July 30, 2006

竹内久美子の少子化仮説

これってひょっとして竹内久美子が正解かもしれない。

 ともかく、まず、次の表をごらんいただきたい。
 『ヨーロッパ統計年鑑2002』(猪口孝監訳、東洋書林。猪口孝氏は、奇しくも猪口邦子少子化・男女共同参画担当大臣の夫である)を元に、婚外子の割合の高い国順に、出生率も示したものである(データは1999年、または2000年)。
 婚外子の割合(%) 出生率
アイスランド  65   2.08
スウェーデン  55   1.54
ノルウェー   50   1.85
デンマーク   45   1.74
フランス    42   1.77
イギリス    40   1.64
(この間に、フィンランド、アイルランド、オーストリア、オランダが続くが、略す)
ドイツ     23   1.34
ルクセンブルク 22   1.78
ポルトガル   22   1.54
ベルギー    20   1.61
スペイン    14   1.20
スイス     11   1.50
イタリア     9   1.23
ギリシャ     4   1.30
 婚外子の割合の大きさに驚かれた方もあるかもしれないが、とにかく出生率と婚外子の割合とがかなり対応している。
 もしかして先進国で出生率に一番関係するのは、婚外子の割合ではないだろうか。

 実体に制度合わせる欧州
 ただし、ここが肝心な点なのだが、この婚外子というのは、女がいわゆる未婚の母であり、一人で仕事にも、子育てにも奮闘するとか、裕福な男の愛人となって、ひっそりと子を育てる、などというタイプのものではないことである。
 北欧諸国、イギリス、フランスなどでは男と女が正式に結婚せず、一緒に暮らし、子ができてもまだ正式に結婚しないというライフスタイルが定着してきている。
(産経新聞正論、竹内久美子、2006/7/30) 

竹内が主張するように、よくよく考えると、これはある意味確率問題ですね。結婚していようがしていまいが、子を産み育てる環境に差がなければ、当然がごとく結婚しないで子を産む確率は高くなります。子を産む確率が高くなると言うことは、すなわち出生率が高くなる。当然と言えば当然です。

なんでこんな簡単なことに気付かなかったんだろうと、思います。

そこで気がついた。昔のエントリーで、こども手当8万円支給の義務化をうたったけれど、考えてみれば、こども手当てとは既婚、未婚関係ないではありませんか。そうです、これって、私たちの会社の2/3を占める独身者にもある意味有効ってことです。

ふ〜む、さっそくこども手当て制度、導入するっぺ。 KAI

July 29, 2006

夢二式美人と心の美人

最近毎週土曜日の早朝が、楽しみです。理由はNHKの美の壷と言う番組の再放送。

今朝は、竹久夢二の美人画、夢二式美人がテーマです。

夢二式美人を味わう壷は、しぐさ、お洒落、配色の妙の三つ。しぐさとは、女性のしぐさのなかの、かわいらしさ、奥ゆかしさ、艶やかさです。お洒落は、コーディネート。女の心が、動いて出てくるような、やさしく楽な着こなし。配色の妙は、リズミカルな色の配置。まさに目で見る音楽。

なるほどなるほど。

美とは何か。美しいとは何か、といえば、やはりそれは心の中の圧倒的な感動です。そして感動するための、心の目、心の中の澄んだ目を、欠かすことはできません。

この澄んだ目を通して、美と美を鑑賞する人との間の共鳴現象が、美の感動を生み出します。

そういう意味で夢二式美人に、現代に通ずる不変性があるのかどうか。

それは、残念ながら、否です。

理由は簡単です。その理由とは、情報過多です。夢二式美人の時代の情報量と現代の圧倒的な情報量の差が、夢二が表現する微妙な、女の心の機微を打ち消してしまっているのです。

今では、女のかわいらしさ、奥ゆかしさ、艶やかさに、誰も感動しません。女の心は最初から、表に出ずっぱりです。デパートで売られている浴衣のデザイン、配色に胸をときめかせるものはありません。すべて流行りと言う形で、個性を喪失しているからです。

