August 31, 2005

ウーウェン氏の料理(39)

チャーシュー

チャーシューと言っても、ラーメンにそえるチャーシューと全然違います。豚ひれ肉のかたまりを厚めにスライスした、一枚一枚の豚肉が、下ごしらえから焼き上げるまで、まったくビックリするぐらい丁寧に、一枚一枚調理される様は、これはもう、チャーシューステーキ十段重ねで、一発決まり。北京の酒菜の、p.8。

準備がすごい。1.5CMにスライスした豚肉の、一枚一枚に、すりおろしたにんにくをすりこみます。こうすることで、豚肉が香りよくしかもやわらかく仕上がるそうです。これを、合わせ漬け汁(しょうゆ、きび砂糖、紹興酒、ごま油)を入れたボールに、1時間漬け込みます。この漬け汁はあとでそのまま使います。

で、本番。炒め鍋で、サラダ油を熱し、強火で、漬け込んだ肉を一枚一枚裏表焦げ目がつくまで焼きます。この間に出た油はすべて捨てるのがポイント。ここでボールの漬け汁を加えて肉に絡めて炒めます。汁気がなくなって、肉全体に照りがでてきたら出来上がり。お皿にもって、ねぎをのせます。

このやわらかさ、筆舌に尽くしがたき。さすが甘辛味のトップバッター、甘辛味の真髄を、ここに極めたり。絶賛、絶賛の嵐の中、あっという間になくなりました。 KAI

August 30, 2005

モデル指向はなぜ必要か−−番外編

モデル指向から見たコンテンツ販売

P=「情報単価」で表す情報単価の意味には、もう一つの側面があります。それはコンテンツと呼ばれるものの情報単価です。この議論を突き詰めていくと、以前からの宿題のアプリケーションとコンテンツの関係にも絡んでくると思われますが、あえてそれに触れません。ここではとりあえずコンテンツ販売とは、楽曲の販売を想定して話を進めます。

まずアップルのiTMS(iTunes Music Store)と従来からのCD販売を比較すると次のような特徴があります。

<iTMS:ビジネスモデル>:
VQ ≫ F;

<CD販売:ビジネスモデル>:
VQ ≪ F;

まずiTMSのVQですが、VQとはメーカーの作る製品そのものの仕入れ価格です。これをメーカーのビジネスモデル側から見れば、構造はCD販売のビジネスモデルと同じで、異なるのは、後述するCD販売に必要なFがほとんどかからないことと、VQも一部の著作権料を除いて、物流コストなどモノにかかわる費用が一切かからないことです。つまり、iTMSへ卸す価格であるPは、併行して販売するCDの価格を考慮した、戦略的価格以外のなにものでもありません。

またiTMSのFについては、デジタルデータのECサイトのシステムを含めた運営費ですので、仕入れ額に較べても微々たるものです。

次に、CD販売のFについて言うと、その中身は、赤字プロモーションの補填を含む莫大なプロモーション費用のかたまりです。一方のVQが、すでに上で書いた通りの、一部の著作権料と物流コストなどのモノに関わる費用であることと較べると、VQ≪Fであるのは当然の帰結です。

さて、ここでQ(損益分岐点)=F/(P−V)と言う式を思い出してください。これが役に立ちます。損益分岐点とは、G(利益)が出る最低限のQ(売上数量)のことです。この損益分岐点をiTMSに当てはめると、VQ≫Fですので、ある意味P>Vの条件さえ満たせば、いかなる損益分岐点でも設定できることになります。

これに対して、CD販売の方の損益分岐点は、VQ≪Fであるためどうしてもハードルが高くなります。ハードルが高い分だけFを投入しなければならず、メガヒットが出なければ悪循環に陥るのが目に見えています。つまり、CD販売のビジネスモデルとは、Fを抑えなければ、ごく一部のヒット商品に依存するバクチ商売とかわりがないと言うことです。

以上の話しを整理するとこうです。

<CD販売:F>→<CD販売:P>→<iTMS:V>→<iTMS:P>

つまり、オンラインショップで販売するコンテンツの情報単価とは、大本を辿れば、CD販売におけるF(固定費)であって、その内訳は著作権料など直接的な費用はわずかで、大半がプロモーション費用、つまり広告費であると言うことです。この広告費が、ブランド価値などと言う虚構の衣装をかぶっているのが、コンテンツの情報単価の実態であると言えます。

本来、情報単価とは、前回までの議論によれば、それを生み出す機能のパフォーマンスの結果です。楽曲の著作権者であるアーティスト自体が機能であり、そのパフォーマンスの高さが、情報単価を左右していると考えるのが、このモデル指向の自然な考え方です。

丁度絶妙のタイミングで、梅田さん〜満足せる豚。眠たげなポチ。さん経由で、丸山茂雄氏のmF247を始めるにあたってと言う文章に出会いました。 

「メジャー絶対優位の時代」から「個が発信し個が選択する時代」に
 メジャー・レコード会社がマス・マーケットに向けてアーティストや商品を送り出し、その中からリスナーがチョイスをして購入していた時代=「メジャー絶対優位の時代」から、メジャーに頼らずとも様々なアーティストが登場し、リスナーも幅広い音楽の選択肢を得ることができる時代=「個が発信し個が選択する時代」に、音楽マーケットが急速に移りつつあるという事実は音楽関係者は誰しも否定しないであろう。

(中略)

インディーズの論理
 楽曲の聴取には、しかるべき対価を支払うべきであり、それが次の創作に繋がるという「創造のサイクルの保護」は、ある意味でメジャーの論理。我々インディーズは、創造のサイクルに入る前の段階に在る。前述の通り、リスナーが音楽を〈情報〉と捉えているのだったら、まったく新しい未知の〈情報〉にカネを払ってもらうのは無理である、というのがインディーズを主宰している私の結論である。

 インディーズでは、対費用効果でテレビスポットやラジオでのヘビー・ローテーションを打つことはできない。まず〈情報〉を無料で、ひとりでも多くの人に届けて広めないことには何も始まらない。そこで、アーティストの音楽をまず聴いてもらうためにインターネットを活用して「マスに向けた"路上ライブ"」を展開することとした。
 権利者やアーティストとの同意のもとに、楽曲を完全な形で、まず〈情報〉としてリスナーに提供し、数多くの〈情報〉から、その人特有の〈作品〉を見つけてもらい、CDの購入やライブコンサートへの参加に繋がるようなプロセスを構築したいと考えるに至った。

つまり、インディーズであるとは、必然的にF=0であるわけですから、一挙にP(売上単価)の小数点化が可能になります。ここ(mF247)では見かけ上P=0となっていますが、どこかでスポンサー経由の収入につながる広告モデルを導入できれば、路上ライブで入る投げ銭以上の収入を得ることができるビジネスモデルへの展開も可能なはずです。

満足せる豚。眠たげなポチ。さんの「音楽のオープンソース化だ」もなかなか面白い考えですが、これについては稿をあらためます。 KAI

August 29, 2005

幼友達の若すぎる訃報

京都府警の幹部を務めていた、筆者の生まれてからの幼友達が亡くなった。さきほど、先日喜寿を迎えたばかりの母から知らされた。近所の保育園、小学校、中学校、高校、すべて同じで、まさかこの歳で亡くなるとは。なぜか、この文章を書いている目の前に彼の笑顔が、入れ替わり立ち代り、あらわれる。

しかし、人の運命とははかない。十代から何人かの友達を鬼籍におくってきたけれど、そのいずれも、心に消えない傷を残してきた。人の死にどのような意味があるのか問うことは無意味であるけれど、ただその存在に見合う、残された者の心のバランスを、いかにすれば、とることができるのか。心の傷は、そのバランスの証でしかない。つらい記憶の証です。

考えてみれば、父親も、祖母も、こうして別れを迎えてきた。人に、別れの順序など、ないのかもしれない。ひょっとして、柱に残る家族の成長の印しのように、いくつもの、柱の傷を刻んでいくことが、人の一生と言うものかもしれません。合掌。 KAI

モデル指向はなぜ必要か(4)

定額制モデルはP=「機能単価」、従量制モデルはP=「情報単価」と言う仮説

続きです。M=「機能」の意味をもう少し考えてみましょう。

今回のASPサービスでは、PQ=Mですので、そのままPQ=M=「機能」、つまりP=「機能」/Q=「機能単価」が成り立ちます。これを、もう一度、レンタカーの例に戻って考えてみます。分かりやすいようにマンスリー契約のレンタカーを例にします。以前のエントリーで、レンタカーの目的は、車の持つ機能(移動、運送、旅行)の販売にあると申し上げました。この機能の販売とはどう言うことかと言うと、例えば移動機能について、その機能を使用した量に対応する移動距離は、(1ヶ月どれだけ走ろうが)そのレンタル料金に関係せず、単に契約する車種の違いのみが単価に反映されていることが、すぐ分かります。

つまりは、機能単価とは、その機能を利用する量の単価ではなく、車種と言うその機能の性能(パフォーマンス)の単価であることを意味しています。マンションの家賃と言うものも、高級マンションの高級と言う言葉はマンションの居住(機能)性能(パフォーマンス)を表す言葉であることを考えると、納得の行く概念と言えます。

ここで、以前取り上げた楽天の定額制から従量制へのビジネスモデルの転換の話しを思い出してください。定額制モデルの時の楽天が、ECサイトのモール機能のパフォーマンスに値段を付けていたとすると、従量制モデルでは一体この、機能単価の意味とは、何なんでしょうか。

これを考えるために、以前のエントリーで話題にした、はてなやSNSのビジネスモデルをここで改めて取り上げることにします。さっそく式で書くと次のようになります。

<はてな:ビジネスモデル>:
P=0.05[円/件]
Q=400,000,000[件];

<mixi:ビジネスモデル>:
P=0.02[円/件]
Q=500,000,000[件];

このモデルではP(売上単価)が小数点になっていて、しかも消費者から企業に直接支払われるわけではなく、実際は、消費者からスポンサーに何らかの代金として支払ったお金の一部が、スポンサー側で集約され、最終的に企業側に支払われると言う流れになっています。これを、単価が小数点であることがそもそもの本質で、広告と言うビジネスモデルが、この小数点の単価をスポンサーによって整数化(量子化)するビジネスモデルであると解釈することもできます(KAI式広告論)。

