ウチダ先生、更新ないなぁなんて思ってたら、案の定風邪を召されたそうで。お大事に > ウチダ先生。
ウチダ先生ではないけれど、このKAIも1日でも倒れれば、大変なことになります。もちろん1週間でも会社を不在にしても、仕事はまわっていく仕掛けですが、これはあくまで外からの、メールを始めとしたチェックあってのこと。
万一このチェックができない状況に陥れば、1週間後の現場復帰は至難の業です。
すなわち1日600通のメールが5日間で3000通。土日100通前後をあわせて3000通余りのメールとその関連の仕事のチェックが待っているからです。
しかしもっと大きな問題があることに、気づきました。
KAIにもし万一のことがあっても、家族や会社に迷惑をかけないようカミさん会社それぞれを受取人にして、億円単位の生命保険がかけてあります。
うかつにも夢株式会社のそれを失念していました。
夢株式会社は、できたばかりの会社です。某SMBCからえっちゃんの50坪の自宅を担保に融資を受けたばかり。まだ事業が軌道に乗るまで、時間が必要です。
夢株式会社は、えっちゃん、YUM、そしてKAI3人の夢の会社です。その肝心要のKAIが逝ってしまったら、空中分解しかありません。
そうなっても最低限、えっちゃんが自宅を銀行に取られないよう、夢株式会社の銀行への借金だけは返せるだけの生命保険に入る必要がありました。
今週末3/3、父親の7回忌のために京都往復1200キロのドライブが待っています。
当然これに保険の契約は間に合いません。
今回は、娘とリキも一緒です。安全運転に徹して、行ってまいります。 KAI
p.s.これを読んで会社に駆けつけてくればあなたは本物です > 某保険会社外交員の方
格差社会、格差社会と毎日喧しい。
届いたばかりの日経ビジネス最新号に、武田徹と言う東京大学特任教授・評論家が、次のようなことを書いている。
朝日新聞社の月刊オピニオン誌「論座」1月号の特集「現代の貧困」に、「『丸山眞男』をひっぱたきたい」という論文を寄稿した赤木智弘氏の発言が注目を集めている。
赤木氏はコンビニエンスストアで週3日働くフリーターだ。副題の「31歳、フリーター。希望は、戦争。」は内容を正確に表しているが、これを若者が好戦的になっている風潮の一例と見なすのは早計だ。論証を注意深くたどれば、そこに格差社会の最底辺に追いやられた弱者の立場からの切実な異議申し立てがあると気づく。
(日経ビジネス、なぜ若者は「戦争と結婚」なのか、武田徹、2007/2/26、p.188)
このあと彼は、この階級閉塞に追い込まれた弱者には、閉塞状況を揺るがす戦争に期待するしかないのだと、赤木氏に理解を示す。こんな話、試験の成績が振るわず、学校に火をつければすべてなかったことになると考える幼稚な学生と一緒と、切り捨てればいいものを、こうしてバカもてはやす。
更に彼はつづけます。女の同様の閉塞状況の結果として、若い女性に結婚願望があると言う。別にKAIの娘も、そのたまに一緒させていただく娘の友達の女性にも、結婚願望など、皆無。
つまりこんなばかな話はない。
まるでこんな話がいかにデマカセであるかを、ここで証明しよう。
目の前にいるハイタイドのバーテンダーであるユーイチ君は、弱冠26歳ながらこのハイタイドのオーナー経営者です。18歳で故郷の鹿児島から上京し専門学校に通った後思いの職業への就職を果たせず就いたのが、バーテンダーでした。
バーテンダーと言えば見た目は花形の職業に見えるかもしれませんが、見習いバーテンダーにとって、深夜に及ぶ長時間の立ち仕事の割りに時給は最悪。別にこれはバーテンダーに限った話ではありません。すし屋の見習い、床屋の見習い、美容師の見習い。みな安い給料で働くのです。
つまりそのユーイチ君。ここ何年も貧乏生活だったってことです。その彼が一生懸命バーテンダーとして働くこと6年目、1軒のバーを手に入れるチャンスにめぐり合います。
休日はいつもサッカー仲間とサッカー。彼のまわりには、すばらしい友達にあふれています。
結局、その一人の友達と共同で、弱冠20代半ばで東京のど真ん中に新しいお店を手に入れたのです。しかもつい先日には、彼女と結納を交わして、嫁まで手に入れました。
こう言う話は報道されないだけで、決して例外でもなんでもありません。むしろKAIの周りは、こういった話にあふれていて、ニートなんぞと言う種類の人間についぞ出会ったこともありません。
こういった話の一体どこに、格差社会があって、しかも、それが固定化しているなどと言うのでしょう。
唯一考えられるのは、KAIが太陽の側にいるってことです。太陽からは永遠にその陰をみることはありません。しかしこれを格差と言うなら、格差は大昔からあった証だし、格差は永遠になくならない証でもあります。
しかし格差はなくならないけれど格差を超えること、すなわち陰の部分から太陽の側にまわることは、誰にでもできます。
それは、冒険スピリッツと言う太陽を、心に抱くだけでいいのです。
ユーイチ君もKAIも、このスピリッツで結ばれているのです。 KAI
このところの、断塩までもいかないけれど減塩効果のせいでしょうか。今朝の朝ごはんの、毎日飲んで慣れているはずのリケンのわかめスープがやけに塩(ショ)っぱい。見るとナトリウム800ミリグラムとある。0.8グラムでこうなのか。
