昨日の「祟り」の話で重要なことは、「祟りとは、人の精神社会の自然治癒力」の部分です。これをもう少し言えば、人の精神社会と言うものは、大きな時間軸上に横たわる生命体のようなもので、今ある精神社会とは、過去から切り離されて存在するものではなく、ずっと以前の過去から連綿と繋がっていると言う、きわめて巨大な「時間の力」を持つものであると言うことであります。
この「時間の力」については、以前、写真の力と時間の力の中でも少し触れましたが、この「時間の力」の意味を理解しているかどうかが、今の政治や外交問題、とりわけ喫緊の懸案「普天間問題」を読み解く、最も重要なキーワードなのであります。
この意味でウチダ先生の論法は、極めて的を射ているわけであります。
アメリカが沖縄の基地を返還するということがありえないのは、保守派の政論家たちが言うように、それが対中国、対北朝鮮の軍事的拠点として有用だからではない。
軍事基地が有用であるように見えるように、アメリカは対中国、対北朝鮮の外交的緊張関係を維持しているというのがことの順序なのである。
軍事基地を他国領内に置く合法的な理由は、「そこに軍事的緊張関係があり、それをコントロールすることがアメリカの責任である」という言い分以外にないからである。
だから、沖縄の基地問題は、単なる軍事技術や外交の問題ではなく、アメリカが「思考停止に陥るマター」という国民的トラウマの問題だと申し上げているのである。
基地問題を論じるさまざまの文章を徴するときに、「アメリカがそもそも他国領内に軍事基地を持つことにいかなる合法性があるのか?」という根本的な議論はきまってニグレクトされている。
(基地をめぐる思考停止)
実際問題、ウチダ先生自身も、前後しますがこう書いています。
アメリカ国民にとって、西太平洋に展開する米軍基地は19世紀末の米西戦争でフィリピン、グアムを手に入れて以来、太平洋戦争、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争とアメリカの青年たちの血で贖ってきた「アジア覇権」の象徴であり、ここから「撤退する」ということは、19世紀以来のアメリカの国是であった「西漸戦略」そのものの間違いを認めることを意味する。それは国民的統合の「物語」に亀裂を走らせるだろう。
(基地をめぐる思考停止)
国家としての正統性こそ、「時間の力」問題の典型ですが、アメリカは未だこの問題を決して忘れてはいません。だからこそ、彼らはもっともこの問題に対して敏感であり、すべての価値観の基本となっていると、KAIは考えているのであります。
ですから、普天間問題で日米関係を損ねることが心配されていますが、この一点において、日米関係とは、まったく不動の関係であり続けるのであります。
すなわち、オバマやクリントンにとって日本と言う国は、鳩山ではなく、平成の天皇なのです。もちろん実務レベルは現政権であることは百も承知ですが、精神社会レベルの元首は天皇以外には考えられません。
みなさんは、オバマが平成天皇に深々と頭を下げて握手したことを覚えておられるでしょうか。クリントンも同様に、大統領夫人として天皇に謁見していた事実があります。ともに平成天皇とは、日本国と言う国家のアプリオリであるのであります。
とは言え、鳩山内閣の暴走がいつまでも許されるわけではありません。この天から与えられた稀有なる恵まれた環境を弄び続ければ、「昭和天皇の祟り」以上の「祟り」に見舞われることを覚悟しなければなりません。
もちろんしかし、彼らが、この意味を理解することは、永遠にやってこないのも事実であります。合掌 KAI