ここで取引されているのは、「件」と言う単位を持つ情報量です。Googleを利用するのも同じです。Googleの機能を利用して引き出すのは「情報」です。但しここには、上記のような情報を「取引」している感覚は存在しません。この感覚は一般消費者から考えるともっともな感覚です。しかし、本質は「取引」です。単価があまりにも小さいために消費者が気づかないだけで、情報当たりごく僅かな金額を「取引」しています。筆者も、過去に何度かGoogleで検索した本を、Amazon経由で買っていますが、このうちいくつかはGoogle〜Amazonと言う情報の流れを逆にたどって情報単価が流れている可能性があります。

この情報単価が、検索機能によって生み出されていることは、自明です。つまり情報単価の取引とは、機能のパフォーマンスではなく、機能により生み出される情報実体(インスタンス)そのものを取引の対象とするモデルです。このモデルでは、情報単価と言うように、情報量に従う従量制モデルになります。

それでは楽天の従量制モデルは、何の情報の従量制か。それはECサイト(モール)機能により集めた注文情報こそ、情報の実体です。これを金額で評価することで、従量制モデルが出来上がると言う構造です。

PQのリアリティを社員が理解しやりがいを持てばすべてOK

自分がお客様に何を買っていただいているか、何を売っているか、理解できていない社員は、不幸です。

自分たちのサービス、すなわち、お客様によろこんでいただく機能が、具体的になんであるか、これを理解した社員は、自分の実力以上のチカラを発揮します。

筆者は永いことソフトウェアビジネスにたずさわってきましたが、この真理こそが、すべてです。ぜひ経営者の皆さん、これを読んだ今の今から、社内の見積もりから「人月」と言う文言を、ただちになくしてください。お願いします。 KAI

August 28, 2005

ウーウェン氏の料理(38)

牛肉のうまみ炒め

愛犬リキを病院に連れて行ったら、獣医さんにリキの年齢を聞かれた。あ、いけない。一昨日リキの誕生日だった。すっかり誕生日が同じわが母親の喜寿にばっかり気を取られ、忘れてました。ゴメン>リキ。

と言うことでなんの脈絡もなく^^;牛肉の炒めものです。北京の酒菜の、p.90。

この炒めものは、いままでのウェンさんの炒めものの、いくつものノウハウのかたまりです。まず、赤唐辛子。あの鶏胸肉の細切り炒めの時に登場した、赤唐辛子は種を除いてぬるま湯に30分ほどつけて柔らかくもどすです。今回のこのもどす目的は、『辛みと香りを立たせるため』と書いてありますが、更にこんなことも書いてあります。

四川地方の料理で、ひと皿で酸スワン・、甜テン・鹹シェン・辣ラーの四つの味が味わえるのが身上。ポイントは「辣」の赤唐辛子を湯でもどしてから使うこと。前章の辛み味と違って、赤い色が料理につかずに、辛みだけを油に移して料理全体になじませるためです。

なーるほど、『辛みだけを油に移して料理全体になじませる』とは、こう言う「概念」であると言葉で初めて聞いて、納得。まったく奥が深い。その上、この酸スワン・、甜テン・鹹シェン・辣ラーの四つの味も、八つの味型の話しの時に紹介しましたが、7番目のうまみ味(魚香味)の本質とは、こう言う「概念」であると、これまた初めて、納得。

で、作り方。牛は切り落とし肉、下味(塩、酒、しょうゆ、水溶き片栗粉、サラダ油)をもみ込み10分ほどおく。炒め鍋で、サラダ油を熱し、みじん切りのしょうがと長ねぎ、薄切りにんにくを炒め、これに赤唐辛子を加え炒める。香りが立ったら牛肉を加えて炒め、水でもどした木くらげを加えて炒め合わせる。肉に火が通ったら、合わせ調味料(酒、しょうゆ、黒酢、砂糖、片栗粉、水)を加えて手早く炒め合わせて出来上がり。

牛肉の炒めものと言えば、牛肉のオイスターソース炒めも奥の深い何とも言えない味でしたが、今回はオイスターの深さと違う、また違った牛肉そのものの味が生きています。ありふれた素材とありふれた調味料の組み合わせから、どうすれば、こう言った深い味の料理が生まれるのか、不思議でたまりません。 KAI

August 27, 2005

裏麻布ってご存知ですか

西麻布は、秘密の街です。秘密ですから、秘密の人が秘密の場所の秘密の店に現れて、秘密に消えていく街です。

10年前、秘密の裏麻布と言えば、西麻布の星条旗通りでした。いまや、この星条旗通りも、知らなければタクシーの運ちゃんはモグリといわれる時代になってしまいました。

ここに、また裏麻布があらたに登場、って言ってもウラですから、あんまり派手に言うわけにはいきませんが、あのヒルズの真裏です。焼肉の十々のウラの通りこそ、いまここに、ちょっと高らかに裏麻布と命名します。青山から来て外苑西通りの西麻布交差点を過ぎエネオス沿いに左に上がる坂が、裏麻布の入り口です。

坂の途中のB1にある片岡さんのアルポルトを越えて左折、ちょっと行ったところのB1の嵐。あと右に曲がって左に曲がるとそこは六本木通り。この裏麻布にある二つのB1のお店が、裏麻布のキーワードです。

9/1 18時〜22時、嵐のリニューワルオープンレセプション(千客万来だそうです)です。
TEL03-5772-8811

ちょっとコマーシャルをば^^; KAI

August 26, 2005

人間の終焉

なぜか天の声に誘われるように、いつもいく書店の、いつものコーナーに行って、「解説大澤真幸」の帯がある本が目に。大澤真幸については今年の1月のエントリーで彼との20年近く前の出会いに触れていますが、彼は、ずっと変わらず、すばらしい仕事を続けています。見つけた本は人間の終焉(ビル・マッキベン著、河出書房、2005)です。

本文はとばして、30分ほどで彼の「解説」だけ読みました。感動以外言いようがありません。

筆者(KAI)の重要な研究テーマの一つがエートス問題です。シンクロニシティもこれに関連します。この分野の研究者である湯浅泰雄の過去30年以上にわたる著作物を通して、あれこれ考えてきましたが、ついに、大澤真幸によって解を得ました。

こまかい話は、また落ち着いてからレポートしますが、カントやシェリングの先験的選択と芹沢俊介のイノセントが、トポロジカルに見事に組み合わさって、ああ、そうだったのか状態です。シアワセ。 KAI

モデル指向はなぜ必要か(3)

FかVQか

まずおなじみの引用から^^;。

PQ=VQ+F+G
M=F+G
PQ=VQ+M
Q(損益分岐点)=F/(P−V)
(P:売上単価、Q:売上数量、V:変動費単価、PQ:売上、VQ:変動費、M:付加価値、F:固定費、G:利益)

自分たちのサービスのPQ(売上)が、顧客であるユーザーのビジネスモデルの中でF(固定費)であるのか、VQ(変動費)に分類されるのか、重要なポイントになります。FとするかVQとするかは、この費用がPQに連動しているかどうかで区別します。商品であれば、当然仕入が発生しますので、VQ以外に分類しようがありません。逆にいくら購入が発生しようが、直接PQに連動しなければFの分類になります。

この分類が何に影響を与えるか、これから説明します。企業のビジネスモデルの目的は、G(利益)の最大化ですから、PQ一定でGを大きく(G↑)するシミュレーションをやってみましょう。すると二つのパラメタしか動かしようがないことがわかります。F↓かV↓です。この両者の違いは、Fが総額であり、Vが単価と言うことです。

つまり企業が自社のビジネスの利益を大きくするためには、仕入商品の単価を低く抑えるか、固定費の総額を低く抑えるか、のいずれしかないと言うことです。従って、ASPサービスで販売する「機能」が取引先にとってVQ要因であれば、V(変動費単価)に対応する自社のP(売上単価)を低く抑えることが、ASPサービス側のPQ↑に貢献し、F要因であれば売上単価は関係なく、トータルの絶対額をおさえることが自社のPQ↑につながります。

ここで、これをB2Bではなく、B2Cで考えてみると、面白いことが見えてきます。B2Cとは顧客が一般消費者と言うことですから、例えばサラリーマンの家計を上記ビジネスモデルにむりやり当てはめるとPQとはサラリーマンの毎月の給料で、Qはあの困ったちゃん^^;の人月になります。当然自分自身ですからVQは発生しないことになり、サラリーマンが使う携帯の電話代は当然Fに分類されます。つまり電話代をいくら使っても、電話代は家計におけるPQに全く貢献しないと言うことです。

もしここで、電話代が定額制になるとどうなるか考えてみてください。電話をいくら使っても家計のGに影響を与えないとすれば、これは誰だってこちらのモデルを選択します。かくしてここに、ADSLやauの急拡大の秘密があったのです。当然、これは電話サービス側で、定額制に対応できるビジネスモデル(VQ=0)があってのことです。

定額制モデルはP=「機能単価」、従量制モデルはP=「情報単価」と言う仮説

さてここで、前回のエントリーで得た結論であるM=「機能」について、もう少し検討を進めることにします。

と、書いたところで、メチャオモ本に出会ってしまいました。続きはそのあとで。 KAI

August 25, 2005

モデル指向はなぜ必要か(2)

付加価値とは何か

家賃収入の意味を理解するために、先に付加価値と言う概念を理解する必要があります。また同じ数式(モデル)を引用します。

PQ=VQ+F+G
M=F+G
PQ=VQ+M
Q(損益分岐点)=F/(P−V)
(P:売上単価、Q:売上数量、V:変動費単価、PQ:売上、VQ:変動費、M:付加価値、F:固定費、G:利益)

まず、この数式の中のMの意味を説明します。上式ではM=F+Gと定義していますが、本来の定義は、PQ=VQ+Mから導く式であるM=PQ−VQの方が、付加価値の概念をよく説明します。つまり、M=PQ−VQ=(P−V)×Qとなりますから、Mとは売り単価(売上単価)と仕入単価(変動費単価)の差額分に販売数量をかけたものです。つまり、部品か商品かは関係なく、モノを仕入れて販売するモデルでは、付加価値とは売上から仕入の値段を除いたものになります。更に付加価値単価(m)を導入すると、m=P−Vですので、M=(P−V)×Q=mQとなって、付加価値とは販売数量あたりの単価に分解することができます。

