September 30, 2006

遅い中秋の名月のわけ

本日は上弦の月。日が沈んだ後の空を見上げると、真上に上弦の月が見えます。ただ今日は、弦が少々窪んで見えましたが。この上弦とか下弦は、なぜ上とか下と言うのかご存知ですか。え、小学生の理科で教えてもらってるから知ってるよ、と言う人以外は、すっかりお忘れ。

上弦の月は、真昼の正午ごろ東の空に出て、深夜零時ごろ西の空に沈んでいきます。ただ昼間は月は見えませんから、夕方太陽が西に隠れた頃に丁度真上にあるのが見え出すわけです。この見えない月の出は、お椀を伏せた形の月になっていて、これが月の入りのころには弦の部分が上になって沈みます。つまり上弦です。

下弦の月はまったく逆です。深夜零時ごろ弦を上にして東の空から出てきます。月が真上に来るときに夜明けを迎えますから、沈むときの月は見ることができませんが、間違いなく弦が下になって沈んでいきます。

それにしても中秋の名月。昨日、寿司勇のカウンターでN山さんとの会話。

「そう言えば今年の中秋の名月ってまだなの?」
「そ、まだなの」
「去年は9月に出張先の金沢で月見の宴会をやったから、よく覚えているけど、今年はなんで遅いんだろう?」
「それはねえ閏月のせいだよん」
「ああ閏月ねえ」
「陰暦では3年ごとに7月を2回やるんですって。今年がそれで、1ヶ月遅いってわけ」

先日のこよみのページで仕入れたネタを披露して、得意満面のKAIでありました。 KAI

September 27, 2006

それを解決するにはソフトウェアのサービス化しかない

なかなか示唆深い記事です。日経BP社の経営とIT新潮流2006に、JTB情報システム社長の佐藤正史氏が書いている「経営者がITを理解できない本当の理由」と言う文章です。

この中で佐藤氏は、

 極めて重要な経営ツールであるITや情報システムについて、経営トップの理解を妨げている真因は何でしょうか。結論を先に書きますと、それはIT投資の費用対効果の不確実性です。その不確実性の原因は、ユーザー企業とITベンダーの役割分担問題にあります。本稿では、役割分担の問題を指摘した後、「新たなIT時代に向けて、我々ユーザー企業とITベンダーの関係はどうあるべきなのか」ということを考えてみたいと思います。

と、経営者がITを理解できない理由、と言うよりITへの不信感が、IT投資の費用対効果未達にあり、その原因はユーザー企業とITベンダーの役割分担問題にあるとして、これを説明しています。この役割分担問題とは、IT業界のプロフェッショナリズムの欠如による、IT業界が本来負うべきIT構築責任をユーザー企業へ転嫁してしまっていることだと言うのです。

しかし、一方でユーザー企業側もそのユーザーとしての責任を十分に果たしていないと、ITベンダーが提案するソリューション・パッケージへの、ユーザー企業の取り組む姿勢を自己批判してこう述べています。

 そういうことばかりやっているから、経営にとってやはりITは解りづらい。「データベースをたくさん作ったが、営業収益が上がっていないじゃないか」と経営者は問うて来るわけです。

 ユーザー企業である我々がいくつかの痛い経験を通して学んだことは、「ソリューションはITベンダーから与えられるものではなく、パッケージやツール製品から得られるものでもない」ということでしょう。一企業にとってのソリューションは、各論に入れば入るほど、企業競争領域のビジネス領域に近ければ近いほど、他企業のソリューションと共通である確率が少なくなります。

 また、IT関連の基本技術は、“個別最適の究極化”を基本的な性質として持つものであります。このため、差異化を競争戦略とする事業領域のソリューションのケースでは、この基本的性質を十二分に認識したうえで自社のIT適用を決定すべきものであります。

 したがってITソリューションはユーザー企業自らが、詳細に、克明に、実現可能な形で描ききることによってのみ、実現できるものです。ITはその目指すべきソリューション・ツールの選択肢にすぎません。失われた10年の間に、我々ユーザー企業は、自ら果たすべき本来の役割の多くを、ITベンダーとパッケージ・ソフトに過度に依存してしまったのではないかと考えています。