この情報過多時代の美人は、まさに美人の受難時代、戦国時代。

こういう時代の美人とは、圧倒的な心の美人、です。これが今年のテーマになるのは、間違いありません。 KAI

July 28, 2006

千代蔵の愛とあずみ

マンガで、感動してしまった。スペリオールのあずみを読みながら涙がとまりません。(ストーリーは本日発売号を読んでみてください)

映画にもなっているマンガですが、連載開始当初からの愛読者であるKAIは、あずみのあまりにも過酷な人生に、今ひとつ共感をもてないまま、でもしかし不思議な魅力に、毎号かかさずチェックしてきました。

まさか千代蔵がこう言うかたちで、このあずみの舞台からさろうとは、想像だにしませんでした。

作者の世界にはめられまいとすればするほど、この千代蔵の想いは純粋すぎます。

いまこれほどの純粋さに出会うことは、まずありません。

おまけに、人が純粋であることを、世の中嫌う風潮があります。もちろん社会全体の純粋化に怖れることを、決してKAIは否定はしませんが、人一人が純粋であることは、精神のバランスには、欠くべからざる根本原理原則であります。

これを千代蔵が激しくゆさぶるのです。

社会の劣化などと言う、難しい分析などいらないのかもしれない。原点は純粋な心にあるんだと、千代蔵が言うのです。 KAI

July 26, 2006

苦しい時の人の恩

この夢の実現の為に、もう幾度難苦の壁をこえてきたことかすっかり忘れてしまったけれど、その度のその場から去っていった人々も手を差し延べてくれた人々も、そのすべての人々の顔を、決して忘れることはありません。

なけなしの預金をKAIの会社の株式に投資してくれた愉快な仲間の一人も、本当にKAIにとってはありがたいお金でしたが、彼にとっては若くして血の出るようにためたお金です。

そのためにも何があっても2009年には、その恩返しをしなければなりません。

9850万円と言う株主一人一人の顔が、今去来するのは、なぜなんでしょう。誰かが思っているのでしょうか。

今はくやしいほど若くして鬼籍の人となった大学時代の友人も、上場の暁には株券と一緒に残された奥様のもとに線香をあげにいこうと心に決めています。

たった今、上に書いた愉快な仲間が、一緒に暮らす彼女を連れてハイタイドに来て、二人とひとしきり話が盛り上がって、帰って行きました。

こうして去来する人々とのご縁。これがKAIの、すべての生きるエネルギーの源です。 KAI

July 25, 2006

話のタネはつきるとも心配のタネはつきることなし

すべては仕事が解決します。要は一心不乱に働くことです。迷いがあるうちはあれこれ考える前に、汗して働きなさい。そうすればやがて自ずと答えは出てきます。焦る気持ちもわかります。急ぎたい気持ちもわかります。しかしそんなに焦っても、そんなに急いでも、永い人生、人生の長さに変わりはありません。 KAI

July 24, 2006

ユーイチ君の料理(11)

海老とおくらの炒めもの

ほんとに久しぶりの掲載です。もちろん実際は毎日いただいているので、単にレシピ化してないだけなのですが。

明けそうで明けない梅雨空の、この時期ならではの料理といった趣です。

サラダ油とごま油を鍋にしく。
種をぬいて細かくちぎった鷹の爪、つぶしたニンニクを香りがでるまで弱火で炒める。
セワタを取ったむきエビをいため、オクラをいれてさけをふり、醤油、塩で味付けして完成。
オクラには火を通しすぎないように!

