February 27, 2006

角川春樹の狂気と予知能力

角川春樹、いいじゃん。日経ビジネス連載TV WARS「角川春樹、奇才の『破壊と創造』」連動インタビューから。

▼サラリーマンやバンカーに文化が作れるか

――言葉は悪いですが、クリエーターは狂気と紙一重というか…。

角川 そうだよ。長渕が私に「兄貴、いつの時代も文化って不良が作ってきたよね」って言うんだ。サラリーマンやバンカーが作ってきたわけじゃないんですよ。ましてやホリエモンとかね。ITのそんな連中は文化とは関係ないんだからね。

――刑務所に入った経験は、ご自身にとっては良かったんですか。

角川 良かった。私にとって、個人的にはね。12年間の法廷闘争ですべてを失ってしまう、お金もね。そして、戻ってきて、さてこれからが勝負だと。それで、大和のクランクアップ会見で「21世紀は角川春樹の時代だと思う」と言ったんです。

 あの発言を聞いた人は、単に大和のことだと思っているんだろうね。私の本当の戦略をまだ分かってない。

――1つの映画のことだけを指しているわけではない。

角川 だって大和だけが成功したって、私の時代にはなりませんよ。

 私は病気を治したり、いろんなことができるんだよね。それを使って、宗教を必要としない時代に持っていこうとしている。人間は幸せになったり、仕事がうまくいったり、病気が治れば宗教は必要ないではないかと。私自身は刑務所でもっと先のレベルに行ったんだよ。

――どういうことですか。

角川 生き方として生涯不良と言い出したんですよ。人間は何のために生まれてきたかという根本的なことが宗教も哲学も分かっていない。人間は楽しむために生まれてきた。これしかない。それを私は刑務所の中で分かったからね。

――病気を治すこと以外に、どんなことができるのですか。

角川 この間までは、日本の地震を止めることに命を懸けていた。それで止めたんだよ。

▼地震、台風、日本文化のためなら命も捨てる

――いつ?

角川 昨年の7月7日です。止めるだけの能力を持っているからね。だからサイバー戦争になった時に、最も大きな力を発揮するのは私だろうね。荒唐無稽に聞こえるかもしれないけど、一つひとつ実績がある。この前の台風も東京を直撃するというので、迂回させたんだ。それで静岡を通って千葉に抜けた。

――地震を止めるというのは、どういう作業になるんですか。

角川 私の独特のやり方なんだ。45分ぐらいかかったかな。この時は、やれば自分が死ぬということを覚悟のうえでやった。

――相当のエネルギーを使うという意味ですか。

角川 そうじゃなくて、自分の命が取られるだろうと思った。人の能力で自然現象を止めちゃうんだよ。前もってこれから起きることを変えるわけだから、歴史の改造と同じなんだよ。俺は、日本文化のためだったら命を捨てても構わないんだ。

角川春樹が、牢屋の中と言う異空間に身を置いてみえてきたもの、それはウチダ先生の言う予知能力の世界だったようです。この予知能力とは「これから起こること」を予見するのではなく、何かを「これから起こす」遠隔操作力のことを言うのですが、角川春樹は更に、自分の生き方そのものを、このリモコン(遠隔操作)装置の上に乗せてしまおう(次元をあわせる)と言うわけです。つまり彼は、クリエーターが自分の存在そのものまでもクリエイトしてしまおうと言う、究極のクリエーターってわけです。

KAIも仕事(と言ってもプライベートも含む)においてはこの予知能力を180%(推定^^;)は発揮していますが、まるで日常そのものまで予知能力の世界に浸ろうとは思いもよりませんでした。

それにしてもWebと言うのは面白い。上の内容は本誌(日経ビジネス、2006/2/20、p.109)ではこうなります。

 過去の汚点を隠そうとしない。それどころか、どんな境遇でも光り輝く絶対的存在だという錯覚を起こさせる。
 その時、彼の著書の目次にあった文言を思い出した。
 「おれは神である」
 インタビューの中でも、神がかり的な話が次々と飛び出してくる。
 台風の進路をずらしたり、大地震を止めることができるという。携帯電話用の美容効果のある音楽も作った。角川曰く「音楽を聞くと、胸が出て、しかもやせる」。癌患者に手を当てて、治してしまう。「八王子医療刑務所にいる時、来週には死ぬと言われていたリンパ癌の人を1分で治した」。
 角川をよく知る東映相談役の岡田茂は苦笑する。
 「我々の業界は変わり者が多いけど、中でも一番激しい部類の1人だね」

