私たちの「顧客」とは、いったい誰であるのか?
この問いは、自分たちが携わっているビジネスとはいったいどのようなものであるのか、すなわちビジネスの本質を理解するうえで、きわめて重要な問題となるのであります。
このテーマで言い残したことがあります。それは、テレビ局にとって、放送と通信では、お客様が違うってことです。
番組枠をスポンサーに販売すると言う機能単価モデルでは、テレビ局にとって、お客様とはスポンサー企業です。視聴者は、サシミのツマならぬ、視聴率と言うパフォーマンスを保証する、いわばサーバント、召使いです。このことを主人であるテレビ局があからさまに言うはずもなく、視聴者はカミサマであるかのように祭り上げられる、オメデタイ存在以外なにものでもありません。
これに対して、通信における情報単価モデルでは、一般消費者がテレビ局のお客様となります。ここでは、広告モデルの広告出稿企業は、一般消費者からの情報単価と言う代金を回収する、集金代行業者の扱いになります。つまりこちらがサーバントです。
(放送と通信とビジネスモデル(3))
そのビジネスの「顧客」が違えば、当然のごとくそのビジネスモデルも、まったく異なるものになるのであります。
そして、その「顧客」に対して「何を」与えるのかと言う「意志」こそが、そのビジネスに「正統性」を賦与することになると言うのが、前編のお話であったわけであります。
そこで、であります。
前回の続き、ゴールドマン・サックスおよびグーグルにとって、彼らの「顧客」とはいったい誰であるのか?
まず、ゴールドマン・サックスであります。
ゴールドマン・サックス(Goldman Sachs, NYSE: GS)は、アメリカの金融グループであり、世界最大級の投資銀行である。歴史は古くドイツ出身のユダヤ系のマーカス・ゴールドマンによって1869年に設立された。
モルガン・スタンレーやJPモルガン等とともに、投資銀行業務の幅広い分野においてリーグテーブル上位に位置する名門投資銀行と言われている。概要
取引業務(株式、債券、通貨などの金融資産や不動産の売買、資金の貸付)、投資銀行業務、富裕層へのプライベート・バンキング、保険業務を主としている。
(ゴールドマン・サックス、Wikipedia)
この「顧客」である「金持ち」相手に、取引業務や投資銀行業務による「手数料」収入を得ると言うのが、ごくごく大雑把に言うところの彼らのビジネスモデルであるのであります。
しかし、このゴールドマン・サックスが、変わってしまった。
「極度の金儲け主義に陥り、顧客の利益を全く顧みない」
「常にクライアントにとって正しいことをする」、「金儲けが全てではなかった」、「その微塵も目にすることはない」
それは、「金儲け」それ自体が彼らにとっての「自己目的」と化し、ゴールドマン・サックスにとって、「顧客」が「顧客」ではなくなってしまったってことであります。なんと、「自分自身」を「顧客」にして商売を始めてしまったと言う他はないのであります。
なぜ?
これこそが、今回のお話のポイント、経営者も社員も、この「何を」与えると言う「意志」を喪失し、これを見失ってしまったからなんであります。
創業の精神を忘れるな、とはよく言われる言葉であります。
この「創業の精神」こそ、ビジネスにおける「意志」以外の何者でもないのであります。
そして、もう一方のグーグルであります。
そして、ウィティカー氏は、「真実を言えば、私はこれまで広告にそれほど興味を持ったことがない。広告をクリックすることもない」と告白をしている。さらに、「私がeメール・メッセージに書く内容に基づいてGメールが広告を表示するのは、不気味だ(it creeps me out)」とも書いている。まさに、最近ここやここで紹介したように、グーグルの(元)社員ですらグーグルの広告表示について不気味(creepy)と感じると告白している。(但し、ウィティカー氏は、この点に関して基本的にフェースブックもツイッターも「同じ穴のムジナ」である点を指摘している。)
(「私がグーグル、ゴールドマン・サックスを辞めた理由」―大企業を去る優秀な人材たちと問われる企業文化)
まさに、グーグルにとって「顧客」とは誰であるのか?
この認識が、創業以来ずっとそうであった、「インターネットユーザー」から、広告の「スポンサー」へと、大きく変貌をとげてしまったのであります。そうです、「放送と通信」のビジネスモデルの違いそのものが、恐らく彼らの「無意識」の中でスイッチしてしまったのであります。
なぜ、そんなことが起きてしまうのか?
これをご説明するのが、次なるテーマ「ソーシャルビジネスと正統性」であります。乞うご期待。 KAI