May 31, 2006

年間予約と言うフレームワーク

筆者の土日は、テニスコートの年間予約でうまっています。

海外旅行に出かける場合も月曜に出発して金曜日に帰ってきて、翌日の土日はまたテニスとテニス最優先です。今回は土曜日帰国でしたが、たまたまコートが土曜は使用できなかったと言う立派な理由があるわけです。

しかしこれって考えてみればすごいことです^^;。優先順位がちがうっつうにと言うつっこみはおいておいて、テニスコートの年間予約と言うフレームワークのもとに筆者のスケジュールが組み込まれている、これが二十年以上にわたって。しかもここ数年はダブルスの4人のメンバーが固定していますので、もし休むなら必ず替わりの人が必要になります。

もちろん亡くなった父親の法事であるとか、ほかにはずせない用はあるにはありますが、これ以外は、ずうっとテニステニステニスです。そうです、完全に習慣化です。しかしこの効用はなかなかあなどれません。

生活のリズムと言うより、身体そのものがこのフレームワークの上に構築されていて、これが筆者の身体はもとより精神の健康を支えていることを、リアルに実感できるからです。と言うことで、今週末のテニスを楽しみに、仕事仕事。 KAI

May 30, 2006

Blog更新頻度に関する一考察

まずは梅田Blogの近況報告

このブログをきちんと更新できない毎日が続いている。

続いておなじみヘッポコくん、更新少ない=ストレス少ない (´ω`)

最近、更新回数が減ってます。まあそれもそのはず、最近はもう言いたい放題言ってるし、やりたい放題やってるから、ストレスの溜まることもあまりない日々なのです (´ω`) 開発が設計フェーズから完全に実装フェーズにシフトして、わしの発言権が増したおかげで、言いたい放題言えているということもあるのですが。

で、今日のひとこと

いい女は愛につつまれていてBlogなんか書くひまがない、なんちゃって^^;

ついでに筆者もBlog書く暇ねえ、なんちゃって^^; KAI

May 26, 2006

ベンチャーキャピタルあるいは投資家との関係

今回の訪米は、一連の投資家との関係を再構築することが主たる目的です。それもやっと帰国当日の朝になって決着がついて、ともかくすっきりしました。

VCといかに付き合うか、KAIにとってこの過去の苦い経験と思い込みを清算し、これをクリアにすることがすなわち、2009年のIPOを無事に成就するための必須要件です。このことについて以前このBlogの中で触れましたが、実は一部投資家とつきあいがあり、これらの投資家との関係が懸案として残っていました。そのうちの一つがロサンゼルス在住の投資家と言うわけです。

そして得た結論は、明確なものです。詳細をここで明かすわけにはいきませんが、来月行う監査法人による企業診断に向けて、資本政策の大筋が腹積もりできました。

しかし、このCNETの記事にはいろいろ考えさせられました。

 投資の戦略や手法の特徴をひとことで言うと、選択的に良い会社を探索して、そこに金額的にも大きく、そして投資担当者の時間、コミットメントも大きく投資をしていくやり方ですね。使い古された表現で言えばハンズオン。単なる資金面だけでなく、人、知恵、様々なネットワークを提供して企業価値を上げていくお手伝いをする、ということを投資のスタイルとしています。

グロービス・キャピタル・パートナーズの投資スタイルについて、グロービスのパートナーである仮屋薗聡一氏の説明ですが、この大きく投資し大きく関わることこそ、過去エントリーで触れた、筆者の夢だけを信じて投資していただいたエンジェルと一緒です。

結局、一千万、二千万の投資では何も生み出されないことを序実に示しています。億単位の投資と言うリスクをとって初めて、意味あるものを生み出すことができる。このことのもつ意味は重要です。

つまり投資のリスクこそがその投資先の事業の価値を生み出す力を持っているのであって、リスクのない投資は何の価値も創造しないと言う事実です。

ですからこれは単に金額が小さいとだめで大きい方がいいとかといった問題ではありません。たとえ10億、20億の金でも、それが真にリスクを持たない限り、それがただの捨て金になるのはすでに目に見えていると言うことだけです。 KAI

May 25, 2006

私の<アメリカ>(KAI編)

