January 29, 2005

「情報」とは何か(2)

途中経過です。大澤真幸氏の「メディアの再身体化と公的な知の不在」が秀逸です。

筆者は今なお量子力学が研究領域ですが、大澤氏が翻訳した「形式の法則」にあるスペンサー・ブラウンの方程式が、量子力学におけるストリングセオリーの数学的立証手段の有力候補と考えています。

大澤氏の論文を読みながら思いついたのが、ストリングセオリーで説明される量子現象と、今例えばBlogが互いに干渉しあう現象と同じではないか、と言うことです。

この言辞にはかなり補完する説明が必要ですが、このひらめきを忘れないようにするために、エントリーします。 KAI

January 28, 2005

「情報」とは何か

環に「「情報」とは何か」、と言う特集が出ています。昨日から時間の合間に目を通していますが、これに大澤真幸、西垣通、茂木健一郎他、の各氏が論文を寄稿しています。

大澤氏にいたっては、過去あの難解な「形式の法則」の翻訳をこなし、個人的に筆者はずっと彼の思考活動には共鳴する部分があります。

更に西垣通氏は、以前の「情報哲学に関するエントリー」で紹介した通り、今回も「シャノンの呪縛を解く」と題して、同様の議論を展開しています。

茂木健一郎氏は、最近氏のBlogをチェックし始めたのですが、これでこの環VOL.20の発刊を知った次第です。

まだ途中ですが、結構ヒントになっています。もう少し読み進めてから詳細をレポートする予定です。 KAI

January 26, 2005

マイクロソフトの技術力を革新するには

同じことを考えている人がいました。

CNETの記事「ビル・ゲイツ、ソフトウェア開発者としての力量はいかに」の中で、

 歴史家にGatesという人物を評価させたら、おそらく彼の行った慈善事業が最も重要な業績として評価されるだろう。Bill & Melinda Gates Foundationが疫病の予防に果たした役割の大きさを考えると、そうした評価にもうなずける。

 しかし、技術者としてのGatesの能力となると話は別だ。Bill Gatesでなければ、間違いなくとっくに解雇されているだろう。

と、記者がゲイツの技術者としての能力を厳しく指弾しています。

前回のエントリーの中で、筆者は、

いまだにITの価値について、こんなレベルの理解にとどまっている人がいるとは、少々驚きです。

と書きましたが、マイクロソフトの技術力が今ひとつ、「壁」を突き破れない根本原因は、すべてこのゲイツの「理解のレベル」にあると言わざるを得ません。

件の記事に例示されている通り「Internet Explorer」「.Net My Services」「Longhorn」「セキュリティ」「検索」のどの分野をとっても、チーフソフトウェアアーキテクトとしての成果と言われるものが皆無です。

例えば「Longhorn」について言えば、以前のエントリー「自己組織化するアプリケーション(2)」の中でも取り上げた「闘うプログラマー」を読めば分かりますが、Longhornの技術の元になっているWindowsNTの技術自体、ゲイツは全く関与していません。DECでOSを開発していたカトラーが、その技術をマイクロソフトに持ち込んだものであり、ゲイツにOSを設計するだけの技術力があるわけではないのは明かです。

しかし、現在のLonghornの開発の指揮を誰がとっているか筆者には不明ですが、Longhornの開発が迷走状態であることに対する「チーフソフトウェアアーキテクト」と言う役職であるゲイツの責任は免れないと考えます。

しかも、以前のエントリー「ブラウザ再考(7)」で、

まずここに書かれているようにIEのOSへの統合化(OSのブラウザ化)です。マイクロソフトの方法は、オフラインとオンラインのアプリケーションを統合化したXAML(ザムル)アプリケーションと言う形で、Longhorn自体にブラウザ機能を持たせると言う、いかにもビルゲイツが好むWindows中心の考え方です。

と書いた通り、ゲイツにとってのXAMLがゲイツのルーツである「BASIC」言語であると言う「アーキテクチャ」に基づいて、Longhornがもし設計されているとすれば、これはマイクロソフトのみならずIT社会にとって悲劇以外何者でもありません。

もし、本当にそうであるなら、マイクロソフトの技術力には、今後期待すべきものはないのでしょうか。

これを打破する一つのアイデアがあります。それはサンとの合併です。今のサンは、確かに苦境に立たされていますが、技術力、特にOSの技術力に関して、圧倒的にマイクロソフトを凌駕しています。

ゲイツの引退と併せてこれが実現した暁には、「サンマイクロソフト」が21世紀の巨大IT企業として、IBMに対抗して君臨する姿が見えてきます。遅い初夢?(笑)。 KAI

p.s.最近Blogのコメントに対するSPAMが激しいため、当分の間、コメントをNONEの設定にしております。ご了解下さい。

January 19, 2005

自己組織化するアプリケーション(第2部)−予告編

自己組織化するアプリケーション(第2部)を考えている最中に、面白い記事を見つけました。CNETのインタビュー記事「ゲイツが我が家にやって来る(後編)」の中で、ビルゲイツがこんなことを言ってます。