整理すると、販売単価とは仕入単価に付加価値単価を合わせたものです。この意味は、モノの価格とは、仕入れ価格を除けばすべて付加価値であると言うことです。家賃収入のように仕入がゼロなら、価格とは付加価値そのものになります。この特徴は、一般的に、サービス(機能)そのものを販売する業界の特徴です。例えばレンタカー業界とはサービス業に分類されますが、これは、車そのものを貸すことが目的ではなく、車の持つ機能(移動、運送、旅行)を販売することが目的であると見なすからです。

このことは、丁度1年前のエントリーで引用した、「サービス化経済入門」(中公新書、佐和隆光編、1990、p.18-19)にある説明を読むと簡単に理解できます。

サービスとモノの関係

 サービス産業の進展とモノの関係について、最後に一言触れておくことにしよう。
 サービスとは、モノの「機能」をフローとして市場で取引する営みにほかならない。いいかえれば、モノ自体ではなく、モノの持つ「機能」を売買の対象とするのがサービス業なのである。耐久消費財というモノは、それ自体、売買の対象とされるのが普通である。しかし物品リース業は、耐久消費財の「機能」を取引の対象としており、その営みはサービス業に分類される。そのほか、タクシーや宅配便を、「輸送」という自動車の「機能」を売るサービス業とみなすことができる。
 逆にいえば、ほとんどのサービス業は、なんらかのモノのサポートがなければ成り立ちえない。また、物財の「機能」の向上や多様化を通じて、サービスの外部化や多様化がもたらされる。結局、モノの「機能」を向上させ多様化させる技術革新が、経済のサービス化を推し進める動因にほかならないのである。
 さらにいえば、モノに埋め込まれ使用時に発現する「機能」の売買が、モノの売買の本質である、というふうにみることができる。たとえば、テレビ受像器というモノを買うのは、テレビというモノ自体を買うというよりは、テレビが受像する映像メッセージを買うというふうに考えるほうが、消費者の行動の本質をより的確にとらえている。つまりいつの時代においても「サービス」は産業の究極の目的であって、サービス提供の媒体としてのモノが時代とともに移り変わってきたにすぎない。
 このようにモノとサービスが表裏一体の関係にあることに着目することにより、サービス経済化の進展を、モノとその生産技術の革新の結果としてとらえる、新しい視点にたどり着くことができるのである。

この説明の中の、売買する「機能」の値段こそ、冒頭の付加価値と言う概念の本質です。

更に、ソフトウェアとは「機能」以外何者でもありません。ASPサービスとは、インターネットのおかげで、はじめてCD-ROMやパソコンと言ったモノの媒介なしに、直接「機能」を販売できるようになったサービスであると言うことです。ですから、ASPサービスと言うビジネスモデルでは、モノの値段とは違う、「機能」を使い続ける限り発生する、家賃収入と言う値段の考え方を採用しているのです。

余談ですが、こう言ったビジネスモデルの考え方は、原価主義であるメーカーでは微塵も考えられません。なぜなら彼らにとって、付加価値はF+G以外考えられないからです。つまり、固定費に利益をのせた分が付加価値ですから、こんな考え方からM=「機能」などと言う発想は出てこようはずがありません。

Qの単位が「台月」である意味

それでは次に、Qが「台月」である意味です。意味と言うより、なぜ「台月」かを説明した方が分かりやすいでしょう。

これは電話代を考えると簡単に理解できます。そもそもこのインターネットは、2001年を境に急激に普及してきているのですが、この原因は、ADSLのサービス開始です。なぜADSLのサービスとインターネットの急拡大が関係しているかと言うと、ADSLの通信速度が、それまで主流であったISDNに較べて、何十倍と高速化したことも一つの原因ですが、それより決定的な要因があります。それは定額制の導入です。1日何時間接続していても、同じ料金で使用できると言うものです。この定額制が導入される前の深夜割引時間帯のラッシュが(悪)夢のようですが、ついこの間までそうだったのです。

この定額制は、携帯電話でもauの大躍進の起爆剤になったことを考えると、何か本質的な意味の存在を感じさせます。これについては後ほど述べることにして、とりあえずASPサービスです。

ASPサービスにおける課金方式には、従量制と言われる使用しただけ料金がかかる方式と、使用した機能、接続時間にかかわらず一定の料金である定額制の方式があります。「台月」とは後者の定額制方式になります。定額制の電話代と同じように、契約台数分、ひと月、何時間使っても使わなくても料金は同じであるために、必要な時に、必要な分だけ使用することができます。また特別な機能のための料金も追加でかかりません。

ASPサービスはコンピュータのサービスですから、自動的に使用量をカウントできます。従量制にするのは、簡単にできます。現に、ECサイトのASPサービスである楽天は、楽天開設時以来の定額制を止め、利用量である取引高の何%と言う歩合制(従量制)に変えてしまいました。

しかし、これはASPサービスを利用するユーザーである企業側からすると、ビジネスモデル的に、大きな転換を意味します。つまりユーザー企業のビジネスモデルから言えば、定額制から従量制への変更は、費用の扱いが、固定費(F)から変動費(VQ)へ切り替えることを意味しています。

さて、話しが長くなりすぎました。一旦ここでアップします。 KAI

August 24, 2005

ウーウェン氏の料理(37)

なすとピーマンの麻婆炒め

以前、麻婆なすのエントリーで、麻婆とは、日本のふりかけです。ちょっとグが大きい、ふりかけです。との超見解を披露しました。今回は、その延長線上にある料理で、このふりかけと、なす、ピーマンと言う超不思議の組み合わせ世界です。わが家で楽しむ北京のおかずの、p.35。

この料理に使う、なすもピーマンも、千切りにしますが、千切りピーマンと聞いて何か思い出しませんか。そうです、あの青椒肉絲(ちんじゃおろうすー)です。この超日常料理のピーマンと超定番ふりかけの超々組み合わせこそ、今回の料理のポイントであり、うまさの秘密です。

レシピはすべて鉄則どおりの内容に感心して、まずふりかけを作ります。炒め鍋で、サラダ油を熱しひき肉を、ボロボロになるまでしっかり炒める。これを鍋の端に寄せ、鍋の中央で花椒、豆板醤、一味とうがらしを炒め、香りが出たところでひき肉も入れて炒め合わせ、酒、しょうゆをふって、まずふりかけは準備OK。

次に、なすとピーマン。なすもピーマンも炒めすぎは禁物と言うのは、しっかり筆者の鉄則ノートにメモが。このメモの通り、千切りにしたなすとピーマンを加えるのは最後の最後。味がなじむ程度に炒めて、出来上がり。

で、超不思議な組み合わせの味とは、やきそば、です。やきそばのそばが、なすの千切り、ピーマンの千切りのメン。やきそばに目いっぱいかかっているふりかけが、麻婆ふりかけの味。そうです、あの懐かしい夏祭りの屋台の味だったのです。 KAI

August 23, 2005

デスバレーを越えてみると

TSUNAMI発足5周年のパーティに出てきましたが、すでにデスバレーを生き残った身からすれば、陳腐以外何者でもありません。はがれた膏薬をあとから貼り付けても、あのー、効き目ないんですが^^;。

先日のエントリーにも書きましたが、筆者は2001年に彼らと縁を切りました。彼らには意味が理解できないのです。ネットワークも、思いっ切り、彼らは誤解しています。先日(と言ってもこの春ですが)、都内の某寿司屋でGoogleのCEOであるサーゲイブリンと隣り合わせになりました。息子の大学合格のお祝いをしている時です。彼は素直に息子の大学合格を祝ってくれました。別に私たちはGoogleとなんの縁もないのですが、十年来の付き合いの寿司屋の大将の義理の弟がGoogleジャパンの社長と言うだけです。

つまり、何を言いたいかと言うと、ネットワークのリアリティとはこういうものです。mixiなんか絶対うまくいきません。

ぜひ若い人に理解してほしいのは、人と人の関係は、その人の存在以上にはなれないってことです。自分の存在は人とは関係ありません。絶対、人との関係に、うつつをぬかしてはいけません。自らの存在に責任もてるだけの努力をすることこそ、他人との関係と言うネットワークが成立するのです。

ヴァーチャルな世界とリアルな世界は、もちろん神話を含めれば何千年にもわたる、人類共通のテーマです。突然21世紀に現れたものではないことを、中秋の名月を眺め、だんごを食いながら、ぜひ理解してほしいものです。 KAI

ウーウェン氏の料理(36)

えびとねぎの黄酒炒め

何度もウェンさんのえびマジックを取り上げてきましたが、今回もまた、新たなるえび展開です。北京の酒菜の、p.103。

さっそくウェンさんのコメント。

えびの切り方で味わいの変化を楽しんでください。ここでは薄くそいで、面積を広げて使い、見た目も新鮮に仕上げました。とてもやさしい味わいなので、大人も子どもにも人気のあるメニューです。

なるほど、この通りの展開えび^^;がなんともやわらかくやさしい仕上がり。しかも、長ねぎの、あのねぎ本来の味が口の中に拡がる感覚は、単なるおいしいおいしいだけではない、身体に料理がしみこんでいく、正に薬膳料理の趣です。

で、作り方。使うえびは大正えび。えびの殻をむき、背中に切れ目を入れ、背わたを取り厚みを半分にします。片栗粉とこしょうをふってまぶして準備OK。炒め鍋で、サラダ油を熱しえびを入れ、色が変わる程度にさっと炒めて、一旦取り出す。残った油に、3CMのぶつ切りにした長ねぎとみじん切りしたしょうがを入れて炒めて、香りが立ったらえびを戻し、塩、砂糖で調味する。紹興酒としょうゆを加えて混ぜ、水分を飛ばして、できあがり。

この最後に加える紹興酒、すなわち黄酒が、ねぎが持つあの本来の味と組み合わさることで、一層の薬膳効果をうんでいるのです。またまたウェンマジックに感服。 KAI

August 22, 2005

モデル指向はなぜ必要か

モデル指向のような抽象的思考が難しいのは、当人にとって、モデルと言う抽象化の意味が理解できていないからではなく、抽象化を保証する具象性(リアリティ)を持ち合わせていないからです。抽象化の意味は、このリアリティの先にあります。

