May 24, 2008

世の中を編集し始めるインターネット

どこかの新聞社の部長が学生の前で、あいも変わらず新聞の価値は編集にあると豪語していた記事があったけれど、インターネットが生活の一部になっている学生にとってはそれはすでにまったく無意味な言葉です。

随分昔のエントリーサーチエンジンは21世紀の文化の担い手の中で、新聞の持つ編集機能がインターネットに移行することを論じましたが、いまや時代はこの通りになってしまいました。

いまやポータルのヘッドラインでニュースを知り、ソーシャルブックマークやアクセスランキングで話題の記事にアクセスする方法が「普通」であって、朝刊夕刊にかかわらず新聞紙を開いた時に初めて見聞きするニュースなどと言うものは存在しない時代になってしまったのです。

こう言う時代で意味を持つのが、「ごくせんは不良を讃えるな」 和田秀樹さんがコラムで異論といった記事です。この記事の内容自体はごくありふれたもので、特に言及するようなものではありません。ポイントは、テレビ、日経ビジネス、2ちゃん、(メール?)取材、そしてこのインターネットの記事とメディアが横断的に取り上げられていることです。

編集とは、言ってみれば事象と事象を繋ぎ合わせること、ものごととものごとの関連づけです。

新聞は、紙面と言う限られたスペースの中に、(主にリアルな世界の)事象を表す見出しを配置し、その活字の大きさで事象の重み付けを行い、日々世の中の出来事を関連づけしてこれを読者に提供し続けていると言えます。

これがインターネットによって自動化されるとともに、先に例示した記事のような、記事自体の中で世の中の(メディアに跨る)事象と事象を関連づける記事が、今後重要な意味を持ち始めると、KAIは考えています。

これは考えてみれば当然と言えば当然の帰結で、インターネットがすべてのメディアを繋ぐメタメディアである以上、メタメディアとしての編集機能の重要性がますます拡大していくと言う訳です。(つづく) KAI

投稿者 kai : May 24, 2008 08:11 PM | トラックバック
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