世の中が、喧しい。
金融危機、世界恐慌、景気後退。どう対処すればいいか、みなご宣託を求めて、右往左往している。
金融安定化法案が、やっと決まったけれど、株価は下げ止まらない。これで決着がつく気分には、誰もならないと言うことです。
しかし、今回のこの法案の採決を巡る一連の出来事には、「ものごとの本質」を理解するために、非常に示唆深いものがあります。それは、米国民一人一人にとって、国家や世界規模の安定など眼中になく、経営者憎し、自業自得と言う個人の「感情」が、あらゆるものごとの判断の起点としてあることが、より鮮明になったと言うことであります。
これを当たり前と言ってしまえば、それでお仕舞い。これは決して当たり前でもなんでもなくて、世の中、みな大いに勘違いしているのが、金融危機対策、景気対策といった政府の施策の背景に、国家的、政治的な集団の動機付けが前提にあると考えていることです。
結論から言ってしまえば、「景気」と言うものが典型で、「景気」と言う、集団的、マクロ的な現象は、実体のない統計的な結果に過ぎません。実体は、一人一人の「頭の中」にしかなく、一人一人の「気分」こそ、「景気」の実体としてあることが、ものごとの本質として、きわめて重要なことであります。
すなわち、金融危機の対策も、景気対策も、その最終的な対象として、そこに集団的な何かがあるのではなく、一人一人の「気分」に向けられるべきものであると言うことです。
世の中の大きな気の流れを「大気」と呼べば、その実体は、一人一人に分けられた気、すなわち「気分」の中にこそあるのです。マーケティングしかり、集合知しかり、すべてが、一人一人の頭の中の「気分」が実体であり、それがすべてであって、それ以外のなにものでもないのです。
この仕組み、この意味が理解できて、やっと、世の中がすべてクリアに見えてきた。 KAI