June 30, 2006

月末のYouTurn二題

すべての仕事が“あちら側”でできるようになったのはいいけれど、“こちら側”のマシンが使えなければ手も足も出ません。

昨日の夕方、モバイルで“あちら側”に繋げるべくマシンを立ち上げたら、バッテリー切れ、早く充電せよとマシンはおっしゃる。でもキミねー、コンセントはちゃんと差し込んであるでしょう、何が不満なの?ってな会話をしてるうちに、キミはブラックアウト。モバイルの代替機なんてありませんので、久しぶりにマシンなしのセカンドオフィスは意外と集中できます。

今朝一番で南砂にある修理受付センターに電話して、これから行くから待っててねと伝えて、高速とばして持ち込む。予想通りACアダプターの断線。部品取り寄せまでの代替品を借り受けて速攻でオフィスにYouTurn。

この速攻感こそマシン保守サービスの決め手です。やっぱり日立はやめられません。

本日は何せ月末。いろいろ支払があるのに、電子認証のマシンが使えなければ仕事になりません。(一応モバイルじゃない代替機はちゃんと用意してある)

しかしまたまたトラブル。銀行のWebセンターがビジーで何度やってもただただ地球がぐるぐるまわるばかりでこれまた仕事になりません。すわATMへ。カードで個人の口座へ一旦資金を移動してまたオフィスにYouTurn。帰ってきてもまだ地球がぐるぐるまわっている法人用を尻目に、個人用のWebセンターはスカスカでサクサク振り込んでおしまい。

いやーあわてなくなりました。なにせこれらはすべて過去体験済み。経験に学ぶってやつです^^;。

しかしですよ、こんなんじゃあダメ!ダメ!ダメ!とてもじゃないけどミッションクリティカルな仕事をWebに移行する気がなくなります。

アプリケーション・アーキテクチャをどうするか、世の中巷ではAJAX化の議論もあまたありますが、まだまだATMなどと言うリアルによる代替可能性を維持しながらのシステム構築が、当面の最適解であるようです。 KAI

June 28, 2006

母性の喪失(3)

舞台はまた菊正。保護司をなさっているハツエさんの発言。

あの子たちに問題があると言うより、ほとんどの場合、あの子たちの両親に問題があるのよね。

両親の問題とは突き詰めれば母性の問題です。子を産み育てる性を母性とすれば、子を産むまでの母性は持ち合わせても、育てる母性を喪失した母親の子の非行は哀れです。

母性の喪失は母親だけにとどまるものではありません。例えば不仲で離婚した両親の子が、父親側に残る場合、去っていった母親とともに母性もその子の心から奪われるのです。その子が男子であれば結婚して自らの子を得て初めて失った母性を取り戻すことができます。

件の高校生にとって継母の母性は、その失った母性の代償であったはず。継母がこの高校生を育てる母性を放棄しなければ、確かに代償になった。しかし結果は、父親の息子への偏愛とは裏腹に継母は父親と息子の関係の離反を図った。みせかけの従順を装いながら。

彼は、まるで100万倍のセンサーでこれを感じ取ったのです。母性の喪失を。

時間が戻ればいいと彼は言っているそうです。まことにそのとおりであり、気の毒のきわみです。 KAI

June 26, 2006

母性の喪失(2)

