だと二人で目を丸くする。
やっぱり人っていいなあ。3人であれこれ話をしながら食事をすると、つくづくこれを感じる。
そしてやっとわかってきた。
神様からの戦いのステージを上げなさいって言うメッセージだと、やっと気付いた。
よく勘違いをするのが、このステージを上げるってことの意味です。
ついつい空中戦とか高みで勝負すると思いがちですが、まったく逆です。思いっきり地上戦でありより具体的に詳細です。人の生身の感情、共感であり喜びでありリアリティです。
ただこの戦線を拡大せよってことです。
点から線へ、線から面へ、「影響力」の及ぶ範囲を拡大することで、戦いの次元を上げる。イメージするべき局面を、イメージできる局面からよりイメージするべき局面に拡大していく。イメージできる範囲でしか戦わなければ、それはそれで完結していくけれど、それ以上の進展は無い。
ただしかしそこには必ず負のエネルギーがある。恨み、妬み、嫉妬といった負の感情です。
ステージをあげるとはすなわち、これと対立することではなくこの負のエネルギーをプラスに転化して、より高度のエネルギーを獲得せよと言うことに他なりません。
今まで車が入れるかどうかで一千万、二千万と本来得るべき土地の評価額の毀損分を、早急に取り戻し、投資にまわす。既存投資を加えて、もし応じないなら、これも早急に切り替えて質を高める。当面の新規投資の確保。
今なすべきことが明確にイメージできました。 KAI
異常者と言うか、まあキチガイですなあ。
我が家の2軒となりの50代の夫婦が自宅を3階建てのアパートに建て替えた。
このアパート、L字型の路地のコーナーにあって、1メータールール(注:セットバックと言うそうです)で建物が後ろに下がってL字型の路地が広くなった。
その路地、一辺が財務省、もう一辺がH田と言う土地持ちの私有地の道路。この私有地をいいことに、この夫婦がH田に言ってL字の角にポールを立てて車が入れないようにしてあった。
これが道が広がって、そこを通る人は邪魔なポールに顔をしかめていたのから一変、みんな笑顔になった。これで路地奥の10軒のどこかがもし火事になっても、目の前まで消防車が入れると喜んでいたのに・・・。
今朝6時リキの散歩に出て、驚いた。驚いたと言うより怒りで血圧が180になった。
あろうことかなんとこの角にコーヒーの自動販売機が設置してあるではありませんか。しばらく開いた口がふさがりませんでした。
リキの散歩、週末テニス、その行き帰り、帰ってきてから洗濯。そしていまハイタイド。
それからずっとこのことを考え続けています。
なぜ1メータールールができたかと言えば、KAIの自宅を含めて戦後の建物は狭い路地裏に建っている。これをこのルールで救急車や消防車だけでなく引越しの車、建て替えのときの重機といった車が入れるようにすることが、このルールの本来の目的です。
なぜみんなの笑顔が理解できないのでしょうか。道が広がって一体誰が困るのでしょうか。
まったくKAIには理解できません。
もちろん区役所へ行って建築確認の担当者と相談することを考えました。付き合いのある弁護士さんにお願いして、内容証明を送るとか、はてまた撤去の仮処分の訴訟にでようかとも。
しかし、このすべて、やらないことにしました。
ただ一つを残して。呪い○○○。
これから毎日毎日この前を通るたびに、念ずることにします。ってあなたも異常者?! KAI
官製和製Googleのプロジェクトが迷走しています。
初回ドコモとJALが選ばれたこと自体、なんでこんな企業に国民の税金をつぎ込むのか、まったく納得行かない上に、その採択されたプロジェクトのテーマに驚いた。
ドコモやJALはその顧客情報を利用して、なんとこれをライフログ化しようと言うのです。
あきれてものもいえません。
実際GoogleもGMailでは随分この批判を受けましたが、これら批判すべてをロボットがやることを根拠に、巧みにかわしてきています。
しかしこの2社はそうではありません。目一杯これを人間がやろうと言う提案です。この人権感覚には恐れ入ります。
