営業マンの「メンタリティ」を読み解く、秀逸な記事を、偶然2つ見つけましたので、これをレポートするのであります。
最初は、DIAMOND onlineのこちらの記事であります。
彼の説によれば、一定の地域差は明らかにあるとはいえ、いかなる文化においても営業担当者というものは本質的に同じだという。彼いわく「営業担当者は『幸せな敗北者』(happy loser)である」。つまり、断られることを心の底では楽しみにしており、断られる機会が得られる仕事を探し求めている人間だというのである。このことが営業担当者を動機づける方法や管理する方法に関係しているのは言うまでもない。
(営業担当者のアーキタイプを分析する、「幸せな敗北者」の心理学、G.クロテール・ラパイユ、2012年8月21日)
自覚しているか否かにかかわらず、営業担当者というのはギャンブル中毒者のようにスリルを追い求めています。ギャンブル中毒者は自分が十中八九負けるであろうことを、ある程度自覚していますが、万に一つしかない勝つ可能性に興奮を覚えます。営業担当者の気質もこれと同じです。負けることのプロなのです。営業担当者というものは、まあ九〇%以上は断られるものです。
(Diamond Harvard Business Review、2006/10、p.142)
確かにわからなくもないのでありますが、いまひとつ「納得感」がないんだよねと、2つ目の記事を読み進めるうちに、なるほどそう言うことでありましたかと、すこぶる腑に落ちたのであります。なーんて、一人で合点いってないで、ご説明するのであります。
2つ目の記事とは、こちらであります。
「超・行動」とは、「点」の集積によっていきなり「面」にしていく行動を指す。「点」を「線」につなげ、「線」を「面」に展開する行動ではない。
キーワードは「大量」と「連続」である。大量で、なおかつ連続的な行動によって、複利効果とリスク分散の両方を実現し、目標を最低でも達成させる。このような営業スタイルを「超・行動」と定義する。
「面」で捉えることが重要だ。世の中にある多くの営業に関する書籍やセミナーは、営業の「点」にフォーカスしている場合が多い。もしくは「線」だ。
営業を「点」で捉えると、どうしても一つひとつの顧客、商談に注目してしまう。どのように相手のニーズを引き出すのか、どのように説得してクロージングするのか、ということだ。「点」にフォーカスしすぎると、全体像が見えなくなっていく。だから目標予算を見失ってしまうのである。「線」というのは営業プロセスのことである。プロセスを正しく管理することで機会損失を減らし成約率を高める考え方だ。
「点」で考えることも「線」で考えることも重要だ。しかし、この思考で営業しているとどうしても考えすぎ、悩みすぎの状態から抜け出せなくなる。
なぜなら、これは打率を上げる思考パターンだからだ。野球選手が打率を上げたいのであれば、極端な話、バッターボックスに立たなければいい。打てる投手のときにだけ、もしくは自分の調子がいいときにだけ打席に立つことができれば打率を上げられる。
よく考えてほしい。営業に求められているのは打率ではなく、目標ノルマを達成させることだ。打率にこだわりすぎると、悩みすぎてお客様のところへ行けなくなる。営業にとって最も重要な「お客様との関係構築のための活動」が極端に減ってくるのである。
「お客様との関係構築のための活動」は、いわば種を撒いて毎日のように水を与える活動だ。なかなか花は咲かないだろう。実もならないだろう。それでも、種を撒かない限り、水をまめに与え続けない限り、十分な収穫は期待できない。
自分で種を撒き、そして水をやり続ける営業パーソンが今、極端に少なくなった。すでに咲いている花を探したり、誰かに大きな実がなっている場所を教えてもらいたいと考えたりして、社内にいて待ち続けてばかりいる。
それで期待したほど収穫ができないと、「逆立ちしても到達しないような目標予算を設定するのがおかしい」「ホームページからの問い合わせが少ないから仕方がない」と他責を始める。そしてモチベーションという言葉を誤用する。
(できる人ほど「モチベーション」を口にしない、発想を変えれば淡々と結果を出せる、横山信弘)
大量で、なおかつ連続的な行動によって、複利効果とリスク分散の両方を実現し、目標を最低でも達成させる。