人間の味覚の不思議に驚くと同時に、同じような話を思い出した。
むかし、と言っても随分昔の20数年前、日本のスコッチモルトブームの仕掛け人、その先駆けであるボウモアと言うお店に初めてつれていってもらった時の話です。
会員制クラブであるボウモアには、3種類のシングルモルトが用意されていて、それぞれをテイスティングして自分の好みのボトルをキープする、そう言うシステムのお店でした。
この3種類のモルトとは、「ボウモア」、「オーヘントッシャン」、「グレンガリオッホ」と言う名前で、KAIが選んだのは結局「グレンガリオッホ」だったのですが、なぜか「ボウモア」を飲んだときに塩の味がする。
すぐにこのわけがわかります。「ボウモア」はアイレイ島と言う海に囲まれた純白の蒸留所からうみだされたモルトだったのです。
案の定、このテイスティングの最後に、アルコール度数が50何度あることを示すためにステンレスのテイスティング用皿に、この「ボウモア」を注いで、その平たい皿に火をつけた瞬間、青白い炎と一緒に、なんともいえないモルトと塩の香りがするではありませんか。
話は変わりますが、冬場のテニスの前によく、あったかいコーヒーをファーストフードのお店で買います。これを、持ち帰り用の紙カップでフタがついたままの飲み口から飲む。あまりのまずさと言うか、味のなさに驚いて、あわててフタをはずして飲むと、この味の違いは、強烈です。
そうか味ってこの香りと一体不可分なんだ。
おそらくこれは、味覚と嗅覚これに視覚が三位一体となって人間の感覚を支えている証拠なんであろうと、ひとしきり感慨にふけった休日の朝であります。 KAI
はてなからこんなメールが届いた。
♪れいこん(id:reikon)のはてなピックアップ その103♪
最近、駅などで配られるフリーペーパーが大人気だとか。なかでもリクルートによる『R25』は、並んだ瞬間になくなるほど愛読者が多いそうですね。
そんな『R25』の本日(2/22)発行分の特集に、はてな代表の近藤淳也が登場しています。「3兆円クラスのスケールのデカイ男になれる?」という特集で、「自分だったら3兆円をこう使う」というインタビューに答えています。
私だったら3兆円の使い道なんて、とてもじゃないけど出てきません。皆さんはいかがでしょうか。さて、近藤淳也の3兆円はいかなる使い道なのか、今日発行の『R25』をご覧くださいね(手に入れていただけるとよいのですが)。
皆さんはいかがでしょうか、にKAIは二つの選択肢があります。
この3兆円が返済不要なら、きわめて話は簡単です。利息もつかないし返済不要の資本金に組み入れて、思い切り使い倒します。
もしこれが返済要の金ならそのまま有利子負債ですから、即刻お断りします。と言いたいところですが、公定歩合が上がったものの今のままの低金利なら、多少借りてもいいかなと思います。
いずれにせよこの3兆円と言うお金ですから、これをタダで使い切るなど、どう考えてもあり得ません。つまりこれは、二つの選択肢とも3兆円を使っていかにしてこの3兆円を上回る価値を創造できるか、です。
すなわちこれにKAIはこう答えます。
1兆8千億円は、成長する高度化アプリケーションをあらゆる分野で開発するために、使います。6000億円は、この成長するアプリケーションのサポートインフラの構築に使います。残りの6000億円で、国内にバックアップセンターを含むサーバーインフラを構築します。
だから3兆円、使うのなんて、簡単です。難しいのはそこからいかに収益をあげるかってことです。
KAIモデルを基にしたアプリケーションを開発していく限り、利用料売上は、消費者における電気代や水道代と同じように一般企業の毎月の、当然の経費として支払われるはずです。
これが例えば一つのアプリケーションで月額10万円として、平均契約アプリケーション数2.5、契約社数100万社。とすると月の売上2500億円、年間3兆円。しっかり元がとれますね^^。
そして、この世界の最大のメリット。
受託請負と言う人月(にんげつ)商売を駆逐し、何千名と言うソフトウェア技術者に対してGoogleのようなより付加価値の高い仕事を提供することが可能になります。
しかしトヨタや本田を考えれば、これもあながち夢ばかりと言えません。
またやる気が出てきました。ありがとう > れいこん KAI
可愛くないんだから、プンプン。
昨日娘にもらったぬいぐるみを、咥えたままはなさないリキ。
朝の散歩に出かけようとして、じゃまになるから置いておきなさいと言っても言うことをきかない。
目の前におやつのチキンジャーキーを置くとぬいぐるみを離すかと思ってやったら、なんとぬいぐるみを咥えながらチキンジャーキーに食らいつく。あきれた。
もうしらないよ、とブツを咥えたままの散歩をスタート。
しばらく行っていつもの場所でオシッコ。さらにしばらく行っていつものツツジの垣根でウンチ。ウンチの後は、いつも通りツツジの葉っぱに顔をすり寄せながら、進んでいく。んっ、待てリキ。このままこの葉っぱにこすりつけた、よだれでべとべとのぬいぐるみを部屋の中に持ち込まれたらたまらない。
即刻ツツジの葉っぱの臭い嗅ぎ、禁止。
ツツジの生け垣が終了して、リキも元気が戻ったことだし、久しぶりにハーフコースの道に進みかける。と、ここでリキが止まる。ん、ウンチ?