 「ITベンダー側の宣伝に乗せられてしまって」という言い訳ではなく、我々ユーザー企業自身が猛省し、企業にとって真に価値ある情報システムの実現を通して、経営トップの理解を獲得していかなければなりません。

これはKAIに言わせれば、人間オブジェクトとソフトウェアオブジェクトとのインピーダンスミスマッチ問題以外の何者でもありません。

企業活動においてそのビジネスの価値(利益)を生み出すのは、あくまで人間オブジェクトであってソフトウェアオブジェクトではありません。この人間オブジェクトのインピーダンスに、ソフトウェアオブジェクトのインピーダンスを合わせるか、ソフトウェアオブジェクトのそれに人間オブジェクトのそれを合わせるか。もちろんソフトウェアオブジェクトを一から作り直さない限り後者以外の方法はありません。

これがカスタマイズで(前者の選択が)可能だと考えているのが、IT業界も、ユーザー企業もであるわけです。そしてその結果が、現在のITユーザーをも巻き込んだIT業界の、品質問題と言う混迷なのです。

これを解決する方法が、今までと同じように巨費を投じて何もかも一から作り直すか、それとも別の方法があるのか真剣にユーザー企業もIT業界も、考える必要があります。 KAI

September 26, 2006

ASPサービサビリティとマーケティング戦略

こんな言葉があるかわからないけれど、とりあえずASPサービスを利用する能力を「ASPサービサビリティ」と、今後呼ぶことにします。ガバーナビリティがガバーナブル(被統治)な能力であるのと同じ意味合いです。

以前ITProかどこかで、エンタープライズで使用するアプリケーションの多くはASPサービスになじまないと言う企業のCIOの意見と、その理由がいちいちネットに接続する手間にあることを述べた記事を見かけた記憶があります。つまり例えばEXCELを使うのにいちいちネットに繋ぐより、クライアントインストールのそれを使うほうが格段に使いやすい、すなわちアプリケーション側にASPサービスの向き不向きの原因があると言う訳です。

これに対して冒頭のASPサービサビリティの考え方は、ASPサービスを利用するかしないかの原因は、アプリケーション側ではなくユーザー側の「ある種」の能力に依存すると言うスタンスです。

この二つの考え方の違いの本質が、実は自己組織化アプリケーション問題にあるのですが、今回はこれには触れません。

考えてみたいのは、このASPサービサビリティと言う「ある種」の能力についてです。

その前になんでこんなことを考えているのか白状すると、実は私たちのASPサービスと競合するカスタマイズ前提のパッケージベンダーが、私たちに対抗するために今やレガシー同然のシステムをフルカスタマイズすると言う甘言の上に価格を私たちの初期費用より安くする、ダンピングの愚挙に出る事例がこのところ相次いでいます。そもそもこんな戯言につられるようなユーザーはとっとと相手にしないでいいのですが、一方で真摯に私たちのサービスの意味を理解して入会していただくユーザーがいる。この方々は今までほとんどの人が恐らく誰もエンタープライズのアプリケーションを“こちら側”ではない“あちら側”で使用した経験がないはずです。

もちろん“あちら側”で仕事をするメリットを十分理解していただいての上でですが、これ以上に「何か」あると、このところ感じて、そして思いついたのがこの「ASPサービサビリティ」です。

“あちら側”で仕事をした経験のない人が、これをイメージすることは、いままで筆者が見聞きした範囲では、相当困難な作業に思われます。にもかかわらずこれをイメージして、企業の命運を握る基幹システムを、ASPサービスに乗り換える。これは並大抵の決断ではありません。

しかしそれでも決断できる能力こそ、ASPサービサビリティと言う能力である訳です。

この決断の結果、アプリケーションがモノからサービスへと進化をとげ、孤立した環境からオープンな環境へと企業のアプリケーション環境が一変します。しかしこれは、実際に決断した後、システムが動き出して初めて、実感してやっとわかることです。

