監督の悲喜交々。
世の中に、監督と呼ばれる人は、まことに多い。しかし監督とは何かを理解している人は、きわめて少ない。
特に、楽天社長ほど、この世に監督の意味を理解していない人間はいないのではないかと、KAIは真剣に思う。監督とは、現場の総責任者である。その責任者が、これから自らの使命である決戦に立ち向かおうとする矢先に、その結果を問わず監督解任を通告されるなどと言うのは、恐らく人類史上初めてではないかと、KAIはオーバーにではなく、思う。
おまえ、勝っても負けても、クビだから。しっかりやれよ。
一体誰が、これで戦う気力を維持できるでしょうか。
しかし、それにもまして、なんでこんな仕打ちを受けなければいけないのか。まさに、疑問はこの一点にあります。
野球のやの字も知らんで、ようやれますな。
恐らく三木谷は、野村に最初こう言われたのでしょう。ホリエモンへの対抗意識だけで球団経営に乗り出しただけに、うむを言えない。今季シーズン初めの三木谷にとって、やっとめぐってきた意趣返し。まさに野球も知らない、監督の意味もまるで知らない男にとって、契約どおりの話をすることに何の躊躇もいらない。
すでに野村効果は、負けても勝っても必ず「ぼやき」映像が流れ、スポーツ紙の1面を独占する形で、何百億もの貢献をしていることは、一切無視。昔から、楽天って虫が好かない。そう思ってきた消費者の感性は、正しい。これをきっかけに、大量の消費者の楽天離れが起きるのは、目に見えるようです。
さて、野村監督の去就やいかに。野村楽天が日本シリーズを制して、三木谷が折れる。しかし野村は、去る。これしかありません。
監督の力とは何か。これを理解できない三木谷は、映画監督の黒沢を勉強しなさい。映画も野球も、監督の仕事はまったく同じです。黒澤が映画に君臨したように、力のある監督こそ、球界の宝なのです。
そして、もう一人の監督。岡ちゃん。
やっと、思うサッカーができたと思う。ポイントは、ツータッチパス。いままでいったいなぜ、まともにこれができなかったのか、不思議でしょうがない。
縦パスとこのツータッチパスは、セット。オシムが目指した動的フォーメイションの、キーポイントです。
奇跡的回復をみせるオシムが記者会見で言った言葉「もっと走れ」こそ、いみじくも岡田サッカーの点を取れない理由を説明しています。つまり岡田サッカーには致命的に「走り」が足りない。
オシムの哲学は明確で、ボールを中心とした動的フォーメイションの中で相手を常に上回るスピードによってボールを支配すること。ボールを支配することができれば、それはすなわち得点に結びつくのです。
(暗雲岡田ジャパンと週末テニス)
もともと岡田は、守りの人だった。だから点は入れさせないかわりに、点が取れない。なぜなら、点を取られない体勢から、点を取りに行く体勢が不連続だからです。岡ちゃんは、守り抜いたあとのカウンターアタックで点を取れると考えた。しかし、この作戦がいかにもろいか。そうです、カウンターアタックが予想されれば、守るのは簡単。攻め込み過ぎないようにするだけです。
そうこう経験する中で、やっと、動的フォーメイションの意味が分かった。動的フォーメイションとは、点を取るための体勢であると同時に、点を取られないようにするための体勢だと言うことが。動的フォーメイションを維持すれば、万一相手にボールが渡っても、クイックで守備に入るだけの位置をキープできる。
問題は、いかにこれを選手に教えるか。Jリーグの監督と違って、選手との時間はきわめて限られる。そこでとった作戦は、「教える」ではなく「選ぶ」でした。ツータッチパスの意味を理解し既に試合で実践している若手を選んで起用する、でした。ベテランも、積極的にリーダーとなってこれをやれる者だけを残した。
そして、この結果は、香港に6-0、スコットランド戦2-0。得点より零封が大きい。いつも必ず失点を許していたこれまでと大きく変わった。
さて、これがW杯のトップチームにどこまで通用するか。この鍵を握るのが「体力」です。90分フルに走って戦える体力をこれからいかにつけることができるかが、勝負です。
これに岡ちゃんがいかに答えを出すのか。ますます楽しみが増えました。
で、週末テニス。
今週の話題は、なんと言っても、ラケットのグリップ。Y木さんに薦められて、グリップをゴム状樹脂製に変えたとたん、世界が変わった!
なんと言うこのフィット感。最初はこの吸い付くような感触に多少とまどいながら、それでも今までとまったく違う。思ったとおりの面を作ることができるから、小気味いいくらいボールをコントロールできる。
いましばらくは、この感触に慣れる必要があるけれど、さっそくその成果が現れた結果は、土曜、6-3、0-6、6-2、2-3の2勝2敗。日曜、6-1、6-4、2-6、1-0の3勝1敗。まことに、安定した内容であります。
他にも、こんなちょっとしたことで、大きく変わることが、あるのではないのか。ひとしきり思いを巡らすKAIでありました。 KAI