そもそもアプリケーションの「肥大化サイクル」はなぜおきるのか。これをKAIモデルを使って説明したのが、ASPサービスと言うビジネスモデルの本質を読み解く(2)と言うエントリーであり、アプリケーションの「肥大化サイクル」とはすなわちカスタマイズ問題のことであると言うことであります。
このKAIモデルについては、KAIモデルをキーワードにしてサイト内検索で出てくるエントリーを最初からぜひ読んでみてください。
ここで「肥大化サイクル」の具体例を説明しますが、たまたま見つけた設計者の発言さんのエントリー販売管理システムの「会計3要素」を使わしていただきます。
卸売業向けの販売管理システムは、ソフト技術者がシステム設計を学ぶためには最良の案件である。まず卸売業の企業数が多いということがその理由のひとつだが、もっと重要なのは、骨格が共通している点だ。個々の企業の特性に合わせて販売管理システムにはさまざまな違いが生じるが、基本的な骨格は同じである。
その骨格とは、筆者が呼ぶところの「会計3要素」、すなわち「仕入」、「売上」、「受払」だ。販売管理システムはこれらの要素を周到に取り扱って、その数字を財務管理システムに渡さなければならない。それらが集計される過程で企業の特殊性は捨象されてしまう。そういうわけなので、その骨格を正しく理解しておけばシステム設計はぐっと楽になる。武道において腰や腹の安定が基本中の基本であるようなものだ。
ここにあるように、この内容は入門者向けです。入門者向けですが「基本的な骨格」と書かれているように、一般的な販売管理システムを設計するための基本中の基本の要諦です。
しかしこれを実際の業務に適用しようとした瞬間に、困難な問題にぶち当たります。
それは、「売上」も「仕入」も「支払方法」と言う決済方法の問題抜きに、どんな1取引も仕訳できないと言うことです。
上掲のエントリーでは「卸売業向け」と断り書きがあるとおり、支払方法は「掛売」を前提にしています。しかし現実の卸売業は多彩です。必ず「代引き」があります。最近は「カード」「自動振替」も増えてきました。あ、もちろん「現金」は必須です。
さすがにコンビニ払いはみかけませんが、さしてB2Cとの違いも見出せなくなっているのが現状です。
そこで支払方法が「カード」の「売上」を考えて見ましょう。支払方法が「掛売」の場合はそのまま「売上」=(顧客の)「売掛残+」となりますが、「カード」の場合はそうはなりません。最終的に「売上」=(カード会社の)「売掛残+」となるのですが、顧客の与信管理、請求管理が「掛売」のままでいいわけではないと言うのは、素人の方でも簡単に察しがつくはずです。
かようにしてカスタマイズが始まるのです。
最初は「掛売」前提のシステムが組まれます。ところがクライアントの要求(ニーズ)で支払方法を増やしていくわけです。
支払方法「カード」の為の新たな与信管理、請求管理システムがカスタマイズされます。
それもこれらは「売上」だけでなく「仕入」も、まったく同様なのです。そのため当然買掛支払管理システムもカスタマイズの連続です。
さらに続きます。正の取引はこれでいいでしょう。しかし負の取引はそうはいきません。
負の「代引き」もなければ負の「自動振替」もありません。もちろん負の「現金」などあり得ません。
ところがシステムはなんでもありです。マイナスの代引き伝票が出てきたり、マイナスの現金領収書が印刷されたり。
もういいでしょう、これをどうやって解決するのかが問題です。
成長するソフトウェアの条件は、こういった「支払方法」であるとか「会計3要素」だけでなく、一つの「業界」におけるあらゆる「業務」「業務機能」を最初から前提として設計されたシステムである必要があります。
さらにその設計概念を支えるユーザーインターフェイスである必要があります。
はじめて車を設計したときのハンドル、ブレーキ、アクセルと言うインターフェイスは、その初期段階において誰も規定できていなかったと同じように、初めての「真」のアプリケーションのユーザーインターフェイスは、いまだ誰も定義していないとKAIは考えています。
すなわち成長するソフトウェアのユーザーインターフェイスこそ、この問題の最終解であると言うわけです。 KAI
NHK美の壷。今回は藍染め。
以前青は藍より出でて藍より青しで取り上げた、あの藍染です。
伝統的な工法で藍染めを手がける、矢野藍秀さん。
矢野 「藍は染まったあとも生きてますから、色がどんどん年をおうごとに落ち着いてきて、もっと色に冴えがでてきて、より色がきれいになっていく。それがほんまの藍ですね。」
普通に考えると、時間が経つにつれ色は褪せていくものだと思うけれど、藍は全く逆です。藍染めした着物の、5年経ったものと20年経過したものと二つを画面で見比べると、5年のほうがどんよりした青であるのに対して、20年経ったものは澄み渡るような鮮やかな青であることに、とても驚かされます。
こういったことをなんでもソフトウェアに結びつけるのは明らかに職業病^^;ですが、これは成長するソフトウェア、いわゆるオンライブテクノロジーに通ずるものがあります。
すなわち普通のアプリケーションは、年月が経つと足りない機能や変更を余儀なくされる機能が日増しに増えてきて、そのメンテナンスに日々追われると言うのが、この業界の常識です。すなわちアプリケーションが色褪せるわけです。
これに対して成長するソフトウェアは、違います。
もちろん成長するソフトウェアも、機能が不足すれば機能を追加するし、必要なら機能も変更します。
では何が従来のアプリケーションと違うのか。
それは藍染めと一緒で、年月が経てば経つほど機能と言う「青」が洗練され、機能の「青」の深みが一層増していきます。
つまり、成長するソフトウェアの機能は、最初から成長、すなわち追加変更、を前提に設計されているため、年月を経過することにより、ソフトウェアにはつきもののバグ自体が修正され品質が向上するとともに、必要とされる機能が、標準機能として日常的に追加されることで、業務がかかえる課題の解決を容易に図ることができるのです。
これはSatoshiさんがCNETで述べている「肥大化サイクル」とは似て非なるものです。
こんなことになってしまったのには色々な理由があるが、根底にあるのは「新しい機能を追加してこそ自分の存在意義を主張できるエンジニアたち」の存在であり、「豊富な機能=良いもの」というほとんどのソフトウェア・プロジェクトに暗黙の了解のように付随しているデザイン・プリンシプルである。これは、Windowsや限った話ではなく、Java、Flash、WWWブラウザーというさまざまなプラットフォームで、起こっている。この「プラットフォームの肥大化」こそが、「パソコンの発売当時から比べてCPUは何百倍もの速さになっているのに、体感速度は速くなっていない」理由である。
この「バージョンアップのたびに機能が増えてどんどん肥大化して行く」という、過去から現在までの他のあらゆるプラットフォームが陥ってしまった「肥大化サイクル」・・・(以下略)
(UIEngineのデザイン・プリンシプル)
(2万行のソフトウェア・プラットフォームは可能か?)