つまり誰でも既にある経験には、何の能力を伴うことなく、また同じ経験をすることに躊躇はありません。これが初めての経験となれば話は別です。

未知なる領域へ踏み出すことを、アドベンチャーと言います。ベンチャー企業のみならずすべての企業は、アドベンチャーなくしてこの企業を取り巻くビジネス環境の変化と言う大海の嵐を、無事乗り越えていくことはできません。ASPサービサビリティとは、このアドベンチャー精神に基づくものであり、ビジネス環境の変化に対する基本的な適応力であると言えるのです。

そう考えると、今後の私たち自身のマーケティング戦略もよく見えてきます。

ASPサービサビリティこそ、ASPサービスの入会動機そのものだと言うことです。

新しいものを使ってみたい、なにか面白そうなことをやっているけれど、どれどれどんな便利になっているの、すべて未知なるものへの好奇心を駆り立てることが必要だってことです。

さああと1ヶ月ちょっと。がんばって目標を達成しましょう。 KAI

September 25, 2006

エジケンの新サービス(2)

週末に整理して書こうかと思ったけれど、どうもモードが違うようで、全く頭の中が切り替わらないまま持ち越してしまった話題です。

エジケンが新サービスの技術的背景を公開しているお話しです。(Lingr and Comet - 技術解説編

技術者の特性として不可欠なのは、自分の持つ技術をいかに簡明に説明できるかですが、エジケンはこの最も優秀な技術者としての才能を持ち合わせています。

彼の説明でLingrのサービスの仕掛けは理解しました。恐らく問題は、Web ServerとChat Serverのそれぞれクラスターマシンのフェールオーバーがうまく機能するかだと思います。これが正常に機能しないと大量のトランザクションおよびログの消失を招きます。これは通信系のシステムにおいて致命傷になります。

あともう一つが、データベースに関してですが、これは排他制御の心配がほとんどない分、リアルタイムの更新にどれだけのキャパシティがあるかです。こちらも先日のNTT東のIP電話のトラブルと一緒で、コミュニケーションができなくなるとトランザクションの輻輳化は必至です。

これにどう対処するか、ここら辺が見えてくると、前回書いたようにリアルタイム翻訳技術も絡んで相当楽しみなサービスに発展していくと思います。 KAI

September 21, 2006

他人の権利をいかに保証するか(2)

ビックリした。こんな阿呆な裁判官がいるとは。あまりにひどすぎて、一言いっておかないと、気が済まない。

 難波裁判長は「日の丸、君が代は第二次世界大戦が終わるまで軍国主義思想の精神的支柱だったのは歴史的事実」と述べた上で、反対する権利は公共の福祉に反しない限り保護されるべきで、起立や斉唱の義務はないと判断した。(「国歌斉唱の義務ない」教職員の訴え認める 東京地裁判決

こんな論理立てが教育の現場でまかり通るのなら、教師と言うのは、自分の思想信条に合わないことを理由に、いくらでも他人の権利を侵害してもいいことになるではありませんか。とてもまともな考え方だと思えません。

 小泉純一郎首相は21日、国旗国歌の強制は違法とした東京地裁の判決に関連し「人間として国旗国歌に敬意を表するというのは法律以前の問題だ」と述べた。(同上

確かに法律以前の問題ですが、これはそもそも公教育の現場の話です。「公共の福祉」そのものじゃないですか。世の中にはいろんな人がいていい。いろんな考えがあっていい。それはその通りだけど、子どもを学校に通わせる親の立場からすれば、せめて公の教育機関くらい「まとも」な教育をしてくださいよ。お願いしますよ。(そう言えば昔都立に通ってた娘が変な映画を見せられて気持ち悪くなったって言ってたのを思い出した) KAI

September 20, 2006

中秋の名月とリキの散歩

台風一過、夜明け前のリキの散歩。東の空には皓々とした27日月が、ひときわ目立ちます。

だがまてよ。そろそろ中秋の名月ではないのかと調べてみたら、今年の中秋の名月は10月6日、実際の満月は翌日の7日。これを調べたこのこよみのページの説明を読むと、いろいろ面白いことが書いてあります。