今回のロサンゼルスは筆者にとって20数年ぶりですが、一つ驚いたことは当時に比べて車がきれいになったってことです。当時道を走っている車の恐らく半分以上は、車体がへこんでいたり窓が壊れて、その上塗装もはげかけていて、筆者はこれがアメリカ社会だと勝手に決め込んでいました。

ところが今はまるで様変わり。雨が降らないせいかもしれませんが、どの車もピカピカで、車種に疎い筆者にとって、新車ばかりが走っているように見えます。

この話をガイドのM山さんにしたら、そのとおりここ十年でがらっと変わりました、燃費の悪い古い車が一斉に街から消えてしまいました、とのことです。今ではハイブリッドのプリウスは2ヶ月の予約待ちとのこと。

その中にオハイオナンバーの新車と思しき車がドアをわずかにこすっていました。これもM山さんによれば、こちらでは簡単に修理に出せないんですよ、修理に出したとたん1週間は戻ってきません。車しか移動手段のないロスでは、この間ずっと家にいろと言うわけにはいきません。

かくして、燃費がよくなりさえすれば、筆者が20数年前見た光景に逆戻りするんだと、いかにも納得できる話でした。 KAI

May 23, 2006

体幽離脱の真相

シアトルの前回同様、ホテルに着くなり、携帯電話もネットも東京の事務所状態です。今回は例の体幽離脱を避けるために、あえてメールはチェックしないでいます。

しかしこの体幽離脱現象がなぜ起きるのか、今回改めて理由が理解できました。

それは、前々回久しぶりにPCSと言うエントリーの中で説明したように、私たちの仕事がすべてメールと言う形でPCS化されていることが、この原因でした。

以前もどこかでこのお話をしたかと思いますが、私たちのオフィスでは、年間を通してもほぼ社内の会議はゼロです。これは、すべての問題がPCS化されているため、その問題解決のための必要な情報は、メンバー全員がリアルタイムに共有していて、まるで会議の必要性など皆無であるためです。

つまり、社内で何が起きているのか、このメールを見さえすれば、すべてを把握できると言うことです。すなわち私たちの仕事と言うものが、実際のオフィスの空間上にあるのではなく、オフィスのパソコンの中のメール空間の中で遂行されていると言うことであり、メールさえ読めればその物理的な位置はまったく無関係と言うことです。

この結果、シアトルにいようがロスにいようが、メールを開いたとたん、物理的身体が瞬く間にメール空間の中に移動してしまうのです。このことは、東京のオフィスにいる間は、東京オフィス空間=メール空間であるために気がつかないだけだったのです。

と言うことで、今回はあえてメールをチェックしないことにしました。緊急なら携帯に電話がつながるのでまったく問題ありませんが、実はこんな状態は一昔前の海外出張では当たり前のことだったはずです。

私たちの物理的身体が、すでにこの物理的空間とは別の、もう一つの世界に居住し始めたことを示すのが、体幽離脱の真相だったのです。 KAI

May 22, 2006

ロスまでフォースの威力

機長の話ではただいまロサンゼルスの天候は、雨。しかし到着してみればいきなり快晴。ガイドさんの話では午前中の豪雨がうそのように晴れ上がってしまったようです。

いやはやKAIのフォースは米国でも健在のようです^^;。

と言うことで今週は米国ロサンゼルスからのレポートです。 KAI

May 19, 2006

久しぶりにPCS

PCSと言うのは、プランニング・チェック・シートの略で、KAIが20数年前にKJ法に対抗して^^;考案し発展させてきた、問題解決技法です。

PCSでは、発生する問題項目をすべて、s項目、p項目、i項目のいずれかに分類して、そのそれぞれの項目毎に、発生日、期限、解決日、担当者、対策を明示する仕掛けです。これを初期の頃はA4横のワークシートに項目を10件記述できるようにして、利用していましたが、現在は1件、1件の項目をすべてメールで記述するルールに進化しています。

s項目とは予定項目のことで、例えばいついつまでにこのプログラムを作らなければいけないといった場合、このメールのサブジェクトは次のようになります。

s:6/20:/:kai:アウトバウンドコミッション計算オプション作成

p項目は計画外項目のことで、プログラムに不具合が発生したとか顧客からクレームがあったとかといった、予定外の問題が発生した場合に使用します。s項目でない、対策の必要な問題はすべてp項目に分類されます。

p:5/19:/:kai:出荷業務出荷作成機能不具合レポート

最後のi項目は、情報項目といって作業を伴わない項目です。いわゆる単なるおはなしです。

i:5/19:kai:SMBC担当者からTEL

KAIが現役の頃は(今も現役ですが^^;)、A4のPCSを常時100枚くらいかかえていて、その中の半分以上の項目に解決日が記述されていませんでした。つまり未解決のs項目、p項目が常に数百件あったと言うことです。