紙面だとこうなるわけです。ただの変わり者だと。

これがWebだと、話そのものは同じ内容であるけれど、話の流れの中で彼が何を表現しようとしているか、脈絡(コンテキスト)から読みとることができます。クリエーターが自分の存在そのものまでもクリエイトしてしまおうと言うことが、です。

なぜこうなる(話が通じる)のかが、実はネット社会の本質に通じていると、筆者は直感しているのですが、まだうまくまとまっていません。これから楽しみなテーマであります。 KAI

February 24, 2006

ウーウェン氏の料理(49)

豆腐とエリンギの練りごま風味、ご飯のせ

筆者の大好きな、豆腐ときのこの組み合わせの料理です。ウー・ウェンのおいしいよ!うちのご飯の、p.64です。

筆者は木綿豆腐を、醤油も何もかけないで、そのまま酒のつまみにします。これは豆腐の、あの何ともいえない素朴さが酒の本来の味を表に出して、酒のつまみにピッタシ合うからです。料理も同じです。ご飯をおいしく食べられる料理こそ、「おかず」でありお酒の「おつまみ」です。

今回の料理は、練りごまと言う抑えた風味に、エリンギが一人気を吐いて、メリハリのある料理に仕上がっているのですが、しかし、基本は豆腐の本来の素朴な味、これ以外この料理を表現する言葉はありません。筆者が昔、田舎で三丁目の夕日をやっていた^^;ころの、あの味です。

作り方は。エリンギとマッシュルームを、炒め鍋でサラダ油を熱して、中火でじっくり炒めます。エリンギがしんなりしたら酒、豆腐を入れ、強火でかきまぜ塩で味を調えながら、練りごまもくわえて煮立たせます。仕上げにこしょうを加えて、コーチェンして出来上がり。

ごはんの上にのる豆腐の微妙な色合い。食欲増大、自然回帰、田舎のお袋。そんな心地いい連想ゲームの中で、あっと言う間に丼が、空。・・・ KAI

February 22, 2006

愉快な仲間たちの料理

チーズフォンジュとオイルフォンジュ

20代、30代の愉快な仲間たちががやがやと、食材と道具をもって、筆者の家にやってきました。

一体何を食わしてくれるのか、横でニヤニヤながめていると、大量のチーズとワインを鍋でぐつぐつ煮込み始めました。そうです、筆者はチーズフォンジュ料理なるものは生まれて初めての体験になるのですが、この煮込んだワイン入りチーズ鍋に、フランスパンや野菜を浸して食べる料理のようです。その横にごま油を180度に熱した鍋も用意して、こちらはオイルフォンジュだそうです。って言うか、これは串揚げちゃうん?

牛肉を串に刺して、食べる、食べる、食べる。用意していた壱岐焼酎ちんぐの一升瓶もあっと言う間に空けて、全員良い調子に。

しかしありきたりのセリフだけど、ワカイっていいなあー。まるで筆者の20年前、30年前を見ているようで、黙っていてもなんだかとっても楽しくなってきます。仕事の悩み、恋の悩み、所属している劇団の話。端で聞いているだけで、しあわせ。

ひとしきりみんなのエネルギーを注入してもらって、またやる気が出てきました。

ありがとう > 愉快な仲間たち KAI

February 21, 2006

間主観性−「心配力」の研究(4)

また一つ大きなヒントをくれる書籍に出会いました。99.9%は仮説( 光文社新書、竹内薫、2006/02)です。(p.230-233)

間主観性
 さて、この本では、あるひとつの仮説を絶対視せずに、常に「グレーゾーン」という観点から眺めることの重要性をくりかえし強調してきました。
 それは、哲学の言葉でいえば、「客観から主観へ」ということです。

