3.11から、はや半年。
つくづくこの国の指導者も役人も、バカばっかりだと、確信するのであります。
なんで、今回の被災者の心情が、いの一番にくみ取れないのか。
いまNHKスペシャルをやっているのでありますが、このタイトルどおり、すべての被災者は「追い詰められている」のであります。
こんな中で、東電が値上げを画策していると言う。
恥を知れ、と言うしかないのであります。
東京電力の資産の実態などを調べる政府の経営・財務調査委員会(委員長・下河辺和彦弁護士)の6日の会合で、同社の電気料金の原価を過去10年分調べた結果、見積額が実績を常に上回り続けている項目があったことが報告された。調査委は、電気料金を必要以上に押し上げていた可能性があるとみて詳細を調べる。
調べたのは、家庭向けの電気料金を算定する際の「総括原価方式」。人件費や燃料費、修繕費など1年間にかかると想定する原価に、必要な利益を上乗せして料金を決める方法だ。
下河辺委員長は会合後の記者会見で、「見積もったコストより実際はかかっていないものが多い。10年間分を累積すれば、(その差は)看過できないものになっている」と指摘。原価算定が妥当だったかを、さらに検証する考えを示した。
(東電の料金、高めに原価設定か 経営・財務調査委が指摘)
自民党も、値上げなどもってのほか。サービス低下に対応して値下げできない限り、選挙では誰も投票しない。いや、投票しては絶対いけないのであります。逆に、いま値下げの世論を主導することこそ、自民党が唯一生き残る道と心得るべしなんであります。
そして、肝心要の、復興。
言葉にならない怒りがこみ上げてくる。
いま、なぜ後藤新平のようなリーダーが、いないのか。
直近のリーダーらしいリーダーと言えば、小泉純一郎。
いまのいま、このリーダー不在を考える上で、小泉竹中批判の構造が、これをよく説明するのであります。
小泉竹中批判を繰り返す奴輩を、KAIは「盗人に追い銭」であると定義するのでありますが、小泉竹中改革による利益を享受(泥棒)しておきながら、格差の被害者のごとき批判者と言う立場の利益(追い銭)を貪るのであります。
これをメディアを含めて社会が容認する。こんな正義もひったくれもない社会では、自己犠牲してまでリーダーになろうと考える人間など、現れるわけないのであります。
しかし、これではただの「感情論」。この問題の本質にせまる必要があるのであります。
そもそもにおいて、「リーダー」とはなんぞや。
結論を言ってしまえば、「リーダー」とは、自分の夢ではなく他人の夢を叶えることのできる人間をリーダーと呼ぶのであります。
ですから、たとえ二人だけでも、相棒の夢をひたすら叶えることに没頭できる人間は、二人の中でこの一人の人間をリーダーと呼ぶのであります。
この観点に立てば、なぜいまのいま、日本にリーダーが不在か、もののみごとに説明が付くのであります。
それは、小泉竹中批判と言う「盗人に追い銭」社会であり、リーダーがかなえる夢という利益を「盗み」、これを糊塗するための「追い銭」批判をくりかえす。まったくもって、名誉と尊敬と忠誠のかけらもない、そんな社会を私たちは生み出してしまったのであります。
すなわち、ことの真相は、こうであります。
実際は、そこらじゅうに他人の夢を実現するために奔走する「リーダー」は、山のようにいるのであります。これをひたすら名誉ではなく中傷し、「リーダー」を消し去ることに明け暮れているのが、いまのいま私たち日本の社会なのであります。
もういいかげんにしませんか。
私たちの夢を叶えると言う人間こそ、「リーダー」なんであります。こんな人、身の回りにいっぱいいるじゃありませんか。なぜこんな人たちにあなたは名誉と尊敬と忠誠を誓わないのでしょうか。
こんな「リーダー」を選んで押し上げるのは、リーダー自身ではなく、自分の夢を実現してくれるあなた自身であることに、もういいかげん気づいて欲しい。
「リーダー」こそが、あなたの夢を実現してくれることに、もういいかげん気づいて欲しい。
「リーダー」が叶えてくれた利益を、もういいかげん「盗む」のはやめにして欲しい。
こう考えれば、いまのいま、真の「リーダー」が、誰であるのか。議論の余地はないのであります。
この人物を「リーダー」として選ぶ、担ぐ。これしか、ないのと違いますか? KAI