しかしそれでもまったくあせる必要がありませんでした。なぜなら“すべての問題が記述されている”からです。仕事を終え終電で帰る時も、問題がすべてPCSに記述されていることさえ確認すれば、会社のドアを出たその瞬間頭の中はプライベートモードに切り替わります。翌朝も簡単です。出社して一番の仕事がこのPCSをチェックすることです。期限によってプライオリティを決め一つ一つ淡々とこなしていきます。あっと言うまに終電の時間です。この繰り返しです。

ヘッポコくんのスーパープログラマってどんなんや!? (`ω´)を読んでたら、こんな話を久しぶりに思い出しました。

昨日も家で夜中3時までお仕事。今日も夜12時まで会社でお仕事。あー、もうシニソウ (;´д`) ハァハァ

(中略)

とかテキトウなことを考えつつ、今日は疲れたのでもう寝ます、、、あー最近仕事やることありすぎてしんどいなー、、、いくらこなしてもちーとも終わらへん (;´ω`)

人がなぜノイローゼになるのかと言うと、何を悩んでいるかその明細が把握できないからです。この漠然とした把握できない不安感こそノイローゼの原因だと言うわけです。

ヘッポコくんもノイローゼになる前にこのPCSを導入してみたらええんちゃうか。老婆心まで^^; KAI

May 16, 2006

SPAMコメント退治(2)

た〜いじはつづく〜よ〜い〜つまでも〜。大量はできないだろうなんて書いたら一挙に200件のコメントを送りつけてきたよ^^;。もうオンラインゲーム状態ですわ^^;。

ロックオン、戦闘体勢よーし。bison急げ。

しかし、よくよく考えれば相手するだけアホでした。別にコメントがあろうが困るわけではありません。なんもこちらで困ることなかったです、単に目障りなだけです。

と、ここまで考えて理解しました。そうか他の人のコメントが見づらくなることが目的なんだって。よっぽどコメントされるとまずい記事があるんだ、ふ〜ん。 KAI

May 15, 2006

SPAMコメント退治

ふっ終わったと思ったら、また性懲りもなく始めやがった。ま、今回は大量書き込みは無理だろうから、また明日あいた時間に退治しよっと。

それにしても800件ものコメントを送りつけてくるものだから、サーバーはビジーになるわ、まる2日かけて削除せないかんわ、ろくなもんじゃねえ、ほんっとに。

コメントを削除するだけならどうってことないのですが、アクセス禁止のIPアドレスを一緒に追加しながらですから、時間がかかるかかる。これからしばらくはこのいたちごっこが続くと思うとうんざりです。

しかし、このいかにもの単純作業が意外に面白いことに気付きました。それは、禁止IPアドレスは追加すればするだけ減っていきますから、単純にコメントを削除するだけの作業が徐々に、しかも着実に増えていくわけです。この状態は、実生活に置き換えてみるとある意味、QC(クオリティコントロール)活動と同類であることに気付きます。

どう言うことかといえば、日々対策の効果をその場で実感できることは、実はQCの生産現場だけでなく、人が生活するうえでのある意味最高の動機付けになると言うことを、ひとつの真理として見出したしだいです。

筆者に、かくも盛大なる動機を与えてくれたSPAMコメントに、カンパイ! KAI

May 14, 2006

コメントSPAMとドアに犬のシッコ

何が気に食わないのか、一人の人間からと思われる数百件以上の執拗なコメントSPAMが始まった。おかげでサーバーはビジーになるわ、プロテクトに追われるわ。ほんまかんべんしてよ^^;。