なんといってもこのエビの歯ざわりは、快感です。それにオクラのぬめりのある歯ざわりは、いかにも夏のスタミナ気分で、元気もりもり、疲労回復効果満点です。

先週の1500キロのドライブの疲れが、今日になってどかっと来たみたいな体調(歳取ると三四日あとにくるのよ^^;)に、昨日のウナギ料理といい、本日のこの料理といい、心の通ずる料理番を持つKAIはしあわせものです。 KAI

July 23, 2006

愛犬リキの病気

リキのことが心配です。毎早朝の散歩、3階から1階へ、最近はいつも階段を踏み外してずり落ちるように下りていきます。

原因は左前足の胸のリンパにできた巨大なコブです。

筆者はこれは、丁度2年半前、我が家を襲ったネズミ戦争の終結ののろしとともに、その残骸の殺鼠剤を、不注意でリキが大量に食したことが、このコブができた原因と考えています。しかしすぐつれていった獣医さんは、ゴールデンのよくある病気ですといって、ガンであれば時をおかず亡くなるし、手術して取り除いてもそれほど効果はありません(つまりまた大きくなる)とおっしゃる。

とりあえずといって様子を見て2年。ハンドボールのボールくらいにふくらんできました。さわると熱を帯びていて、本人が痛いのかどうか、そのシグナルは、悲しいかなKAIには受信できません。

これ以外の、水がほしい、オシッコしたい、ウンチしたい、ボールで遊んで、すべてわかるのに、この痛みのシグナルはまるでわからないのです。

シグナルと言えば不思議と食べ物をよこせと一度として要求したことはありません。筆者は毎朝朝食のあとシャワーをあびてから仕事に出かけますが、リキに餌をやらなかったりうっかり忘れてシャワーに入ると、お風呂から出るとお風呂のドアの前にうらめしそうな眼をしてうつぶせになって待っています。

お腹をすかせるとぎゃーぎゃー言う人間と違って、まことにつつましやかな限りで、つい胸きゅんです。

しかし巨大コブをどうしたものか。一難さってまた一難。神様の意志はまことに的確です。 KAI

July 20, 2006

雨の墓石と心の軌跡

きのう一晩でお土産のへしこをすべて配って廻って、いまハイタイドのカウンターの上に1本残るのみです。もちろんこれもこれから来る愉快な仲間のウッシーに渡ります。

墓参りに帰省したのにこれを断念したと書いてあったけど、とご心配のご仁もおられようかと思いますが(え?誰も心配してないって^^;)、昨日早朝東京に向かう前に、膝を痛めた母親抜きに娘と二人だけで、雨の中の行く手をさえぎる雑草雑木をはらいながら山道を登って、父親の墓前に線香をあげて手を合わせてきました。

オヤジ、こんないい娘をつれて帰ってきたよ。

3回忌の法要のあと、1年に1回、こうして墓参りをすると、1年1年の自分自身の心の大きな変化に気付きます。オヤジが亡くなる前の脳梗塞で倒れた年から、変化の胎動が始まりました。生長のための脱皮です。その後の三度にわたる毎年の脱皮の度に、この墓石の前に立ち、手を合わせてこのオヤジに語りかけてきました。

山の中にあるお墓の面倒を見るのは大変と嘆く母親も、やがてこの墓に入ります。そして自分もと想いながら。

雨に濡れた墓石は手を合わせるものを妙に神妙にします。 KAI

July 19, 2006

再びさばのへしこと2匹の小猿

昨日から父親の墓参りに京都の実家に帰省中です。往復1500キロのドライブにそなえて先週タイヤを新調したばかりで、雨の東名名神も快適です。

本日は、福井県全域の大雨洪水警報の中、美浜町の千鳥苑で、昨年に引き続き、さばのへしこを7本と塩さば3尾ゲットしてきました。

この大雨で、実家の目の前の小山の中腹にある、父親の墓参りは断念しても、90キロメートル先にあるへしこ参りをあきらめないところが、くいしんぼうの家系の所以です。

今回は、渋谷の109で働く娘が休みを取って一緒についてきたので、KAIの母親と親子3代でのドライブ。行きも帰りも、さすがにこの豪雨で、近畿縦貫道舞鶴若狭線は貸しきり状態。夜半には通行止めになるくらいですから相当な雨です。

