ディスチミア症候群とは、聞きなれない病名であります。
ディスチミア症候群と言われる病気が最近話題となっております。このディスチミア症候群とは、うつ病の1形態として扱われます。うつ病には2タイプあり、1つがメランコリー親和型うつ病、もうひとつがディスチミア親和型うつ病(ディスチミア症候群)です。
メランコリー親和型は、自責の念が強いのに対し、ディスチミア親和型は他罰感情が強く現れます。つまり、責任は自分にはなく、全部環境や他人のせいだという感情です。悪く言えば「わがまま」、「自己中心的」ということになります。
具体的な症状としては、会社ではうつ症状を呈しながら、プライベートでは海外旅行に出かけたり、飲み会に参加したりと元気ハツラツな状態になります。非常に不可解な病気であるため、気分変調症という意味のディスチミア症候群と呼ばれ、医学的にはうつ病ではないとされています。
メランコリー親和型うつ病は比較的年齢の高い中高年齢層によく見られるのに対し、ディスチミア親和型うつ病は若い青年層から多く見られるのが特徴です。
ディスチミア症候群の根本的な原因は、「幼少時から親に過保護に育てられ、自分らしさを抑圧されてきた『いい子』の自己コミュニケーション障害」とされています。本当の自分らしさを表現すること我慢し続けて来たために、その反動として自分の生き方の方向性を変えたいという心底の思いが噴き出してしまったということです。
ですから、ディスチミア症候群は、基本的に投薬治療で回復することはありません。自分らしさを認め、生き方を変え、環境も変えて心のバランスを取る必要があるのです。ディスチミア症候群を患っている人の関係者達は、その人がものを言いやすい環境を作ってあげることが大切です。
(ディスチミア症候群の症状と原因)
このことだけに限れば、皇室問題にはとんと興味はないのでありますが、この「他罰感情」と言う部分には大いに反応するのであります。
それは、まずこの記事をご覧いただきたいのであります。
「社長がいつ死んでも困らない会社にしないといけない」。
本連載第1回の書き出しです。社長の私が出社しなくても商売をしていける「社長不要の会社」を目指してあれこれ取り組んできました。
社長を不要にする、つまり社長の仕事を減らしていくカギの1つは情報システムです。ところが現実にはシステムをうまく使いこなすどころか、「動かないコンピュータ」があちこちで出現しております。
(中略)
困ったことに、企業側と開発側は情報システムについてそれぞれ意見を持っているものの接点が見当たりません。これが長年の問題です。企業側と開発側が同じ問題や悩みを同じ視点でとらえ、その解決手段として情報システムを提供する、そのような関係が結べればと思いますが実際にはなかなかです。
情報システムを使う企業側はしばしばこう言います。
「IT業界でしか通用しない専門用語がまかり通っている」「言われたことしか対応せず、提案がない」「欧米の手法をそのまま用いており、国内の実情と一致しない」。
これに対し、開発側はよくこう言います。
「経営トップがシステムを理解していない」「発注者がシステムの要件をまとめていない」「コンピューターに過度の期待がある」。
私は経営者として情報システムを使う企業側におりますが、あえて企業側の現状をもう少し考えてみようと思います。
企業側には経営者から現場の利用者まで、次のような「システムの幻想」があります。
- コンピューターは機械だから、自動的に処理してくれる
- 我々は客、開発者は業者だから、開発側で全部用意してくれる
- 業務が簡素化されるのだから、経費は減って当たり前
もう少し考えると、こうした幻想は日本の現状から出てきています。上記の幻想に対応させて列挙してみましょう。
- 日本の製造業は自動化によって評判を得た
- 誤解に基づく「お客様は神様」という風潮がまかり通っている
- 企業のビジネスモデルが陳腐化している
三番目について少し解説します。後述しますが、私が属している問屋の世界を見ますとビジネスモデルを見直さないともはややっていけません。おそらく他の業種業界も同じでしょう。
(社長が抱く「情報システムの幻想」)
ビジネスモデルを変え、その結果、「業務が簡素化され」「経費は減って当たり前」ということになる可能性はあります。それは企業側の努力によるものであって、情報システムの開発側に期待することではありません。
