December 28, 2004

ケータイ用フルブラウザ機能のASPサービス(2)

自己組織化するアプリケーションの話しはまだ続きますが、一区切りつきましたので、宿題になっていた、以前のエントリー「jigブラウザの可能性−ケータイ用フルブラウザ機能のASPサービスへ」に対するH.O.さんのコメント、

一通り読ませていただきましたが、サーバ側で動作しているブラウザをケータイブラウザでエミュレーションするのは(少なくとも現状では)不可能でしょう。 それを行うには、キー操作一回する毎に毎回サーバにアクセスする必要があります。

ケータイブラウザからのアクセスはHTTPを使うほか無く(BREWであればソケット通信が出来ますが、BREWでフルブラウザがKDDI以外から提供される可能性は低いでしょう)、これは毎回接続を行わなくてはいけないことになります。

に対する回答を書いておきます。

ケータイブラウザのエミュレーション機能の一番重要な部分が、この昇り方向のキー操作のエミュレーションです。もちろん、H.O.さんが書いているような「キー操作一回する毎に毎回サーバにアクセスする」つもりはありません。

方法は簡単です。ASPサーバー側のEMプラグインで、フルブラウザによる表示画面の入力フィールドをすべてチェックすればいいのです。この情報をケータイブラウザに渡すことで、ケータイブラウザは通常画面のエミュレーションと併せて、渡された情報から生成したリッチテキストベースの入力を組み合わせて表示します。リッチテキストベースの入力ですから、昇りはキー操作一回ごとではなくなり、通常のケータイアプリと同程度の通信で済むようになると言うことです。

実はこれは昇りだけでなく降りでも使える技術です。現状のjigブラウザによる情報圧縮と同じロジックを使うことで、ASPサーバー上のフルブラウザ画面のエミュレーションと圧縮した情報と組み合わせて表示することも可能になります。

これらが実現できるのは、エミュレーションと言ってもサーバー上の全てのアプリケーションのエミュレーションではなく、ブラウザ画面のエミュレーションと言う特殊機能だからです。

話は変わりますが、以前から社外でメールのチェックをするのに、エアエッジで通信できるB5ノートにインストールしたメーラーから直接メールサーバーにアクセスしていましたが、最近メーラーをASPサービスでブラウザから利用できるように変えました。

これがメチャクチャ便利になって、以前の、通信状況を気にしながら何百通あるメールを落としていたのと比べると天国です。何が便利になったか。

■画面をエミュレーションしているだけなので、メールのダウンロード時間がサーバー間の通信速度で行われる。

■自宅でも、別のパソコンのメーラーでダウンロードしていたため、何度も同じ内容のメールをダウンロードすることになるが、ASPでは自宅のパソコンも関係なく同じメーラーを使用できるので、ノートで読んでいたものの続きからチェックできる。

この調子で、会社のパソコンにあるアプリをどんどんASP化していけば、どこでも仕事ができて、とっても嬉しい(大変!)。 KAI

December 27, 2004

自己組織化するアプリケーション(8)

今までの議論から何が見えてきたか整理すると、つまりこう言うことです。

私たちの記号情報で溢れかえる環境の中に、アプリケーションが存在していて、更にこのアプリケーションのコンポーネントを産み出す開発者と言うコンポーネントも存在しています。これらのコンポーネント間の干渉は、今までは、開発者のコンポーネントからアプリケーションと言うコンポーネントへの一方通行でした。これが、開発環境と動作環境が同じ環境になることで、アプリケーションから開発者へと言うフィードバックが働くようになり、この結果、アプリケーション自体の自己組織化が起こり始めたと言うことです。

アプリケーションから開発者へのフィードバックとは、具体的に何を指しているのでしょうか。

それは、開発技術自体が、アプリケーションのコンポーネント環境と同じ次元のフレームワークと言う環境化が起こっていて、今までの「シツケ」の次元から「シカケ」の次元へと、開発者を取り巻く環境が大きく進化を遂げていることです。これにより、アプリケーションのコンポーネント自体が、開発技術のコンポーネント環境の中にカプセル化され、アプリケーションから開発者へのフィードバックが自動的に働くことになったのです。