そうでもなさそうなので、さらに進む。また止まる。
どうしたのリキ。
そうかハーフコースはまだイヤなのか。ごめんごめん。
結局途中で引き返して、ショートコースで散歩終了。
終了間際に、おすわり、まて、で10メーター先から、つけ。これでしっぽをふりふりかけ寄ってきてつけをする。ここで、ふせをさせて両前足をそろえさせる。そこにお箸を横におくようにチキンジャーキーをおいて、まて。12秒またして、よし。
さすがにこれでやっとぬいぐるみを離して食らいつく。がすぐにぬいぐるみも咥える。ってまだ口の中にジャーキーが残っているからぬいぐるみも一緒に、口をもぐもぐさせている。ほんと、おまえにはあきれたよ。
さて水道の水で顔と身体を洗って足もきれいにする。
これじゃ顔を洗えないでしょリキと、洗面器でこつんと一発なぐると、やっとぬいぐるみを離した。すかさずKAIの背中に隠して、リキの顔を洗い身体と足をふいて、いいよ。またブツを咥えて階段を駆け上がる。
けっこう根に持つタイプのリキ。
このあとKAIが朝ご飯を食べてる最中に、ソファーの上からぬいぐるみをKAIに押しつけてくる。ヒャー、ビチョビチョじゃん。いらんってリキ。
食事が終わってリキにゴハンを用意してやる。おいでリキ。
ソファーにふせたまま、寄ってこない。
もういいかげんにしなさい、リキ。 KAI
先日、NHKの番組「冒険病理学者になる」の話をとりあげましたが、この番組のムック本が届いて、あらためて家森幸男と言う研究者の凄さに、感動すら覚えてしまいます。
長いですがその一部を引用します。
人間はなぜ、あえて食塩をとるのか
さて、この回を締め括るにあたって、食塩についてもう一度触れてみたいと思います。
多くの人が食塩を過剰にとっていることは、汗からも知ることができます。汗をなめるとしょっぱい味がしますが、それを当然のように思われている方も多いでしょう。実はそれは間違いです。実際にはマサイ族の汗はしょっぱくありません。
食塩を減らしていき、かいた汗に含まれるナトリウムの割合を測った実験があります。すると、食塩を減らすとナトリウムの割合も減っていくことがわかりました。ホルモン系がちゃんと調節しているのです。長時間動いて汗をかきつづけると、汗が次第に水っぽくなる経験をしたことがある人もいるかもしれません。時折、汗をかいたらナトリウムが出るから、食塩を補わなければいけないという話を耳にしますが、そんなことはありません。そもそも汗をかくのは、体内から水分を蒸発させ、その熱を利用して体温を下げるのが目的です。むしろ、汗をかくことで不要な食塩を体外に出しているわけですから、あえて食塩をとるのは逆効果といえます。
(中略)
では、マサイ族の食生活でみたように、自然の食材を食べればナトリウムは十分にとれるというのに、どうして人間はあえて食塩をとるのでしょうか。脳卒中や高血圧の原因という側面からだけ考えると、どうもナトリウムは完全に悪役のように思えてきます。しかし、カリウムとナトリウムの比率のところで触れたとおり、ナトリウムはそもそも人間にとって、細胞の生命活動を維持するために欠かせないものです。そのため、人間には基本的にナトリウムに対する欲求があり、ナトリウムが豊富に含まれている食塩もおいしく感じるものなのです。
ですから、食塩をまったくとらない方がよいとまでは言い切れません。問題は、その食塩を過剰にとるようになったことにあります。その理由は、食料の保存の必要からでした。肉や魚を塩漬けにして保存することは、世界各地で行われています。漬物も保存食の一種です。おいしい食塩も、いくら保存のためとはいえ、多量に含まれていればしょっぱくて食べられません。しかし、それを隠すために油で揚げたり、砂糖で甘くしたりするようになったのが危険なのです。こうした事情から、人間は過剰な食塩をとるのに慣れてしまったのです。
今ようやく世界で、塩分のとりすぎが健康を害するということが認められつつあります。しかしその一方で、世界を取り巻く都市化の影響により、食塩を多量に使用した食文化が確実に広がってきてもいるのです。(p.59-61)
(長寿の謎を解く、NHKムック、家森幸男、2006/11)
ここに書かれている話が、とっくの昔に世間の常識であるのなら、KAIの不明を恥じ入るばかりです。いまのいままでKAIは、運動で汗をかいた後は塩分摂取が必須であると信じてきたくちですから、まさに目からウロコ。
そしてもっと怖いのが後半のお話しです。
おそらくこの番組は、NHK以外では絶対に放映できないはずです。なぜならここに書かれている事実は、民放の重要なスポンサーである食品メーカー、マクドナルドといったファーストフードその他諸々、すべてを敵にまわすと言わざるを得ない内容だからです。