うちのカミさんに、会社の仕事を手伝わせようと思って、いくら経理の仕訳ルールを説明しても理解できないのは、仕訳の意味が理解できていないからではなく(もちろん理解もできていませんが)、仕訳の結果が、本人にとって何の利益(リアリティ)ももたらさないからです。javaと言うコンピュータ(抽象)言語を理解するとはどう言うことかと言えば、javaと言う言語の文法の知識があることではなく、具体的にどう言うソースを書き、どう言う操作をすれば、どう言う結果が得られるかを知っているかどうかです。

モデルが、当人にとって、この具体性と言うリアリティを持つようになると、このモデルを道具として使いこなせるようになります。あたかも小説家が、小説という手法(モデル)で、映画監督が、映画という手法(モデル)で、自分の考え(アイデア)を表現(実現)するがごとくです。

結論を先に書いておくと、人が、何事かを成し遂げ、目に見える結果を得ようとする時、モデルと言う道具が不可欠であり、このモデルの選択(創造)こそ、結果の成否を左右することになります。

道具として使いこなせないモデルは、モデルではありません。

会社の経営者が、経営のためにどのようなモデルを持ち合わせているかは、その企業の業績に激しく影響を与えます。カネボウの粉飾決算で逮捕された元経営者は、営業畑出身で、やり手の営業マンだったそうです。この彼は、業績を改善するには売上を上げることであると言うモデルしか、持ち合わせていなかったようです。その結果見かけの売上と言う粉飾に走る訳です。日産のゴーンは、コストカッターと異名を取るほどの、コストモデルを持つ名経営者です。

前々々回のソフトウェア業界の経営モデルの説明に使用した数式(モデル)を再度引用するとこうなります。

PQ=VQ+F+G
M=F+G
PQ=VQ+M
Q(損益分岐点)=F/(P−V)
(P:売上単価、Q:売上数量、V:変動費単価、PQ:売上、VQ:変動費、M:付加価値、F:固定費、G:利益)

この数式(モデル)によれば売上は、PQと表現されますから、売上を上げる(↑)ためには、P↑あるいはQ↑しかありません。もしこのP(売上単価)を人月単価と考えるなら、売り物である人月単価をアップさせるか、人月(Q)と言う頭数そのものを増やすと言う意味になります。もっと具体的に言えば、人月単価とは優秀なSEでありプログラマの確保です。当然優秀な社員は限られていますし、そもそも社員の人月(社員数)の上限は決まっていますので、派遣会社から派遣を受け入れることになります。かくしてV(変動費単価)も人月単価と言う構造が、出来上がります。

こんなモデルのどこをいじっても、私たちの考えるASPサービスのモデルは出てきません。どこがおかしいのでしょうか。

家賃収入と言うビジネスモデルの意味

ASPサービスは家賃収入であると、以前のエントリーで申し上げました。ソフトウェア業界における家賃収入とはいったいどう言うことを言っているのでしょうか。ASPサービスのQは、「台月」であると言うことは同様に以前のエントリーで説明しています。そもそも家賃収入ってなんなのか。次回以降に続きを説明します。 KAI

August 20, 2005

ウーウェン氏の料理(35)

チンゲンサイのひき肉あんかけ

筆者は、実は竹から生まれた、竹の子太郎です。もちろん原宿の竹の子ではありません。京都の山奥の、母は、大江山の鬼で、父は、山家の猿です。もちろん育ての親ですが、丁度今と同じ暑い夏のある日、裏山の孟宗竹にカミナリが落ちました。火事を心配した両親が、裏山に行ってみると、真っ二つに割れた竹の間に、まるまるとした赤ん坊が、声をはりあげ泣いていました。

母鬼と父猿は、赤ん坊を連れ帰り、この子を大事に育てました。毎年、春になると、裏山にあがる孟宗竹の竹の子を、竹の子ご飯、竹の子とさばの煮込み、竹の子の天ぷらにして、この子にせっせと食べさせました。やがて、この子が大きくなって、東の国の鬼退治に^^;

筆者のエネルギー源が実はこの竹の子であると言うのも秘密です。竹の子があればなぜかからだがシャキッとするくらい、めちゃくちゃ竹の子大好き人間です。今回の料理のポイントはなんとこの竹の子であります。大好きな炒めものの、p.68。

ゆでたけのこに、ひき肉と調味料を絡み合わせて作るあんは、たけのこの持つあのエネルギーが、ひき肉と言う武器を得て、とてつもないパワーを発揮します。これがチンゲンサイと一緒になって、もうこれだけでメインディッシュになってしまう、不思議な料理です。

レシピも、チンゲンサイのゆで方がもう一つのポイント。煮立った湯に塩を入れ、下ごしらえしたチンゲンサイの根元のほうから先に入れ、30秒ほどして全体を湯にくぐらせる。良い色にゆだったら冷水にとって水気を切る。切れ目のあるほうを上にもることで、あんかけとからみあわせが、うまくいきます。つまりすべてからみあわせるためのテクです。

肝心のあん。炒め鍋で、強火でサラダ油を熱し、豚ひき肉を炒める。色が変わったらみじん切りしたしょうがと長ねぎ、角切りしたたけのこを加えて、炒める。水分がなくなるのを見計らって、合わせ調味料、ときたとこで、んーこの甜麺醤って初登場。

調べると、ここにありました。

中国では「麺醤」ともよばれ、小麦粉を発酵させた味噌状の調味料です。甘いことから、中国語で「甘味」を意味する「甜」の字がつけられています。日本で販売されている甜麺醤は、八丁みそに糖類・ごま油を加えてつくられた調味料です。北京ダックや回鍋肉(ホイコーロー)に用います。

なるほど、甘みそでした。で、レシピの続きで、調味料(酒、しょうゆ、甜麺醤、酢、鶏ガラスープの素、水)を加え一煮立ちさせる。水溶き片栗粉でコーチェンして出来上がり。

やはり中国料理は奥が深い。かくして筆者のエネルギー源である竹の子は、ひき肉と甜麺醤がからみついて、筆者の竹の中に帰っていきました。 KAI

August 19, 2005

ウーウェン氏の料理(34)

えびとオクラの炒めもの

またまた筆者好みの味を発見しました。北京の酒菜の、p.71。

ウェンさんのむきえびは、なんでこんなに美味しいんだろう。たまらない味です。そんなえびに、これまたオクラが、めちゃくちゃ合うんだ。

北京にオクラはないのですが、日本に来てオクラに出会って以来、この粘りが好きでいろいろな料理によく使うようになりました。魚介、肉、干した素材と合わせて炒めたり、納豆と合わせてねばねばを楽しむ料理も気に入ってます。

とはウェンさんのコメントですが、このオクラが、ウェンさんのえびと出会って、オクラの味が光輝いています。今までどっちかと言えばネクラ(だじゃれ^^;)くんが、えびと一緒になっては、オクラは、もうえびと離れられません。

作り方はきわめて簡単。炒め鍋で、サラダ油を熱し、つぶしたにんにくと粗みじん切りした唐辛子を炒める。香りが立ったらむきえび(背わたを取り水洗いし水気を切る)と、へたを取って縦半分に切ったオクラを入れ、さっと炒める。酒、しょうゆ、塩で調味して出来上がりってなもんです。

一緒に食した友人も、いつもなかなか美味いものを喰っている人間ですが、うなりながら食らいついていました。 KAI

August 18, 2005

そろそろお終いに(2)

人月単価解体、良い言葉ですねえ^^;

前回の数式を再掲して、話を続けます。

PQ=VQ+F+G
M=F+G
PQ=VQ+M
Q(損益分岐点)=F/(P−V)
(P:売上単価、Q:売上数量、V:変動費単価、PQ:売上、VQ:変動費、M:付加価値、F:固定費、G:利益)

この売上の数量単位が人月ではダメだと言うことは、では、替わりは何になるのか。これを示さない限り、解体戦略なんてものは、そう簡単に描くことはできません。

今回もシリーズ化しそうな雰囲気ですが、とりあえずここではこの人月単価解体戦略について書きます。

と言うことで、まず筆者の体験から。会社設立当初から、概算見積の段階からオブジェクトフロー図を書くことで、この図の中のオブジェクトの件数(フローも件数に含みます)をカウントし、1件あたりの単価を見積もってきました。当初の単価は、確か3万円だったと思います。これで2年ほどやって、どうも経営が苦しいと言うことで、4万5千円に値上げをしました。更に、既存のシステムに機能を追加する場合は、別単価の6万円にしました。これが当たって、以降開発する案件では、間違いなく利益が出るようになりました。

その後、パッケージ製品を開発して販売を始めましたが、こちらの単価は1本いくらと、明解なものです。しかも私たちは一切カスタマイズしませんので、オプション製品以外追加費用がかかりません。もちろんオプション製品も1本いくらと言う単価をつけてあります。つまり見積単価は、1本あたりの単価のみでやってこれたと言うことです。

更に大きな変化が訪れたのが、4年前の2001年。開発したERPパッケージ製品をインターネット経由でブラウザで利用できるようにした、ASPサービスをスタートさせました。このASPサービスの料金体系の基本は、月額利用料制です。つまりQの単位が台月となって、家賃収入のように、使い続けてもらう限り毎月PQ(売上)があがる仕掛けです。

これは受託開発のように、納品してまとまってどかんと売り上げがあがるのではなく、入会契約した月から、毎月定額が振り込まれる仕掛けですから、契約者さえ確保できれば、経営的に非常に安定します。(人月派遣が安定するのもこれが理由ですが、内容はまったく異なることは自明でしょう)

また、これはパッケージ販売におけるメンテナンス料金とも、まったく考え方が異なるものです。実際に何度か経験しましたが、問題が起きていないとして、メンテナンス料金を支払ってくれないお客様も何社かありました。これに対してASPサービスでは、月額利用料が万一支払われなければ、IDを利用停止にすればいいだけです。