そもそもこの大航海時代、これがかつて一体本質的にいかなる時代であったかの認識がおありなのでしょうか?え? > 経産省担当者さん
大航海とは、すなわち利権獲得競争ですよ。Googleの後追いで利権とは笑止。
今やるべきことは、あらたなるステージの創造。つまり同じ土俵で戦わないってこと。
KAIは、これに今日の某理事会で、セカンドライフならぬサードライフあるいはフォースライフ創造の提案をしました。
案の定、大変だ、すでにどこかで。ですからできない理由を考えるのは誰にもできます。
大変だからこそ、その創造のチャンスが生まれるのです。
まあこれができるのは若さが必須とは、すべての真理であるのは間違いありません。まさかKAIにやれと言われても、もはやその気力も体力もありません。
しかしなぜいまさらサードライフ、フォースライフなのか。
このルールを作るのが、私たちであること、すなわち他人のルールではなく自分たちのルールに相手を引きずりこむこと以外に、大航海制覇のポイントはあり得ないのです。 KAI
何日ぶりでしょうかの、晴天。早朝の散歩が晴れているかそうでないかは、まるで1日の気分が違います。
午前5時、リキと一緒にいつものように家を出て、いつものようにいつもの場所で大量のオシッコ。
そのまま散歩道を歩いていたら、なんだか昔、早朝の渋谷の公園通りを歩いている気分になった。なんでかわからないけれど、この夜明け最中の明るさと、公園通りの早朝の喧騒がなぜか共振する。
散歩道のツツジの生垣は、すでに紅白に満開。
24時間365日のマックの白髪の老人も健在。ただ彼はその理由が最愛の妻をこの春亡くして、毎夜をここですごすことを直感する。
そしてリキに、ササミジャーキーをやろうとして、待てをしたリキがシッポふりふりよってくるその姿をみたら、ユーアーマリリン。
リキの胸はすでにバレーボールなみのコブになってしまった。いままで左足だけだったのが右足にまでひろがって、見事なバスト。
そうかマリリンモンロー、リキと一緒で胸の重さのバランスをとるための、あのウォーキングなんだ。
モンローフォーエバー、毎朝毎朝、モンローの胸よ消えろ消えろと呪文を唱えながら、ひたすらリキの回復を祈っています。 KAI
Aくんが眩暈がすると言って病院でみてもらったら、軽い脳梗塞と診断された。
まだ34歳と若いのになんで脳梗塞?!
仕事で最も重要な部署を担当するAくん、もしいま彼が倒れたら、仕事も大変なことになるけれど、奥さんと幼い子ども達がたちまち路頭に迷うことになります。
どうしたもんか昨日からあれこれ考えている。
それにしても、脳梗塞。KAIの実父も脳梗塞で倒れ亡くなった。義父も脳梗塞を患い日常生活に不自由を来している。みな高血圧にタバコが原因(実父は間接喫煙)と思っているけれど、この例に漏れずAくんも、同じ原因。
とにかくこれ以上進行しないように、すぐにタバコをやめることと、以前ここに書いた断塩宣言を参考にして、奥さんと相談して食事療法を始めるように。 > Aくん
そして、それでももし万一のことがあれば職場に復帰できるまで何年間も100%の給与を保障することを、真剣に考えています。
あと、これ34歳脳梗塞患者。
たまたま見つけたホームページですが、やはりこの人も34歳で脳梗塞で倒れてその後の闘病記です。随所に気になる記述があります。Aくんにも思い当たることがあるのではないかと思いますから、ぜひ読んでみてください。 KAI
一生で、これほど考えたことはないと言えるくらい、考えて考えて考えろ。
夢株式会社のウッシーが苦しんでいるけれど、それしかないんだよ。
お前がちょっと考えたくらいでできるしかけなら、そんなもん、後おいで誰でもできる。それでいいのか。いいわけないだろうが。
絶対に、どんな資本があろうが、追いつくのに5年はかかる仕掛けをなぜつくれない。
だから、死ぬほど考えろ。考えて考えて考えろ。 KAI
まさか、突風にすってんずりり、しようとは夢にも思わなかった。