おまけに、今外出しようとドアを開けてみたら、ドアに犬のシッコのあとが。ついさっき物音がしたけどそれだったようです。もう20年近く住んでいる一軒家で、こんなことは初めて。飼い主が意図的にやらせない限りひとんちの玄関のドアに犬がシッコなんかするもんじゃありません。

この両者の事例に共通するのは、人間の悪意、です。悪意はいたずらのレベルを越えて攻撃的です。しかし陰湿な攻撃です。

これをKAIは、中学生のころ、ある人間から1年にわたって陰湿で執拗な攻撃を受けると言うかたちで、体験しました。見た目ふつうの人間が、一人の人間を標的に攻撃する。

もちろん筆者は被害者ですから迷惑この上ないのですが、そのことより筆者は、その人間の心理に非常に興味が湧きます。なぜならそう言う人間の心理がまるで理解できないからです。いえ、この表現は厳密ではありません。執拗な攻撃で得るカタルシスは理解できます。

しかし理解できないのは、それを行わせる行動のエネルギーが一体どこからくるのかが、皆目想定外^^;なのです。

世の中利益のみ享受できるのであれば、こんな幸せなことはありません。しかしそうではなく利益の前に必ず責任と言う、社会の規範の制約をうけます。

ですからこの人たちは、この制約を越えるエネルギーを、一体どこから得ているのか。あるいは規範の閾値がひくくなった結果エネルギー値の絶対値が規範の体をなしていないのか。皆目このあたりが理解できません。

後者は40年近く前の事例とつい先ほどの事例に違いはありません。

直感で言わせれば、恐らく、その人人自身の生命力が落ちるからであろうし、その負の加速度こそ規範を越えるエネルギーになっているのだと、解釈します。このあたりはまたあらためて考察することにしましょう。 KAI

May 11, 2006

SaaS対ASP(2)

連休明け怒濤の3日間の仕事をこなして、今日はやっと一息。毎年のゴールデンウィークは必ず会社に出て仕事をしていたのに、なぜか今回は一度も会社に出ず。おかげで怒濤の3日間が、と言う訳です。

Blog復帰に丁度良いネタがあがっています。ITProの「SaaS」は新しいバズワードか?と言う記事です。

SaaSについてあれこれ取材をした記者が得た結論が、

 両者の主張のどちらが正しいのかは,ASPサービス改めSaaSの今後の動向をウォッチすることで判断していきたい。

 ただ,どちらが正しいにせよ,現在のSaaSと2000年前後のASPサービスの間には確かに違いがある。その違いを表現するために新しい名前を採用することは,(IT業界でおなじみの)バズワードを増やすことにはならないだろう。

とのことですが、これは疑問符だらけです。

記事の引用が前後しますが、SaaSの特徴を以下のように説明しています。

 SAPジャパンの記者会見の後,連休直前の4月28日,SaaSの代表的ベンダーである米セールスフォース・ドットコムの上級副社長であり,日本法人社長の宇陀栄次氏を取材する機会が得られた。(中略)

 宇陀社長によると,SaaSと2000年当時のASPサービスの間には,まず「ネットワーク・コスト」の点で大きな違いがあるという。「当時はアプリケーションのコストよりも,ネット経由でアプリケーションを利用するための通信費の方が高くついていた」(宇陀社長)。それが,この5年余りの間に月額数千円も出せば最大100Mビット/秒のブロードバンド回線が利用できるようになった。結果として,SaaSが現実的な利用形態として浮上してきたのだ。

 ベンダーのシステム形態も,2000年当時とは異なる。当時のASPサービスでは,ユーザーごとに物理的なサーバー環境を用意するシングルテナント型が主流だった。それが現在では,物理的に同じサーバー群を複数ユーザーで共有するマルチテナント型が主流になりつつある。

ネットワーク・コストもマルチテナント型も、アプリケーションサービスの上で本質的な問題ではありません。つまりSaaSだけでなくASPも当然がごとく、ネットワーク・コストのメリットを享受できるし、マルチテナント型でもサービス可能であり現にサービスもしています。

むしろ問題は前回書いた通り、彼ら(セールスフォース、ネットスイート)が主張するSaaSなるサービスがビジネスの体をなしてないってことです。うまくいっているような提灯記事ばかり目立つセールスフォースでさえ、日本の実情はかなり怪しいようです。(くたばれセールスフォースと言うBlogの過去エントリーに目を通してみてください)