--では、今後の10年、20年を考えたとき、テクノロジー産業が真剣に取り組むべき大きな問題は何だと思われますか。


 テクノロジービジネスが提供するのは「エンパワーメント」のツールです。人々が創造性を発揮し、交流するためのツールです。これには上限がありません。ですから、10年をかけてこれらのツールをさらに使いやすく、強力なものにするということは、十分にやる価値のあることです。

いまだにITの価値について、こんなレベルの理解にとどまっている人がいるとは、少々驚きです。

自動車が人間の足の「エンパワーメント」であるのに対して、コンピュータは人間の脳の「エンパワーメント」であると言われたのは今から30年も前のことです。これが今や、あらゆるコンピュータがネットワークに接続され、100万ステップクラスのアプリケーションとアプリケーション同士が互いにコミュニケーションしようとする時代です。

これはいわば、コンピュータがツールのレベルから環境のレベルに進化したと言うことでもあります。

この結果、当然「ツール」の設計方法と環境としての「システム」の設計方法とは、全く異なってくることになります。建て売り住宅と高層ビルの設計方法の違いと似たようなものです。

この「環境としてのシステム」こそ、前回までのテーマであった「自己組織化するアプリケーション」であるわけですが、第2部ではこのアプリケーションの設計方法あるいはもう少し上位の概念「アーキテクチャ」について論じてみたいと思っています。まだ整理が付いていませんので、少々時間がかかりますが、乞うご期待。 KAI

January 18, 2005

アプリケーションの最適環境(Google編)

CNETのこの記事「グーグル、謎の人材募集--通信事業参入を検討か」に、久しぶりに触発されました。

 Googleは、世界中に張りめぐらせた光ファイバネットワークを構築しようとしているのだろうか。もしそうだとすれば、その理由は何なのか。

 先ごろGoogleのウェブサイトに掲載されたある人材募集から、このような疑問が浮上している。

 この人材募集ページには、「Googleでは現在、グローバルバックボーンネットワークを開発する作業の一環として、ダークファイバの評価、選定、契約交渉に関わった経験のある人を募集しています」と記載されている。

 ダークファイバとは、敷設されていながら使用されていない光ファイバのこと。米国内だけでも相当量のダークファイバが存在するが、オペレーションコストが高くつくことから、未使用のまま放置されているケースが多い。

 Googleの広報担当者は、この人材募集に関するコメントを控えている。だが、この人材募集からは、同社が通信事業に参入する準備を進めているのではないかといった大胆な予測をすることができる。このニュースの第一報を報じたのは、光ファイバ業界の情報を扱うウェブサイトのLight Readingだった。

 独自の光ファイバネットワークを世界中、あるいは米国中に張りめぐらそうと思ったら、数十億ドルものコストや数年の歳月がかかるものと思われる。企業の需要を考えても、投資費用を回収できるかは疑わしい。その点、通信事業者から敷設済みのファイバを借りて利用すれば、費用が安くつく。

筆者は以前、「Googleの本質」と言うエントリーで次のようなことを書きました。

Googleの技術の本質は、「ブラウザ+HTML+アプリケーションサーバー+データベースサーバー+ファイルシステム」の後に既存のOS(オペレーティングシステム)を位置づけたことにあります。この中の「+」で表現している部分がネットワーク(通信)になりますが、ネットワークスピードは技術の市場原理で黙っていても速くなります。従って、これらのエレメント技術を自社で握ってさえいれば放っておいても自社技術のトータルのパフォーマンスが向上していくのです。更に、ハードウェアにおいてさえ著しくファームウェアと言うソフトウェアに依存するRAIDを捨て、コモディティ化したハードディスクしか採用していません。

この「+」である通信までもGoogleは支配しようと言うのが、今回の記事の本質であると考えると、まことにきれいに説明がつきます。

企業の事業戦略とはかくあるべし、の見本です。おおいに参考になりました。 KAI

January 08, 2005

自己組織化するアプリケーション(9)

自己組織化するアプリケーションにとって、何が目的かという質問は無意味です。自己組織化とは、その目的と言う意味を否定することが、この理論の根本原理であるわけです。別な言い方をすれば、自己組織化するアプリケーションの対象とする目的としての環境が、ここで初めてアプリケーション自体を対象とし始めたと言うことです。

今までのアプリケーションは、今あるアプリケーションとはまったく別の環境を相手に、その環境、例えば清書マシン化した行政システム、に対していかに「効率的」で「将来性」があり、かつ「わかりやすい」かを訴えて、これをいかに置き換えるか、まるで受注効率以外無価値なセールストークのもとに設計され開発されるのです。これがうまく導入に至れば、果たして置き換える以前のシステムと一体何が進歩と言えるのか疑わしいばかりのシステムが跋扈するのです。

これとはまったく異なる世界こそ自己組織化するアプリケーションです。

ディズニーランドと言う聖地をイメージします。

ディズニーランドと言う聖地のない世界で、いくらミッキーをイメージしても、ミッキーワールドは理解できません。

今やアプリケーション自体が、アプリケーション自身に影響を与える、いや、影響以前の前提−環境として不可欠な存在になったと言うことです。

今回議論している意味はきわめて重要な概念を議論しているのですが、今回のテーマは一旦これでおいて、来週から別の視点で議論を始めます。 KAI

p.s.今までさんざんお世話になった梅田さんのBlogが最終回と言うことで、コメントとからめてTBします。