月末のクソ忙しい時にこんな重いテーマを扱うもんじゃないって^^;。

筆者は、人間関係を原因とする死には、ほとんどの場合この母性の問題が深く関わっていると考えています。

丁度今朝の産経新聞に西部邁が、今の異様な犯罪の多発に対して、次のような論をのべています。

 だが、「狂人とは何か」ということにかんする(作家で保守思想家、ギルバート・チェスタトンの)次のような定義に注目する評論家は一人もいない。「狂人とは理性を失った人のことではない。狂人とは理性以外のすべてを失った人のことである」。つまり猟奇心をそそるような事件の多くは、見様によれば、何の変哲もないほどの合理的な動機に発する単純きわまる犯行にすぎない、ということが見落とされている。たとえば、食事の仕度が大嫌いで携帯メールである種の男たちを誘い込むのが大好きな母親にとっては、我が子を亡き者にするのが合理的な行動だということである。
 彼女が持ち合わせていないのは、母親という立場に宛てがわれる(養育に始まり教育を経て貯蓄に至るまでの作業に伴う)多面的な役割を包括的に引き受けるに必要な、安定した感情である。こうした「失感症」にもとづく「合理症」とでもよぶべき病理がなぜ生じたか。その答えは、その人が(家族、地域、職場などにおける)他者との共同体的な関係を失うという意味での「失関症」にかかっていたから、ということであろう。そして誰しもが薄々と感じるであろうように、失関症→失感症→合理症という精神の方向喪失は、現代人の心理を広く覆う症状でもある。

そもそもこういった犯罪が最近多発しているかと言うとそうではありません。少年犯罪データベースドアを参照(finalventの日記kmori58さんのコメントで教えてもらいました)。同様にこの合理症という精神の方向喪失も決して現代人特有のものではなく、どの時代にも発生する社会人としての精神の潮流そのものと言えます。

そしてまたこの合理症という精神の方向喪失は、KAIの主張する「母性の喪失」の特殊解でもあります。

これを説明するために、まず人間の生死のうちの「生」について考えてみます。ここで男と女の間に子ができることを1+1=3と表現することにします。この1+1を2ではなく3たらしめる力が「母性」です。「母性」なしにはこの世の中絶対に「生」を生み出すことはできません。そして「死」はこの「生」の反対です。つまり1+1=1となります。「母性」が「生」を生むのなら、「母性の喪失」は「生の喪失」すなわち「死」を意味します。

人は、いくら憎いといってもそう簡単にその人間を殺すことはありません。必ずその殺人に至る心の迷宮の階段を登っていきます。登り切ったところで人は二種類の人間に分かれます。殺す人とそうでない人とに。そしてそれは心の中に「母性」を見出した人は人を殺すことはなく、「母性」を見失った人がその人を殺すのです。逆説的ですが人を殺すことでその人が持つ「母性」を取り戻そうとしているとも言えます。

件の高校生と継母との関係は、他人からうかがい知れるものではありません。今となってはすべて闇の中です。ただ明らかなことは、憎んでいた父親ではなく、継母と弟妹を死に至らしめた事実です。父親を殺害しようとしたとも新聞にはかかれていますが、実行していません。しかし継母は殺害した。この違いは、単なる偶然ではありません。

それは継母から「母性」を見失う「何か」があったからです。これを“憎い父親を本来味方であるべき母親が、その憎い父親を裏切るという”何かだと直感するのです。それはなぜか。 KAI

June 25, 2006

母性の喪失

久し振りに青い議論をしたよ^^;。

たまたま1週間前に見たNHKの番組に、銀座松屋裏で菊正と言うお店を経営する、30年来のテニス仲間のユキエさんが出ていた。これを、同じく30年来のテニス友達のツジさんに電話して話したら、いまオレも見てたとこだよ。ってわけで昨日土曜日の夜は菊正に、ツジさん、ツジさんの奥様ハツエさんとKAIが集合。

菊正の女将のワカナちゃんは、当時はまだ小学生。お母さんのユキエさんと一緒に、小さな身体で大きなラケットを一生懸命振り回していたのが、印象的でした。

ツジさんと、奈良高1放火殺人事件について熱き議論をたたかわせた。

科学技術関係の専門書を得意とする出版社の役員を経て独立して、自ら出版社を経営するツジさんの主張のポイントは、高校生は憎い父親が愛するものを父親から奪うことによって思いを達成した、と言うことです。

大方の評論家の主張も、ほぼ同じ論調です。

しかしKAIは、これに大きく異を唱えます。

KAIの主張は明解です。それは母性の喪失以外何ものでもないと思うからです。

父を憎む心象体験を持つKAIは、この高校生の心象が手に取るように見えます。

筆者がプライベートに同様の体験をしたときも、決して評論家が言うような感情は微塵もありませんでした。父親を憎めば極論すればその父親を殺すことで解決できるのであって、その父親が怖いから、その父親が大事にするものを間接的に奪うなど、まったくもって笑止千万、評論の域をまったく出ていません。

