あの「恐怖体験」の実態が明らかになったようであります。
ブラジルW杯アジア3次予選・北朝鮮戦に0−1で敗れたサッカー日本代表が一夜明けた16日、平壌から北京経由で帰国した。ザック・ジャパンの不敗神話が途切れる惨敗で、疲労困憊(こんぱい)の帰路となったが、宿泊した高級ホテルではフロアごとに3〜4人の守衛による“マンマーク”で監視されていたことがわかった。不気味さのあまり1人部屋では眠れず、2人で寝た選手も。“恐怖の夜”が敗因!? 日本人サポーターは競技場から帰る際、バスに物を投げつけられたことを明らかにした。
(ホテルに“監視兵”北朝鮮の夜…選手が語った (1/2ページ))表情には疲労の色がにじんでいた。中国国際航空のチャーター機で北京国際空港に降り立ったザック・ジャパン。日本代表として22年ぶりとなる平壌での一戦を終えた49人の選手団にとって、その疲れは決して、屈辱の敗戦だけが理由ではなかった。
「(清武と)一緒に寝ました。怖かった。(廊下は)薄暗くて、(警備している人に)話しかけても何も答えてくれなかった。無表情で…」
北京から関西空港に帰ってきたGK西川が“恐怖の夜”を振り返った。チームが宿泊したのは、「特級」とされる外国人観光客御用達の平壌高麗ホテル。そこで、体験したことのない不気味さがザック・ジャパンを襲っていた。1フロアに8〜10部屋があるホテル内の薄暗い廊下に、1フロアごとに3、4人の“守衛”が立っていたという。
人民軍? 工作員!? 素性は不明だが、到着から24時間体制で監視の目。選手は全員1人部屋ながら、主将のMF長谷部は「名前はいわないけど、怖くて2人で寝た選手も何人かいた」。その1組が西川とFW清武というわけだ。
試合では厳しいマークに苦しみ、決定的なチャンスすら作れなかったが、ピッチ外ではそれ以上の“マンマーク”を受けていた。試合前日を含め2夜にわたってのプレッシャーに、DF栗原は「気が休まらなかった」。
入国時にはコメなどほぼすべての食材が没収され、「ガムも没収された」という清武は、「無事帰ってこられてよかった。あれよりアウェーの環境はない」。誰もが寝不足気味だった。
「一番厳しいアウェーを経験したので、これを次につなげたい」と長谷部。来年6月からはW杯アジア最終予選が始まる。日本と国交のない北朝鮮で受けた、異様なまでのアウェー感。“恐れるもの”はもう、何もない。
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どうやらこれが、KAIだけの疑心暗鬼ではなかったようであります。
選手や監督全員、一種の集団的「パニック状態」に陥っていたのであります。
しかも、これは「意図的」にであります。
このための、4時間も足留めした入国審査、ホテルでの対応、日本からの応援団や取材を厳しく制限、5万人の大観衆の動員と、君が代ブーイング。
すべてがすべて、最初から仕組まれていたのでありました。
この結果の勝利であります。彼らは溜飲を下げ、ザックジャパンは図らずも国民の不満解消におおいなる貢献したのでありました。
まことにもって、なんともやることが「エグイ」のであります。
とはいえ、対抗措置がなかったかと言えば、そうではない。(もちろん対抗する必要もない、控え選手のプレッシャー対策としての強化試合と考えていたなら別ですが)
ザックのイメージ力からして、最初からこの北朝鮮の「死にもの狂い」をイメージできていれば、控えの選手起用はありえなかったのであります。
最終予選進出決定後の消化試合を、控え選手の強化試合と考えるのは、ふつうは何の不思議でもなんでもないのであります。しかし、相手がこの試合を消化試合ではなく予選突破のかかった最終試合と考えていたとしたら。
これはとても控え選手では、歯が立たない。
今回の0-1の敗戦とは、つまりはそう言うことでありました。
ではこれをベストメンバーで臨んだいたとしたら、どうなったか。
もちろん1-0の圧勝であります。そのかわり帰りのバスはひっくり返され、スタジアムは騒乱。日本人の応援団けが人多数。選手監督無事帰国できたかどうか。
と言うことで、負けてよかった!? KAI