 客観とは、世間のだれもが白に近いと認める仮説にしたがう、ということです。
 主観とは、世間とは関係なしに自分だけが白だと考える仮設にしたがう、ということです。
 これは、客観よりも主観のほうがいい、もしくは、主観よりも客観のほうがいい、ということではありません。
 そういった単純な一元論や二元論を離れ、より大きな観点でものごとをみることが大切なのです。
 では、より大きな視点とはなんでしょうか?
 それは、「間主観性」と呼ばれているものです。
 英語では「インター・サブジェクティヴ」です。国と国のあいだの関係、つまり国際は、英語で「インター・ナショナル」ですよね?それと同じで、間主観性は、まさに主観と主観のあいだの関係を意味します。

(中略)

 間主観性というのは、ようするに、「相手の立場になって考えてみる」というだけのことなのです。
 わたしはコレコレこういった仮説を採用している。あの人はアレアレああいった仮説を採用している。でも、ふたつの仮説は互いに完全に矛盾するわけではない−−。
 そうやって、ほかの人々が抱いている仮説を理解して、こちらの仮説も理解してもらうことにより、われわれは、相対的な世界観のもとで、うまく協調して生きていくことができるのです。

反証可能性によって「宗教」と明確に区別された「科学」は、実はすべて仮説で成り立っています。人はすべて、この仮説のネットワークと言う論理の枠組みに依拠しており、相互理解は、互いのこの仮説のネットワークの価値を認め合うことから始まります。

この内容は、以前のエントリー自己組織化するアプリケーション(6)の中で述べたことと同じ話です。

情報の哲学を一言で言うと「情報と言う存在における、存在間の相互価値の共有化」です。共有化であって共通化、同一化ではありません。

情報は思想的には中立の存在ですが、価値は思想の上にあります。思想は、社会の基盤をなし、人々の価値観を支配しまた支援します。ITによる情報現象を、そのまま自然現象のように受け入れるのではなく、相互価値の共有化を実現する方向へと変えていくというのが、これまたITの役割であり、情報哲学と言う「思想」の意味なのです。これはITと言う存在を、科学技術という無色透明の世界で扱っている限り、「意味解釈のロボット化」は避けて通れないと言うことでもあります。

つまり、意味解釈の自己組織化として、ITには「思想」と言う価値が必要であり、この思想に則った世界観に基づくアーキテクチャが求められています。

そして、この相互価値の共有化を、双方向の関係性と言う自己組織化の技術によって具体的に実現します。Blogのトラックバックと言うフィードバックの技術が、不十分ですが、それを実現する技術の萌芽として誕生したのです。

つまりBlogとは、ここで言う仮説のネットワークであり、互いのネットワークがトラックバックによってつながることで相互価値の共有を実現していると言えます。

そこで肝心の心配力ですが、この科学を定義する反証可能性と強く結びついています。これを上記著者は、既存の仮説に対して「先生も、親も、友達も、みんながそういうけど、ホントにそうなの?」(p.199)って疑ってかかることが大事であると説いています。まさにこれは前々回に書いた「ほんまかいな?」です。前々回は「情報」そのものに対して「ほんまかいな?」でしたが、今回は、今ある「仮説」に対して「ほんまかいな?」です。すなわち仮説に対して反証はないのかってことです。

この反証可能性と言う緊張感こそ心配力であり、ネット社会の健全性と発展性を維持するための、源泉となるチカラとして機能すると言うのが、今回のヒントです。 KAI

(余談ですが、以前のエントリーヒトの魂は30グラムで紹介した魂の重さの量り方は偶然にも今回と全く同じテーマの書籍ですが、今一歩この仮説本ほどの掘り下げ方が不十分でした。と言うことで新たなエントリーはありません)

February 17, 2006

小澤の不等式(2)

なんでこんなすばらしい本がメディアで取り上げられないのかと、義憤に駆られながらググってみると、あの生命科学者の中村桂子氏が毎日に書評を書いていました。

さすが科学者です。こう言う書評文化をどうすれば育成できるか、Blogの可能性を信じるばかりです。

で、本題の不等式の議論です。

ε(Q)η(P)+ε(Q)σ(P)+σ(Q)η(P)≧h/4π

この不等式を書き換えると、

ε(Q)η(P)≧h/4π−ε(Q)σ(P)−σ(Q)η(P)