そもそも中秋の名月とは何かと言うと、旧暦の八月十五日の月を指して中秋の名月と言うそうです。陰暦の秋が7月、8月、9月でその真ん中の月である8月を中秋と言い、更に15日とは月齢に合わせた陰暦からして満月にあたると言うわけです。

そして実際の満月と日付が違う理由。これは旧暦の毎月の1日の決め方に原因があります。つまり旧暦では、新月になる日を1日としているため、新月から数えて何日目と言う月齢と旧暦の日付が1日ずれていることになります。しかも満月の月齢の平均は約14.76日。この結果、旧暦の15日は実際は13日月と15日月の間となって、結果満月であったりなかったりするとのこと。

なるほどなるほどの、納得の嵐。とここまで書いて1年前も同じようなことを書いたのを思い出しました。(おはぎとぼたもち

1年越しのシンクロニシティって違うか^^;

明後日の新月、その翌日の秋分の日。と言うことは本日は彼岸の入り。と言うことは今日は寿司勇のおはぎで、決まり! KAI

September 19, 2006

マシントラブルレスキュー(2)

ルンルンルン。新しくしたマシンが快適に動いて、こんな心地良い思いは久しぶりです。

とは言え、まともに動くまでに、しっかりトラブルです。

ビックカメラでLet'sNoteを手に入れ、一緒にNECの通信カードにエアエッヂの番号を載せ替える手続きをして、さっそくセットアップ開始。ここまでは誠に順調で、何の問題もありません。通信カードのドライバーはCD-ROMデバイスがないため内蔵標準ドライバーでOK。

さっそくハイタイドのカウンターでインターネットに接続すると、いままで度々切断の憂き目にあっていたのがウソのように、4時間たってもまったく途切れることなく、業務^^;終了。

翌日、NECカード用の純正ドライバーにしなさいと言うマニュアルの指示に従い、NECインフロンティアのホームページからドライバーをダウンロード。これを使ってドライバーの更新処理をすると、なるほどモデムがNECカードの名前に変わる。

しめしめ今日は純正ドライバーで昨日よりもっと快適に、と思いきや、ニフティへの接続を試みるもモデムの音さえしなくなってしまった。悩むこと小1時間。やっと解決方法がわかりました。そうです、ドライバーを入れ替えると新しい接続を新たに作成する必要があったのです。これはマニュアルの該当箇所には何も書いてありません。こうしてみんなは土壺にはまっていくんだろうな。

それにしても、このサクサク感は、なに。同じエアエッヂで通信していると思えないほど、NECのカードは優秀です。内蔵カードのマシンを購入したのが4年前。4年間の技術の進歩の結果をまざまざと見せつけられる出来事でした。 KAI

September 17, 2006

娘との会話

「お父さん、周りに一杯友達もいるのに、なぜ一人でいると寂しくなるのかなあ?」
「それはね、人は一人では生きていけないからと言って、周りの家族や友に“何か”を求めるからだよ」
「“何か”を求めるって?」
「人はね、人に“何か”を与えることしかできないのに、その“何か”を人に求めてしまうってことだよ」
「求めるから寂しくなるってこと?」
「そう、自分はこんなに人に優しくしているのに、なぜ人は優しくしてくれないんだろうってね」
「そっかぁ、自分が人に優しくすることと、人が自分に優しくしてくれるってことは関係ないんだ」
「それがわかれば、もう人に“何か”を求めるんじゃなく、“何か”を与え続けることが大事だってことも納得できるでしょう」
「でも、お母さんが子供に勉強しなさいって要求することもダメなの?」
「教育や躾は、求めるものではなく与えるものだよ」
「与えるものって?」
「子供には、母親が教育や躾を通してこの人間社会の生き方と言う知恵を与えなさいってこと。動物の親は子供が一人前になるまで、エサだけでなくエサの捕り方から何でもすべてを、ずっとそばにいて与え続けるでしょう」
「人間みたいに赤ちゃんを車においてパチンコしたりしないもんね^^;」