つまり食品メーカーのひとつひとつの食品やファーストフードをとりあげてみれば、それぞれに含まれる塩分は確かにその中だけにおいては適量であっても、それらが合わさると、WHOの出す食塩摂取量の目標値である1日6グラムを、はるかに上回る量の塩分を摂取することになってしまうのです。
だからといって食品メーカーは自社の製品を必要以上の塩分ひかえめにするわけにもいきません。売上の決め手である味を落とすわけにはいかないからです。
前掲書によれば、本来人間は、わざわざ食塩をとらなくても自然の食材そのものから、生命維持のために必須のナトリウムとカリウムをバランス良く取れるそうです。
つまりこれはあえて摂らなくてもいい塩分を強制的に摂取させられてしまう塩の公害、塩公害問題と考えて、これに対処する必要があると言うことです。
とすれば公害問題は、常に経済との闘いです。とても一筋縄ではいきません。
しかしKAIは百歳まで生きる必要があります^^;。にもかかわらず親父は70代で脳梗塞でなくなり、遺伝的問題のハンディを負っている可能性があります。ですからこれは家森のとなえる食事による長寿法の実践しかありません。
まず朝食。もとから生玉子には醤油をかけませんが、納豆のたれ。これを使わないようにして、納豆はカラシのみでかき混ぜることにします。あと唐辛子の白しょうゆ漬け。いままで唐辛子とともに瓶に入った白しょうゆをどぼどぼとご飯にかけていたのも、止めます。
昼ご飯。最近はほっかほっか亭のシャケ弁大盛り^^;。こちらのタレのしょう油とソースは、今までも使っていませんが、あとのシャケそのもの、白身のフライ、ちくわの天ぷら、野沢菜、昆布すべて塩が一杯です。ダメだシャケ弁。
昔に戻って、ノー添加物宣言したセブンイレブンのおにぎりにするかなあ。
夕食。チーズも塩分のないものに徹底する。あとハイタイドのまかないメシ。こちらはDr.Yamoriの長寿食のススメ―カラダに美味しい世界の料理をプレゼントしますから、よろしくです。 > ユーイチくん、フクダくん KAI
娘の献身的共振治療が効いたのでしょうか、リキの元気が戻ってきました。ウンチも軟らかいながら下痢は止みました。食欲も以前と同じ量を食べるし、なによりリキの表情^^;がよくなってきました。
いままで1日、2日下痢になることはあっても、これが1週間嘔吐を伴うなんてのは初めてです。こちらの気分も多分に影響しているとは思いますが、どんどん元気がなくなって物憂げな表情は、なにかをじっと耐えているようでとても痛々しくてこちらまで胸が痛くなります。
一時は、気の流れを変えるためにカミさんのいる京都に連れて行こうかとも思い悩みましたが、もしほんとにそうなったら胸が張り裂けてしまいます。
実はいまこれを、静岡のホテルで書いています。
大学硬式庭球部の、卒部以来初めての同期会にきています。
だれもかれも知命を迎えて、30数年ぶりの顔は、みな良い顔になっていました。二次会のカラオケに、医者になったS木くん以外がなだれこみ、各自のキャラクターオンパレード状態にすっかりよっぱらってしまいました。
さてこれから速攻で東京へ戻ってリキの散歩です。
と言うのも、娘はおととい、自らの治療のために医者に行った後、久しぶりの長期(といっても5日間だけどね)バカンスで京都のおばあちゃんちへでかけてしまい、頼みのウッシーも茨城の実家へと。ですからいまリキは家に一人(一匹^^;)でいます。
さいわい午後のテニスにあわせるように雨も止みそうです。 KAI
2/16付け産経新聞の「断」と言うコラムにこんなことが書いてある。
2月9日の衆議院予算委員会で安倍晋三首相が「平和と民主主義、そして自由を守り、基本的人権を守り、法律の支配を確立」云々と答弁した。(中略)
だが安倍首相の真意は別であろう。首相は「法の支配」と言うべきだった。一字違いは大違い。「法律の支配」と法治主義は大陸法系で発展してきたが、「法の支配」は、自由と人権を尊重するコモンロー(英米法)の根幹として発展してきた。(中略)
一度の言い間違いではない。安倍首相は(私が耳にした範囲で)過去すべて「法律の支配」と語ってきた。(中略)
間違いに気付かない記者や政治家も問題だが、気付きながら、注進しない官僚も問題である。過去の首相演説等が官邸の公式サイトに掲載されているが、そこでは「法の支配」となっている。誰かが、こっそり直しているのであろう。忠臣の取るべき態度ではない。今の官邸は、首相を裸の王様にしている。
(産経新聞「断」、潮匡人(うしおまさと)、2007/2/16、p.20)
ここに書かれていることが事実であるかそうでないかは容易に検証できるけれど、もしこれが事実なら空恐ろしい出来事である。
国の公式記録が、一役人の手で恣意的に書き換えられても、誰も何も言わない。