春霞に今ひとつ目がよく見えないまま、テニスを始めて4ゲーム目。風下の相手の打った球が、風に押されて力なくKAIの目の前に落ちる。フォークボールに前のめりになる打者のように一瞬、KAIの重心がつま先のその先に移動する。
瞬間、足を前に出そうとしたその時、突風がKAIの背中を押した。
あえなくつんのめって、膝と肘をみごとに擦りむいた。
行き帰りの車の中でも、風で何度か車のハンドルを取られるくらいだから、今日の風はタチが悪い。
こんなことはテニス人生、まったく初めてであるのはもちろんのこと、人生風に背中を押されて倒れるなんて、まったく初めての経験です。
すぐ水道水で傷口を洗い、そのままゲームを再開するも、膝と肘の皮が張ってなんだかロボットのように動きがギクシャクしてゲームにならない。ずるずると2連敗のあと、最後に1勝してなんとか体裁は保った。
それにしても、風に背中を押されて倒れる瞬間の感覚。
高校生の時、新任の柔道四段の先生と初めて組んだ、その瞬間足払いをくらった。あのときの感覚と同じだった。まるで空気のようにかるがると身体が倒れる。
しかし子どものころと違って、大人が倒れるのは、痛い。
大事の前の小事。いまの油断を、この痛みが教えてくれました。 KAI
KAIくん、もちろん君の言うことはわかるけれど、これは日本の文化なんだよ。
あきれてものも言えないと思ったのが、1年半前。
KAIは生涯をかけてこのソフトウェア技術者の社会的地位向上を、目指してこんなことを書いた。
一体いつまでこんなウソを続けるのでしょうか、え、経営者の皆さん。公団内田と同じことをいつまで続けるつもりですか。
(そろそろお終いに)
これに応える社長がいた。
例えば,ユーザー企業との契約形態を見直すことで,自社のサービスの価値を高めようとしている情報技術開発がその1社だ。同社は2006年9月,ユーザー企業200社に対し,「人月単価を提示してきたビジネスをやめる」と一斉に文書で通告した。
(ユーザーの弱体化がIT業界を駄目にした!? )
情報技術開発、そのむかし、ビッグコミックなんかにしきりに広告を出して人材募集していた会社じゃないかと思うけれど、しかしともかく人月との決別を宣言する企業が1社でもあった。
これにKAIは、めちゃくちゃ、うれしい。
ことの本質が理解できる人たちこそ、この変革のチカラになるのです。 KAI
なんで今頃かと思う時期に税務調査が入る。
関西弁のベテラン調査署員と話していて、ピーンときた。
昨年子会社を設立して景気がいいはずだのに、この決算。なんかごまかしとるんちゃうか。
これでした。
なんも、ごまかしてまへん。きれいなもんですわ。
予想通り、交際費の使い方に文句を言われる。いくら言われても、誰と誰と、これこれの下心で飲みました、なんて明文化絶対やりません。
銀行と仮想口座開設の契約に数百万支払っている分の指摘を受けて、これを一括損金から繰延べ資産に修正するも、累損の内ですので税額に影響なし。
唯一問題が、請求書のない外注費。これは(法令により)支払い消費税に認めまへん、といわれて困った。これを受け入れれば100万円単位で消費税が増えてしまう^^;。
前回5年前の税務調査では何も言わなかったではないか、と強くごねて、しぶしぶ見逃してもらうことに。トホホである。
と言うことでとにかく終わった。
KAIのコンセプトは、人間オブジェクトはすべてソフトウェアオブジェクトに置き換え可能であるとおり、オフィスの事務関係、いわゆる総務関係はすべてコンピュータで処理できるようにして、税務関係のみ、税理士事務所にお願いしています。
ですから、私たちのメンバーに新しく加わった者、つまり新入社員のほとんどが、最初事務処理をお願いする人間が目の前にいないため、とにかく面食らいます。私たちの会社には事務員と言う間接要員は、ただの一人もいません。
オフィスのトイレットペーパー、ティッシュペーパーを月に1度ポロロッカで買い込んで、コンビニでゴミ処理券を買い、健康診断の予約をして、請求書に貼る切手を郵便局で買って、NTTの電話代を払うのは、他の誰でもないKAIであるわけです。