「求めてもいいたった一つの例外があるんだよ」
「例外って?」
「それは神やキリストに幸せや救いを求めてもいいってことだよ。神やキリストに求め続けるかわりに、あなたは周りの人に恵みを与え続けなさいってこと」
「宗教ってそうなんだ」
「でも一方でテロと言う形で恐怖を与えて、社会のルールの破壊と修正を求め続ける人々がいるのも事実だし、宗教って言うのも単純じゃないね」 KAI

September 16, 2006

マシントラブルレスキュー

遅い夏休みの函館旅行の途中、いつも持ち歩いているマシンが壊れてしまった。このマシンにとってここ4年間の初体験となる飛行機旅行が、今回のトラブルに影響しているのは間違いありません。

今回はハードディスクのトラブルで、以前書いたとおり電子認証が機能しなくなるため、まったくお手上げです。

そこで修理しないでLet'sNoteに買い換えることにしました。これを買ってきてエアエッヂに接続できるようになるまで、ハイタイドにもう一台のバックアップマシンのシャープメビウスを持ち込んで、これを書いています。残念ながらもちろんオフラインで、帰宅して接続する魂胆です。

そう言うわけでここ2、3日のハイタイドのセカンドオフィスは、オフィスではなくただのバーのカウンターです。

もちろんこれによるオフィスからの解放感は、また格別なものですが、それに反比例してこのBlogをはじめとして実際の仕事への影響は計り知れません。

こう考えると、これからの時代、バックアップマシンの重要性がいかに大事か、これを認識せざるを得ません。

今回トラブルになったマシンは、エアエッヂ内蔵型であったことが致命傷でした。持ち歩けるもう一台のバックアップマシンがあっても、これがネットに接続できなければ何の役にも立ちません。

と言うことで、マシントラブルレスキューはどうするべきか、やっと理解しました。マシン本体、カード型エアエッヂ、バックアップマシンの構成が最適と言うことです。

これであれば電子認証を含めて、ハードディスク障害、すべてその場でレスキュー可能です。ではエアエッヂのトラブルは、と言うと、これはもうビックカメラへ行って別のカードに切り替えればお仕舞い。

実は簡単なことでしたが、なぜこの構成を今まで選ばなかったか、理由ははっきりしています。それはバッテリー寿命です。カード型のエアエッヂでは常時接続で通信していると、バッテリー寿命が数分の一になるのです。これではまったく使い物にならないからでした。

しかしLet'sNoteは、これがなんと通常使用で11時間。数分の一でも2時間は使えます。これで十分だと言うことです。 KAI

September 11, 2006

5年目の9.11に思う−−テロ化する交通戦争

交通戦争と言う言葉を久しく聞きませんが、このところの酔っ払い運転による交通事故のニュースを見ていて、果たしてこれは交通戦争のテロ化現象ではないかと思えてきました。

加害者はまさか自分がテロリズムに加担しているとは思いもよらないでしょうが、社会ルールを暴力的に破壊し、無差別に人の生命と財産を奪う行為をテロリズムとすれば、酔払い運転でまったく何の罪もない幼い3人もの生命を奪うことを、テロといわずしてなんと呼べばいいのでしょう。

まるで普通に見える一人の人間が、ある日突然アルコールと言うテロリズムに憑依され、テロリストとなって無差別殺人に及ぶわけです。

もしこれをテロとするならば、社会はこのテロ化した交通戦争へどう立ち向かえばいいか、ある意味明白に見えてきます。それは、酔っ払い運転をする者を社会の敵であるテロリストとして徹底的に排除する以外にありません。

お酒を飲ませるお店にそれを強いても、売上がからんだりどうせ嘘をつく客相手ですので、無理です。相手にすべきは一緒に飲む者です。今回の事件も、一緒に飲み同乗さえする者がいたのです。一緒に飲む者は大概の場合、この人間がこの後酔っ払い運転をすることを知っています。

そこでこの者たちをテロリズム幇助として責任を、社会が問うことによって、普通の人間のテロリストへの憑依を未然に防ぐのです。

これは「おいお前、飲んで運転するなよ」などと言う生易しい防止策ではありません。周りの人間が「こらお前が運転したら、オレ達が殺人罪で刑務所に入るんだぞ」と酔っ払い運転を制止すると言うことです。だれだって自分はテロリストの一味にはなりたくありません。

