明日24日開かれる自民党大会に、野村元監督が招かれて講演するそうですが、これだけをとりあげても自民党はまったく救われない状況にまできてしまったと、KAIは言わざるを得ません。
別に野村さんが良い悪いではなく、自民党にとっていま最も必要なことは、「正しい理解」です。
以前、一知半解と言う言葉を取り上げましたが、選挙に負けたのも、支持率が一向に上がらないのも、自民党の「一知半解」にすべての原因があることに、まず自民党自身が気がつかなければ、自民党の再生はあり得ないのであります。
そのためには、オーナーである三木谷や国民にクビにされた、同じものどうし、互いに傷をなめあうようなお話ではなく、自民党のみなさんには、この池尾和人先生の講義を、まず一番に受けることをお薦めいたします。
グローバル・インバランスの拡大によってもたらされた2002-07年の間の拡張局面を除くと、日本経済は、この20年間にわたって停滞を続けていることになる。こうした長期低迷の根本には、従来型の日本の経済システムが内的、外的変化に適合的なものでなくなっていることがあると考えられる。
キャッチアップ型成長段階の終焉(内的変化)
日本経済は、明治維新以来100年超の時間をかけて欧米先進国に「追いつき追い越せ」型の経済成長を遂げてきた。そして、ついに1970年代のいずれかの時点でキャッチアップ段階を完了し、1980年代には先進国化する。持続的経済成長をもたらすものは、生産性の向上につながるイノベーションである。ただし、少なくともイノベーションには、leading-edge(最先端的)innovationとimplementation innovation(模倣)との2タイプがある。後者の効果は、その国の技術水準が世界の最先端のそれから遅れている度合いが大きいほど、大きいといえる(後発性利益)。しかし、そうした遅れがなくなれば、当然その効果もなくなる。
したがって、開発段階においては、模倣による効果が大きいので、それに注力するような態勢をとることが成長戦略として有効であり、実際にわが国は、そうした態勢に適した経済システムを構築してきた。ところが、先進国化した後は、効果の大きな最先端的イノベーションが起こる頻度を高めるような態勢に変えなければ、成長を続けることはできなくなる。
この点での態勢変換(例えば、初等中等教育の普及から高等教育の拡充への重点シフトなど)を、日本は十分に実現できていない。
冷戦の終わりと大競争時代の始まり(外的変化)
1989年のベルリンの壁の崩壊以降、東欧・ロシアの市場経済への移行や中国の開放政策などの結果、市場経済への参加人口は、それまでの約10億人から、約40億人に一挙に拡大した。新規に供給に加わった労働力は、教育レベルも高く、優良なものでありながら、その賃金水準は、日本の数分の1から数十分の1に過ぎない。日本経済は、他の先進国のみならず、これら新興経済(emerging economies)とも競争していかなければならなくなった。とくに地理的に隣接した中国が「世界の工場」として台頭してきたことは、それまでのフルセット型の産業構造(とりわけ国内市場向けの製造業)の存立基盤を失わせるものになった。
したがって、先進国は、知識集約型産業やサービス産業に産業構造をシフトさせていく必要がある。しかし、わが国は、そうした産業構造の転換を十分に実現できておらず、むしろ旧来型の産業構造を何とかして維持しようとした政策対応がとられてきたといえる。
長期的取引関係や企業特殊的な熟練のような文脈的技能を重視する経済システムのあり方が、産業調整コストを非常に大きなものとしてきたがゆえだという面がある。
部分最適化の限界
日本の法人企業部門は、環境変化への対応を怠ってきたわけではない。個々の企業のレベルでは、環境変化への対応を進めてきた。そうした企業部門の調整は、もっぱら単位労働コストの引き下げのために、正規従業員の(新規)雇用を抑制して、パートタイマーや派遣社員などの非正規従業員で代替するという形をとった。そのために、中高年層の雇用は比較的維持されたものの、若年層の失業率が上昇した。また、魅力ある雇用機会が乏しくなったことから、フリーターの増大等の現象がみられるようになった。若年層に対して就労を通じる技能形成の機会が十分に与えられないことは、日本の次世代の人的資本の質の劣化につながりかねないものであって、懸念されるべき事態である。
また、輸出型の製造業は、高機能製品を主力とする路線をとったが、北米市場の規模が縮小するとともに、そうした路線については見直しを余儀なくされている。アジアのボリュームゾーン向けの低価格商品を生産するために、海外企業との提携を含めて、再び生産の海外移転の動きが拡大している。
システム転換に向けた制度的枠組みの見直し等の政策対応を欠いたままでの、個別主体による(部分)最適化は、必ずしも全体最適をもたらすものではなく、むしろ様々な歪みを招来しかねないものである(coordination failure)。
経済システムの再構築
社会システムの形成は、無数の主体の行動が合成された結果としての自生的秩序形成(spontaneous ordering)の働きと理性的制度設計の試みを通じて達成される。理性的制度設計(構成主義<constructivism>の意ではなく、合理的なルールの設計)の不足が、現在の日本にとってボトルネックとなっている。
(レガシー・システム化−−池尾和人)
会社を興して以来20年間池尾の言う世界の動きと同時並行に苦闘し続けてきたKAIの胸に、ここに書かれていることすべてがすとんと落ちるのであります。
小泉竹中改革を、当時国民が強く支持したのは、もちろん「ものをハッキリ言う」小泉と言う個性も大きく影響していましたが、基本はこの池尾和人と同じ、竹中平蔵の当時の経済情勢に対する的確な「読み」に基づく政策にあったわけです。
ですから自民党のみなさんは、この池尾和人講義録の一言一句を「経典」にして、すべての政策を一から立て直すだけで、それがすなわち、自民党再生の一番の近道となるのであります。
ほんと、救われないのは、KAIのような小泉自民党を応援してきた国民だと、もういいかげん気づいてくださいよ、もう! KAI