もちろん彼が言及しているのはプラットフォームについてであって、アプリケーションには触れていません。しかしこれはアプリケーションについてもまったく同じことが言えます。従来からのアプリケーションのままで機能追加やメンテナンスを繰り返すことは、そのまま「肥大化サイクル」への道を突き進むことに他なりません。
これが成長するソフトウェアでいかに解決されるのか、もう少し具体的に説明しましょう。以下次回。 KAI
この記事を読むまで、本人がやったと言うんだからしかたないよな、と思っていたがとんでもない間違いでした。
罪を犯してもいない人間が逮捕される。これだけでも恐怖であるけれど、その後無条件に3週間留置場に留め置きされ検察、裁判所を手錠につながれてつれまわされ、起訴期限ぎりぎりまで自白を強要される様は、終戦直後から20年間続いた冤罪大量生産時代を彷彿とさせます。
当時がどうであったか知る由もありませんが、今の時代の警察、検事の状況は、おおよそ想像がつきます。
そもそも彼らが、犯罪と言う事象からリアリティそのものを喪失しはじめているのが原因ではないのかと、KAIは強く思います。
もう少しわかりやすく言うと、罪を憎んだり義憤にかられて彼らは仕事をやっているのではなく、ただ単に各警察署に割り当てられた犯罪の種類別検挙目標件数と言うノルマを達成するためだけの、ロボットと化しているのではないかと言うことです。
これは、以前記号と意味、その意味の力を取り戻す社会とはに書いた児童相談員と一緒です。
なぜそうなってしまったのか、どうすればいいか。もちろんこれは重要ですが、もっと重要なことは、これをこの前掲の記事以外メディアが取り上げないことです。
ジャーナリスト宣言などと言う言葉がいかに空虚であるか、この一事をとってもあきらかです。
つまりメディア自体も、ニュースそのものからリアリティを喪失しているのです。
ノルマとしての社説など、もうよろしいのではありませんか。それよりなにより、メディアしか救いの手が及ばない人々に手を差し延べると言う、ジャーナリスト、ジャーナリズム宣言をゴシックで掲載されたほうが、よろしいのではありませんか。 KAI
人はなぜ他人を見下すのでしょうか。
この佐々木俊尚氏のCNETのブログ記事に登場する毎日新聞記者は、取材相手である「がんだるふ」とHN(ハンドルネーム)を名のる男性を、取材を通して明らかに見下しています。
先日もタクシーの運転手が、自分が道を知らないのを棚に上げて、気弱そうな女の客とみれば横柄な態度で客を連れ回し割高な料金をふんだくる話を聞いたばかり。
またある経営者の中には、その仕事のスタッフの力量をまるで正しく評価するだけの能力も持ち合わせないままに、自分の価値観でもってそのスタッフを支配しようとします。
そう言えばウチダ先生のBlogにこんな話があった。
均等法に私はそれと似たものを感じたのである。
「要するにみなさん、ぶっちゃけた話が、いい服着て、いい家住んで、美味い物喰って、いい車乗りたいんでしょ。ねえ、本音で行きましょうよ、ウチダさ〜ん」というようなことを耳元で言われたような不快感を覚えるのである。
たしかにそのような言明は大多数の人間にとっては自明の真理であろう。
けれども、「いや、世の中そういうことばかりじゃないんじゃないの」という人々が少数なりとはいえこの世にはいるし、いないと困る。
(ぷるぷる)
こういった他人を見下す人間と言うものには、これを意識してやるかしないでやるかにかかわらず共通するものがあります。それは自分の立場を他人より上に置いていると言うことです(見下すって言うんだから当たり前といえば当たり前^^;)。
記者も、運転手も、経営者も、相手より自分の立場を上において物事を考えているのです。記者はあんたのことを記事に書いて「あげる」、運転手は客を連れてって「あげる」、経営者はスタッフに仕事を「あげる」しお金(給料)も「あげる」と言う具合です。
だからまったく逆の立場になると、彼らは弱い。こういった他人を見下すタイプの運転手は、客に間違いを指摘されると逆ギレするかごまかすかしかない。経営者もお金をくれる客には、自分の信念を曲げてでも尻にくっついていく。
見下すことに慣れた記者も逆の立場になると、とても面白い(興味深い)反応になると、前掲の佐々木氏の記事に紹介されています。
新聞社も、ようやくそのことに気づきつつある。「ネット君臨」取材班の担当デスクである花谷寿人デスクは、毎日新聞の「発信箱」というコーナーで、「ネット取材考」というコラムを昨年末に書いた。彼はこう書いている。
ところがいきなり、ネット社会の怖さを感じることになる。相手が取材された内容を、直後にブログの日記やネットの掲示板に書き込む。新聞記者のかつての取材は1対1の関係だった。それが大きく変わり、記者個人の名前や取材の仕方が不特定多数の人々にさらされる。メディアもそういう時代を迎えたことを思い知らされた。記者は名刺を出すことさえ、ためらうこともある。
要するに、オープンな社会では、彼らの依ってたつ単一の立場と言う価値観が見事に通用しなくなると言うことです。2チャンやブログが、こういった既存の価値観の無価値化にいかに大きく貢献しているか、如実に示す絶好の事例です。
そしてもう一つ注意することがあります。2チャンやブログが書き物、すなわち文字情報であることです。
件の記者も、この文字情報にはきわめて弱い特性があります。いままでニュースソースを秘匿することでその情報価値を高めてきたものが、文字情報としてオープンにさらされる。記事の信憑性が白日の下にさらされるのです。これはたまったものではありません。
タクシードライバーも、これもひとたまりもありません。理不尽なことをする運転手の、その後ろにあるタクシーカードを持って帰って、その中身をタクシー会社、安全協会、国交省にメールを送ればいいのです。やがて彼は最後は二種資格を取り消されることでしょう。
経営者も例外ではありません。経営者に対して2チャンやブログに実名入りで書くわけにはいきません。これは経営者との間のメールを利用します。そして最後は契約書です。