現在、私たちのASPサービスは、月額利用料だけでやっていけるようになりました。あとは会員が増えるだけ設備を増強し、サポートを強化するだけで、つまりF(固定費)を計画的に増やすだけで、VQ(変動費)はゼロですから、会員数が増えた分のPQ(売上)が、まるまるG(利益)として残る計算になります。

常にエンドユーザーを相手に仕事する

もう一つ、私たちがとってきた重要な戦略があります。それはエンドユーザー相手の仕事しかやらない、と言うものです。つまり下請けの仕事はやらない。これはなかなか厳しい決断でしたが、これで何度かメーカーやSIerからの話をお断りしてきました。

しかしこれで営業力をつけることができました。現在取引しているASPサービスの会員は、すべて直契約です。もしメーカーなどの代理店の営業を当てにしていたら、今、こうはなっていません。

さて、筆者の体験ばかりで、戦略論になっていませんが、ポイントは二つです。

■アプリケーションの月額利用料制のサービスに変える。
■エンドユーザーと契約する。

これをすぐに実行することが難しければ、逆に考えれば良いと思います。つまり、自社が開発した(開発する)アプリケーションの中に、月額利用料制に変更できるものがないかどうか。下請けでやっているものでも、エンドユーザーと直契約に切り替えられるものがないかどうか。一つでもこの可能性があれば、これをやってみるべきです。そして、これに全力で取り組んでいくことです。集中して全力で努力する中に活路は必ず拓けると、筆者は確信しています。 KAI

August 17, 2005

そろそろお終いに

日経ソリューションビジネスの今週号が届いて、驚いた。ページ数が78頁しかないのもそうだけれど、広告出稿が6社しかない。と言うことで、今回は、日経ソリューションビジネスもそろそろお終いに、と言う話しではありません^^;。広告企業であるソフトウェア業界、その中のSIerと言われる業界の問題についてです。

本題の前に、ビジネスモデルを数式で表現することについて、簡単に説明します。ビジネスモデルのような世の中の社会現象を説明するのに、数式を使うのはなぜかと言うと、議論を数学モデルで記述することで、その議論の曖昧さを除去するためです。但し、当然この数学モデルを適用する方法を間違うと、見かけ上問題ない議論でも、まったく虚構の議論を展開するハメになります。

で、数式です。

PQ=VQ+M
M=F+G

ここで、P:売上単価、Q:売上数量、V:変動費単価、PQ:売上、VQ:変動費、M:付加価値、F:固定費、G:利益です。この数式を使うと、例えば損益分岐点を求める式も、簡単に導くことができます。損益分岐点とはG=0、つまり、利益がゼロとなる売上数量ですから、

PQ=VQ+F+G

PQ=VQ+F

Q=F/(P−V)

となります。ここで言うQは、売上数量ですから、当然数量の単位を持ちます。デルであればパソコンやサーバーを何台売ったかと言う、この台数が数量単位になります。

さて、この数式をソフトウェア業界に適用するとどうなるか。驚くなかれ、ソフトウェア業界ではいまだにこの数量単位に人の頭数をあらわす「人月」を使用しています。人月というのは港湾労働者が1日いくらで働く「人日」単位と同じです。これがソフトウェア業界の諸悪の根元で、これを廃止することがソフトウェア業界の「変革」につながるのですが、このことは最後に述べます。

まずなぜ「人月」なのか、簡単に説明します。その昔、ソフトウェアはハードウェアのおまけでした。おまけと言うことは、先ほどの数式で言うところのPQ=0と言うことです。一方で、費用は発生しますから、ハードウェアメーカーの購買担当者はプログラマを派遣で受け入れました。かくして変動費であるVQのQが人月になって、プログラマの派遣会社であったCSKなどが、メーカーの購買担当者の指示に従って作った見積もりのPQのQが、人月になったと言うことです。

途中、画面単価(画面数)とかステップ単価(ステップ数)とか、さまざまな人月単価を廃止する努力が続けられましたが、最後にしぶとく残ったのが、この人月さま様であります。

人月の、何が問題なのか。

一番の問題は、若い人が集まらないことです。まず就職人気ランキングにのることはありえません。なぜか。簡単です。若い人から見て「ソフトウェア業界は派遣業界」と言う定説^^;が定着してしまっていることです。しかも企業の採用担当者も、これに同意せざるを得ません。理由は、実態を知っている、すでに入社した先輩の証言に逆らえないからです。人が集まらないと言うことは、間違って入社した若者のモチベーションもないってことです。

一体いつまでこんなウソを続けるのでしょうか、え、経営者の皆さん。公団内田と同じことをいつまで続けるつもりですか。

ビジネスモデルの問題に戻ると、現状PQのQが人月である見積もりを出し続けていることの問題の意味を説明します。見積もりを出すと言う行為は、お金を出す側からすれば、取引する「モノ」の値段を決める行為以外何者でもないのです。つまり人月とは発注者も受注者も、ヒトを取引するモノとして扱っているのです。ところが実際はRFPだの上流設計だのえらそうなことを言う。まさに三島由紀夫のリアリティの喪失そのものです。

なんとかしましょうよ。変えましょうよ。と言うことで私たちは、いままで努力してきました。そしてたどり着いた結論はソフトウェア業界が目指すべき方向とは、人月単価ではなく月額利用料と言う、根本の発想の転換です。

原子力発電所を作るビジネスモデルには言及しません。普通のアプリケーションはすべてこの月額利用料と言う、オンデマンドビジネス、ASPサービスへ、時代の流れを大きく転換しましょう、と言う提案です。私たちは、すでにこれを、4年間ですが、実証しています。 KAI

August 16, 2005

ウーウェン氏の料理(33)

グリーンアスパラガスのかにあんかけ

前回(32回)がちょっと手抜きになったのは訳があります。あるビジネスモデルの議論をしながら、前日の料理のことを書いていました。書くのをあきらめようかと思ったけれど、あの場で書いておかないと、記憶は永遠の闇の彼方へ。で、そのビジネスモデルって言うのは、いかに儲けるかではなく、いかにコンテクストを繋いでいくか、その絵が描けるかどうかですよって、口を酸っぱくして説きながら、出された料理がこれまた絶品で、話しが、あっちこっちしながら、ようやく解決の糸口が。どっちも取る。

と言うことで、かにあんかけ、です。大好きな炒めものの、p.69。

このかにあんかけは、あまりにおいしくて、しまいにお皿を傾けて、最後の一滴まで食べ尽くしました。一晩経ってもまだよだれが出てきます。

さっそくレシピをチェックすると。かには単にかに缶を利用するだけ(と言ってもかに缶って結構高いんじゃないの^^;>ユーイチ君)。このかに缶のかにがなんでこんな美味になるのか。やっぱりウェン流に秘密がありました。いつもの通り、合わせ調味料とかにの絡み合わせが絶妙なのです。

整理すると、まずグリーンアスパラガス。炒め鍋で湯を沸かし、煮立ったところで塩を加え、下ごしらえしたグリーンアスパラガスを固めにゆでます。冷水にとり、水気を切って、器に盛る。次にあんかけ。炒め鍋を弱火で熱し、合わせ調味料(しょうが汁、塩、酒、鶏ガラスープの素、水)を入れ煮立てる。ここに、ほぐしたかに(かに缶から出して水気を切り軟骨を取り除く)を入れ、さっと炒め合わせる。水溶き片栗粉を回し入れとろみをつける。仕上げにごま油で香り付けしてから、グリーンアスパラガスにかけて、出来上がり。

かにあんがビミョーにからみついたグリーンアスパラガスの歯ごたえが、こりこりと心地よい。まるで口の中の快感が走るような、ちょっとエッチな味、でした。 KAI

August 15, 2005

リアリティの喪失社会

本日は終戦記念日。本日付の産経新聞に、昭和45年(1970年)7月7日付同紙夕刊に掲載された、三島由紀夫の「私の中の25年」と言う随想が、再掲載されています。

筆者は、以前からここに書いている通り、ここ何十年一度も小説と言うものを読んだことがない、まったく文学論からほど遠いところにいる人間ですが、この随想を読むと、三島由紀夫がどう言う人物であったか手に取るように見えてきます。文章の端々から、当時の彼が、知行不一致、精神と肉体の乖離、リアリティの喪失と言う苦悩に覆われていたことがよく分かるのです。

この随想を書いた年の11月25日、あの自衛隊市ヶ谷駐屯地で起こした事件の映像は、いまだに筆者のまぶたに残っています。事件当時、なぜ彼があのような行動に出たのか、深く考えることはありませんでした。それから時を重ねて35年。今朝のこの新聞記事に出会って、やっと彼の心の中を覗い知ることができたような気がします。

リアリティの喪失。戦後60年の今、最も大きな社会問題が、これです。

逮捕された道路公団の副総裁が昨年、ぬけぬけと記者会見して、道路公団の闇を指摘する猪瀬直樹批判を繰り返していました。こう言うのを厚顔無恥と言うのでしょうが、世の中、厚顔無恥の映像に溢れていて、彼らの人相の悪さに毎日気分が悪くなります。

知のリアリティを担保するのが行動です。精神のリアリティを保証するのが肉体です。社会の精神が、このリアリティを喪失するとは、すなわち国家と言う人間社会の崩壊を意味します。具体的には国家を構成する一人一人の人間が、一人一人の人間を信頼しなくなると言うことです。他人を敬うこともなければ、人を尊ぶこともない。あるのは己のみ。己さえよければと言う社会です。

情報社会も、そのまま現実を写します。これはつまり、インターネットで流通する情報に、どれだけのリアリティがあるのか、と言う問題でもあります。

昨年暮れ、筆者は西垣通氏の論文を取り上げ、情報哲学について次のように書きました。

情報の哲学を一言で言うと「情報と言う存在における、存在間の相互価値の共有化」です。共有化であって共通化、同一化ではありません。

情報は思想的には中立の存在ですが、価値は思想の上にあります。思想は、社会の基盤をなし、人々の価値観を支配しまた支援します。ITによる情報現象を、そのまま自然現象のように受け入れるのではなく、相互価値の共有化を実現する方向へと変えていくというのが、これまたITの役割であり、情報哲学と言う「思想」の意味なのです。これはITと言う存在を、科学技術という無色透明の世界で扱っている限り、「意味解釈のロボット化」は避けて通れないと言うことでもあります。