帰りに小浜西から高速にのったところで小猿が2匹、KAIの車の目の前で、どうどうと道路を横断するのには参った。参ったといっても良い意味です。この2匹の小猿。何か幸福の予感がします。

さっそくゲットしたへしこを刺身でいただく。もう少し時間を置くと油ののりかげんがもっとよくなるんでしょうが、美味。芋焼酎鉄幹でいい気分に。娘と母親は鍛高譚で、3人でミニ宴会。

こう言うところで世代が繋がっているんだと、夢の中でつぶやきながら、早めの就寝。 KAI

July 16, 2006

母性の喪失(4)

事件は、誰もが予想していたとおりの展開になった。例の秋田の事件です。

人は、いくら憎いといってもそう簡単にその人間を殺すことはありません。必ずその殺人に至る心の迷宮の階段を登っていきます。登り切ったところで人は二種類の人間に分かれます。殺す人とそうでない人とに。そしてそれは心の中に「母性」を見出した人は人を殺すことはなく、「母性」を見失った人がその人を殺すのです。逆説的ですが人を殺すことでその人が持つ「母性」を取り戻そうとしているとも言えます。(母性の喪失(2)

この“逆説的ですが人を殺すことでその人が持つ「母性」を取り戻そうとしているとも言えます”は、秋田の事件の今回の展開を念頭において書いたものですが、この母親は、自分の実の娘を殺害すると言う母性の喪失そのものと、その喪失した母性を男児の殺害で取り戻そうとすると言う、二重の母性の喪失に至っているのです。

警察が女児の死を事件としていれば、後の男児の殺害を防げたかもしれないと言う意見もあります。しかし例え警察が事件としていたとしても、その場合は女は時をあけずに犯行を繰り返していたのではないかと、強く推量されるのです。

なぜか。

それは当初から自分の娘の死が、世間に強く事件であることを訴えていたからです。なぜこんなことをするのか。事件でないとされるほうがいいのに、と世間は思います。

しかし女はまったく意外な行動に出るわけです。KAIが考えるその理由は、女がそのとき「母性の喪失」以外の動機を持ち合わせていなかったからです。娘が憎いわけでもない。娘がいなければ、と思うわけでもない。ただ単に「母性を喪失」しただけだったのです。しかし女にはこの自覚はありません。娘を失ったその瞬間から、この女の母性探しの短い旅が始まりました。

なぜ私の娘はなくなったのですか?

世間に問うたのです。しかし誰も、恐れ多くて答えてくれません。所詮世間が出してはくれない答えです。再び自分で答えるしかなかったのです。男児殺害と言う答えを。

しかしなぜ女は「母性を喪失」するのか。

それは女が、母性でない、女性と言う性の虜になるからです。人である女は、母性と言う性を獲得することで、女性と言う性からの脱皮を果たします。子を産めない女も、精神性の世界で母性を獲得するのです。人の赤ん坊を抱きしめるかたちで。

人は、生まれたときから男性であったり女性であったりするわけではありません。互いに異性を意識する中で自らの性を確立していきます。ところがこのプロセスで、互いの異性間の結びつきが強すぎる女性は、男性と言う性に引っ張られて、女性性から離れることができなくなります。この結果の、母性の喪失であるわけです。

事件の陰に女あり。これとまったく同じ理屈で、女の事件の陰に男あり。

これが母性の喪失の真相であると、KAIの仮説です。 KAI

July 15, 2006

炎熱テニス

早朝から30度を超えて、案の定テニスを始める10時には、コート上の体感温度は37度5分。微熱状態ですよ、まったく。

今日のメンバーはいつものO谷さん、最近助っ人になったS浜さん、コーチのN本くん、KAIの4人。麻雀と違ってきっちり4人そろっていないと試合にならないので、前にも書いたけど面子をそろえるのはいつも大変。と言いながらいつもなんとかなってしまうのも不思議。