となります。これはつまり、この式の意味がプランク定数がε(Q)σ(P)とσ(Q)η(P)と合わせた分小さいことを意味しています。

h(公式プランク定数)− hh(真性プランク定数)= ε(Q)σ(P)+σ(Q)η(P)

つまりこうなります。これは、論文を精査すれば、これが誤差として処理されていることがすぐ判明するはずです。

もしこれが正しいなら、プランク定数を含む方程式をすべて書き換える必要が出てくるわけです。これが筆者の言う物理学の革命的転回をもたらすと言う意味です。 KAI

February 16, 2006

Googleと対峙する新技術(2)

・Googleと闘うところはサーチの世界一周以外にはない
・Googleのクローズこそオープン陣営が目指す急所
・まさかサーチにこんなアプローチがあったとは

これが、私たちのIPOの目論見書の骨子です。

なーんて調子いいこと書いて、これではまるでGoogleに対抗する新会社を興すみたいじゃありませんか^^;。

あくまで例え、例えばって話ですってば^^; > 村上さん

しかしそれにしてもこれを考えるだけでワクワクしてきますね。これを具体的に書き出すといろいろ差し障りがあるので、今回はいつもおかしい技術だと思っているサーチのパーソナライゼイションについて筆者の考えを述べておきます。

パーソナライゼイションの限界

パーソナライゼイションの限界の話しは、実はカテゴライズあるいはタグ化の問題と深く関わっていますが、話を拡げるとまとまりませんので、今回はそこにはふれません。

この話をするのに格好の話題を檜山さんが提供してくれています。少々長い引用ですが。(「子供も大人も変わらない -- 考えるって難しい 」から)

子供達とはよく遊ぶのだけど、お勉強は何も気にしてませんでした。ところがどうやら、ウチの子はデキが悪い。どんな感じかというと; 掛け算九九は暗記しています。10×n も機械的に反応できます。でも、「8×12」とか「11×11」になるともうダメ。そこで考え込むとか、筆算(もう習っている)をはじめるならいいのだけど、適当に「90」とか答える。「違う」「じゃ、100」「それも違う」「ええー、じゃ、105?」とこんな調子。

しょうがないヤツだ、とガッカリするのですが、まー、これはある意味「自然」なのかな、とも思います。掛け算九九ってのは、暗記が得意な子には苦痛ではないし、即答できることが(たぶん)快感でもあるのでしょう。2桁の掛け算になると「まだ憶えてないから、答えられなくても当然」という気分で、イイカゲンな答えを言っているようです。

掛け算九九をベースにして、筆算という手順(アルゴリズム)を遂行するのが面倒だし、そもそも、掛け算九九(1桁の掛け算)と2桁以上の掛け算の関連なんて意識してません(ホントに困るんだけど)。彼にしてみると、うざい筆算なんかより“掛け算九十九・九十九”の巨大テーブルを丸暗記したほうが楽なんでしょう。巨大テーブルを暗記したら、人より速く2桁掛け算を答えられるでしょうが、3桁の掛け算はまた当てずっぽう。

この九九の限界がそのままパーソナライゼイションの限界です。パーソナライゼイションとは簡単に言えば“嗜好のテーブル化”です。この嗜好のテーブルは九九のテーブルと同じで、一人一人中身は違うものの、それぞれ一つずつ割り当てられ、Google先生はこのテーブルを使って計算を行います。そうすると、この嗜好のテーブルにない計算(つまり異なる嗜好あるいはその組み合わせ)を求められても、檜山さんちのこどもと同じように当てずっぽうとまでも行かないにしろ、正解が得られないのは明白です。

それじゃあ、このテーブルを可能な限り大きくしたらどうか。やっぱりこれでもダメです。なぜなら九九のテーブルの縦横が数字であるのに対して、嗜好のテーブルの縦横は単語ですから、九九のテーブルで数字の同じ組み合わせの答えが一つであるのと同じように、嗜好のテーブルも単語の同じ組み合わせなら常に同じ答えを返してしまいます。これでは、例えば女性が妊娠して今までと嗜好ががらっと変わってしまったような場合とか、彼氏が自分のIDで彼女のかわりに検索してあげたとか、作家が登場人物毎のキャラで検索するとか、まあ考えればほとんどの場合通用しないことがわかります。