そうではなく、殺された母親にこそ、原因があるのです。

その原因とは母親の裏切りです。マスコミは父親にちくった母親を憎んだという意味の裏切りを、母親の殺害の動機としています。しかしそうではなく、憎い父親を本来味方であるべき母親が、その憎い父親を裏切るという、この母親に対する憎悪こそ、この事件のすべての原因です。

いつものようにここで沈没です。つづきはあした。 KAI

June 21, 2006

SPAMコメント退治(3)

bison偉い。すべて解決しました。

徒波さんのBlogで紹介されていた方法でうまくいきました。感謝感謝です>徒波さん

久しぶりにピカピカのSPAMで汚れてないコメント欄をみて、気分もチョーすっきり。プライベートでもすっきりすることがあって、なんだか今日は盆と正月な1日です^^; KAI

June 19, 2006

海外インターンシップとBlog

慶大生のO本さんとM台くんが、海外インターンシップ・アイセックの受入事業の代表として来社された。O本さんは、筆者が大学時代硬式庭球部で同じ釜の飯を食った仲のO本くんの愛娘。確かに親父似の、優しい顔をした美人さんです。

一通りお話を聞いて海外インターンシップの仕掛けは理解しました。うまくいけば私たちの会社も秋口には学生を受け入れることになりそうです。

しかしお二方とも、mixiはやっているけどBlogもはてなも知らないと言われる。確かにO本さんは法学部、M台くんは経済学部で、SFCとは関係ないのかも知れませんが、それにしてもKAIが理解している(と思っていた)学生像から、ずいぶん二人とも離れているような。

まあそうかもしれません。筆者の息子以外の大学生情報は、すべてネットからですから、逆に言えばオープンなネットにアクセスしない(つまりクローズドなネットしかアクセスしない)学生情報は表に出てこないって事です。

う〜ん、これって本日のお二方の事例が特殊なのか、はてまた一般的か、一体どちらなんざんしょ? KAI

June 18, 2006

商品化権とは−−ただいま研究中

キャラクター戦略と商品化権(発明協会、牛木 理一、2000/12)と言う本をアマゾンで購入して、商品化権について調べています。この中に非常に興味深い記述がありましたので紹介します。

 「商品化権」という日本語は、わが国ではいつから生まれたのであろうか。この言葉は、もともとは英語の“Merchandising Rights”(マーチャンダイジング・ライツ)を語源としている。そして、東京放送(TBS)が1963年11月からテレビ放映した「エイトマン」が、アメリカのテレビ局に買われることになって同国から送られてきた契約書の原案に、著作権のほかに付属する権利事項の中にこの権利についての記載があり、この英語の適訳がなかったことから、とりあえず「マーチャンダイジング権」と訳していたという。
 TBSが「商品化権」という言葉を使い始めたのは、「エイトマン」(これはすでに講談社の雑誌に連載されていた)の次に、同社がオリジナルで製作放映した「スーパージェッター」のキャラクターを、人形その他の玩具に使いたいという国内のメーカーからの申込みに対する契約書の表題「商品化権使用契約書」においてであったという。(p.11)

現在この商品化権自体は、権利として法律に明文化されているわけではなく、著作権法、意匠法、商標法、不正競争防止法、民法の不法行為法、不当利得法、契約法と言うきわめて広範囲の法によって構成される“システム権利”ととらえられています。

システムアーキテクトである筆者がこの問題に心踊るのは、このKAI自身の命名による“システム権利”と言う言葉のせいかもしれません。これと私たちのASPサービスを構成する権利関係と今後おおきくからんでくると考えているのですが、このあたりはもう少し整理してレポートします。 KAI

June 16, 2006

デモデモデモ

梅雨に入ってこちらのBlogも湿りがちですが、原因は訪問デモです。

今週は、本日を含めて月曜から毎日、客先にノートパソコンと液晶モニター3台を持ち込んで、私たちのASPサービスのデモンストレーションを行っています。移動時間も含めると1回のデモに4、5時間かかってしまい、一日仕事です。当然Blogを書く時間が削られると。

しかしこのデモの効用は絶大です。いくら口先でできるできると言っても入会は決まりませんが、デモの後はほぼ100%決まりです。実際にできることを目で確認することの威力は強力です。これはそれほど人は視覚に頼っていることの証左でもあり、あらゆるマーケティングにおける基本法則、前提条件であることを肝に銘ずる必要があります。

と言うことで状況報告はこれくらいにして、午後のデモにでかける準備をしなくっちゃ。 KAI

June 11, 2006

Googleは動物脳の化身!?