さらにハードルを上げているのは、完成品を当たり前のように求める姿勢です。これが日本のものづくりの高品質を生んでいるわけですが、情報システムにもすべてがまとまった姿を求めるので、開発側は外観や操作の互換性など機能以外の点にまで注意を払う必要があり、なかなか厄介です。
根本原因は「原因を他に求める」姿勢
システム幻想をもたらす日本の現状について説明しました。もう少し考えていきますと、より根本の原因を見出せます。
「楽に生きたい」「原因を他に求める」「分業による無理解」です。これらは動物の自己防衛本能でもあり、一筋縄では対処できません。
こうした姿勢が企業側にも開発側にも見られ、幻想の肥大と幻滅が起き、両者は歩み寄れません。
「分業による無理解」とは、官民に関わらず縦割りで業務が分担されており、自分の役割以外は誰かが補うだろうとの先入観があることです。
ある時、知り合いのSEから、顧客に関する悩みを聞かされました。「実在庫とシステムの在庫を合わせろ」という依頼が来て困っているそうです。
これはその顧客の在庫管理者の怠慢そのものです。無理難題と責任転嫁は、情報システムをもってしても、どうにもできません。やむを得ず、そのSEは「在庫が合わない理由を説明する資料」を情報システムで出力し、顧客に提出したそうです。
(社長が抱く「情報システムの幻想」)
完成品を当たり前のように求める姿勢
「原因を他に求める」姿勢
どう言うことかと申しあげれば、それは私たちが携わるコンピュータシステムの世界での一番の問題であり悩みなのであります。
ここでは「動かないコンピュータ」と書かれているのでありますが、私たちの「システム」はインターネットの「アプリケーションサービス」でありますから、もちろんすでに動いているのであります。しかしこれを導入し使い始めようとするときに、これがなかなかうまくいかない。
もちろん大半はうまくいくのでありますが、うまくいかない場合は、徹底してうまくいかない。
いくら導入して使うのは「ユーザー」自身なんですよと言っても、かたくなに聞く耳を持とうとしないのであります。
あげくのはてが「ディスチミア症候群」と化すのであります。
ここで、あらためて気づくのであります。なにかと申しあげれば、この「ディスチミア症候群」の原因には、いろいろと思い当たることがあるのであります。
ディスチミア症候群の根本的な原因は、「幼少時から親に過保護に育てられ、自分らしさを抑圧されてきた『いい子』の自己コミュニケーション障害」とされています。本当の自分らしさを表現すること我慢し続けて来たために、その反動として自分の生き方の方向性を変えたいという心底の思いが噴き出してしまったということです。
これを上記引用の「社長」の言葉で言い直すならば、いままでの「抑圧された自分らしさ」が「陳腐化したビジネスモデル」、これを変えるべき「本当の自分らしさの表現」が「本当のビジネスモデルに変える」となるのであります。
しかしこの「本当のビジネスモデル」は、「社長」が書いているとおり情報システム側にあるのではなく「企業側の努力」にしか存在しえない。
少なくとも、企業側の努力にあわせて開発側の「システム」が共同してこそ、実現可能となるものなのであります。
もちろん私たちの「システム」には、「本当のビジネスモデル」があるのであります。しかし、これはあくまで「システム」であります。企業自身が、現在の「陳腐化したビジネスモデル」から、「本当のビジネスモデル」に「変わる」努力をしない限り、なにも変わらない。
結局「原因を他に求める」姿勢と言う「ディスチミア症候群」を、企業はいつまでも続けることになるのであります。
では、この治療方法にはいかなる方法があるのでありましょうか?このヒントもまたさきほどの「ディスチミア症候群」の説明の中に見出すことができるのであります。
ですから、ディスチミア症候群は、基本的に投薬治療で回復することはありません。自分らしさを認め、生き方を変え、環境も変えて心のバランスを取る必要があるのです。ディスチミア症候群を患っている人の関係者達は、その人がものを言いやすい環境を作ってあげることが大切です。
「陳腐化したビジネスモデル」+「原因を他に求める」から、「本当のビジネスモデル」+「システムとのバランス」となるのであります。