彼らのあなたを見下す根拠は、実はそんな明確なものではありません。単に見た目であったり、ひょっとするとあなたの声だったりします。つまり追求されれば説明できないものばかりです。
こんな彼らにも、文字情報が有効であることは説明するまでもありません。最後はこの文字情報にうむをいえなくなるのは明らかだからです。
そもそもなんでこんなことを書くのかって。
見下した人間に鉄槌となる東京地裁の判決が今日、出ました。
当然勝訴です。
とても相手方は控訴は無理でしょうから、この判決は確定します。
人を見下すことの代償は、きわめて大きいのです。 KAI
本日やっと夢株式会社の融資契約が完了した。
資本金と合わせたこの資金で、この5月には新サービスを立ち上げ、さっそく6月から3年間、毎月100万単位のお金を返済していくことになります。
しかしそれにしても、新しい会社が事業資金を得ることがいかに大変か、18年ぶりに思い知らされた。
銀行からみれば、新会社の信用はゼロ。当然担保を要求されても文句は言えない。50坪の土地に根抵当を入れ、親会社の包括連帯保証をし、やっと契約にこぎ着けた。
18年前会社を立ち上げた時は、まったくこういった知識はなし、取引する銀行はなし、親会社もなし、ただあるのは友人が貸してくれたわずかな資本金のみ。
そんな中でS友生命の、保険のおばちゃんに新宿の国金と言うところがお金を貸してくれると、教えてもらった。藁にもすがる思いで西新宿の国金に行く。意外に簡単に、あっさりと300万貸してくれた。今から思えばへでもない300万、当時どれだけ嬉しかったことか。いまでもあのときのことは忘れられません。
しかしすぐに資金は足りなくなる。もう時効だから明かしてしまおう。ある時某R社に勤めていた友人が独立して、自由が丘に事務所を構えた。その彼の元を、国金の借入申込書を持って訪ねたことがある。彼に、国金から簡単に借り入れることができるからと言って、申込書に印鑑を押すようにお願いする。
「KAIさん、おばあちゃんの遺言で『死んでも人の保証人だけにはなるな』といわれてるからダメです」
「違うよきみが借りるんだよ。で僕が保証人だよ」
「・・・」
「保証人でなければいいんでしょ、おばあちゃん・・・」
「確かに保証人でないのは間違いないけど・・・」
と500万円を借り、それをこちらに回してもらった^^;。その後彼が世界的なゲームを連発してビッグに登り詰めていったのには、この発想の転換が契機となったことは間違いありません(と信じているのはKAIだけです^^;)。
それからしばらくして、今の私たちのASPサービスを支える、ERPシステム開発のための資金を提供していただくことになります。当時これが数億円にも膨らむとは露にも思いませんでした。 KAI
東国原新宮崎県知事が当選証書を受け取っている様子を伝えるニュースに続いて、名古屋の地下鉄工事談合のニュースである。
そこらじゅう談合談合だらけで、国会議員まで談合は必要悪と言う始末。当事者である建設会社の社員に至っては、よくあること、とは何をかいわんやです。
前宮崎県知事が逮捕前の会見で声高に身の潔白を言い張っていたが、一体あの自信はどこからくるのか不思議でしょうがない。
これらすべてに感じる、このなんともいえない違和感は何か。
ここでふっと思うのが、あの性犯罪者の陰湿な臭いとの共通性です。
欲望のままに行動することに対する、人間としての羞恥心が、彼らには決定的に欠落しています。
性欲を制御できない性犯罪者と同じです。金銭欲を制御できない談合犯罪者達。彼らの、自らのその動物がままの勃起させた陰部丸出しの姿に羞恥のかけらも示さない様は、性犯罪者のあの陰湿な腐臭とまさに一緒そのものです。
昨年からの駐車違反の取り締まり強化、酒酔い運転の厳罰化と取り締まり強化。この二つの成果を見ても、談合犯罪に対する厳罰化と取り締まり強化が効果を上げるのは間違いないと思います。
安倍政権も、美しい日本とばかりに憲法だの教育だの言ってないで、意外とこういった具体的な対策から美しい日本を実現できるんではないでしょうか。だって誰が考えても談合って美しくないでしょう? KAI
夢株式会社で使用するサーバーを、KAIが当初想定していた4台構成から6台構成に変更する。このうちあわせをしながら、こう言う提案型の仕事ができている間は大丈夫だと、まずは一安心。
この週末は土曜日、コーチのネモトくんを相手に2勝2敗の五分で引き分け。本日も2勝2敗。京都日帰り1000キロの旅の疲れが、今朝になっても抜けない。それでも五分で引き分けたのは、まだまだ元気が残っていると言うことか。
そんな中、ハイタイドでこれを書きつつ晩ご飯をたべながらNHKスペシャルグーグル革命の衝撃〜あなたの人生を“検索”が変える〜を観た。
内容自体は、議論するまでもない既知のことばかりでしたが、面白いなと思ったのはNHK取材班によるGoogle社内の撮影です。
社員のそれぞれの仕事場はもちろんパーティションで区切られているけれど、透明のしきりで中が丸見え。ワンちゃんを飼っていてもまるで違和感がない。これに対して、以前KAI自身が目撃したレッドモンドのマイクロソフトのオフィスは大違いでした。ビルの外の窓側から見ただけですが、すべて小部屋になっていてクローズド。一人一人の社員が今何をしているかまるでわかりません。
そしてGoogle社内の映像で決定的だったのが、例のホワイトボードです。社員が書きたいことを自由に書き足していると言うあのホワイトボードです。ここに書かれている内容は、以前から様々なメディアを通して伝えられているものから、KAIが勝手に想像していたものとは少々違っていました。
ここに書けるほど正確に記憶したわけではありません。しかしこれを見て直感しました。恐らくその中の刺激的な言葉を特に選んで紹介しているせいでもあるのでしょうが、KAIはこの中にGoogleの明確な「意志」を感じたのです。
それは「世界中の情報を整理し尽くす」などと言う生やさしいものではありません。
