この答えは、間違いなくYESであります。
■巻き返しを始めた
そもそもテレビというのも山あり谷あり。未来永劫、厳しい環境が続くということはなく、大事なのは「その谷の間になにを売るんや」ということでしょう。我々の場合は発電用のソーラーパネルであったり、白物系の家電であったりと、さまざまなテレビ以外の事業があるわけですしね。
いずれの事業にしても大事なのは「お客様価値」を明確にすること。私が無事に社長になれたら(笑)、何がお客様にとって大事な価値なのか、その判断を私がやっていかないとならないんだと思っています。「大きな工場を稼動させてしまった、だからテレビを大量に売りたい」ということでは、お客様の価値には直結しにくいわけです。
さらにこれからは単品をお客様に買っていただいてそれで終わり、次はまた別の商品を売りますという単品売り切り型の事業から、売った後もメンテナンスをさせていただきます、追加のサービスを提供しますといった、お客様と継続的な関係を大事にしていく形の事業もしていきたいとは思っています。
たとえば我々のパソコン『レッツノート』にしても、法人のお客様ごとにサービスをカスタマイズしていて、ソフトのインストールから、周辺機器の変更まで、手取り足取りやらせていただいているわけです。このようにサービスとモノ作りを合体させてやっていくことは大切になってくるでしょう。さらに言えば、そうすることで日本国内に生産拠点を残せるようにもなりますからね。
(注目の津賀一宏・新社長に独占直撃インタビュー「パナソニック社員に告ぐ」「テレビ、やめますか?」赤字7800億円--- 未曾有の危機にどう立ち向かうのか)
この一点において、津賀一宏は、間違いなくパナソニックを再生させることができるのであります。
すなわち、津賀一宏にとって、パナソニックの抱える問題の本質とは何か?
「お客様価値」を明確にすること
これが理解できていれば、もうなにも怖いものなしであります。
ふりかえれば、カルロス・ゴーン、竹中平蔵、とみなこの「意志」にあふれていたのであります。
コストカッターとの異名を持つゴーンでありますが、彼の本質はこんなところにあるのではまったくないのであります。
新年会で力説した話です。
ゴーンによる日産の復活の本質は、恐らく誰も理解できていません。これは、世のコストカッターが必ずしもうまくやれなかった事実をみればあきらかです。コストカットすれば復活できるのであれば、世の苦境企業は、すべて復活できます。
まったく想像ですが、ゴーンによる日産の復活の本質は、事実の確認、です。
購買部門のコストをチェックすると、その事実を認識していたのが、G(ゴーン)以前は主任はおろか担当者、しかも、この担当者も前任者からの引継ぎ、と言うありさまで、誰も数字の意味を説明できないのです。
これが蔓延している怖さ。担当役員が報告する数字にまったく根拠がないとは、機能不全以外何者でもありません。これがG以前の日産、今のSONYの実態だと、筆者は思います。誰が悪いとあえて言いません。
ゴーンは、これをひとつひとつ正していきました。担当役員が説明できなければ、担当課長をつれてきて説明させます。その課長も説明できません。主任もダメ。担当者もダメ。ここでやっと、自分たちの組織がなにをやってきたか、明白になるのです。そう、なにも、やってこなかったことが。
ここでやるべきことは、事実の確認です。技術にとって、事実こそすべてです。事実が把握できなくして、一歩も前進は、できません。事実に基づき機能する組織に日産を再構成したことが、ゴーン革命の本質であると、新年あらためて認識したしだいです。 KAI
(コストカッターゴーンの本質)
東電をはじめとして、日本の大企業、政府系機関、その大半に蔓延する、前任者の踏襲と言う悪弊。中身を理解しないかたちだけの仕事であり、それでも大過なくすんでしまう怖ろしさであります。
これに徹底的にメスを入れ、「事実の確認」をとおして「顧客価値」を創造する「意志」を明確に示すことができたからこそ、日産は復活したのであります。
竹中平蔵も、またしかりであります。
金融担当大臣就任当時、「日本の銀行はいたって健全であり、公的資金の投入は必要ない」などと発言し、その姿勢から、経済財政政策担当大臣の竹中平蔵と対立した。この対立は、そのまま内閣府経済財政諮問会議などの場で議論が繰り返され、最終的に、内閣改造時に柳澤が更迭され、竹中が金融担当大臣を兼務することで決着した。
(柳澤伯夫、Wikipedia)
このWikipediaの柳澤の発言がいかに人々を不幸のどん底に導くものであるか、竹中はしっかりとこれを理解し、断固この「意志」を貫徹したのであります。
未曾有の経済危機である。
株価が下げ止まらない。理由は、前回書いたとおり。
識者は、欧米の指導者に、日本の経験に学べと言う。これはこれで正しいけれど、では日本の経験とはなんだったのか。これを正しく理解している識者は、ほとんどいない。
2003年5月17日、りそな銀行が国有化された。
この時、榊原英資は、この国有化を指揮する竹中平蔵を、ペーパードライバーと酷評し運転する資格すらないとこき下ろしたが、結果はこれを境に株価が反転し、日本経済復活へ大きく面舵をきることに成功したのでした。
以来、榊原がこれに始末をつけた様子は見受けられません。所詮この程度の男にすぎないと言うことですが、他の識者といわれる方々も、目くそ鼻くそです。
当時も今も彼らが理解できていないのは、竹中平蔵がよく使う「メッセージ」と言う概念です。
国有化当時の「空気」を一言で言えば、「銀行憎し」です。いつになっても反省しない銀行経営者。相変わらずの高給取りの銀行員。世間の「空気」はきわめて重苦しく、閉塞感に覆われていました。識者といわれる人々は、この「空気」が読めない。榊原を始めとしたこのKYな奴が的外れなことを言うから、余計「気分」が悪くなる。
この状況の中の国有化とは、いかなる「メッセージ」であったのか。
それは、銀行経営者に責任を取らせること、この一点であったのです。
(日本の経験に学べと言うけれど)
しかし、敵対する人物ばかりでなく、これから恩恵を享受した人々までもが小泉・竹中批判に加担し、その結果の、菅と民主政権による大震災と原発事故と言う国難であります。
これが何を「意味」しているのか。もはや言うまでもないことであります。 KAI