実は、この議論は随分前ですが、ここで取り上げた問題なんであります。
男が好きになる女のタイプとかけて日本人の働き方と解く、その心はどちらもなかなか変わらない。
前回のヨッシーのパーティでひとしきり話題になったのが男が選ぶ女のタイプ。ヨッシーの彼女遍歴を知る友人一同声をそろえて言う。まったく一貫して同じタイプである。
「日本人は働き方にこだわる」とおっしゃるのは慶応義塾大学教授大岩元(はじめ)先生。
欧米の経営者たちは、自身の仕事はビジネスモデルの策定とその実現であると考えているようである。これに対して日本の経営者は、ビジネスモデルにはこだわらず、仕事の仕方で競争を勝ち抜こうとしている。したがって、従業員の働き方に対するこだわりを実現することが、経営者の一番大事な仕事であると考えているように思える。
情報技術は、ビジネスモデルで競争する欧米人が作り出したものである。彼らは働き方へのこだわりがないので、ビジネスに情報技術を持ちこんで、働き方が変わることにこだわりを持たない。(中略)働き方を変えたくない日本の経営者は、こうした作業が必要になっても、今まで通り部下にやらせる人がほとんどである。
(BCN、視点、大岩元、2007/06/11、p.9)つまり、
ビジネスモデル > ワークモデル(欧米型モデル)
ビジネスモデル < ワークモデル(日本型モデル)
と言うわけです。私たちが実施するASPサービスにおいても、日々このモデルの衝突を繰り返しています。
通販の現場を取り仕切っているのは大凡女性たちです。もめ事で現場の混乱を嫌う管理者は、この女性たちの声すなわち現行のワークモデルを決して変えようとはしません。結果カスタマイズの嵐となって元々のビジネスモデルなどとうに吹っ飛んでしまいます。
このワークモデルを人間関係と置き換えてもこの話はそのまま成り立ちます。
従来の人間関係のまま、私たちのASPサービスと言うビジネスモデルを導入すると、不思議な現象が起こります。
今までのシステムでは、システムを操作する現場の人間は単に情報の加工者と言う位置づけでした。この加工された情報が管理者に紙のレポートとしてあげられると言う流れで、管理者に情報が集中すると言うビジネスモデルでした。
ところがMVCモデルをベースとする私たちのシステムでは、システムを操作する現場の人間に直接情報を見せ、すべてこれによって判断するインターフェイスになっているため、管理者ではなく現場の人間に情報が集中する仕掛けになっています。
もちろん管理者であっても直接画面を操作することが前提ですので、単に管理者が直接画面を操作しさえすれば現場の人間以上の情報に接することができます。
しかし従来の人間関係のままであると、相変わらず紙のレポートが出るまで管理者には情報があがらず、実は管理者が一番情報に疎い存在となっているのです。しかもこれに現場の人間は気付いていても管理者には報告もしないし、当然管理者からこの事実に思い至ることもありません。(当然管理者もパソコンを操作はしますがあくまでEXCELで上がってきたレポートを加工するレベルではどうしようもありません)
日本人がこう言う人間関係と言うかワークモデルと言うかを変えられないのは、冒頭の男がいつも同じタイプの女を好きになってしまうのと同じレベルの、ある意味人間的な心の問題であるからです。
ですからビジネスモデルを変えるなら、組織構造もそれにあったフラットな構造に変える必要がありますが、トップダウンで断行しない限りこれもなかなか難しい。
かくしてモデルの衝突は延々と続くのでした。オワリ、マル。 KAI
(男が好きになる女のタイプと日本人の働き方の関係とは)
そうです。「陳腐化したビジネスモデル」とは、この日本人が大好きな「ワークモデル」のことだったのであります。
この「ワークモデル」のまま、「ビジネスモデル」としての「システム」導入が、「ディスチミア症候群」を生み出している元凶であります。
ですから、「本当のビジネスモデル」に合わせて「ワークモデル」を変えることができる企業は、システム導入がうまくいくし、あいかわらずの「ワークモデル」にこだわり、「カスタマイズの嵐」を繰り返す企業が、最後まで「他罰感情」をかかえたまま、「ワークモデル」偏重の迷路を彷徨うことになるのであります。 KAI