その世界中の情報の組織化の先に、Google自身の手による情報の自己組織化の「意志」です。貨幣と言う情報を組織化し、これを自己組織化し始めたらどうなるか。ある意味、貨幣の価値自体を自分たちの力で思うままに創造できます。
週末のテニスの疲労がピークに達して、激しく睡魔がおそいかかります。とりあえずこの「直感」だけ記して、今日はお仕舞い。 KAI
本日は某謀議のために寿司勇へ。
昨日の無理がたたって、午後のデモを這々の体でなんとかこなしたものの、もはや体力の限界。話をする気力も残っていない。
この疲れたKAIの顔色を見るかのように大ちゃん、KAIさん、鯛です。お、いいねえ。さっそく口に入れる。あま〜い。やわらか〜い。いいねいいね、この鯛絶品ですよ大ちゃん。
と一気に元気を回復しつつあるKAIにとどめの品が。どかんと出てきたのが鯛のカブト焼。まるで立派な、こんなでかい鯛カブト見たことない。当然食べたこともない。これは焼くのに相当時間がかかったはず。ありがとう大将。骨の髄までしゃぶり尽くす。
当然締めは鯛のお吸い物。もうなんて美味しいんでしょう。なんでこんなに甘くなるの。
これで一気に気力体力が戻ってきました。
某謀議も済まして、ここで一句。
鯛づくし体力つくし言うことなし KAI
もう二度とこんなことはやらないと、強く心に誓った。
昨日早朝6時過ぎに東京を発って、東名神を一路京都へ。
今回はとある京都の老舗通販会社へのデモ。いつものように車にデモのための装備一式を積み込み、東京インターに入る。入ったとたん気がついた。靴を持ってくるのを忘れた。長時間のドライブにそなえてのいでたちにつき、当然スポーツシューズ。スーツよし、ワイシャツよし、靴下よし。すべて確認したはずがすっかりビジネス用の靴を忘れてしまったのです。
途中一ノ宮付近で8キロ1時間の事故渋滞に遭遇するも、12時20分に京都南インターをおりる。
インターすぐに総合スポーツショップがある。やった、ラッキーと、店内でウォーキングシューズを物色する。実は今はいているKAIのビジネスシューズといっているのは、アシックスの黒のウォーキングシューズであったりするのです。
でも同じものは、当然がごとくありません。ウォーキングシューズ自体はあっても、KAIのサイズの28.0がまるでない。27.0をむりやりはいて、とりあえずこれでいこうかと思うも、そのためだけに1万円の買い物はいかにももったいない。
あきらめてそのショップの駐車場の車の中でスーツに着替える(靴はニューバランス^^:のまま)。いざ老舗通販会社へ。
13時からのデモ予定に数分遅れで到着。これから16時半まで延々3時間半デモとミーティング。まあいろいろここに書きたいことはあるけれど、デモは無事終了。
いつもはこの後京都の実家で1泊してから帰るのですが、今回はそうもいかない。明日の朝から来客のミーティング、午後は都内の通販会社に出向いてのデモ。と言うことで相棒のizaを近くのJRの駅におろして、17時丁度に京都南インターに入る。
途中上郷サービスエリアで給油がてらの休憩を取る。無料の緑茶がおいしかった^^;。
飛ばしに飛ばして22時過ぎに東京着。22時半ハイタイド到着。ここで18時間ぶりの食事。早朝5時に食ったっきり、京都で食事と思っていたのが渋滞と靴の物色でキャンセル。そのまま家に帰って1時半に寝る。
5時過ぎに目が覚めるも、身体がぴくりとも動かない。やっと30分経過して起きあがる。
ほんとにへとへとです。もう二度とこのパターンはなし、です。 KAI
日曜夕方へとへとでたどり着いたハイタイド。昨日からのテニス、通算5連勝の後の3連敗で、かなり疲れ気味。こう言う時は覚醒剤で元気になろう、ってなことが北朝鮮と言う国では今や日常茶飯事となっているようです。
先ほどのTBS報道特集によれば、海外にばら撒いてきた覚醒剤とニセドル札が大量に行き場を失って、北朝鮮国内に流通し始めている様子を詳細に伝えています。
いわゆる自家中毒を、北朝鮮が呈し始めたといえます。某ン−スネクストと言う会社もなんだか同じ道を歩んでいるようですが、こちらはまた別途レポートします。
ただこの問題は、この1回のエントリーで扱えるほど生やさしい話ではありません。今後何回かに分けて検討していくことにして、今回はとりあえず自家中毒社会についてKAIの所感です。
まあ普通の人間の常識が通用しない、そんな世界は、KAIも大人になる過程で恐らく最低3回、体験しています。恐らくと言うのは、これ以外にも実はそうだったんだなんてことがあるやもしれずと思うからです。
こういった国家、組織、家族あるいは個人とどう付き合うか、重要な問題です。もちろんこの問題についてのKAIなりの解を持ち合わせていますが、この話はこのシリーズの後段でするつもりです。今はその原因である国家あるいは組織や家族の、もしたまたまあなたがその一員であったなら、さていったいぜんたいあなたはどうすればいいか、こっちのほうがより切実で深刻な問題です。
自家中毒社会の中にいて一番に無力なことは、そのまわりの「おかしさ」を正すことです。「おかしい」と思っていない人々に対して「あなたはおかしいですよ」と糾しても、その言葉がそのまま自分に返ってくる以外何の反応もありません。その無力感の結果の自家中毒でもあります。
一つの解は、そこからの脱出です。脱北、退職、家出などです。命の危険を伴う脱北以外は、まず無難な解です。しかしよほど生活力のある人間以外、おいそれと選択できる解でもありません。結局まわりを「おかしい」と思いながらもそこに居続ける以外に、方法はないのでしょうか。
自家中毒社会の行く末は、何らかの治療が施されない限りその社会の崩壊です。ニセドル札で崩壊してくれるなら残った国民は救われます。しかし覚醒剤で崩壊するなら、国民は救われません。
さきほどからずっと考え続けて、この問題のヒントらしきものが、やっと見えてきました。 KAI
やっとジョブズの頭の中が見えてきた。ジョブズにとってiPhoneは、MACの再来だったんだ!