つまり、意味解釈の自己組織化として、ITには「思想」と言う価値が必要であり、この思想に則った世界観に基づくアーキテクチャが求められています。

難しい書き方をしていますが、インターネットで流通する情報のリアリティを担保する仕掛けとは、情報の相互価値を認め合うことのできる“双方向”の仕掛け以外にはあり得ないと言うことです。インターネット上のアプリケーションによってこれを実現して行くというのが、私たち、ソフトウェアにかかわる者の使命であると、筆者は信じて已みません。

35年前の三島が、文学と言う手段ではなしえないと絶望した社会変革を、私たちの手で実際に行うことができる手前まで、今時代は来ています。 KAI

(訂正)どうも夏ばて^^;のようです。年齢を10年さば読んでました。一部訂正しました。

August 13, 2005

ウーウェン氏の料理(32)

ゆで卵と鶏肉の煮物

わが家で楽しむ北京のおかずの、p.52から。

たまご丸ごとの煮込みは、日本料理のおでんをはじめ、肉じゃが煮込みなど、ある意味で日本料理における煮込みの原点です。

食した結果は、がんこだけれどやさしい味のたまご、えもいえぬやわらかい鶏肉、残った干しぶどうと、なんだか我が家の家族構成のような、料理です。

今回のレシピはおもいっきり省略して、煮込む前の鶏肉をしっかり炒めることだけ忘れないように。 KAI

(追記)さっきまでabe君と話して、今回は良い方向になりそうです。>all abe君が明確なビジョンを持てばkaiは最後まで応援します。

August 12, 2005

ウーウェン氏の料理(31)

麻婆なす

麻婆豆腐とか麻婆春雨とか言っても、麻婆が、そもそも何か、丁度これを理解するのにいい料理です。麻婆とは、日本のふりかけです。ちょっとグが大きい、ふりかけです。しばらくテレビコマーシャルからふりかけのコマーシャルが消えて久しいですが、ふりかけとは日本人の食の原点(のはず)です。ですからわがや含めて、いまだにこのふりかけの需要は、(ゼッタイ)大きいはずです。

と、意味深な前ぶりの、北京の酒菜、p.66。

このふりかけは、定番のとうふだけでなく、はるさめと、あとウェンさんのすすめる冷奴、えりんぎ、にが瓜、と言ったところで麻婆の素として大活躍ですが、名前の通り、いつも主役はふりかけではありません。

今回は、このふりかけが、うまれてはじめて主役になったと言う物語です^^;。ですから、なすは関係なす^^;レシピには一言、乱切りとだけあるだけです。

この乱切りしたなすは最後に加えます。

まず、牛肉を炒めて、鍋のまんなかの開けたところに豆板醤、一味唐辛子を入れて香りを出す。これを牛肉にからめて、すりつぶした花椒と、しょうゆ、酒を加えて炒め合わせる。これになす、にんにくの茎を炒めてできあがり。

この麻婆ふりかけを食すと、ごはんだろうが、なすだろうが、何でも来いです。料理とは主役はうそをつきません。 KAI

August 11, 2005

クェーサーの謎

こうして夏休みの宿題がたまっていくと、筆者の何十年か前の小学生時代の暑い夏休みを思い出します。クェーサーの謎問題も、新学期が始まる前に、とりあえずかたずけることに^^;。

クェーサーって、ほんっとにおもしろいですね、って誰かの口調そのままですが、ほんっと、おもしろいです。

何が面白いかって言うと、ひも理論が実験的(実証的)に検証可能である可能性が見えてきたってことです。どう言うことか順番に説明します。

同書によれば、クェーサーの実体とは巨大質量のブラックホールと言うことですが、そもそもひも理論によれば、ブラックホールとは、ひものトポロジー空間を裏返しにした空間であって、ちょうど風船の内と外を逆転したような世界です。

これを理解するのに良い例があります。むかし夜店の風船売りのおじさんが、ふくらました風船の口を、中に押し込んでひっくり返してあれよあれよと言う間に、りんごができあがり、と言うのを見たことがあります。あれです。

ブラックホールと言う裏返した風船は、実際にはりんごではなく、りんごの皮^^;を見ている状態になります。物理理論も何もかも裏返しになって結局同じことをあらわすことになるのが、トポロジーのすごさです。トポロジーでは、大きさも関係ありません。トポロジーとは形の性質を問題にして形の大きさは関係ないと言うことです。ですから簡単に宇宙の大きさとプランクの大きさが同じレベルで議論できるわけです。

つまり、プランクレベルの微小世界のひものふるまいを調べるのに、クェーサーと言うブラックホールの様子を調べれば同じことを調べられる可能性が出てきました。

ブラックホールには、クェーサーの輝くブラックホールから、輝きの異なるもの、輝かないブラックホールとさまざまな種類があります。この違いは、風船の裏返しの仕方の違いによるものだと考えていますが、これを計算で示すと言うことです。

もう一つ、この裏返しのプロセスです。そう簡単には裏返しにはできません。ブラックホールと言う超圧縮空間で、あたかもプラズマ状態になったひもが、共鳴現象を起こすエネルギーで簡単に裏返しになる、つまり相転移が起こると言うことです。これもブラックホールの違いによって、そのプラズマ状態の痕跡を残しているはずで、クェーサーの観測で実証できるはず。

更に、ひも宇宙論では、インフレーション宇宙がそのままビッグバン宇宙につながることを理論的に説明できています。これを先ほどの風船で作った宇宙の例で理解できるのですが、風船の口であるへそが、ビッグバン宇宙の始まりと考え、そこから拡がる風船の表面が最後はへそに繋がると言うトポロジーです。つまり宇宙の150億年が単なる地球一周と同じになります。

こう考えれば、無限宇宙こそ、思考の限界であります。はたして宇宙とは。 KAI

August 10, 2005

ウーウェン氏の料理(30)

むきえびのたくあん炒め

味のアンサンブルとは、この料理をおいて他にありません。えびとたくあんのアンサンブルの始まり始まり。大好きな炒めものの、p.17。

以前、やはり同じ本の中の搾菜肉絲でザーサイを使いましたが、今回は日本のたくあん、そのままを使います。ザーサイでもそうでしたが、漬物を使った料理ってなんでこんなに不思議な味の料理になるんだろうって、これまた不思議です。

一方のえび。ウェン流、しっかり湯通しを忘れません。むきえびの背わたを除いて流水でよく洗ってから湯通しします。ざるに上げ、水気を切って片栗粉をまぶして準備OK。

炒め鍋で、サラダ油を中火で熱し、千切りにしたたくあんを入れ、香りや塩分をしっかり引き出すまで炒め、合わせ調味料(酒、こしょう、鶏ガラスープの素、水)を加え煮立たせる。ここでえびを加え、からめるように炒めて、千切りにしたねぎを加えて炒め合わせる。最後に水溶き片栗粉でコーチェンして出来上がり。

食してみれば、う〜んア〜ンサンブル!

なんで直接塩を入れていないのに、こんな塩味のきいた美味なえびに仕上がるの?なんでたくあんが、そのまま食べるたくあんの味と全く違う不思議な味になるの?なんでこんなに、えびとたくあんって合うの?っと言ってる間に空っぽ。おかわり! KAI

August 09, 2005

ソフトウェアの上流、下流論の本質

このところなぜか(これもシンクロニシティ!)、アプリケーションの設計図である仕様書について、いくつかのBlogやICT系ニュースサイトで取り上げられています。筆者は、そのいずれの論とも異にする考えを持っていて、現在、これを実際のビジネスに適用できています。

はっきり言って、ソフトウェアの上流、下流概念の問題は、ハードウェアの設計概念が、この詳細な意味の検討もなくソフトウェアの世界に導入され、以降誰も考えないという、まさにバカの壁型社会問題だと、筆者が位置づける問題です。

現在世の中の論の中で、筆者の考えに一番近い(ですが、東京と大阪ぐらい離れていますが)考えが、ソースコードこそ仕様書である、と言うものです。

これは、50階建のビルの設計行為そのものを考えれば自明なのですが、施工設計を含めて、施工段階と言うその場で現場の人間が設計行為をするわけありません。すべて事前の設計に基づいて施工が行われます。

ハードウェアはそうですが、よく考えてください。ソフトウェアにクレーンが必要ですか(フレームワーク的クレーンはありえますが^^;)。つまり、50階建のビルは、工事が始まった時には、すでに立派に、ソフトウェア的には目の前に50階建のビルが建っていなければいけないってことです。

つまり、ソフトウェアには上流と言う概念しかなく、下流と言う概念は実は、上流概念の詳細化に過ぎないと言うことです。

残念ながら言語仕様含めて、この概念に、あらゆる状況が追いついていませんが、恐らく2050年頃、筆者の孫(ひ孫だとかなしい^^;)が活躍する時代では、筆者が考えるとおりの世界が展開されているのは間違いありません。 KAI

August 08, 2005

帝国ホテル元総料理長村上信夫さんのこと

帝国ホテル元総料理長、村上信夫さんが8/2心不全のために亡くなられた。84歳だとのこと、まだまだいろいろ話を聞かせて欲しかったけれど残念です。ご冥福をお祈りします。

村上さんのことはずいぶん昔から話しを聞いてきましたが、先日たまたまプロジェクトXアンコールと言う番組で拝見して、好々爺ぶりが印象的でした。この時思い出したか、別の番組だったか忘れましたが、彼が、『怒りながら調味料を入れると、料理の味も怒った味になるんですよ』と言っていたことが、今でもずっとものすごく印象に残っています。

ウェンさんの料理の前回のエントリーに、

料理は、正直です。料理は、料理人の気持ちを映す鏡です。

と書いたところですが、料理ってのは、レシピだけでなく、同じレシピでも微妙に毎回味が違ってきます。逆にこれが手作りの魅力なのかもしれませんが、これは一体なぜなのか。

実はこれこそ自己組織化アプリケーション問題と直接関係する問題であって、人間オブジェクト(料理人)とソフトウェアオブジェクト(レシピ)との間の境界問題であるのです。詳しくは今後書いていくのですが、アプリケーションがビジネスなどの領域の中の、人間領域に近い部分を扱えば扱うほど、その境界は曖昧になり、境界自体がオーバーラップしてしまう現象であります。

これにどう対処していくか、従来のエンジニアリングでは、これを誤差と言う統計的な観点から品質管理を行おうとしてきたし、今もそれを続けています。しかし、それではうまく行かないと言うことも分かっていて、特に創造性を要求される分野であるとか、人間の感性にかかわる分野とか、こう言った分野のアプリケーションでは、従来の分析的手法が通用しません。

自己組織化アプリケーションとは、こう言った分野の問題までも解決していこうと言う野心的、と言うかソフトウェアの環境化を考えれば必然的な流れです。そろそろ2ヶ月。再開が待たれる自己組織化アプリケーションです。(って他人事かい^^;) KAI

August 06, 2005

ウーウェン氏の料理(29)

あじの焼き煮

料理は、正直です。料理は、料理人の気持ちを映す鏡です。ウー・ウェンのおいしいよ!うちのご飯の、p.34。

今回のあじは火を通しすぎです。ユーイチ君がミスを、と思いきや、今回はウェンさんに原因がありました。

私は日本の魚が大好きなのですが、青魚だけはちょっと苦手。こんなときは中国の調理法に助けを借りて、あじを油で焼いてから、花椒入りの甘辛じょうゆで煮ます。煮汁のしみたねぎは、早い者勝ちですよ!