このテーマの2回目で引用した、

 プロジェクトがはじまってから二年半になるが、コーディングにはOS/2を使っていた。そろそろ、NTを使って書くべきだ。複雑なプログラムの場合、早く各部を組み合わせるほど、バグを早く発見できる。複雑なソフトウェアを開発するときに、自分でつくったドッグフード(引用者注:プログラムのこと)を食べるのはめずらしいことではない。そうしなければ、オペレーティング・システムの各部を組み合わせたときに発生するバグは、発見できない。

(中略)

 ドッグフードへの切り替えは、三段階で実施された。第一段階ではグラフィック機能のないNTを使い、つぎにグラフィック機能をつけ、最後にネットワーク機能をくわえる。

この内容は、偶然的に、開発対象がOSと言う「アプリケーション」を、NTと言う開発技術のコンポーネント環境の中にカプセル化した事例であったと見なすことができます。

アジャイル開発やテスト駆動開発と言ったアプリケーションの開発技術の詳細を見ていけば、これらの技術の本質が、このアプリケーション自体をいかに開発環境の中にカプセル化するかの技術であることがよく分かります。しかしこれは、考えてみれば当然の流れです。開発技術自体がソフトウェアであり「アプリケーション」の一種ですから、アプリケーションがどんどん進化していく先には、こう言った開発環境をよりリアリティのあるものにする技術が次々と実現されて行くと言うことです。

以下次回。 KAI

December 17, 2004

自己組織化するアプリケーション(7)

「情報の哲学」としての自己組織化(4)

トラックバックの問題点とは、元のエントリーを引用してもこれに対するトラックバック自体が任意であって、ここで逆リンクが切れてしまうことです。これでは完全な双方向とは言えません。つまり、リンクには、上りと下りがあって、上りが通常のリンク、下りが逆リンクになりますが、上りだけが完全に繋がっていて下りがあちこちで切れている仕掛けでは、「相互価値の共有化」など覚束かないと言うことです。

ではどうすればいいか。

これはBBSと言った掲示板へのコメントの仕掛けがヒントになります。BBSでコメントする場合、元のコメントを指定することで書き込みができますが、この結果、スレッドと呼ばれるコメントツリーが自動的に生成されます。この仕掛けをそのままトラックバックに活かせばいいのです。

具体的には、現在のトラックバック先のURL表示の部分を、「引用」ボタンに変えます。引用ボタンを押すと、引用の為の元エントリがソース表示されます。この中の引用部分を選択することで、自分のBlogのエントリーの下書きが自動生成されるという仕掛けです。併せてトラックバック先も自動で設定されていますので、意図的にトラックバックを外さない限り、本番登録時に自動でトラックバックが実行されます。

実はこの考え方はe-メールのメーラーの作法と同じ考え方です。

メーラーを使って返信ボタンを押すと、自動的に宛先が「Reply-To:」で指定された宛先になります。これを返信ボタンを使用せず返信する、つまり、直接宛先をアドレス帳から指定したらこうはなりません。つまり「返信」ボタンがあるだけで、e-メールの作法をルール化できるというわけです。

インターネットが普及し始めてまだ十年です。いくらでも新しい作法が導入できる段階です。ぜひ実現して欲しいものです。

さて、寄り道が長くなってしまいました。次回から、本来のテーマ「自己組織化するアプリケーション」に戻って議論します。 KAI

December 15, 2004

自己組織化するアプリケーション(6)

「情報の哲学」としての自己組織化(3)

情報の哲学を一言で言うと「情報と言う存在における、存在間の相互価値の共有化」です。共有化であって共通化、同一化ではありません。

情報は思想的には中立の存在ですが、価値は思想の上にあります。思想は、社会の基盤をなし、人々の価値観を支配しまた支援します。ITによる情報現象を、そのまま自然現象のように受け入れるのではなく、相互価値の共有化を実現する方向へと変えていくというのが、これまたITの役割であり、情報哲学と言う「思想」の意味なのです。これはITと言う存在を、科学技術という無色透明の世界で扱っている限り、「意味解釈のロボット化」は避けて通れないと言うことでもあります。

