今回のテーマは、料理。この「日本料理」の進化を、一心不乱に追求する料理人、山本征治。
なぜか、深夜NHKの再放送のエンディングをちらっと見ただけなのに、これは運命の出会いであります。
さっそく、NHKオンデマンドで見ようとするも、フラッシュのバージョンが古かったせいで、2日後にやっと最初から最後まで視聴完了であります。
そして、この料理の世界も、「正統性」思想にあふれていることを発見。
料理とは、精神である
料理のあらゆる事象に「なぜ?」を問い続ける山本は、「料理とは何か?」という根源的な問いと向き合ってきた。突き詰めてきた山本が、たどり着いた答えは「料理とは精神である」という答えだ。山本は、こう説明する。
「キュウリを一本、半分に折って相手に渡したとする。その行為じたいは、料理とは呼べない。だが、「キュウリは、半分に折り、手でもって食べるのが最高だと僕が考えたからこそ、こうしたんです、あなたのために。」という思いがそこにあるならば、その行為は料理である。そこにあるのは何か?精神でしょう。ここに料理というものの定義がはっきりあるのです。」
料理とは、その行為を指すのではない。食べる人のために、最もおいしい方法を考え抜くその精神にこそ、本質がある。山本は、そう考えている。
(プロフェッショナル仕事の流儀、覚悟をもって、我が道を行く、日本料理人・山本征治)
今回の、この「料理とは、精神である」にある、「精神」とは、まさにKAIの言うところである「意志」そのものであります。
そして、この山本の「意志」の「正統性」を支えているのが、山本が考える「料理の進化」であります。
進化こそ、今を生きる者の使命
山本には、厨房で日々問い続けていることがある。
「この料理法は、本当に最上なのか?」という疑問だ。
なぜタケノコはアク抜きをするのか?なぜ大ウナギは地焼きにするのか?厳しい修行を通して身につけてきた日本料理の常識に、あらゆる角度から「なぜ?」を問い続ける。その目的はただ1つ、日本料理を「進化」させること。それは、想像を超えた過酷な道だ。
(中略)
「日本料理のオリジナルを作った人が、今の世にいたら、同じことをするだろうか?科学技術も流通も進歩した今だからこそできることが必ずあるはず。先人からバトンを受け継ぎ、一歩でも前へ進むこと、その幅だけが、自分が生きた証になると思う。」
(同上)
こんな「職人」がいるなんて、まだまだ日本も捨てたものではないのであります。
さて、お話は、これからであります。
なぜ、山本は、この「意志」なるものを持つに至ったのか、であります。
「実は私、幼い頃、母大好きっ子だったんです。何とか母にかまってもらいたくて、いつも母のいる台所に行っては、手伝いをしてました。小学校5年生の時、母を喜ばせようと、家庭科で教わった料理を、家に帰ってから母に作ってあげたんです。料理上手な母でしたから、感想を聞くのはドキドキでしたが、母の口から出てきた言葉が、”美味しね〜”でした。そりゃもう嬉しくってね。天にも昇る思いでした。その喜びが、今の料理人としての私を生んだんです」
(龍吟<六本木>日本料理、MAKIE(園山真希絵)の才色兼備のレストラン)
そして、これから30年後。
山本征治シェフ、実は僕とまったく同い年である。同世代がとうとうこんな重要なポジションについているのか、と感慨深くなる。それにしても赤肉サミットで創作料理、本当にやってくれるんですか?微々たる予算になっちゃうんですが、、、
「いやーこんな面白そうなイベントないでしょう、是非やらせてください!」
本当ですか!ありがとうございます(涙) で、、、どんな部位だとやりやすいですかね?