ですからSaaSをセールスのうたい文句にする人たちは、あなたらが否定するかつてのASPが犯した愚を繰り返さないことこそ、実はもっとも火急にして緊急の課題であることに気付く必要があります。

しかし、新しいサービスと言うものは、あたかも土の壁を何度も何度も塗り固めていくようにしてしか、それを構築できないんだと、つくづく感じ入ったしだいです。 KAI

May 07, 2006

フォース炸裂ついでの公私混同論続き

あまりのフォースの威力に、自分でもこわいくらい。9連休最後の日は、連休に入って5回目のテニス。天気予報では日中ずっと60%から80%の降水確率の中、テニスを始める正午には、午前中の大粒の雨が嘘のように青空こそ見えないものの明るい雲のもとで、快調にプレイ開始。

途中15分の降雨中断があったものの、終わってみれば3セット、27ゲームを戦って、3戦3勝。絶好調。

気分もいいところで、昨日の公私混同論の続きを。

いまごろなぜこんな話をするかと言うと、実はIPOに向けて、来月から監査法人が入って、今の私たちの会社の“業務診断”を始めます。それを、無意識に(って目一杯意識してますけど^^;)意識してのことと思われます。

私たちの会社は、監査法人が監査をすれば、規格外だらけで一発でアウトです。

それをわかっていながら監査法人を入れるのは、今の私たちの会社を、世の中に通用する強靭な体力を持つ企業に成長させる、そのための試練と位置づけているからです。

当然これから監査法人から、交際費の使い方はどうのこうの、業務管理のありかたはどうのこうの、経理の責任者がどうのこうの、(これが恐らく百式)聞かされることになると、覚悟しています。

しかし、そのすべてで、昨日の交際費の議論と同じ議論を闘わせていくつもりでいます。すでにそのシミュレーションを始めているだけです。

つまり、考えると言うことはこう言うことです。すべてがシミュレーションです。いい答えもわるい答えも、すべてわかります。ホリエモンの想定内です。

はてさて、このとんでもないCEOに、監査法人はついてこれるのか、はてまた、CEOは妥協に妥協を積み重ねていくのか、乞う次週^^;。 KAI

May 06, 2006

公私混同論

9連休中(と言っても1日、2日はお仕事!)、4回目のテニス。連休でみんなでかけて面子がたりない。思い余って愉快な仲間のU生くんに電話。ぼくできますよってんで(期待しないで^^;)お願いする。

結果は、U生くんとKAIのペアが1勝1敗1分と、期待していなかっただけ大勝利。何事もほどほどの期待が佳ろし(違うって^^;)。

で公私混同論。

この話はほんとに難しい。何が難しいかと言うと、必ずみんな勘違いをしてしまうからです。

公私混同のすすめを話すと、公から規律がなくなってしまう。

公私のけじめを厳格に言うと、私から公が消えてしまう。

ここは交際費と言う金の話に限定して、お話したい。例えばある課長が部下と一緒に飲みに行って、ここはオレがと言うのは給料の問題であって、今回の話とは関係なし。

交際費とは社外の人間との飲み食いの金です。

社外の人間との飲み食いの金を、企業の費用として計上するためには、当然がごとくその名目が必要です。やれ営業目的の接待だ、やれ仕入先の社長へ値引き交渉だ、やれ媒体関係者との情報交換だ、です。

しかし、筆者の会社は、これを一切認めないし、今後も筆者が生きてる限り認めません。

しかしのしかし、筆者は、こう言った具体的な名目がないことこそ、交際費として認めたいと考えています。

名目すなわち下心です。

下心で金を使っているうちは、決してこの金は、生きません。どぶに捨てる金です。

下心なく、社外の人間と飲み食いする金は、ある意味、私です。しかし、この金こそ本来金自身が望む自分の使われ方であるのです。

どう言うことか説明します。

金と言うのは、その金が使われる目的が明白なほど、金ではなく、その目的に人の関心が行くのは、当然です。しかし、もし、そうではなく、金が舞台の脇役のように表に出ないで、いまあるドラマのシナリオの流れに貢献することができるなら、これほど本来の、金と言う、精神の酸化、すなわち精神の燃焼のための酸素に、金は化身するのです。