Satoshiさんのエントリースティーブ・ジョブズの面接試験、iPhone編の中のサンディエゴ無頼さんのコメントを読んで、やっとわかった。
今回ジョブズにとってケータイ、すなわち電話は、実はまったくもって、目玉でもなんでもなかったんだってことが、やっとわかった^^;。
iPhoneの真の目的は、何か。
それは、モバイルマックを創ること。
そして、それに気付かせないために社名からコンピューターを外し、モバイルマックからコンピューターの「ニオイ」を、きわめて巧妙に消し去ったのです。
そしてそして、このモバイルマック(MM)の目的は何か。
これはきわめて明確です。
このMMさえ持っていれば、すべてのM(モバイル)が実現するってことです。
すなわちPSPでありDSにもなるってことです。
居間にあるリモコンにも、哀しいけど。
そのすべてのザ・モバイルの座(ちょっとダジャレ^^;)に、ジョブズは明確な楔(くさび)を、iPhoneで打ち込んだのは、(発売前ですが)間違いありません。 KAI
まさにジョブズのiPhone。インターフェイスを追求し続けてきたジョブズにしかできない仕事です。
「従来製品のユーザーインターフェースについて話をしよう。従来製品が抱えていた問題といえば、ボタンだ。配置も本当にこれでいいのか分からないし、コントロールボタンは決まってプラスチック製だ。本当は個々のアプリケーションにあわせてボタンのセットを用意する必要があるのではないか」
「ボタンなどの設定を変えられなければ、機能もうまく使いこなせない。こう思い悩んだ」
「われわれはこの手の問題を解決した実績がある。20年前、われわれはコンピュータの世界でこれを解決した。ビットマップのスクリーン、そしてポインティングデバイス。この問題を解決したのはマウスだった」
「では、携帯端末の場合どうするか。まず、これらすべてのボタンは必要ないと考えた。その代わりに大きなスクリーンを用意しよう。スタイラスペン?そんなものは使いたくない。採用は見送ろう」
「われわれのスタートポイントになったポインティングデバイスに立ち返ろう。そこで誕生したのが『マルチタッチ』という技術。スタイラスペンも要らないし、これまでのどのポインティングデバイスよりも正確。そう、この技術で特許も取得済みだ!」
(Macworld開幕--S・ジョブズがついに「iPhone」「Apple TV」を披露)
iPodがソニーのウォークマンを駆逐し、楽曲ダウンロードビジネスを劇的に変えたと同じように、このiPhoneは既存のケータイマシンを駆逐し、キャリアのケータイビジネスモデルを撃破することになるのでしょうか。こんな疑問に答えてくれるBlogのエントリーに出会いました。
まとめるとすれば、僕の今のところの見立てでは、AppleのiPhone事業の発展可能性としては、iPodのような爆発的な普及と成功を収めるのではなく、Macintoshと同じようなイノベーター層にのみ受け入れられるデバイスに留まる可能性が高いのではないかと考えている。もちろん、こうした僕の見立てを大きく裏切られるような事業展開をAppleがやってくれることを期待してやまないわけであるが。
(『インターフェースのイノベーションはキャズムを乗り越えられるか:Apple iPhone』)
確かにiPhoneと言う製品単体ではこの通りだと思いますが、マウスインターフェイスの普及の歴史に重ねれば、iPhoneモードとでも名付けたいマルチタッチインターフェイスは恐らく爆発的にケータイビジネスに普及していくと、KAIは直感しています。
従来のケータイの、ボタンインターフェイスの代表がiモードです。このiモードによってインターネットへのアクセス自体は可能になりましたが、このiモードはMS-DOS時代と同じCUI(キャラクターインターフェイス)と何ら変わりありません。そのため時代は目一杯GUI(グラフィックスインターフェイス)であるにもかかわらず、CUIであるケータイアプリと言う特殊領域を生み出してきたのです。
こんな状況で、iPhoneモードの誕生です。ケータイアプリは劇的に変わります。いえ変わらざるを得ません。
しかもこれはスマートフォンに限った話ではありません。普通のケータイのインターフェイスに、このiPhoneモードが追加されていきます。しかしそれは、やがてiPhoneそのものと同じようにボタン自体を放逐し、iPhoneモードのみになっていきます。もちろん入力画面はQWERTYモードと親指モードの両方が選択できるようになっています。
つまりもはやiモードではなく通常のパソコンと同じインターフェイスが実現するのです。ただ単に多少インチの小さいパネルと言う違いだけです。この結果アプリケーションが共通化されていくと言う流れは、昨年夏のエントリーパソコンの未来の中に書いたとおりです。
もし本当にそうなれば、キャリアの大半の今のビジネスモデルは間違いなく破綻します。
唯一ここで生き残るのは、通信はグレードに応じた定額制、コンテンツダウンロード単位の従量制、この二つをバインドして提供できるキャリアのみです。
もちろんこの流れに理をたて消費者になきに訴えiモードの延命をはかるキャリアが大半であると、思います。しかしひとたび得たインターフェイスの進化と言う果実にあらがうことがもはや不可能であるのは、人がやすきに流れるものである真理に照らしてみれば、火を見るより明らかです。