本人もわかってらっしゃる、ウリはねぎかって!?

と言うことで今回はレシピは省略。ぜひウェンさんに、あのあじフライの、あじの肉のぷりぷりを食べさせてあげたい筆者でした。 KAI

August 05, 2005

ウーウェン氏の料理(28)

鶏胸肉の細切り炒め

料理と言うものがきわめて戦略的なものであると、前、書きました。今回も、最後まで発見と感動の連続です。大好きな炒めものの、p.48。

レシピの下ごしらえに以下の記述があります。

 赤唐辛子は種を除いてぬるま湯に30分ほどつけて柔らかくもどし、半分に切る。

えー?こんなん初めて。なんの意味があるのって思いながら、食べてみて、理由がわかる。

とにかく柔らかい。そして鶏肉がめちゃくちゃ、うまい。なるほどこれを演出するために、この赤唐辛子のぬるま湯漬けだったと言う訳です。更にこの鶏肉。『鶏の胸肉は脂が少なく、ぱさぱさして扱いにくい』とウェンさんがコメントしているように、脂分の少ない胸肉が、どうすればこんな、しっとり、やわらか、めちゃウマ、になるのか本当に不思議です。

これも下ごしらえに秘密がありました。とにかく細かくすることです。鶏肉は5mmの薄切りにして、これまた5mm幅に細切りにします。これに下味(塩、酒、しょうゆ、水でといた片栗粉、サラダ油)を順に加えてもみ込み、10分ほどおいておく。あと、きくらげはたっぷり水につけもどしてちぎる。しょうが、長ねぎはみじん切り、にんにく、薄切り。とにかく細かく、やわらかくです。

あとはこれらを炒め合わせるだけ。と言いながら、まだまだ気が抜けません。弱火がポイントと言うことで、炒め鍋で、サラダ油を熱し、しょうが、長ねぎ、にんにくと炒めて、これに赤唐辛子を加え、しっかり香りが立つまで、ずっと弱火です。香りが立ったところでここでやっと強火にして、鶏肉、きくらげ、肉に火が通って合わせ調味料(酒、しょうゆ、黒酢、砂糖、片栗粉、水)と、最後に全体を手早く混ぜて、できあがり。

まあ、これだけ丁寧に、下味、合わせ調味料と味付けして、しかも炒めすぎないように弱火で順に炒める、鶏肉のえもいえぬうまさに感動です。これはもう、やめられません。 KAI

August 04, 2005

ビジネスモデル、その正しさの証明

筆者も、ベンチャービジネスを立ち上げ、いやと言うほど投資家に、このビジネスモデルの正しさを説いてきました。が、2001年を最後に彼らと縁を切りました。彼らにはこのビジネスモデルの正しさが理解できないと分かったからです。それ以来、結果で示すしかないと決意をして4年、毎年30%強の増収増益で事業が拡大しています。ビジネスモデルの正しさを証明する方法とは、ただ利益を上げることだけです。そしてそれは、将来に渡っても、と言う条件付きでです。

Life is beautifulのSatoshiさんがなかなか面白い情報を明かしています。

先日梅田望夫氏と会食をする機会をいただいただのだが、彼の話の中で最も興味深かったのが、「『はてな』のビジネスがVC(ベンチャー・キャピタル)から全く資金調達せずに回っている」と言う話である。

はてなのビジネスモデルがきちんと利益を上げていると言うことはすばらしいことです。筆者のBlogでも、以前から何度かこのはてなのビジネスモデルを話題にしていますが、はてなのビジネスモデルをOMLで書くとこうなります。

<はてな:ビジネスモデル>:
<<ユーザー:1>> |−−−−><はてな:1>
<はてな:2>    /−−−−><<ユーザー:2>>
<はてな:3>    |−−−−><<スポンサー:3>>
<<スポンサー:3>>|・・・・><はてな:4>;

このモデルで行けば、はてなの収入は4行目のスポンサーからのお金の流れだけであることが分かります。このお金の流れをうむのが、3行目のはてなからスポンサーへの情報の流れであって、そのまた情報の流れをうむのが、1行目と2行目のユーザーとはてなの間の情報の流れになります。

これをもう少し定量的に把握するとこうなります。はてなのnaoyaさんによれば、はてなの月間のページビューが4億件あるそうですから、はてなの月間の売上を2千万円と仮定^^;すると、現行のはてながサポートする機能レベルで、20件/円と言う数字が出てきます。

この数字の意味は、はてなと言うビジネスモデルでは、1円の売上を上げるには20件の情報の流れを生成すればいい、と言うことになります。この売上に結びつく情報の流れは、はてな会員だけでなく、情報にアクセスしてくるすべてのインターネットユーザーによりもたらされていることに注意する必要があります。

一方、SNSのmixiについても、同じような話しが出てきていますので引用します。ITProの【緊急インタビュー】会員数が百万人を突破した、mixiの笠原社長に聞くと言う記事です。

■事業の収益はどういった状況にあるのか。

 収入を得る経路は大きく3つ。広告収入、有料サービスの課金収入、ユーザーによる本やCDのレビューから生じるアフィリエイト収入がそれだ。金額自体は、広告収入と有料課金でほとんどを占める。収入は安定してきており、今年の2月から3月ごろから、単月黒字で推移している。

 広告収入を軸とする以上、ページビューはとても重要な指標だ。今のところページビューは1日5000万で、ユーザーひとり当たり50ページになる。7割以上のユーザーが3日に一回はアクセスするなど、ユーザーロイヤリティも高い。

SNSのビジネスモデルも以前書きましたが、再掲するとこうなります。

<SNS :ビジネスモデル>:
<<ユーザー:1>> |−−−−><SNS :1>
<SNS :2>     /−−−−><<ユーザー:2>>
<<ユーザー:3>> |・・・・><SNS :3>
<SNS :3>     /−−−−><<ユーザー:3>>
<SNS :5>     |−−−−><<スポンサー:5>>
<<スポンサー:5>>|・・・・><SNS :6>;

はてなとの違いはユーザーからの有料サービスの売上があることですが、インタビューにもある通り、スポンサーからの売上が中心のようです。このmixi事業の売上は、別のところで読んだ記憶があるのですが、月1千万も行っていないと思います。ほとんど人手をかけず原価をおさえている分、単月黒字を出しているようです。

で、インタビューの内容そのままにはてなと同じような計算をすると、150件/円となります。ただ『今のところページビューは1日5000万で、ユーザーひとり当たり50ページになる。7割以上のユーザーが3日に一回はアクセスする』と言うのがひっかかります。7割が3日に1回ならユーザー一人あたり50ページではなく150ページになるはずです。こんなに一人が1日にページビューする訳ありません。とすると、話し半分ならぬ三分の一とすると、50件/円となって、そこそここんなもんかと言う数値になります。

さて、ここで取り上げた二つのビジネスモデルの将来はどうなるのか。

SNSについては、ビジネスとして成り立たせるには一千万人クラスの会員が必要であると以前書きましたが、一千万人が3日に1回50ページビューするとすれば、月間50億件、つまり1億円の売上になると言うことです。この効率がもし5倍になってもせいぜい月商5億円です。SNSの今の情報の流通量に依存する広告と言うビジネスモデルだけでは、せいぜいこの程度の市場規模だとも言えます。

一方のはてなですが、こちらは少々違ってきます。情報の流通量が会員数の制約を受けません。ですから例えば現在の月間のページビュー4億件が、やり方次第でその100倍に増やすことも可能になって、20億円と言う月商も可能になります。

楽しみに彼らの成功を見守りたいと思います。 KAI

ウーウェン氏の料理(27)

なすとかば焼きの煮物

なすとかば焼きと言う二大スタミナ供給源の夏バテ対策用料理です。わが家で楽しむ北京のおかずの、p.32から。この本はなかなか実用的です。ながめていると、どのページの料理もすべて試してみたくなる本です。

で、なすとかば焼きの煮物。煮物と言えば、一昨日のエントリーでも大根とはんぺん、たらこの煮物を取り上げました。その時に、

まず煮物から。煮物だからと言って材料をそのまま煮込まないのが、ウェン流。

と書きましたが、今回もやはりそのまま煮込みません。

炒め鍋で、サラダ油と一味とうがらしを入れ火にかけて香りが出たところで、へたを取って縦に斜め薄切りにしたなすを入れ炒めます。なすに油がなじんだら、酒、しょうゆで調味。あと1CM幅に切ったかば焼きと水を加えて煮立てます。弱火にして10分ほど煮て、にらを入れさっと混ぜ、すりつぶした花椒をふって、できあがり。(ここらへんkio君弁当用バージョン^^;)

いやー、なすとかば焼きって、なんでこんな相性いいの!ってなもんです。うななす丼にしてご飯と一緒にかきこんだら、にらも加わりうなぎもこれで本望?って味で、一気に元気回復、でした。 KAI

August 03, 2005

Google OS(2)

