彼の金メダルのおかげで、日本人にとっての北京オリンピックが、やっとまともなオリンピックになった。もし彼の金メダルがなければ、まるで北京オリンピックは締まらないものに終わっていただろうことは、まず間違いない。
水泳の北島康介選手が、ついに五輪2大会連続で4つの金メダルを獲得した。そして、日本中が偉業に沸いた翌日のメディアには「引退」の文字が躍った。
(中略)北島選手が瞳に輝きを取り戻し始めたのは、新泳法を身につけ始めてからだとマネジャーは言う。
「北京入りの数日前、僕は北島を怖いと思いました。目をそらしたいような強烈な目力と、近寄りがたい気を湛えていたんです」
そのころの彼に、実は私も同じものを感じた。「この人はたった一人で“孤独の森”に入って、徹底的に孤独と闘ってきた人だ」
私自身も漫画家としてデビューする前、家族に反対され、金銭的にも困窮し、明日死ぬのではないかという孤独の中で原稿を書いた経験がある。しかし、その体験がなければ私は強さも意地も熟慮する習慣も身につけることがなかったろう。北島選手に会ったその日、私は改めて確信した。「孤独を恐れることはない。誰であれ、何かに覚悟をもって挑むとき、人はたった一人で孤独の森に入り込んで、自身と向き合わなくてはだめだ」。彼が極みにたどり着いたと認めたからこそ、人々は引退を想起してしまったのだろう。
(産経新聞、めざましカフェ、'08北京 孤独が人を強くさせる、さかもと未明、2008/8/17、p.1)
孤独と闘うのではない。孤独の中に生きると言うこと。
最終的な判断は、誰に頼ることもできない。身体中の全神経を一点に集めて、気の流れをコントロールする。すると気は自らが進む流れに流れていき、そして還ってくる。そう言う次元まで孤独に生きて初めて、すべてが見えてくる。
スポーツだけではない。漫画家であれ何であれ、人が生きる力を得ることができるのは、身体と心の中を流れる気のエネルギーによる以外にはない。
気力、とはそう言うもんなのです。 KAI