この一役人が、「法律の支配」と「法の支配」と同義であると認識して無意識に書き換えたとしても、首相が「法律の支配」と言ったのなら「法律の支配」と書かなければいけない。
コラムの筆者の指摘通りなら、首相周辺の人間から、この記事を読んでなんらかのアクションがあるであろうから、公式サイトはそのままに、安倍首相は二度と同じ言い間違いはしなくなるでしょうが、これはすなわち首相およびその周辺に、この二つの言葉を区別するだけの知識が欠けていた証拠となります。
これはこれで、別の意味で空恐ろしい出来事であります。
近年の、企業による品質管理問題、コンプライアンス問題の頻発は、実はこういった基本的な用語の知識の、欠如ないしは無視が根っこにあるのではないでしょうか。
政治の世界も言葉が命であるはずです。
今回は従来メディアである新聞の記事による指摘ですが、その背景に、インターネットによる検証機能の効用があることは間違いありません。
天網恢恢疎にしてもらさず。今回の指摘はこれを地で行く話です。
極論すれば人の生死さえも左右する力を持つ政治家に、緊張感もってシゴトをしていただくためにも、「天網恢恢」は欠かせません。 KAI
丁度1週間前から始まったリキの嘔吐と水状の下痢が、今朝になっても止まらない。恐らく胸にできた巨大なコブ状のガンがとうとう胃腸にまで進行してきたようです。どこか痛いのだと思うけれど、リキの物憂げな表情からそれを読みとれないのが哀しい。
吐くうえにゴハンも少ししか口にしないから、少しずつ体力が落ちてきている。今朝も散歩に出かけようとして3階から階段を3、4段ふらふらとずり落ちるように降りていく。
散歩コースも、ショートコースに切り替えた。水状のウンチで、回収するためのチラシ紙が役に立たない。ティッシュペーパーを大量に持っていって、それでふき取るようにする。
散歩の後、のどが渇くのか、足を洗う水道水の水をがぶがぶと飲む。
散歩であれだけ出しながら、トイレマットでも足りなくてフローリングの床のあちこちに下痢をしまくる。それを踏んだ足のまま、ソファーに横になるから、ソファーのシーツもウンチまみれ。今朝はこのシーツの洗濯で大忙し。
更に今朝はこれで収まらない。
これに、KAIの共振体質の遺伝子を受け継ぐ娘が、反応してしまった。
娘も今朝から嘔吐と下痢を繰り返して、今日は仕事を休んでしまった。こちらはこのところの仕事の疲れのせいもあるけれど、もろに共振現象です。
リキも娘も、この数年間のKAIの周りの邪悪な気をすべて引き受けていることは、理解しています。リキは名前の通りパワー(リキ)にあふれるくらいの元気な犬だし、娘も全日本に出るチアリーディング部の主将をやりとげ体力には自信がある。そんな二人(一人と一匹^^;)でも、こうも簡単に気の流れに支配されてしまうのです。
娘はまだコトバが通じます。しかしリキとは気で会話するしかありません。リキに元気を送っても、物憂げな顔になんの変化もありません。
ひたすらリキの気の流れを変える方法を、今考えています。 KAI
ウチダ先生の幽体離脱の話について書きかけている内、NHK「知るを楽しむ・この人この世界」の再放送がめちゃくちゃ面白くて、方針変更してこちらについて書くことにします。幽体離脱は後日また^^;
このNHKの番組を観て京都大学名誉教授、医学博士家森幸男(やもりゆきお)の研究の軌跡が、面白いようにわかった。そして脳卒中と食事の間の因果関係についても。
研修医時代に多くの死をみとったこと。その無念さは、病気は治療より予防が大切という思いに。そして遺伝的に100%脳卒中になる「脳卒中ラット」を自ら開発、そのラットの食生活改善で発症を防ぎ、寿命をのばせる事を証明した。ならば人の場合、長寿の因子とは何か?家森さんは世界の長寿地域に赴き、その因子を科学的に解明しようと思い立った。
(冒険病理学者になる)
脳卒中と言う病気の原因として家森がまず着目したのが、高血圧。これをラットを使って検証を繰り返す。このとき高血圧ラットと言う遺伝的に100%高血圧になるラットを作り出し、このラットを使って実験を繰り返す。しかし高血圧だけではさっぱり脳卒中にはならない。
そこで彼は高血圧+ストレスを与えてみたところ、見事脳卒中ラットがあらわれた。
しかしいくらストレスを与えても脳卒中にならないラットがいる。なぜか。
これが遺伝的問題であることに、彼は気付いた。
そして誕生したのが「遺伝的に100%脳卒中になる『脳卒中ラット』」です。
これは製薬業界を始めとして世界中の脳卒中研究者に受け入れられることになったのですが、なぜか米国で100%のはずの発症率が30%にしかならない事例が報告される事態に。
これも家森は、その試験中のラットに与える日米の餌の違いであることを突き止めるのです。