じゃんけんでペア決め。O谷さんとペアに。コーチ相手で厳しい戦いになる予感が。ウィッチ?ラフ。ハズレ。んじゃサービスいただきまっす。

とKAIのサービスでゲーム開始。このくそ暑いのでぱっぱとと思いきやみな手堅くサービスキープ。もうそろそろここで決めないと死んじまうと思った10ゲーム目、N本くんのサーブ。N本くんのボレーミスで、やっとブレイクして6-4でゲームオーバー。

ゲーム始める前にペットボトルのお茶を1本。ゲーム中に1本。この休憩中に1本。しばらく動けません。

10分休憩して、ペアを替えて第2戦。今度はコーチのN本くんと。うっしっし楽できまっす、と思いきや接戦に。なんでーと言う悲鳴とともに、6-6のタイブレークに突入。辛くもタイブレークを7-3で制して7-6でオーバー。と時間は12時ちょっと前。オシマイオシマイ。

速攻でアンジェロ行って、生ビールジョッキで3杯一気飲み。うっっっまーーーい!!!

これだから、炎熱テニスはやめられません。 KAI

July 14, 2006

松下幸之助の言葉(4)

アプリケーションと言う刀は、人の行為と意識を切り取る力を持っています。そのアプリケーションと言う刀を扱うには、本物の刀で人を傷つけないのと同じように、人の行為と意識の次元でアプリケーションと言う刀の運動法則、すなわちこれが倫理法則ですが、この倫理法則に則った作法の理解と実践が不可欠となります。

またまた難しいことを書いてすまない((C)ウチダ)^^;。

すなわちアプリケーションを設計する側も利用する側も、自分達の行為と意識をそのままソフトウェアに押し付けるのではなく、本来アプリケーション自体が持つ運動法則、倫理法則を理解したうえで、その元々のアプリケーションの構築と利用を行う必要があると言うことです。

アプリケーションとはある意味、モノです。このモノの声を聴かずして、人の行為と意識を、その思うがままにソフトウェアにすることは、人が刀を力ずくで支配しようとすることに等しい愚行です。

このモノの声、すなわち倫理法則とは、アプリケーションと人間が渾然一体となって運動する、その運動法則です。

この運動法則に適わないアプリケーションの開発が、IT業界のモラル欠如の根本原因であり、倫理法則を実践できないものづくりでは、人が育つことも、人がつくられることも、一切ありえないのです。

逆に言えば、倫理法則に則るアプリケーションの開発と利用こそ、人づくりの現場を生み出す大きなヒントがあると言うことでもあります。

ではそれは具体的にどう言うことか。これはまたしばらくして説明することにします。 KAI

July 12, 2006

松下幸之助の言葉(3)

格す(ただす)とは

物理法則が格すとはどう言うことか。これはいいかげんなビルや橋を設計すると、ビルや橋が壊れて人が死ぬことを意味しています。つまりハードウェアの技術者の仕事は物理法則によって担保されていると言うことです。

もう少し別の言い方をすると、物理法則とはモノの運動の法則です。モノを設計するあるいは製造する人間は、このモノの従う法則に逆らうことができません。これを格すと言うのです。

刀と人の関係も同様の考え方ができます。刀をいい加減に扱うと自分自身が傷つくばかりでなく他人の命さえ奪いかねません。ウチダ先生が書くように、正しく扱わないと身体を痛めることにもなります。これが何を意味しているのかと言うと、刀には刀の運動の法則と言うものがあって、刀を扱う人間は、この刀の法則から逃れることができないと言うことです。更には、刀を超えてその刀を扱う人間の生き方、考え方にまで、この刀の法則は支配が及びます。