社会が酔っ払い運転を許さない、自分が他人のそれを許さないことを、一人一人のその場に居合わせる当事者に強制する以外には、幼い子供たちの命を守る方法はないのではないでしょうか。 KAI

September 09, 2006

エジケンの新サービス

エジケンの新サービス、とてもいいアイデアだと思う。しばらくこのチャットルームを眺めていて思ったのは、このとてつもないオープン性です。今後営業上、スーツからプライベートモードの要求が絶対でますが、ゼーーーッタイサポートしちゃダメです。

その意味は、エジケンならもちろん分かってやっていると思いますが、これを説明する前に、使い勝手と名前についてひとこと。

YouTubeにアクセスできるのはいいのですが、観ている最中にどんどん画面が動いて観れなくなります。これを止めてくれればとりあえず文句ありません^^;。あとサービス名のリンガってのはlingaと言う意味がありますので、世界的に有名になる前に、決断が必要では^^;。

で、オープン性についてです。

電話は、クローズ性の象徴ですが、コミュニケーションにとって人類史上最大の発明であり、西暦3000年でも、テレパシーによるコミュニケーションができない人々のコミュニケーション手段として間違いなく残っています。

ひるがえって、オープンなコミュニケーションである公衆のおしゃべりです。もちろん井戸端会議している中に、赤の他人が紛れ込むことがないのと同じように、世間のおしゃべりは、ある意味クローズです。しかし、傍耳立てて聞くことができるのが公衆のおしゃべりです。

チャットとは、このおしゃべりであるのですが、これがクローズである間は、実は電話の概念からひとつも抜け出してはいないのです。

これを超えるのが、電話と言うコミュニケーション手段を超越した、オープンな電話、おしゃべりこそ、オープンなチャットと言うまったく新しいコミュニケーションの概念であるわけです。

つまりベルやNTTやKDDIがやっているクローズなコミュニケーションサービスの概念から抜け出し、ここに新たなるオープンなコミュニケーションインフラを構築すると言う壮大無垢なるプロジェクトと捉えれば、これは、とんでもないスタートに立ち会うことになったと、KAIは身震いします。

どうでしょうか、時代を変えていくと言うこととは、そう言うことを言うのではないでしょうか。 KAI

September 06, 2006

YouTubeの成功要因は映像のシュレッド化にあるのではないか

YouTubeの本質は、映像の断片化(シュレッド化)によって、映像体験と言う体験を文章体験と言う体験に同質化したことにあるのではないか。

梅田望夫「シリコンバレー精神」刊行記念対談イベントにあるYouTubeの映像を、ひとつひとつ眺めながら、こう思った。

更に言えば映像体験の本質とは、その時間である。例えばテレビのCF。数十秒の世界の勝負です。これに対してそこで例えば放映されている劇場用の映画。これは1時間以上の映像の世界です。

この二種の映像に対する人の記憶に差はありません。長い時間視聴するほどより記憶するわけではないと言うことです。つまり人は映像を自ら好みの長さに細断し、記憶の断片として記憶しつづけます。これはつまり、1時間の映像を記憶するためには、同じ1時間が必要であり、またこれを再生するためには早送りしない限り、1時間を要すると言うことでもあります。

しかしもしこれがYouTubeのように映像が断片化できれば、映像とそのタグである文章情報に、瞬く間に還元でき、これによって映像体験が、今現在のGoogleによる捕捉可能な、文章体験と変わらない世界に、映像体験を引き込む力を持っているってことでもあります。

YouTube現象とは、実はこの映像のシュレッド化であり、文章体験化であって、まったくもって“映像”とは無縁の現象である、と言うのがKAIの結論です。 KAI

September 05, 2006

他人の権利をいかに保証するか

自らの権利を、みな声高に主張しますが、自分の周りの他人の権利に気配りしてますか。

30CM以上、自宅の生垣が財務省所有の狭い通り路にはみだしてる、そこの住民。雨の日のリキの散歩で傘もさせないなんて、まるで無頓着。はっきりいってこんなヤツばっか。