しかしこれらの時間を累計しても、月に1、2時間。これに20万の事務員を雇う意味はありません。
なんて書いていたら、ウチダ先生が面白いことを書いている。Googleカレンダーについて。
これはたいへん便利なものである。
ネット上に自分のスケジュールが置いてあるので、出先のパソコンからでもポケットの中のiPodからでも自分のスケジュールがチェックできる。
(中略)
私にとっていちばんありがたいのは、スケジュール情報にテキストを貼り込めることである。
仕事の依頼はたいていメールで来る。そのメールをそのままスケジュール表に貼り込む。字数、締め切り、テーマ、担当者からのコメント、連絡先のメールアドレス、電話番号から編集者とのあれこれのやりとりまで、どんどんスケジュールに貼り込んでしまう。
(中略)
書いたものはそのままスケジュールに貼りつけてしまう。
これだと自宅のパソコンがダウンしても、フラッシュメモリーを家に置き忘れて出かけてしまっても、原稿がネット上に置いてあるから、いつでもどこでも続きが書けるし、原稿を紛失する心配もない。
とうとう自称ITオンチのウチダ先生まで、ネットの「あちら側」で仕事を始めてしまいました。
なぜこんなことが起きるのか(って天変地異じゃないって^^;)、それはこれが圧倒的に便利であるからです。
そしてこの便利の意味が、自分の中やオフィスの中の人間オブジェクト(自分や事務員のことね)の仕事が、ネットの「あちら側」すなわちソフトウェアオブジェクトに移って行ったってことです。
その結果人間オブジェクトには、人間にしかできない原稿を書くとかコンビニ行って買い物するとか人と交渉するとかといった、リアルのオペレーションだけが残っていくことになります。
ウチダ先生、メールも「あちら側」に持っていけば、もう立派にITオンチ返上ですよ。 KAI
石原嫌いも多いけど、この竹中嫌いも結構多い。その理由がまるでKAIには理解できないのだけれど、所詮好き嫌いに理屈はない。
ただ両者ともこの傾向ははっきりしている。文春新潮といった週刊誌読者が一様に彼らを嫌うということ、すなわち、週刊誌の編集者に彼らは嫌われているのである。
その竹中平蔵のコラムを産経新聞で見つけた。見つけたと言っても1面左上トップの記事だから見つけなくても目に入る^^;。
私はかねて担当大臣の改革姿勢、抵抗勢力との対立(国民の関心の高まり)、最終的な首相指示という3点セットこそが、改革の黄金律(ゴールデンルール)であると述べてきた。
(産経新聞、竹中平蔵ポリシー・ウォッチ、2007/4/16、p.1)
あらゆる改革は、キトクケンシャとの戦いです。圧倒的に飛車角を支配する相手との戦いです。当事者および責任者と言う二人のリーダーの覚悟と、そのキトクケンシャとの対立構造の中で国民すなわち見かけ上の第三者(実は当事者であるが気づかない)をこちらがわの味方にするだけの演技力、これがゴールデンルールとは、竹中平蔵をして初めて言わしむる言葉です。
竹中の指摘通り、キトクケンシャである公務員相手の対立構造に持ち込んだ瞬間、安倍政権の支持率も上昇傾向を示す。
そうするとまたしても週刊誌による安倍渡辺叩きが始まると言う、素晴らしい構図を呈するのは間違いありません。
渡辺喜美さんも、くれぐれも寝首をかかれないようご注意ください。 KAI
今日夕方5時半からのTBS報道特集は、久しぶりにジャーナリスト魂を観る映像でした。
あの2年前に起きたJR尼崎事故。
この事故から生還した鈴木順子さんの、奇跡のドキュメントです。
先頭車両から2両目に乗っていて事故に巻き込まれた。救い出されたときは男女の区別もつかない危篤状態。何度か呼吸停止を繰り返しながらヘリコプターで大阪の病院に緊急搬送され、腫れあがった脳のCTスキャンを見た医師はまったく今後の生存の可能性が0であることを、事故から11時間後にやっと病院に駆けつけた家族に伝えた。