ですからこの関係は共生などと言う対等の関係ではなく、ましてや人が主である関係でもありません。刀が人を支配する関係であるわけです。これを刀の法則が人を格すといいます。前回“刀を格すことができるのは「全身の構造的安定」による”と表現しましたが、格すのはあくまで人をです。つまり人が力で刀を支配するのではなく「全身の構造的安定」と言う形で刀の法則によって人が格されるのです。

さて問題のIT業界です。

IT業界の刀とはアプリケーションのことです。このアプリケーションと言う刀は、一体人の何を切るのか。続きはあした。 KAI

July 11, 2006

松下幸之助の言葉(2)

あなたの会社は人をつくらず、人をつぶしていると言うのがIT業界の実態のようです。

ITproのやはり危機に瀕していたIT業界の「モラル」から。

7割弱がモラルの欠如を実感

 調査では,まず「3〜5年前と比べてモラルが欠如していると感じるか」を尋ねた。すると「強く感じる」とした回答者が24.3%,「やや感じる」が42.2%となり,程度の差はあるものの,全体の7割弱が何らかの形でモラルの欠如を実感していることが分かった。回答者の立場(ベンダーかユーザーか)や所属企業/組織の従業員規模などが違っても,この傾向に偏りはなかった。

 この数字だけをもって,必ずしも「モラルの欠如が深刻な状態にある」とは言い切れないかもしれない。だが,回答者が寄せた自由意見には,モラルの欠如を指摘する声が目立っていた。

これでは松下幸之助さんの言葉が素直に耳に入っていかないのも、頷けます。なぜITと言う仕事は人をつくらないのか、なぜ人を育てないのか。

その理由(わけ)を知る手がかりが格す(ただす)と言うキーワードです。

ハードウェアの技術者は、物理法則が人を格します。サービスを提供する人間は、相手する客が人を格します。同様にソフトウェアの技術者は、倫理法則が人を格すのです。

この格すを理解する良い事例がウチダ先生のエントリーにありました。

昼から居合研究会の稽古。
定期的にさわっていないと本身の刀は怖くて抜けなくなるので、月一ペースで居合の稽古をしている。
身体運用一般にかかわる気づきが毎回ある。
このところの技法的課題は刀を止めるときに全身の構造的安定によって刀を止めるということである。
腕の力で止めていたのでは遠からず肘や肩に痛みが出る。
そういうデリケートな関節部に痛みが出ると、周囲の筋肉を硬くして、痛みを散らしてこらえるようになる。
しばらくはそれで済むけれど、何年か経つと、背中や腰の中など、直接関係ない部位に凝りが出て、やがて激痛を発するようになる。
痛みを覚えると、私たちはすぐに痛みをこらえて身体感覚を鈍感にするという安易なソリューションに訴える(そんなことをしても痛みは消えない。潜伏するだけである)。
身体感覚をできる限り鋭敏に保つことを生命線とする武道において、これは自殺行為である。
痛いのは身体の使い方が間違っているからである。
どこにも痛みも出ないように身体を使うための条件として、重く扱いにくい刀は与えられている。
刀がある位置にある軌跡をある速度で移動してきたことによって、身体全体の安定性が最大になるような刀の動き方を探す。
はじめるときりがない。
汗びっしょりになって家にもどる。

この日本刀と人間の関係は、ソフトウェアとソフトウェア技術者との関係、あるいはアプリケーションとそのユーザーとの関係に相通ずるものがあります。切れる刀を下手に振り回せば自らの身体を傷つけます。ウチダ先生のように手練れが刀をとめても身体をこわすことがあります。

