女子マラソン、観戦中。
モナコグランプリを見ているかのようでありますが、これはあまりにもひどい。
のちほど、同じコースを何度も走らせる、まるでトラック競技であるかのような問題について、これにふれることといたしまして、まずはこの「モナコ問題」であります。
「モナコ問題」とは、「コーナー問題」であります。
「コーナー」が多ければ多いほど、「コーナー」の内側を死守することが勝敗を決することになるのであります。しかも、「コーナー」の外側はもちろんのこと、すべての選手にとって距離およびモーメント力により激しく体力を消耗するのであります。
しかし、なぜもって「マラソン」で、「コーナー」なのか?
おっと、そのうえ、なんと路面が、すべりやすいブロック舗装まで現れた!おい!いったいどうなってるんだ!
トリッキー、としか言いようがない。
案の定、トラック競技同様、巨大先頭集団が続いている。(競輪で最初集団を作って最後に勝負をかけるのと一緒)
この中間状況から予想されるのは、35キロ地点で、アフリカ勢が一挙スパート。記録はつまらない、おおよそマラソンの醍醐味の一切ない、そういったレースとなるのであります。
そもそもにおいて、なぜ「コーナー」ばかりのコースであるのか。KAIは、まったくもって理解することができないのであります。
「コーナー」による、「マラソン」選手への影響は、そんな「無視」できるほど軽微ではなく、ことごとくの環境的要因を排除するほどの、多大に勝敗を左右することになると、KAIは考えるのであります。
「コーナー」ばかりのコースとなった原因が、「トラック競技」問題であります。
コースを往復させるならまだしも、しかも2回までならまだしも、なんとなんと同じコースを3周させると言うのであります。
KAIはあきれはてて、ものも言えない、のち、怒りで、ここにこのエントリーにこの問題を書くしかないのであります。
そもそも、「マラソン」とは、何か。
マラソンの名の由来
紀元前450年9月12日、アテナイの名将ミルティアデスはマラトン(Marathon)に上陸したペルシャの大軍を奇策で撃退した。マラトンの戦いである。勝利というエウアンゲリオンをアテナイの元老に伝えるためにフィディピディス(Philippides)という兵士が伝令に選ばれた。フィディピディスはマラトンから約40km離れたアテナイまでを駆け抜け、アテナイの郊外で「我勝てり」と告げた後に力尽きて息を引き取ったと言われている[1]。
(マラソン、Wikipedia)
それを、くるくるこまねずみのように走らせる。
まるでその競技の「目的」が違うのであります。
しかし、なぜこんなことが平然と、執り行われるのか?
ここでは詳しく論ずることは差し控えさせていただくのでありますが、これはユーロ問題と、同根であります。
もはや、イギリス人は、自分たちの「価値観」を維持するだけで、精一杯。世界標準となる包容力に、いまや国内問題だけで、かまってられない。つまりは、そう言うことであります。
オリンピック史上、初めて「路地裏」を走ったマラソン選手として、ロンドンマラソン走破選手は、歴史に長く記憶されることになるのであります。 KAI