彼女が救い出されたとき、割れ散った無数のガラス片が彼女の口の中にあったと言う。これを傷つけないように丹念に取り出す救急治療が行われたが、無意識の中で彼女は、これに苦しむことになる。
植物人間となって5ヶ月目に奇跡が起きた。病院で寝たきりの順子さんが声を発したのである。なんでー、と。
恐らくこれは姉の敦子さんが、5ヶ月間毎日植物人間になった妹の顔を拭くたびにそのタオルに順子さんお気に入りの香水をふりかけていたことにその効果があったのではないかとKAIは、強く思います。職務としての看護師の看病ではあり得ないことがおきたのです。
その後母が歩行訓練のリハビリ中のプールで順子さんを抱きしめる、その母の顔は、再び赤ん坊になった戻ってきた我が子を抱く菩薩の顔でした。
しかし病院でのリハリビに限界を感じた家族は、彼女を自宅に連れ帰ります。
順調に回復する彼女にあって、意識が戻って以来の難題が。決して彼女が食べ物を口に入れようとしないのです。無意識の中に口いっぱいのガラス片を飲み込むまいとする潜在意識からでした。
これにも、やがて雪解けが訪れます。
家族の暖かい介護にやがて心を開きます。順子さんは、ある日突然自らスプーンを口に運び、これを飲み込んだのです。
その後の展開をここにこれ以上書くまでもないでしょう。
今日1勝3敗のテニスの不調を嘆く必要も、まったくありません。
己の体調以前の問題です。生きてるだけで丸儲け。明石家さんまの言葉ですが、まことに生を得ているだけで丸儲け。思わず神に手を合わせました。 KAI
商標登録が済んで世界通販を公にしてから、次から次へと世界通販で取り扱いたい「日本文化」が現れてくる。
圧巻は「和船」。写真の通りの舟です。
この和船、年に造れるのがせいぜい2艘。これを例えば1艘一千万円で販売しても、世界中を相手なら間違いなく売れます。
この工房の悩みも例に漏れず、十分な需要が確保できず技術を持つ船大工の高齢化と後継者不足です。
これを世界通販は、解決します。
日本文化が持つ古くからの技術は、その需要を国内に限ればほとんど絶望的状況にあります。
しかしWeb2.0によって、日本文化が持つ技術と言うロングテールを世界中の人々と言う市場に解き放つその仕掛けこそ、「世界通販」のコンセプトです。
もし世界通販と言う私たちの仕掛けが成功すれば、テールでその存続さえ危ぶまれる数々の技術が反転、世界中の需要を満たすための巨大産業へ発展していく可能性さえ秘めています。
職人を目指す若い人たちにまさに「夢」を与えるビジネス、これが「世界通販」です。 KAI
世界通販とは、世界の隅々に向かって日本の文化となる製品を通販しようとする試みである。
いままでワールドテレショップのような、世界中の商品を日本でテレビショッピングしようと言うのと、方向がまったく逆に、日本の商品を世界中に通販する、そう言うプロジェクトです。
実はすでにこの先駆者がいます。
korin.comと言うサイトを見てみてください。このショップのオーナーは日本女性です。
すでに彼女は全米ではいくつもの賞をとって超有名人となっていますが、きっかけは乳母車で包丁を売り歩く行商人の一人の女性に過ぎませんでした。
彼女の思いは、ただひとつ、日本の職人がつくった包丁こそ世界中のシェフたちの料理づくりにかなう道具はない、ただこの一つの思いでした。
彼女のおかげでいまや、大阪堺の包丁職人たちが息を吹き返しました。
日本のあらゆるところで、こころある職人たちが、これを心待ちにしています。
世界通販は、これを実現することを約束します。
日本の職人たちのこころとはなにか、これをうまく説明するNHKの番組があります。NHKの美の壷の中のテーマは筆。
書の筆のあと、化粧の筆。これがいまや日本製の化粧筆が世界を席巻しているではありませんか。その秘密が、毛先を形にあわせてカットしてしまう外国製の筆に対して、日本国産はまったく違う。
絶妙な化粧筆の形はどのようにして作られるのでしょうか?