刀を格すことができるのは「全身の構造的安定」によるのであって、力によるのではないと、ウチダ先生はおっしゃっているのです。

これだけでは一体話がどう繋がっているのかワケワカメでしょうが、とりあえず今日はこれまで。 KAI

July 10, 2006

業務診断報告書の効果

監査法人から業務診断報告書をいただく。小一時間のご説明に納得して受領する。

あらためて手元にある報告書の中身を見ると、予想していたとはいえ、準備しないといけない規程の多さにあきれかえるばかりです。

定款(もちろんこれはある!)
取締役会規程(ない!以下同文)
会議規程
株式取扱規程
組織規程
組織図(これももちろんない!と言うよりどう図にすればいいのん?)
職務分掌規程
職務権限規程
稟議規程
規程管理規程
就業規則
給与規程
従業員退職金規程
役員退職慰労金規程
人事考課規程
旅費規程
慶弔見舞規程
従業員貸付規程
介護休業規程
経理規程
固定資産管理規程
棚卸資産管理規程
販売管理規程
購買管理規程
予算管理規程
内部監査規程
社印・印章取扱規程
文章管理規程
契約書管理規程
内部情報管理規程
原価計算マニュアル
勘定科目・部門コード表
棚卸実施要領

どれもこれも明文化されていないだけで、こうやるんだと言うルールはあります。ただこのルールを規程化することができるかどうかが、これが大きな問題であるわけです。(フォース炸裂ついでの公私混同論続きを参照)

ともあれやるべきことは、見えました。当面の定規が揃ったと言うことです。あとはこの定規でどんな線を引いていけばいいか。ふっふ、なんだか楽しくなってきて、やる気が出てきました。 KAI

July 08, 2006

松下幸之助の言葉

たまたまテニスに疲れてうとうとしながら見ていたテレビで、松下幸之助が社員に向かって、あなたの会社は何をつくっているのかと訊かれたら“人”をつくっているとこたえなさいと言ったと言う、あの有名な話をやっていました。

まことに仕事は人をつくります。汗して日々稼ぐ努力の中で・・・とここまで書いてあと続くのは凡庸な言葉ばかり。気の利いたセリフが出てきません。

と言うことで久しぶりの、中身なしのアップップ^^; KAI

July 07, 2006

採用面接

昨日今日と社員の採用面接を行う。

昨日は社員のKODの紹介の女性。え?女性社員は採用しないって言わなかったっけ?(動物感覚−アニマル・マインドを読み解く(2)

面接の後KODを入れて3人で寿司勇で食事をしながら恐る恐る血液型を訊く。「AB型です」「あーよかったAB型は、まったく大丈夫!」君子は豹変します。

本日は、新聞記事で当社を知ってホームページから応募してきた男性。昨日の女性もそうでしたが履歴書に貼られた写真がよくない。と思いながらお会いすると、これがまるで写真と違う。お二人ともデジカメで撮っているのが原因ではないかと。

営業職を希望されているので、営業の考え方を尋ねる。

そもそも営業とは“確率”です。営業と言う仕事がこの確率と言う統計現象であることを理解できた営業マン(女性も含む)は、必ず実績を出すことができるようになります。保険の外交員や車のセールスで実績を上げてきた人はみな、この事実を理解した上で、その事実の上にさまざまな工夫を積み上げてきた人たちであると言うのは、彼らや彼女らが書くトップセールス読本に目を通すと、一読して理解できます。

残念ながら彼は、それを理解した営業とは違う考え方を披露される。うーむ、残念ながらと思いきや、彼はこれを理解しないまま前職でこの“確率営業”の特訓を受けていたのでした。当時この“意味”が理解できないまま実績をあげていたのでした。

であれば話は簡単です。できるのになぜできるのか理解できていないだけのこと。即採用です。

今週は採用ウイークだったかも。これで少し陣容が整ってきました。 KAI

July 05, 2006

行きつけのお店の相次ぐ閉店

クロワチアではなくクロアチアでした。いまのいままで知らなかった^^;。ご指摘感謝 > YUM

で本題。昨日、もう20年以上前から通っていてこのところ週に2回は立ち寄っているそば屋へ行ったら、なんと6月30日をもちまして閉店しましたと張り紙がしてあった。6月30日と言えばその前日に行ったけど何も変わった様子はなかったのに。