難しくてすまない((C)ウチダ先生)。

つまり、もし私たちの企業で交際費を認めるのは、下心(もちろん私欲を含めて)がないことを証明できれば、おおいに使いなさい、これだけです。もちろんCEOである筆者も含めて、です。 KAI

May 05, 2006

カラオケ三連荘と公私混同

N嶋くんにつれていってもらったカラオケ以来、9連休中、3日も歌ってしまった^^;。でも、めちゃ楽しかった^^;。

当然一緒に歌う人の中に、わたしたちの会社の仲間は、いません。

KAIは、以前も書いたことがあると思いますが、絶対仕事で酒を飲みません。運転するなら酒飲むな、です。


しかし、この意味は、実はまったく180度、別の意味があることを、ここに説明します。


筆者にとって、分かりやすい言い方をすると、酒を飲むのは公私の公、公そのものです。つねに考え事をするのが公である筆者の仕事です。人と出会うのも公である仕事です。つまり筆者にはワタクシの私は、ありません。

これを税務署向けに説明すると、この人間を将来、自分の仲間に入れるために18万円の交際費を使いました、と明示する必要があるのです。

一体この世の中、自分の下心を、たとえそれが事実としても、それが明確に記録されることを許容できる人間がいるものでしょうか。

好きな女性とデートしていて、そのすべての、心の中の“下心”を記録されるならば、男は、いえ女も、人類と言う種の生存は保証されません。

ゆえに、私たちの会社には、永遠に交際費もないし、会議費もありません。すべて給与しかありえないのです。

税務当局と闘うために、交際費では局地戦を行い、これ以外はすべて給与に反映させる、これがCEOであるKAIのノウハウです。 KAI

May 04, 2006

企業もハングリー

世の中の成功者のことごとくが、かつて貧乏であった、と言う公理を筆者は本気で信じています。

企業の血液はキャッシュです。キャッシュと言う血液を身体中に送り込む役割は、当然がごとく心臓であり、それがCEOです。

筆者は、昨年某SMBCから無担保無保証で数千万の借金をしました。そのとたん売上が低迷し始めました。理由は簡単です。筆者が安心したからです。現在は元に戻り更に勢いを加速させていますが、元に戻すのに4ヶ月、加速させるのに半年を要したのです。

わたしたちの会社は資本金9850万円、そのうち筆者が67%を所有する同族経営の企業です。やっとASPサービスと言う家賃収入で、毎月の資金繰りの心配から開放され、その上銀行から日々の資金の裏づけをもらった瞬間、筆者のいままで維持してきた、ある種の緊張感、これが切れたのでした。

その瞬間、プチッ、と言う音を聴きました。

しかし、そのおかげで日々の資金繰りの次元から、年度単位の資金繰りへギアを切り替えることができたのです。IPOへ。筆者はCEOとして、監査法人であるとか間接費用に対して忸怩たる思いはあります。しかしそれを肯定的に受け入れることこそ、成長への一歩です。

人は、貧乏であると、あすどう生きようか、必死で思案します。必死で人に訴えます。そうです、人しかこの状況を打開してくれないのですから。

金があると、まったく、これを考えなくなります。

この違いが心臓の確かな脈拍を生むのだと、明白に理解しました。 KAI

May 02, 2006

知のトポロジー

知的興奮とはこう言うことなんだと思います。

ウチダ先生のBlog「村上文学の世界性について」を読んで、激しく興奮してしまいました。

シンクロニシティ、梅田さんも村上春樹を取り上げ、「総表現社会と村上春樹の言葉」と言うエントリーを書いています。

KAIは、(理由はわかりません)なぜかまったくもって村上春樹に興味がありません。当然作品どころか、彼の書いた文章さえ(ひょっとして読んだかもしれませんが)、KAIの脳裏には存在しません。

しかし、このお二方の書いた文章。これは、まさにウチダ先生の言う「語らぬことで語る真実」そのものがKAIにとっての村上春樹なのかもしれません。

筆者にとっての父のタブーは、絶対です。

タブーこそ、知の背理であり、知のトポロジーです。

唯一救われるのは、その父がすでに黄泉の国にいることです。

冷凍ハナタレロック2杯アンドマティーニ2杯、すでに筆者も黄泉の世界です。 KAI