「点」で考えることも「線」で考えることも重要だ。しかし、この思考で営業しているとどうしても考えすぎ、悩みすぎの状態から抜け出せなくなる。
「確率論」で営業と言うものを考えなさい、と言うこと。
「確率論」ではなく、一個一個の案件にとらわれていては、「悩みすぎの状態から抜け出せなくなる」のであると。これが「確率論」なら、1件1件の「お断り」が普通になってこれに「ストレス」を感じる必要もなくなるってことであります。
なるほど、この「気質」こそ、最初の記事で言うところであります「ギャンブル中毒者」に、一脈通じると言うわけであります。
もちろん、この「ギャンブル中毒者」と言うのは、ネガティブなイメージを想起させ、少々語弊がある言葉ではありますが、これを、「負ける」とか「失敗する」とか、あるいは「断られる」、「ノーと言われる」ことに対して、「ストレス」を感じない「人種」と捉えると、なるほどなかなか滋味深いものがあるのであります。
そして、この話で思い出すのは、昔知人にいたある営業マンが繰り出す武勇伝の数々であります。
彼は、某世界大手コピー機メーカーの支店長として、全国一に輝く実績を持つやり手の営業マンでありましたが、彼にとってことごとくが「ゲーム」であります。
顧客でもなんでもないKAIに対してさえ、あらゆる会話はこの「ゲーム」の一環であり、「ほら、僕が知らないふりをすると、KAIくんは得意げに教えてくれるでしょう」、「相手に対しては、決して知ったかぶりをしないこと、それだと何にも教えてくれないよ」。
販売競争で全国一になったときも、いかにこの「ゲーム」を戦えばいいか、まるで「狩り」でもするかのようにこの「ゲーム」を楽しんでいたのであります。
こういった事例をみるにつけ、なるほど、ラパイユの「アーキタイプ」もいいけれど、むしろ「人種」と言う言葉のほうが、KAIにはしっくりくるのであります。
とは言え、「人種」などと言ってしまうと、先天的なものにきこえてしまうのでありますが、事実はそうではないと、KAIは考えているのであります。
それは、「ストレス」を感じないとか、「ゲーム」を楽しむ、あるいは「断られる」ことを前向きにとらえるなどといった「人種」は、もって生まれた「性格」でもなんでもなく、むしろ「経験」が生み出す典型的「気質」であると、つまりはそう言うことなんであります。
そして、その「経験」と言うのが、横山信弘氏の提唱する、「大量」と「連続」、すなわち「確率論」であります。
つまり、「大量」の人とのコンタクトであります。非常に沢山の人々に電話を掛ける、面会するといった体験が、こういった「気質」を生み出すと考えるのであります。
「量が質を生む」とは、まさにこのことであります。
事実、KAI自身も、このビジネスを始めた当初、見知らぬ通販会社の担当者にたった1本の電話をかけることさえ「ストレス」の塊であったものが、十数年の間の数千人と言う顧客との面会の結果、見知らぬ人との出会いこそもっとも楽しみの一つと化しているのであります。
そして、その体験の中から、一度お会いしてお話をすれば、その人物がいかなる人であるのか、その「におい」を瞬時に嗅ぎ分けられるようになっているのであります。
これは、何も、電話や面会といったコンタクトだけに限った話ではないのであります。
実は、「メール」によるコンタクトにおいてもこれは言えるのであります。
いま、私たちの会社では1日数百通のメールがとびかっているのでありますが、これは社内だけではなく、私たちのサービスをご利用いただくユーザーとの間も、すべてこのメールで行われているのであります。
この結果、これまで電話で仕事することに慣れていて電話にこだわっていた人でも、いつのまにかメールでのコミュニケーションが普通になってしまう現象を、何度も目撃することができるのであります。
ですから、外部から送られてくる営業メールも、私たちの目からすれば、これがメールによるコミュニケーションに慣れた人が送ったものかどうか、瞬時に判別つくと言うわけであります。
と言うわけで、今回のお話はこれにてお仕舞いでありますが、最後にひとこと。
いま不況で、不本意にも「営業職」へ配置転換となったり、学校を出て「営業職」でしか採用されないなど、いやいや「営業」をやっている人がいるかもしれない。
そんな方々への応援メッセージだと思って、ぜひこのエントリーをお読みいただければと思うのであります。
「量」をこなせば、いつかかならず目の前の「壁」を超えられるんだと。 KAI