これは、もし2008年ソフトバンクが堰切ったとして、意外に早い2011年には結果がでていると思われます。もしこのソフトバンクが、純正のiPhoneでなくてもiPhoneモードのインターフェイスのケータイのラインアップとそれをバックアップするサービスを提供できれば、結果は同じ流れになります。
GUIのインターフェイスを誰が提供しようが、ユーザーには関係ありません。しかしジョブズの、このまた新たな偉業に世の中がおおきくうねりを上げて旋回していくのは、間違いないと思います。 KAI
セキュリティとは防衛のことだと言う。確かに「安全」なんかと訳すよりよっぽど的確です。
と言ってもITがらみのお話しではなく、もっともリアルな世界でのお話し。
元旦早々の締め出し事件のエントリーを読んだ友人が、悪いのはHARUKAちゃんじゃないよ、KAIだよと言う。二十歳過ぎのきゃぴきゃぴ娘が酔っぱらって帰ってくるのは承知の助、その備え、つまり予備の鍵を用意しておかないKAIが悪いと。
いやまことにその通り。
ということでさっそく秘密のある場所に、予備の鍵を設置しました。
しかしそもそもこんな鍵なんて掛ける必要もないほどボロ屋敷。まさかこんな家の中に何百万の現金がおいてあるとは、誰も思うまいに。(実際無いけどね^^;)
ではなぜ掛けるのかって。それは侵入者を恐れてのことです。もちろんリキがいますから大丈夫なのですが、リキがいるのは3階。下に降りられないよう柵があるので、1階2階に賊が侵入すればリキには手(足)も足も出ません。
この賊とは、ストーカーです。娘をつけまわすストーカーがいるのです。もし娘が帰ってきたとき家の中に潜んでいたらと思うとぞっとします。
そういう意味で、我が家には防衛する(護る)べき家族とリキと平次とものがいくつかあります。
もし家に放火されたら、もちろん家財道具一式大変なことになりますが、実は建物を含めてもうどれも買い(建て)替え時であまり致命傷ではありません。護らないといけないのは家族が不在時の、リキです。リキはどんなに火の手があがっても、逃げるすべを持ってません。ではどうすればいいか。
しかしその前に誰が放火しようと言うのでしょうか。これも物騒な話ですが実はいるのです。ここに具体的に書くわけにはいきませんが、警察もからんだ話があります。これからほんとに護らなければいけません。
そこで考えたのが監視カメラの設置です。こんなボロ屋敷に監視カメラとは、なんとも不釣合いですが、目の前の監視カメラを覘きながら放火するヤツはまずいないでしょう。しかしヘルメットで完全な覆面では犯人を特定できません。
ではどうすればいいか、とまあ考え出したらきりがありませんなんて言って、こればっかしは諦めるわけにはいきません。命がかかっています。
結局出た結論は、セキュリティ会社との契約です。
監視カメラの設置を含めて、まだ火の手が上がる前ならリキの救出が可能です。
北朝鮮ではないけれど、窮鼠猫をかむとは国家レベルから個人レベルまで、防衛問題の基本です。 KAI
人はなぜ働くのであろうか。
もちろんこの問いにとりあえず容易に答えることはできる。
しかし、今朝早朝のNHKの番組は、KAIにその意味を明確に教えてくれた。
藍師、佐藤昭人。その息子、同じく藍師好昭。番組の中でこの二人の親子はただの一度も会話しない。しかしこの二人はひたすら、藍染の原料「すくも」を作り続ける。
藍染は、この緑々とした葉っぱのタデ科の藍を夏場に収穫し、これの発酵を繰り返し作り上げた「すくも」が、染料となる技法です。
新日本紀行ふたたびと言う番組に出てくる藍師佐藤昭人は、1977年、30年前の新日本紀行と言う番組に登場する。同じ画面に当時15歳であった好昭も出ていて、父のもとでけなげな姿をみせていた。
ところがこの二人にいまや会話がない。この異様な画面の中に、KAIの父親との確執を思い出しました。
校長と言う教職者でありながら破綻する私生活に、思い切り反発したKAIの青春。ただ一度京都の予備校に訪ねてきた父親と、まるで会話もなく賀茂川沿いのバス停でバスに乗るときの「がんばれよ」との一言に、なぜか思い切り涙した。以来結婚するまでまるで会話のない関係を続け、脳梗塞で倒れた父親に、やっとこの男を許そうと思った。
人はなぜ働くのか。
それは、それしか道がないからです。
KAIの父親も、藍師昭人も、そうです。そしてその息子の好昭も。
藍師昭人は、その意味で厳しかった。厳格であったわけです。これが息子には理解できない。600年の家業を継ぐ意味が、息子には理解できないのは当然です。しかし意味が理解できないけれど、この身体がしっかりと藍師の業を引き継ごうとする。
この3月3日、KAIの親父の7回忌です。
父の仕事とはまるではなれた場所にいて、やっと親父の気持ちが理解できます。この仕事しかないのだと言うことを。 KAI
ステディな彼女が実家に戻って、正月の運勢を半減させたウッシーとえっちゃん。
なぜ女は実家に帰るのか。
それは彼女たちが実家で、その運気の補給をはかるからです。彼女たちは本能的に、運気に生きています。運気の河の流れのなかにいて、容易にこの運気と言うエネルギーを補給できるのが、自らの出自たる家族以外なにものでもありません。
そしてこの補給した運気を携えて彼の元に戻った彼女。この不在による運気の欠落を、決して彼女の運気で補うことはできません。これは誰が悪いのでもありません。運気とはコンピュータ用語で言う、論理積です。
彼女の不在中の彼の運気は、止め処もなく落ちています。
