April 12, 2008

チベット問題に見る朝日の前科

今朝の産経新聞の、このコラムには驚いた。

 中国が国際社会から非難され、信頼を失うのは自業自得だと思うが、朝日は見過ごせないらしい。
 たしかに福田総理が中国にハッキリ言わないのは事実だが、では朝日はどうなのか。
 たとえば1987年10月4日、「チベットの不幸な流血事件」という社説。<国外にあるダライ・ラマとそのグループを含むチベット関係者は、中国の一部としてのチベットの現実に冷静な目を向けてほしい。およそ二百万人のチベット族の平和な生活のためにも、無謀な挑発が行われるようなことがあってはなるまい>
 89年、ダライ・ラマ14世がノーベル平和賞に選ばれた際には授与反対の論陣を張った。<平和のための賞が結果として、チベットの緊張を高めるおそれさえある。(中略)「平和賞」の名が泣こう>
 まさに中国の代弁者。朝日に福田総理を批判する資格などない。
(産経新聞、週刊誌ウォッチング、花田紀凱(かずよし)、2008/4/12、p.15)

いやはや朝日の前科は、ここにもありましたか。結局、朝日新聞には、ジャーナリズムを名乗る資格はありません。笑えるよ。ダライラマに活動を自重せよとは、笑止千万。ジャーナリストの隅にも置けない。ジャーナリズム世界から即刻追放です。

今は朝日とっていないし、ホームページを見るのも気分が悪くなるから確認してないけれど、今回も酷い報道に終始しているんでしょう。どの面さらして、ジャーナリズムと言う仕事に携わっているのか。

何も正義面しろといってるのではない。ジャーナリズムとは何か考えれば一発でわかること。これがいつまでも中国と言うバイアスがかかり続ける限り、朝日に明日はない。 KAI

投稿者 kai : April 12, 2008 08:53 PM | トラックバック
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