「今日みたいなアプローチにするかどうかは別として、やっぱり部位としてはヒレ肉がやりやすいかと思うんですよね。」
ということは電話ベースで聴いていたので、実はヒレ肉を各産地に一本分ずつオーダーしてはいた。ただ、そこでいちおうインフォームはしておこうと思い、こう伝えた。
「実はシェフ、ユッケ事件以降、牛肉の部位の中でモモが、各産地で売れなくなり、みな困ってるんですよ。なので、一部の産地からモモ肉を使ってくれないかな、という声があったと言うことだけは伝えておきますね。いや、もちろん使いにくいだろうから、いいんですけど、、、」
と言った瞬間!
山本征治の顔がギュッと引き締まり、毅然とした態度で言うのだ!
「それなら僕、モモ肉でやりますよ!ヒレ肉なら割といろんな味に合わせやすいし楽だなと思いましたけど、産地の人たちが困ってるなら、僕としては力になりたい!チャレンジさせてください!」
おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
感動してしまった! 僕はこの瞬間からサミット当日まで、このときの彼のまなざしや口調を忘れることができない! 彼の料理ではその細かな技術に目がいきがちだけれども、それだけではなく彼は「世のためになる料理」を考えているのだ!それがバチバチバチッと電流スパークのように伝わってきた瞬間だったのだ!
「よし、じゃあ難しい部位でやりますよ!普通の料理人が使いにくい部位とかってどこですか?」
うーんそうだなぁ、内モモとかランプは比較的使えるわけだけど、シンタマとかは一般的には硬くて使いにくいって言われてるよなぁ
「そうですか! じゃあシンタマ行きましょう、シンタマ! 速攻で、産地から送ってもらってください!」
なんとこういう経緯で、当初とは180度路線が変わったのである。正直な話、ヒレ肉は牛一頭の肉の中で1%程度にしかならない小さな部位であり、しかも何も宣伝せずとも売れてしまう部位だ。味も無難で軟らかく、日本料理にも合わせやすいだろう。しかし産地が困っている、というキーワードを聴いた瞬間、彼の中で取り組み姿勢が変わってしまった。
「使いにくい」と言われている部位を美味しく料理してしまおう。こんなチャレンジを彼にお願いすることになった。産地にこのことを伝えると、岩手県も熊本県も口をそろえて「産地の事情を理解してくれて、本当に嬉しい!」と言う。ホント、それに困っているのだ。最近はそこに放射能汚染が加わって大変になっているわけだけれども、、、
(日本料理 龍吟 山本征治と赤肉サミットの、信じられない邂逅はこうして生まれたのだ。天に感謝、素晴らしき料理人が赤肉とどう対峙し、どう料理したか!? その1)
そして、このやまけん氏のイベントの結末や、いかに。
「なんでも聴いて下さい!」
と、技法も思想もすべてあけっぴろげにしてくれる山本征治。客席からは「うーんこれは反則だ、やり過ぎだ、旨い!」という声が(たしかロブションの渡辺シェフ)。京都の瓢亭・高橋義弘さんからも先の冷菜について「食感の重ね方がとてもよくて、美味しくいただきました」と。
産地の人達は大興奮。
「まさかこんな使いにくいであろうこの部位を、しかもこんな食べたこともない味で!」
関係者は着座するスペースが全くないので、皿にはいったものを横のデスクに置いてみんなで爪楊枝でつついて試食するしかないのだが、みな順番にものすごい表情で食べていた。おそらくどの産地の人もシンタマをこんな風に調理したことはないだろう。この料理の衝撃は今後、語り継がれていくだろうと思う。
(「硬いものをむりやり柔らかくするんじゃなくて、食感のあるものと合わせるのが日本料理のアプローチ」だと、山本征治は言った。 赤肉サミット2011のクライマックス、日本料理 龍吟 山本征治は赤身肉のシンタマをこう料理した!)
そうです、山本が邁進する「料理」とは、あらゆる人々だけではなく、その料理の食材をも含めて、オールウィン(ALL WIN)の関係にあったのであります。
モノも人の心も、あらゆるもののなかに、「生命(いのち)」を生み出していくこと。
これこそが、山本の「料理」と言う「正統性」の本質だったのであります。 KAI