この問題の解決策はいろいろと提案され実用化されてはいますが、決定打がありません。

まあこのあたりがGoogleと対峙する新技術の一つと関わってくるってことまでで、この話は完。 KAI

February 15, 2006

Googleと対峙する新技術

梅田本ウェブ進化論」の書評でネットが盛り上がっていますが、その中でもITProの記事「あちら側」のGoogle,「こちら側」のMicrosoftが秀逸です。

 では「あちら側」への挑戦に,腰が引けてしまった日本から,Googleと対峙(たいじ)する新技術が生まれる可能性はないのか---著書の梅田氏は,2010年代に期待をかける。幸い,日本は世界に冠たるブロードバンド大国といえる。そこで育った若者は,ケータイ文化にどっぷりとつかっている。彼らはレコードジャケットを知らず,ダウンロードした音楽を楽しむ。「モノ」に対する執着心が相対的に少ないその世代からなら,「あちら側」の視点から発想できるだろう。私たち大人ができることは,こうした若い世代に既成観念を押し付けることなく,豊かな発想を素直に引き出してあげることなのかも知れない。

Googleと対峙する新技術−−それは、Googleと言うコロンブスを越えたマゼランです。

繰り返しの引用ですが世界史講義録 第55回 大航海時代2の中からマゼランを引用します。

 マゼラン海峡は潮流が速く風も強いところで、現在でも航路としてはあまり使われないといいます。ここを水深を測りながら少しずつ、文字通り手探りで進みます。浅くなっていれば引き返す。しかも非常に狭い海峡だから、少し操船を間違えればすぐに座礁してしまう。地図をみているとこんな所を抜けることができたのは奇跡に近いと思う。  こんな航海をつづけて無事インドにいけるなんて普通は思えませんね。実際、マゼラン海峡通過以前に5隻の船団のうち1隻は難破、1隻は逃亡します。

 マゼラン海峡を抜けてアメリカ大陸の西側に出たマゼランはしばらく北上します。太平洋を広い海とは思っていなくて、北に進めばすぐにインドに着くと考えていたらしい。ところがどこまでも海がつづくので、思い切って進路を西に取ります。
 もともと、西廻りインド航路開拓が目的だったとはいえ、すごいと思う。今地図を見ても太平洋というのはめちゃくちゃ広い。何日間陸地を見ずに航海するかわからないんですよ、マゼランにとっては。自殺行為に近いと思う。

 マゼラン一行は太平洋に出ると98日間陸を見ることなく航海をすることになった。食糧は当然尽きてしまって、船の中に巣くっているネズミやアブラムシを捕まえて食べた。それも食べつくすと、今度は船材のおがくず、革、帆、こういうものも食べた。
 1521年3月、ようやくたどり着いた陸地がグアム島です。偶然に任せて航海してグアムみたいな小さな島に着くなんて、これ運がいいです。
 さらに西へ向かって、4月には現在のフィリピンに着く。マゼランはポルトガル時代にアジアに来たことがありますから、フィリピンの言葉を聞いてアジアに着いたことを確信します。インドは近いです。マゼランはここで現地の人々を征服してスペインの領土にしたいと考えたらしい。セブ島やマクタン島でマゼランたちは島民とトラブルを起こして、戦闘になる。マクタン島ではマゼラン自身が戦闘で死んでしまった。殺したのが現地の部族の指導者ラプラプ王です。

マゼランこそ、コロンブスのなし得なかった世界一周のパイオニアたる人物です。が、私たちがマゼランの蹉跌を踏まないためには、以下の教訓を学ぶ必要があります。

・コロンブスを越えるには世界一周しかない
・敵は敵にあらず、己の針路の中にこそ敵はある
・恐れるな、まさか敵が東から攻めてくるとは思っていない

これをGoogleと対峙する新技術にあてはめると、

・Googleと闘うところはサーチの世界一周以外にはない
・Googleのクローズこそオープン陣営が目指す急所
・まさかサーチにこんなアプローチがあったとは

これが、私たちのIPOの目論見書の骨子です。 KAI

February 14, 2006

星願に涙す

早朝3時、ふがいないオリンピック放送(別に放送が不甲斐ないわけではありませんが)を見飽きて、他のチャネルに変えたら、以前見たことがある映画となんだか同じような話の映画をやっていて最後まで見入ってしまいました。番組表を見ると星願(セイガン)と言う香港映画。以前見たというのが星に願いを。と言う日本映画で、この星願のリメイク版だったようです。こう言うのを逆デジャヴ(って言わないか^^;)。