つまり、意味解釈の自己組織化として、ITには「思想」と言う価値が必要であり、この思想に則った世界観に基づくアーキテクチャが求められています。

そして、この相互価値の共有化を、双方向の関係性と言う自己組織化の技術によって具体的に実現します。Blogのトラックバックと言うフィードバックの技術が、不十分ですが、それを実現する技術の萌芽として誕生したのです。

具体的には、Blogのトラックバックを、スレッド化する技術が必要です。丁度梅田さんのBlogのトラックバックの中に、デジモノに埋もれる日々さんのコメント、

伊藤さんは記事の中で、高速道路が敷かれたということがそのまま「コモディティ化」を意味し、コモディティ化された技術だけをトレースしても競争力にならなくなる、だからこそ技術だけではなく、技術以外の柱も併せ持つことが大切だ、RPGでいえば「戦士」ではなく「勇者」になろう、と書かれています。   それを受けた梅田さんの先日のエントリがこちらです。 もはやどこにトラックバックを打って良いのか判らない状態ですが・・・。

ここの最後のコメントの通り、今のトラックバックでは双方向の関係性を正常に記述できないのです。それはなぜか、もう少しトラックバックと言う仕掛けを説明します。以下次回。 KAI

December 13, 2004

自己組織化するアプリケーション(5)

「情報の哲学」としての自己組織化(2)

本来のテーマから多少ずれますが、情報哲学について議論を続けます。

丁度良いタイミングでCNETに、梅田さんのエントリー「高速道路を避けて生きることは可能か」が上がっています。

さて、さまざまな反応を読んで、「皆どれも、僕の反応とは違うなぁ」と思った。何かを読んでの反応というのは、その人自身を映す鏡のようなものである。だから、なぜ僕の反応は違うのだろう、といろいろと考えさせられた。

高速道路が敷かれている世界といない世界

それでよくわかったのは、「自分が進もうとしている世界に、もう高速道路が敷かれているのかいないのか」ということを僕は常に考えてきた、そして、「高速道路」が敷かれてしまっている世界を避けて、まだ「高速道路」が敷かれていない世界をいつも選んで歩いてきたのだなぁ、ということだった。

将棋の羽生さんが言っている「高速道路」と言う言葉についての、読者と梅田氏自身の反応の違いについてのコメントですが、まさにこれが、記号情報による意味解釈の問題を端的に表す事例となっています。

従来であれば、意味解釈はまるで一方通行でした。受け取る側が勝手に解釈していたし、発信側にとって受信側でどう解釈されているか知る方法はありませんでした。ましてやその解釈を制御するなど論外であったわけです。

それがBlogのトラックバックと言う仕掛けによって、どう解釈されたのか知ることができるようになったのです。そしてその感想を、こうやってエントリーに記述する。またそれを読んだ読者がBlogに記述する。こう言った意味解釈の相互のやりとりと言う波動が共鳴しながら伝播して行く様は、電磁波の伝播現象と酷似しています。

しかし、残念ながら、このトラックバックの仕掛けでは不十分です。もっともっと自然に逆リンクできる仕掛けが必要です。つまり、今の仕掛けでは逆リンクが任意です。これを自然なリンク関係が確立する方法こそ、情報哲学の「要」となるのです。

それが何か、以下次回です。 KAI

December 08, 2004

自己組織化するアプリケーション(4)

「情報の哲学」としての自己組織化

しばらく間があいてしまいましたが、今回は、最初に本日の産経新聞正論に「深めるべきは根元的な「情報の哲学」」と言う題で掲載された東大教授西垣通氏の論文を取り上げます。内容を独断的に要約すると次のようになります。

ITによる社会生活の変化が何をもたらすか考えると、記号情報による意味情報の伝達効率ばかりが重視され、意味解釈における人間のモノクローム化、ロボット化が懸念される。こうならないために、情報現象を根元的にとらえ直す「情報の哲学」が求められている。