米国の餌にはたんぱく質が多量に含まれていたのです。
これまで医学界の常識として高血圧にはタンパクは厳禁と言われていたものが、ここで大きく面舵をきります。
これで家森は、遺伝的に100%の脳卒中発症の危険性を持っていても、食事によってこれを有意に改善することができると言う救いの道を拓くことになります、
その結果、彼は魚のタンパク、今話題の納豆を原点とする発酵物といった食物が、脳卒中の予防に決定的に効果があることをつぎつぎと証明していきます。
しかしあくまでこれはラットの世界のお話。彼はWHOに働きかけて、長寿社会であるグルジア、エクアドル、中国ウィグル族、沖縄の人々の栄養摂取状況を調べ上げていきます。
このストーリーにKAIは、あるある問題のあとだけに、この彼の理学的実証哲学に感服するしかありません。
毎朝の欠かせない魚、納豆、玉子、そしてハイタイドのチーズと言う長寿効果満点の食事。これはKAIが頭で考えて選んだメニューではありません。「欲するものを喰らう」と言うKAIの食哲学のもと、長い間の食生活の中でなぜかこのメニューに収斂していった、単なる結果にすぎません。
つまり、万人に効く食べ物などと言う頭で考えた食べ物ではなく、一人一人の遺伝子が個々に求める食べ物を摂取することにこそ、長寿効果の本質があると言うことです。
このことは食べ物だけにとどまる真理ではないと、KAIは考えているのです。 KAI
だいたい翌日の内容を予告すると、なぜか書きたくなくなってしまうのは、なぜなのか。
と言いながらスピリットとコーチ・カーター、記憶が消えてしまう前に、メモ代わりに。
前者は、実在した中国の格闘家、霍元甲(フォ・ユァンジア)を主人公にしたお話し。後者も、米国リッチモンド高校のバスケットボール部を舞台にした実話の映画化。
両者に共通するのが、この二つとも実話を元にしていると言うことと、もう一つが「愛」です。
自らの放漫さ故に最愛の母と娘を失ってしまった霍元甲が、盲目の女性月慈(ユエツー)の秘めた深い慈愛を得て、真の格闘家として甦る話が前者。
一方は、4勝22敗のダメバスケットボール部のコーチを引き受けたOBのカーター。彼はこのままいけば人生の落伍者必至の自分の後輩達を、バスケットボールと学業の両方に「規律」を厳しく守ることを求め、人生の成功者となるまでに育て上げる。彼の、後輩達への底知れない「愛」を感じないわけにはいきません。
この話をしている最中、なぜかウチダ先生と激しく共鳴し始める。この話は明日また^^; KAI
昨日引用した永井俊哉ドットコム論文編の中に面白い一篇があった。
ワイン愛好家は意中のワインを飲みたいと願うし、恋人はお互い抱きしめ合おうとする。物理的接近を伴わない場合でも、私たちは何かを愛する時、主客の対立を忘れ、対象に自己を見出し、対象と一体になろうとする。これも愛において幅広く見られる特徴であり、後で述べるように、恋人を愛することも、他者の中に自己を見出すことなのである。狭義の人格的愛に特徴的なのは、次の三番目の項目である。
(中略)
ここから、私は、嗜好としての愛から区別された狭義の愛の本質は、他者を媒介として自己の存在を確認するナルシシズムにあると主張したい。
(愛とは何か)
この愛することとは「他者の中に自己を見出すこと」とする永井の主張は、このKAIの人生ながいあいだの実感と、きわめてよく符合します。
これをナルシシズムの範疇とするかは異論があるところです。なぜなら人は宇宙をはじめとして今肌を触れ合う恋人と言う他者さえも、自己と言う人の内にしか存在しないからです。
であるならば万人みなナルシストと言うしかありません。
そうではなく、自己の存在確認は、確かに自己目的でありながら、愛する他者にとっても自己の存在確認と言う、二つの重なり合う心の共鳴事象なのです。
一方的な偏愛が、いま考慮すべき愛と似て非なることからしても、これはあきらかです。
さてコーチのネモト君相手にへとへとテニスを終えて、うちに帰ってきて大量の洗濯。
その合間についつい続けて観てしまった二つの映画に、不覚にも二本ともぼろぼろ涙を流してしまった。
続きは明日^^;。 KAI
西部邁が2/5付け産経新聞のコラム「保守再考」に、女の言葉は換喩であり男の言葉は隠喩であると書いている。
なぜかこの一文が気になって、いまだ記事のある紙面を持ち歩いていたのですが、昨日のこのBlogのエントリーを書いていて、繋がりました。
この換喩と隠喩、これを非常にうまく説明したBlogがありましたのでこれを引用します。
隠喩、提喩、換喩の構造上の違いを記号化すると、次のようになる。
隠喩 {a,x,y,z...}/{a,b,c,d...}
内包的提喩 {a}/{a,b,c,d...}
