これが、今の、渡辺喜美、すなわち、みんなの党の限界であります。
残るは、みんなの渡辺喜美であります。
渡辺喜美が腹をくくれば、橋下、石原、渡辺の共同代表で選挙に臨める。
(情報戦とは−−孫子の兵法応用編・パート8)
みんなの党の渡辺代表は、党の役員会で、景気対策のための今年度の補正予算案を今の国会で成立させる必要があるなどとしたうえで、衆議院選挙は、来年夏の参議院選挙との同日選挙が望ましいという考えを示しました。
この中で渡辺代表は、ことし7月から9月のGDP=国内総生産の伸び率が3期ぶりにマイナスになったことについて、「景気の後退が明らかになり、衆議院を解散する前に景気対策を施さなければならない。10兆円規模の補正予算案を組むとともに、金融政策も行うべきで、国会の会期を延長してでも今年度の補正予算案を成立させることが大事だ」と述べました。
また、渡辺氏は、衆議院の1票の格差の是正について、「小選挙区を5つ減らす『0増5減』を先に処理するのは賛成だが、選挙区の区割りを今のままにして衆議院選挙を行うのは、違憲状態のまま選挙を行うということだ。新しい区割りに変更したうえで選挙をしなければならない」と述べました。
そのうえで渡辺氏は、「衆参両院で多数派が異なるねじれの状態を解消するためにも、衆・参ダブル選挙が、いちばん効果が高い」と述べ、衆議院選挙は、来年夏の参議院選挙との同日選挙が望ましいという考えを示しました。
(みんなの党 渡辺代表“衆院選は来年夏に”)
なぜこの「恐怖」を感じるのか、このご説明はのちほどにして、「野合」とはいったいなんのことであるのか。
共通するものもないばらばらの集団が、まとまりなく集まること。
(野合)
でありましたから、「政権」を手中にしてしまうと、「反自民」以外は彼らになにも残ってはいなかったってことになったのであります。
当時の小沢にとって、「政権」そのものが「目的」でありましたから、さっそく幹事長に「権限」を集中させ、ここですべてを差配しようとしたのであります。
渡辺喜美は、これを見てきているため、自分たちを「同じに」見て欲しくない、こう思っていると、かようにKAIは考えるのであります。
しかし、これがなぜ「恐怖」であるのか。これが問題であります。
それは、「野合」ではなく「大同」であることに、渡辺喜美自身が「自信」を持てないからであります。
それは、なぜか。
橋下徹も石原慎太郎も、大阪や東京と言う、国と比べれば規模は違うものの「政権」の「長」を経験し、実際にこれを「動かした」と言う具体的実感を獲得していることに対して、渡辺喜美は、確かに安倍政権で特命大臣として、行政改革、公務員制度改革に取り組んだものの、官僚や族議員の激しい抵抗でこれを果たすことなくあえなく退任。
政権を「動かした」と言う実感、リアリティを持てないままに、みんなの党の党首におさまってしまって、今に至るのであります。
これで「自信」を持てと言うのは、無理であります。
しかし、そうであってもであります。
これを乗り越えなければ、明日はないのであります。
よもや、このまま民主党政権で「10兆円規模の補正予算案を組むとともに、金融政策も行」ってうまくいくとは本気で思ってはいまい。いままでこれだけの失態と怠惰を重ねてきた民主党政権であります。このまま、いまさらなにをやっても結果が得られるとは、だれも信じてはいないにも関わらず、であります。
こんな渡辺喜美に、KAIはこの言葉を贈るのであります。
身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ
捨て身の覚悟で取り組めば、危機を脱し活路を見出せるということで、溺れかけたときはもがけばもがく程深みにはまるものであり、捨て身になって流れに身を任せれば、やがて浅瀬に立つことができるという意味から。
(【身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれの解説】)