この運気と、彼女の補給された運気を合わせても、決して運気の和にはなりません。運気の論理積、になるのです。
すなわち彼女の実家で獲得した運気とは、あくまで実家と言う家族の運気であり、この運気を彼の運気と合わせる論理は、論理和ではなく論理積でないと、運気エネルギーの保存則が成立しません。
思えばKAIの運気も、この世界の連続です。
KAIが働き始めたときも、貧乏のどん底でした。日々マイナスの世界です。
ところが、毎月100時間を越える残業で、月給の手取りは毎月40万。初任給が10万円台であった30年前の話です。働き始めて2年目3年目、これですべて解決です。
そして30歳そこらでこの会社の理事に就任し、上司であったF昭さんそしてO川さんがKAIを支え続けてくれました。
独立した後も、ただKAIの夢だけを担保に4億円を超える資金を提供していただいたA本さん。
今、若くして動脈瘤破裂のため他界したF昭さんの運気を引き継ぐ、F昭さんと生年月日時刻、血液型すべて完全に一致するえっちゃんが、この夢株式会社を支えています。
すなわち、人はこの運気の中に生きていることを、知ればいいのです。
そしてこの運気を大事にすること。決してこの運気に逆らわないことです。決して神は、この何十億年の生命の連鎖の中で、たった一つも無意味な生命など生み出してはいないことを知らしむべきです。
うるさいテレビの音を消しなさい。DVDから流れる曲も消しなさい。もっともっと静かにして、自分の運気の調べを聴けばいいのです。そうすれば自分の運気が、自然に聴こえてきます。
運気はあなた自身の中にあるからです。 KAI
テニス三昧の正月三が日も終わり、今日から仕事初め。
仕事初めはまず、昨年書いた勘違いしないための指針の中の宿題から。
アプリケーションのユーザーに最も近いのがインターフェイスです。インターフェイスの本質はすなわち「アプリケーションの形」そのものです。これがWeb2.0によって世界中集合的にコードとして開発される。この世界規模こそ高度化アプリケーションの実相であるわけです。
そしてこのインターフェイス。これは、とりあえず次回に。
このインターフェイスがアプリケーションであることを的確に記述したエントリーが、グッドタイミングであがっています。CNETのBlog中島聡・ネット時代のデジタルライフスタイルのエントリー「IPTV Service Architecture(FG IPTV-ID-0094)」に対するフィードバックがそれです。
より「サービス指向」なアーキテクチャは、端末側には「User Agent」というソフトウェアだけを置いておき、実際のユーザーインターフェイスそのものはサーバー側から送る、というアーキテクチャである(ちなみに、オンデマンド・TV社の端末はUIEngineを「User Agent」として採用したこのアーキテクチャで作られている)。
こうしておけば、ユーザーがどんな端末を使っていてもサービス・プロバイダー独自のUIを表示することができるし、ユーザーの反応を観察して徐々に使い勝手を良くしたり、新しいサービスを後から追加したりと、より柔軟な顧客サービスを展開することが可能になる。サービス・プロバイダー間の戦いも、単なる品揃えと値段だけの消耗戦ではなく、「使い勝手」や「おもてなし」での差別化が可能になる点が、単にメタデータだけを送る場合と大きく異なる。
ウェブ・サービス・ビジネスでリーダーシップをとっているAmazonやGoogleが何をしているかを注意深く観察すれば、デバイスがネットに繋がってくると、ユーザー・インターフェイスはデバイスの顔ではなく、サービスの顔になってくることは、火を見るよりも明らかだ。「EPG・ECGのデータをメタデータとして取得して端末独自のUIでそれを表示させる」というアーキテクチャがいかにこれからの時代にふさわしくないかを認識した上で、ぜひとももう一度考え直していただきたい。こんなアーキテクチャのままでは、IPTV市場そのものの立ち上がりが危うくなるし、end-to-endでサービスからUIまでのすべてをコントロールできるAppleやMicrosoftとは戦えない。
えらい長い引用になりましたが、要はユーザーインターフェイスもアプリケーションの一部としてサービスプロバイダーがコントロールできなければ、これはアプリケーションの進化にもろに逆行するアーキテクチャであるってことです。
このアプリケーションの進化とはすなわち、ソフトウェアの階層化・多層化がユーザーインターフェイス層と言うあらたなアプリケーション層を生み出すに至っていると言うことであります。
従来のユーザーインターフェイスとは、アプリケーション層の最下層にあるOSが提供するインターフェイス機能を利用して実現されたものでした。これがAjax(エイジャックス)と呼ばれるWebやJavaScriptと言う言語技術によって、アプリケーションから独立したユーザーインターフェイス専用のソフトウェア階層であるアプリケーション層が出現したのです。
ソフトウェアの階層化のメリットとは、互いの層が独立していることによるユーザーインターフェイスの共通化であり、より優れたインターフェイスを提供できるサービスへと市場が拡がっていくことです。
このより優れたインターフェイスとより強力な基幹のアプリケーションとの組み合わせで提供されるオンラインサービスこそ、ソフトセクターのアセットとなります。2007年は、これに向けて大きく歩みを進める1年となることは、間違いありません。 KAI