この道、40年。化粧筆職人の竹森鐵舟(てっしゅう)さん。肌触りの秘密は、自然の毛先を生かした形作りにあります。これは、リスの毛で作られた最高級の化粧筆。柔らかな天然の毛がそのまま使われ美しいカーブを描いています。
毛先を切り揃えることなく形を作っていくのは、日本独自の技術です。「揉みだし」と言われるこの作業。掌の上で毛を転がし、形を作っていきます。
手の感覚だけで顔の凹凸にぴったりとあう形を作れるのはわずかな職人だけです。
毛先をカットしないで肌の曲線にあわせて形をつくる。その後ろの毛の束を絞めて仕上げていく。毛先はリスの自然の肌触りそのもの。気持ちがいいことないわけ、ありません。
この技こそ、日本の文化のこころです。
> perry ぜひともこれを理解して自分たちの技に取り入れて欲しい。
korinの彼女に会いに、6月、KAIはニューヨークへ行きます。 KAI
世の中、ほんとに不思議なものです。
この間生命保険の話をここに書いた。
この契約のために、何年か前にインターネットで検索して見つけて既に1億円以上の契約をしている保険代理店の営業担当者にオフィスまで来てもらって、一発で追加の契約をする。契約医師がその営業担当者と一緒にオフィスまで来て、オフィスの応接で健康診断を行う。
そのときの営業担当者であるA川くん、KAIの顔が黒いことのわけをYUMに質したことで、本日の恒例週末テニスに、このA川くんが、ゲストメンバーとして参加することにあいなりました。
A川くん。33歳にして某保険代理店執行役員営業部長。1年のブランクはあるものの正真正銘のテニスプレイヤー。
12時前に、東京インター近くのテニスコートにA川くんは、モスグリーンのジャガーにのって現れた。
こう言うときは不思議が重なります。
4人でダブルスをする、その一人がコートに着くなり体調不良で離脱。急遽元旦テニス三連荘にも登場したT次郎に応援をこう。
T次郎が来るまでの30分、ゴルフにはまって1年間テニスから遠のいたA川くんのために基礎的トレーニングを実施し、なんとかテニスの勘を取り戻す。この一人が離脱しなければこのトレーニングがないまま、ミスにミスを重ねるA川くんがいたのは間違いありません。
いざ本番。3-6、2-6、すべてA川くんを相手にしての2連敗。
この結果にKAIは何をかいわんや。
このあといつものアンジェロへ移動してランチ。
またここできいた話にKAIは愕然とします。
A川くんの母上が、日本の工芸品のギャラリーを経営されていると言うではありませんか。しかもこれの世界への販路を求めている。
なんたる巡り合わせでしょうか。YUMの母上といい、A川くんの母上といい、日本の文化は日本の女たちが支えている。これを世界に発信する「世界通販」を、夢株式会社はまもなくスタートします。 KAI
(追記)書籍(日経BP企画、世界通販、光田一徳、2007/8/13)になりました。
本番に弱い人間は、完璧を求めるタイプの人間に多いと、何週か前のドラゴン桜の中に描かれていた。
バスケットボールのフリースロー競争の中で、前半リードした矢島が後半崩れていくことを通して、その原因がすべてのフリースローを決めようとする矢島の完璧主義にあると言うのである。
これはなるほどと思う反面、重要なことが抜け落ちているように思った。それがアガリ性の人間の考察です。
完璧主義者も、一度失敗することによって自分を見失うと言う意味でアガリ性の一種と言えなくもありません。
アガリ性と言う意味ではKAIも人後に落ちませんが、KAIは今に至る数限りない武勇伝のおかげで、今では単に本番でアガル人間は経験不足が原因と考えています。
親父の葬式には数百人以上の人の前で喪主として挨拶をしたときも、最後まで膝の震えがとまらず、市長までいるなかでありきたりのお礼の言葉しか言えなかった自分に、ほとほと嫌気がしたものです。