朝から思わずボロボロ泣いてしまいました。

星に願いを。を見たときは良い映画だとは思ったけれどこんな泣きはしなかったのに、今回はなぜか知らないけど、涙が止まりません。別に日本映画より香港映画の方が出来が良かったわけではありません。ただなぜか朝っぱらから気持ちが高揚して涙腺が閉まりません。見終わってリキと散歩しながら、まだ夜明け前の星空を見上げて、また涙が出てくるのでした。一体どうなっちまったんだいオイラは。

何かが、今の筆者の琴線に、触れるのを感じた。目も見えない、話もできないときの、無欲である幸せ。目が見え話すことができた瞬間から、愛を求め、それが永遠にかなえられない不幸。愛する人との永遠の別れ。流星群。流れ星は宇宙の涙・・・。人の涙に、その意味を求めることの無意味。

そしてAmazonでDVDを注文する。再び涙する(かも)。 KAI

February 10, 2006

サーチエンジンの大航海時代の幕開け?!

なぜGoogleネタはいつも面白いんだろうと思いながら、ITProの記事Googleに立ちはだかる「壁」を読んでいて、その面白さの秘密が、やっとわかったと言うか、思い出しました。

筆者は丁度1年半前のエントリーサーチエンジンは21世紀の文化の担い手(その5)の中でこんなことを書きました。

サーチエンジンの大航海時代の幕開け?!

久しぶりに長い連載になりました。

前回のエントリーで、

(中略)

と述べましたが、この一般化した「記者」を仮にOSJL(Open-source Journalist)と名付けることにします。

(中略)

世界中にいる、ありとあらゆるカテゴリーのOSJLが、次々とアナログ情報からデジタル情報を生産し続けます。それをサーチエンジンは、それぞれのカテゴリー毎の価値観でもって次々と編集していきます。この編集された情報は、世界中の、カテゴリー毎の情報を求めているユーザーの手元に、リアルタイムで届けられます。つまり、OSJLとサーチエンジンの組み合わせが、世の中のありとあらゆるアナログ情報をネット社会に流通させる道を拓く装置として機能し始めると言う考え方です。

(中略)

つまり、パラダイムの転換が起きているかどうかの問題と言うより、当のパラダイム自体のいわゆる既存のマスメディアと言うものの位置づけが、ネット社会の中で大きくシフトし始めていると言った方がより適切です。更に言えば、「ネット社会の世界中のアナログ情報の海を帆走するサーチエンジンによる大航海時代の幕開け」と言う新しいパラダイムの誕生、と言うのは決して大袈裟な表現ではないと思います。

このエントリーで「アナログ情報からデジタル情報を生産」と書いている部分は、紙媒体をデジタル化することももちろん含んでいますが、文字情報以外のアナログ情報も当然対象になります。つまり例えばデジカメの被写体というアナログ情報も、そのままそれがネットに登録されることで、膨大な画像デジタル情報が、世界中にいる無数のOSJLによって蓄積されていくことも、当然含まれるわけです。

この映像をも含めた、「デジタル化されたアナログ情報の海の大航海時代の幕開け」を体現している企業こそGoogleをおいて他なりません。まさにコロンブスでありマゼランなのであります。

余談ですが世界史講義録 第55回 大航海時代2が面白いです。これを読むと、コロンブスが発見した大陸が丁度筆者の言うアナログ情報で、これが次々とスペイン領と地図に書き込まれていくのがGoogleの領土化されたデジタル情報に見えてきて、なんだか不思議な感覚におそわれます。