元旦から三連荘のテニス。
元旦のテニスは、千葉県富津にある某D通のテニスコート。
泊りがけにつき、リキをウッシーにあずけるために高速で上野までひとっ走り。そのまま高速を戻って霞ヶ関でえっちゃんをひろってまた高速に。アクアラインで木更津へ。このアクアライン、数年前に通って以来久しぶりですが、なんと今回は混んでいる。前はガラガラだったのに、です。
富津のコートはオムニ。だから遅い。おまけに気温が低いせいか砂がボールにまとわりつくからよけいに遅い。この遅いコートがドラマをうみます。
いきなりえっちゃん・KAIのゴールデンペアが、T次郎・T光ペアに3-6で敗戦。続くえっちゃん・T光 対 T次郎・KAI、えっちゃん・T次郎 対 T光・KAI、ともに5-7でえっちゃんの3連敗。と言うことでKAIは2勝1敗。
気を取り直しての翌日。またまたえっちゃん・KAIがペアに。
このあとはご想像通り。またまたえっちゃんが3連敗。昨日の元旦から通算6連敗。
えっちゃんの名誉のためにいいますが、えっちゃんはそんなヘボではないのです。少なくともテニスクラブではT次郎・T光ペアより上の最上級クラスです。
テニスでなんで負けるかと言うと、負けるほうがミスをするからです。ミスしまいと安全に行くと相手のチャンスボールとなってエースを決められます。これも広義のミスです。
しかしミスはお互い様、テニスはそう単純ではありません。一方がミスをして一方がミスをしなければ、勝負は決まっていますが、普通は互いが同じようにミスをします。
この場合の勝負を決するのが、運であり勢いと言うものです。
今回は、この遅いコートがT光テニスの運に味方しました。彼のトップスピンが面白いように決まるのはこのためです。
ではえっちゃん・T光ペアが負けたのはなぜか。それはT光テニスの運を押し下げるだけの悪運をえっちゃんが持っていたからです。
実は、年越しのちゃんこ鍋につきあってくれたウッシーといい、このえっちゃんといい、みんなステディな彼女がいるにもかかわらずみなさん年末年始、別行動。これが、今回のドラマの、重要な伏線であります。
カップルの運勢は、一つです。
これを別行動で分けると、運勢は半分になります。
今回の6連敗の原因は、すべてここにあります。
そして7戦目。ここで一気に形勢が一変。やっとえっちゃんがT次郎とペアで1勝。
理由は簡単です。えっちゃんの彼女C恵ちゃんが翌日、T次郎・T光二人だけの予定でいた富津に来れることになったからです。えっちゃんはとたんにいつもの元気を取り戻したのでした。
とはいえ、えっちゃんとKAIは、予定通りそのまま東京へ。お互い一人の身、正月2日、ハイタイド、寿司勇いずれも開いてない中、中年のいい男^^;が二人飯食うところをさがして西麻布游玄亭へとたどり着く。ここでフルボトルのワインを3本あけて焼肉を平らげたのは、すべてえっちゃんのC恵ちゃんカップリングパワーの賜物以外なにものでもないのは、あきらかです。
明けて3日。KAIはいつもの用賀でテニス。しかし運勢が今ひとつというのは上記のえっちゃんの通り。結果は1勝2敗。3日間の通算5勝5敗。運勢の割りに上出来でした。
え、えっちゃんの富津3日目の戦績はって?
聞かなくても4戦全勝であることは、間違いありません。勝負とはそう言うもんです。 KAI
2006年の終わりは愉快な仲間と、自宅でちゃんこ鍋。
タラ、真鯛、鶏肉、しゃぶしゃぶ用豚肉は昨日、ポロロッカで調達。例年大晦日にスーパーに行ってもろくな食材が残っていないことは学習済み。よって、前日から準備。
残りの野菜は、本日遅まきながら年賀状を書いた後、これを投函ついでに、近所のスーパーに行くもすでに売り切れ。またまた車でポロロッカで残りの野菜、豆腐諸々とちゃんこ鍋の素をゲット。ちゃんこ鍋の素とは、なんでも便利になればいいってもんでもないけど、でもベンリ^^;。
まずトロトロの冷凍「はなたれ」で、本日の祝宴の始まりを祝って乾杯。
そしてはやくも4時前にはちゃんこの準備もととのって宴会開始。あらためて「中々」で今年もお世話になりました、来年もよろしくと、カンパイ。タイもくったしタラもくったしお腹は、もうタラ腹^^;と言いながら、途中K-1を見ながら転寝をするも最後まで観戦。
とそうこうするうちに、午前零時。
みなさんあけましておめでとうございます。
一眠りして、元旦の朝は寝坊をして6時に起床。お米を洗い炊飯器のスイッチを入れて、さあリキ、散歩だよ。
ちょうど初日の出の時刻。まぶしすぎる朝日の中の散歩は、なんと気持ちのいいことか。
40分の散歩から帰ってきて玄関のドアに手をかけるも、開かない。さてはカウントダウンで朝帰りの娘が、鍵をかけてしまったかとチャイムを鳴らすこと20分。完全に爆睡だよこの大馬鹿者が。
ああこれで三度目。前回まではこれでまだ起きていたからよかったけれど、今朝は最悪。
まったく正月の元旦から締め出しをくらってしまった。意を決して10何年ぶりに壁沿いの鉄骨をよじのぼって3階のベランダにあがる。10何年前に鍵をなくしたとき以来ですよ、ったく。
ベランダの窓に鍵をかけていないのはこのためですが、家の前の住民はこのKAIのドロボー姿に一体なにを思われたことか、ああ思い出したくもない。
この後元旦早々の娘に激烈カミナリ大説教をくらわしたのは、ご想像通り。もちろん今年1年外泊朝帰り禁止令は当然です。
と、なんともとんでもない1年のスタートでありますが、これからテニスの打ち初めに出かけなくては。こんなこと書いている暇はないのだ。 KAI