昨日のテニスに久し振りの疲労感を感じてフォースを弱めたのがいけなかった。今日は何ヶ月ぶりかの日曜日の雨。さすが梅雨のフォースにはさからえません。

しかしおかげで読書三昧。動物感覚−アニマル・マインドを読み解く(日本放送出版協会、テンプル・グランディン /キャサリン・ジョンソン、2006/05)を一揆黄泉^^^^一気読み。といってもやっと半分です。

一行一句が意味ある記述で、これを飛ばし読みすると、DVDの早送りと同じでまったく中身を味わえません。

 パンクセップ博士は脳のこの部分を「探索回路」と呼んでいる。動物と人間には、生活に必要なものを探し出そうとする強烈な、基本的衝動がある。私たちはこの情動のおかげで生きている。周囲の状況に対する好奇心と活発な関心は、動物や人間が、よいもの、たとえば食べ物や、住みか、連れあいを見つけ、捕食者などの悪いものから遠ざかる手助けをしている。(p.129)

この記述に続いて、ドーパミンが実はこの探索回路(情動)の結果であること、これが「快楽中枢」と考えられてきたことが明らかに間違いであって、原因はドーパミンではなく探索情動にあることを、明確に説明しています。つまり原因が(化学)物質と言うモノではなく情動と言うコトにあったと言うのです。

このことは、いかに今の製薬業界にしろ栄養補助食品を含めた健康食品業界が、原因と結果の逆転現象に至っているかを、見事に説明しています。本書もながながとこれをこのあとの節で詳細に述べているのです。

しかし考えてみれば、人間の知の世界も同様です。動物脳のシステムである「探索回路」同様の探索情動こそ、Google検索に他なりません。この動物脳が世界規模で実現されつつある世界は、筆者にとってまったく不思議でもなんでもない、すでにみてきた世界です。ますますこの動物感覚の記述から目がはなせません。 KAI

June 10, 2006

プロブレムフレームとは

サーバーは絶不調だわコメントSPAMは祝10000件の大台をこえるわで、今週は散々です。しかしその中にあって確かなものを得るよろこびは、すべての邪悪を吹き飛ばすだけのパワーを秘めています。プロブレムフレーム(翔泳社、マイケル・ジャクソン、2006/05)と言うまともな本に出会ってKAIは救われました。

筆者のここ何年かにわたって取り組んでいるアプリケーション問題の本質が、実は、それを具体的に解決するコンピューターとプログラムの世界にはなく、あるのは人間世界にあるんだと、このKAIは理解しています。これを初めて公に書いた書籍が、このジャクソン本です。

この内容を、今日の2勝1敗のテニスの勢いで、解説することにします(途中沈没する可能性大^^;)。

自己組織化アプリケーションとは、まさにこのプロブレムフレームとマシンアプリケーションを一体化した理論であり、開発手法です。

ジャクソンは、システムの曖昧な定義を排除し、人間世界を含むシステムと、コンピュータとソフトウェアで実現するアプリケーションシステムを明確に区別し、諸問題(価値)は前者にしかないことを明確にうたっています。

更にモデルについて、諸問題は、人間世界の問題をそのまま扱う類推モデルの中にあって、これをマシンレベルで記述する分析モデルの中にはないこともあわせて述べています。

この二つの前提に立って、アプリケーションが扱うべき諸問題(プロブレム)の解決には、人間世界のシステムとその類推モデルの二つを構造化(真骨頂発揮!)による定式化することが不可欠であると、ジャクソンは12章を使って説明します。