欧州をドライブしまくっているY木夫婦によれば、欧州ではジッパールールと言うのがあって、合流する車どうし、ジッパーのように車が交互に進んでいくそうです。ところが日本では、なぜか入らせまいとする。信号のない横断歩道も最悪です。歩行者が立っていてもスピードひとつ落とさず通り過ぎる車ばっかし。

がんばった自分をほめてあげたいといったのが元リクルートの有森。いまではがんばった自分にご褒美とばかりに、自己収奪の嵐。プレゼントが、いい大人の女の自己収奪欲求実現を正当化する道具になりはてるとは。

これらすべては、民主主義とは個人の権利の実現などと言う蒙昧にあると、KAIは考えています。戦後の蒙昧民主主義教育をもろに受けた団塊の世代、そしてその子供たち、この人たちが主張するのは自分と言う個人の権利であって、決して他人の権利ではありません。卒業式で式典の式次第に従わない団塊教師も、卒業生の権利を尊重する気は微塵も持ち合わせてはいません。すべて彼彼女にとって個人の権利なのです。

しかし民主主義とは、他人の権利をいかに保証するか、これだけです。 自分の権利では決してないのです。他人の権利を保証することによって、結果として他人と言う社会から自分の権利が保証されると言うことです。

これが、まるで神がいて、神が個人の権利を保証するがごとく考えてきた人々。これでは自分が神になっていることに、なぜ気付かないのでしょうか。 KAI

September 04, 2006

やっと方法が見えてきたけれど

この数年間、悩み続けていた問題の解決方法がやっと見えてきました。

それは更新系のミッションクリティカルなアプリケーションが使用するDBMS問題です。

これをOracleRACが解決すると信じている人がいるのにはびっくりしますが、世間は意外とまともです。(クラスタの並列処理と可用性におけるOracle Real Application Clusters と業界の動向

この問題を解決する方法のヒントはGoogleのファイルシステム「GFS」にあるとKAIは考えてきたのですが、残念ながらこの技術は更新系ではなく照会系です。しかしそれでも可能性があると検討を続けてきて、やっとその方向性が見えてきました。

それは、複数のアプリケーションサーバー間でメモリーを共有化する技術です。更にはデータベースサーバー間で、あるいはホットスタンバイルーター間で、メモリーを共有化する技術を開発することによって、更新系のアプリケーション問題をすべて解決できるのではないかと言うことです。

実はこれは、すでにハードディスクと言うメモリー空間におけるRAIDと言われる技術でやっていることを、マシンとして独立したCPU間に拡げればいいだけのことなのです。

アプリケーションは、内部メモリーと外部メモリーとの差分によって機能します。いままでRAID技術のように、リアルな外部メモリーの二重化三重化の技術はいくつも開発されてきましたが、異なるCPU間に渡る内部メモリーの二重化技術は、まったくもって研究さえ行われていません。

これは技術的に言えばマルチプロセシング技術が関係するのですが、目的の異なるアプリケーション間のマルチプロセシング問題の研究は、残念ながら寡聞にして見たことがありません。

そしてそのアイデアです。IPV6にP2Pのプロトコルと並列して、同時空間上のCPU間の新たなサブプロトコルを導入することによって、CPU間の内部メモリーの共有化を実現するのです。

しかし、当たり前ですが誰も手がけていないことを提案しても、当然がごとくこれは却下です。

そこでベンチャーです。ルーターを何台か並べておいて、1台ダウンしてもまったく問題なく通信を継続する。アプリケーションサーバーを何台並べて運用すると、そのうちどの1台が落ちても替わりの1台が代わりをしてまるで何もなかったように、サービスを継続する。

そして更新系のDBサーバーも同様です。KAIが上場できたらまずこれをやりますってヒント出しすぎ^^; KAI

September 02, 2006

日経ビジネスの二つの記事

最近はほとんど流し読みの日経ビジネスですが、年に1、2回非常に興味深い記事に出会うことがあります。今週がその当たり号(日経ビジネス、2006/9/4)でした。それも二つの記事が。

