星野も、北京オリンピック以来、運をなくしてしまって久しいけれど、北京で勝てなかった理由をいまだ理解せぬまま、楽天でこれまた繰り返しているのであります。
「交流戦、阪神7‐0楽天」(19日、甲子園)
孝行息子の出現を待った父の日だったが、オヤジの期待は裏切られた。守備のミスが重なり、打線も4安打無得点に封じられての完敗だ。試合後、星野監督は少し笑ってみせながら、帰りのバスへとゆっくり歩いた。
「(ミスは)甘さというか、(チームに)DNAとしてあるんじゃないか。先発ピッチャーも、6日も1週間もあけてもらって。(全体的に)先発が、あれだけぶざまでは毎回勝てんやろ」
自滅のような形で流れを失った。まずは、三回2死二塁からブラゼルの三塁への飛球を遊撃・松井稼も追い、三塁・草野と軽く接触して草野が落球。2点目を奪われた。さらに四回無死二塁からは、スタンリッジのバントを処理した嶋の三塁への送球が悪送球となって失策に。そこから一気に3点を奪われた。
守備のミスに足を引っ張られる形で、永井も5回で降板。6月は田中以外の先発に勝ち星が付いていない。「どういう調整しとるんや。お前ら(報道陣)とは話し合いはせん。オレがチェックしないと」と星野監督。冗談交じりとはいえ、思うようにいかない現状があるからこその言葉だ。
これで「古巣」阪神との対戦成績は2勝2敗の五分となり、交流戦は9勝13敗2分けで終了。「立て直すにも、ありすぎてどこから手を付けていいか分からない」。24日の西武戦で再開するリーグ戦まで、頭を悩ませる日々が続く。
(星野監督「ミスのDNAある!ぶざまだ」)
その、選手の「気持ち」とは、野村解任後のブラウン監督時代のまま、まったく変わってはいないのであります。
楽天の選手たちは、本来はみな楽観主義者だった。野村監督におだてられてここまで来てしまったのは、楽観主義者以外のなにものでもない。そんな彼らを、野村監督の解任は、ものの見事に悲観論者に変えてしまったのであります。
開幕以来の最悪の勝率は、解任が間違っていると思う選手たちが、無意識的に解任が間違いであったことを証明しようとしている結果なのであります。そしてこれをメディアが補強する。昨シーズン、初っぱなからメディアに野村監督のぼやき映像が出ない日はなかったのに、今季、取材記者すら集まらない。
当然こんなことになるのは、簡単に予想できたこと。
(楽天が勝てないのにはわけがある週末テニス)
まずは選手たちを悲観論の呪縛から解き放ち、楽観主義者たちにもどしてあげることが先決なんでありますが、この選手たちの「気持ち」を理解することができない星野には、まずもってこれができるわけがないのであります。
それにしても楽天の選手たちは、なぜいまだにこの悲観論を引きずったままでいるのか。
それは、野村解任の間違いとブラウン監督の失敗のいずれをも反省することなく、星野監督と言う三度目の正直ならぬ失敗を、三木谷が繰り返し続けるからに他ならないからであります。
野球のやの字も知らんで、ようやれますな。
(岡田監督と野村監督、あと週末テニス)
野球チームの監督がなんたるかを、まるで理解しないまま、子会社のトップの首を挿げ替えるかのように監督を変えていく。
野球チームの監督とは、これは決してサッカーの監督でもなければ、ほかのいかなるチームスポーツの監督とも、まったく異なる種類の監督なんであります。
なにが違うのかと言えば、野球とは、監督同士、1対1で戦う、唯一のチームスポーツ(アメフトも比較的これに近い)なんだと言うことであり、これはあたかも将棋における二人の棋士の戦いと同じと言っても過言ではないのであります。この場合、選手一人一人が将棋のコマなんであります。
これを理解する一番の好例が、ヤクルト監督就任時の野村の言葉であります。
自らキャッチャー出身の野村にとって、捕手がチームの要であることを知り尽くしていた彼が、まず一番に手掛けたのが、自覚に欠ける古田に「野球」のやの字を教えることだったと言うのであります。
このかいあって野村ヤクルトはみるみる強くなりヤクルトの黄金時代を築いたのであります。
野村の考える「野球」は、選手が戦うのではなく監督が戦う。監督が戦うためには、将棋のコマのように選手が監督の忠実な手足にならなければ、絶対に勝つことができない。そのために、古田にしつこいまでに戦い方を教え込んでいったのであります。この古田がピッチャーを教え、野手に指示を出して、野村の野球を教えていく。勝つ方法を教えていくのであります。
これが、星野も、もちろん三木谷も、わかっていない。
星野は、たまたま野村阪神の後釜で成功したかに見えるけれど、すべては野村が育てた選手のおかげ。中日時代も、後に中日常勝監督となる選手落合を擁していただけのこと。落合が選手でいながら監督の働きをしていたのであります。
これを理解していれば、野球の監督の首を挿げ替えることの意味がよくわかるはず。
実は、野球の監督ほど、選手が選ぶ監督はいないのであります。
これを如実にあらわす出来事があったのであります。
やはり星野が、あのWBC監督就任をイチローをはじめとした選手たちに拒否され、結局これが原ジャパンの優勝につながったと言う「事件」がありましたが、まさにこれのことなんであります。
お話を楽天にもどして、選手たちはいまだ望む「監督」を得ていないことが、選手たちの悲観論と言う呪縛から抜け出せない根本の原因なんであります。
もはや、野村も体力的に無理となれば、残るは落合くらいしかいないけれど、もちろんノーと断られて、もはやオーナー交代くらいしか楽天に道はないのであります。 KAI