ジャストシステムが、キーエンスの傘下に入った。
一太郎の愛用者であるKAIにとって、いまさらワードに切り替える気は、さらさらない。なんとしても、ジャストには生き残ってほしい。
しかし、それにしても笑ってしまった。
もう時効だと思うが、その頃のMSKKの社内キャッチフレーズは「JUST DO IT」だった。「ジャスト、どいて」という意味である。
こんなに敵を意識して組織的に展開するという仕事のやり方は、あまり日本的ではなかったと思う。
しかしアメリカでは、「戦略」と呼んだ場合、それは軍事作戦に匹敵する理論的合理性を求められる。
マイクロソフトHQの営業部門は元軍人が仕切っていて、新人研修ではまず男女問わず廊下を匍匐前進するところから始まる、という伝説がある(僕は現場を見たわけではないが、社内でまことしやかにささやかれていた伝説だった)くらいに、彼らは「戦略」という言葉を本気で使っていた。
(ソフトウェアには国際競争力が絶対に必要であると思う理由)
こうして戦略的にジャストが駆逐され、いまこのブログを書いているマシンにさえIMEがはびこる事態となって、かくも異様な日本語変換を強制されるはめになる。これを文化的侵略と呼ばずして、他に言葉はない。
しかし、それにしてもです。
かねてより主張している通り、ソフトセクターのアセットはツールにはない。マイクロソフトのワードでさえ、やがて無料化せざるを得ない。そのなかにあって唯一の生き残り戦略が、これ。
「ツール」であるオフィス製品にクラウド化される必然性は、上記通りにもとより残念ながらありません。たまたま、「ツール」をポータルにして広告モデルで稼ぐことに成功する企業、すなわちエクセル、ワードの画面を開くたびに広告が出てくることで成り立つビジネスが、今後出てきてうまく行く可能性は、もちろんあります。
(クラウドコンピューティングは儲からない?)
クラウドのWeb上で、ブラウザで無料で使える一太郎をサービスすれば、ひょっとしてジャストは生き残ることができるかもしれない。作成した文章の保存サービス、この文章の検索サービス、ナレッジベース機能サービス。いくらでも機能拡張は可能です。
もちろんビジネスモデルが、大事。作成する文章をスキャンして、アドワーズと同じルールでスポンサード広告を表示する。
そしてこれがもっとも重要なのが、変換辞書。ナレッジベース機能サービスと連動したシソーラス辞書をネットで共有できる。WIKIをこえるサービスさえ夢ではない。これはすなわち、日本語を超えると言う意味でもあります。ATOKが、2バイト文字圏を席巻する。
かように、ジャストが生き残るすべは、いくらでもあります。
KAIのように、日本語の旗手をジャストに期待するものにとって、このまま手が打たれないままお仕舞いは、なんとしても惜しい。
ジャスト カムバック! KAI