喪主なんて人生そう何度も経験するものではありませんが、それから半年後今度は株内の葬式で喪主代行として挨拶。もうへでもありません。故人の思い出を話す自分の姿すら見えていました。
しかし、この理論は初めての体験には通用しません。浪人しての試験も嫌です。
もちろん模擬試験の模擬、シミュレーション、と言う手はあります。
そしてわかってきたのが、この本番に弱いことこそ、実はその人間の強さであることが。
もし生まれつきことごとく本番に強い人間がいたとします。もちろんそんなやつは絶対いないと思いますが、もしいたとするとその人間は、とても他人から見て耐え切れない性格の人間だと思います。
なぜか。それは人の弱さが理解できない人間だからです。
うまくできる人間は、うまくできない人間の気持ちはわかりません。
障害者をいくら頭で理解しても、障害者の気持ちまでもを理解するにはとてつもない想像力が必要です。身体で理解することと頭で理解することとの間には、本質的な違いがあります。
五体不満足の乙武くんが小学校の教師として赴任した様子を伝えるテレビ映像が、KAIはうれしくて仕方ありませんでした。
それは小学生たちが不思議そうに乙武くんの短い腕と言う手に触れる映像です。
この小学生にとってとてつもない体験が、彼が教師を目指すことによって実現したわけです。
人生と言う本番に弱い人間は、決して弱者ではないことをKAIは確信しました。 KAI
一挙にあらゆる局面に変化が訪れる1週間でした。
懸案の東京高裁の判決が出てもちろん当方の勝訴。相手方(国)の上告で最高裁の結果が出るのは来年以降になるのは仕方がありませんが、もとより結果は目に見えています。
と言うことでこの1週間は、ここに書きたいことの嵐(そういえばご無沙汰^^;)でしたが、時間をとって論を進められる状況にありませんでした。(と3日間のアブセンスの言い訳^^;)
そんななかで見つけた1冊。ヤモリの指(早川書房、ピーター・フォーブズ、2007/03)。
まだすべて読み切れていませんが、著者の思いは十分伝わったと思います。
おそらくこれを世間ではナノテクといっている範疇に一くくりにしているのでしょうが、これが大きな間違いであることをこの著者が優しく教えてくれます。
著者は、この技術をバイオ・インスピレーションと言う名前で詳細にレポートしていて、蓮の葉の表面現象から「ロータスイフェクト」と呼ばれる技術の誕生、ヤモリの指の謎からせまる最新技術動向にスポットをあてているのです。
KAIはこの本を読んで一番に感じたのが、「影響力」です。
人は、あらゆる宇宙の中に生きています。高校2年生の夏のアポロの月面着陸。ジャパン、キョウト、アヤベの1高校生が、この映像に刺激をうけ、以降の人生にこの映像がどれだけ影響したことか。この田舎の1高校生の影響力の一端が、図らずも月面まで及んだ瞬間でした。
人は、あらゆる場面でこの影響力を行使します。もちろん仕事において、思索において、ありとあらゆる場面でこの影響力と言うリモート力の宇宙の中に生きているのです。
この本を読んで、やっとKAI自身のバイオと言う、素粒子でもないハードでもないバイオと言う高分子の世界に影響力が及ぶことになります。
フォースとは影響力です。今においてではなくこれから来る世界に対する影響力であり、そして加えて自らの行動もこれに影響されるだけの、そう言う影響力です。
ひるがえって梅田望夫さん、この影響力に混迷してます。以下次回。 KAI
NHKはこの鬼監督の似合わない笑顔をしっかり映していた。
準々決勝、大垣日大はスクイズの場面。これをし損じてキャッチャーフライに。幸いこれは捕球されず命拾いする。ここでバッターは鬼監督のサインを見る。鬼監督こと阪口慶三は、このとき古巣東邦高監督時代の甲子園準決勝の場面を思い出していた。
まったく同じ場面で、鬼監督は選手をコワイ顔で睨みつけた。萎縮した選手はショートゴロであえなく敗退。