外延的提喩 {a,b,c,d...}/{a}
換喩 {a}/{f(a)}
スラッシュ(/)の左側は、シニフィアン(表現)、右側はシニフィエ(表現されたこと)とする。各アルファベットは属性を表し、{} は各属性を内包する集合(類や種)を表すとする。隠喩では、シニフィアンとシニフィエは、aを共有するだけである。内包が多いほど、その集合は特殊で外延が狭くなるので、{a}/{a,b,c,d...}は類/種の関係を、{a,b,c,d...}/{a}は種/類の関係を表している。例えば、「ご飯」の場合、“a”に「食事」、“b”に「稲の種子」、“c”に「煮物」などを入れて理解してほしい。換喩に関しては、再びパトカーの例を使うと、「xに乗った人」という命題関数をf(x)、「パトカー」という定項をaとすると、シニフィエがf(a)であることが理解できる。
(永井俊哉ドットコム論文編 比喩で深層心理を探る)
なるほど換喩とは、対偶ではない順序が逆の論理、すなわち叙述、非論理こそ真骨頂と言うわけです。まさにアンビバレントそのものです。
これに対して隠喩は、まともな推論の論理過程にあります。(ただ次元問題は必要です)
西部が先のコラムに、女の換喩が変調をきたしていると述べていますが、音声による換喩(すなわちテレビ映像を含む)と言うレトリックに、ただ人は騙されても、ブログをはじめとした文字情報におけるこの換喩と言うレトリックは、いかにも通用しません。この結果が女の換喩の、変調の原因であることは間違いありません。
そしてこの結果が、女が産む機械として機能しなくなった原因であると、きわめて簡単に男の隠喩が機能し始めるのです。 KAI
人が新しいことを生み出そうとするときは、矛盾に満ちている。
女が産む性と言うことも、動物感覚−アニマル・マインドを読み解く(2)の中に書いたように、女がアンビバレントと言う矛盾に満ちた存在であることと生命を産みだす存在であることとの、この二つの強力な関係に気付いた瞬間、KAIの人生最大の謎は解けたのでした。
同様、男もタネを蒔くだけでなく、仕事においては女の役割をも果たします。
エジケンにタネを蒔いたのが誰かはしりませんが、エジケンが身籠った子は順調に育っているようで安心しました。
梅田サロン中止のお詫び、およびアーキテクチャ変更についての技術詳細レポートの1行1行を丁寧に読みながら、KAI自身の体験とオーバーラップして、思わず涙が出てきました。
技術とは、人そのものです。
その人の人生観そのものです。
人が生まれてくる赤ん坊を、まるで無条件に抱きかかえて受け入れるのと同じように、技術と言う赤ん坊を生みだす仕事は、その人の人生そのものです。
人は、矛盾を受け入れることで矛盾を超えて、矛盾を超えるあらたなるものを生みだすのです。
この矛盾への批判に誰かが書いていた鈍感力(スルー力)も、また意味があるのかもしれません。
ともあれ、このエジケンと言う妊婦の診察は、順調に育ってます、です。 産婦人KAI
本日は立春。1年時計の午前3時です。
そして日曜の朝はNHKたべもの新世紀を観ないと1日が始まらない。今日は辛さすっきり 山里のみそ漬け〜熊本県 湯前町〜と、いかにも美味しそうな味噌漬けがテーマです。
この番組の始まる、朝の6時15分と言う時間が微妙です。
休みの日のリキの散歩と微妙にかぶる時間帯です。
リキ、これ観終わったら散歩に行くからねと言って聞かせたのはよかったけれど、いつもは散歩が終わってから食べる朝ごはんを、今朝は仕事が早番の娘と一緒に食べながら観たのがよくなかった。
いつものリキはじっと番組が終わるまで我慢しているのに、今日はKAIが朝ごはんを食べ始めるのを見るやいなや、背中の方でジャッジャッジャと大量におしっこを始めやがった。
それはそうです、ほとんど1日我慢していたのです。朝ごはんを食べ始めたKAIを見て、一気に我慢の限界です。
とはいえみそ漬け。もうおしっこの音もなんのそのご飯を食べながら、思わずよだれが出そうになるほど美味しそう。娘とテレビのみそ漬けをおかずにして、しばし無言で、娘はご飯3杯めのお替り。いや、ごはん一杯食べる娘でよかったとつくづく感謝する。
食事も番組も終わって、はねちったおしっこにトイレマジックリンを噴きかけそのままにして、さあやっと散歩ですよ。
立春の朝の散歩は、まことに気持ちがいい。雲ひとつない青空にさす陽射しのなんとやさしいことか。まるで生まれたての赤子の肌のようなやわらかさです。
こう言う日は、何事もスムーズにコトが運んでいくものです。
いつもの場所でいつものようにウンチをして、今日は3回もウンチの始末をして、散歩終了。
早番の娘を渋谷まで車で送り、帰ってきてテニスまでしばしソファーでうたた寝をする。
