いったいウチダ先生は、だますほうか、だまされるほうか。
株式会社立の大学については、これは高等教育機関としては機能しないと私は最初から言い続けてきた。
「教育はビジネスではない」からである。
「教育はビジネスだ」と信じた人たちが構造改革特区制度を利用して、わらわらと大学経営に参加してきたのが、2004年のことである。
“小泉構造改革”を象徴する風景であった。
日本の教育が崩壊しているのは、教育者にビジネスマインドがないからであると、その頃、メディアは口を揃えてそう唱和していた。
「市場による淘汰に委ねれば、真に有用な教育機関だけが生き残るだろう」というロジックそのものに疑義を呈したメディアは私の知る限り一つもなかった。
「マーケットは間違えない」
人々はそう信じていた。
(株式会社立大学の末路)
またしても「小泉構造改革」である。
株式会社立の大学の「経営」がうまくいかないのは、単に高等教育のノウハウが蓄積されていないだけのこと。この構造改革のおかげで、いままで時代遅れと言われていたウチダ先生の大学の「リベラルアーツの女子教育」に光があたりだしたって、ご自身でいっているじゃありませんか。
少し前までリベラルアーツの女子教育はほんとうに風当たりが強かったです。ほとんど「時代遅れの遺物」扱いされていました。世の中は構造改革・規制緩和で、とにかく勝者が総取りするというルールで殺気立っていましたからね。そういうときに「愛神愛隣」というような声はなかなか届かない。でも、競争原理の時代がそろそろ終わってみたら、時代の流れとちょっとずれた本学だけがぽつんと残っていたという感じです。
(内田樹 入試部長のひとり言、「ふたりごと」)
悪い部分は、すべて「小泉構造改革」のせい。良い部分は、すべて自分たちの努力のおかげ。なんとまあ、手前勝手な論理だこと。
「小泉構造改革」のおかげで世の中が大きく動いて、何が良くて、何が悪いのか、これではっきりしたってことです。確かに悪い部分もあぶりだされてきたけれど、それ以上に郵政改革、規制緩和、既得権の排除によって、どれだけ世の中の風通しが良くなったことか。
この「小泉構造改革」がなければ、いまだにすべての既得権は元のまま。この鬱陶しい閉塞感は、まるで何も変わらない。それでよくなったであろうことは、何一つない。
貧富の差はどうよ、雇用問題はどうよ、と言うなかれ。これは正規社員と言う既得権問題。「小泉構造改革」とはなんら関係ない。関係ないと言うより、「小泉構造改革」が手をつけなかったから悪化しただけ。
では地方は。これもまた官僚機構と言う既得権問題。言うだけ無駄。
では弱者は。医療、介護、生活保護。すべて規制に胡坐をかく既得権の塊。誰も、ほんとうの「プロ」がいない。単に民間の保険制度を導入して、市場原理による「サービス化」とその品質の向上以外には、解決の道はありません。
なにはともあれ、「小泉構造改革」とは、既得権者との戦いの一里塚にすぎません。
いったいあなたは、既得権者の味方ですか、それとも敵ですか。これが、すべてだとは思いませんか? KAI