そして今日。こちらも20年以上通ってきた渋谷のナカムラと言う床屋さんから8月13日でもって閉店するとのお知らせが。2週に1回、毎度のマッサージを楽しみに、髪も髭も整えてくれる貴重なお店でした。閉店とはまことに残念の極みです。

どちらのお店も、以前のエントリー年間予約と言うフレームワークで述べたテニスコートの予約と同じように、KAIにとって完全に生活の一部に組み込まれたお店でありサービスでした。

このサービスがなくなることは筆者にとって大きな痛手です。そば屋も床屋も替わりはいくらでもあるよと言われそうですが、ワカ玉そばネギ多め、このそば屋だけの立ち食いながら絶妙な味加減。代替はなかなかありません。床屋にいたっては一層替わりを見つけるのは困難を極めます。マスターに紹介をお願いできないか訊いてみよう。

しかしそれにしても人にとってなくてはならないサービスがあって、これがなくなることは、まるで身体の一部と化した相方を失うような感覚。リハビリに時間がかかりそうな予感がする。 KAI

July 02, 2006

プールテニス

今日の面子は、M田くん、O谷さんと、いつものY木さんが2週間のクロアチア旅行のため代打のタクちゃんとKAIの4人。

はっきりいってこの面子はかなり高レベルなテニスができる面子です。12時ゲーム開始。早々からこの期待感で、いつものテニスとは一味違うものを予感させます。

と思いきやここから怒涛の雨。しかしこれでもやめないのが“ほんまもん”(“すきもん”とも言う)。とは言うものの4ゲームこなしてやっぱり一時中断。20分後小降りなって再開するや、またもや本降りに。しかしもう最後までやめません。サッカー選手のように雨の中のゲームをこなして2時きっかりにタイムオーバー。

まるでプールの中でテニスをやってるようだとは、O谷さんの弁。

雨中のテニスは、雨で重いボールがすべって速い、でもはずまない。このボールを、自分がコートで滑らないようにしながらいかにコントロールするかです。この4人でなければとっくに止めてお茶してましたが、今日はこの“プールテニス”を極めるべく楽しんでいます。(え?オレは違うって?誰?)

基本ができていないと、重いボールも速いボールも、まったく返せません。ガットの真ん中にあてないと重いボールでラケットははじかれます。テイクバックを早くしないと速いボールに追いつけません。さすがにショートボールにダッシュがきかないのはいたしかたありません。

かように一生懸命やったおかげで、マティーニを飲む胸板がイタイ。プールテニスもたまにはいいもんだ。たまには^^;。 KAI

July 01, 2006

カウンターアタック的保守サービス

サッカーでもラグビーでもバスケットボールでも、相手のボールをカットしたあとの速攻いわゆるカウンターアタックのポイントゲット率が一番大きいはずです。これはさらに被ポイント側の精神的ダメージも極大化します。

まったく同じ理屈で、失恋しても、そのあとすぐ彼氏ができてダメージ最小の彼女は、その逆のパターンです。

今回のマシントラブルも、往復の2時間はかかったものの、ダメージを最小に抑えることができたことの意味は大きいです。

“あちら側”中心の業務体系に移行すればするほど、この“サービス”を維持する保守サービスの重要性は増すばかりです。

この時に大方が勘違いしているのは“サーバーマシン”の保守サービスではなく“クライアントマシン”の保守サービスの重要性です。

ブラウザさえ使えればどのマシンでもいいはずが、今回のように電子認証が導入されるとそうは行かなくなります。

ここにカウンターアタック的保守サービスの重要性の意味があります。クライアントマシンだからこそカウンターアタック的保守サービスが必要になるのです。

そんなことを考えていたら、しっかりDELLの保守サービスも、社員の別のマシントラブルに当日オンサイトでマザーボードの交換対応までしてくれました。

DELLもわかってらっしゃる。 KAI