民主党を支持し政権交代に期待を寄せてきた方々にとって、今の民主党の体たらくは信じがたいものでありましょう。
別に小沢がいなくても鳩山がいなくても、つまり誰が党首で誰が幹事長であったとしても2009年衆議院選挙は民主党が勝っていた。にもかかわらずこれを小沢の功績としたことに、今に至る民主党の大きな間違いがあったわけであります。
この小沢や鳩山に対して、小沢シンパ、鳩山シンパは別にして、世間の人々が共通に抱く思いとは何か。
それは、「胸の中にわくもやもやとした気分」であります。
そして、この「気分」が、韓国軍艦沈没事件の主犯であるにもかかわらず激しく米韓を非難ししらばっくれる北朝鮮に対するそれと、なぜか激しく似通っていることに驚かされるのであります。
この「気分」の正体とは何か。これを理解するためにヒントとなるエントリーを、ウチダ先生が書いているのであります。
同じ話を繰り返すのに、いいかげん飽きてきた。
私が言っていることは九条論のときからほとんど変わっていない。
それは私たちの眼に「解きがたい矛盾」と見えているものは、「ほんとうの矛盾」から眼をそらすためにつくりだされた仮象の矛盾だということである。
九条と自衛隊は矛盾していない。
それはアメリカが「日本を無害かつ有用な属国たらしめる」という政治史文脈の中で選択された。
アメリカにとってこの二つの制度は「二個でワンセット」のまったく無矛盾的な政策である。
それを日本人たちが「相容れぬものである」として、護憲派・改憲派に分かれて互いに喉笛に食いつきそうな勢いで争っているのは、いったんそれが「実は無矛盾的である」ということを認めてしまえば、「日本がアメリカの軍事的属国である」ことを認めざるをえないからである。
真の矛盾は日米関係にある。
そこに「矛盾はない」と強弁し、日米関係は良好に推移しており、すべての問題は国内問題であり、それゆえすぐれた為政者さえ登場すればハンドル可能であると人々は信じようとしている。
私はそのような無理な心理的操作にも「一理はある」と思っている。
現にそのように問題を先送りすることによって(つよい言い方をすれば、「狂気を病む」ことによって)、日本は65年間の平和と繁栄を手に入れた。
私はそれをかつて「疾病利得」と呼んだことがある。
利得は利得であり、みごとな達成である。
けれども、それが「疾病」を代償に手に入れたものであることは忘れないほうがいい。
この心理機制のルールは、疾病のもたらす損失は決して利得を超えることがあってはならないというものである。
だが、普天間基地問題について語る人々を見ていると、「日米間には何の利害対立もなく、真の対立は国内にある」という主張がメディアを覆い尽くしている。
国内問題であると彼らが主張するのは、それが「取るに足らぬ問題」であり、「私たちはそれをハンドルできる」と言いたいからである。
言い換えれば、「これは身内のことであり、アメリカには関係のないことだ(首相の首をすげ替えたり、政権をまた交代すればいずれ解決する)」と彼らは言いたいのである。
「真の問題から眼をそらす」ためのこの国民的努力を私は決して軽んじているわけではない。
それは私たちの国に伝えられた一種の「伝統芸能」のようなものだからだ。
けれども、どこかで私たちは腹を決めるべきだろう。
このまま「私は健康だ」と言い続けて、病を押し隠すのか、どこかで「私は病んでいる」と認めて、その上で、私たちが「病とともに生きる」ことを可能にするより包括的な「国家についての物語」を再編するのか。
(困ったときは老師に訊け)
日本と言う国家は、戦争に負けた後ずっといままで、それが「国内」にあるのか「日米関係」にあるのかは別にして、「矛盾」を「矛盾」と認めることを「無意識的」に忌避し続けてきたのであります。
戦後教育もこれに輪をかける。団塊世代を筆頭に、この戦後教育を受けた日本人が等しく羅漢している「病」とは、すなわち「背理」の「エートス」なのであります。「矛盾」を「矛盾」としないとは、すなわち「背理」の肯定にほかなりません。つまり「なんでもあり」の論理構造が、正規の論理構造「エートス」として、多くの日本人の無意識の中に深く浸透していったと言うことであります。
二枚舌、三枚舌、言いのがれ、開き直り、すり替え、なんでもありなんであります。
「政治とカネ」の問題にしても、国民から託された「政権交代」の使命が大事と論理のすり替え。普天間しかり。こちらも、沖縄県民の思いに応えようとしたと、すべては沖縄県民のせいにする。
なるほど、ルーピーなのかバカなのか、確信犯でありながら悪びれるふうでもない。つきつめれば、まったく「北朝鮮」と寸分たがわず一緒なのであります。
こんな宰相をかかえる、我が日本。克服するには、智恵がいるのであります。
私たちが「病とともに生きる」ことを可能にするより包括的な「国家についての物語」を再編する
「自衛隊は軍隊」と国会の場で初めて明言し「背理」に抵抗した小泉純一郎を、みごとなまでに「周辺」に追いやる力は、並大抵のものではないのであります。
誰も責任を取らない役人の年金不正問題、利権地獄の郵政問題。いいかげんにしろと言っても、虚空に石。
なるほど、赤木智弘の「希望は、戦争」であります。これを地で行く北朝鮮は、こんかい意外に本気かもしれません。「神話」構築のための「戦争」であり、そして「大地震」なのであります。
そろそろこんな気配を感じる、週末テニス。
土曜、天気予報では明日は激しく雨。と言うことで、今週は土曜だけだからと、力を出し尽くして、結果は6-1、0-6、4-6、1-2のネモトくん4連勝。あいかわらずネモトくんから1勝が取れないけれど、これもまたよし。壁は大きければ大きいほどよろしいのであります。(負けおしみ)
日曜、予報は正確。娘をスポーツクラブに送った後、久しぶりの砧公園1周。雨にぬれる古木の中を走っているうち、気持ちがリセットされる。まさしく「慈雨」とは、こう言うのを言うのであります。 KAI