つまり、新大陸の発見でありアドベンチャーです。Googleが何か発表すると、また何か新しい発見があったのかと、ワクワク、ドキドキして、期待する自分がいることを、再発見したのでした。チャンチャン。 KAI

February 08, 2006

きつねとたぬきと深い技術と早い技術

大阪で「きつね」と言えば「あげ・うどん」であり、「たぬき」と言えば「あげ・そば」です。それじゃあ「天かす・うどん」はと言うとそのまま「天かす」うどんで、「天かす・そば」は「天かす」そばで、となります。

これが東京では「きつね」は「あげ」の意味で、「たぬき」は「天かす」の意味になりますから、「あげ・うどん」は「きつね」うどん、「あげ・そば」は「きつね」そば、「天かす・うどん」は「たぬき」うどん、「天かす・そば」が「たぬき」そばになります。

え?ややこしいって?そうです、ややこしいんです。

CNETの梅田さんのインタビュー記事「ネット企業は技術志向の経営を--梅田望夫氏が語るウェブの進化」を読みながら、思わずこのきつねとたぬきの話を思い出してしまいました。

 技術という意味では、これは僕の造語なのですが、「深い技術」と「早い技術」というのがあると思っています。今のウェブの世界は「早い技術」--サービスを開発したら、いろんなものを組み合わせて、さらにそれをいち早くサービスとして立ち上げて、ユーザーをどんどん集めて改良していくなんですね。「早い技術」というのが正しい言葉かどうか分からないけど、僕はそう定義しているんです。

 「深い技術」というのは、やはり1つのテーマで、例えばGoogleはページランクというアルゴリズムがベースにあって、そのページランクというアルゴリズムで全世界のウェブサイトをランクづけして、といったものです。その検索の結果をとにかく常に改良していくといったものは、そう簡単にできる技術じゃなくて「深い技術」ですよ。アルゴリズムも相当深いです。そこに数学者やらPhDやら集めてきて何かやるというのはさらに上を行っているわけです。

この話を日本のネット企業やここCNETのおおくの読者にしても、よく理解できないと思います。現にインタビューワーであるこの記事の記者も、

--おっしゃっている技術志向の経営は、実を言うと日本から少しずつ消え去っていっているのではないかという気がします。

と、「深い技術」を「技術志向」と読み替えていますが、意味が全然違います。

まさに大阪の人間が、東京で「たぬき」と言って注文したら、うどんかそばか聞かれてそばにきまっとるやんけーと答えたら、出てきたのが「天かす・そば」だったと言う泣くに泣けない話と一緒です。

きつねとたぬきを今回の議論に当てはめれば、ビジネスにはあげと天かすがあって、技術にはうどんとそばがあるとすると、梅田さんの「深い技術」は大阪で言う「きつね」です。「早い技術」が「たぬき」です。

えー?ますますわからん?

そうです。この話はわからないのです。彼が議論しているのは、技術と言う言葉を使って、経営そのものを議論しようとしているからです。

人が知らない人の好き嫌いを議論できないのと一緒で、経営を知らない人には、技術は技術であって経営ではありません。技術が技術である人からすれば、深い技術は深い技術であって深い経営にはなりえません。

こう言う最高に美味しい「きつね」をお客様にお出しできるお店であり職人であり仲居であり経営者であれと言うのが、梅田さんのメッセージと解釈しました。いかがでしょう>梅田さん KAI

February 07, 2006

メタンハイドレート

メタンハイドレートとは、白いシャーベット状の物質で、メタン分子を水分子が覆うように結合しているため、従来の化石燃料に変わる未来のエネルギー源と期待されているものです。これがどうしてできたのか謎でしたが、どうやら古代の微生物が生み出したものである可能性が出てきました。

 海底下に眠るエネルギー資源として注目されているメタンハイドレートがある地下層から、三百四十八種もの新種の微生物が発見された。海洋研究開発機構(神奈川県横須賀市)など日米欧の国際チームによる地下掘削探査の成果で、新種の微生物はメタンの生成や消費にかかわっている古細菌やバクテリアの仲間とみられる。米国科学アカデミー紀要電子版に七日、掲載される。
SankeiWeb記事「メタンハイドレートに微生物 新種348、生成に関与?」