このプロブレムの構造化の単位こそプロブレムフレームです(ほんとか!?)。

人間世界にある諸問題を突き詰めると、それは単なるビジネスをこえて、人の生き方、世の価値観にまでかかわってきます。恐らく筆者がこのリアルな世界と別れをつげる205X年までには、この思想までもソフトウェアが介在する世界になっていることは、間違いありません。

しかし、そろそろ沈没です^^;またあした。 KAI

June 07, 2006

ASPサービスの資産評価

待ち遠しかった^^;業務診断が終わる。朝からお見えになったS日H監査法人の会計士さんお二方とも非常に好感が持てる方で、午後の3時頃までに終了。今月末にレポートをいただく予定。

このなかで問題となったのが、日々成長を続けるERPシステムの開発費の計上方法と、ASPサービスの入会契約料売上の計上方法と言う、入りと出のまったく同じ種類の問題です。

税務署的には費用は均して、期間のない売上は一括して、利益を最大化せよと言うのが一番なんでしょうが、こういった成長を続けるアプリケーションシステムを会計的にいかにとらえればいいかその適切なモデルが筆者には思い浮かびません。(どなたかご教授下さるとありがたいのですが)

とりあえず、売上があがりさえすれば入りも出も一括計上でおしまい、と会計士さんに啖呵を切ってみたもののいまひとつスッキリしません。これもしばらくじっくり考えてみることにします。なんだか毎回研究テーマが増えていくような^^;。 KAI

June 06, 2006

ロックインの功罪

ITproの記事Linuxにベンダー・ロックインはあるかを読んで、以前から気になっていたこのロックイン問題についてひとこと書いておきます。

 「Linuxはベンダー・ロックインされた寡占市場」 --- こうもらした,あるLinuxディストリビューション・ベンダーのトップの言葉がずっと気になっていた。

そもそもこの議論の前提に、ロックインはユーザーにとって悪、と言う考えがあるかと思います。ロックインによってユーザーが選択肢を奪われることのデメリットを指しているわけですが、はたしてこれはほんとうでしょうか。

筆者はこの議論のポイントが、ユーザーとベンダーとの間の力関係にあると考えています。ITがらみのロックインであれば古くはメインフレーマーによるユーザーロックインに始まり、それがパソコンの普及とインターネットによってロックインの対象がハードウェア→ソフトウェアへとシフトするとともに、これが今やソフトウェア→サービスまで進行しています。いわゆるGoogleによるロックインであったりするわけです。

この流れをユーザーとベンダーの力関係で見ると、ユーザー<<ベンダーユーザー>ベンダーユーザー>>ベンダーとなって、いまではGoogleと言えどもユーザーの絶対的な支持のないサービスはなりたたなくなっているのです。

そして、途中をおもいっきり端折って結論を言うと、ロックインとは実体のない概念だってことです。ですから存在しないモノの功罪の議論も無意味ってことです。では何があるのかってことです。これはしばらくたって続きを書きます。 KAI

June 05, 2006

動物感覚−アニマル・マインドを読み解く(2)

結局週末は愉快な仲間たち8人と麻布十番のアンティにくりだし、まだ半分も読めてません。

といいながら、女はなぜ突然怒り出すのか?(角川書店、姫野 友美、2006/03)やプロブレムフレーム ソフトウェア開発問題の分析と構造化 IT Architects' Archive ソフトウェア開発の課題3(翔泳社、マイケル・ジャクソン、2006/05)を一緒に読んでいたりします。

前者は軽く1時間ちょっとで読める本でしたが、とんでもないメッセージが埋め込まれていました。女は「アンビバレント」な生き物と言う姫野女史のメッセージが、半世紀以上にわたってKAIの小心を悩まし続けてきた“オンナの謎”を、まるでアイスクリームを溶かすように解き明かしたのでした。ああそうだったのか、スッキリシャン。

ちなみに私たちの会社には女性社員がいません。と言うか特に筆者はB型の女性と一緒に仕事ができません。なぜそうなのか自分にはその理由がサッパリわかりませんが、とにかく、いままで何人ものB型の女性と仕事をしてきて、いつも結果はトラブルでした。ですから女性社員は採用しないことにしたのです。なんてことを公にするとどこかからなにかが飛んできそうですが^^;。