そしてテニス。もう脚がよれよれになるまでのハードテニス。2勝2敗の五分に持ち込めてよしとしよう。
そしてこれからウッシーとウミと一緒にお食事。
立春は、すべての1年のスタートです。 KAI
これも時効だから、話してしまおう。
しかし、これを書くと全国のみやげものの菓子は売れなくなるだろうなあ。
とある県の最大手和菓子メーカーでの20年前のできごと。地方によくある老舗の和菓子メーカーでのお話です。
昼間、その会社のシステム導入の打ち合わせをした後、社長じきじきの工場見学。なるほどなるほど、お土産やで売られている菓子とはこうやって作られていたのかと、菓子製造現場を興味深く拝見させていただいた。
さて時期は晩秋。打ち合わせに没頭して瞬く間に日暮れを迎えて、そろそろお暇する段になる。このときなんでそうなったのか理由はすっかり忘れてしまったけれど、工場に忘れ物を取りに行くかで全員、すでに誰もいなくなっていた工場に入って電気をつけた。
その瞬間、工場のラインの上にカーペット状にいた茶羽ゴキブリが一斉にラインの下に隠れる様を目撃して、一同無言でその場を去った。
恐らく不二家の工場長の感覚とは、こう言うレベルのままであったと思います。
私たちの仲間のbisonはテッチャンですが、毎週のように休み明けの月曜は彼が地方に出かけて買ってきたお土産が、会社の流し場においてあります。
KAIはその出来事以来、一度として菓子に手をつけたことがありません。
ゴキブリのフンが菓子のアンの隠し味とは、なんとも不思議な感覚です。
こんな製造現場の延長線上に、森永であるとか山崎であるとかの製造ラインはありえないことは、素人のKAIでも容易に想像がつきます。
とすれば、すべての工場を一から作り変えると言う出直し的再生以外に、ペコちゃんに笑顔を取り戻す方法はあり得ないと思う、今日このごろであります。 KAI
これを読むとつくづく中国と言う国は野蛮な国であると思う。
中国の弾道ミサイルによる衛星破壊実験で発生した約10センチ以上の破片(デブリ)が地球の上空を大量に取り巻き、国際宇宙ステーション(ISS)や人工衛星が危険な状態にさらされていることが米民間分析機関によるコンピューター画像の分析で明らかになった。
(中国の衛星破片、軌道にびっしり…人工衛星などに脅威)
普通実験と言えば、核実験でさえ他国への影響のないよう周到に準備されると思うが、いったいこれは、メチャクチャではないか。
実験を計画した科学者がこの事態を予測できないほどバカがそろっているとは思われないから、恐らくこれは科学者の反対を押し切って実験を強行した軍部のはねっかえりの仕業に違いありません。
これを中国中枢部が統御できない様相に、KAIは非常に恐怖感を覚えます。
今はとりあえず北京オリンピックまでと国が一つで動いてはいますが、これが終わった後の政治と経済にカタストロフィが襲うような、そんな恐怖感がしてなりません。
そのとき中国政府が取るシナリオ、台湾侵攻。ぶるぶる寒気がしてきました。 KAI
大方の経営者で、自分の会社の試算表を読める経営者はそう多くはいません。
自分の会社の試算表を読めない経営者は大概、信頼していた経理担当者に1000万持ち逃げされると言うような苦い経験をしているはず、とKAIは思っています。
経営者が試算表を読めないと言うことは、車の運転において運転席から前が見えないこととまったく同じ意味です。
え?前が見えないでは運転できないでしょう?
その通り。実は自分が運転していると思っていたハンドルは、豊島園にある遊園地の車の幼児用のおもちゃのハンドルで、実際はその横にあるハンドルを、親すなわち経理の人間が操作していたりするのです。
当然交通事故を起こせば、事故自体を認識できない経営者をよそに、悪意ある経理担当者が事件発覚前に保身に走るのは目に見えています。ホリエモンと宮内の関係そのものです。
前置きが長くなりました。
そうならないために、今日は夢株式会社のYUMとウッシーの簿記の勉強会です。
簿記の基本は、B/S、P/Lの理解です。
にもかかわらず世間の簿記のイロハは、このB/S、P/Lの理解はいつも最後です。
これにかかんに挑戦してKAIが、以下のカリキュラムで本日90分の講義を行う。
■B/S(バランスシート、貸借対照表)とP/L(プロフィット&ロス、損益計算書)を絵で理解する
■取引と仕訳
■貸方借方、右と左
■事例研究その1・家庭の仕訳
■事例研究その2・夢株式会社の仕訳
■B/S、P/Lの真の意味とは
つまりB/S、P/Lの絵の形さえ目に焼き付けてしまえば、あとはありとあらゆる仕訳を、その場で自由自在に簡単にできるようになります。
はてさて、本日の講義の成果やいかに。ある方の乱入で、ひとまずこれにて閉店。 KAI