今、私たちは、溢れかえる記号情報の海の中で、これをどのように生きればいいか、一人一人が指針のないまま、迷走を続けています。この結果、同じ記号は同じ意味を表す、同じ現象なら原因も同じ、同じ記号と同じ記号をつなぎ合わせていく、記号の類似性による推論と言う論理にならない論理によって、無意識のうちに行動が支配されているのです。これは、記号という環境への生物としての適応反応そのものと、私は考えています。未成熟な情報単細胞生物がそこら中で増殖を続けている状態です。

私たち生き物は、この環境への適応プログラムを、生き物が誕生して今に至るまで何億年という長い時間を掛けて、遺伝子の中に記述してきました。この適応と言う進化のメカニズムを解き明かす良書「創発―蟻・脳・都市・ソフトウェアの自己組織化ネットワーク」の中の冒頭に以下の記述があります。

 二〇〇〇年八月に、日本の科学者中垣俊之が、粘菌というアメーバのような有機体を訓練して、迷路の最短経路を見つけられるようにしたと発表した。中垣は脱出可能な経路を四通り持った小さな迷路の中に粘菌を入れて、出口の二つに食べ物を置いた。粘菌はとんでもなく原始的な有機物で(そこらのカビの近い親戚だ)、中央に何ら脳を持っているわけでもないのに、食料までの一番効率のいい経路を描き出し、自分の体を迷路の中で伸ばして、二つの食物のありかを結ぶようにした。目に見える知覚リソースまったくなしに、粘菌は迷路パズルを「解いた」わけだ。

 こんな単純な有機体のくせに、粘菌はびっくりするほどの知的な歴史を持っている。中垣の発表は、粘菌のふるまいの精妙さに関する長い一連の研究調査の中で、最新のものの一つでしかない。比較的単純なコンポーネントを使って高次知性を作るシステムを理解しようとしている科学者たちにとって、粘菌はいつの日か、ガラパゴス諸島でダーウィンが観察したフィンチや陸ガメに相当するものと考えられるようになるかもしれない。

この粘菌の知性を司るのが、いわゆる自己組織化ですが、西垣氏の求める「情報の哲学」を、この自己組織化ですべて説明できる、と言うのが今回の私の直感です。

この本の中に、更に次のような記述があります(p.126-127)。

 だがわれわれの知るウェブが、創発知性よりもカオス的な接続に向かいがちだからといって、その傾向がすべてのコンピュータネットワークに内在するわけじゃない。今日のウェブの根底にある想定をいくつかいじることで、都市の自己組織的な近隣や、人間の脳の差別化された半球を真似られる可能性を持った別のバージョンは作れるし、アリのコロニーが持つ集合的な問題解決は間違いなく再現できる。ウェブは本質的に乱雑なわけではなく、そう作られているだけだ。その根底のアーキテクチャを変えれば、ウェブはティヤールの夢見た集団思考が可能になるかもしれない。

 どうすればそんな変化がもたらされるだろうか? デボラ・ゴードンの収穫アリを考えてみよう。または、ポール・クルーグマンのエッジシティ成長モデルでもいい。どちらのシステムでも、近隣同士の相互作用は双方向だ。巣作りアリと食料調達アリが出くわしたら、食料調達アリも何かを記録するし、巣作りアリも何かを記録する。既存商店の隣に開店した新しい店は、その店の行動に影響を及ぼし、その店は新参店の行動にも影響を与える。これらのシステムでの関係は相互的だ。あなたはご近所に影響を与え、ご近所はあなたに影響を与える。すべての創発システムは、こうしたフィードバックから作られる。高次の学習を育む双方向接続が要るのだ。

 皮肉なことに、ウェブに欠けているのはまさにこのフィードバックだ。

正にBlogにおけるトラックバックこそ、このウェブに欠けているフィードバックの仕掛けと言えます。果たして、トラックバックと言うフィードバックの仕掛けを獲得したBlogによって、インターネットは集団的知性というネットワークを形成することができるのでしょうか。

さて、それはさておき、この記述から、自己組織化には、組織(ネットワーク)の中で、組織を構成するコンポーネント同士の互いのフィードバックが必須要件であることが分かります。こういった自己組織化の仕掛けが情報哲学を説明するキーワードになるのですが、時間切れでとりあえずアップします。以下次回です。 KAI