しかしこの理由がやっとわかった気がします。そうかアンビバレントだったんだ。考えてみればA型の女性も、AB型の女性も、O型の女性もみんな確かにアンビバレントですが、B型の女性はこれがナイーブにアンビバレントだったんだ。だからKAIは理解できなかったんだ。そう、ナイーブにアンビバレントは、すべてが矛盾し不条理のかたまりです。アンビバレントだけなら許せるけどこれがナイーブだなんてまるで理解不能。

と氷解ついでに、後者のジャクソン本。彼には昔からずいぶんお世話になりましたが、こうも見事に現役バリバリの仕事を見せつけられると、KAIもこんなところで油を売ってる場合ではありません。こちらもいろいろヒント満載ですので、次回以降にまとめてレポートします。 KAI

June 01, 2006

動物感覚−アニマル・マインドを読み解く

分厚い本ですが久しぶりに一気読みしたい本に出会った。動物感覚−アニマル・マインドを読み解く(日本放送出版協会、テンプル・グランディン /キャサリン・ジョンソン、2006/05)と言う本です。

まだ読み始めたばかりですが、気になる一節をいくつか。

 私は動物がどんなふうに考えているかわかるのだが、自閉症でない人は、それがわかった瞬間はどんな感じだったかときまってたずねる。直感のようなものがひらめいたと思うらしい。
 だが、私は直感でわかったのではない。動物について、ほかの人にわからないことが自分にはわかると気づくまでには、長い時間がかかった。飼養場で家畜を管理する仕事をしていたのだが、自閉症のおかげで、経営者よりも大いに得していることに気づいたのは、四十代になってからだった。自閉症だったために学校や社会生活ではつらい思いをしたが、動物を相手にするのはたやすかった。(p.9)


動物の目で見る−−視覚環境
 アリゾナ州立大学でおこなった研究でただひとつおもしろかったのは、動物の錯視[視覚における錯覚。大きさ・長さ・方向などが客観的なそれらとはちがった見え方を生ずる現象]の調査だった。錯視に興味があったのは、たぶん、私が目で見て考える人間だったからだ。あのころはわからなかったが、目で見て考える人間だったことが、動物相手の仕事をする出発点になった。動物も視覚的な生き物だから、私は、ほかの学生や教授がもっていない貴重な視点をもっていたことになる。動物は目で見るものに支配されているのだ。
 私が目で見て考える人間だというときには、建築用の製図を作成したり設計をしたりするのが得意だとか、頭の中で牛用制御システムを設計できるということだけを意味しているのではない。実際に映像を思い浮かべて考えることをさしている。私の思考過程には言葉はなく、映像だけがある。(p.29-30)

この、彼女が映像で考えると言うのはものすごく共感できます。筆者は別に自閉症だとは思っていませんが、以前のエントリーに同じようなことを書きました。

普段、私はB4サイズの原稿を収納できる書類ケースを毎日持ち歩いていますが、その中には、10種類以上の設計中のアプリケーションの仕様書が入っています。

一つ一つが未完了で、途中までしか記述されていません。

これを行く先々で開くのかと言えばそうではなく、ある日、突然、解決方法が見つかることがあって、それは自宅の場合もあるし、バーのカウンターの夢の中であったりするのですが、その時に必要になるからです。

一つのアプリケーション(の一部の機能)を設計する作業は、私の場合、すべて頭の中で行います。

この作業を人に説明するときによく使うのが、無重力空間に立体ジグソーパズルのピースが浮いていて、ある時突然全てがうまく組み合わさって、パズルが完成する、そう言った感覚です。

ですので、一度に、何種類ものパズルを頭の中に浮かべておくのは大変で、実際には、今は一つしか浮かべていません。作業を行うときに集中して思い浮かべるのですが、ピースの数が多いパズルほど、頭の中で展開するまで時間がかかります。ですからこういった連休中が、一番考え事をするのには最適なのです。
アプリケーションを設計すると言うこと

引用ばかりで何も新しいことを書いていませんが、この本を読み終わる(はずの)週末には、また大きなアイデアが湧いてきている予感がします。 KAI