ここは選手を萎縮させてはいけない。似合わない満面の笑みと両手で大きくオーケーを描いた。結果は左中間を破る二塁打。高校野球の真髄、ここにありです。
この映像が目に残っていたせいか、準決勝の帝京戦で、今度は帝京の監督と選手の間のまったく同じ場面を目撃することに。しかし帝京監督の顔は、大垣日大ではなく東邦高監督の顔であり、結果も同じく内野ゴロでした。
ここでヒットを打っていれば、間違いなく決勝進出は帝京でした。勝負とは不思議なものです。
そしてもう一つの不思議。
スポーツライター田尻賢誉の大垣日大を上位に導く伝家の宝刀と言うレポートの中の一節。
実は、都城泉ケ丘高と同じ作戦を取った学校がある。昨年の秋季東海大会準決勝で大垣日大高と当たった常葉菊川高だ。同じようにベース寄りに立って外のスライダーを見極めようとしたが、結果は都城泉ケ丘高と同じだった。
では、なぜ常葉菊川高は勝てたのか(4対0)。それは途中から立ち位置を変更したから。中盤からは逆にベースから離れて立った。離れたために、外の球は通常より遠く見える。これで逆にボールになるスライダーを見送れるようになった。この試合、森田は7四球。外を見極められれば、ストライクゾーンで勝負せざるをえない。そこを常葉菊川高打線は見逃さなかった。
すでに決勝戦の前哨戦は昨年の秋に始まっていたのでした。
そしてこの田尻のレポートは3/30付け。KAIはこれを決勝戦の結果が出た今初めて読みました。
昼間観た常葉菊川高のバッティングとは、なるほどそう言う意味があったのかと納得し、スポーツライター田尻賢誉の他の書き物を読んでみたくなりました。 KAI
今日は思いがけず、四国今治からの訪問者。
KAIがまだ20代の時から公私ともどもお世話になって、今は故郷の今治に戻って隠居生活のO川夫妻が、KAIのオフィスにお見えになる。
お二人ともとうに傘寿すなわち八十歳を越えて、合わせて164歳。KAIもこうなりたいと切に思う今日この頃^^;。
お土産の母恵夢タルトをKAIくんに渡さんと今治に帰れん、ワッハッハ。
そういえば思い出した。
今から12年前、KAIとヨッシー、T部さん、由美さんの4人で今治のO川邸におしかけ、O川邸を宿にして道後名所巡りをしたのでした。しかもそのガイド。70歳の老人が自分の車を運転して案内する。横の座席と後部座席は、朝から酒盛りで盛り上がる中、道後温泉、地ビール館、鈍川温泉、瀬戸内海の大三島神社、小島の頂にあるお寿司屋で昼食宴会、今治城吹上神社(奥様のご実家)と酒池温泉寿司三昧を極めたのであります。
以来早稲田の学生であったヨッシーは何を思ったかお遍路の旅に出て、またまたO川邸に投宿してお世話になるのでありました。
あれから12年、まことに月日の流れの速きことかな。光陰矢の如し。
昼飯を一緒に食いたいといって訪ねて見えた、O川さん。KAIはこのところダイエットではないけれど昼食をとらない。
心配かけまいとダイエット中と言い訳をして近くの喫茶店へ移動。途中奥様の歩みに気遣うO川さん。お店に入っても段差ひとつひとつに声をかける。なんとも奥優しい。
お二人にクラブハウスサンドを頼んでしばし昔話、と思いきや、いきなり話題は夢株式会社。
そのビジネスモデルをしっかりチェック。なるほどKAIくんの技術力あってのビジネスなんじゃのう。人間80歳でも最先端の技術(の本質)を、年齢関係なく理解できることに、なにか不可思議な気持ちで一杯になる。
O川さんは教育者からビジネス世界に転進し、しかし教育者時代から、女学院を英語教育に特化すると言うビジネス感覚。女子教育にとって女子生徒に自信を植え付けることの重要性を強く主張し続けた先見性。
その論文集の献本を受け、それを新潟の女子高で教師をやっている友人のY岸くんに、こんなすばらしい教師がいるんだといってそのままくれてやったことは、O川さんには内緒です。
こう言う昔話が増えてくるのは、老いの証拠。
桜並木に老夫婦を見送りながら、また希望が膨らんできたKAIであります。 KAI