一つ目。9月1日付でソフトバンクモバイル(10月1日変更)の執行役副社長技術統括兼CSO(最高戦略責任者)に就任した松本徹三氏の、この就任前のインタビュー記事。

 ソフトバンクグループでの仕事はこれからですが、個人的には今後次の4つのキーワードが戦略のカギを握ると考えています。携帯電話と放送サービスなどが連携する「メディアの融合」、おサイフケータイに代表される「電子マネーの流通」、携帯電話を使って遠隔地のサーバーなどの情報を活用する「シンクライアント」、そして最近話題になっているインターネット技術の新潮流「Web2.0」です。(ソフトバンク携帯に新参謀 米クアルコムから転出の松本氏が語る真意、p.16)

孫正義の才能は、この松本氏や直近の北尾氏に至る、その時々の彼の思う戦略を戦術化できる参謀たる人物を、味方にする能力です。

この松本氏の4つのキーワードは、実はKAIが以前のエントリーパソコンの未来に書いたことを、ケータイ側から表現した、そのものであるのです。

孫正義の、運の強さを感じざるを得ません。

二つ目が、竹中平蔵の寄稿論文。

 成長率・金利論争が1つの区切りを迎えたのが3月16日の諮問会議だった。会議の事務局である官僚が素案を作ったと思われる民間議員の提案として、今後の財政健全化シナリオを議論するに当たって名目成長率3%、金利4%の場合を「基本ケース」として考えるという内容が提示された。明らかに将来の増税幅が大きくなるという結果を引き出すための設定であり、財政当局のバイアスを感じざるを得なかった。
 筆者はこれに強く反論した。「基本ケース」など無理に設定せず、複数ケースを並列して議論すべきと主張した。議論が膠着した段階で、議長である小泉純一郎首相が厳しい口調で発言した。
 「複数ケースでいい。最終的には政治判断だから。決め打ちする必要はないし、これが基本だという必要もない。複数を提示して、最後は政治が判断する}(消費税引き上げに待った 「低負担・高成長」か「高負担・低成長」の分かれ道、p.126)

竹中のおかげで談合柳沢の闇から、やっと日本は危機を脱したのですが、依然この抵抗勢力が跋扈する様に、変わりありません。安倍政権の命運はこの柳沢と竹中のどちらを重用するかにかかっていて、もちろん後者以外は考えたくもありませんが。

それにしても、小泉の運の強さです。2001年まで(以降も)テレビに登場する経済評論家、経済学者、政治家でまともな議論ができるのが竹中一人であった中で、まさかこの竹中を大臣に起用するとは。2002年のりそなショックの時KAIの周りの経済通と称する方々もKAI以外の誰一人竹中を評価するものはいませんでした。榊原英資にいたってはペーパードライバーと揶揄し、これをのちのサンプロで中川秀に「あの人の言うことはあたりませんから」と公然と切り捨てられ、溜飲を下ろしたのは言うまでもありません。

一つ目の記事の松本氏とこの竹中には、共通するものがあります。

それは、上記論文中に出てくる次の記述に垣間見えます。

 経済成長の議論に関して、日本の現状は、ある意味で10年前の米国経済に似ている。当時、米国ではしきりに「ニューエコノミー」という言葉が使われた。それまで2%台半ばと考えられていた米国の潜在成長率が、実はそれよりはるかに高くなっているのではないか、との問題提起であった。
 2001年、経済財政担当大臣に就いた直後に筆者はワシントンを訪れ、当時のCEA委員長のハバード氏や大統領補佐官リンゼー氏と、この問題を議論した。彼らは1990年代後半以降、米国の潜在成長率が3%ないし3%半ばに上昇したことについて、既に専門家の間で合意が形成されたと述べた。(同、p.126-127)

つまり、極めて精力的に勉強して、調査し、議論をし、考え、検証して、最終的なものごとの本筋に至る、その本筋を見通す力を持っている人物であると言うことです。そうではない人間が大半であると言うのは先に「2001年まで(以降も)テレビに登場する経済評論家、経済学者、政治家でまともな議論ができるのが竹中一人であった」と述べたとおりです。これは松本氏についてはあくまで想像ですが、ケータイの本筋を見通す力を持っている人物であることは間違いありません。 KAI