このメタンハイドレートは、Wikipediaによれば、「日本近海は世界最大のメタンハイドレート埋蔵量を誇ると言われ」ているようで、これを資源化できれば日本はたちまちエネルギー大国です。ところがそうは簡単に問屋が卸さないのは、Wikipediaの記述の通りです。しかしまあこれはこれで技術立国日本、しっかり取り組んでいるようで安心しました。

それにしても微生物が生み出したとは非常に面白い話ではありませんか。化石化が先か後かの順序関係の問題はあるにせよ、これを逆に利用して、微生物による資源エネルギー生産技術なるものが当然考えられます。つまりメタンハイドレートを生み出す微生物を発見できれば、もうこんな深海まで行って掘り返す必要などさらさらありません。

このあたりの研究はどうなっているのでしょうか。また時間を見てレポートしたいと思います。 KAI

February 06, 2006

ヒトの魂は30グラム

昔どこかで読んだ記憶のあるお話です。先週末が時間がなくて、2月初めての散策で見つけた一冊が、魂の重さの量り方です。

すでにいつものようにヨッパで、すんません。この続きはアシタ。 ^^;

February 04, 2006

気象庁の予報システム(2)

報道は間違っていなかったようです。

調べたところ、気象庁の予報システムの内、3ヶ月以上の長期予報は、力学的シミュレーションではなく、単純な統計学的手法によっているようです。

いやはや情けない。

気象予報ビジネスこそ21世紀の、最先端ビジネスと考える筆者にとって、数学で身を立てようとするなら、今や手垢まみれの金融工学システムを目指すのではなく、この気象予報ビジネスの理論的世界の構築こそ、もっともやりがいのあるビジネスであると、常々考えています。

もし、半年後の世界の気候を、精度よく予測できたなら、原油価格どころか穀物の先物市場を始め、世界経済がすべて、わが手のひらの中にあります。

しかし相変わらず、精度最悪どころか本来カオス問題には(こう言った)統計学的手法は適用すべきではないし、これは百害あって一利なしの手法です。長期予報が統計学的手法とは、昔似たような現象があったかどうかの、いわゆる時空間上のパターンマッチングです。このパターンマッチングにおいて、その重み付けのないマッチングは、すべてが等しくマッチングできると言うのは、すでに30年前に証明された真理(公理)です。

つまり、予報官の直感に、見せ掛けの科学的(?)根拠を与えるだけの似非科学です。

筆者は、気象の予報シミュレーションの方法に、量子力学的手法が適用できると考えています。量子レベルの現象は、実はブラックホールを始めとしたマクロレベルの現象と同じです。この事実に気付けば、地球規模の現象をすべてマッピングする必要はありません。ヨーロッパ、ロシアに至る寒気団だけに注目するだけで日本の長期予報ができるわけです。

どうです数学を目指す若者のみなさん、半年後の世界の気候を予報してみませんか? KAI

February 03, 2006

気象庁の予報システム、の報道

いやはや驚きました、気象庁の予報システムがこの程度であること、と言う報道に。

<気象庁>予報システムの見直し着手 暖冬外れの汚名返上へから引用すると、

 今回、正確な予報を実現するため、スーパーコンピューターの計算スピードを従来の35倍に引き上げるなどして天候予測ソフトを刷新する。これまでのソフトには、過去10年間の毎月末日の午後9時に地球上約5万地点で観測した気温、気圧、風向き、湿度のデータが入力されていた。このソフトに現時点の約5万地点のデータを入力すると、状況が似ている過去の例を基に26パターンの予測が示される。予報官が予報作成の基礎資料としていた。
 新ソフトは、作成に使うデータを過去20年間、毎月3日間とし、示される予測を50パターンに増やす。

こんな予報システムでは、ミニスカートと黒い服がはやるなら景気が回復すると言うのと一緒です。

しかし、本当でしょうか、この記事は。恐らく記者が自分の理解のレベルに書き直したのに違いありません(ってソースを調べろって>自分、but、そんな時間なし!^^;)。予測システムは、こんな記事にあるような単純な仕掛けではありません。

どう言うことか具体的に説明したいのですが、すでにヨッパです。次回必ずレポートしますので乞容赦^^; KAI