May 20, 2009

坂本龍一のモールトエモーショナル

人生、これすべて出会い。出会いは偶然にして必然。すなわちシンクロニシティ。

坂本龍一にとって、ベルナルド・ベルトルッチとの出会いが、彼の運命を大きく変えたのでした。

 −−映画音楽を手がけられ、世界に認められていきます。映画監督ベルナルド・ベルトルッチとの出会いが大きいようですね

 坂本 一番影響を受けたのは音楽ですね。それまでは「音楽は音による感情表現だ」ということに抵抗があったんです。大学ではもうちょっと“数字的な音楽”を作ろうと勉強していたけど、それを見事にベルトルッチに打ち砕かれました。理論的にじゃなく、現場で。

 −−どの作品でですか

 坂本 「ラストエンペラー」です。ロンドンのスタジオで録音していたら、本番中にベルトルッチが飛び込んできて「モールトエモーショナル(もっと感情的に)、モールトエモーショナル」って一人で怒鳴ってるんです。つまり感情の閾値(いきち)(最小値)みたいなものがあって、それを超えないと響いてこない。イタリア人はかなりそれが高いんでしょうね。

 −−それであの曲に?

 坂本 そうですね。2回目の「シェルタリング・スカイ」のときは、メーンテーマを引っ張り出すまで1週間スタジオにこもってました。入学試験じゃないけど、かなり上のほうまでいかないと許してくれない。映画監督は独裁者タイプの人が多い。「ラストエンペラー」のとき、(撮影監督の)ヴィットリオ・ストラーロが3〜4時間かけて入念に作ったライティング(照明)を、ベルトルッチがファインダーをのぞいて、「だめだ」とけ飛ばして帰っちゃったんですよ。

 −−そんな乱暴な

 坂本 プロデューサーのジェレミー(トーマス)が、「ああ」と嘆いてるんです。彼は“その瞬間”に1億円分ぐらい失っている。エキストラ何百人、馬は何十頭、ラクダ何十頭って1日の経費がそのぐらいかかっている。だから音楽も、一生懸命に書いたって簡単にボツにされます。感情的な音楽でしか響かない人たちもたくさんいることを見せつけられて、それまでの自分の音楽はだいぶん変わりましたね。(堀晃和)
【話の肖像画】音楽は自由にする(中)音楽家・坂本龍一(57)

なんともすごい話である。これを「感情の閾値」と表現するのも、これまたすごい。

出会いは、人の「感情の閾値」を超えることを要求し、より上位への変化を求められる。そしてこれに応えると言う、人と人との関係性の中から、人はより高度な身体性と精神性を身に着けることが可能になる。

なるほどいわれてしまえば、その通り。コーチと選手との出会い、師と弟子との出会い、ライバルとの出会い、人は出会いによって何らかの「閾値」を高めあいそれを超えることができる。

そしてここで最も重要なことは、出会いとは一方通行ではなく双方向であると言うこと。出会いは互いに強く影響しあうと言うこと。ライバルとの出会いはもちろん、師と弟子との出会いも、弟子だけでなく、師も自らの「閾値」を超えることが求められるのです。

坂本龍一は、KAIと同じ52年生まれ。30代半ばでベルナルド・ベルトルッチと出会って作曲した「ラストエンペラー」で、日本人初めてのゴールデングローブ賞と、アカデミー賞作曲賞を受賞する。その3年後91年、同じくベルナルド・ベルトルッチ監督の「シェルタリング・スカイ」で2回目のゴールデングローブ賞を受賞する。

この2つのゴールデングローブ賞は、坂本龍一だけの賞ではないと言うこと。ベルナルド・ベルトルッチ監督にとっても、坂本龍一との出会いによって、自らの作品である「映画の閾値」を超えることができたのです。

もしかして、男と女の出会いもそうかもしれないけれど、二人が超えなければいけない「閾値」って、いったいなんなんでしょうね? KAI

投稿者 kai : May 20, 2009 08:55 PM | トラックバック
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