さてGoogle OSと言うOSの未来形とは。これを、どうなるかと言う予測ではなく、筆者が設計すればどう言うものを作りたいかと言う観点で書きます。

一言で言うと、機能分散協調型OSです。将来コンピュータが電卓のようになるのは間違いありません。そうなったときに、1台のコンピュータに多機能OSを搭載する意味はまったくありません。何千台と言うコンピュータの1台1台が分散して協調しながら機能すれば良いと言う考え方です。

ここで分散する機能のまとまりを機能郡と呼び、同一機能郡同士のコミュニケーションを同期通信、異なる機能郡同士のコミュニケーションを非同期通信と呼ぶことにすると、機能分散協調型OSにおいては、同期通信にはフェールオーバー機能を、非同期通信にはパケット通信機能をサポートできれば、Google OSの十分条件を満たします。

フェールオーバー機能とは、マシン間のリアルタイムの切り替え機能です。今世の中にあるOSで、ノンストップOS以外、このフェールオーバーを前提に設計されていません。そのため、あらゆるところにチェックポイントを設けると言う本末転倒した方式で、UNIXであろうがWindowsであろうがストレージシステムであろうが、きわめてイビツな仕掛けになっています。この春、UFJがフェールオーバーに失敗し、半日サービスが停止したのも、複雑化したフェールオーバーの仕掛けが原因であると、筆者は考えています。

ここに分散協調型OSに標準でフェールオーバーの仕掛けを装備する意味があります。

具体的に説明すると、アプリケーションをOSが自動的に複数マシンで動作させると言う考え方です。OSはそれぞれのマシンの動作を監視し、ファイルシステムを含めて応答がないマシンは、その場で直ちに切り離します。その情報がマシン郡管理者に、あたりまえのようにレポートされ、マシンはコカコーラの自動販売機のボトルと同じように、サービスマンによって定期的に新しいボトル(マシン)に交換されていきます。

このフェールオーバーの仕掛けで一番重要なのが、データベースの排他制御ですが、これをOS標準のAPIに組み込むことで、私たちのDBエンジンだけでなくORACLE、SQLと言ったDBエンジンのアンドウ機能をアプリケーション側で意識する必要がなくなります。業務アプリケーションはリアルタイムがいまや命ですが、この更新系の不自由によって、どれだけ無駄なコードを実装してきたか、現場の技術者でないとこの苦労は理解できません。

もう一つの要件、非同期通信のパケット通信機能。これがWebサービスですが、一旦アップします。 KAI


Google OS

Google OSの話しは、1年以上前から梅田さんが取り上げ、これを満足せる豚。眠たげなポチ。さんも何回か話題にしてきています。

今回、アーキテクトであるsatoshiさんがGoogle OS を妄想すると未来が見えてくる!?と題して、この話題にコメントしています。

そして、筆者は、このsatoshiさんのコメントに感動しました。

筆者を含めて、satoshiさんのようにどちらかと言えば古い世代(失礼!)に属する技術者から見ると、GoogleとOSは簡単には結びつきません。せいぜいシンクライアントなOSやブラウザ開発くらいしか思いつかないのが正直なところです。その中でも最もLonghornと言う技術の現場に近いところにいたsatoshiさんの口から、

私も今になって気がついたのだが(後から言うのは簡単である)、マイクロソフトは Windows XP を出した後は、ウェブ・サービス型OSへのシフトを本気ですべきだったのだ。MSN や Expedia などが提供する各種サービスをウェブ・サービスの形に正規化し、進化させ、かつサードパーティを巻き込んで、そういったサービスへのアクセスを Longhorn の標準APIとしてプログラマーに提供すべきであったのだ。

と言う言葉が出てきたことに、正直感動しました。

筆者にとっても、こんな状況を抜けだし、霧が晴れるがごとく見通せるようになったきっかけは、この1年書き続けてきたこのBlogのおかげです。特に自己組織化アプリケーションをテーマとすることで、凡そ世の中の仕組みが手に取るように見えてきました。

これに対してビルゲイツはどうか。

 たぶん、ビル・ゲイツあたりはこの失敗に既に気がついており、今年から来年にかけて色々な作戦を取ってくるだろう。

satoshiさんは、こう書いていますが、果たしてそうでしょうか。確かに、伝説のメールで、インターネットへ面舵一杯を切ったのは彼ですが、今のゲイツにこの時代を見通せる力が残っているかどうか。

筆者の今年1月のエントリー自己組織化するアプリケーション(第2部)−予告編の中で、ゲイツのインタビュー記事にふれて、

--では、今後の10年、20年を考えたとき、テクノロジー産業が真剣に取り組むべき大きな問題は何だと思われますか。


 テクノロジービジネスが提供するのは「エンパワーメント」のツールです。人々が創造性を発揮し、交流するためのツールです。これには上限がありません。ですから、10年をかけてこれらのツールをさらに使いやすく、強力なものにするということは、十分にやる価値のあることです。

いまだにITの価値について、こんなレベルの理解にとどまっている人がいるとは、少々驚きです。

自動車が人間の足の「エンパワーメント」であるのに対して、コンピュータは人間の脳の「エンパワーメント」であると言われたのは今から30年も前のことです。これが今や、あらゆるコンピュータがネットワークに接続され、100万ステップクラスのアプリケーションとアプリケーション同士が互いにコミュニケーションしようとする時代です。

これはいわば、コンピュータがツールのレベルから環境のレベルに進化したと言うことでもあります。

と書きました。このインタビューから半年余りの間に彼の考えが、また大きく変わった可能性も捨てきれませんが、恐らくゲイツはXAML(ザムル)APIで事足りると考えていると、筆者は思っています。

さて、では一体「未来の形」とはどんなものになるのでしょうか。これについては、稿を改めて書くことにします。 KAI

ウーウェン氏の料理(26)

香菜と青唐辛子のあえもの切り身魚のオイスターソース炒め

昨日、今日と友人と一緒にする食事は、実にうまい。今日も2本立てです。ユーイチ君、ピッチが上がってきました。

あえものが、北京の酒菜の、p.56。炒めものが、いつもの大好きな炒めものの、p.27からです。

まず香菜と青唐辛子のあえもの。この料理の載っている北京の酒菜と言う本は、以前のエントリーでも取り上げましたが、料理を次の8種類の味に分類して紹介しています。

■甘辛味(紅焼味)・・・・しょうゆ+砂糖
■甘酢味(糖醋味)・・・・砂糖+酢
■みそ味(醤香味)・・・・みそ+スパイス
■塩味 (椒塩味)・・・・塩+スパイス
■辛み味(麻辣味)・・・・唐辛子+花椒
■ごま味(怪味) ・・・・ごま+スパイス+調味料
■うまみ味(魚香味)・・・・砂糖+塩+しょうゆ+酢+酒+スパイス
■酒味 (酒香味)・・・・酒+調味料

今回のあえものはこの4番目の塩味の料理です。作り方も簡単です。香菜を5CMの長さに切り、青唐辛子は種を除いて斜めに千切りする。これに塩をふってしばらくおく。しんなりしたらごま油とこしょうをふり、全体を混ぜる。これだけです。

塩味とごま油、こしょうがきいた青唐辛子がポイント。身体がシャキっとなる感じがして、一緒に食べるごはんがチョーおいしい。

で、ごはんの上にのせる炒めもの。ポイントは先日の牛肉のオイスターソース炒めと全く同じです。切り身の生さけに、他の調味料と一緒にからめ合わせるオイスターソースの味が、この料理の何とも言えないうまさの決め手。オイスターソースがこんなに奥の深い味わいを出す調味料であるとは、今の今まで認識していませんでした。なるほど料理は奥が深い。

と言うことで、これを生み出すウェンさんの秘術を整理と。まず炒め鍋にサラダ油を中火で熱し、片栗粉をまぶしたさけを入れ表裏を炒めます。表面が固まったら、酒、しょうゆ、砂糖、オイスターソース、酢、水を加えてからめる。これにざく切りのねぎ、薄切りのしょうが、半分にちぎった赤唐辛子を加えて、ふたをして5、6分煮て、煮汁が少なくなったところで、これを鍋返しで全体によくからめれば、できあがり。

いつもいつも、このからめ合わせの技術には、ホント感服します。 KAI

August 02, 2005

ウーウェン氏の料理(25)

大根とはんぺん、たらこの煮物卵とえびの塩炒め

ほっておくと書きかけの下書きがどんどん溜まっていく。どれもこれも今ひとつの内容で、気に入らない。

と言うことで気分直しに^^;、ウェンさんの料理。今回は、煮物と炒めものの豪華2本立てです。わが家で楽しむ北京のおかずの、p.6とp.50です。

まず煮物から。煮物だからと言って材料をそのまま煮込まないのが、ウェン流。

皮をむいて大きめに乱切りした大根を、炒め鍋で、サラダ油とごま油を熱したところに入れ、強火で4、5分炒めます。この大根が透き通ってきたら更にはんぺんを加えてさっと炒める。ここでやっと、鶏ガラスープの素、水、酒、塩、こしょうを順に入れ、たらこを加えて煮込みます。煮立ったら中火で10〜15分煮て、大根に味がなじむのを確認してかたくり粉でコーチェンして出来上がりと、まるで中身は炒めもの。

実際食してみても、しっかり身がしまった大根に油のきいたはんぺん、適度に味のしみこんだたらこと、それぞれの食材がしっかり自己主張しながら、煮汁の味で見事な統一感。和製おでんとまるで正反対の煮物です。

次が炒めもの。この炒めもののポイントは、塩炒めとある通り、塩。ごはんにのっけてえび玉丼で頂くと、適度に塩味がきいたえびが、うまいのなんの。一体これはなんなんだと言うことで、さっそくレシピをチェック。

なるほど、ポイントは「卵をえびにからめてうまみを閉じ込め、ふっくらと仕上げます」でした。下ごしらえで、卵をボールに入れほぐす(ほぐすと言うのがコツ)。これに酒、塩、こしょうを順に混ぜる。この卵を、炒めて赤くなったえびに加えて、からむように大きく混ぜながら炒める。卵が固まってきたら細ねぎを入れざっと炒めて、しょうゆをふってまたひと炒めして、できあがり。

こんな簡単な仕掛けで卵の中の塩味をえびの味にからみ合わせる。ウェンマジック健在なり。 KAI